暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

女王の誕生日は国民の祝日で、、、、

2012年04月30日 19時15分12秒 | 日常
去年の今日と同じく同じ時間に同じところに行った。 それを去年は下のように書いた。

去年のこの日のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/61782884.html

この何日かの涼しいというか寒いというかのような気候のなかで今日一日が春だったように思う。 陽射しがあって我々が座っていたところは20度以上あったに違いなく、その証拠にジャケット、その下のセーターを脱ぎ、色のついたカッターシャツだけで午後7時ごろまでいて帰りの車では今年初めてクーラーをかけたほどだった。

そのおかげで地元の芸術家達のフリー・マーケットはそれに加えた音楽の野外コンサートもあって人口7万ほどの町のほぼ1万人弱が公園の会場にピクニック仕立てで冷たい飲み物、食い物を芝生の上の敷物に広げ、初夏の気分で集まったのだから。 12時から5時までそれぞれアマ・プロの芸術家達がそれぞれの作品を長い屋台に陳列・展示し、それを売ったりしたのだが絶えず目の前を通る多くの見物客を見ていると目が廻る様な気がして1時ごろに一体どのくらいになるのか目の前を過ぎていく人々の数を数えた。 1分で55人、60分で3000人ほどになる。それが3時間ほどつづくと1万人弱だ。 かなりな数だ。

昨年と同じく面白い車が来ていて写真を撮った。 同じ連中が旧東欧の乗用車を改造してそのうえにスクリーンを二つ、古い映写機を二つくっつけてある。
去年のものはバンの前後を中の部分を取り除いてくっつけてDJ専用車にしたものが、今回は一人乗りにすべく幅を切り、細長いものにしてある。 廻っている映写機は単なる飾りで、写されている映像は車の後部に入れてあるノートパソコンから送られた映像なのだ。 この日は子供向けに古いアメリカの白黒漫画を写していた。

この車の画像;
http://www.google.nl/search?q=tv+wartburg&hl=nl&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=PM2eT7TQPM-h-Qarur2JDw&sqi=2&ved=0CEwQsAQ&biw=1458&bih=833

ウィキベディア;ヴァルトブルク (自動車)の項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A)

バカンス見本市に出かけた

2012年04月29日 00時18分31秒 | 日常

2012年 4月 21日 (土) ANWB の見本市に小雨の中出かけた

これを書く今はこの催しに出かけてからもう一週間も経っている。 先週も今日のように肌寒い小雨の混じる日だった。 これはオランダの ANWB 主宰のバカンス、キャンピング見本市で、ANWB というのは多分、日本自動車連盟(JAF)に相当する団体なのだろうがオランダではただ単に乗用車、バイクだけではなく自転車に乗る人たちの数も加わって一般の交通手段のほとんどを利用する多様な人たちが会員を構成していて人口比ではその割合が日本以上に多いと思われる。 交通行政においてはこの団体を無視して政策を施行することは無理である。 ほとんどどの町にもこの団体のオフィスとショップがあり、地続きで幾つもの国をバカンスに出掛けるオランダ人たちにとってはここでの蓄積された情報とそれをサポートするシステムは国内から世界に向けて移動、余暇を楽しむための情報と物を安全に得るにはにはほぼ不可欠な団体であって、様々な四季のバカンスで車輪を利用する者、さらには道路を使うという意味ではウォーキングをするものまでを含めた者の為の巨大な団体である。 例えば国際免許証は大抵それぞれの町のANBWのショップが発行する。 水上交通、空の交通についても同様であるけれど主なものは陸上交通についての活動だろう。

1週間ほどアムステルダム郊外の広大な野外公園の敷地を利用してバカンスの可能性と一番新しい製品を展示し、空と水上交通手段を除外してほとんどありとあらゆるものを手にとって見ることの出来る催しものだ。 そこにはヨーロッパ各国の観光局の出先も出張してバカンス情報を配布しそれぞれの地に勧誘しているのだった。

我々は夏のバカンスの可能性としてレンタルのキャンピングカーが頭にあり、主にキャラバン、キャンピングカー、簡易牽引車両、テントの部門をみて歩いた。 何百という様々な形、機能のテントが張られた間を通り抜け、テントに入り今までこの25年ほど折に触れヨーロッパの彼方此方を二人で、子供が出来てからはそのサイズに合わせて様々なテントを使って旅行したことを思い出しながらも若いときには小さな背をかがめてはいるようなものでも苦にならなかったものがこの10年ほどでそれが苦痛となりテントの中で背筋が伸ばせるということが必要最小条件になっている。 天気がいい場合には気づかないものの雨の日にはその中で生活するには何が必要かということを体験してきてこの新品ばかりのテント村の散策である。そんなところからはその短所をある程度補う、車に牽引して移動するキャラバン、キャラバンを一体化したキャンピングカーに目が移るのは当然のことである。

自分はキャラバンを嫌悪する。 移動中の道路上のキャラバンが耐えられない。 道路のカタツムリだ。 踏み潰すわけにもそれを摘んで脇に置くわけにもいかずアルプスや田舎の追い越しができない道をそのあとをついて何十キロも走るのには耐えられない。 そんなあるところでやっと追い越しができて、便秘が終わってトイレからでたような気分になっているとすぐにまた前に黄色いオランダナンバーのキャラバンがみえてうんざりするという体験は沢山ある。 だからそんなものを運転して最高時速80kmほどでのろのろ運転する自分を思ってみてもそれには耐えられない。 しかし、オランダ人はこのキャラバンが好きでバカンスの時期になると道路にはキャラバンが増え、ヨーロッパ各地のどんな田舎にいっても黄色いナンバーのこれが見えるし、どの国にもオランダANBWのキャンプ場がありキャラバンのオランダ村ができ、フランスなどでは朝、地元のパン屋がここに来て焼きたてのクロワッサンやバゲットをオランダ語で売りにくるほどだ。

車に比べて圧倒的に機敏さに欠けるキャラバンがだめなら車と一体化したキャンピングカーならいいではないか、という論もたつ。 実際隣の二軒は最新式のものを駆ってヨーロッパ各地を移動している。 理想は自分の家をそのままバカンスに持っていく、ということなのだろうがそれはそれでいい。 ベトナム戦争にコカコーラからビフテキにデザート、アイスクリームまで日常のものを持っていったその領土拡張主義に引っかかる。 大型輸送トラックとまではいかないもののそれに近いからキャラバンに比べて道路上での駆け引きにはイライラはおこらないものの、未舗装のでこぼこ道を掻き分けてあるところに停めてそこから歩くことを主眼にし、おもうままに各地の小さい村から観光客が多い町まで移動するには村、町に入ったときの図体のやりばに不自由するのはキャラバンと変わりない。 それでは大きい四駆を使えばいい、ということになるが今の古いステーションワゴンの次としては四駆は頭にない。 

日常生活の中でバカンスは大事で、もう10年以上前、車をステーションワゴンにした理由は 1)家族4人で2、3週間出掛ける夏のバカンスに耐えられること 2)こどもたちのスポーツクラブで親達が持ち回りでチームの子供達をそれぞれの大きな荷物も一緒に遠征試合に連れて行く輸送手段になること  3)日常の細かな買い物は自転車で済ませるものの、重い物、嵩の高い買い物ものを一週間に一度ほど運搬するのに充分なスペースがあること、公共交通手段から離れたところに住んでいる家族、親戚のところに4人家族がそろってかなりの荷物とともに移動できること、 4)道楽の射撃で大会、ジャンボリーなどにテントを持って週末などに移動できること などだ。

二人の子供達が家を離れた今、1)2)3)についてサイズが必要なくステーションワゴンは日常生活には大きすぎるようになった。 次は小さな営業用のバンを考えている。 座席二つだけで運搬スペースにサイズを考慮せずなんでも放り込んですぐどこにでも出かけられる、というのが眼目だ。 どこでも駐車スペースに簡単にフィットする。 今頭にあるのはVW と プジョーのものだがそれはこれからどうなるのかまだ分からない。

さて、2週間前の週末、知り合いから借りた古い20年物のトヨタ・ハイエース改造のキャンピングカーでドイツ、ベルギー、オランダの国境が合わさっているところに行って、その車に満足できなかったからこの見本市ということになったのだが、日頃ときどきそとから眺めていた隣家のキャンピングカーと同型もしくは類型の様々な最新式のキャンピングカーを見て、たった一度の経験と数多いテント生活の経験からしてもキャンピングカーでのバカンスに疑問をもっている。 今年はもう子供達のことを斟酌しなくなくてもいい二人だけのバカンスであるからこのステーションワゴンで出掛けるほぼ最終回として、二人分だけの荷物を積んで、そのうえに見本市でみた、既存のテントに大きく被せて日よけ雨よけになるだけのスペースを作る拡張テントを買っていままでどおり走ればいい、ということになるだろう。 この見本市の野外会場はこの日、時折雨や雹が降るような天気でテントの実用性をみるのには適した天気だったのだが、そのなかでジョークとして1960年代のフォルクス・ワーゲン・バンをプリントしたテントがあった。 20年以上前、今の家を買ったときに当時のガレージにあったのが緑色のこのバンだ。 前の持ち主は若い頃にこれを駆って彼方此方を家族とともに旅行したのだろう。 それも売買契約書にサインしてからはじきに消えた。

来年には車を買い換えるようになるのだろうが日常生活とバカンスの組み合わせからペンキ屋がのっているような業務用バンになる可能性が大きい。 昨日、この2ヶ月ほどポツポツと天気に合わせて20年ぶりに我が家の外装の塗装に来ていたペンキ屋はそれも済ませ、VW の業務用小型バンで今日はベルギーの田舎で毎年今の時期に開かれる鳥の鳴き合わせ競技会を見に行っているはずだし、隣のゲイのカップルは最新式の装備のついたキャンピング・カーで我々が3週間前にいた辺りに出かけるらしい。 カップルのイケメンの方は市バスの運転手であり、また個人の自動車教習所の教官でもあるから退屈な路上の運転には慣れているし歩くのには興味がないらしいから彼らにはドリームカーなのだろう。 おかげで週末の3日間彼らの二匹の猫の世話をすることになっていて、そのうちの一匹には心臓病の薬も飲ませなければいけないことが書かれた紙と薬が家の鍵とともに我が家のテーブルの上に置かれている。

アレクサンドリア (2009);観た映画、Apr. '12

2012年04月28日 00時29分54秒 | 見る
邦題; アレクサンドリア  (2009)
原題; AGORA

127分

製作国 スペイン

監督:  アレハンドロ・アメナーバル
製作:  フェルナンド・ボバイラ 、  アルバロ・アウグスティン
製作総指揮: シモン・デ・サンティアゴ、 ハイメ・オルティス・デ・アルティニャーノ
脚本:   アレハンドロ・アメナーバル、 マテオ・ヒル
撮影:   シャビ・ヒメネス

出演:
レイチェル・ワイズ    ヒュパティア
マックス・ミンゲラ    ダオス
オスカー・アイザック   オレステス
マイケル・ロンズデール  テオン
サミ・サミール      キュリロス
アシュラフ・バルフム   アンモニオス
ルパート・エヴァンス   シュネシオス
ホマユン・エルシャディ  アスパシウス
オシュリ・コーエン    メドルス

「アザーズ」「海を飛ぶ夢」のアレハンドロ・アメナーバル監督が、4世紀のエジプト、アレクサンドリアに実在した伝説の女性天文学者ヒュパティアの悲劇の物語を壮大なスケールで映画化した歴史スペクタクル巨編。主演は「ナイロビの蜂」「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」のレイチェル・ワイズ、共演にマックス・ミンゲラ、オスカー・アイザック。

ローマ帝国崩壊寸前の4世紀末。東西交易の要衝として文化的な発展を遂げたエジプトの中心都市アレクサンドリアにも徐々に混乱の足音が迫りつつあった。そんな中、美貌と明晰な頭脳を兼ね備えた女性天文学者ヒュパティアは、学問に生涯を捧げ宇宙の真理を解明することに情熱を傾けていた。誰でも分け隔てなく弟子として受入れたヒュパティアだったが、少なからぬ教え子たちが抱いたであろう彼女への恋心が実ることは決してなかった。一方街では、急速に台頭してきたキリスト教徒と、古代の神々を信じてきた科学者たちの対立が激化し、ついには人類の叡智が詰まる図書館が両者の争いの犠牲となる。やがて、教え子の多くがキリスト教に改宗し出世を遂げる中、変わらず研究に没頭していたヒュパティアだったが…。

上が映画データベースの記述である。

本作をベルギー国営テレビ局の深夜映画として観た。 スペイン映画らしいからオランダ語字幕で見なければならないと心してチャンネルを換えるとのっけから英語の字幕で物語の始まりが示されスペイン語などどこにも聞こえず英語が流れ、オランダ語、いやフラマン語の字幕が出たというわけだ。 その前の今日のニュースでは今スペインの若者の半分、就労可能全年齢にある男女25%が職についていないというギリシャの次に経済危機にある国の制作であるからもとから国内に売るのを目的とせず世界市場に売るべく英語を選んだというべきだろう。 

日本はいざ知らず西欧諸国どこでもで問題になっている宗教原理主義、それに続く政治的不安、富める者と持たざるものの間に広がる宗教の効力などを宗教と知、哲学、天文学を絡めて様々な観点から考える上で興味深い作品になっている。 地理的に興味深い北アフリカのこの地にアカデミズムの様々な情報が人文、科学、政治、経済等の分野をカバーして集積された図書館とそこで英知、哲学を信奉する女性を中心に問題がどう進んでいくか、それがどのように推移していくかを見るのは、ここではキリスト教原理主義的な動向が現在のイスラム原理主義の運動に重なっているように見える点でこれが多分制作の意図のひとつであったことを示唆していることは明らかである。 例えばここでのキリスト教信者やその先鋒となる人物達の顔をみるといい。 それはマカロニ・ウエスタンに登場するアウトローにも比肩されてこれらのキャスティングはアメリカ的である。

夜空を仰ぐのが夜中の遊びとなっているものには4世紀の話で宇宙の中で地球外から俯瞰した青い地球が時々現れるのは興味深い。 ギリシャの先哲から引き継いで宇宙の原理を思考する哲学、天体の動きをすでにここで進めてコペルニクス的転回、ガリレオの論を先んじる事1200-1300年余り主人公が解くというロマンも加わって想いが様々な方向に向かうのだ。 宇宙の真理を求めるのが哲学だということからすれば神の存在、原理主義的ドグマは哲学を阻むものとなる。 それはそれまでギリシャ時代から続いてきた有産階級の遊びとも本作の中でも揶揄される知の中心、図書館をめぐるエピソードでも明らかで、そこでは自由を阻む宗教という視点が必要だ。 宗教、政治がからむ中で自分の教え子達を社会の対立に取り込まれないようにしようというこの女性教師の営為は時空を超えて覚醒的「知識人」には共通のものであるのだが、多くの場合その時代の流れに飲み込まれてしまっているということはどこの歴史の中でも散見することでそれを信念として貫く姿はヒロイックでもあるし、俗人からいえばロマンチストに映るものでもある。 オランダで現在自分の住んでいるところから遠くないところにかつて住んでいたスピノザはユダヤ教の宗教の楔を断ち切り思索の自由を標榜する「エチカ」を刊行し、生活のためには望遠鏡などのレンズを磨いて糧を得ていた、と聞いたことがある。 そしてガリレオが天動説を著述したものを刊行したのは祖国ではなくスピノザがまだ幼少のオランダだったということが符合して興味深い。 けれどこれも現在の視点から見ることで当時のキリスト教世界の中では当然異端ではある。

天文学の知識、女性をここに持ってきて現在記録されている科学史の事実に先立つこと1000年以上の「失われた真理」を本作に持ってきたのは興味深いが一方、ロマンチックに走る要素を含んでいるという点では、中世の宗教の中で失われた宗教の聖典と僧院の中での殺人事件解決をめぐるウンベルト・エーコ原作の映画化「薔薇の名前(1986)」を思わせるものがあるが、教団内でそこでは知と異教との相克がなく、それに伴う社会の激動もない点ではショーン・コネリーの科学知を総動員してのこの探偵譚の方に安定的な重厚さが認められるものの、宗教と知を考える点では共通しているといえるかもしれない。

尚、本作で主演のレイチェル・ワイズは2,3日前テレビでラブ・コメディー「邦題; ラブ・ダイアリーズ <未> (2008) 原題;DEFINITELY, MAYBE」の中で主人公に絡む女性の一人として自由で理知的な役をこなしていたのを観て、また何年か前に第二次大戦中スターリングラードの攻防の中でロシアの狙撃手のターニャとして印象的だったのだが、あれはジュード・ロウ主演の「スターリングラード(2000)」ではなかったか。 今記録でみると、「薔薇の名前(1986)」と「スターリングラード(2000)」は同じ監督によって制作されていると出ていた。

最後に再度邦題の付け方に疑問を呈する。 本作の意図を考えれば原題、「アゴラ」の広場なり民会、それに様々な道路が交錯する場所を意味する言葉が、ただ単に地理上の場所を指す地名よりはるかに意味をもつのは明白であり、ただ内容を無視した安易な命名に、目の前の事実だけに留まり思考停止を思わせる、知へ背を向ける無知な態度が浮かび上がってくるからだ。 

朝の散歩

2012年04月27日 09時37分05秒 | 日常

一年に2回朝早く起きる。 近くの歯医者で定期健診をうけるからだ。 歯医者にとっては朝8時30分の仕事第一号で、何年も前には家族4人揃って眠気眼をこすって自転車で一緒にでかけたものだが今はそれぞれにメールが入ってそれぞれ各自にそこまで出かけて待合室で顔を合わすことになる。 この日は家人は他に約束があり検診を別の日に換えていた。 息子は遅れ、娘は寝過ごしたのか来なかった。 

禿で短躯の歯医者は口の中を手早く器具をつかって検診して今回も何も異常がないという。下に Harley Davidson Sportster 833 と書かれたバイクが停まっていたので訊くと、中古を60万円ほどで買ってもう3年ほど乗っているのだという。 音を聞かせてやるよ、と一緒に下に降りて鍵穴にキーを差込みスタートさせた。 160cmほどでオランダ人にしては背が低い男は、オレはこんなだから車高を調節できる一番低いところにしてある、と後輪の調節部分をみせて、私に座ってみろというのでサドルにまたがった。 義弟は BMW オートバイの代理店をしていていつでも BMW の新しいものを試すことができるのだが自分には BMW は背が高すぎて昔2,3度試しただけでもう乗らない。 けれどこのような低いものは心地よく、両足がちゃんと地面について安定した気分になる。 1200ccの BMW のものをまだ始動させていないときに誤って倒したことがある。 280kgほどの車体は慣れていないものには起こすのに苦労する。 これは800ccほどなのに350kgはあるらしい。なるほどハーレーらしいエンジン音なのだが800ccではちょっと音の低さが足りないような気がした。  アクセルを廻してかなり吹かせていると息子が遅れてやってきてしばらく我々を眺めていたが歯医者も仕事だ、と言って息子と一緒に上の診療室に上がっていった。

朝も早く、まだ9時にもなっていない陽の柔らかい気持ちのいい朝にそのまま家に戻るのも勿体無い気がしてぶらぶらと自転車で町の中心の方にむかったのだが、カフェーにしても殆んどが11時ごろからでまだどこも開いてはおらず、パン屋でクロワッサンでも買ってそこでコーヒーと一緒に朝食にしようかとおもったものの気が進まなく、そのままなんとなく昔の砦の跡まで来て階段を登った。 その時間にまだそんなところに行くものなどだれもおらず、そこにいくまでにしても町は静かだった。 ここはローマ時代から町の中心として土を盛り、砦として作られたものだが実際に使われたのは16世紀終盤頃スペイン軍に攻められたときぐらいなものだろう。 



ビロウ (2002); 観た映画、 Apr. ’12

2012年04月26日 03時29分13秒 | 見る


ビロウ   (2002)

BELOW

105分

監督:  デヴィッド・トゥーヒー
製作:  スー・ベイドン=パウエル、 マイケル・ゾーマス
脚本:  ダーレン・アロノフスキー、 デヴィッド・トゥーヒー、 ルーカス・サスマン

出演:
マシュー・デイヴィス    オデル
ブルース・グリーンウッド   ブライス
オリヴィア・ウィリアムズ   クレア
ホルト・マッキャラニー    ルーミス
スコット・フォーリー     クアーズ
ザック・ガリフィナーキス
ジェイソン・フレミング
デクスター・フレッチャー
ニック・チンランド
ジョナサン・ハートマン

 潜水艦内という密閉された空間で、逃げ場のない恐怖に襲われる異色の潜水艦サスペンス。救出した遭難者の中に潜水艦に乗せることは不吉とされていた女性がいたのをきっかけに、乗組員たちは彼らを陥れようとするかのような不可解な現象に悩まされていく。脚本・製作総指揮は「π」「レクイエム・フォー・ドリーム」のダーレン・アロノフスキー。監督は「ピッチブラック」のデヴィッド・N・トゥーヒー。

第二次世界大戦最中の1940年、アメリカ軍潜水艦タイガー・シャークは大西洋海域を航海中、ドイツ軍潜水艦Uボートに撃沈されたイギリス病院船の生存者3名を救助する。そのうちの一人は看護婦のクレアという女性だった。この時代、""女性は潜水艦に不吉な災いをもたらす""と信じられていたことから、艦内に戦慄が走る。やがて、敵艦をやり過ごすため静まりかえっていた艦内で突如レコードが鳴り響いたり、不気味な囁き声が聞こえるなどの不可解な現象が起こり始めた。更にドイツ軍からの攻撃も激しさを増していき、乗組員は精神的にも追い詰められていく…。

以上が映画データベースの記述である。

1940年と書かれているが本作を観た限りでは1943年と字幕が出たのではなかったか。 というのは、そのとき本作の舞台は昭和18年だな、と承知し、極東、太平洋地域の戦況のことも考え、先日観たチャールトン・ヘストン、ヘンリー・フォンダ、三船敏郎が山本五十六を演じた「ミッドウェー (1976)」の昭和17年にも思いがいったのだが「ミッドウエー」の方は史実だとしても本作はミステリーのジャンルであるのだし潜水艦ものであるのだから戦争ものということでは同枠に入るものとしても少々趣が変わる。 

それでは潜水艦ものであれば代表的なものはドイツ映画「U・ボート( 1981)DAS BOOT」だろうがアメリカ映画でも同時期同海域を舞台とした「U-571 (2000)」が興味深く、館内の様子、搭乗員たちの仕事、生活ぶりをどのようにカメラが追うか、というところが上記ドイツ映画の圧倒的なスピードとカメラの動きに魅了されるところがあるのだが、本作は前作を参考にしてうえでの制作であるのは明白で、特にメカニズムを写すカメラが新鮮だ。 当時の艦内であれば多少のレトロさが見えてもいいもののかなりの場面では現代のものかとも見えるのはドイツ映画や U-571 の内部描写と比べても明白だ。 

現代的な原子力潜水艦ものであれば特にショーン・コネリーの「レッド・オクトーバーを追え!(1990)」が秀逸だが、趣が変わって「潜望鏡を上げろ(1996)」という潜水艦コメディーもある。 いずれにせよ狭い艦内の生活、戦闘と沈没、酸素不足への恐怖などが共通して観る者を息苦しく、その恐怖を共有するかのような緊張感を強いることでもこのジャンルは我々をひきつけるものがある。 とくに閉所恐怖症、海底への原始的な恐れをもつものには足の竦むような疑似体験が出来るとともに、子供の頃、漫画の「サブマリン707」で海面下を進む潜水艦をノートに落書きとして描いたものには映画の特殊撮影、CGを問わずそのような場面にいつもひきつけられる。

本作のミステリーには単なる超常現象には終わらせずそれをもたらす心理的な要素も加わって、ある意味抑制の効いたものとなっているのが好ましい。 こどものころよく、もし戦争にいくなら何になりたいか、という問いにはパイロットというのが一番で、一番なりたくないものが潜水艦乗り、だったことを覚えている。 泳げないことはないにしても閉じ込められたままで海底深く沈み酸素不足で窒息して息絶えるのはたまらない。 そういうことがあったのは最近では2000年にロシアの原潜クルスクの事故が知られているのだが、その時のニュースは見たものすべてを一度はその恐怖を想わせる働きをしている。

ミッドウエー海戦にも参加した戦艦大和の最後を記録した吉田満の著作に接したのは今から30年ほど前だがその叙述から最後に波間に漂うところまで映画を観るようだったことを覚えているのだが、いざ乗員が海に放り出されてそれからの恐怖を語る場面で思い出されるのはスピルバーグの代表作とでもいえる「ジョーズ(1975)」だろう。 その中でサメに齧られた傷を自慢する海洋学者のリチャード・ドレイファスとサメ退治に執念を燃やす男ロバート・ショウの話で男がサメを嫌う原因になったのが第二次大戦中日本軍に撃沈された船から海に投げ出され何時間も海上を漂っている間に水兵がひとりひとりサメに海面下にひきずり込まれ沈んでいくことを体験した、というような件があり、何れにせよ自分にはこの手の話は苦手ではあるものの怖いもの観たさが手伝ってついついこの手の映画を観てしまうのだ。 そういえばタイタニックが沈んで100年になる、といったニュースがあったのはつい最近のことだ。

そういえば昔、学生の頃、大学のボートレースで写真部に属していた我々がエントリーした艇の名前が「イエロー・サブマリン」だった。 漱石の坊ちゃんに出てくるターナー島の近くで何隻かと競って数百メートルを漕ぐ間に冠水し、沈まなかったものの水面下に漂い最下位だったことを最初にして最後の経験として記憶している。 牧歌的なものだった。

オランダ・ジャズ

2012年04月24日 23時41分17秒 | ジャズ
久しぶりに風呂に浸かり冷たいビールを飲みながらジャズを聴いた。

http://www.arrow.nl/jazz/#/jazz/programmering/

台所で何かしていたり、一人で車を運転していてニュースを聞いたりする以外にはよくオランダのFM、 JazzRadio を聴いている。 しかし余りにもポップというかフュージョン、なんでもあり状態なので身を入れて聴くこともなく聞き流すだけになっている。 それにはオランダの誇るノースシー・ジャズ・フェスティバルのプログラミングにも関係していて、それは世界のジャズ事情にも平行しているのだろうけれど、ハーグで行われていて近年はロッテルダムに引っ越したこのフェスティバルにはこの30年ほど毎年出演者をプログラムで見ていて、自分の聴きたいミュージシャンに比べて我々のようにもう40年以上聴いているものにとってはとてもジャズとは言えないようなブルースや果てはエリック・クラプトンなどが出演するようになった頃から興味を失った。 というのはそれなら何もそんな高いチケットを払って人ごみの中に行かずとも、いっても聴けずにただ疲れるだけなら目ぼしいジャズメンが別の機会に個別にライブハウスに来たときにゆっくり行けばよく、そのときには多少の話も当人達ともリラックスして出来るというものだ。 だから日本にいたときには行ってみたいと思っていたノースシーの会場まで自転車で行ける距離に住んでいたにもかかわらず未だに出かけていない。

色々な世界からくる我々に親しみのある、またそれを継承する若いジャズを目指す人たちにはこの何年かで親しんでいる。 その一人が自分が住んでいる町出身のサクソフォン奏者 Bart Wirtz なのだが最近この男が自分の番組を持ち自分の周りの若い同僚たち、つまりオランダで活躍している新進、中堅のジャズを紹介する番組を偶々聴いたのだった。 そして彼が流すものには少しは聞き耳を立てて聴くようになった。 それは今は火曜の22:00- 23:00(日本時間は、今は夏時間だからこれにプラス7時間、つまり午前6時から7時、果たして日本でこんな時間にジャズを聴こうという物好きはいるのだろうか)なのだが上のサイトで DUTCH JAZZ のところの矢印を押すと前の週の放送が聴けるという仕組みになっている。

ジャズの40年代から60年代までの歴史の勉強と第一級のレコードコレクションを誇るユニークな番組は長年ロッテルダムの夜の市長と異名をもつ Jules Deelder の番組 DEELDERADIO だろう。 詩人でもあり70年代のヒッピー文化に距離を持ちながらも様々なドラッグ・カルチャーの案内人でもあり、経験充分、様々なジャズフェスティバルでDJもする鬼才であるのだが、そのジャズの選曲にはいつも感心させられるのだ。 オランダにはこのようにジャズは絶えず継承、革新しているのがわかるのだが、残念なことにこういうものは一般に人が起きて活動しているときにはかからず、朝、昼は殆んどポップだったり今様のものが幅を利かせている。 

もうここで長く、ロンドンから東京までと謳って続いているDJの GILES PETERSON  の WORLDWIDE RADIOSHOW はジャズの殻を被ったクラブ・カルチャーを薦める番組で、ジャズについては半可通、自分のエゴだけを押し出し自身ではファッショナブルなつもりで高を括った鼻持ちならない英語のアクセントもそれに加わってこの番組が流れるとすぐにラジオを経済・政治の局に変えるのだが、自分はなぜ GILES PETERSON を嫌うのか、と考えてみるのもおもしろいだろうと思うものの多分、それも食い合わせ、ということもあるとして聴かない。

何れにせよ自分が今までオランダで第一線のジャズを聞いてきてその内情、新譜などが聴けるというのは悪くない。 それに日頃彼方此方のライブで親しく話したりビールを飲み交わすような知り合いのものがかかるのだから次のとき彼らと顔をあわせたときの話のタネになる。

ただ一つ残念なことはフリーとかインプロヴィゼーションというような、現代音楽とクラシックなどのすりあわせを楽しむジャンルのものがかからないことだ。 それは世界中何処でもおなじことで、そういう連中が日本に行って演奏した、というのでどこでかと問うと殆んどが小さなサークル、美術館のホールでのアート・プログラムと抱き合わせというような答えが返ってくる。 ヨーロッパは現代音楽の重要な場所でありジャズという名前で括られた多様な音楽の中で抽象的な音を聴く聴衆はほんの一握りであるのは昔から、日本ではアンソニー・ブラクストンやセシル・テーラー、オランダのICPなどを聴いて来た人たちでもあり、こういうのは殆んどジャズの例外になるのではないか。 フリー、インプロヴィゼーションなどは商業的に成功するようなジャンルではないのだ。 だからそういうジャンルは文化庁、地方公共団体、財団の文化助成金があってできることなのだ。 だからそれがないこの商業FMの番組編成を見ても同様で、売れなければスポンサーがつかないし、そうなればやっていけないから自然とポップ志向にもなるということだ。

一方、日本のジャズの現状はどうなのだろうか。 日本のジャズに対する文化行政助成金など期待できないと誰かから聞いた。 だからいくら自分のジャズだといっても生活ができなければ自ずから客が求めるものをやるようになり、結局、保守的エンターテーメントや若者に阿るものになってしまうように思う。 この半年ほどAMでジャズミュージシャン K がやる DJ をポットキャストで聴いている。 何年か前にこの K が東京大学でジャズを講じ、アルバート・アイラーなどのことを面白く話したその講義録をネットで読み、面白いと思い、こういうものがいる、と日本に演奏旅行に行くオランダのミュージシャンに紹介したのだが、その後その K が演るものを幾つか聴いてみても当人のやるものとジャズ講釈の面白さとはつりあわないように思い、この差は何なのかと訝りながらポットキャストを聞いていてその話しの面白さ、ジャズに対する薀蓄には感心するものの彼が演奏するものには世界にジャズメンとして打って出る音楽としては首をかしげるものだと感じていた。 それが日本のジャズだとすれば自分が日本を離れるときに期待していた渡辺香津美の80年以降の変化にベクトルはちがうもののそれと比べら得るものかもしれない。

70年代前半にNHKFMで油井正一などの番組を親しんできたものにはそれに比べられるものが今日本にあるのか知りたいものだ。 そしてそれが商業的でなく無料でネットにアクセスできるような今様のものであったらそれらをこちらの知人達に紹介できるのだが。 上記サイトにしても言葉はオランダ語でありながらかかる音楽は誰にでもアクセスできるものである。 それはこちらで日本のジャズサイトのDJを聴くのでも同様、日本語は分からなくとも一旦音楽がかかるとそれは世界言語でもあるから直接音楽に触れることができるだろう。

そんなことをバスタブに横になりながら思った次第だ。



二泊三日で遠出をした(5)旧税関

2012年04月24日 07時19分18秒 | 日常


国境のことは前にも少し書いた。 この町、Vaals を歩いていて当然我々はオランダ側のキャンプ場にいて買い物や夕食に出るのに町の中心地まで来るのだが、それにしても何も標識も鉄条網もないいような小川の国境を渡ってドイツ領を歩いてくるほうがオランダ領のキャンプ場の周りの農道を通って普通にくるよりすこし距離が短いというようなような妙なことになっている。 ドイツの道を何百メートルか歩いてきて再度オランダ領に入り、まちの中を横切る大通りをあるいていると地図の上ではこの町は東側のこのあたりからドイツとなっている。 こういうところはここだけではなくこの近くの Kerkrade というところではもっと大きなスケールで一つの大きな街を二国が分かち合う按配になっている。

ベルギー、ドイツ、オランダが一点で接している観光スポットまで行くのに歩き始めて大きな道から町の旧中心方向に坂をだらだら上り始めると道がセメントの柱でブロックされていて歩行者は通れるけれど車が行けないようなようになっている。 当然迂回すれば車も向こうへいけるのだが、そこにあるボードをみるとここが国境らしい。 そこにレンガつくりの小屋のようなものが見え、説明書の看板には1930年ごろまで使われていた税関の事務所の跡とある。 その頃まではここを通るたびに人は幾ばくかの料金を払わなければならなかったのだろう。 当時は下の現在の車が通る道はまだなくてここだけだったのだろうか。 そうするとずいぶん狭い不便な道のように見えるのだが昔はそんなものだったのだろう。 他の地方でも国境沿いの森をあるいていると国境を示す石柱があちこちにあり、中世ごろの運び屋の話が書かれているところがある。 自分の領土に入ってくる人や物資に対して課税して収入にする、ということが普通にあって、そうするとそれを避けるために森の中を税関逃れのルートをたびたび変えてイタチゴッコのように人と税吏が裏をかきあった、というような話が紹介されていてそういう検問所の跡なども示されている。

ここでもそのようなこともあったのだろうが車に乗せた嵩の高いかなりのものは当然ここを行き交いしていたのだろう。 建物の入り口の鉄柵を覗くと机の上には帳簿のようなものと税金徴収のスタンプのようなものも見えた。 それにもうひとつ、ここはオランダで一番高いところにある税関だ、と書いてあった。 といっても海抜は200mをちょと越した辺りでしかないのだが、海面下の土地が多いところでは200mでも高いのだ。 それにもうすこし小山を登ってベルギー、ドイツ、オランダの国境が接するところは320mほどでそこはオランダでは最高地点で最高峰といえないところが情けないようにも思える。

アスパラガスのスープ

2012年04月23日 04時28分14秒 | 喰う



前の日にアスパラガスを茹でて、そのとき長くて鍋に入りきらない端を3cmほど切り落としてあったものが30弱あったのでゆで汁をそのまま置いておいて生クリームと卵の黄身と茹でたジャガイモが幾つかあったものを裏ごししてスープにした。 塩コショウだけの味付けだがなかなかいける。 普通はバターと小麦粉、それにミルクやクリームでホランド・ソースやベシャメル・ソースというタイプのポタージュにするのだがこの日は小麦粉を使わなかった。 卵の黄身を繋ぎとするから沸騰させては固まってしまい元も子もないのでそれだけに気をつければいい簡単なもので旨い。 アスパラガスの味と香りを残すには肉や鳥などのブイヨン、強い香りの香草を加えないことだ。庭に生え始めたエゾネギとも呼ばれるらしいチャイブをはさみで切ってきてそのままはさみで細かく切ってスープにふりかけ色を添えた。

サラダはレタス、モッツァレッラに赤パプリカだけのもの、それに小さく丸いカリカリの表面にいろいろな種がついた黒パンで簡素な食事だった。

二泊三日で遠出をした (4)リンブルグの景色

2012年04月21日 23時51分35秒 | 日常



まるで平らなオランダの都市部に日頃住んでいると山や岡が恋しくなる。 だから夏のバカンスになるとそういうところに行くようにしているのだが、高速を運転していてオランダの端に来て景色にうねりが出てくると楽しくなる。 だから同じ国にあってもこのあたり、リンブルグに来ると異国を感じる。 景色、言葉、文化など昔からドイツのサクソン系、ベルギーを経由したフランスのラテン系が混ざったものがオランダにあるのだから文化の交差点をみるような思いがするし自国にいて異国情緒が味わえる。 それに、今は春のアスパラガスの季節が始まっていて、獲りいれができるところは高い畝にビニールを被せ温度を保たせ地中から陽を浴びないから白く伸びてくるから、その時期が来たらポーランドから来た季節労働者を使って一度に収穫するのだがこの辺りはまだ早いのか畝にはビニールが被されていない。

何年か前にこの時期にここから20kmほど離れたウォーキングルートを何日か歩いたときには彼方此方の広大なアスパラガス畑に大型観光バスに乗せられて宿舎から連れられてきたポーランド人たちが幾つもの畝をかたまって収穫しながら移動していくのを見たものだったが今の時期、ここでは少しまだ早いものと見える。

だらだらと下がって農家が幾つか見えるところがキャンプ場で自分達のキャンピングカーの白い背中が見えるのだがその向こうはすぐにドイツ領なのだ。 これをみてもオランダにはあまり岡がないのが分かる。 ここから繋がるドイツには黒森があり3000m弱の山があるのに比べてオランダはここから2kmほど離れた岡に毛が生えたような320mほどのところが最高地点なのだ。 それにそこはドイツ、ベルギー、ドイツと一点で国境が接しているところでもある。 ベルギーはここから内陸部に入りさらに岡や山が深く高くなってルクセンブルグやフランスに続くのだ。

このあと車の中で自炊する気もなく、昨日と同じく夕食はどこかのレストランで今日はアスパラガスと魚でも喰いたいと村の中心に出かけたのだが生憎そこでは冷凍のものを入れたアスパラガスのスープしかなく残念な思いをしたから家に戻ってからは中ぐらいの太さのアスパラガスを25本ほどで1kg強、800円ほどのものを娘との三人分、スーパーで買って茹でて喰った。 それが結局今年の初物だったのだが去年の日記を見てみると今年は去年より一週間ほど遅いようだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/61729502.html

ここから向かいの岡の方を望むと所々に桜が咲いているのが見えるけれど森の中や農地の縁に白く霞んでいるようなのはサンザシの花だ。

やっつけのパスタにシュニッツェル

2012年04月20日 03時00分02秒 | 喰う

別に何を喰いたいということもなく、ただ食事を用意しないといけないな、というので仕事の後スーパーでうろうろ眺めていたら、目の前にあったもの、兎に角パスタだ、と卵とほうれん草の二色パスタの袋を掴み、説明では8分茹でればアルデンテか、ふんふん、ええと、次はソースだが自分で作るのも面倒だから隣にあるビン入りのイタリア・チーズ四種のものがトマトベースになったソースを籠に放り込み、温野菜は5分茹でたブロッコリっと、そうなると肉はシュニッツェルだとわかったようなわからないようなことを思い、ぞろっと長くサンダルの裏のような肉が二枚入ったパッケージを掴む。

サラダはサラダ用菜っぱの若葉の取り合わせにチェリートマト、紫玉葱をスライスしたものを乗せて出来上がり、それにサラダオイルとリンゴ酢、胡椒をグラインダーで擦って振り掛けたもの。 アルゼンチンの赤ワインで出来上がり。

味はどおっていう事のないものでこれなら写真のほうがよっぽどいい。 日が長くなったのでキッチンの大きなガラス窓から入る自然光でこれから秋まで食卓のものがきれいに撮れる。

デザートは ミネオラオレンジ