暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Fri. 29-04-05 中華ディナー

2005年04月30日 09時32分26秒 | 喰う
中華ディナー


朝  トースト、バター、蜂蜜
   トースト、バター、苺ジャム
   トースト、キャビア
   コーヒー 250cc


昼  焼き飯
   キュウリの酢の物
   炭酸水  450cc


午後 各種カナッペ
   炭酸水 400cc
   オレンジジュース 400cc


夕  中華ディナー
   赤ワイン 200cc
   炭酸水  400cc
   エスプレッソ 150cc


夜中 オレンジジュース  300cc

情緒について

2005年04月29日 17時18分47秒 | 日常


別に取り立てて言うこともないけれど、とにかくこの日記を書き続けることを決めたのだから先ず指を動かすということで筆を進める。

日常のことごとは流れる。 竿を挿さなければ細かい日々の事象は流れの彼方に泡と消え、見失しなってしまうことが多い。 この日記をつけ始めてから日常生活の隅々で、これはあとで記そう、とか、この感じを忘れないでおこう、という気持ちになることが多い。 けれど、そういうことは特別でもなんでもないふとしたほんのささいな思いや感覚の記憶であるから、形としてもまとまっていないし結局、次の瞬間には忘れてしまって、感情、感覚、記憶が流れの彼方に消えていくものがほとんどであるし、もう戻ってくることのなく思い出しさえもしないものが殆どであり、別段それがなくても生活に支障をきたすこともない淡い事どもである。 けれど、そういうことを思ったという記憶だけは残っているが内容はすっかり消えている。 そういうことが続くと喪失感だけが漂う。 それでは、その時にこれを記憶しておこうというような気になりさえしなければよかったのだ。

例えば、日差しの変化、空気、外の風の温度、においなど、うまく表現できたらいかほどの喜びかと思う。 ここではうまく、というのは必要ではないかもしれない。 この感覚をまた随意に再現させたいという欲望だけなのかもしれない。 凝縮された言葉であれば、他人はともかく、せめて自分だけでも、かなりの時間がたってから読み返したときに同じ風の、頬に当たる強さ、温度、微妙な光の具合を再び鮮やかに感じることができさえすればいいのだ。 なぜか。 欲どおしいのである、なんどもいいことを経験したいという欲。 言葉でその状態を何度も再生することができれば満足するのだろうか。

あるときに急にわけもわからずに涙がこぼれたことがあった。 別に悲しいことがあったというわけでもなく、また、悲しい思い出がこみ上げてきたということでもなかったのだが、当時住んでいた北の町の秋の夕暮れ、石畳の広場を横切っていたのだ。 そして、この国特有の木靴を履く人の木靴のカランコロンという音、いつも通る日常的な風景の、取り立てて特別なことのない生活のおりおり。 空は深く蒼く澄んで夕闇がせまり蒼が黒に変わる部分もまだ日の残りのかけらをみせる大空の反対側にはあったのだろう。 空気はあくまで澄んで温度が下がりつつあった。 そこで涙が流れた、まるで急にシャツのボタンが落ちるように。

自分は感傷的であるとは思わないし、家人にも時には表になにも現さない私の性格を非難されることもある。 けれど、これだけは生まれ育ちでもあり、年をとってからは体裁を考えることも多くなり、やたらとしゃべる人間は好まないから自分にもそう自覚して口を謹もうとする。 しかし、それは人の言動についてののことで、情緒のセンサーの反応には関係がないかも知れぬし感受性には関係が無い。

悲しい涙やくやしい涙を流した事は人生のおりおりで経験しており、それぞれの場合にはその理由ははっきりしているからその場が終われば決着はついたものとして、日常ではないもの、行動パターンの一つとして理解、整理されているのでことさらとまどいもないし、あとから懐かしく思い出すことも無い。 けれど、それに反してこの、密かな無意識のうちの感動というものは自分の内の別の人格を理解、分析しようという欲望の頭を起こしにかかる。

私は今、ここで感動という言葉を使った。 さきほどの涙の解析結果を感動としたのだ。 悲しみでもない、慙愧でもない、歓喜でもない感情の急激な迸りをとりあえず感動と括っている。 

この涙に脈絡はあるのか。 人間関係にからむ要素はないとみた。 社会的な孤立、閉塞、関係の煩雑ささも排除される。 自覚しているのは記憶である。 関係や物語の記憶ではない。 これはいつかどこかで経験したことの体感の再現であり、自覚しているのは、その記憶を共有するのは光、色彩、温度、湿度であろうということ。 夕闇迫る黄昏どき、透明な光、蒼とそれをしずかにつつむ漆黒、夏は完全に撤退し秋も熟したという涼しさ、乾いた肌触り、これらの要素の総合が広場の中心での突然の涙となるのである。 

これでメカニズムが解明できたのであろうか。 ここまでは当時、20年以上も前に家路にもどる歩道をたどりながら思ったことであり、今もそこからほとんど先に進んでいない。 そして、同様の条件をその後、何度も経験してその都度、感動の兆しは実感しているものの、未だに再びの涙には至っていないのであるからこの解析は未完である。 




Thu. 28-04-05 ハンバーグステーキ

2005年04月29日 07時10分00秒 | 喰う
ハンバーグステーキ


朝  ミルクティー  150cc



昼  チキンコーンフライ
   フレンチフライ マヨネーズ、ケチャップ
   炭酸水  330cc


夕  ハンバーグステーキ
   野菜のソテー
   キュウリの酢の物
   炭酸水  300cc

   コーヒー 250cc
   クッキー 3個


晩  イチゴとオレンジのジュース  300cc
   スズメの卵(豆菓子)


夜中 玉露  250cc

こういうJvRについての記事が出た。

2005年04月28日 09時30分15秒 | ジャズ



NRC Handelsblad 新聞  2005年 4月16日(土)国際芸術欄



時にはここの静けさにどきっとする  



オランダのジャズギタリストイェッセ・ヴァン・ルーラーは日本で好評を博している。東京では若いギタリストたちにワークショップを開いて指導する機会をもった。

東京特派員 ハンス・ファンデルルフト

(2005年4月16日)
日本人ギタリストたちは講師の一語一語に固唾を飲んで聞き入っている。 東京で開かれたワークショップでは参加者全員イェッセ・ヴァン・ルーラーのことについては全て知り尽くしたいとの意欲で一杯である。 例えば、このオランダ最高のジャズギタリストが演奏中にギターの弦のすぐ下側の保護板の上に右手の小指を何故そのようにおさえているのか、技術に加えて如何に個性と言うものを発展させることができるのか、三年前の来日のコンサートの折に穴のあいたギターで演奏していたがその穴は今どうなっているのか、などなど、、、。 笑いながらギターの側板を示しながら、「ほら、まだここにそのままありますよ」と質問に答えている。 かつて自分の車で轢いてしまって修理の職人がきっちり元にはりあわせ修理した古いギターを未だに演奏に用いているのである。 このギターはイェッセ・ヴァン・ルーラーが語るところでは、独特の響きと音色をもっており、また、かつてコンセルバトワールでの彼のギターの師であった故ウィム・オーバーハウの愛器でもあったのだ。

イェッセ・ヴァン・ルーラーと18人のギタリストからなる小グループが土曜の午後に集まったのは東京でもヒップな地区、渋谷で、レストランのあるごちゃごちゃした建物の3階の小部屋である。 ワークショップで彼はまだ緊張が抜けない参加者とブルースを演奏する。 それぞれ順番にソロを演奏した後、参加者に「特別あなた達にはこれ以上教授する必要が無い。」と診断する。

このワークショップは今月上旬イェッセ・ヴァン・ルーラーの日本公演旅行中に日本のプロデューサーであるイツノヒロシ氏の肝いりで開かれたものであり、今回で三度目で日本講演旅行中に行なってきたものだが、今回のコンサートツアーは最終三日間東京のジャズクラブ、ブルーノートでの演奏で幕を閉じる。イツノ氏のイェッセ・ヴァン・ルーラーへの熱い思い入れのお陰で彼の最新CDはもう既に一年半店頭を飾っている。 オランダでは幸いな事に販路は見つけたもののまだもう少し店に並ぶまで時間を要すようである。 そのCDはハーグのジャズクラブ、マーフィーズローでのライブ版であるのだが、これはイツノ氏自身の企画、自主制作によって氏の持つ日本のジャズレーベル、55レコードから生まれたものである。

イツノ氏はオランダジャズを日本に紹介する格好の代理人のように見受けられる。 まだ発足して間もないレーベルで契約をもつ四人のうち三人までがオランダ人なのだ。 イェッセ・ヴァン・ルーラーに並んで歌手のフレーウリン・フェーロープ、それにピアニストのミヒル・ボルストラップの面々である。 ボルストラップも今月からオランダでは未発売の新譜CDが日本の店頭に並ぶ事になる。 コーヒーとジャズと題したCDはその名を冠したアムステルダムのカフェーでのみ限定版として発売されることになっているが日本版はそれに加えてボーナス曲が添えられている。 これが一方では輸入盤に流れる購買層を日本盤に留めようとするためのごく普通に採られる日本の販売戦術である。

もともとイツノ氏はアメリカのユニバーサルレーベルの日本支社で働いていたのだが1999年にひとりの日本のジャズ評論家がノースシージャズフェスティバルでイェッセ・ヴァン・ルーラーを聴きそれをイツノ氏に伝え、ユニバーサルジャパンと契約を結ぶ事となる。 というのは、「オランダユニバーサルは殆ど関心を示さなかった」からだという。 イツノ氏は去年氏自身がユニバーサルを退社して自身のレーベルを起こしてからイェッセ・ヴァン・ルーラーや他のジャズミュージシャン達と協力関係を進めている。

日本はオランダのジャズミュージシャンにとってはいい市場である。 「オランダではCDを1000枚も売れば充分喜んでいいけれど日本では見る間に1万枚は行きますね」と語るのはイェッセ・ヴァン・ルーラーのマネージャーのエリーン・ミュラーである。 日本はアメリカに次いで世界第二位のマーケットでもあるのだ。

日本のジャズシーンは活気があり、伝統的なスウィングから日本の伝統音楽を融合させた実験的なジャズまで東京の数あるジャズクラブでは全て聴く事ができる。 ブルーノートはこの中では落ち着いた地位を占めている。 イェッセ・ヴァン・ルーラーのトリオが演じるのに静かに耳を傾けるのには誠に適したクラブだといえる。

「けれどね、ときどきここの静けさにビックリするぐらいどきっとして、私のやる事が評価されてないのかな、と思ったりするのだけど、終わってからは皆立ち上がって私のところに来て列を作ってめいめいが、すごく素晴らしかったと言ってくれるんですよ」とイェッセ・ヴァン・ルーラーは語る。 その理由はコンサートが終わってからCDにサインをしたり来客と一緒に写真に納まるような機会を設けてあるからでもある。 「汗をかいた震えるような手に握手をするようなこともあるんですがね、こういうことはオランダではありませんね。 オランダでは有名人と対面してもそれを表さないようにするものですがここでは対照的ですね。」




Wed. 27-04-05  ビーフステーキ、 パスタのチーズかけ

2005年04月28日 06時35分16秒 | 喰う
ビーフステーキ、 パスタのチーズかけ


朝    トースト、バター、蜂蜜
     トースト、バター、苺ジャム
     ミルクティー 250cc


昼    ポークチョップ
     フレンチフライ
     子牛のポタージュスープ


午後   炭酸水  250cc

     コーヒー 200cc
     ドーナッツ 1個


夕    ビースステーキ 200g
     パスタ各種 チーズソース
     ミックスサラダ
     炭酸水  300cc


晩    緑茶  400cc


夜中   フルーツジュース  300cc

Tue. 26-04-05 インドネシア風焼きそば

2005年04月27日 02時03分23秒 | 喰う


インドネシア風焼きそば

朝   トースト、バター、蜂蜜
    トースト、バター、苺ジャム
    コーヒー 250cc

    炭酸水 150cc

昼   インドネシア風焼き飯
    鶏の甘煮
    ねぎのポタージュスープ

    炭酸水  350cc


夕   インドネシア風焼きそば
    インドネシアの酢の物
    サラダ菜

    コーヒー 250cc
    クッキー 1枚

晩   フルーツジュース  300cc


夜中  玉露 250cc     




今日は口腔内衛生師のところに行った

2005年04月26日 07時16分26秒 | 健康


これは何の役にも立たない話しであり、殆ど参考にもならないことでもあるので、よっぽど暇な人でないかぎり、これを読んで時間を無駄にするより何か他に有意義な事をすることをお勧めする。

私は歯槽膿漏である。 それに歯磨きをいやがる。 放っておけば2,3日何もしない事もある。 だから、私の歯はガタガタである。 小さい時から一日に一度は歯を磨いていたから虫歯はあったもののとりわけひどいものではなかったものの定期的に歯医者に出かけてやり過ごしていた。

小さい時から林檎にかぶりついていつも林檎に血がついているのは普通のことだと思っていた。 どうも、皆、他の人は違うらしい。

この5年ぐらい、50の坂を越してから弱ってきているように思う。 この国では自分の家庭医と歯医者を大抵口コミで探してきて選ぶ事になっている。 10年以上前に我々もそうした。 すでに子供をもうける前に二人で他の町に住んでいたから新しい町ではどのようにするか経験があったので周りで色々皆に聞いて2つ3つあたった後で今の家庭医、歯医者に落ち着いた。 いいところは大抵もう手一杯で断られることがあるからだ。 私達は今のところこれらのドクターで満足している。

始めるに当たって家庭医の方は健康保険は何種類かあるにしても強制加入だが歯医者では任意であり相談すると、我々子供二人、夫婦の歯をみて、子供達は矯正も済んでいて、家内と私は年齢に応じた点検、補修の必要はあるものの、半年に一度の定期検診を続けていれば今の状況であれば10年に一度ぐらいは夫婦には出費があるだろうけれど、長い目で見ると保険に入るほうが高くつく、という歯医者の意見で、結局、歯の健康保険には加入しなかった。 もうこれで10年以上やってきているのだから安く上がっているのだろうが、ここになって補強の必要がでているのだという。 今までの払わなかった保険の掛け金から実際に払う分が始まったのである。 

虫歯が深くて3本ほど抜いた。 奥歯がもう殆ど無く、その分ブリッジを作ってそれで奥歯を作り何とか咀嚼できるようになったが、ブリッジの金属製フレームが上顎の裏側にいつもあってウッとおしい。 物を食べてもうまくない、あごの裏側にものがくっついて仕方がない。

歯医者のアドバイスで一度真剣に口腔内衛生師のところへ行って歯槽膿漏、歯茎の保全の計画を立てるがいいと紹介状を持たされたのがもうそろそろ2年前になる。 放っておいたのが災いして冬に自転車で走っていて口に入る寒風が沁みてその射す痛みに耐えられなくなったし、ものが噛み辛くなった。 それでもう10年程前に歯医者の隣で大學の歯科を卒業したてのボケーッとしたのがクリニックを開いた折に一度診てもらったことがあるが、その時の注意、アドバイスも無視してのこのザマであるので少々バツが悪かったけれど、仕方がない、相変わらず坊やのような少々バカ面の先生の診断となった。  3月から6月の間に4回の診療でそれぞれ1時間半弱、合計10万円也のコースである。

1回目は口の中の点検、査定。 いちいち歯、歯茎の状態、ポケットがあればどれ位深いか、抜くか修理可能か、歯石をどの程度防げるか、構内バクテリアの種類、歯槽膿漏の状態を調べてコンピュータに放り込んだ。 その結果が3本奥歯を抜くこと、ブリッジを作ることだった。 それは歯医者の仕事。 それも済んだ。 15万円也。 高いか安いか私には判断がつかない。 痛いから、いいなりである。 多分、入っていれば払っていたはずの保険掛け金から払っているのだとしてまだ残高はあるはずだ。 だから、全ては予定通りではあるのだろう。

今日は歯石の除去と弱っている歯茎、ポケットのあるところ4箇所にある種のバクテリアを植え付けて歯槽膿漏を起こすバクテリアに対抗するのだという。 我々の口腔内には500種のバクテリアが住んでいるとの衛生師の話であるが、今日はまだ20代中ごろの女性が私の口の中をいじりながら、そう話す。重みのまるでないへなへなの時にはへらへら笑う心細い人だ。 技術は疑わないが存在感の薄い、色気の薄い若い女性である。 私にとって冗談を言うのに丁度いい性格と年齢である。 真面目そうだから、ちゃんと言う事は真面目に聞いて私の馬鹿な冗談にもへらへら笑っている。 それを見て私のほうが逆に心細くなる。 禿の歯医者は冗談をきっちり返すし、脂ぎっているのでこちらからは火に油を注ぐようなことは言わない。 冗談をいう頭があったらその分手に集中して欲しいのでこちらはひたすら沈黙である。 もっとも口にタンポンを詰め込まれ開けられていたら何も言えない。

歯石を取るのとバクテリアの歯茎の中に植え付けるので痛むから麻酔をするというので右の上下歯茎に何本も針を打ち込んで麻酔をしたが、ポケットの深いところは効きにくい。 時々痛い痛いと訴えると、またぷすりと打ち込まれる。 お陰で口の右側の感覚がまるで無く、途中ですすぐ水をコップから口に入れてもしまりがないから水がこぼれ出る。 なんとも情けない始末である。 早い人は2時間、普通は5時間で麻酔が消えるとのたまうが、結局6時間ぐらいかかったろうか。 お陰で夕食は家族がビーフステーキを楽しんでいるのにこっちは噛めない。 故に病院食のようなものになってしまった。 

今、9時間経過して麻酔は消えたものの注射の跡か歯茎をかき回された痕跡の痛みは残っている。 近々ドイツ製の電動歯ブラシを買わされる。 口内洗浄液、針に細かいブラシのついたものも今日薬局で仕入れてきた。 一日二回洗浄するのだという、これから心臓がとまるまで。 やれやれ。 



Mon. 25-04-05 菜食メニュー

2005年04月26日 05時26分05秒 | 喰う
菜食メニュー



朝、昼    ハヤシライス
       コンソメスープ
       炭酸水 150cc


午後     オレンジジュース  450cc

夕      菜食メニュー
       温野菜(人参、グリーンピース)
       フレンチフライ
       レタスとキュウリのサラダ

       コーヒー 250cc
       チョコレートボンボン

晩      フルーツジュース  300cc


夜中     玉露 250cc

Sun. 24-04-05 定番スパゲッティーボロニェーゼ

2005年04月25日 08時16分53秒 | 喰う

定番スパゲッティーボロニェーゼ


朝、昼    トースト、キャビア、フィレアメリキャン、鱈子ペースト
       ピザパン
       炭酸水  300cc


午後     苺の自家製シャーベット


夕      定番スパゲッティーボロニェーゼ
       ミックスサラダ
       炭酸水 300cc


       コーヒー 250cc
       スポンジケーキ 1片


晩      フルーツジュース  300cc


夜中     玉露  250cc




金曜の夜、テレビでフランス映画を観た。

2005年04月24日 21時29分52秒 | 見る

『フライデーナイト』 クレア・デニス監督、フランス、2002年、90分
というのだけど、その印象を記す。 あらすじは下記のサイトのとおり。

http://page.freett.com/cinemajournal/special/2003/piff7.html

で、グーグルで引っぱってみての結果がこれぐらいしか出てこないのだから、とりわけ日本でヒットした映画というわけではないのだろう。 私がグーグルを用いたのはこの映画の邦題を知りたかったからだけでその検索結果としてまとまったものはこれくらいだった。 映画通が韓国の映画祭で見たものとして説明されていて、その説明がへえ、それだけか、というくらいのものだ。その一つの理由として推測できるのはほとんどがアジア映画に報告者の目がいっているし、そのなかではヨーロッパ映画は距離の遠さもあるのだろうし多分報告者にはパリ長期滞在の経験がないのかもしれない。 その根拠はこの映画の特徴ともなっている語り口だろう。 

出だしからして風景、写真的といえる。 長いパリの夜景がつづく。 サクレクールやもちろんエッフェル塔も出てくるがそれらは観光地ではあるのだが同時にそこに住むものには生活の中の景色で自分の位置を測る基となるものとして示される。アパートで引越し準備に忙しい女の部屋が夜景のスカイラインから続いて映し出される。 滑らかな導入である。 生活に根ざしたこととゆっくりした時間の経過である。 ハリウッドの時間の流れとはかなり違うし、視線の違いを思い知る事になる。

この映画には大きなドラマが少ないといえる。 それはこの映画で写されているものは我々が他の映画で見る話の文法の枝葉のかなりの部分を削ぎ落として選択された結果のみで、この大きなドラマがない、というところがそう意図されたものでもあるし日常を見せようという意味でもあるのだろう。 普通、我々は非日常を求めて映画の世界に入るのだしその語り口にしても知らず知らずのうちにその文法に添って映画の道筋をつけられているのだが、ここでゆったりとした時間を感じさせるのはカメラの風景的な動く写真の多用からでもある。

ここでの二つの要素。 風景と女の目。

風景と書いたがここでは観光客もセーヌも山も昼のパリの人通りも出てこない。 生活者の日常であるストによる長い交通渋滞の車の列でその中の人々が映し出され、主人公の女の運転する車の位置とそれ自体が動く女の心理的状況をも示すかのようにも停滞する車から離れて電話をかけに出て戻れなくなるような寄る辺なさとしてあらわされることでもある。 この場面で秀逸なのはカメラの距離が俯瞰したり引いて全体を写すような事をしないことでもある。 全体を捉えたいとかそれを説明したいというような欲望を持ち合わせていないかのようなそぶりである。 このあたりから文法の差異の存在を感じさせる。 

それは男女の目の差異といってよいかもしれない。 男の私に所々で違和感を感じさせ、その違和感がこの映画と他の映画の文法の違いを逆照射し、いままでの自明を確認させる意味で。 主人公が女性の映画はあまたある。 その中でも監督が女性の映画も多い。 しかし、すべてそのような映画が女性の目の文法で語るのかというとそうはいえないであろうが、この映画のように男の目に明らかに各所で躓きを与え文法の違いを意識させることでそのことが明らかになるような作品は多いとは言えない。 

男と女の違い、と書いている。 しかし、この映画は非常に単純でありながら明らかにそのように選ばれた絵の連続としてあるし、主張するところは女権拡張論者のそれではない。 紫式部の政治的物語は選ばず清少納言の女性の特権、感性の独裁制を目指す、少なくとも意図して試みている作品だと見受けられる。

男女のすることは古今変らずそれにまつわる話で世の中の退屈を凌いでいる。 話のほうに御者の鞭が入ればそれぞれ乗客は様々な方向に色々な速度で運ばれる。 そのうち旅行に疲れるが一旦始めた探索行はきりがない。 それに大抵御者は男だから色々なところに連れて行ってくれるし、それぞれの見晴らしのいいところで上手に景色の愛で方を示してくれる。 我々は旗を持ったその御者の跡を追うのみであるし、後には旅行の思い出のみやげ物とあそこには行ったという確認の記憶が残る。こうして体勢としてのツアーが繁盛する。

文法の中に男女の性の場面を入れよ、というのがある。 この話はまさに男女の一夜の話であるのだからそのことが中心になって不思議ではないし、実際、そのことにかなりの部分が割り当てられる。 つまるところ普通の映画であればそれは90分の間に一度だけ放り込まれる適当に行き止まりを与えられたポルノの希釈液にしかすぎないのだ。 たとえそれが話しにどのような整合性があると説明されて一応は納得するにしても照れくささがつきまとうもので、てれくささというのも所詮希釈液なのだ。 それにポルノというのは妖しい森に誘うシニカルな御者が鞭をさばくごく日常の変成噺にしかすぎないのだし乗客も崖に落ちたり行方を見失うことになったり命を落とす危険性を初めから期待していないのだ。 例えればそれは温泉場のお化け屋敷か。 話しがながれてしまった。 日常の性にはお化けがでるか如何、私には判断がつきかねる。

目の優先が文法の第一章にあるのだろう。 音楽もかなり押さえられる。 そのことは退屈した主人公が渋滞した車のラジオの選局で飛び出てくる音楽の生々しさでも地の効果音としての音楽の後退をしめしているのだが、目の耳に対する優先は音にたいする目の優越ということではないのだろう、ここでは。 というのは、男女のベッドでの行為の最中は息遣いの音、ここでは喘ぎ声はなく、あくまで音、が絡まる身体に肉薄するカメラとあいまって選ばれたカメラの角度、絵を補うものとして音の役割をもたされているのだから目が最優先ということでもないのだが、この重要な男女の性交は風景として描かれる。 行為そのものと完遂されたという即物的な事実の確認及び描写は綺麗なまでに除去されている。 我々の日常的な性交がポルノグラフィーであるのか生活の中の風景の一部なのか自問すればよい。

カメラが裸の男女のどこを写そうか一瞬逡巡しているように見えるのはカメラがあまりにも身体に肉薄しているからかとも思って見ても、それであればポルノ的肉薄には逡巡がないのは明白で、ポルノ的身体の絵がここでは期待されていない事とその場面で写すべき部位の優先順位の文法の違いによるのであって逡巡などではない。 この場面のこの視線がこの映画の性格を顕著にあらわにするところである。

文法が言う。 言葉は惑わせる。 ただ賢く見せてそれだけで印象を残せばそれでことは足りる、と作者はここでは信じているのだろう。 言葉は目に従わせればいい、と。 

もう20年程前に家人と年長の女性造形作家と3人で大島の愛のコリーダを見たことがあったが、このフランス語の題は、官能の帝国、でもあり、わたしは様々なことに非常に感動してその後も改めて見たのだが、二人の女性には私には愛情表現の深いものとみえたものがひどく暴力的に映ったと指摘され、自分が男であることとそのように言われる日本文化を英蘭両女性に対して居心地の悪さを感じ、彼らの感受性の違いに戸惑ったのだが、そのときは単に文化表現の差異のみによるものだと思っていたのが、この映画のあとでは明らかに大島の映画は暴力的に見えても仕方が無いと思える。 それは政治性にしても物語自体にしても、それに加えて作家大島の男性性に大きく由来していることをこの映画から納得するのである。

その後昨日は、クン兄弟のファーゴ、をテレビで見たのだが才気あるアメリカ映画の語り口を見て、主人公がたまたま女性保安官でもあるのだけれど、才能はこの女性に多少のひねりを加えているもののイーストウッドと同じ文法をたどっている。荒涼たる殺人現場で大きな腹をかかえて検分する保安官の妊婦の空腹を訴える場面は刑事コロンボの語りなのである。 また、女性がここに置かれているだけで、禿げて風采の上がらない夫にしても家政夫と見えるように配置されてもいる。 我々はここでもまたアメリカの映画村で新しい名所めぐりをしたのである。

多分、このフランス映画は大きな成功は収めなかったのだろうということは想像に難くない。 しかし、女性が自分の文法で製作した感性表現の試みとしては歴史の脚注に加えられるに値する作品ではあると考える。 しかし、考えてはいけない、見よ、との声がどこかで聞こえるのだが。