暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Ship of Fools ; 見た映画 Oct. 07

2007年10月29日 10時15分36秒 | 見る
愚か者の船
 (1965)
SHIP OF FOOLS

149分
製作国 アメリカ

監督: スタンリー・クレイマー
製作: スタンリー・クレイマー
原作: キャサリン・アン・ポーター
脚本: アビー・マン
撮影: アーネスト・ラズロ
特殊効果: アルバート・ホイットロック
音楽: アーネスト・ゴールド

出演: リー・マーヴィン
ヴィヴィアン・リー
ホセ・ファーラー
ハインツ・リューマン
オスカー・ウェルナー
シモーヌ・シニョレ
マイケル・ダン
ホセ・グレコ
ジョージ・シーガル
エリザベス・アシュレイ
チャールズ・コーヴィン
リリア・スカラ

 62年に発表された長編小説『愚者の船』を「ニュールンベルグ裁判」のメイン・スタッフが映画化。内容は1933年のある日、メキシコのベラクルスからドイツのブレーメルハーフェンに航海したドイツ客船、ベラ号の船上の人々の物語である。ある者は肉欲に、ある者は金に醜い姿をさらけ出す。ある男女は閉じられた未来を激情の中に忘れ、ある娘は開かれた未来の中に歓びを探し求める……。欲望と虚飾、愛情と軽蔑、セックスと背徳、狂信と忍耐、饒舌と沈黙、生と死、善と悪、好奇心と無関心、そして喜劇と悲劇が交錯する。登場人物が多彩な、いわゆる“グランド・ホテル形式”の映画で、ヒットラー政権が誕生した33年の物語というためであろうか、「ニュールンベルグ裁判」同様、白黒撮影である。しかし、原作に縛られて映画として大胆に昇華できず、船上という世界と隔離されたニュアンスが生かしきれていない無念さが残る。タイトルの由来は、小人の船客が船上の面々を自分をも含めて皮肉ったもの。アカデミー賞では8部門で候補になり、撮影賞と美術監督賞を受賞した他、O・ウェルナーがNY批評家協会で、L・マーヴィンが本作と「キャット・バルー」の演技によりナショナル・ボート・オブ・レヴューと英アカデミー賞で主演男優賞を受賞。なお、V・リーの最後の出演映画でもある。

以上が映画データーベースからの情報であるのだが私がこの題名を知ったのは60年代の初め叔父の書架にあった世界好色文学の一つでありフランスの召使譚から蚤が湿り気を求めて女体を駆けめぐるような荒唐無稽なものが連なっている中の一つだったように記憶している。 後年、この作家が果たして好色文学のカテゴリーに入るのかどうか分からないままに、ナチス台頭の状況下で人はどのような過去を持ち各自の現在を生きるのかというような話だと漠然と承知していた。

長編小説であるそうな。 映画はその中の政治性を端折って製作されたもののように想像するが2時間半かかって結末に持ち込む作品は登場人物群の物語としては必要な長さなのだろう。 

父の日のプレゼントとして安っぽいハリウッドのDVDを贈られそれを返品し、代わりとしてその店の投売りバスケットに入っていたものだった。 ヴィヴィアン・リーとリー・マーヴィンの写真が見えたから拾い上げたのだが、もうそこでは好色文学の映画化うんぬんは頭にはなかった。 逆に鑑賞後、これのどこが好色なのか訝った。

二人のリーは別として後年、探偵ものや戦争もので見たジョージ・シーガルをここで又見るのは以外な気がした。 70年代には中年のとば口で活躍していたのだから今おもえば別段不思議でも何でもない。 それに途中から乗船するメキシコ人移民のなかに昔、白黒テレビシリーズ「怪傑ゾロ」の軍曹で出ていたかの俳優もその時代を感じさせられた。 航海船上の物語であるから登場人物の物語が浮き彫りにされ、絡み合うところに面白さが現れるのだろうが、ドイツ船籍の客船の物語ではドイツ人が中心の話であるからメキシコ、スペイン人の描写はそれとしてドイツ訛の英語を皆に話させ、そこに無粋なアメリカ人野球選手リー・マーヴィンを配するとまさにこの年齢の役割にぴったりのヴィヴィアン・リーとあいまってこの映画に光彩を放つようだ。

船医の屈託はドイツの憂鬱を製作のアメリカ側からみたものとして描かれているのかという下衆の勘ぐりが起こりそうになるのだがそれも穿ちすぎなのだろうか。

味噌汁の残りを飯にかけて喰う

2007年10月28日 23時13分15秒 | 喰う
日曜の午後、といってもほぼ曜日の区別がつかなくなっているものには、昨晩3時に一時間針を戻して夏時間から冬時間に戻った、というぐらいのかすかな意識しかないのだが、ごそごそ起きだしてシャワーを浴びたところで、さて、昨日の残り物の他人丼で朝昼兼用の食事を、と台所に来て唖然とした。

オランダでもそろそろ知られてきた和牛風に肉を薄切りにして、といっても和牛はステーキが知られているだけでカルパッチォはあるにしてもそれは前菜で、こちらではまだ普通には薄切りはない。 毎週でかける肉屋にハムなどをスライスする機械に肉の塊を載せ、それを削いで薄切りにしてもらうしかないのだが、キロ1800円ほどのものを500グラムほど目の前で削いでもらった。

主食用としてではなく数々種類のあるハムや、豚肉をハーブで蒸して味付けした肉を薄く削いだもの、ローストビーフを極薄く削いでパンの上に載せて食用にするようなものが盛られたセクションでは薄切りは見られるが主食用の肉類の陳列ケースでは小さいものもあるにしても様々な肉塊が普通だからこちらから指示して切ってもらわなければいけないし、家で削ぐにはむらがでる。 あらかじめ予定が立っていれば冷凍庫に固めておいてそれを取り出し半分解けたところでよく切れる包丁で削げばそれなりのが出来る。 けれどいちいちその手間が面倒でほとんどやらない。 肉屋にしてもオランダ各地ではこの方法でアジア人の需要に答えていると聞く。

たまたま赤味と脂がうまく混ざった塊が今週のサービスとして見えたから今夜は他人丼に、と求めたものだ。 肉屋の主人も「Het lijkt Japanse Wagyuu, niet? (和牛みたいだろ?)」と言いながら柔らかい塊を薄く削ぐのに苦労しながらぎこちなく削がれ少々雑にまとめられたものをこちらに渡しながら、それじゃおまいさん、これをどのように喰うのかと聞いてくる。 

アメリカでも少しは知られてきたビーフ・ボウル、牛丼というんだけどね、まあ、すき焼きと味の系統はおなじで、それに卵を加えるんだけど、ええとね、、これからマーケットにでかけて葱を3束ほど、キノコ専門店で今あちこちの森から摘んできたキノコの盛り合わせを50gと茶色の髭の無いしっかりとしたモヤシを50gとその脇の中国食料品屋で堅めの絹漉し豆腐をミソスープ用にね、モヤシはビーフ・ボールにいれるんじゃないよ、ミソスープ、しってる? ああ、名前だけはね、なんかソヤビーンのペーストだろ、そうそう、それにデザートは出始めたスペイン産ミカン、クレメンタインがピンポンビールよりちょっと大きめだから一人3個見当かな、ま、我が家は今夜はそうなるだろうね、と答えると、とウチは今日は魚だわ、とその主人が店のものはつまみ食いはしない、と冗談口を入れ、俺はデザートは梨だな、カミサンに叱られるのだけど腹の脂肪を増やすティラミスにホイップクリームをかけてもいいわ、と肉切り包丁を研ぎながら言うところに客が入ってきて、それじゃ、又来週、とこちらは店を出た。

家で丼の支度をしながらクリームシェリーをどぼどぼと鍋に注ぎながら、肉屋に言い忘れていたことを思い出した。 日本酒を使わなくともこれで充分だ。 こちらで日本酒をわざわざ買って使うのでは家計に響くからだ。 

ごきぶり親父としては夜中にごそごそとエネルギー補給のイラク給油活動ではないがアルコールと食い物を求めて徘徊する。 その供給源としてリザーブしておくのに食事はかなり余分に作っておく。 家族も猫も寝静まった深夜、夕食の薄切り肉がうまく絡まった小さな塊を一つ二つ口にしてビールの小瓶を片手に屋根裏部屋に戻りネットで遊んで明け方寝床に沈没した。

それで、振り出しに戻る。

予定の牛丼ブランチが消えていた。 炊飯器には猫の餌分しか飯が残っておらず、鍋はもう洗われて棚にもどっている。 残りは細かいサイコロが沈んだ味噌汁の小鍋に葱の刻みだけだ。 仕方がないから猫の餌がブランチとなった。 はて、昔、百姓家に何代もいた猫達はこういうものを食っていたような記憶があるのだがオランダの猫は味噌汁のぶっ掛けメシを喰うのだろうか。 試してみようかと思ったのだがオバサン猫にフンとネコマタにされたらもったいないからいじましく自分の口に掻き込んで味噌汁とビールでだぼだぼになった腹でまた屋根裏部屋に戻ったのだった。

やっと新しいデジカメが使える

2007年10月28日 11時45分52秒 | 日常
家人がイタリアのトレッキング旅行から帰ってきて300枚弱撮ったデジカメの写真をCD-ROMに焼き付けてやっとこさ用済みと今のデジカメが私の手元に戻ってきた。 これで一応デジカメではある不便なミニチュアカメラから解放される。

このおもちゃのカメラはデザイン形状ともかなり忠実にライカM-3をなぞり、なんともいえず可愛い精巧な模型でデジタルなのだが今のデジカメに慣れた者には少々まどろっこしい。 第一、今写したものが後ろの小窓に出ないからフィルムのカメラと同じでオペレーションを終えてから情報をコンピューターで見るということになり、これも遊びでレトロの時代がかった趣向でそれはそれで悪くはない。 だから、最新のモデルはちゃんと今様に小さなフロッピーというかメモリーカードも入り、小窓に写したものがすぐ現れるらしいのだがそれは別に欲しいとは思わない。

3週間ほど使用してまたこれは元の小箱に戻り、次に使うのはいつのことになるのだろうか。 

Roland Kirk ; I Talk With The Spirits

2007年10月27日 01時08分27秒 | ジャズ
Rahsaan Roland Kirk

I Talk With the Spirits

VERVE 558 076-2

1964



家にいる時間が多くなってから家事をすることが多くなり、定期的にトイレや浴場の掃除をする。 こういうときには今までCDウォークマンをポケットに何かを聞きながら何十分かをやり過ごしていたのだが、ついに何台目かのウォークマンが壊れて店頭から新製品が消えたこともありi-Podを買って面倒ながらCDを40枚ほど”同調”させて聞いている。

シャッフルさせてブラインドフォールドテストみたいなことをするのだが自分で選んだものだからすぐ分かるから誰がやっているのかを当てる遊びではつまらないのだがそれでも数百曲ある中から組み合わせの面白いものが出てくることがある。

体を動かしながら聴くのだから聴き込むものは避けようと選んだアルバムがこれだった。 ジャズの世界でポップな演奏でありながらガリッとするところもあり、入るヴォーカルもミンガスに似たような、合いの手も重みと軽味がまざり体を折り曲げて家事をするのに合っているようだ。

この人の特徴は全ての音を捉えて反応しようというするどい盲人の感覚をもつジャズマンでありその過剰が時としてジャズのショーマンと誤解された時代もあったのだが今となっては正統なバップとそれ以後を継ぐ時代のジャズである。 典型的なのはカズーやいろいろなおもちゃの笛をマルチリードの延長にあるものとして用い、急に救急車の響きや警官の警笛のようなものが登場することでも特徴付けられる。 これは60年代にはこの人だけではなく例えばミンガスバンドや他でも聴かれたことでもあるがここでは最初の「はと時計のセレナーデ」でそれが始まる。 60年代フォークソングブームが起こったときにはやった「ワシントン広場の世はふけて」に似た旋律で導入されていくのだが、考えてみれば録音当時に流行っていたものだし高校当時、女子高生たちとフォークダンスで繋いだ手の周りに流れていた曲であり、自分が稚拙なギターコードを覚えようと指先にまめを作っていた頃のジャズだと思うと感慨深い。

それに次の「We'll be together/People」のメドレーにしても後年B.Evansを聴いていたころを思い出すし、Peopleのバーバラ・ストライサンドの歌唱とも重なって、その語りともハミングとも言えるCrystal-Joy Albertとカークのフルートとの組み合わせがほほえましくもユーモアがあり思索を滑らかに動かせていく。。

このアルバムの表題曲はガメランの金属ドラムの響きで始まりセクションの終わりには再度登場して間に緩やかなフルートのメロディーが挿入、緩く激しく瞑想風のアドリブが続くということになるのだが、それも様々な想い、幻想、亡霊などの精との対話ということとなり、その次の懐かしいオルゴールの音がはじき出す「Ruind Castle(荒城の月)」とともに自分には中学校当時のブラスバンドで選んだクラリネットを歯並びを調べられすぐにチューバに換えられたことが思い出されてくる。

ジョン・ルイスで70年ごろに聴いた「ジャンゴ」に続く歌詞の味わい深い「マイシップ」で様々な精との対話が出来、それに寄り添うカークの演奏はこのアルバムの前に録られた「Domino]とともに私の好むアルバムなだ。 

そういえば、数年前オランダ北部の小さな村で2時間ほどの演奏のためにシカゴから飛んできたKen Vandemarkが幾つかカークのものを演奏したのでその後、小さなチャペル前のこんもりした可愛い墓石がならぶところで立ち話をしていてどうしてカークなのか問うと、どうしてかなあ、いま、あちこちでやってるからこの墓石の霊のように立ち返ってくるのかもしれない、と言っていたのを思い出す。 

鶏屋の入り口

2007年10月26日 00時29分58秒 | 日常
毎週スーパーで買い物をするショッピングセンターの外れに鶏屋がある。 今ではそれを「だった」、といわねばならない。 今日、そこを通るときにきれいな色のアルミニューム状のフィルムがガラスのドアの内側に貼られているのを見た。

牡蠣の殻の内側、セロファンの光沢、70年代のファッションレーンコートで使われているような輝きかただ。 ひょっとしてそういう色模様の紙を張ってあるのかと少し近寄ってみると光沢が場所によって変わるのでそれは普通のアルミ・フィルムだと分かる。

ここには少なくともこの15年以上鶏屋があって鶏、七面鳥、兎に雉、鶉、フォアグラ、加工品などを置いて、店の前にはオーブンを出して鶏を丸ごとグリルしながらいい匂いを周囲に巻き広げ通る人々の空腹をかきたてるようなところだ。 土曜の青空マーケットではさまざまな匂いが混じる場なのだが70年代の新興住宅地の中にあるショッピングセンターでは匂いが流れてくるのはせいぜいパン屋かこの鶏屋ぐらいなものだろう。

私の記憶ではこの12,3年は同じ経営者で、いつ行っても面白くなさそうな顔で鶏肉を切り分けて言わせるままに秤に肉を載せて対応するだけの男で忙しいこともないから一人だけでぼそぼそと店番をしていた。 あるときに店の改装をそろそろしなければならない、と言っていたのだが、そのあとすぐにヨーロッパにトリインフルエンザが猛威を振るい国中の鶏屋から肉が消えたことがあった。 それが一度だけではなかった。 殆ど何もない店に入っていくと、七面鳥だけがあってフランスの七面鳥は大丈夫だからこれだけだ、といわれ、また、あるときにはその七面鳥だけがが駆除されて入ってこない、というようなこともあった。

結局、ちょっと早いのだが、これを期に引退して定年生活に入ることにして店を閉めたのだが、そこには続けて若い鶏屋が来る、といっていた通り、それから半年ほどして2年ほど前に2mをはるかに超す30代なかごろの男がここに前とほぼ同じような店構えで鶏肉屋を開いたのだが、どうも客が定着しない。 店の内容も少々投げやりなところが見えなくも無くいつも手持ち無沙汰で、私が数軒先の魚屋でビールを飲みながら魚の揚げ物で昼食を立ち食いしているとその店に入ってきて魚屋夫婦と立ち話をしていることがしばしばあった。

そのあとしばらく閉店と張り紙が出て、このアルミのフィルムだ。 開店のときからの投資額も回収していないのにもかかわらずもうこのまま続けていっても見通しがたたないと見切りをつけてしまったのだ。 

この店の筋向いには八百屋がある。 そこは新鮮で質の高い野菜、果物をおいているのだが私が買い物をするときには時間に追われて大抵の野菜はごっそりスーパーで買ってしまうから、客の数も少なく、運命は鶏肉屋と大差はないのだが、しかし、ここでは50代なかばの主人夫婦とその若い息子が当分の間は店を切り盛りするだろう。質のいいこの店にはいつも客は見えて私も量はすくないものの、スーパーに無いような果物や野菜を買う。 

スーパー間の競争が熾烈で国境を越えた資本の買収、経営統合がしきりにニュースで聞かれ、その陰で家族経営の商店が消えていく。 この影響で鶏肉屋が消えたとは言わないが、それでもこの10年ほどで住宅街にある小さな八百屋、パン屋がうちの廻りからいくつか消えた。 その殆どが定年を期に、後継者がないことが理由だったように記憶しているが、たとえ後継者があってもなかなかつづけるのは楽ではないようだ。

夜景

2007年10月25日 01時52分51秒 | 日常
一日に幾つか事が重なって日頃の流れと変わることがある。 

定年の予行演習をしている身となって幾分か柔軟に使える自分の時間を、好き勝手にする少々の罪悪感とほっとぬるま湯にそろそろと浸かる心地の養生ができる嬉しさに日々をまかせるのだが、それでもこれまでの習慣から手帳にはそのつど予定を書き入れ、今までの秩序を保ちつつ軟着陸の日々を過ごしている。

けれど隙間の多い手帳にも時には幾つかの予定が重なって気ぜわしい日もある。 予定していたジャズのコンサートが違った町で一日に昼と夜の二つあり、嬉しい忙しさだったのだが家族のシガラミで行けなくなる。 道楽は道楽としてまだ生活の中心にはなっていない。 一人はギターの名手で老後どのように自分の音楽を深めていくのかに興味があるアメリカ人、もう一つはオランダ中堅テナーマン3人が兄弟のサポートを含めて私が日頃買い物の途中に体と胃の養生をするカフェでバリバリとテナー合戦をくりひろげることになっていたののだがそれらに行けなくなった。

このところコンサートに通う数が少なくなっているように感じるのは目ぼしいものの数がまばらということだけではない。 身内の慶事凶事が続くことにも拠る。 

何れにせよ日々の流れは時には淀み、時には急展開することもある。 漱石の『智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい』 が語る世界に戻される今日だった。

先日撮った、今頃は老ギタリストがそこで奏でているだろうアムステルダムのホールの写真を眺めて一日を一杯のジンで終えた。

Bukowski, Born Into This, 見た映画、Oct 07

2007年10月24日 23時54分46秒 | 見る
ブコウスキー: オールドパンク

2002年

BUKOWSKI: BORN INTO THIS

113分

ドキュメンタリー/伝記



憎みきれない ろくでなし

監督: ジョン・ダラガン

出演: チャールズ・ブコウスキー
リンダ・リー・ブコウスキー
トム・ウェイツ
ボノ
ショーン・ペン
ハリー・ディーン・スタントン


同時代のビート作家たちとは一線を画し、数々の逸話に彩られたアメリカ文学界の異才・チャールズ・ブコウスキーの実像に迫るドキュメンタリー。94年にこの世を去ったブコウスキーの貴重なインタビュー映像に加え、ショーン・ペンやトム・ウェイツ、U2のボノなど、彼と親交を持ち、彼を愛した人々が登場、その魅力と素顔を語ってゆく。

上のように映画データーベースの解説に記されていたドキュメンタリーDVDである。 どこかでブコウスキーの作品の映画化、「Factotum」のことを遅まきながら見てアマゾンで検索して一緒に注文した。 郵便の合理化、私有化と競争原理が働いてポストが届くのが10年前に比べると格段に早くなっているのだがアメリカからDVDの小包が届くのが少々遅れてネットで注文したものに今までトラブルがなかったのに今回初めてクレームか、と思った日に同時に別々の送り主から届いたのがブコウスキーの映像だった。 

このドキュメンタリーで印象づけられたことがいくつかあるがその一つはこの作家の郵便局務めの18年間である。 50年代のはじめの2年間の重い袋を提げての配達人時代、その後、依頼退職をしてから再就職し、ブラックスパロウ出版社のオーナーから一ヶ月100ドルの給料をもらい作家に専念するまで16年間郵便物の振り分けを小棚に向かって行った時代で、世間の印象とは裏腹にこの作家の経済的基盤に対するしっかりした見方と、自身がかたるよう「政府の仕事で糞仕事だけれどちゃんと定収入があって、ある程度の福祉がうけられるからね」がそれを裏付けている。

世間の印象はブコウスキーは飲んだくれのパンクである、というのだが作品中のヘンリー・チナンスキーはそうであっても作家はそうではない。 今までに写真やCDでその人となりは承知していても映像でさまざまなインタビュワーに答えながらなじみの古いフォルクスワーゲンを運転し洗濯しにコインランドリーに運ぶあたり、どうしてこんな遠くまでわざわざくるかとの70年代白黒フィルム中での問いに、安いからと他のところには胸糞の悪くなる小市民的雰囲気があってそういうとこよりここがおちつくから、というような作家のコメントがあったりする。 言葉面だけではこの作家、特別なことではない。 かれの全作品、これが満載なのだがこのドキュメントで炙られてくるのは彼の作品の言葉が自身のことばと違和感が無く少々小声のゆったりした小声とも言うべき音量で優しく語られるところがこの映画の印象づける第二点である。

この作家のことを知ったのは文学雑誌の「新潮」で作家、作品紹介があり翻訳の短編数編を読んでのことだ。 もう20年ぐらい前だったろうか。 日本語翻訳が手に入る環境に無くペーパーバックの「Factokum」に始まって
Women
Post Office
Note Of A Dirty Old Man
The Most Beutiful Woman In Town
Tales Of Rodinary Madness

と80年代には読み進めていた。 その間に青野聡訳の「ありきたりの狂気の物語」新潮文庫フ41-2にも目を通している。 しかし、この文庫の編者の写真のチョイスが藤原新也の撮った強い目を持ったわかものがアルコールか麻薬の錯乱かはたまた若い日の悲しみを持った若い女を掻き抱くポートレートで本文の内容のハードコアからは遠く、むしろこれなら戦後セーヌ川左岸の錯乱の恋や若者の生態をドキュメントしたエド・ヴァンデル エルスケンのカテゴリーにはいるものだと承知し、そのころにはチナンスキーの世界が日本語に翻訳された二、三のものには違和感を抱くようにもなっていた。 それは翻訳者の技量というより米語で読んできたブコウスキーの住む世界と日本語世界の隔たりの個人的感慨だと粗雑に結論付ける。

その頃、読み続けていたIris Murdochのものは書店のペンギンブックス、ブコウスキーのものは雑然とした英語版ペーパーバックの棚からを手にしてベッドに寝転がり読み進め、その伴にはビールやワインを口にするのが普通になっていたし、それがこの作家の狂気を矯めることでもありその世界でもあった。 90年代には上記出版社からそろった棚から詩篇をまじえたテキスト、Run With The Huntedや自叙伝、ビルドゥングス・ロマンでもあるHam On Ryeも読むようになり、その後の作品は密度の緩いものに変わった印象をもったのだがこのドキュメントでその事情が理解できた。

私はそのころはオランダ人の友人が持つベルギーの山間部にある小さな別荘で家人、小さな子供2人とともに幾夏か2週間ほどバカンスを過ごし、熱気を避けるゆったりした怠惰な時間にジャズやクラシックの音楽、酒に太い葉巻を40分燻らすのを一区切りにしてその家のベランダで読む本にはブコウスキーのものが必ず入っていた。 このベルギーにはブコウスキーに惹かれた映画作家がオランダ語で「ありきたりの、、」と「町中で一番の美女」を折衷した映画を製作していたし、「ありきたりの、、、」をフランス語で撮った作家もいた。

作品の中にはいつも安ワインとブラームスが漂っていたのだが何故ブラームスなのかがこのドキュメンタリーを見てもわからない。 古いワーゲンの窓ガラスが石つぶてか小口径の銃弾のあとにようにひび割れたフロントガラスをガールフレンドのハイヒールのかかとで割られたものだとコインランドリーに向かいながら若いガールフレンドに入揚げて町をぐるぐる廻っていたと説明するカーラジオから流れてくるものはブラームスではなかった。

実際にドキュメントで示される作家の女性たちとのやりとり、遍歴とそれが投影された作品群の女性から80年代初め頃、私が住んでいた街の市立図書館がこの作家の作品の貸し出しを凍結しそれはこの作家の女性観にたいする女性グループからの抗議の結果だったのだが、それも状況の違いを理解しない過保護で育った当時30代のオランダ女性群のヒステリーとも言われたものの、時代と場所が変わればヨーロッパで女性が政治に大きく進出しつつある時代の現象だったのだろう。 その糾弾は作家自身にも作家をめぐる女性たちには少しも届かないし、歯牙にもかけられないものであるのは、このドキュメントの中でオランダ人女性がファンレターをよこしてぜひともブコウスキーと寝たい、と迫ったというような当時のエピソードが語られていたことでも分かるということだ。 フェルディナンド・セリーヌに向かった半可通の刃の勢いが飲んだくれ親父に向かったということか。

へミングウエーからケロワック、ギンズバーグのロスト・ジェネレーションが過ぎ、遅れてラースト・ジェネレーションとこの作家にレッテルが貼られたことがあった。 けれど、明らかにロスト・ジェネレーションの作家とは一線を画しておりそれはインテリ作家たちを尻目に自分の孤独と怒りをタイプライターに向かい一週間に一度は父親のベルトの鞭を背中に浴びそれを黙認しながら介抱する母親に体現された戦前の社会から自分の居場所をタイプのキーボードを通して探し続けた作家の生き様だったのだ。 

偶然にも8月の終わりに出かけたオランダ北部の街でのジャズ・フェスティバルのおり、公園で野外芸術展が開かれており20代後半の若者達がブコウスキーの部屋、と題するインスとレーションを長方形の大型コンテナーの中に仕上げていた。 金を払ってワイヤレスヘッドフォーンを受け取ればブコウスキーの自作の詩の朗読、インタビューに答える声がながれ、そのごみごみした部屋に入り、安楽イスにすわると古いラジオからクラシックが、古い読書灯の小テーブルには脇にはマッチ、灰皿に盛り上がった吸殻、汚れたウイスキーグラスがころがり頭の上の書架にはペンギンブックスクラシックやDHローレンスにロストジェネレーションの作家のものがいくつか並んでいた。 部屋には紐が交差していて古いガラスが入ったドアを覆うようにいくつもの少々黄ばんだ下着が吊るされていて苦笑した。 

私の部屋の様でもあるがこれは作家の部屋ではない。 かといって作品中の部屋なのだろうか。 作品中のチナンスキーは本を読まなかったのではないか、書を捨てて町に出よ、といわれたことがあるのだがそれはインテリがプロパガンダとしていった事で、これが言われる前に作品の男には捨てる書など初めから持たなかったのだし関心も無い。 ただ、作家の講演や詩篇のなかにさまざまに登場する人格、ことばの礫にはそれが充分ありえたろうが当人が幼少のころからフィクションを紡ぎたいと望んでいた男のもとめた人格かどうかは私には疑問である。


夜中の他愛ないチャット

2007年10月23日 11時24分58秒 | 読む
暇つぶしになるような他愛ないちゃっとだった。


02:53 doce>おはよう、どうちぇです、どうぞよろしく
02:53 shampoo>おっはよう~^-^
02:54 doce>おはよう、夜中、丑三つ時から入ってます
02:54 shampoo>26:30ということですね^-^;
02:54 skip>あ、らあさん、おはよう
02:55 doce>どうだいスキップやってるかい?
02:55 skip>糖尿で入院してましたが、今日から毎日通院です
02:56 shampoo>退院したんだね^-^おめでとう^-^
02:56 skip>ありがとう
02:56 入室 saya saya!~lYJEM0zktM@i219-167-171-164.s02.a042.ap.plala.or.jp
02:56 onekoro MODE +o saya
02:56 doce>あれま、インシュリンの日々、ということ?
02:56 skip>での、1日2回通うのめんどいです
02:56 shampoo>さやたんおかえり~~~~~~~
02:56 saya>ただいまぁぁん♪
02:56 shampoo>^-^
02:57 skip>おはよう、さやちん
02:57 saya>やっほ~~~♪
02:57 shampoo>やっほ~~~~^-^
02:57 doce>なにか面白い話ないかなあ
02:58 saya>きのうから、へがめっちゃ、くさい話なら
02:58 skip>。。。。。。。ただ寒いだけだな@青森
02:58 shampoo>うはは
02:58 saya>マジ、気絶デスヨ
02:58 doce>こっちは今、零下だわ
02:58 shampoo>魔界では今三角関数中でっす^-^
02:58 saya>わおわおわお!!w
02:59 doce>屁が臭いのは古今東西同じこと、ただ他人の屁だけのことなのだけどw
02:59 shampoo>うはは
02:59 saya>ぶひゃひゃwwww
02:59 saya>でもさでもさ
03:00 saya>お尻がさ、熱くなるへってさ、やばいくらい、くさくない?!!
03:00 shampoo>!!!!!
03:00 saya>@ぷっすんおなら
03:00 shampoo>沸騰してるのか^-^(マテ
03:00 doce>知らないなあ、尻が熱くなる、ってのはよっぽど辛いカレーを喰ったとか?
03:00 saya>って、なんで、おならの話を熱く語ってるんだ
03:00 saya>おれ・・・
03:01 skip>目がシバシバするようなのは ご勘弁を
03:01 shampoo>うはは^-^
03:01 saya>ビニールにかまして、おくっちゃるよ!>すきっぷ・・ニyナイヤ
03:01 saya>ニヤニヤ
03:01 shampoo>^-^;
03:01 saya>T-T
03:01 skip>依存症になりそうなので ヤメてください
03:02 saya>ぎゃははっははあwwww
03:02 saya>くさいものってさ、一度じゃなく、ついつい、2回かいじゃうよね・・・・
03:02 skip>。。。。。。いったい どんな臭さなんだ
03:03 doce>さっき書いた暇日記でもこの屁を消すのに役に立つかな?
03:03 doce>http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/50827002.html
03:03 doce>↑ウエーっていう匂いを消してやるw
03:04 shampoo>。が少ない^-^;
03:05 doce>我が物とおもえばいとしコタツの屁、という川柳があったような、、、
03:05 saya>コタツでのへは、危険行為だよっっT-T
03:05 shampoo>それは一応俳句だな^-^
03:05 shampoo>うはは
03:05 doce>爆発したりw
03:06 saya>あひゃひゃwwwww
03:06 shampoo>あたたまるかもー(違
03:06 doce>髪がちりちりになるw
03:06 skip>燃料が それかい
03:06 saya>ららーはさ、イメージ的にさー
03:06 shampoo>うむ
03:07 saya>教授っぽいイメージ
03:07 shampoo>うはは
03:07 doce>???
03:07 saya>あ、職業を、想像したのw
03:07 shampoo>職業:教授♪
03:07 doce>定年親父です
03:07 saya>bbbb
03:07 skip>オランダは外人が多い国なんだね
03:08 saya>メモメモ
03:08 shampoo>めもめも^-^
03:08 doce>あのね、外人だらけのなかで外人として暮らしてますw
03:08 saya>ぶひゃひゃwwww
03:09 saya>もう、何十年もオランダで過ごしてるの?
03:09 doce>27年かな
03:09 saya>長いっ!もうりっぱな、オランダ人やねbbb
03:10 doce>なかなかオランダ人にはなれないねえ
03:10 saya>外見はね、なれないよねT-T
03:10 doce>ま、それもあるけどね
03:10 saya>うふふふふ
03:14 接続が切れました。
03:15 入室 doce doce!~QIRC-4rCw6@schoya.xs4all.nl
03:15 TOPIC 14:35 (hof^-^) ホフ様写真集5600円!! 祝100万部突破
03:15 saya>T-t
03:15 doce>ただいま
03:16 shampoo>おかえり^-^
03:22 saya>おかえり^^
03:22 doce>さて、と
03:23 doce>なにするかな、と周りを見渡してするオナラ一発w
03:23 saya>ないすb
03:27 改名 zzz^-^→hof^-^
03:29 saya>ほふにーーさまぁぁぁ
03:29 saya>おはようごじゃりまする
03:30 hof^-^>おはよう!!
03:31 saya>おはよう!!
03:31 skip>おはホフ
03:31 hof^-^>T-T
03:32 saya>泣かないで・・・ベイベー・・
03:32 doce>ホフというのは宮廷だったり中庭だったりするのだけどね、オランダ語では
03:32 doce>おは、ホフ
03:32 skip>へーーーー
03:33 doce>また屁かい?w
03:33 skip>ちっと
03:34 saya>そういう、単語があるんだねー^^
03:34 hof^-^>T-T
03:35 saya>今日は。一日、家に居れるぜ
03:35 saya>オーホホホ
03:35 doce>ホフマンというのがゲルマン系であるけど庭守とか宮廷の使い、という意味だね
03:35 saya>ほえーー
03:35 doce>ダスティン・ホフマンというのもいるし
03:36 saya>ほぇー
03:37 hof^-^>LSD の種類だよ...
03:38 saya>ほぅ・・・・・
03:38 doce>にぎりっぺ、ほのかに匂う冬の宵
03:38 doce>幻覚さそうLSDもどきw
03:38 saya>すばらしいw
03:41 doce>で、写真集ほんとに出したのかいホフ?
03:41 skip>サヤは麻薬を放出してるのかぁ
03:41 saya>放出してませんw
03:41 saya>ほふ写真集・・・・
03:42 doce>100万部というのはアイドル物かアラーキものかなw
03:42 skip>それを使ってホフコラをフォトショップで作りましょう
03:46 doce>わたしのおもちゃのミノックス・ライカで撮って進ぜようかな?w
03:46 接続が切れました。

というものだ

30年前のテレビドラマ「ROOTS」の虚と実

2007年10月23日 09時07分41秒 | 見る
真夜中にゴソゴソとゴキブリ親父よろしく冷蔵庫から残り物を台所で温め鍋を片手に居間に入り皆が寝静まる時間にしか放送しない市民大学講座のようなものがBBCテレビでかかっていたので食い物を手にソファーに座るとどこからかおばさん猫が夜中の寒さを厭ってか私の膝の上に乗り前足を交互に踏み動かして自分の横たわる窪みをつけ、よっここらしょと彼女の暖かい肉塊の重みを食い物を口に運ぶ私にプレゼントしてくれる。

クンタ・キンテの物語は30年前には当時のテレビドラマで、全世界に衝撃的なものであり、アフリカから奴隷貿易でアメリカに送られた黒人の何世代にも渡る非道な仕打ちを受けてきたアメリカ黒人の先祖がえりの歴史をたどって黒人作家がついに口承語り部の録音を通じて西アフリカから苦難の6週間を経て新大陸にたどり着いた何世代前かの親が生まれ育ち白人に野獣のごとく狩られて連れ去られたその元の村にたどり着く、という劇的に終結するのだが、その後、作者のアレックス・ヘイリーが自身その西アフリカの部族の語り部の話を採取するテープの模様が写されていたのだがそのテープの中にはそれを証明するようなものは何一つないという。 そのテープを聴いた何人かの言語、文化の専門家の証言があり、伝記作家の創作家の部分がここで露になったものだとの解説があった。 それが虚の部分だ。

それから30年経ってこの映画に関係した俳優、文学の批評家たちのこのヘイリーの虚にたいするコメントがあったもののその当時の社会に与えたインパクト、アメリカ黒人の共通する集団的系譜と越し方の中で如何に辛苦に耐え生き延びたかという話にもなり、真はストーリーの中にある、と虚はここでは歴史を確認し集団の歴史の真実に包含されるという。 当時その役を担当した黒人俳優達のそれから年を経た久しぶりの映像があってなつかしい。 それに続く話題はこのルーツがこれら黒人俳優達の台頭に貢献したかというお決まりのストーリーだったのだ。 私は当時ジャズの歴史とジャズにまつわる新しい偏見、ビジネス世界での彼らの地位の変化、沈滞を少しは見聞きしていたのでこれらの証言の裏にも想いが行ったのだが、けれど、当時のクンタ・キンテはその名前だけで人々の記憶に残る衝撃的な現象ではあった。 

ここでは集団的伝承がその数世紀後に数千キロ離れた場所で符合するロマンがその蓋然性として示され、それは作家の創作が別に真の伝記でなくとも良いという合意らしいがそれは稗田阿礼の伝承歴史に比べると蓋然性が高いという意味では頷けるものの正確には完全には納得できないという部分もあった。 しかし、このドキュメントでは口承語り部とは別に現代科学の成果、DNA鑑定を通じて西アフリカの部族とアメリカを繋ぐ糸を手繰り寄せた結果を示していた。 それにより多くのアフリカンアメリカンが先祖の地方、、家系まである程度確定する様子が示されていて現代のルーツ検索手段となっており先祖の地を訪れたいという人々には光明となっている。

BBCのドキュメントであるからこの奴隷貿易で富豪となったイギリス人の子孫が贖罪するという場面もバランスよく提示されていたのだが、同じく奴隷貿易で富を築き上げ歴史の中で黄金時代を画すオランダでも幾分かは教科書に記載があるものの最近の首相のコメントでもそれがはっきりと自覚され贖罪のフリさえもあるとは思われない。 旧植民地がらみの問題は現代のオランダの都市問題にも投影され新たなる偏見をも生み出しかねないものでもある。 問題は錯綜している。

根無し草の危うさはいつの世でもいわれることではあるのだが、自分で選んだ結果であればある程度は納得がいくのだろうが、理不尽にも無理やり根こそぎ抜かれて連れ去られ別の土地で生き抜く生を自分のこととして考えるのならばそれは単なる時間つぶしのテレビ・ドラマで終わり忘れ去られることはなく、この怒り、悲しみをどのように扱うかという自身への問いかけともなるだろう。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84_%28%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%29

六代目笑福亭松鶴、饅頭こわい、吉野狐

2007年10月23日 08時23分03秒 | 聴く
スキポール空港に向かう車の中で気分をゆったりしようと落語のCDをカーステレオに入れて聴いた。

NHKCD てんこもり! 六代目笑福亭松鶴全集
第八巻 饅頭怖い(1968年 28分)
    吉野狐(1973年 32分)    ACOC 7008

饅頭怖いは小さいときからラジオ、テレビで親しんできた題で久しぶりだったから松鶴の饅頭は今まで聴いたことがあるのかどうかもう何十年も前の記憶をたどりながら前後の車に注意しながら聴いていた。

ここでの驚きは今まで28分もあるこの「饅頭」は聴いていなかっただろうから、大抵15分かせいぜい20分までの話では今回はじめて聴いた印象深い怖い話は含まれていなかったのだろう。 暇を持て余した長屋の連中に遊びがてらにつぎつぎと何が怖いのかというようなことを能天気に聞いていき、途中に、昔はこわもてだった近所の「大将」か「おやっさん」の怖い話が挟まるのに感心した。 この怖さなら聴いていたら忘れずに覚えているはずなのだが記憶に無い。 これは夏の落語としてもいいかもしれないほど、そこではこわもてで人間の暗部を垣間見、ひとわたりのおどろおどろしい挿話のあとで落語の常態との落差に笑う、といった結構になるのだが、その話芸に感心した後の、徐々に落ちに導くあたりで遊びの餌食になりずるがしこく逆に皆をしてやったりと喝采をうけるはずの男の存在感が少々薄いような気がしたのだが、これも「おやっさん」の話との落差が既知の落ちへと向かう幾分か弛緩した、野球の消化試合に似た状態との比較からの弛緩なのだろうと想像した。 実際、観衆の反応もそのようだったのだ。

吉野狐の冒頭でも何やら「饅頭」の「おやっさん」の挿話と近似の場面から始まり、その対比が面白いものだった。 そこで興味深く浮かび上がってくるのはこの二つの話の中で使われる人々の話し言葉にその話の要点が色濃く出ていることだ。 「まんじゅう」の「おやっさん」の骨太で厳つい語りと暇をかこって集うおとこたち、「狐」譚で老夫婦の人情話としての上方の情が美しい上方言葉となって現れ、今はほとんど聴かれないようなきめ細かく美しい浪花文化が体現されていることだ。 

上方文化というのに加えて歌舞伎や文楽、それに浪花の食文化の知識がここでは要求される。 狐には「義経千本桜」「信太の狐」などがすぐ頭に浮かぶのだがそのヴァリエーションとしての狐がここでも登場し、ほとんどこのはなしでは抱腹絶倒するような笑いが登場しないしっとりとした人情話であり、結末への伏線は中盤から後のところでさりげなく語られるのだが一度結末に向かうとこの人間と動物の情交譚は既知のものであるのだがそれまでの「くいだおれ」の大阪の匂いの中で文楽や講談、歌舞伎とは違った、まさしく上方「落語」の狐の話となっている。