盆が過ぎてからオランダに戻ったのだからもう1ヶ月ほど経つが、まだあの夏の日々は頭から消えず、この何日かで八月上旬に日本から幾つもダンボール箱に詰めてこちらに送った郵便物が着き始め、それらを開けると毎日ゴミ屋敷を整理した暑い夏の思い出とともに子供がいなければ見ることもないような経験をしたことも日常使うキーホルダーを見るたびに思い出すのだ。
自分がゴミ屋敷を一人で整理しているときには子供たちは自分達で初めて日本のあちこちを見て廻るのに忙しい日々を過ごしていた。 富士山の周辺の山々を偶々日本に来ていたこどもたちの学生仲間、友人達と歩きそのまま東京に出かけ何泊かして初めての東京を見物していた。 そのときに新宿、秋葉原などの風物にいたく興味をひかれたらしい。 世界のあちこちでメディアの若者向けの日本紹介番組記事で紹介されている定番の場所である。 カプセルホテルに泊まり、秋葉原でメイドカフェにでかけ、安い赤暖簾で串かつを味わい、カラオケをしたのだという。 もう四半世紀も東京に足を向けたこともない自分の経験したことがないことばかりだったようだ。
ゴミ屋敷の整理ばかりだと気が滅入るからある日、子供たちにそれじゃ大阪でもそういうところがあると聞いているから、ついでにその近くの新世界、通天閣あたりを散策しようと提案し、日本橋あたりの電気屋が集まっている街を30年ほど前に歩いたことも思い出し、真夏の一日、難波から歩き始めてそのあたりにいくと子供たちが、あ、これは秋葉原とよく似ている、と言いながらアニメのフィギュアがごちゃごちゃと店内一杯に置かれた狭い洞のようなところを奥へ置くへと歩いていくのだった。 子供たちについて行きつつも周りの物の膨大な数とそんな形に圧倒されて周りの小さい人形のようなものを眺めていたのだが、それが何なのかまるで分からず、それに、いい若い者が、それも女の子ならわからないでもないけれど、いい若い男が興味深そうに何人もそいう少女のフィギュアばかり注意深く捜しているような風景に接して呆然となった。 おたく(nurd)と呼ばれる人種をテレビのドキュメントや映画などでみていて、それは戯画化された姿で実際はそんなものではないだろうと思っていたけれど実際そういう若者達が目の前に溢れているのに接してまさにステレオタイプというのは実際の姿をある程度統計的なデータから抽出した姿なのだと実感した次第だ。 珍しいものをみた、と思いこれなら近くの天王寺動物園より面白いとも思った。 近くのゲームセンターではそんな若者がメードカフェにいるのと同じ女の子をはべらせて何かを遠隔操作で掴み取るようなゲームに励んでいるのを見て唖然とした。 大人が、これも大阪発祥ときくノーパン喫茶でソファーに腰掛けて半裸のメードがコーヒーや酒をもってくるのを眺めているのなら分からなくもないがノーパン喫茶とは違いメードに時々声をかけてもらいながらただゲームに励む若者の姿との距離にこれも時代の移り変わりなのかとの感慨がよぎる。
昭和二十五年生まれにはフィギュアで遊ぶ、ということがなかったようだ。 赤胴鈴の助や月光仮面のまねをして木剣を振り回したり風呂敷をマントやマスクにして、自分で木を削って作ったピストルを持って遊んだことは覚えているものの創刊したばかりの週間漫画雑誌で鉄人28号の漫画連載がはじまり、そのうちブリキのロボットが玩具屋のケースに並んだのはみているけれどそれで遊びたいとは思わなかった。 後年、フィギュアというのでは自分の友人たちの子供らが怪獣やヒーローものを沢山弄んでいるのを見た位で、まさか、今いい若い者がこんなものを弄ぶようになるとはとてもその頃には思いもつかなかった。 漫画、フィギュア、子供という連想がつづき、そこには成人の余地はない、と思っていたのが日本に長年住んでいなかった者の浅はかさなのだろう。
文字を読まないものは想像力が退化する、とはよく言われるものだがマンガ、アニメで育った連中はどうなのだろうか。 想像力の方向、種類が違うのだろうしそれは視覚とはいっても文字からではなく画像から喚起されるものなのだろう。 自分の子供の頃は活字本は潤沢に買い与えられたがマンガは一切だめだった。 そんな中で育ったからマンガを買うのはもったいないとも思い、こどものころは散髪屋で眺めるか立ち読み、後年学生になると喫茶店で読むぐらいで、大人になって買ったのはかつてのマンガ専門誌のガロに掲載された私小説的なマンガ単行本のいくつかぐらいでそれは今のマンガからは大分距離のあるものだろうと思う。 今はマンガは「読む」と言われるが我々の頃はマンガは「読み物」ではなく「見る」ものだった。 国語力の退化、特に漢字と語彙の衰退化の元凶は戦後のマンガだといわれる。 世界に今日本文化として発信されているのがマンガ、アニメだというのは日本の青年の幼児化を示すもので嘆かわしいという意見を聞いたことがあるが、それにはある程度の共感を覚える。
オランダで育った自分のこどもたちにしても日本に比べるとまるで牧歌的なマンガは小学校を終えると収納箱の隅に片付けられ自分では買っていないようだったのだがそれでも時代の流れかコンピューターゲームは友人達とCD-ROMの貸し借りをしつつ何年か前まで繁くやっていたようだ。 フィギュアで遊ぶ、特にこのような少女のようななんともいえない姿の女の子のフィギュアには目も呉れるようなこともなく精々小学校のときの恐竜のフィギュアから、中学生になると息子はガールフレンド、娘はボーイフレンドたちと年に応じた異性交流を実地に始め、それは紙やコンピューターの上のものより数段面白そうであり我々には真剣なもののように見えた。 そしてそれらの異性の友達らはこどもたちだけではなく我々両親の前にも現れてこどもたちの好みがこういう若者なのかとニンマリさせてくれたのだが、子供たちが言うようにここでは女の子のフィギュアが圧倒的で、女性用の男のフィギュアが少ないということにも不思議な気がした。 女の子は大人になるとこういうものに興味をもたなくなるのではないか、ファンタジーより実地に走り、ハローキティーというのもあるけれど、それもそのうち離れていくのではないか、つまり日本の女は男に比べて早く現実の世界に羽ばたくのでは、という意見にも肯けるような気がする。
その後、新世界の安い立ち飲み酒場で子供たちと生ビールで串かつ、土手焼き、おでんのコロ(鯨の脂をとったあとのスポンジ状の組織をおでんにして煮たもの)などで腹を膨らませジャンジャン横丁では昼の日中からカラオケでさんざん訳の分からない演歌をがなって帰途につく途中、自分の射撃クラブのオバサンたちに頼まれていた日本土産を思い出し、その近くのみやげ物やで今ではもうなくなった大阪名物「くいだおれ」の人形の小さいフィギュアでキーホルダーにぶら下げるものを買った。 彼女らはそれに大喜びだったけれど、自分のアニメ・フィギュアを見て、それお前さんの孫の将来の姿かい、といわれたのを聞いて日本のアニメ、フィギュア事情を説明するのにうんざりし、それにはただ肯いただけだった。 その由来を知ったらあのオバサンたちだったら、なんでいい大人がそんなものぶら下げているのかも分からなく、男も女もそんなことより実際にいい男、いい女の方に走ればいいのに、もし私らでよければいくらでも遊んであげるのだけどね、といって大笑いするに違いない。
まさかこんなものをあそこで買うとは夢にも思わなかった。 なんでそんな気になったのだろうか。 包み紙にこの人形の由来、アニメかマンガのことが書いてあったがそんなものはレジのところでレシートと一緒に棄ててしまっていて今ではこの眼鏡のおねえちゃんは誰なのか分からないしそれはそれでどうでもいいような気がするのだがまだ10年ほど先にしか生まれないだろうと思われる孫の姿とはとても思いつかなかった。 それじゃまるでコケシ人形ではないか。