野上弥生子 著 「秀吉と利休」
1964年
新潮文庫 草44B 1969年 二刷
古い文庫本だ。 いつだったかハーグ市の古本屋でほんの少しだけ日本語の本が並んでいる棚の中にあったものを2ユーロかそれほどで求め、それを「積ん読」にしておいたものを今回読むきっかけになったのはちょっと落ち着いたものを読みたいと思ったからだった。 体調が悪くそれが少し持ち直し、日曜日に50kmほど離れた射撃クラブに長銃の競技会に出かけたときにそこのバーで待ち時間中に落ち着いて何か読もうとちょっと文庫本でも、と出かける前に棚を眺めていて目に入ったものだ。
野上弥生子という人のものは読んだことがなかった。 昔、学生時代にガールフレンドが高群逸枝のことを卒業論文にしていてその際に日本の革新的な女性たちの名前が出た中で宮本百合子関連で聞いたようなことがあったし、漱石門下の野上豊一郎と結婚した、というようなことでもあったから「現代」の文学を追う当時の自分にはそのうち時間があれば「教養」として、、、、として敬して遠ざけている風があった。 古今あまたある文章のなかで手に取り読むのは砂漠のほんの一握りの砂程度なのだ。 自分の読書体験というのは脈絡のないもので、あちらこちらと手が伸び、読んだあとからすぐ忘れ、つまらないものにも手がいきがちになる。 だから「積読」が増えるし、この間、読もうか、と思っていたものがもうそれから3年以上経つ、という経験もしばしばだ。 だからこの古ぼけた文庫本を手に入れてから何年経つか記憶にない。
しかし、現代の作家たちの諸作品に比べるとその肌触りの違うことには野上作品に対する読書経験がないにもかかわらず読む前から分かっていた。 それは昔読んだ佐多稲子や幸田文などの文章に接して後々まで残るしっかりとした日本語にたいする安心感とでもいえるものかもしれない。 この30年ほどの間に変化した現代の作家の文体とでもいえるものから距離をおいて落ち着いたものに触れたいというような無意識の希求があったのだろう。 体調を壊して回復期に体に滋養になる落ち着いた食物を摂るような、粥のようなものかもしれない。
自分からこの作家のこの作品を選んだのではなく外国の古本屋の棚に凡百のビジネス書や密度の薄い通過するだけの本に混ざっていた中で作家の名前に惹かれては選んだものの「秀吉と利休」という、10年か20年ほど前に映画化でも競作にもなり、日本の文化、歴史の中でも繰り返し論じられているテーマであり歴史小説であるからストーリーには驚きも新奇さも少ないだろうし、それに人物像にしても完全に無から描いたものでもないから野上弥生子の創作といっても自然と「秀吉と利休」が大きく浮かびたちうごくであろうから読み進むうちにそれを支えるこの作家の文体をまず理解するようにして次の他の作に繋げようと考えた。
まず文末の水尾比呂志の短い解説に目を通し、その内容はともかく戦後の解説文体に久々に接した気がした。 それでも1968,9年のものである。 せいぜい40年ほど前にもかかわらずその文体は戦後を充分引き継いでいるようで歴史小説のものとしての体裁を保っている。 そのころ刊行された河出書房の「現代の文学」が毎月一冊自宅に届きそれが自分の文学体験の元になっている。 そのなかでも歴史小説はいくつも収められていたけれど谷崎は別として歴史小説の文体には惹かれることはあまりなかったように思う。 中間小説との接点のようなものをみていたからかもしれない。
そのようなことを考えながら巻頭10ページほどをクラブのバーで紅茶を飲みながら読み始めたときに自分の名前が呼ばれたので急遽本を閉じてポケットにねじ込み、そのまま道具の詰まったカバンとフリントロック式長銃を手に射場の方に降りていった。 利休の町、堺は火縄銃の製造地でもあり、日本ではフリントロック式は幕末に少しは入ってきたものの日本の銃の歴史の中では信長のころから幕末までは変化がなく、古式銃の歴史の中でも日本はある一定の時期の形式がそのまま300年も変わらず幕末まで続いた興味深いところでもあるのにも思いが行ったのだが、この日は射場では火縄銃を撃つものをみかけなかった。
ウィキペディア 野上弥生子の項 ;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%8A%E5%BC%A5%E7%94%9F%E5%AD%90
1964年
新潮文庫 草44B 1969年 二刷
古い文庫本だ。 いつだったかハーグ市の古本屋でほんの少しだけ日本語の本が並んでいる棚の中にあったものを2ユーロかそれほどで求め、それを「積ん読」にしておいたものを今回読むきっかけになったのはちょっと落ち着いたものを読みたいと思ったからだった。 体調が悪くそれが少し持ち直し、日曜日に50kmほど離れた射撃クラブに長銃の競技会に出かけたときにそこのバーで待ち時間中に落ち着いて何か読もうとちょっと文庫本でも、と出かける前に棚を眺めていて目に入ったものだ。
野上弥生子という人のものは読んだことがなかった。 昔、学生時代にガールフレンドが高群逸枝のことを卒業論文にしていてその際に日本の革新的な女性たちの名前が出た中で宮本百合子関連で聞いたようなことがあったし、漱石門下の野上豊一郎と結婚した、というようなことでもあったから「現代」の文学を追う当時の自分にはそのうち時間があれば「教養」として、、、、として敬して遠ざけている風があった。 古今あまたある文章のなかで手に取り読むのは砂漠のほんの一握りの砂程度なのだ。 自分の読書体験というのは脈絡のないもので、あちらこちらと手が伸び、読んだあとからすぐ忘れ、つまらないものにも手がいきがちになる。 だから「積読」が増えるし、この間、読もうか、と思っていたものがもうそれから3年以上経つ、という経験もしばしばだ。 だからこの古ぼけた文庫本を手に入れてから何年経つか記憶にない。
しかし、現代の作家たちの諸作品に比べるとその肌触りの違うことには野上作品に対する読書経験がないにもかかわらず読む前から分かっていた。 それは昔読んだ佐多稲子や幸田文などの文章に接して後々まで残るしっかりとした日本語にたいする安心感とでもいえるものかもしれない。 この30年ほどの間に変化した現代の作家の文体とでもいえるものから距離をおいて落ち着いたものに触れたいというような無意識の希求があったのだろう。 体調を壊して回復期に体に滋養になる落ち着いた食物を摂るような、粥のようなものかもしれない。
自分からこの作家のこの作品を選んだのではなく外国の古本屋の棚に凡百のビジネス書や密度の薄い通過するだけの本に混ざっていた中で作家の名前に惹かれては選んだものの「秀吉と利休」という、10年か20年ほど前に映画化でも競作にもなり、日本の文化、歴史の中でも繰り返し論じられているテーマであり歴史小説であるからストーリーには驚きも新奇さも少ないだろうし、それに人物像にしても完全に無から描いたものでもないから野上弥生子の創作といっても自然と「秀吉と利休」が大きく浮かびたちうごくであろうから読み進むうちにそれを支えるこの作家の文体をまず理解するようにして次の他の作に繋げようと考えた。
まず文末の水尾比呂志の短い解説に目を通し、その内容はともかく戦後の解説文体に久々に接した気がした。 それでも1968,9年のものである。 せいぜい40年ほど前にもかかわらずその文体は戦後を充分引き継いでいるようで歴史小説のものとしての体裁を保っている。 そのころ刊行された河出書房の「現代の文学」が毎月一冊自宅に届きそれが自分の文学体験の元になっている。 そのなかでも歴史小説はいくつも収められていたけれど谷崎は別として歴史小説の文体には惹かれることはあまりなかったように思う。 中間小説との接点のようなものをみていたからかもしれない。
そのようなことを考えながら巻頭10ページほどをクラブのバーで紅茶を飲みながら読み始めたときに自分の名前が呼ばれたので急遽本を閉じてポケットにねじ込み、そのまま道具の詰まったカバンとフリントロック式長銃を手に射場の方に降りていった。 利休の町、堺は火縄銃の製造地でもあり、日本ではフリントロック式は幕末に少しは入ってきたものの日本の銃の歴史の中では信長のころから幕末までは変化がなく、古式銃の歴史の中でも日本はある一定の時期の形式がそのまま300年も変わらず幕末まで続いた興味深いところでもあるのにも思いが行ったのだが、この日は射場では火縄銃を撃つものをみかけなかった。
ウィキペディア 野上弥生子の項 ;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%8A%E5%BC%A5%E7%94%9F%E5%AD%90