暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

暫くの暇乞い

2011年06月23日 23時12分08秒 | 日常

明朝スキポール空港を発ってパリ経由で日本に帰省します。

親を2月に介護つき老人ホームに落ち着かせその後放っておいた家の家財整理のため2ヶ月、盆すぎまで日本に滞在する予定です。

その間、電話もインターネットもない環境なのでここへの書き込みもできないとみています。

ということで、ここで少々早めの 暑中お見舞いを申し上げます。

では8月後半まで暫くの暇乞いということで、皆様くれぐれご自愛ください。

ではまた。


北欧伝統料理;豚ヒレの煮込み

2011年06月20日 21時27分33秒 | 喰う

2011年 5月 某日

スーパーで豚ヒレのバーゲンがあったから、と台所で家人が我が家ではいつも重宝する鋳物の厚鍋を取り出して20cmほどある肉の長い塊をバターで炒め始めた。 キッチンテーブルの上には茹でた赤カブと小さな新ジャガがあってそれで夕食がどんなものになるのか予測がついた。

オランダの伝統料理でもありこの材料からするとフランスから上の北部ヨーロッパに昔からあるものになる。 あるところでは場所によってポートワインや白、赤ワインにサイダーまたはビールとアルコールの含まれた液体を注ぎ、さまざまな野菜や茸類、香草を加えてゆっくりコトコトと煮るとそれで出来上がりという甚だ簡単だが様々なバリエーションが利く美味なものだ。 ヨーロッパでは何世紀にも亘って作られている食事の献立で、とりわけ歳をとってくるとこのような煮込みが落ち着くというような献立でもある。

肉の長い塊を炒めて焦げ目をつけたあと刻んだ玉葱を加えて炒めその後にシャンピニオンを放り込み、今夜はポートワインがなくなっていたからベルギーのビールを入れるわ、とその分他の香草をひかえて庭に育っているローズマリーだけで済ませ、それに陽射しの温かい夕だからサワークリームの濃厚なソースにするのも控えた結果がこのようになった。 こんな風に味付けのバリエーションを使えば一年中作れるものなのだ。

それに赤カブは典型的な北ヨーロッパのもので大抵これを嫌うものがないほどの伝統的な食材だ。 嫌いだというのがいればそれはただ料理法が適切ではない、ということだと赤カブが好きなものは強調する。 冬の間ならちゃんと自分で茹でるのだけど夏場に長く火を使うのも暑いし、ただ茹でただけのものをスーパーのパッケージから片手鍋に移しそれを温め、そこに刻んだ玉葱とレモン汁を加えただけのシンプルなものだ。 それに新ジャガがあればこれで完全に昔の人が長らく味わってきたものを口に出来る普通の楽しみも経験できて伝統料理という意味の一端も舌で経験できるというものだ。

何か涼しいし天候が不順だなあ

2011年06月19日 02時24分28秒 | 日常

おととい家人が二人の妹達と10日ほど北の島へキャンプしながら演劇や大道芸のフェスティバルの物見遊山にいくのに去年と同じく車でフェリーの船着場まで送っていった。 その様子は去年に「久しぶりに大堤防を通ってフリースランド州に行った」書いたこととほぼ変わりがない。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/60766142.html

変わったのはこの長さ30kmほどある堤防の速度制限が120kmから130kmに変わったぐらいだ。 普通の市民としては最高制限速度の10%増しを大体の目安としているようで、車間距離を長く保って時速140kmぐらいの流れにはなっている。 とうぜん我々を追い越していく大型バイクや軽快なタイプの車は170kmかそれ以上で走っていくのもある。 ここにはねずみとりの監視カメラがないのだろうか。 時々は覆面パトカーが走っていてそういう速い車が停められているのを見るからこちらももうそれほど若くはないのでアクセルは踏み込まずそこそこのスピードで走った。

それに今回ここを走ったのは2週間ほど前にフリースランド州で小バカンスをして以来だから新しみには欠ける。 去年は比較的天候に恵まれたと家人は言っていたけれど今年はバカンス気分を削ぐような少々寒い荒れ模様だ。 ゼーランド州でも何万人かを集めて例年行われる若者のロックフェスティバルが悪天候で中止になったというようなニュースがでていたから北の島でも同じことだろう。 家人たちオバサン3姉妹はテントの中で酒でも飲みながらお喋りか近くのカフェーにいりびたりになるぐらいしかできないだろう。 住人が数千人の小さな島に10倍以上の人数が押し寄せるのだしその観光客たちの70%ほどが40歳以上の女性というのだから大体どんなコンミューンになるのかは想像がつくだろう。

正午にうちを出て3時のフェリーに間に合わせるドライブだったけれどその港町近くの村で30分ほどの遅い昼食をムール貝の酒蒸しで摂って運転中だからワインを恋しく思ったのだがさすが海辺のレストランで久しぶりに簡単だけれど旨いものを喰ったと満足した。 混雑するフェリーの渡し場から直接高速道路を戻って2時間弱でうちまで休憩もとらずに戻ったのだが家まであと3kmほどのところまで交通渋滞に巻き込まれ、結局この3kmに30分以上かかった。 それはこの半年ほどこの高速の車線拡張工事をしているからで、それはカーラジオで聞こえてくる交通情報でもほぼ毎日のことであるから仕方がないのだがそれでもこの30分ほどの疲れが家にたどり着いたときにどっと重く感じられた。

それから2日ほどは風雨が何時間ごとに訪れる寒冷な天候となっている。 予想では18,19度ほどのこういった天気がまだ一週間ほど続くといっている。 今度の金曜日にパリ経由で2ヶ月ほど帰省するのだが大阪はいまどんな天気だろうか。 この30年、日本の夏を経験していないのでちゃんと適応できるか少々心配だ。 


Suburban Girl  (2007);観た映画、June '11

2011年06月17日 21時28分13秒 | 見る

Suburban Girl  (2007)

97 min.
監督; Marc Klein
脚本: Marc Klein (screenplay), Melissa Bank (short stories "My Old Man" and "The Worst Thing a Suburban Girl Could Imagine" from the book "The Girls' Guide to Hunting and Fishing")

出演
Sarah Michelle Gellar    Brett Eisenberg
Alec Baldwin          Archie Knox
Maggie Grace          Chloe
James Naughton         Robert Eisenberg
Chris Carmack          Jed
Vanessa Branch          Faye Faulkner
Peter Scolari           Mickey Lamm
Marian Seldes           Margaret Paddleford

粗筋
Brett, a young woman from the suburbs, is an associate editor at a small New York publishing house, hoping to be promoted when, on the same day, she meets a literary lion, Archie Knox, who's 50 and who shows an interest in her, and gets a new boss, a dolly-dolly Brit. Brett is soon dating Archie, then moves in with him. He's charming, attentive, and gives advice. He also has a history - ex-wives, a distant daughter, a couple of diseases, and a photo album of former girlfriends. It's no fairy tale: family issues (and more) intervene, and Brett has decisions to make. Meanwhile, she's working with a writer who fears peanut butter sticking to the roof of his mouth. Is Archie dinner, an hors d'oeuvre, or a peanut-butter sandwich? Written by <jhailey@hotmail.com>

日本の映画データベースに記述がないので IMDb のサイトから上のように曳いた。

若い娘から婦人にターゲットを絞ったものばかり放映するオランダ民放テレビ局のゴールデンアワーに登場したものを観た。 この民放は大体ベタベタと甘く、還暦をすぎたオヤジには苦手な局で自分からはほとんど見ることがなくテレビガイドの評価でも低かったのだが、今回観た理由はただ一点、 アレック・ボールドウィン が出ていたからだ。 それが2007年のものだったこと、また、前夜のイギリスBBCテレビの深夜画映画でボールドウイン + キム・ベイシンガーの「ゲッタウェイ (1994)」をほぼ10年以上ぶりに再度銀行強盗の場面から観ていたことに拠っていて、前夜「ゲッタウェイ (1994)」を観ていなかったら本作は観ていなかっただろう。

ボールドウィンは最近はシットコムコメディーシリーズ「30 ROCK」ででっぷり肥ったテレビ局のプロデューサーを演じていてそれをコメディー専門テレビ局でみるもののそこには往年の面影はなく、そういうときに久々に見た「ゲッタウェイ (1994)」は衝撃的で全く別人、若さの頂点にいたような目も覚める姿だった。 たった13年でこうも変わるものか。 もっともボールドウィンにはっきりと惹かれたのは「レッド・オクトーバーを追え! (1990)」からで、これはイギリスBBC局も気に入りなのか何年かに一度は必ず放映されるもので何回か観ておりそのときのボールドウィンの印象から、「ゲッタウェイ (1994)」の印象と比べるとはるかに落ち着いた様子を見せているので「ゲッタウェイ (1994)」のほうが5年か10年先行の作のように思っていたのが今回映画データベースの情報で逆転していることに気付いて驚いた。 ボールドウィンの肉体やナイスガイ映画という点では「結婚の条件(1988)」に並んで「ゲッタウェイ (1994)」が頂点だろうと思う。

またこのデーターベースでアレック・ボールドウィンの項を眺めていて「ゲッタウェイ (1994)」で共演したキム・ベイシンガーとそのときの縁で結婚したというのはこの「ゲッタウェイ (1994)」がオリジナル・ペキンパー作「ゲッタウェイ(1972)」のリメイクでその際、共演したスティーヴ・マックィーンとアリ・マッグローが一緒になったのと対照されて興味深いものがある。 二つのゲッタウェイには20年の差がありそれからさらにそろそろ20年になる。 それから、唐突に先週テレビで観たコメディーのことを思い出した。 それは気に入りのベット・ミドラーが出たヘレン・ハント初監督・主演、共演がコリン・ファースの「いとしい人(2007)」だ。  そこで実母だと名乗り出たテレビ局のプロデューサーであるミドラーがハントにお前の父親はスティーヴ・マックィーンだ、という件があったからだろう。 そこで妊娠の可能性のある時期を調べたらマックィーンは「砲艦サンパブロ(1966)」の撮影のため中国に行っており父親ではありえないことが判明、もうすぐ40に手の届くことではじめての懐妊を望むハントがミドラーに食って掛かるということになっていたのだった。

本作の主演女優をどこかで見たことがあると思っていて思い出せなかった。 見た事のないシリーズ「アリー my Love」の主演女優かと思っても違うような気がしてデータベースの記載事項を見ると何年か前に中・高校生の娘が見ていたTVシリーズ「バフィー~恋する十字架~」の主役だった女優だ。 なるほど、2007年当時、30歳の女優と49歳の男優の親子ほど違う二人の浮ついた恋愛ものだから、それに還暦を過ぎたオヤジの自分は作中癌で死んでいく女優の父親よりもまだ年上であることにいらいらしつつも浮いた歯を噛み締めながら終わりまで見てどっと疲れがでた。

トレンディーを気取った設定とその中の台詞などが鼻につき、こういうものをアメリカの若い女は消費するのかと思い、本作も自分では観たことのない「セックス アンド シティー」の視聴者もターゲットに絞っているのかとも想像したものの、それらの視聴者には本作舞台、NYの出版界で交わされるアメリカ文学についてのスノッブ材料も「....Whatever!...」とあしらうほどの興味のないものかもしれないとも考え直す。 本作では「ピュ-リッツァー賞」に「チャールズ・ブコウスキー」が安っぽい知的香水として鼻をくすぐる。

本作をみてから1時間ほどして裏庭でこの夜にもうほぼ済んだ皆既月食をみようとしたのだが生憎雲が出てみえなかった。 仕方なく居間でBBCにかかる深夜映画を覗いたら「愛という名の疑惑(1992)」でリチャード・ギアとキム・ベイシンガーがサンフランシスコの金門橋が見える古びた灯台にあがっている場面だったのだが見続ける気も無くスイッチを切ってビールの小瓶を片手にこの小文を記しに屋根裏部屋に上がったのだった。

月蝕が見られなかったのは残念だが、、、まあ、いいか、、

2011年06月16日 23時34分37秒 | 日常


2011年 6月 15日 (水)

8時のニュースを見ていてそのほぼ終わりごろ、天気予報のときにいま現在皆既月蝕が始まっている、と頭の後ろが月の様に禿げ上がった予報官が言った。 しかし月はほぼ地平線のあたりに出るところで見晴らしの利く田舎に出かけるか高いビルの上から眺めなければなかなか見られないとも言っていたが、うちのあたりは天頂辺は晴れてはいるけれど鈍よりした雲が地平線のあたりにずらっと居座っているから南の空に出て来ているという月は見えない。 ネットで調べたら2011年6月15日の日没は午後10時2分であり、曇って薄暗いとはいえまだ日は沈んでいない。 それにつづいてこう出ていた。

De eclips begint om 19:24 uur en staat bij het maximum, om 22:13 uur, op een hoogte van circa 1° (in Utrecht). De eclips eindigt om 01:03 uur.

オランダの中心部ユトレヒトを例に取ると午後7時24分に約1度(ほぼ地平線)のところで始まり10時13分に皆既月食となり、そこからもとに戻って午前1時3分に終わる、とある。

月蝕や日蝕は出来るだけ見るようにしているようにしていてこどもの頃からはもう何度も見ているけれど天候のせいで毎回見られるということはない。 それも仕方がないか、とそのままに放っておいて夜中に窓を開けて上を見てもそこにはない。 斑の雲のあいだから光のようなものがぼんやりと向こうの方で射しているのだがそれは2階から見ても緑地の立ち木に隠れてぼやっと見えるくらいだからこの月は今は高く上らないとみえる。 北緯51度のあたりだからこうなのであって緯度が下がるともっと天の上のほうに見えるに違いなのだがいづれにせよ今回は駄目だった。

ここから全く関係ないことを書く。 丸い、ということであれば関係のないこともない。 家人が庭の隅に一株だけ植えた胡瓜とトマトに実がなりはじめた。 胡瓜の方はまだとても見られるものではないがトマトのほうは親指の先ぐらいの緑の丸いものがいくつか蔓に見える。 今頃はいろいろな色のトマトがあって熟れても緑のものもあるからこれが熟すと緑のままでいるのかどうか分からないけれど多分赤くなるものとみている。 普通スーパーで買うものは温室かたとえ地のものでもちょっと色がついたときにもいで運送中に赤くするのだから蔓で赤くなったものほどは熟れては居らず旨みに欠けるのだがこれはどうだろうか。 まっかっかになったものをもいで賞味したいのだがあと一週間ほどで日本に発つので味わう機会はなさそうだ。 それに今から二ヶ月経ったらこの蔓ももう済んでいるに違いないだろうから戻ったときには無残な姿だろうしそれにはちょっと残念な気もしないではない。

ラズベリーの方は4日に一度小さなスープ椀に一杯ぐらいのものが採れ、それを小さな片手鍋でゆっくり温めて作った砂糖、ボートワイン入りのジャムやデザートにかけるソースはもう小さなビンに3つほどある。 自分もこの家をしばらく留守にし、家人も明日から10日ほど北の島である演劇やショーのフェスティバルにでかけるのでこれからのラズベリーの収穫はこども達に任せなければいけない。 放っておくと熟れて匂いが流れると鳥や虫が集まってきて荒れる恐れがあるからだ。

知らないうちに何かもう夏が始まっているようだ。

レインディア・ゲーム  (2000);観た映画、June  '11

2011年06月15日 19時52分11秒 | 見る




レインディア・ゲーム(2000)

原題; REINDEER GAMES

104分

監督: ジョン・フランケンハイマー

出演:
ベン・アフレック
ゲイリー・シニーズ
シャーリーズ・セロン
デニス・ファリナ
ジェームズ・フレイン
ドナル・ローグ
ダニー・トレホ
アイザック・ヘイズ
クラレンス・ウィリアムズ三世
アシュトン・カッチャー

 ベン・アフレック、シャリーズ・セロン共演のクライム・サスペンス。運命の女に出会ったばかりに危険なゲームに巻き込まれる男の顛末をスリリングに描く。二転三転するストーリー、予想のつかないどんでん返し等が見もの。他の共演にゲイリー・シニーズ。刑務所を出たルーディは、房内で友人だったニックの文通相手アシュリーに出会う。ニックが所内の暴動で死亡したため、彼になりすますルーディ。だがアシュリーとの幸せな日々もつかの間、ニックの兄ガブリエルが現れ、彼はニックがかつて働いていたカジノの強盗計画に誘い込まれる。

以上が映画データベースの記述だ。

何もすることもなくシリアスな映画も見る気もないままにテレビガイドを見ていたら本作がお勧めだというので観た。 ジョン・フランケンハイマーの作で今から11年前のシャーリーズ・セロンが出るのに気が惹かれたのだ。 主演がベン・アフレックならどこか二枚目の上に幾分か何分か抜けた風貌でちゃんとした役柄をすることが多かったからここでも大体そうなるのに違いない、気楽に話の筋を追えばいい、とソファーにビール瓶を掴んで沈み画面に見入った。 このあいだシャーリーズ・セロンの「モンスター(2003)」を観て次のように記した。 本作はその3年前の作である。 本作も彼女の資質があとになるほど染み出てくるような仕組みにもなっていてただのかわいこちゃんだけでは済まないストーリーでもある。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/61775702.html

映画データベースの記述にあるように何とも二転三転するストーリーで最後まで面白い。 観た後、ああ、これはフランケンハイマーサスペンスものだと納得したものの、自分には「フレンチコレクション2」には叶わないと感じ、話の運びかたが少々トリックに追われる様な気もしないでもないけれどクリスマスにかけた話には笑えるところもあって、とくに笑ったのは探偵物やマフィアものには欠かせないデニス・ファリナがでていることだ。 あとで笑い事にはならないことになるけれど、それでもこの手の役柄はお手の物だ。 もし10歳ほど若ければシナトラたちの郎党の一人になっても不思議ではない雰囲気をもっている良質のバイプレーヤーである。 本作はB級映画の秀作だとも思う。

蛇足; 観ようとおもったもう一つの理由は題名だ。 Reideer Games って トナカイ・ゲームか。 なんだそれ、というのだが、ストーリーがはじまってじきにアシュリーの兄、モンスターとあだ名のついたガブリエルの台詞で、主役に向かって「トナカイ・ゲーム」ってなしだぜ、というのがあって、脈略から「だましっこ」なし、ということだからなんでトナカイが騙し、に関係しているのか謎が残ったのだがサンタクロースが乗ってくる橇を引くトナカイに関係するのかトナカイを飼う事、その取引の際に質量のことでのやり取りに何かあることに語源があるのかとも思ったのだが何れにせよ直接にはサンタクロースはあってもトナカイには関係なく、けれどもその意図するところ「だましっこ」のゲームはここでは最後まで充分味わえる楽しめる仕組みにはなっているようだ。

輝く夜明けに向かって  (2006);観た映画、 June '11

2011年06月14日 17時36分36秒 | 見る

邦題; 輝く夜明けに向かって    (2006)

原題; CATCH A FIRE

101分
製作国 フランス/イギリス/南アフリカ/アメリカ

監督: フィリップ・ノイス
脚本: ショーン・スロヴォ

出演:
ティム・ロビンス    ニック・フォス
デレク・ルーク     パトリック・チャムーソ
ボニー・ヘナ      プレシャス・チャムーソ
ムンセディシ・シャバング ズーコ・セプテンバー
テリー・フェト      ミリアム
ミシェル・バージャース  アンナ・ヴォス

 悪名高い人種隔離政策“アパルトヘイト”が行われていた80年代の南アフリカを舞台に、非人道的な時の政府に対しテロ行為で対抗、“自由の闘士”として民衆の英雄となった実在の男パトリック・チャムーソの半生を映画化した社会派サスペンス。出演は「ミスティック・リバー」のティム・ロビンスと「きみの帰る場所/アントワン・フィッシャー」のデレク・ルーク。監督は「パトリオット・ゲーム」「愛の落日」のフィリップ・ノイス。また、脚本は反アパルトヘイトの活動家を両親に持ち、自らの実体験を綴った映画「ワールド・アパート」の脚本でも知られるショーン・スロヴォが担当。

 1980年、南アフリカ。セクダン石油精油所で働くパトリックは、愛する妻プレシャスと2人の娘と共に満ち足りた生活を送り、政治に興味を示すこともなく、反政府組織のアフリカ民族会議(ANC)の活動にも無関心だった。一方、政府のアパルトヘイト政策を忠実に推し進める公安部テロ対策班のニック・フォス大佐は、テロリストの発見と一掃に尽力していた。そんなある日、パトリックがたまたま偽りの理由で休暇を取った日、精油所でANCによるテロ攻撃が発生する。やがてニックの捜査はパトリックにも及び、拷問による厳しい尋問が行われる。最終的には証拠不十分で釈放されたパトリックだったが、この国の現実を自覚した彼は、ある決意を胸にANC本部へと向かうのだった…。

以上が映画データベースの記述である。

本作に先立ち我々には既にリチャード・アッテンボロー監督、デンゼル・ワシントン主演 の『遠い夜明け』1987年があり、そこでは本作が始まる1980年の3年前に筋金入りの活動家として当局に惨殺されたスティーヴ・ビコを見ている。 本作でも実在の人物の物語であるが初めは移民労働者としてノンポリであった主人公が他の何万の同士とおなじくアパルトヘイトの中で徐々に反体制にならざるを得ない状況に追われていくプロセスが示される。 ネルソン・マンデーラと同じくロビン・アイランドから1990年に釈放の船にのる画面がエンド近くで流れ2006年の本人の言葉で締められる様な形ではあるが結末に至るまでは少々性急なところもなくはないように感じる。

アパルトハイト末期の南アフリカの政治状況は当時白人の黒人にたいする恐れ、パラノイアも含めた末期症状であったことが本作でも表され我々にも多少は感じ取られるしその例として職責に忠実なティム・ロビンスの対応には共感はしないものの一定の理解もできるだろう。 映画を観るときには自分はどちらにつくか、ということを考えればいい。 その場合現在の立場から安易に見るのではない。 政治的にまったく正義を体現したマンデラ以降を経験している我々にはティム・ロビンス一家の一員として想像力を働かせれば主役を含めた一家の食事風景の場面が一層興味深いものになるだろう。 わたしの周りには南アフリカから引き上げてきた白人が何人もいる。 彼らにとってはアフリカーンス語は古いオランダ語であるからオランダではすこし慣れればすぐに話せる言葉なのだ。

ティム・ロビンスからは一言二言しか聴けなかったけれどそのほかの警官、白人が話すアフリカーンスにはイギリスBBCテレビの深夜映画である画面に英語の字幕が出てるがオランダに住むものには理解でき古いオランダ語として興味深く聴いた。 そこでの白人と黒人の会話では普通は「Yes sir」 が 「Ja, baas (はい、ご主人様」になっていて20世紀にこういう会話が残っていたことに驚くと共に、オランダ語でも普段聞きたくないようなものが多かったように思う。 そういうところに映画の中に埋め込まれた言語に対する意識、無意識の意図が嫌悪感が感じられるものとして、また、善悪がはっきりしている映画でロシア語、中国語、ドイツ語が話される役割、状況の際自ずと悪者の言語と示唆されているのと同等なのではないかというような疑心暗鬼もうごめくのを感じるのだ。

こういう映画ではいつも「この場合キミならどうする」という問いが発せられているのを感じることになるのだが我々のうち何人に答える準備ができているのだろうか。 

リゾットを箸で喰う、、、

2011年06月13日 19時04分34秒 | 喰う


毎回同じように喰うのも何だから、、、といって家人がリゾットを小さなスープ椀に入れ箸を添えて食卓に供した。

ま、リゾットは飯だし皿でなく椀に入っているから箸で喰えるものの皿のリゾットだと箸ではとても喰えない。 といっても日本に住んでいた頃の学生、会社員時代にはそれなりに皿に乗った飯を喰っていたように思う。 飯はその皿の添え物で箸は主に主役の肉やそのほかのおかずを摘むのに使われるもので、そのときの皿の飯に箸は、まあしかたがないか、という妥協案、のようで、だから喫茶店の低いテーブルに乗ったそういう皿料理の飯を背をかがませながら口にいれるような貧相な姿だったように記憶している。

皿は勿論、椀を手にとって口元まで運ぶ食習慣のないオランダに住んでいて、もう今はそういうことはないものの、昔、住み始めたころに友人知人のところに招かれ、むこうも侍、芸者、忍者の国から来て細い木の棒でなんでも事をすます、ナイフとフォークには慣れていないだろうし、という思い込みや気遣いからライスを添えた皿料理に箸を添えて出されたときが何回もある。 するとこちらはナイフとフォークにしてもらえないかと頼みその理由を説明をする。

椀やどんぶり物をナイフとフォークで喰うようなもの、というのは少々行き過ぎた喩えだがそんなものだ。 合わない、理にかなわない。 

日本でも嘗てそうだったし自分は子供の頃、農家で育ち、5つ6つのころだろうか、それぞれの前に自分の茶碗、箸を入れた箱膳で蓋を裏返し四角いへりがついた中に料理の入った皿や椀を乗せて食事をした時期のことを覚えている。 背筋を伸ばし汁物や飯はちゃんとこぼさないように胸元、あごの辺りまで持ち上げ箸で適当量を挟み、乗せ口に入れ、汁物はずるずる音を立てないように飲むと教えられたのだが、それから何年かしてその畳に正座し低いテーブルで食事をするようになると姿勢が崩れはじめる。 それから時が経ち、思春期には台所がフロアになってテーブル、椅子の食卓になると横着にもなり肘をテーブルに乗せて喰うようになっていた。 もちろんこれは自宅での食事のときだ。 気が張るときは3つ児の魂を思い出していた。

人は物を喰う時に観察され値踏みされるという人がいる。 それは古今東西いえることではないかとも思う。 招かれたり招いたりして食事をするときにちゃんとした姿勢で会話を進めながら食事をする楽しみは格別なものだ。 それは背を丸めない、丸めるのは快適かもしれないが敢えてそうしない、ということだと思う。

ナイフとフォークや箸で食う場合背を丸めないためにはどうするか、ナイフとフォークを上手につかい、フォークが要らない場合スプーンで掬い口に運び、箸の場合は皿からは摘み、茶碗は口元までもってきて飯を喰う。その際にはむやみやたらと掻き込まない。 

最近、中国に関する情報が溢れている。 もともと日・韓・中の区別のつかないヨーロッパのなかでこの数年の中国情報の氾濫は驚くべきものだ。 テレビの画面でも中国人が自宅農家で、街頭で、料理屋で食事する様々な風景がみられ楽しいがそこでは背中を丸め食器を口につけ掻き込む姿がしばしば見られる。 それが文化ならそうなのだろうが別の文化からみればそれでいいのか、という疑問が湧くかも知れない。 ちゃんとしたもともと良質の中国文化を身につけた人もそのように喰うのだろうか、というような疑問だ。

中国情報に隠れて日本の情報が入ってこない。 いま流行のファースト・フードやファミリー・レストランで喰う人の様子は知らない。 どうなのだろうか。 日中には違いがあるのだろうか。 あと何週間かして2ヶ月ほど帰省するからその折にはじっくりあちこちで観察してみようとも思う。

この日の茶碗入りリゾットに添えられたものは

イタリア風サラダ; レタス、オリーブ各種、松の種の炒ったもの、からし入りドレッシング、トマトとモッツァレッラの切り身を交互に並べたもの サラダの上にはウイキョウ(茴香)の細かな新緑

リゾットに使った残りの白ワイン、チリ産シャドネー

脳と記憶、老いるということ

2011年06月13日 05時05分50秒 | 健康

どうも物忘れが激しくなっている。 一度に物が覚えられなくなっている、というか覚えてもそれを思い出せないのか、また忘れることが激しくなっているのかしているのだろう。 大体の予想はつく。 だれも歳をとると物忘れが増えるると言われているし、この前までは「ぼけ」といわれ最近は、ええ、、、、っと、、、、カタカナでアルツハイマー、あ、それは病名で、ぼけは漢語の痴呆に置き換えられるのか、といった具合だけれど、それでも忘れることと、思い出せないことの複合現象が屡起こるのだ。 

日常生活で、例えば、今日もまた起こったことはこれだ。 殆ど毎日近くのスーパーに出かけ生活に必要な物を買うのだが、何年か前までは子供達がまだうちにいて世帯のサイズが今よりも大きく、一週間に一度車で纏めて買い物をしており、習慣になっているとはいえ基本的な買い物リストを持って何十というアイテムを揃えていたからそのリストに頼れば考えることも必要なかったのが家人と二人だけの生活になるとサイズが一挙に小さくなりそのリストも無くなり車でガサッと買い物に行くこともやめてしまった。 

それに物置や冷蔵庫の中に何が入っているのかも見ずにうろ覚えのままで出かけるので頭のどこかで、、ええっと、、、まだ猫のドライフードやトイレの砂はあったはずだ、と思って買わなかったものが戻ってみればその日の分しかドライフードは無く、なぜスーパーの棚の前で考えたときに買っておかなかったのかと悔やまれたのだが後の祭りだ。 それもそのときチェックして書き留めなかったから不確かだったことが原因なのだが問題はそこにはない。 まだ少しはあるけれど料理に使うシェリー酒もなかった、ではこの二つは覚えておかなければ、、、と屋根裏部屋で覚えていたものが、下に降りたら忘れていた。 二つ共だ。 買わなければならないものがある、ということは覚えている。 数は二つ。 思い出そうとするが猫のえさは出てくるがシェリー酒はでてこない。 すぐには出てこないのでそのまま台所に出かけその忘れているものが何に使われるものか、どんな音、綴りの名前だったかなどを歩きながら思い出しているとヒョッっと力を抜いたときに「シェリー酒」という名前がでてきた。 そのときにはシェリー酒、では無く Cream Sherry という綴りなのだ。 だから出かける前に紅茶のティー・バッグの包み紙の裏にこの二つの名前を書いてショッピングリストにした。 テーブルの上には家人のメモで、猫のえさ、いるんじゃないの?という書置きもあった。

生活の隅々でこういうことが起こる。 例えば、老眼鏡だ。 今これを書いていているのだがさっきまで下でテレビを見たり新聞を読んでいるときに使った老眼鏡をソファーの横に置き忘れている。 老眼鏡にはちゃんとくびにかける紐がついているにもかかわらずこの体たらくで、これも日常のことになっていてだから自分の机の引き出しには何年か前の古くなった遠近両用眼鏡が入れてありそれを使って凌ぐ、ということをしている。 持ってくるのを忘れるというそのことの矯正のための、階段一往復という{体罰}学習機会を奪う古い老眼鏡はためにならない、という考え方もあるだろうけれどもう若くはないから3階から下までの往復は次に下に降りてビール瓶を取りに行くまで待てばいい、ということになるのだが、そしてそのときにビール瓶をもってきても老眼鏡はそのまま、ということにもなりかねないし、酷い場合には老眼鏡だけもってきてビール瓶は冷蔵庫にはいったまま、ということにもなるかもしれない。 最悪は下におりて小用を足しただけでそのままあがってくる、ということかもしれない。 いやいや、まだある、下におりてそのまましばらく何もせず上がってくるとか、もう上にはあがらない、という可能性まである。 これから2,30年のシナリオとしてのバリエーションだ。 

下に降りて何もせず、そのまま上がってくる、ということはあながちネガティブなことではない。 思い出せないときに、それを思った、考えた場所でその時の状況を再現するようなことをすれば思い出すことがあるからだ。 あのときどんなことを考えていたのか、同じ条件の元で、、、、ということだ。

けれど、肝要はメモをする、何かに記憶させるということだろう。 すくなくともそれがものごとをはっきりあとで思い出させるキーになるからだ。 もっとも、そこに書かれている文字の羅列が理解できない、となると話は深刻になる。 そうなるとはっきりと深刻なアルツハイマー病、という範疇に入るにちがいない。

ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

一ヶ月ほど前にほ放っておいた日記を整理するためにここまで書いてきて、染色体末端酵素、テロメラーゼ(telomerase) という言葉が唐突にここにあるのに行き当たった。 

はて、これは何だと分からないままグーグってそれがなにかと見たらその言葉がこの文を書き始める動機になっていたことを思い出したのだが、ポイントは何だったかははっきりとは思い浮かばず、ぼんやりとそれは「人間はどれだけ生きられるのか、人間に不老不死は到来するのか」というイギリスBBCテレビの科学番組を見てその中で出た言葉をメモして書き始め、途中でほったらかしたものと思われる。 

SFは自分の想像力の乏しさから不得手なのだがそういう話はキューブリックの「2001年宇宙の旅」以来自分の脳の中で凍結されているようだ。 それは当時のアイデアで、人を一時凍結させて普通の経年化(老化)を先送りさせるだけのものだったし、それもHALコンピュータの反乱で残った人間も宇宙の彼方に消えていくというような恐ろしくも何かモラルが含まれているようなもので、つい最近この研究でノーベル賞を得た、老いさせないような酵素の話とスパークが散って今度はちょっとはそれが現実味に近づくのか、と思ったものの、もしそうなるとどういう社会が到来してどんな人間の内面状態がおこるのか、例えば180歳まで生きられるとなるとそれは不死までは大分前の状態だけれど、それでも個人の180年近い歴史を抱える頭の中の状態を想像して思考を停止した。 

長引く経済不況の中で寿命ののびたことに関連して政府は定年年齢を何年かづつ伸ばしていくような調整状態にヨーロッパ各国は苦労しているというふうに聞こえてくる中、老化して劣悪化した頭を抱えつつ仮定にしても180歳の自分を考えられない。 不老不死だったら定年もない、一生働き続けるのだ。 つまり休まることがない、ということだ。

オランダに来ることになった恩師ともいうべきアメリカ人の実験言語学の教授が言ったことがある。 70年代の後半からコンピューターで文化翻訳のモデルを作ろうとオランダ北部の大学の古い研究室の建物の中でほぼ天文学的とも思われるメモリーを処理すべく今とは比べられない装置で格闘していたときに「装置が追いつかない。 必要なものと不必要なものを自動的に適宜振り分けて忘れるコンピューターができなければだめだね」といっていたことが思い出される。 今でもそうなのだろうがコンピューターの記憶保存装置は極細微化と分散化で凌いでいるのだろうが基本は当時と同じなのではないか。 つまり入れたものは全て保存、記憶するということだろう。 もうそれは「オブセッション」の域であり、「ノアの箱舟」では世界を生き延びるために選んだ種を最小単位の一組で保存したものを今では「全て」を「チップの函」に収めることなのだからそれがいくらあっても足りるはずはない。 そこには不必要なものは消去というメカニズムがあるはずだがそれが機能しているかどうか。 忘れない機械が劣化、何らかの故障、侵入者の操作によって操作され、、、、といらぬ雑音も入りそうになるのにはどうするのか。

それはともかく、機械は故障しない限りは忘れず、人間の脳は劣化して脳内が壊れ記憶の部分の多少が忘却の彼方に消え去る。 その教授はそれから10年ほどしてアルツハイマーでこの世から去ったけれどその前に何回か見舞いに行った際には短期メモリー機能は完全に破壊されていて優秀な脳の機能がストップしていた。 そしてどういう訳か手にはいつも般若心経をもっていたのが不思議だった。

もうそろそろバカンスの季節なのだなあ

2011年06月12日 17時57分53秒 | 日常

2011年 6月 11日(土)

いつものとおり土曜日の青空マーケットにそれから4時間ほど後の献立を何にするのか決めずに出かけ、まずは朝昼兼用の食事からだといつもの魚屋のおばあさんに揚げた白身の魚を注文し、それを紙包みのままボソボソと喰いながらあちこちの店をながめていて、ああ、そうだ子供達が今晩はやって来るからやっつけで親子どんぶりにしようと思いつつも幾つもならぶ八百屋の屋台の前を眺めているうちに片身20cmほど揚げた白身魚も喰い終わり、口の脂と喉の渇きを癒すのにビールを飲もうとカフェーに入った。 ここ何年かこういう具合に手近で小さなここに入るのでそのバーのオバサンが、またこれだね、といってグラスにタップからハイネケンをそそいでこっちに寄越す。 金を払い、窓のそとを眺めながら冷たいビールを飲んでいるとブラスバンドか何かの音楽が聞こえてきたから訊ねると、もうぼちぼち夏休みの時期だから地元のそんなクラブが幾つか今日この前でバカンス前のコンサートをやっているんだよ、とそのでっぷり太ったマダムが言い、それからその音を無視するように店内に大きく有線から流れているオランダの演歌に唱和した。 それにつられて他の2,3人の客も歌いながらそれぞれ店の中のスロットルマシンに向かっている。

ビールを飲み終わり外に出て市役所の裏の広場にある特設舞台を見ると去年もみたような記憶があるオーケストラバンドが「ロッキーのテーマ」を演り、ビール腹のおっさん指揮者が今年のこのオーケストラのホープと紹介して小学校高学年ぐらいの少女が手にしたフルートのソロとなった。 6,70人は居る年齢・性別の混在したオーケストラだ。 ドラムセットは二つあるし、おまけにマーチングバンドの大太鼓まであるというような大所帯だ。 クラリネットが7,8本か今の財政難の時代には市からの助成金もやせ細っていてユフォームもないのかみんな私服だが3,400人いる観客にはそんなことはどうということもない今の時期、これが終われば9月までみんなバカンスのため散り散りバラバラになる前の彼らにとっても一年の「閉め」、お披露目イベントなのだ。 みな音楽にあわせて体を動かしている。

暫く聴いていて食事の支度時間のこともあるからまだ聞こえる音を後ろに鶏肉と卵を買い、その筋向いで茸を求め停めておいた自転車のほうに向かへば途中の中国食料品店で蕎麦、うどんに醤油、豆腐、八百屋の屋台でネギ、苺に胡瓜、サラダにする苣菜も求め、やっと自転車の振り分け袋にはいるような買い物になった。 考えてみればその広場で何か次のイベントがあるのは夏休み中のあちこちから流れてくるストリート・アーチストの街頭芸、9月の終わりから始まる10月3日のこの町の開放記念日の祭り、12月の最初にあるオランダのサンタクロースであるシンタクロースが訪れたときのイベントぐらいか。

こっちはいつもバカンスのような、毎日が日曜日状態なのだがそれでも周りではそんな一年の流れを思わせる行事が続いている。