暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Mon. 30-01-06 擬似肉のフライ各種とクスクス

2006年01月31日 17時05分36秒 | 喰う
擬似肉のフライ各種とクスクス


朝   トースト バター 蜂蜜
    トースト バター 苺ジャム
    ムルクティー 500cc


昼   ミンチボール
    フレンチフライ
    炭酸水 250cc


夕   擬似肉のフライ各種
    クスクス
    ミックスサラダ
    炭酸水 250cc

    ヨーグルト

    コーヒー 250cc

夜   炭酸水 100cc
    固焼きおかき
    玉露 250cc

Sun. 29-01-06 日曜定番スパゲッティ ボロニェーゼ

2006年01月30日 10時17分12秒 | 喰う
スパゲッティ ボロニェーゼ


朝、昼    クロワッサン
       トースト バター 蜂蜜
       トースト バター 苺ジャム
       ミルクティー 500cc

午後     グレープジュース 400cc
       インドネシア風つまみ


夕      スパゲッティ ボロニェーゼ
       インサラータ
       炭酸水 250cc

       レイシ(ライチ、茘枝)4個

       コーヒー 250cc
       へーゼルナッツケーキ 小片

晩      夕べの残り
       ビール 300cc
       レイシ(ライチ、茘枝)3個

Mulholland Dr. を久しぶりに見た

2006年01月30日 09時22分03秒 | 見る
Mulholland Dr. 6980だったかな、その住所は。

D.リンチの映画はあまり観た事はないがもうほぼ10年以上前かテレビで「ツインピークス」を観て妙で典型的なアメリカの材料ではあるけど決定的に違う、ヨーローッパだな、と我々夫婦が毎週テレビの前で、こいつおかしいよ、と観ていたのは。

妙な人はどこでもいるのだが、アメリカ映画全盛の中でこの人のはハリウッド的ではないから引っかかったんだろうとおもうけど、今夜見ようとは思ってなかったのだけど見てしまった、それも中途半端に後半ぐらいからだろうか、久しぶりに見たのは。

妙だな、そういえば昨日か、ラジオでロッテルダムの映画祭にこの人来てるって、そして、インタビューのなかでまた悟ったような韜晦の妙なこと言ってたから、明日は早いのに、それに録画したばかりのフランス映画観ようかとしていたのを少々邪魔された感じだ。

で、この映画、3,4年前に観ていてひょっとすると全部見ていないかもしれないし、そのとき肝心なところで何かに邪魔されてどうも肝心なところをみていないのかの様に腑に落ちないところがあったと記憶している。

多分全部見ていて忘れているのだろう、構造が入れ子模様であったり、遊びがたくさんあって、何か分からぬ間に筋をたどっていけばハリウッドのカリカチュワだったり、妙なアメリカの亡霊、精霊とでも言ってもいいけれど、テンガロンハットかぶったそんなものが出てきたりするから。

主演の女優は明らかにヒッチコックの「鳥」の女だな。 どんどん変質していってもどるようなところはまるでヒッチコックとはちがうけど、それでもヒッチコックへのオマージュとしてみられぬこともないか。 肉感的なセックスにしてもアメリカ映画の一番おいしいところだけれど、リンチの映画はメジャーかマイナーか知らないけれども、とにかくここでは異性愛は仮であって演技のツマとして出てくるだけの反転仕込み、風刺が充分効いて、自虐的ですらある。 同性愛の美しい場面をとるがせりふの一つ一つにもプロットが振ってあってあとの修羅へのキーワードともなっているようだ。





夕日

2006年01月30日 02時07分41秒 | 思い出すことども
もう大分前からこの、カテゴリー、つまり、「思い出すことども」を作ろうと思っていたのだが、だらだらと今日まで来てしまっていた。

この年になっていろいろと子供の頃の話から、人に聴いた話、日本、オランダ、その他の物事のことを思い出す度にメモ代わりとして書いていこうと思う。

それで、今日の話。  

家人と二人で小さな町の小さな画廊のオープニングに出かけたのだ。 知り合いが詩を朗読するといい、それにそこにこれまた別の知人が何枚かの絵を出展しているらしい。 この街は焼き物で名を知られたデルフトという街で、我々もここはかなり近くであるにもかかわらず、1年に2回行くか行かないかというほどのところだ。 勿論、街はどこに何があるのかは知っているし、観光地めぐりのような歩き方がそんな頻度だということだ。 知人が何人か住宅地に住んでいるし、道楽の射撃では1年に10回以上もこの町のクラブの射撃場にきているけれど、それは町の外で市の中心とから離れているからデルフトに行った、という気があまりしない。

ここ何年か立て続けにオランダ王室の現在の女王の父母、連れ合いが亡くなり、その度にこの国の建国に尽力したとされる王が葬られている教会で葬儀が営まれ、また、皇太子、子供たち、甥、姪たちの結婚式も隣の教会で執り行われ、それらがテレビで実況中継されているから、国民にはここのところ、この町は馴染みが深いものとなっている。

で、日曜の午後、オープニングが終わって、久しぶりになんと言うこともなくぶらぶらと通りを歩いて氏の中心の広場を横切り氷点のあたりに留まる大気であるけれど青空が出て気持ちのいい午後の光の中、しばし日常から離れた気分がしたのだが、車を駐車場から出して帰路短い高速の運転で北東を目指して走っていると、バックミラーに夕日が地平線にちょうどのっかかっているのが見える。 赤くて大きいもので周りの青空に映えて温かみさえ感じる。

こういうとき、ときどきこの光、この夕日はあのときのものだ、と直感するときがある。 これは多分、11月、晩秋に奈良の公園から戻るときの、また、生駒あたりに沈む夕陽だと思った。 

こういう夕陽は若いころ近くの800mほどの山に登って里に下りてきたとき、帰りのバスをそこで待つときに見た夕陽でもありそうなものだが、それはイメージとしては大きく前面には出ない。

もちろん、上に書いた奈良公園で見た夕陽なるもの、根拠があるのかどうかは定かではないが、何度もそういう夕景を歩いた記憶はあるので、多分そういうことなのだろう。 奈良の駅から電車に乗って大阪に戻る車中では大抵もう外は暗くなっていて人々のうちには電灯が点り一層帰心をあおる風だったのも記憶の中にある。

今日の日没は午後5時20分あたりだったと思う。 日が長くなってきたように感じる。

Lee Konitz  &  Rein de Graaf   Duo

2006年01月29日 11時08分49秒 | ジャズ
2006年 1月 28日 オランダ ライデン市 

Lee Konitz (as)
Rein de Graaf (p)    デュオ演奏会

ライデン市のジャズ同好会が主催して小会議室然とした広間にパイプ椅子を100席ほど並べたコンサートである。 これまでは文化補助金のおかげで無料, たとえ有料でも1000円以下のものが今回からは一人あたり1500円と格段の上昇率であるのにもかかわらず会場はほぼ満員となり120ほどの聴衆を得てこの日、スタンダードを中心にしたプログラムは始まった。 30歳以下の聴衆は10%程度でありこのアルト奏者の息の長い人気を示すものだがあちらこちらに散見する若者はこのアルトを既に聞いているように見えた。

ピアノは長年にわたり内外の数々のジャズメンとの共演経験の豊かな円熟したライン・デ グラーフであり今回のコニッツの演奏旅行には同行する模様だ。 このコンサートに2日先立つアムステルダムの演奏会では司会の役割も果たしていたが、そのときはコンサートホールの体裁であり、今回は市民会館の小講座風のこともありデ・グラーフはあくまで脇を固め、コニッツはその分、観客との距離もなく自身から話しかけ、冗談を交え興がのれば聴衆からのリクエストも募り、時には遊びで聴衆に単音のハミングをせがみそれにのせてブルース、即興のフレーズを繰り広げると言う場面もあり、2日前とは全く違った雰囲気を見せた。 初めの数曲の間にマウスピースがゆるく、座りが不安定でそれに見かねた客が差し出す紙片を巻いて調整する場面も見られたが、これも互いに勝って知った聴衆であり、これが一層この日の演奏を自然なものに持っていく助けになったのかもしれない。

曲目はスタンダードが主で下記の類であった。

The Way You Look Tonight
How Hight The Moon
Green Dolphine Street
How Deep Is The Ocean
Imoprovization (Free Piece)
Cherokey
Blues, Now The Time
What's New
Speak Low
Lover Man

このピアノのとのデュオではっきりしたのは2日前のコンサートでも見られたものの、アルトとピアノのスタイルの違いである。 二日前では異なった楽器のアンサンブル、デュオ、トリオ、カルテット、クインテットと多重の関係を紡いで様々な織物の色合いを現出していったわけだが、コニッツを除いていわゆる趣味のよいパーカー前後のバップであり、トリスターノは経由していないように感じられたが、ここではソロかデュオであり、その違いがこのデュオとしての演奏で一層明確になったようだ。 このデュオで美しくも変幻自在な、ドビュッシー、ラベルを思わせる両者の空間を行き来するコラボレーションはあとで尋ねたら純然たる即興であったと説明されたとはいえ、そういう違いが例えば97年12月のへーデン、メルドーとのブルーノート版ライブの二枚、特に「AloneTogether」と題されたアルバム、またギターのP.バーンスタインとP.ウッズのリズムセクションとの「Parallels](Chesky JD213)と題されたアルバムとくらべて顕著であった。

トリスターノに始り独自のアルトを探求して今、肉体的には往年の機動力は衰えたとはいえ一生を通じて精進、探求してきた精神、態度は何週間か前にも聴くことが出来たハンク・ジョーンズや他の多くのジャズメンたちと同じく感動するものであった。

(後記)

演奏の後、後片付けの会場の片隅でコニャック片手のコニッツ氏と立ち話で聴いたのは、本人はこの日、東京か大阪のブルーノートで演奏予定だとのつもりがエージェントの差配でオランダ小ツアーになったとのこと、氏にこの20年ほどの各国の印象を尋ねたら逆にオランダの状況も訊かれる事となり、その2日前の演奏会の後舞台のすそで氏と和やかに話していた若手アルトの例を挙げれば他の国に比べてオランダの基礎、専門教育の整っていることを言いその若者は4年ほど前に氏自身が審査の一員として選んだコンテストで17歳のグランプリだと教えられ、今回再会して一層の進歩と背丈の伸びに驚いたと言われ、さもありなんと納得したのだった。 


Sat. 28-01-06 贅沢版ブールコールスタンポット

2006年01月29日 10時58分55秒 | 喰う
贅沢版ブールコールスタンポット


朝   クロワッサン
    トースト バター 蜂蜜
    トースト バター 苺ジャム
    ミルクティー 500cc


昼   黒パン
    ハム  卵ペースト
    炭酸水 200cc

    コーヒー 100cc

夕   贅沢版ブールコールスタンポット
    茹でじゃが芋、ブールコール
    ひき肉、ニンニク、玉葱、長ネギ、人参
    胡瓜の酢の物
    炭酸水 250cc

    苺入りヨーグルト

    コーヒー 250cc
    へーゼルナッツケーキ 1切れ

夜   ビール 300cc
    炭酸水 100cc
    クリームビスケット 小2枚

    玉露 250cc
    ワサビボール 

Fri. 27-01-06 金曜定番恐怖のブリトス

2006年01月29日 03時24分36秒 | 喰う
ブリトス


朝、昼  インドネシア風鶏の煮物
     白米
     炭酸水 400cc


午後   オレンジジュース 400cc
     ポテトチップス


夕    ブリトス
     ミックスサラダ 
     炭酸水 250cc

     コーヒー 250cc
     クッキー

夜    オレンジジュース 400cc
     ポテトチップス

夜中   玉露 250cc

Thu. 26-01-06 インドネシア風鶏肉の煮込み

2006年01月27日 11時24分51秒 | 喰う
インドネシア風鶏肉の煮込み


朝、昼   トルコパントースト  バター 蜂蜜 
         ”        ”  苺ジャム
      ミルクティー  500cc


午後    炭酸水 200cc

夕     インドネシア風鶏肉の煮込み
      インドネシア風温野菜、いんげん豆
      ミックスサラダ
      白米
      炭酸水 250cc

      自家製プリン

      コーヒー 200cc
      ビスケット

夜     白ビール 300cc
      コーヒー 300cc
      ビスケット

夜中    冷酒 50cc
      ワサビボール
      フルーツジュース 100cc

Lee Konits & Ack van Rooijen at BIMHuis 26-01-06

2006年01月27日 11時08分20秒 | ジャズ
Tue. 26 January 2006 at BIM Huis

Lee Konits (ts, ss)
Ack van Rooijen (cor.)
Mauris Beets (b)
Erik Ineke (ds)

1927年生まれだからそろそろ米寿になろうかというアルトの偉人である。 

ステージはピアノ用のマイク2本と, ベースがいつも持ち歩くちいさなアンプのふたつだけで、このベースの響きは普段カフェでのセッションなどでは他の電気で増幅した楽器に押され気味で聴き取り難いことが多いのだがこの夜はアンプの増幅がしてあるのかどうかも定かでないほどの自然のウッドの素晴らしい響きだった。 

このアルトはステージの背景の、この夜はカーテンをあげて一面ガラスのアムステルダムの夜景を見ながら物思いにふける場面が多かった。 つまり、合奏、ソロ以外の演奏の合間の光景なのだが。 観客に背を向けて美しく遠景が望まれる、教会や他の博物館のシルエットを眺めながら物思いにふける風なのだ。 ちょっと公園まで散歩に出たような格好そのままで、そのように機動性に富むのはこのアルトはマイクを通さないでそれゆえに普通マイクがしつらえてある舞台中央にも殆ど出る必要もなく飄々とした風情で自分の音楽を形、場所にとらわれずに自分のいる場で作り上げようという姿勢そのままだからだろうか。  とはいえ、何度かベース、フリューゲルホーンとのデュオの時には正面に出たかのもしれないが、それでもこの夜のスタンダード中心のプログラムでテーマや曲の中で他の楽器とユニゾンで奏する場合でも舞台の端、後ろピアノの陰などから参加する様子は他のメンバーが生徒でその周りを本を片手に様々な朗読をして歩く国語教師然としていたのだった。


演奏曲目は概ね次の通りである。

How Deep Is The Ocean

Alone Together

Stella By Starlight

Cherokey 他2,3曲


第二セット

Body & Soul

Softly As A Morning Sunrise

There Will Be Another You  他数曲

それぞれの長いソロがあり、さまざまな組み合わせのデュオあり、また、トリオ、クインテットと多彩な音がアムステルダムの夜景をバックに現出した。 さすがに往年の指捌きはみられないがその分内向、思索する深みが増し、その表現には抽象というより探幽という言葉が適当ではないかと自問した。 禅の道の例え話に牛を追う話がある。 形を求め深山に入り牛を捕まえるのだがそのうち捕まえることにこだわらず、捕まえても今はその行為さえも何であったかかかわりをもたない、そういう状態、そういう世界が一種このアルトの状態であろうかとも思えるのだ。 曲なり曲想を追うのだがこだわりはない。 あきらかにコニッツの音なのだがそこにはもう自我のかけらが見られずただ音が現れている状態だと言う風にも聴こえる。 こう考えるに至ったのは音の輪郭をたどるこのアルトとあまたある巧者のアルトを比べてみてその比べることの無意味さに思い至ったからである。 

こういう想いを喚起するコンサートに臨席できて幸いであった。

なお、コンサートのあと本人に何枚かのアルバムのリーフレットを見せて一番の気に入りにサインしてもらうべく催促したところ選んだのが 1961年録音「Motion」だった。 また、その後、舞台の袖で静かにK氏に質問するオランダ・アルトの若手のホープの真摯な態度と丁寧に説明するユーモアを交えた氏のたたずまいは印象深いものだった。

Tom Beek 4 26-01-06

2006年01月26日 10時38分20秒 | ジャズ
オランダの若手を代表するサックス奏者である。 といってももう30代の半ばであり、いままで数々のセッションに参加していて自分のリーダーアルバムを最近だしたばかりの上り調子である。 ハーグ、ヒルバーサムの両音楽学院を優秀な成績で卒業、テナーを中心に活動するが、ソプラノはもちろん、フルート、バスクラリネット、アルトとマルチ・リード奏者として認められている。

ホームページの中のCDのところで最新作を聴くことが出来る。

http://www.tombeek.nl/

最新CDではT.Bが育った街の、それもほぼ同世代で同窓のギター、ピアノのクレジットであるが、この日はピアノがやはり巧者のJ.Sである。 この日のカルテットは次の通り。

Tom Beek (ts)
Joost Swart(p, Fndr Rhods)
Martijn van Iterson (g)
Frans van Hoeven (b)
Marcel Serierse (ds)

W.ショーターの曲でスタート、自作のフュージョン調のMarathonで若い層にアピールしたあとはH.ハンコックのドルフィンダンスで時代を30年ほど時代を返り、自作のフュージョン曲に戻るといった構成である。 ブレッカーやサンボーンのこぶしはフュージョンではほぼ定番であるが、ここでも例外ではない。 コルトレーンのネイマのイントロではフリーのインプロヴィゼーションが聴かれるかと期待したのだが、ショーターに基本を置くスタンスではパワーと熱気というものは期待できない。 ギターにしてもソリッド・ギターを駆使してのフュージョン仕様ではブルースロックという風な少々いまでは古風な名前も喉にでそうであるが、このMvIが数ヶ月前にこの街の老舗のジャズカフェで若手のフュージョンバンドに客演したときに聞かれた80年代前半、マイルスバンドのM.スターンのギターを思わせる颯爽とした音の流れがこの日にも何箇所かで味わうことが出来た。

寒い冬の夜を吹き飛ばすために企画されたこの町のジャズ・フェスティバルであるが、他の会場の殆どがドイツカフェで演奏される酒盛りのための音楽にも聞こえるものの多い中で、そのあおりなのかこの会場があるときから急に聴衆の数がビール臭とともに膨張してそれと共に徐々に熱気を加え、それに伴ってか舞台締めくくりのT.B作のGrand Centralでは各自の指が温まりフル回転し、この晩の制御温度の上限まで上り詰めた様子だったのだ。