暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Joris Roelofs,  Karel Boehlee;  Duo

2012年01月31日 21時46分57秒 | ジャズ


Sun. 22 Jan. 2012 at Cafe Twee Spieghels, Leiden in The Netherlands

Joris Roelofs (as, cl)
Karel Boehlee (Fender rhodes 73. elec p)


1) Dolfin Dance
2) It Could Happen To You
3) Body & Soul
4) If I Were Bell

Pause

5) Goodby
6) ?
7) All Or Nothing At All
8) I Fall In Love So Easily

Pause

9) ?
10) My Ideal
11) Love For Sale

もう何ヶ月も生で聴いていなかった二人が町のカフェで演るというので日曜の午後4時の開演というのをいつものように30分ほど後になるものと鯖を読んでカフェーに10分前に着いてみると案の定、入り口のガラス戸のところで二人が駄弁っていた。 この間聴いてその精進の具合が一層確かめられた2010年11月15日のライブ録音CD、Joris Roelofs Quartet, Live At The Bimhuis (Harmonia mundi -distribution  JJR Records  8714835086673)を出してサインをしてもらい空白に横の Karel にも書いてくれと言うと、このCDでは演ってないけど、じゃ、Aaron Goldberg の代わりにするよと言ってグランドピアノの曲線を Boehlee の B で描いたサインをしてくれた。

外気2℃、カフェの内部はこの町の恒例ジャズ・ウィークでもあり、地元に住む今日のピアニストを幼い頃から知る人たち、また地元のギタリスト Martijn van Iterson も次週にはここで演ることもあって、ジャズ愛好家老若男女30%、興味本位の若者たち70%、というような構成で、入り口のドアからはちきれんばかりの満員電車もこればかりというような立ち見90%の盛況で始まった。 

上記ライブCDで聴かれるようにこのアルトサックス中心のマルチリード奏者はこのところバス・クラリネットの精進振りが著しく、それまでのクラリネットの巧みさに加えてそれぞれの楽器の特色を引き出し奏者として一層幅が出来つつある。 演奏だけでなく話してみても今はシャイな若者からしっかりとした青年に育った Roelofs が現れ、このところ活動の場をNYは少し休みにし、ウィーンのオーケストラも卒業、オランダを中心に演奏しているのだと言う。 来月は日本で何回か公演があるとも聞いた。

うろ覚えで来たから今日はデュオだとは知らず、彼らと話してそれが分かり、これは嬉しい驚きだと喜んだ。 それは、デュオであると、対話、併走、諧謔、独白にバックアップと様々な局面が現前し、そうなると自然と場の密度が濃くなり、相性、互いの性格が聴衆の面前で否応なく生のものとして立ち上がり、各自のそれに耐え得るだけの技術、フレーズのストック、変化する音にすぐさま反応できる感性の度合いを見ることになるからだ。

結論から言うと、このデュオの演奏はCD作品として記録されるべきものだ、との感想を持った。

K.Boehlee に関しては今更言うことはない。 初代「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」のピアノとしてオランダでは誰一人知る人もないのに日本ではこの20年ピアノ・ジャズ愛好家には知られているのだから。 


Van Ruller, Roelofs, Van der Feen Play Jesse van Ruller's Circles
Roelofsのバス・クラリネットが聴ける例;
http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=kuPajjEMr9c 

足腰が痛く鬱も出そうだからジムに行った

2012年01月31日 19時28分17秒 | 日常

ほぼ一日中椅子に座って生活する日々でこのあいだ誤って階段から飛び降りた足がまだ完治していないけれど何か天気のこともあるのか鬱がでそうで、それを吹き飛ばすため今夜は食後、50歳以上のフィットネス・ジムに行くことにした。

ほぼ一ヶ月以上通っていない。 新年ということもあったのだが日本に帰省していたこと、その後、足を痛めたことなどで行けなくて、それまでいつも通りの放埓な飲み食いの結果、かなり腹の肉が緩んでいるようで、ここで少しは何とかしなければ取り返しがつかなくなるような恐れもあって自分で自分の尻を無理に叩いて細かい雪の降る表に出たということだ。

8時のニュースで、いよいよ普通の冬に戻ると天気予報が言った後、オランダのマラソン・スケート・ランナーたちが自国では自然の氷がないからオーストリアやスカンジナビア各国の湖水に氷を求めてではらっている中、オランダでもそのような催し物ができることを期待して、寒くなれ、寒くなれと願っている子供たちの画像も見られ、それを横目に外に出るのにマフラーを首に巻いた。 こんな夜に靴を履き替えて外に出るのが嫌さにそのまま分厚い靴下に木靴を突っかけて自転車に乗った。

1cm積もったか積もらないかというような雪だが油断はならない。 車や自転車が走った轍はその微かな熱ででも溶けていて濡れ、それが凍ると滑る。 だから滑らないよう、重心を極力斜めに移動しないようにゆっくりペダルを漕いだ。 マイナスにはなっているはずだけれど細かい雪が降っているからまだそれほどでもないのだろう。 いっそならマイナス5度から10度ぐらいまで下がってくれればもう降るものが大気中になくなるから安全にはなるのだけれどそれにはまだちょっと待たねばならないのかもしれない。

ジムの更衣室は16,7度に温められているのだろうから腹の出た連中、太鼓腹をだして着替え、この寒さでサッカーの試合が延期するだの誰彼の誰彼がリューマチがでて医者に連れて行くのに車のバッテリーが上がっていただの言いながら上のジムに上がるとさすがに大きな空間は冷えている。 だからこんなときは体を動かせて温もらないと行けないな、と我々より少しだけ若いインストラクターが軽快なサルサかアメリアッチのラテン系トランペットをかけて威勢よく動き始めた。

普通なら10分か15分で汗がジリジリ出始めるのだがこの日は30分経ってやっと額に出始めたものがあるのだがそれまでのように気持ちの良いものではなく何かねっとりとしたいやな感じだった。 それで準備の体操がすんで各種機械を使うものに入るに従ってピッチを上げたのだが、そろそろスケートの季節が来るかもしれないからと本日のメニューは腹、腿、腕の筋肉を重点にやるぞ、と指示が出て12,3人のおっさん、じいさんたちがそんな機械を二つ三つやってはただの低い細長い背もたれのないプラスチックの腰掛を上ったり降りたり飛んだり腹筋の台にしたりとさんざん痛めつけられ各種1分ほどでもそのうち出来なくなって、さすがに1ヶ月も離れていればこんなになるのかと筋肉の衰える惨めさを味わった。 

最後の10分ほどはマットに寝そべって軽く動かしそれまでの熱を鎮めるのだがインストラクターの気に入りのジャズ・ピアノでキース・ジャレットがかかって、ああ、あれは病気でもう弾けなくなったと思っていたものが再度弾けるようになったときに録音したものなだあ、と思っていると汗が冷えてゾクゾクとしてきた。 体をバスタオルでよく拭いて元来た道を戻り自宅でシャワーをあび、風邪を引かないよう自分では例外的に早い2時前に就寝した。

細雪

2012年01月30日 18時09分52秒 | 日常

谷崎潤一郎の小説に「細雪」というのがあって、その細雪という言葉は創作で、そういう雪はない、と聞いた事がある。

そうだとするとその細雪というのはどんなものを言うのだろうか、と思ったのは今年初めて降った雪を見て思ったからだ。 日本ではこのところなかったような寒波で豪雪地帯の、老人が多い村の様子がニュースで出ていたけれど、オランダではずっと暖冬が続いていて、やっと今週、日中最高気温ー2℃、最低気温ー8℃というような今の季節に相応しいものになるとニュースで聞いていた。

そんな折、目覚めたら表の車の上が白く、けれど地面は軽く濡れたようになっていて、良く見ると細かな雨が空気抵抗のために揺れながら落ちるというような、それこそ芯だけの細かい雪が降っていた。 ずいぶん昔にその小説を読んだ記憶では、幸子という登場人物が着物にショールをつけて積もった雪の中を歩く、というようなシーンがあったようなないような、、、、。 だからもしそのように積もるようなものが細雪だったとしたら今降っているのは細雪じゃないだろうとも思う。

一日うちで何もしないのは不精だと自転車でちょっとした買い物のため町に出たのだが寒くはなかった。 公園の濠に沿って走っていると、もう10年ほど前なら寒い冬があってそこで大人も子供もスケートをして遊んだことが思い出されるのだが、今年はそうはならないだろうということははっきりしているようだ。








10日大阪に帰省した、、、(6) 母の匂い

2012年01月30日 03時42分57秒 | 日常

山間の無人駅で電車を待っていて電車が来るまでまだ時間があるので光と庇、ベンチがある部分から出てプラットホームの端っこの、そこからは暗い景色が見渡せるところまで歩いてきていて、そこから海のほうを眺めながら動く星のように光る飛行機が関西新空港に次々に降りるのを見ていた。 吹きさらしではあるけれど風もなく寒くはなかった。 今、光の点がほぼ3分ごとに降りていくそこから翌朝には飛び立ってオランダに帰ることになっている。

プラットホームには自分しかおらず、あたりは真っ暗な午後8時となるとこの駅を利用する人はほとんどいない。 微かに香水のような匂いがするので振り返ると改札口の方から30代と思しき女性がひとり入ってきて自分の場所から50-60mほどのところにあるベンチに腰掛けていた。 冬の乾燥した空気のなかで匂いの通りが思いのほかいいな、よく届くものだなと思ったがそれにしても5,60mも届くのが不思議だった。 それにその匂いは強いものではなく香水というにはまるい香りだったからこれは若向きではなくどちらかというともう落ち着いた年齢の女性のためのものだろうと想像した。 自分には香水の知識は毛頭もない。

電車が来て中に入り、4つ目の自分のホテルのある駅までもどり8日間過ごした部屋に入りコートをハンガーにかけるときに同じ匂いが立ち上がってきて戸惑った。 それで思い出した。 さきほど老母に別れを告げて介護つき住宅の玄関までエレベーターで降りてきた彼女と抱擁したときに彼女のつけていた乳液が自分のコートの心臓の上のあたりに移っていたのだろう。

その何日か前に二人で和歌山城に行った。 アルツハイマー初期で興味や意欲が徐々に衰退する中でそれまでに何回か自分の滞在中に何かしたいことがあるか、欲しいものがあるか、どこか行きたいところがあるか、など訊いていたのだが、お前がきてくれるだけでいい、喰いたいものも行きたいところもない、という中で或る時、何の脈絡もなく、和歌山城に行きたい、というのでそのJRの駅から終点の和歌山まで電車で行き、そこから城の入り口までタクシーに乗った。 日曜ということもあるのだろうが朝10時半の和歌山の道路はほとんど交通量がなく、ほとんど外に出ることのない母には驚きのようで何度も運転手に交通量の少ないことを言っていた。

日頃外を歩くことが殆んどない老人を天守閣まで運ぶ算段は何も考えていなかった。 もう40年ほど前に上ったきりだろうか、それとも家人と二人で初めて日本に来たときに行っていたのかも知れないがそれでも25年以上前だし、当時は若いから何も考えずそのままテクテクと上がったものとして記憶も朧な天守閣の様子でしかなく、どこをどのようにして城に登ったかも記憶にない。 和歌山市消防局の出初式が城の堀端であるのか制服を着た職員が何十人も見られる横を抜けて石段にとりついたのだがそこで掃除をしている職員に足の不自由なものが天守閣に行く算段を訊ねたのだがリフトもエレベーターもなく徒歩でしか他には方法がないと言われ、では歩けるところまで行って駄目ならそこから引き返してくればいい、と右手で杖をつく母の左手を自分の右腕に通してゆっくり一歩づつ石段を歩き始めた。 途中で一度か二度、これまでかと思わせる場面があったものの、結局天守閣までそれで歩き通したのだった。

見通しのいい天守閣から今はびっしりと埋まった和歌山の街を眺めながら話は尽きなかったけれどそのときまだ足腰は達者だと思った。 20年ほど前にオランダで夏休みの2ヶ月ほど滞在していたときにパリで一週間ほど遊び、そのとき暑い町中を避けて地下に潜り何キロもカタコンベを懐中電灯を頼りに外気30度、地下17℃のグループツアーで過ごし、何世紀にもわたり何百万人もの骸骨が整然と並べられたところを歩いたのだがそのままでは歩行に差し障るゆえ障害者手帳をもつものとしてでも
あの時は良く歩いたものだと関心したことから帰りのタクシーのなかでもそういうことを思い出して喋ったものだ。

麗かでのんびりとした日でそれでもまだ時間が充分あるし昼食も摂るような時間になったので駅ビルのデパートのレストラン街に上がって食事をすることにした。 日頃老人用に栄養士がこしらえた献立で三度三度満足しているふうでもたまの寿司には目を見張り、何も言わず上等の握りと私が差し出した汁に茶碗蒸しをぺろりと平らげたので肉体的な健康には差しさわりがないのを喜んだ。 久しぶりなことでもあるので服を見ようと下に降りても以前のようには興味を示さず唯一つよさそうなものには合うサイズがなく、もう帰ろうといいだしたので入り口まで降りたら乳液をもう2年ほどつけていないから買おうかという。

自分は大抵世界中どこに行ってもデパートの入り口にある化粧品売り場は苦手で大抵足早にそこを立ち去るのだが今回はそういうわけにも行かず、世界中に遍くみられるブランドが並ぶ中、日頃どんなものをつけていたのかと聞くと老母が曖昧な答えの中、国産の資生堂の売り場が見えたのでそこに連れて行き座らせ、丹精で見るからにどうしても売るぞ、という覚悟がみえる女性に次から次へと壜を見せられ言われるままに、普通のもの、普通のものと繰り返す母親の言葉を伝え、普通のもの、一瓶6000円なりを支払って出た。 化粧品もなにもつけないこちらにはたかが乳液でも一瓶27000円のものを見せられたら、さすがこんなもの、普通じゃないだろうと体よくつき返したあと80半ばの未だ女性でもある老母が体裁のいい袋に入った買い物をぶら下げて駅に向かうのに従った。

そのときその乳液を嗅ぎもせずただ居心地悪く化粧品売り場に居ただけだけれど、その後何日もその壜から朝晩2回と言われるままに肌につけていたものがコートに移りそれが自分の鼻先に立ち上がってきたのだった。 かなりのことに忘れやすくなっている母ではあるけれどそれが若いときから習慣になっていたことならそういうことはここに来ても忘れないでいるものだなあ、物事の忘却にもその種類や程度があるのを見た思いだった。

カフェの女将がサラに会った

2012年01月28日 20時50分28秒 | 日常

昼前に起きて新聞を読みながら昨日の残りのおでんにビールで朝昼兼用の食事を済まし、食後のコーヒーをもって屋根裏に上がり時間を過ごし、あれやこれやしていると直に時間が過ぎる。 そこで、今日は土曜日だったことに気づき、土曜は晩飯当番でもありそれでは肉屋に行って豚の首肉と燻製ソーセージを買い串焼きの豚肉を一口大に切りタレに浸しておいて青空マーケットに残りの買い物に出かけた。

デザートの果物やつまみ専門の店であれこれ買って古いカンバスの買い物袋に放り込み、市役所広場の隅にあるカフェーの前にきたら何だか妙なアドバルンが立っている。 陽気なおばさんが大きな胸の下に速度制限50kmのボードを抱えてワインの壜を手に立っている姿だ。 ああ、あの女将さん50歳になったのか、へえ50にしては老けて見えるなあ、どう見ても還暦だなと思いながら前を通り過ぎた。 

大抵土曜は白魚の揚げ物を立ち食いしながら歩いてここに入り、グラスのビールを飲み干し次の買い物にでる、という土曜の昼間休憩所なのだけど今日はちょっと急ぎでもあるから中には入らない。 いつもなら入るなりすぐ女将さんが、いつものだね、といってハイネケンの水っぽいものをよこしてそれを飲み干し5分以内に外に出るからそこに屯する飲んだくれのおっさん達からそんなに急いでどうする、といった目で見られるようなところでもある。 インテリや中産階級のものはたとえ学生といえどもここには入りたがらないようなそんなカフェー「おれたちの隅っこ(Ons Hoekje)」なのだ。

オランダでは男は50になれば、アブラハムを見た、女ならサラを見た、会った、という日本で言えば還暦にあたるような行事をするのだが、あそこの女将はサラに会ったのだなあ、それを祝ってくれるのなら一緒に楽しもう、といったメッセージのアドバルンなのだと納得した。 それなら来週女将に祝いの言葉を言って10分はいるかな、と、もう4時を大分廻って昨日の晩一時近くまでライブで盛り上がっていたカフェーに急いだ。 プログラムでは4時から Theronious 4 という若手のグループがライブをやると聞いていたからだ。

料理用白ワイン

2012年01月28日 02時12分51秒 | 喰う

今年最初の代表的オランダ料理、ジュール・コールを作ろうと近所のスーパーに行き材料をそろえたのだがそれを煮る白ワインとリンゴ・ジュースを捜していて料理用なんだから安物を使おうとワインの棚を見ると壜のではなく紙パックのがあって、よく見ると Liebfraumilch (聖母マリアのミルク)とでも訳される1リットル200円弱のドイツ・ワインだった。 ドイツワインではモーゼルとかアルザスを飲むけれど甘口のこれはラインヘッセンのものが旨い。 酒屋で1200-1300円程度のもので充分だしレストランでは3000-4000円程度のものが順当だろう。 

それに較べて今日のものは200円弱である。 レストランのものの1/20なのだがクラスが違からそういう比較にはならないだろうし、ここではアルコール度8.5%とありこれは普通のワインほども行かず強いビール並だ。

パッケージの角をはさみで切って1/4ほど鍋に注ぎリンゴジュースを足した。 それでそのまま30分ほど煮ればいいわけでその間にこのワインの味見をしようと小さなグラスで飲んでみた。 とても甘くて驚いた。 飲めるものではない。 それに、アルコール度が低いから葡萄ジュースでしかない。 けれど葡萄のジュースであれば多少の酸味があるはずなのだがここでは酸味が消えているから中途半端に糖分が加わっているのだろう。 

この日は、安物買いの銭失い、という諺が当てはまるような買い物だった。  


我が家のジュールコール;
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/61685607.html

庭に椿が一輪咲いた

2012年01月26日 13時03分45秒 | 日常


この何日か荒れ模様の天気の中で、それでも雨が途切れたときに用事に裏にでれば庭の小さな椿の木に白い花が一輪咲いているのに気がついた。

毎年今頃には氷点下の毎日で、そんな景色の中では霜や雪の間に健気に寒椿が咲き、それを見ていると力がつくという風なのだが、今年はそういうことのない、寒くはないけれど鬱陶しい空の下だからポッと花一輪そこにあってもなかなか気づかない。

白いけれど所々に茶色の染みのある花は還暦を越してきた我々の姿を示しているようにも見え、それを花瓶に挿して庭に向けるとあと10日ほどはそこに立っていられるかとも思えてくる。



寒椿一輪庭を眺め居り

天気は荒れ模様ながら寒くはない

2012年01月25日 23時19分16秒 | 日常


18日に日本から戻って二日ほどは天気が良かったもののここ何日か少々荒れ模様だ。 アムステルダムの郊外、北海に面した海岸にエンジンが故障した貨物船が座礁してそれを見るのに何万人もが荒れ模様の中を海岸に押し寄せたというニュースがあったのは何日か前のことだ。

それでも土曜には青空マーケットにポンチョで出かけ、夕食の買い物をしたのだが、そのときだけは雨がやんで人ごみの中を歩いて燻製の鮭、ダイコンとほうれん草を夕食の献立のために買ったのだった。 それは自分の土産に大阪難波の道具屋筋で買ったダイコンのおろしがねを使いたかったからで、去年の正月、夏と帰省したときにもあちこちで捜したのだけれど思わしいものがなかったのだけれど今回、おおきなステンレス製のものを見つけて求めたのだった。

今は自転車で走っても寒くないから雨が降っていなければ手袋はいらない。 けれど来週辺りから例年並に戻り零下にもなる、と天気予報は言っていた。 最高気温が1℃、最低気温がマイナス5℃あたり、ということだろう。 大阪では雪がちらついていたということを聞いたけれどこちらでは春までに雪が降ることはあるのだろうか。

阪井楊子 ジャズヴォーカルライブ 於; おでんの成田屋

2012年01月24日 23時23分52秒 | ジャズ


Sun. 9 jan. 2012 

於; 大阪西成おでん成田屋

17:00 - 19:30

阪井楊子(vo)  大野浩司 (g)  西川サトシ(b) 松田順司(ds)


1. On The Street Where You Live
2. Lover Come Back To Me
3. Love For Sale
4. Song For You
5. Night & Day

Pause

6. Beutiful Love (instrumental)
7. Fly Me To The Moon
8. Come Rain Or Come Shine
9 For Once In My Life
10 You've Got A Friend
11 Almost Like Being Love


ジャンジャン横丁の猫町JAZZ横丁もしくはSwing MASA JAZZ HOUSEというギャラリーに入ったら自分の本籍地近くに住んでいる青年かオジサンかというような年代の人から一枚のCDを紹介された。 そしてこのギャラリーの管理人というか店番というかの山賀さんと一緒に聴いたのがその青年かオジサンかの人がこの前買ったCDで、その初めの2曲ほどを聴いてこの人の喉と英語の発音にライブに行っても良いと思わせるものがあった。 つまり持って生まれた資質プラスそれを自分の体を楽器として歌唱に使うトレーニングを施したものの作品としてハスキーさと喉の太さに興味が惹かれたということだろう。 近年ジャズヴォーカルの声の質がオーディオヴィジュアル化されたメディア形態の中で大きく変わり歌唱というより容貌の方に重点を置いたものになり、そうなると自然とスリムな体つきで喉の細い歌手が登場することが多くなっている。 我々が聴いて来た、50年代、60年代のビヤダルもしくは淫売宿の女将さん然とした風貌で太い喉をもつような歌手はもうあまり期待できそうにない。 それはジャズに限ったことではない。 クラシックの世界しかりであるのだから世界的傾向でもある。 結局は歌を聴くのか顔を見に行くのかということにもなるのだがここではライブで歌を繋ぐ語りもその要素に入るかもしれない。 

何年も前に、アメリカで多分ゴスペル、R&Bを主に修行して歌っていた様な大阪の女性がジャズヴォーカルとして出したCDを聴いたのだが、その語りの関西弁が好評でテレビなどのメディアでも喧伝されていたけれどCD作品ではその英語の少々下品な発音に失望し聴く意欲が失せたことがあるから、それなら日本語、若しくは関西弁で歌えばいいのにと思ったことがあるのだが、この人阪井楊子は上記のスタンダードナンバーの多い演目を癖のない抑揚発音で無難にこなしていた。 

寒風吹きすさぶ外気とは透明のビニールシートだけでへだてられた、外とは「いけいけ」のおでん屋、成田屋に入ったら各自自分で棚から持ってきた缶ビールや酎ハイでおでんを肴にジャズを聴く20人ほどの客で一杯だった。 近所の商店のご隠居さん然とした老人が何人か赤い顔をして2の「恋人よ我に帰れ」をナツメロとして聞く姿は西成のおでん屋に相応しくもあり、ジャズをしばしば特権化し付加価値をふっかけて高いチャージをとるクラブがあることからすればここではある種、ジャズを先祖がえりした形態にもどすような投げ銭ベースのジャズ本来の猥雑さをそなえ場所といい形態といい適切なものである。 外を自転車を押して歩く人もビニールシートを上げて覗いていくようでもあり、この日は近所の今宮恵比寿の「本えびす」の前日「宵えびす」にもあたり福笹に縁起物の俵や鯛をつけた「えべっさん」の笹を持って通り過ぎる人たちも見える景気の良い、縁起のいいコンサートでもあるのだ。

ジャズスタンダードやボサノバに加えカーペンターズでよく聴かれた当時由井正雪ばりの髪で歌っていたレオン・ラッセルの4、ジェームス・テーラーが得意としたキャロル・キングの10などがそのころスティービー・ワンダーが歌った9と並んでポップジャンルからのスタンダードになったものとしてなんでも取り込むジャズの本領を発揮している。 バックのトリオは無難なサポート、ソロ、チェースと進めてシンガーのスキャットにもよく絡んでいる。 2セットが済んで廻って来た缶に幾ばくかの投げ銭をして出たら外の寒気がおでんとジャズの熱気でほてった頬に気持ちがよかった。

10日大阪に帰省したのだが、、、、(5)ジャンジャン横丁、千成屋コーヒー店で

2012年01月24日 09時58分45秒 | 日常

ジャンジャン横丁をあるいていてちょっと向こうの猫町JAZZ横丁もしくはSwing MASA JAZZ HOUSEというギャラリーで聞いていたこの日のジャズ・ヴォーカルライブの会場、おでんの成田屋の場所を聞こうと思い、レトロな風貌のある千成屋コーヒー店に入った。 中は想像の通りほぼ半世紀以上前の喫茶店の様子であり、トレンディーな娘達の影も皆目ない落ち着けるまとまな店だった。 スターバックなどに行かない人間がここで新聞を読み、テレビで相撲中継を見る、というような場所だ。 今はレトロというとわざとそういう内装、雰囲気を「クリエイト」して作り出すのだが、ここはかつて大昔につくられたものをそのまま続けているだけの、日々が通り過ぎて周りが変わっていく中にそのまま依然として機能してきたものがそのままある、というような風貌で、ただ大きく変わる周りと較べるとその違いが浮き上がる、というようなことだろう。 

考えてみればこの横丁そのものがそんな風で、とくに食い物というどんな世の中でも無視できないものが特に大阪のように食い物に目のない場所で時折メディアで店が紹介され、この場所の特異さも手伝ってそこに集中する若者、とくに若い女性が大挙して串カツの店に何十メートルも行列をつくらせるというような現象も日常的に観察できるのだが、概ねトレンディーの対極にあるようなところでもあるのだ。それならこの横丁以外でもこれぐらいの活気を呈してもいいはずなのだが1kmほど離れた商店街などの寂れが甚だしいのとくらべるとこの横丁の活気は特別なのだろう。 

ふたりのおばさんが丁寧な浪花言葉で対応し周りの雀荘や碁将棋会所などにコーヒーの出前をする姿もみられて、普通の人から需要が多いことが分かる。 それは「ビジネス」というより「あきない」の部類にはいる業務形態ではないだろうか。 薄いアメリカンではなく戦前から嗜んでいた我々の親の世代が飲んでいたヨーロッパ風の味のようなものが薩摩焼のようにみえるすこし大振りなカップに入って出てくるのだ。 狭いトイレに入ろうと入り口で目をやると小さな木の札が目に付いた。 そこには、 高低深浅厚薄強弱多少 と 教養、気位、知識、欲望、人情、面皮、根性、自我、分別、無駄 を組あわせた「つもり違い十か条」が書かれていた。 面白いと思ってカメラを向けているとそこのおばさんに、「それほんまによろしおすやろ」ときれいな浪花言葉で声をかけられた。 

ジャズのライブ会場の場所をおばさんに尋ねると、それは多分右に出てそのまま進み、高架をぬけて、右は動物園前の地下鉄の駅、信号を渡ったその左の角にあると教えてくれた。 

これらの店が載っているブログ;
http://namibuncho.at.webry.info/201001/article_4.html