市立図書館で古いライデン市の風景画や古い写真を集めた本を見ていた。 そこに一枚の銅版画があり見覚えのある建物があってその記述を読むと1750年頃のものだと示されていた。 ここは自分が1986年から29年間通っていた職場がある場所である。 正確に言えばオランダ国立ライデン大学の日本学科の建物だ。 実際の建物はここに見える塔のある建物ではなくこの後ろで、今でも、この銅版画の右奥にある門とそのそばの小さな橋はそのままある。 門を抜けて二列に並木がある通りは豚市場という名前がついていてこの当時には定期的に豚の市がたっていたところだ。 今でもそんな名前が付いた通りや広場が町のあちこちにある。 例えば魚市場、鰻市場、羊市場にチーズ市場や糸(繊維)市場などだ。 門の左の奥に見える風車はレンブラントの父親が持っていた粉ひきの風車で、今は形が変わった風車が再建されてボランティアが定期的に粉をひいている。
この正面に見える建物は今はない。 当時ここは町の自警団の建物で広場は射撃の練習場になっていた。 多分この時代から50年ほどでこの建物は取り壊されてこのサイズの2割ほど大きな塔のない建物がここから門のあるところまでずらせて建てられ、それが兵廠となりこの場所は兵隊の訓練にも射撃練習にも格段に広くなったようだ。 それが自分の働いていた建物で、それはこの正面の長さで言うとここに見える左側に馬に乗った男と子供が見えるあたりまであるようにおもう。 だからこれの2割は大きいように思う。 なお自分のいた建物の通りは兵廠通りとなっている。
正面に見える建物は今はなく、今はそこには左手前の自警団の男が二人いるあたりまで3階建てのフラットが建っている。 尚、この絵の画家が立っているところにこの水路を渡る橋があり、ここを毎日自転車で渡り水路に沿って桶を両肩から下げている男のところを二人立っている男の方に左折すれば日本学科の旧兵廠の建物になる。 その建物は1980年頃に改修されて中国語科、韓国語科、日本語科が入っていた。 けれどこのアジア学科は去年運河を越した大学図書館あたりの味気のないコンクリートの建物に移動することになって自分が長年働いた建物は歴史的価値からさまざまなイベント会場になるらしかった。
今この版画を眺めていると現在と過去が交差するような気分になる。 それを引き出す契機になるのは奥の門と小さな橋だ。 橋のすぐ右の角には奥に見える風車でひいた粉をつかってパンを焼くうまいパン屋があって昼にはそこで好みのサンドイッチを作ってもらって昼食にするのが常だった。 昼食時には学生で小さなパン屋は入りきれなく待つものが橋まで溢れていたから自分はいつも時間をずらせて行った。 水路は今もそのままで右の通りで婦人が二人歩いているところの家だけはいまでもその形を残しているのではないか。 そして水路を手前に50mほど行けばシーボルトが江戸時代後期に日本から持って来た植物が植わっている植物園がある。