暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

製粉工場跡にて

2013年09月30日 16時29分37秒 | 日常




この週末は例年の如くこの町の芸術家たちが町のあちこちを展示場にして作品を人に見せる催し物があり、家人も例年の如くゲイの髪結い、アレックスの店を会場に作品を展示しているのだが土曜の買い物のついでにそこに寄る途中に旧製粉工場を見学した。 自分達が越してきた20年以上前にはこの製粉工場はとっくに操業をやめていた。 町のどこからもその巨大な建物、サイロのような高い建物が見られ、そこはほぼ廃墟のようになっていた。 オランダには空き家を占拠をするものたちの社会運動若しくはそんな伝統がある。 それらはクラーカーとよばれる人たちなのだが、その法的根拠は「居住権」である。 所有者には所有権があるのだが居住権というのは所有者だけにあるものではなく所有者の土地、建物に住むものに発生する。 賃貸契約などがあり所有者はそこに住まずそこに賃貸人が住むなり場所を使うというのは普通にあることでそこでは賃貸人は合法的に「居住権」を行使していることになる。 

オランダでは60年代から使われていない建物に入り「居住権」を行使する若者、芸術家たちのグループがあり、それがオランダでクラーカーと呼ばれる者たちでそれは社会の中で一定の支持を得ている風でもあった。 当然所有者に断りなしだから不法占拠のように見えるけれど法的にはいくつかの条件をクリヤーするとそれは違法ではない。 例えばその建物が過去12ヶ月以上使われていなかったり占拠された翌月からそこに新たに入居する契約があるわけではないような場合は居住権が発生し警察がその事実を確認してそれ以後は居住者と所有者の折衝となり所有者が裁判所に訴えても排除命令がでるまでは短くとも一年以上の時間を要するからクラーカーたちもそれを心得ていて、所有者にしても当面土地、建物を再開発するなどの予定がない限りは占拠者たちと妥協案で折り合いをつけ、ガス、電気、水道等の実費は占拠するのもが負担、一定時限の家賃無料貸与というかたちをとって折り合ったりする場合がしばしばではあるのだが、折衝が決裂し機動隊による排除命令の実力行使となるとメディアで報道されるような問題になる。 公共の建物であると比較的長期に渡って居住権を行使することができるようだ。 特に貧乏な芸術家たちは大きなアトリエ空間が必要となりそんな空間を普通に借りるとなるととても家賃をはらえるわけがない。 だからグループで占拠した後、国や地方公共団体との折衝の末に一定の理解を引き出し文化センターの一貫として黙認、土地、建物の建築計画が実行されるまで使用許可を得る形をとる場合が多かった。 数年前にこのクラーカーというのが国会で不法ということになり、クラーカー運動も終息している。

多分何時のことか広大な土地にあるこの巨大な旧製粉工場跡が元の所有者から市のものになって以来、ここ以外に町のあちこちにあるように所有者と折り合いをつけてマイルドな不法占拠者たちの建物の一つとしてこの旧製粉工場も芸術家たちが住みつき彼らの共同のアトリエとなっている。 地方公共団体や開発業者がここに住宅、芸術センター、ホテル、公園などの再開発プランを計画しているようで、この製粉工場跡も何年かすると更地になるようだ。 そういうことの計画の概要とここに入っている芸術家達の作品をこの機会に見ようと他の多くの見物人と一緒に見学した。 工場内の機械類は全て取り外されていてがらんとした工場の大きな空間の階段を登って7,8階あたりにくると町が見渡せ、そこは自宅の屋根裏部屋の窓から見える塔の上階であって、そこからは家から見るのと反対の景色が望めるのだった。

こんな棟が幾つもあるのだが脚が痛くなって一つだけしか見ることができなかった。 この旧製粉工場の再開発計画については今までこの10年ほどプランが出来ては消えるようなことが続いていて今回のプランもどうなるかこの事情を心得ている年寄り達は唾を眉につけて眺めているようだ。 

真実の囁き   <未> (1996); 観た映画、 Sep. '13

2013年09月29日 00時42分40秒 | 見る



邦題;  真実の囁き  <未>(1996)
原題;  LONE STAR

135分

監督:  ジョン・セイルズ
脚本:  ジョン・セイルズ
撮影:  スチュアート・ドライバーグ
音楽:  メイソン・ダーリング

出演:
クリス・クーパー         サム・デーズ
エリザベス・ペーニャ       ピラー
クリス・クリストファーソン     チャーリー・ウェイド
マシュー・マコノヒー       バディー・デーズ
スティーヴン・メンディロ      クリフ
スティーヴン・J・ラング
クリフトン・ジェームズ       
ジョー・モートン         デル・ペイン
ラターニャ・リチャードソン
チャンドラ・ウィルソン
ロン・カナダ           オーティス・ペイン
フランシス・マクドーマンド     バニー

粗筋:
John Sayles' murder-mystery explores interpersonal and interracial tensions in Rio County, Texas. Sam Deeds is the local sheriff who is called to investigate a 40-year-old skeleton found in the desert....As Sam delves deeper into the town's dark secrets, he begins to learn more about his father, the legendary former sheriff Buddy Deeds, who replaced the corrupt Charlie Wade. While Sam puzzles out the long-past events surrounding the mystery corpse, he also longs to rekindle a romance with his old high-school flame. Sayles' complex characters are brought together as the tightly woven plot finally draws to its dramatic close.

イギリス・BBCテレビで日曜深夜の誰も観ない時間にかかったのを観た。 映画データベースに記述がないので IMDbサイトから粗筋を牽いた。

尚、ネットで本作について述べたものを探っていて幾つかの感想をみたが中でも本作を納得できるような形で解説しているものを下のようにみた。

http://www.ywad.com/movies/205.html

上のサイトでも言っているように本作を見ていてその舞台、シェリフものということからしてコーエン兄弟作のものやトミー・リー・ジョーンズが自ら監督主演した「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬(2005)」に趣が似ていて好感の持てる造りとなっている。 出だしからしてコメディーではないかというような、砂漠で金属探知機を使って何かを掘り当てる趣味の中年男たちの登場で、そのうち骸骨を探しあて、そこにさびた保安官のバッジを見つけてそれが Lone Star の題名となり、その響きがローン・レンジャーなどの西部劇をも思い起こさせるような結構となり、現在のシェリフから40年前の話が重なる様子が前述の保安官ものとのおおきな違いとなっているだろう。 まさに現在中年の保安官の父親が自分よりはるかに若いまだ青年の保安官補として精彩を放っている話として進む様子が面白い。 

どちらかというと実直ではあるだろうが精彩にかける主役の保安官の父親はそれまで町を牛耳っていた悪徳保安官の失踪後この町では人徳のあるシェリフとして尊敬されており人種を超えて町の人間から慕われていたのであるけれど自分にとっては偽善者であり親の人種偏見から幼い恋を引き裂かれた恨みをもつ過去をもっているのだがその理由が分かったときの顛末には充分納得がいったのは上に牽いたブロガーと同じなのだがネットでの感想にはまるで理解のしがたいものだと書かれているものが複数あってそれにはこちらが理解し難かった。 40年経って一度は諦めた恋が成就した後に分かった真実からは当時推さない二人が惹かれた理由が理解され、現在の自分達の置かれている位置とこれからの像も自ずと想像できる終わりかたになっていると理解した。 二人の間の愛には変わりがなく別離というドラマはないものとみる。

この何年もクリス・クリストファーソンの悪役が光っている。 それはジョン・ヴォイドであったりジーン・ハックマンが演じる悪と比較すると苦みばしって殊に西部劇仕立てでは精彩を放つ。 それにもう一人面白かったのは主役の妹として登場するフランシス・マクドーマンドだ。 年譜をみると好演したコーエン兄弟の「ファーゴ」は本作と同年の作であってファーゴを先に観たものにはここで観るフランシス・マクドーマンドは驚きであり「拾い物」をしたと感じるに違いない。

久しぶりの静かな夕暮れだった

2013年09月28日 12時38分20秒 | 日常

北海道では気温がマイナスになったとテレビで言っていた。 そういうことではオランダの方がまだ気候は緩やかかもしれない。 平年並みの15℃ほどの涼しい秋となって何日も鬱陶しい空模様が続いていたものが夕方になって晴れた。 同じ夕暮れでも体の調子によって見え方がかなり違う。 

これから数日こんな天気が続くと予報があり体の具合がよくなったら自転車で郊外に出てみようと思う。 ほぼ三週間ほど殆んど何も出来なかったからそれを取り返すように外に出たいと体が言っているのかもしれない。 一応骨盤と脚の関節の矯正が済んだので残っている筋肉の痛みが引くまで無理をしないようにと整体士に言われているので急にはしゃいではいけないことは分かっているけれど痛みが取れて気分が少々ハイになっている。

久しぶりに射撃クラブに行ったけれどアルコールを口にはしなかった。 もうほぼ3週間口にしていない。 この何年かではないことだ。




ドイツ・ビーフステーキに温野菜

2013年09月27日 09時04分43秒 | 喰う

ドイツ・ビーフステーキ
チコリ菜
新じゃが

プチ・トマト


オランダではステーキ肉を挽いて丸めて焼いたものを Deutse Biefstuk (ドイツ・ビーフステーキ)という。 アメリカに渡ってハンバーグ・ステーキになったものと同じなのだが今ではハンバーグの方には刻んだ玉葱や,パンをミルクに浸したものに卵などを加えて練って作るのが普通でそれがハンバーグと呼ばれているのだし、ハンバーガーとなるとそんな肉をパンで挟んだものとなるのだがドイツ・ビーフステーキの方は何も加えないでただ良質のステーキ肉を挽いただけのものだ。 何も加わっていないだけに肉質がはっきり出て味にごまかしが利かなくそうなると肉屋の質が問われる。

台所を改装してガス・オーブンをやめ、電子レンジを二つにして、その一つは蒸して暖める機能のついたスチームオーブンレンジを入れた。 まだ慣れていないのでいろいろと試行錯誤を繰り返しているが温野菜はこのスチームで蒸したものが断然旨いことに気がついた。 野菜の味がそのまま立ち上がってくる。 このチコリ菜にしてもジャガイモにしてもしかり。

家人は先週茶碗蒸しをこれで試してうまくいったから今日のデザートはクレームブリュレになった。

秋の鬱

2013年09月26日 10時41分18秒 | 日常

仕事を時々しているから少しは紛れるものの、けれど季節が北ヨーロッパの秋になってここで鬱が出てきたようだ。 

この2週間ほどずっと脚の痛みがあって鬱が入り込む隙間がなさそうなのにどんよりとした曇り空と湿り気がもたらす例年の鬱の訪れなのだ。 この鬱も例年のことでそれを自覚しているからなんとかやっていけるもののそのまま落ち込んでしまうとなかなか抜け難いものらしい。 

整体のセッションに4回通い、どうも単純な仙腸関節障害だけではないようでそちらの方は何とか矯正できているのにまだ痛みがあるというのは脊柱の下部もずれていてそこに神経が触っているのではないかとペーターが言う。 彼のところでその専門の整体士がいるからその男につくことになって今日の午後そこに行く。 痛みも一日一日とほんのすこしづつ快方に向かっている兆しがあるのだが30mも歩くとまたぞろ痛みが出て辛くなる。 鎮痛剤もひかえているのだがそれでも一日に一錠ぐらいは服用しないと耐えられないような痛みが来て、たとえ飲んでも薬では治まらないのは分かっていてもそれでも飲まないよりましだといいつつそんなことをしてもう一週間以上になる。

仕事場の窓外には黄色くなった落ち葉が児童公園に散らばって冷たく湿った薄暗い秋が始まっている。 自分の育った大阪南部の秋は一年で一番爽やかで気持ちよく、そんな日には近くの山に登り青空の下を歩き回って夕暮れの光の中を下山するのが一番幸せな秋の記憶なのだが同じ秋でもここにはそんな青空も爽やかな空気もない。 

仙腸関節障害

2013年09月22日 16時24分44秒 | 健康


この2週間ほど悩まされているのが右脚の痛みでそれは仙腸関節障害と言われるのだそうだ。 いまのところ痛みはまだかなり残っているけれど整体士がそろそろ先に明かりが見えてきた、というのでここまでの経緯を記す。

9月8日

ことの起こりはほんの小さなことだった。 目覚めるとタブレットがベッドと壁の間に落ちているのに気付いて寝転んだまま身体を捻じって右手で床に落ちたものを拾おうと足掻いたのが原因のようで、それを除いてそのほかに思い当たることはない。 昼に甥のところに生まれたばかりの男の子を見に家人と二人で自転車で出かけたときには尻の上部の筋肉の深部が痛み始め、座ると痛むので赤ん坊を抱いたまま10分ほど部屋の中を歩いていた。 その後、痛みが増したけれどそのうち何とか引くだろうとタカをくくっていたのだが悪くなる一方だった。

9月12日

坐ると痛み、立って歩くと大分治まるようなのだが痛みは消えず逆に酷くなっていく一方だったので堪らず月曜の夜にいくフィットネスクラブのオーナー・インストラクターであるペーターのところに出かけた。 少しでも歩いてリハビリしようと身支度をして歩き出したけれど痛みが激しくて堪らず予約もとらずセラピストのペーターへの飛込みだったけれど日頃とは違う自分の様子をみてすぐ小部屋に招き入れられて様子を話すと、あちこちを触診してこれは SI-gewricht だ、という。 オランダ語で gewricht というのは「関節」、 SI は sacro (仙骨) と iliacale (腸骨) という二つの骨の継ぎ目、この関節がずれているからそれに神経が触って痛みがでるのらしい。 その骨がどれだか分からない、というとその部分の骸骨の模型をもってきて見せてくれた。 立って腰のあたりを触れ、骨の出具合から右側が少しずれており、治療台に左脇を下に横に脚をねじり後ろから脚というか尻を押され矯正された。 一度では完治せずまたずれるから何度もこれを繰り返さなければならない、長引くかもしれないと言われた。 セッションからもどると痛みが消えたような気がしたが一度坐ると今度立つと痛む。 この頃には夜ベッドに横になるとどのように身体を向けても痛むのでちゃんと寝付けないし朝起きたときには痛みでちゃんと起き上がれない。 痛みに耐えて起き上がり強く鋭い痛みが引いたあとの一瞬の甘い気分はドラッグのハイのようだった。

ネットでウィキペディアなり You Tube に治療の概要があったのだが、日本仙腸関節研究会というグループがあってそこに次の記載を見た。

http://sentyo-kansetsu.com/sentyo.html


9月15日

午後、近所を6.5km歩いた。 この事については日記に書いた。

9月16日

ペーターとの2回目のセッション。 この後坐っていると痛みはないけれど立ち上がると5分もすると痛み出す。 セッションの効果はまだでない。 仕事場の棟を50m、100mと歩くのが辛い。

9月17日 

痛みが酷いので痛み止めを服用しようと家庭医のクリニックで鎮痛剤二種(Ibuprofen 400mg, Paracetamol 500mg)と胃薬(Omeprazol 20mg)の処方を受けた。 しかし痛むときは鎮痛剤二種を併用しても耐え難いほどの痛みがある。 だから効き目があるかどうかは疑問だ。 あるとしたら痛みがその効力をはるかに凌ぐものなのだろう。

9月19日

ペーターとの3回目のセッション。 大分関節が戻っているようだとのこと。 右の尻、腰の関節を押すのだが大分関節のずれが直ってきているようで、あと1回か2回のセッションでずれはなくなるとのこと、けれど痛みが消えるかどうかは不明だ。  

God Rot Tunbridge Wells!    (1985);観た映画、 Sep. '13

2013年09月21日 15時17分57秒 | 日常


God Rot Tunbridge Wells! (1985)

119 分

監督:   Tony Palmer
シナリオ:  John Osborne

配役;
Trevor Howard       Georg Friedrich Handel
Dave Griffiths      Middle-aged Handel
Christopher Bramwell  Young Handel
Ranald Neilson      The Boy Handel
Tracey Spence       Mary Granville
Anne Downie        Vittoria Turquini
Simon Donald       Prince Ruspoll
Peter Stanger       Domenico Scarlatti
Beth Robens        Handel's Mother
Mitzi Mueller       Francesca Cuzzoni
Elizabeth Lax       The Second Soprano
Chris Young        Buxtehude
Caroline Woolley     Marie Sall�・
Shona Drummond       The Handmaiden
Isabella Connell      The Princess of Wales

粗筋;
Shortly before death, George Fredrick Handel (1685-1759), old, blind, portly, sometimes raging and usually reflective, narrates a look back over his life. As he tells his story, his music plays as background or is performed on screen. As a youth, he is Buck, a prodigy, attractive to women and to patrons. He travels from Halle to Italy then to London, where he finds himself completely at home. He composes constantly. He pleases princes and dukes; he displeases prelates and critics. He's in court to defend his copyright. He makes and loses money; he engenders a cat fight between two divas. At the end of his life, he observes that he helped the English with their religion.


自宅の屋根裏部屋で机に向かっているときインターネットのバロック音楽の局から流れてくるものを聴きながら作業をすることがおおいのだが、或る日、聴いたことのある旋律が流れてきてそれに被せて男の低音の独白が何か人生に対する辛らつな想いを語っていた。 この局では他の音楽局と同じく大抵は音楽だけしか流れて来ずこのようなことはないので妙だなと思ってタイトルをみるとヘンデル、God Rot Tunbridge Wells! と出ていた。 それをコピーしてグーグルで検索したら本作の情報が出てきて You Tube に二時間ほどの本作が貼り付けられていることも分かったのでそのまま机のモニターの前でほぼ2時間本作を観たと言う訳だ。 なかなか面白いものだった。 惹句に「悲劇的な人間喜劇かコミカルな悲劇か」とあって、ウィキペディアの記事から想像できるヘンデル像からは少々逸脱した、いかにも人間的なヘンデル像が立ち現れていた。

1685年というのは音楽史の上では画期的な年だ。 ドメニコ・スカルラッティ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、それに本作の主人公ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが生まれた年でそれから300年が経って生誕300年を記念して制作されたのが本作だそうだ。 そういえば85年にヨーロッパの各国でバッハの生誕記念イベントやコンサート、CDボックスなどが発売され、その後、モーツアルト年、マーラー年などと続き、自分はレコード店で Mitsuko Uchida のモーツアルトピアノ協奏曲、オランダ・コンセルトへボー交響楽団、ベルナルド・ハイティンク指揮のマーラーの第5番を買って聴いた記憶がある。 けれど自分の好みはモダン・ジャズでクラシックにはあまり明るくないのに加えてヘンデルに対する知識というのは小学校、中学校の音楽の授業で習ったものから少しも出ない程度であり時々はFMラジオから流れてくるものがたまたま耳に入ってきてそれがヘンデルのものでオーソドックスで少々構えが大業であり受けはいいけれどこれでもかというようなバロック音楽だと捉えていたようだ。 自分の中ではJ.S.バッハをバロック音楽の最高峰として認識していた風もあり音楽史でもそうだと思っていたのだが当時はそうでもなくむしろヘンデルの方が成功し名声も高かったと今回資料に目を通して知ってそれを面白く思った。 本作中でも老いたヘンデルがバッハに関しては疎ましい存在として毒づく対象にはなっているけれど自分より上のものとしては描かれていない。 人生の終わりに際して孤独な老人の回顧と世界に対する呪いとも言うべき罵倒の対象一つとしてバッハが登場している。 むしろこのヘンデルの方が富と名声を一手に集めていたのだからそれは理解できる。 そこで自分の好みの音楽の中でバッハのLPやCDは幾つかあるもののヘンデルのものがないことの理由を考えた。

小中学校の音楽の授業から今まで残っていた印象はヘンデルはイギリスの作曲家だということだ。 それに現在でもイギリスのテレビ、ラジオの様々な文化、歴史、音楽番組の中では比較的多くヘンデルのものが流され、だからそれと合わさって絵画と同じくヘンデルをイギリスを代表する作曲家だと思っていたのだろう。 絵画の世界と同じくヨーロッパの中での文化交流から音楽もドイツ、フランス、イタリアと人が古くから交差するのは現在と同様であるのだが1960年代の中学生にはその交流の様は知る由もなかった。 島国に住むものにはヘンデルはイギリスとして固定されていたようだ。 イギリスも日本と同じく島国ではありその国民性、文化には島国性があるもののヨーロッパ大陸に対する距離と歴史を考えると日本の島国性とはかなり異なったものである。 

バッハとの違いを考えてみた。 それは作品と彼らの生涯から想像するものだがバッハの作品群にみられる機械的とも言えるほどの平らな音の持続は好ましい市民のものであり、ケレン味の強いヘンデルのものは富を有する者、権力者のもののように思える。 結果としてそこから子沢山の家系を築いたバッハと孤独に終わるヘンデルの気性がみえるような気がするのだがこれも後付けの半可通の言葉でしかないだろう。 両者とも成功者ではあるけれど演劇的にはヘンデルのほうが面白いのはミロス・フォアマンの「アマデウス(1984)」と同様である。 

小さなスピーカーから流れてくる音楽と男の声から本作を観ることとなったのだが、その声を聴いた時にそれは「レッド・オクトーバーを追え!(1990)」で駐米ロシア大使を演じその演技と声に惹かれた Joss Ackland かと思ったけれどそうではなかった。 Trevor Howard という俳優の風貌にはどこかで見たような記憶があるのだがその作品リスとをみてもはっきりとは浮かび上がってこないけれど唯一の記憶はデヴィッド・リーンの「ライアンの娘(1970)」でのものだろう。

尚、本作の末尾で Andrei Gavrilov がピアノに向かい 'The Passacaglia' を弾くのが観られるがこれがヘンデル生誕300年記念映画の演奏としてふさわしく、素晴らしいものだった。 後ほど You Tube でこれを再度聴こうと検索すると次のものが出た。

http://www.youtube.com/watch?v=ZM-quRm71Vk

ここでは1979年のコンサートツアーの録音が見られ、ことに嬉しかったのはまだ若い Andrei Gavrilov のとなりにリヒテルがならんで楽譜のページを繰るのがみられることだ。 本作の演奏のほうが録音といいダイナミックさということでは映画にふさわしいものではあるけれどこのコンサートの録音の10年ほど前にまだ自分が浪人生の頃、大阪の天王寺図書館からリヒテルがベートーベンが使ったピアノでベートーベンのピアノコンチェルトを弾いたLPを借りて聴きいたく感動したことを思い出し、それを懐かしく思ったものだ。

鰊とパンの申し込み

2013年09月20日 01時24分27秒 | 日常

10月3日はライデンの祭りでこの日は一日色々な伝統行事で一日中この町は賑やかだ。 オランダ史上80年戦争の末期、1574年スペイン軍に包囲されていたこの町が解放されたのを記念して毎年市民に鰊とパンが振舞われる。 その日の朝、7時ごろから町の公式計量所の建物でバンドの鳴り物入りで鰊とパンが配られるのだがそのためにその交換券の申し込みが毎年この頃、9月の中頃の木曜日にある。 我が家には4人分、八尾の鰊と子供の頭ほどの丸いパンが二個もらえるのだし、もうそれを何度もそれを経験していてそのことをここにも何回か書いているけれど一昨年については覚えていないものの去年は夕食後もうそろそろ申し込みの日だなと思ったその日が当日で悔しい思いをした。

昼前に整体士のところで身体を捻じって痛みが大分引いていたとはいえまだ右脚に痛みが残っているのでどうかと思ったけれどセラピーのつもりで申し込みの行列に並ぶつもりをして開場の4時半についたらもう100mほど列が出来ていた。 その一番後ろについて思ってみた。 人口10万人ほどの町で2割の人が申し込みをするとして5人家族だとすると4000人が4時間半ほどの間にここにくる勘定になる。 もう何年もの経験でこの申し込みにしても祭りの当日の朝にしても大抵今と同じここあたりから始めることになり1分で1m行列が移動するとすると100mだから100分かかる。 脚の痛みからしてずっと列に従ってそろそろと移動するのが無理なような気がしたけれど周りの人も言うように今年は行列が早く進むこととなり結局60分ほどで中に入れた。

シルクハットとモーニングで正装した町の世話人たちが坐るところに行って家族の人数を証明するものとIDカードを見せ世話人が書いた住所氏名と人数を書いたカードの写しをもらいそれが当日の引換券になる。  それをもって外に出ると雨が降り始めていた。 列は短くなっておらず傘をさしたりコートの襟を立てた人たちがバンドの賑やかな音楽に景気付けられて賑やかに動きながらゆっくり移動していた。


今日この秋初めてセントラルヒーティングにスイッチが入った

2013年09月17日 21時35分35秒 | 日常

急に雨が降り出し自転車を停めてポンチョを被りまた漕ぎ出すというようなことがこの2,3日頻繁になっていて、今朝医者のところに痛み止めの処方をもらいに行くときもそうだった。 濠に沿って自転車を漕いでいて白い花が咲いているのに気を気を惹かれそれを写真に撮っているとパラパラときた。 9時前の家庭医の待合室には一人しか待っておらずこんなことは稀だった。 5,6人いるのが普通だから自分で何か本を持って行ってそれを読みながら半時間は待つ覚悟なのだが今日はすぐだった。 中に入ると整体士からメールが入っているからと言って医者はそれを読んだあと、自分のカルテと比べて持病と折り合いのいい鎮痛剤に加えて還暦を過ぎているから胃の薬も処方され、もう患者がいないからあとは雑談となった。 互いのバカンスの話をしてその中で彼がボランティアとしてこの夏2週間ほどネパールの病院で働いたときの写真を見せてもらった。 あの国はまだまだすることが沢山あるけれど水の悪さと衛生問題がその最たるものだという。 整体士からの報告じゃあんた独身となっているけど別れたのかい、と言われてびっくりした。 整体士でありフィットネスのインストラクターでもあるペーターは家人が水曜夜に通っていることを知っているのに不思議なことだ。 それを訂正して薬の処方箋を手に診療室をでた。

家の近くの薬局で2種類の鎮痛剤と胃薬を受け取ったうち胃薬は健康保険から落とせるけれど鎮痛剤は適用外だといわれ1500円ほど払わされた。 保険料を毎月1万円ほど払い、年額3万5000円ほどが自己負担だそうだ。 これが高いのか安いのか分からない。 15万以上かかるとなると向こうが払う事になる、ということなのだが今まで皆健康だったからそんなケースというのはどんなケースなのか見当もつかない。 例えばちょっとした病気になり短期でも入院となると軽くそれ以上になることは想像がつくけれど我々にはまだそんな経験がないのでそれは幸いというべきか。 だから健康保険料が高いか安いか分からないということだ。 もし整体士の治療がまだこれから長くかかるようになるとしたら保険の適用範囲を広げて保険料の増額も考えなければならないかもしれない。 もう今回2度整体士のセッションがあったけどこれからまだ何回やらなければいけないのか予想もつかないし、これらが自己負担となるのでその請求書の額も気になる。 こういうことは若いときには考えたこともなかったしこれが今までテレビで散々報道されている医療費のことなのだけれど今までは自分には関係ないと見過ごしていたものがここにきて自分の身に降りかかってきたことを実感する。 冷たい秋に入って実感する人生の秋の風景だ。

薬局を出るとまた冷たい雨がパラパラと降り始めた。 家にもどり先ほど撮った写真をみるとヒルガオだった。 オランダではアサガオはあまりみないけれどヒルガオはあちこちでみる。 大抵は雑草として生えていて庭に植わっているのをあまりみない。 それにしてもヒルガオは夏にみるような花の印象で、寒くなって曇り空の下でこの気候に不似合いな白い花を見かけたからカメラを向けるつもりになったのだろう。

日中気温15℃、夜間9℃、降ったり止んだりの本格的な秋だ。 室内を18℃に設定してあるセントラルヒーテングにこの秋初めてスイッチが入った。

近くを6.5kmほど散歩した

2013年09月16日 21時17分00秒 | 日常


日曜昼前に起きた時喘いだり叫んだり悪態をつきながら痛みに耐えつつベッドから降りるというようなことをしないで済んだ。 さて、痛みがないというのは不思議なことだった。 この一週間ほど毎日右脚の痛みに悩まされている。 毎日その痛み方のパターンが変わる。 何れにせよ久しぶりの無痛起床だった。 昨晩の残り物、カレーをチンし、それを朝昼兼用の食事として腹に収め、水と薬、それにポンチョをリュックに入れ、ウォーキング・シューズを履いて歩き始めた。 この2,3日痛みのパターンが逆転して、立ち続けていると問題もなく普通なのだが坐ったり腰掛けたりすると15分ほどで痛み始め、それを宥めるのに立ち上がってあたりを歩く、ちゃんと歩けるようになるまで痛むというようなパターンだ。 だから歩くことで脚のリハビリを兼ねて近所を歩くことにした。 それに夕食の支度もしなければならないのでスーパーにも寄るつもりもしていた。

家の前の運河を向こう側に渡り、3年ほど前までときどきジョギングをしていた公園を通り抜け家から2.5kmほどのところにある橋をこちら側にもどって市内に向かうコースを予定していたのだったのだが歩き始めて初めの1kmぐらいは脚が痛んだ。 痛さをこらえそのまま歩き続けると徐々に治まり普通に歩けるようになることを知っているので無理にそのままゆっくり歩いた。 その時、朝痛みがなく起きることができたことを不思議に思いそれを考えていると思い当たることがあった。 明け方に飲んだ鎮痛剤がまだ効いていたのだと気付き今の痛みはそれが消えて痛みが戻ってきていることの証拠だと分かったのだった。 だからこのように痛みが戻ってくるに従って出るとき考えたコースをちゃんと歩けるか少々不安にもなる。経験では歩き続けるとそのうち脚がそれに慣れて痛みが退き後は次に坐るまで普通に過ごせるということだからそれを見越して痛みもじきに消えると見込んでの出発だった。

運河沿いの道をジョギングする人たち、家族でサイクリングするひとたちとすれ違ったり追い抜かれたりしたがこちらの方は少々猫背気味で顔をしかめながらゆっくり歩いたり、時には道端の柵に寄りかかったりしているのだからそれを見た人が妙に思っているのが分かるけれどここは空元気をだして進む。 1kmを過ぎても痛みは去らず少々不安になってきて1.5kmほどのところにある手前の橋を渡って家に折り返そうか、とても駄目ならタクシーを呼べばいいと考えながら跳ね橋のところに着くと橋が上がっていた。 もう夏も過ぎレジャー・ボートの時期も終わったのかポツンと一隻だけが狭い関門を通り過ぎていく。 人々がそれを眺めながら橋の袂で待っている。 この橋と平行に単線の鉄道が走っておりその橋もこの跳ね橋が上がるときには跳ね上がらずに橋の部分がこちらに弧を描いてスイングする方式なのだ。 ユトレヒトに行くこの鉄道はあと何年かで増便されることになっていてそのためこの橋から5mほどのところにある踏切が開かずの踏み切りとまでは行かずともそのようになる恐れもあるからトンネルで道路を線路の下を潜らせる計画があることがこのあいだ回ってきていた回覧板に載っていた。 あと5年ぐらいはかかるのではないか。 それにしても不便なことだ。 それをやってもここでも橋の状況はかわらないだろう。 オランダでは運河を走る船舶にはステイタスがあるようでそれはオランダが水上交通によって発展してきたという歴史的遺産、もしくは慣習になっているからだ。 何れにせよ夏の暑い日中、バカンスのプレジャー・ボートを通すのに10分ほど道路の一部が跳ね上がりそれによって交通が遮断される、というのはオランダでは見慣れた普通の景色なのだ。 けれど電車が船舶を待つということはないのでここでは船舶の待ち時間が長くなるということだろう。 夏のバカンスの時期には橋が上がるのを待つ船舶が橋の両側に溢れるにちがいない。

跳ね橋が下に降りて元に戻り、そこを渡る頃には脚の痛みも大分薄れていてそれでも念のために初めに計画していたもうひとつ向こうの橋にせずこの橋を渡り町の中心に向かって歩いていった。 ここまで来るともう日頃のウォーキング並に戻ったけれど今日のはリハビリ目的だったから歩き慣れ、自転車で走り慣れた町だとちょっと面白みに欠ける。 それでもいくら見知った町でも何か今まで気付かなかった新しいこともあるし町はいつも変化しているから退屈はしない。 スーパーの入り口で去年定年した同僚の前の奥さんに会った。 先月彼らの息子に子供が出来たと同僚が写真と共にメールを送ってきていたのでそのことを言っておめでとうと共に祝福のキスをした。 この人は韓国人で25年前にハーグのはずれにある町に住んでいたときのお隣さんだった。 この人にピアノを習っていたのだけれど二人が別れてしまったからそれ以来ピアノはバイエルの50番台で停まったままだ。 彼女は孫が出来たことがまだ信じられないと言った。 いつまでも自分はまだ若いと思っているのだ。 立ち話をしていると歩かないので脚が痛み始め、それを言って別れた。 スーパーの中に入ると歩いたり身体を動かすから痛みも治まり、リュックに5,6kgほどの買ったものを詰め込んで帰路についた。 公園を抜け水濠の縁の緑地の部分を歩いているとまだ遊覧船があるらしく年寄りのグループがこちらを見ながら自分を追い抜いていった。 もう気温は18℃ほどまで下がってきているし天気も薄曇で肌寒くなってきておりはっきりと季節が変ったのを実感する。 痛む足にはこんな天気が似合っている。

家につき夕食を作り食卓につくと20分ほどでまた痛みが戻ってきて食事中に立ってそのあたりを歩き痛みが治まったら食卓につくというようなことをした。 6.5km歩いたのはいいけれどそれで効き目があったのかどうかは疑わしい。 月曜日の午前中にフィジオ・セラピスト(整体士)に2回目の予約をとってあるけれどどうなることやら。