暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

寒いけれど桜が咲いていた

2012年03月31日 22時14分45秒 | 日常
2012年 3月 31日 (土)

家人は今日フランスのブルターニュの海岸線を同好の老人達5人と一緒に一週間歩く旅の最終日、全行程140kmを終えるのだが、自分の自宅での一週間の一人だけの休暇もこれで終わる。

週末だから職人たちも来ず、午後二時にゆっくり起きて猫に餌をやり、さて、子供達の晩飯に何を作ろうかと思案していたのだが、そのうち息子から電話があって、パパ、餃子にしようよ、おととい妹と二人だけで餃子喰ったんだってな、それは不公平だよ、僕にも今晩作ってくれよ、と言われるけど、それは中華食材屋で買った冷凍食品で、格好は餃子だが、中身は安物のシュウマイみたいなもので、とても餃子とは言えないしろもの、妹がそういわなかったのか、餃子を喰ったといってたなら妹のお前を羨ましがらせる策略にまんまと嵌ったんだ、というけれど、餃子にしようよ、といい歳をしてまだ言っている。 去年の夏日本でしこたまカレーと餃子を喰ってまだ足りないらしい。 ま、今日は餃子はなしだ、お母さんが帰ってきてそのうち暖かくなったらお前の彼女もいっしょによんでする、ま、今日はなんかマーケットで見つけて考えるから、といって電話を切った。 とは言っても何も思いつかない。 そとは陽が射しているもののこの何日か寒く室内でも18℃以下になるのかセントラルヒーティングが作動している。 天気予想では来週辺り日中最低気温が氷点以下になるとも言われている。

献立を考えずにとりあえず食材を見に行こうと自転車にのりぶらぶらと肉屋のほうに走っていると近所のコブシの木は花盛りだけれど八重桜はまだ蕾が出来始めたぐらいだ。 堀端の水仙はもう盛りを過ぎ、水路には小さな桜の木があるのだがそこが満開になっている。 何年か前にもこの満開の写真をブログに載せたのだが大抵同じところに自転車を停めて同じようなワンショットを切り取っているようだ。 この花を見ていると今夜はすき焼きにしようと思った。 もう55年ほど前に親戚50人ぐらいが大型トラックの荷台に用意一切を積み込んで地元の名所ですき焼きの大花見パーティーをしたことがあってそれが頭にり、この、まわりに桜が一本もないのに小さい木に一杯薄いピンクの花をつけている木の様子をみてすき焼きが浮かんだのだろう。

オランダでも他のヨーロッパの国でも日本のように肉を薄切りにするような習慣はない。 ハムは別だ。 大抵塊かステーキ肉ぐらいの厚さで買われる。 エドの肉屋はもう何年も前からハムを削ぐ機械で2mmぐらいに削いでもらう。 紙のように薄く、といってあるのだが紙のようにはならない。 日本料理の本には肉屋に頼むと冷凍しそれがまだ硬いうちに削いでもらえばいい、というように書かれているのを見たが、手間がかかるので何年もまえにこれを説明してエドと女将さんは冷凍しなくてもそのまま薄く削ぐテクニックを身につけている。 先日別の肉屋でそのように頼んだらうちではそんな細かい手間のかかることはしない、といって断られた。 それが普通の反応なのだ。

青空マーケットに行ってネギ、茸、モヤシに卵を買って、中国食材店でうどんと木綿とうふを求め、青物屋で苺を買い物袋に入れて魚屋で今日はムール貝の揚げたてを大蒜ホワイトソースで食った。 思いのほか大粒で小さい牡蠣のようにぽってりとしていて柔らかく旨かった。 今が時期なのだろうか。 

日本人は寄ったら食い物の話ばかりする、とよく言われるけど今日の話もそんな風になっているから、テレビで昼に観た政治座談会のことを書く。 この2年ほど景気の悪さに乗じてか保守党、キリスト教民主党の連合政府に加えて右翼政党が影で保守党に強い影響を与えているのだが保守党首相と右翼政党の不仲が内閣解散を示唆するような動きだったのがそれが茶番だだった、といって批判されている。 もし今選挙になれば労働党を抜いてオランダ社会党が第一党になると世論調査の結果がでているのだが今回の動きもこれをけん制する意図のものと汚い政治ゲームだと誰かが言っていた。 二日ほど前に職人の昼休みにそんな話をしたことがある。

ペンキ屋は自分の職を脅かす外国人、とくに近年近隣諸国と同様雪崩を打って移民がつづくポーランド人排斥に同意してその党に票をいれる、というのだが、それは右翼政党の主張なのだ。 この党がネットにポーランド人をターゲットにして彼らに対する苦情のサイトを開いたことでオランダとポーランドの関係がギクシャクし、ヨーロッパ議会から人権侵害、差別の恐れがあると批判されているのにその始末でそれを助長する首相に対する批判もあり内閣が瓦解するかと期待されていたのだがそうはならないらしい。

まだ他に今日なにか思ったこと、したことがあるはずなのに眠気が襲ってきて頭がまわらない。 朝、というか昼までゆっくり寝たのにこの始末、ということはこの10日ほどの習慣が身についてしまっている証なのだろう。




マイク・タイソン THE MOVE  <未> (2008);観た映画、 March '12

2012年03月29日 22時18分52秒 | 見る


マイク・タイソン THE MOVE  <未>(2008)

原題; TYSON
88分
ジャンル ドキュメンタリー/スポーツ

監督:  ジェームズ・トバック
製作:  ジェームズ・トバック、 デイモン・ビンガム
製作総指揮:  マイク・タイソン
撮影: ラリー・マッコンキー
音楽:  サラーム・レミ

出演:  マイク・タイソン

ウィキペディア; マイク・タイソンの項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3

若いときからボクシングが好きだった。 親の世代は白井義雄の時代だったが自分にとってはファイティング原田、矢尾板貞夫に始まってその後、輪島功一、ガッツ石松までテレビで彼らの試合を観た。 カシアス・クレイをへてモハヘッド・アリになりジョージ・フォアマンとの観戦記をノーマン・メーラーが書いたものを当時始まったばかりの日本版月刊プレーボーイで読んだことも憶えている。 1980年にオランダに越してきて以来、当初テレビはあまり見なくなっていたけれどマイク・タイソンの登場で彼がテレビに出るたびに観るようにした。 その戦いぶりは別格、群をぬき、登場してからの戦いぶりには誰もが固唾をのんで食い入るように画面を見ていた。 その俊敏で無駄のない動きを駆って試合がはじまるとすぐに相手をマットに沈めるのに接してあっけに取られたのだが、一方そのあっけなさに不満が残るような気がしたのだった。 当時は本人も勝つのは当然倒すのは当然だけれど初回で倒せるかどうかの自分との戦いだ、と語り、見るものには、本当にこれはまともでフェアなマッチなのだろうか、あまりにも技量が違いすぎる、まるで猛獣に餌をあたえてそれに獣がむしゃぶりついているのを見物するような気持ちがしたのだった。 けれど一方、そのまえにはモハメッド・アリの晩年の戦い方をみているからタイソンをも含めて、やがてどんな優れたボクサーも辿る下り坂を経験し直に消えるのだろうことは分かっていたもののこのボクサーは特異なのだ。 その特異さが遺憾なく本作の自伝ドキュメンタリーとでもいえるような映像に表れていてそれには感動を覚えざるを得ないほどのものだった。 ある意味、キングコングの顛末を写しだしている様でもある。

本作はウィキペディアの記載事項を追うようなものではあるけれどそれと大きく違う点はタイソン自身が自分の過去を振り返って直裁に述べていることだ。 凄惨な家庭環境で育ち犯罪者になり早くして周りの人間と同じく犯罪の中で死ぬだろうというような運命付けをほぼ小学校をあがる頃には受け入れていた、まだ人を殴ったことのないそんな恐怖心の塊の少年がその後、生涯の師と仰ぐトレーナーと出会うことで我々の目の前に現れチャンピオンになるというドラマに感動しないものはない。 孤独で猟犬のように訓練されトップに上り詰めたところでトレーナーに死に分かれ、そこから綱の切れた凧同様、下降線が始まるのだが、カメラに向かう今、その自己分析が簡単で、驚くほど正直に自分の非を認める25年後のタイソンの表情に我々はすべて事が済んだその25年間を想像するのだが、そこには今は自分の子供達のことを語るタイソンがおり、本作はタイソンが家族をサポートするというそのプロジェクトのための製品なのだ。 ボクシングは過去なのだ。 けれど過去の幾多のボクサーの栄光はタイソンにはなく、記録だけが残る。

ある程度の資産はあるのだろうが自分が拳で稼いだものをまわりに掠め取られ自分もセックス・ドラッグ・ロックンロールに費やして最後の試合については、これははっきりと金のため、自分には家族を食わせる金がいる、とカメラの前で言い、そこでは2流の試合で金を稼ぐためだけにリングに上る幾多のボクサーと同じ姿ではあるけれどここでは幾多のうらぶれたボクサーにみられる「末期を迎えるボクサーに見られる惨めさ」はない。 自分を倒した若い勝者以上に金を掴みこの舞台の主役は自分だということを負けることを前提として知っている。 だから勝者には、よくがんばった、と若者を励まし、ことの終わったすがすがしささえも窺える。 このときの勝者にしてもその後ランクを上り詰めたという話はきかない、そんな2005年の、緒戦から20年後の幕のしめかただったのだ。

だが、それに至る前、自分はオランダに住んでいるからイギリスのテレビは日常的に見ていてボクシングもみている。 だから晩年、90年代の半ばでイギリスのフランク・ブルーノやレノックス・ルイスのカードが決まったときに彼らのインタビューと彼らのそれまでの戦歴を観て、タイソンとの試合が放映されたのを観たときタイソンは終わった、と明らかに感じたのだが、今回のドキュメントでその頃の試合でイベンダー・ホリフィールドの耳を噛み切った前代未聞の椿事の顛末がよく分かったし彼自身の謝罪の言葉の裏にある当時の彼の生活からにじみ出たリング内での生の感情にも思わず同意しそうになる。 いくら相手が汚いボクサーでもルールはルールなのだ。 それに従えないときはどうする、という話しなのだ。

このように今は40を越して自分の人生を振り返るタイソンをみると剃刀のように次々と1ラウンドや2ラウンドで相手を倒していく映像が目蓋の底に蘇るようだ。 嵐のように異常な人生経験を通り過ぎていく姿をみるにつけ、45歳にして実に20年ぶりに世界ヘビー級王者に返り咲いたジョージ・フォアマンとの対比を思わずにはいられない。

私事、インタビューの中で、底辺から頂点に上り詰め、ボクシングの歴史の中でのジャック・ジョンソンに憧れそのように自分を同一化したようなことがタイソンによって述べられているところで自分のジャズ導入に貢献したのがジャック・ジョンソン関連だったことを思い出した。 マイルス・デイヴィスがやはり帝王と呼ばれる中で「社会正義」の実現モデルとしマイルス自身もトレーニングを積んでいたボクシングのチャンピオン、ジャック・ジョンソン伝記映画のサウンドトラックが自分のジャズにのめりこむ契機となっていたからだ。 自分はスポーツは好きだがことさらに相撲、ボクシング、ラグビーに惹かれる。

魚レストランで夕食にした

2012年03月29日 01時57分33秒 | 喰う

2日ほど前、月曜日に閉まっていたレストランで一人食事をした。 

チリのシャルドネ白ワイン

前菜  

からしスープ生鮭小片入り、 メカジキの燻製、小エビのグリル

主菜

魚三種; Rode mul (アカヒメジ)のグリル、 ヴィクトリア・バスのグリル、 鱈の湯灌ホランド・ソース添え
サラダ、グラタン・ドフィノワ

デザート
甘いもの三種

エスプレッソ、 リキュール

天気がよくまだ明るかったけれど7時半ごろ入って9時前に出た。 手際がよかったのかあまり待つこともなかったから早かった。

ボディクライム 誘惑する女 <未> (2006);観た映画、March '12

2012年03月28日 04時24分41秒 | 見る


ボディクライム 誘惑する女  <未>  (2006)

原題; A CRIME

103分

製作国  フランス/アメリカ

監督:  マニュエル・プラダル
製作:  ミシェル・ペタン、 ロラン・ペタン
脚本:  トニーノ・ブナキスタ、 マニュエル・プラダル
撮影:  ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:  エンニオ・モリコーネ

出演:
ハーヴェイ・カイテル
エマニュエル・ベアール
ノーマン・リーダス
ジョー・グリファシ
リリー・レーブ
キム・ディレクター
ブライアン・タランティナ
パトリック・コリンズ

ベルギー国営放送の深夜映画で本作を見て、いつものように映画データベースでクレジットなどを調べたら<未>とあった。 これは日本<未>公開なのか劇場公開が未だ行われていない、ということなのかそれは分からないけれど、ある意味シャロン・ストーンで「氷の微笑」だったものがここでははるかに面白いものになっているのに<未>とは残念なことだ。 映画を海外から買う会社がこれは日本では売れないと見切ったからか、それともパイロットで客、玄人に見せてその反応でこのようになったのだろうか。 どちらにしてもハリウッド、アメリカ映画、ジャンク・フードにならされて満足している大衆、若年層を中心としてターゲットとするとこういうものはそういう層には分からない、分からないからウケない、と見切ったということなのだろうか。 それにしても邦題が陳腐だ。 映画を観てちょっとは考えて題をつけているのだろうか。 原題と邦題の質、距離を考えさせられる。

だれかこれを見て覚書を書いているサイトがないかと調べてみた。

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WOWOWサイトの記述;

妻を殺され、心を閉ざす男を愛したヒロイン。彼のため、彼女はある男を犯人に仕立てようと画策する。H・カイテル、E・ベアール、N・リーダス豪華共演の官能サスペンス。
「ピアノ・レッスン」「ナショナル・トレジャー」などの実力派H・カイテルと、「8人の女たち」のE・ベアール、そして「処刑人」シリーズのN・リーダスという米仏スターが共演した官能サスペンス。リーダス扮する妻を殺された男性に思いを寄せるヒロインが、ひとりのタクシー運転手を殺人犯に仕立てようと官能の罠を巡らす。3人のすれ違う愛憎のドラマ、そして衰えを知らないベアールの熟しきった裸体の美しさが見どころだ。

何者かに妻を殺されたビンセントは、以来心を閉ざし、いまだ捕まらない犯人を独自に捜し続けていた。数少ない手がかりは、事件当夜にすれちがったタクシー運転手。そんな彼にひそかに思いを寄せていた隣人アリスは、彼を事件の呪縛から解放させたい一心から、孤独なタクシー運転手・ロジャーを犯人に仕立てることを思いつく。アリスは自らの豊満な肉体を武器に、ロジャーを危険な官能の罠へと誘うのだが……。

(映画が好きで能天気な女の)個人のサイト;
http://teapleasebook.blog26.fc2.com/blog-entry-447.html

同性愛映画を中心に…近親相姦・不倫etc.さまざまなアイのカタチ映画レビューする女のサイト;
http://blog.livedoor.jp/cocoroblue/archives/52074365.html

エロだけを期待して要らない所を早送りして見る男のサイト
http://ameblo.jp/chu-candy/entry-11115847830.html

B級というよりは、Z級映画大好きな男のサイト
http://blog.goo.ne.jp/morkohsonimap/e/19e35cf32d8c2178ad538dd845feab0b

上のサイトの記述に目を通して、見る前に読まなくてよかったと思った。 読んでいたら見る気がしなくなっていただろうと思われるからで、観た後でこれらを読むと書いた人たちの今までの人生経験や文化の程度が分かるような気がして、つくづく人の前に自分の書いた物を晒す怖さを思った。 とはいうものの老人の野放図からこんなものを書いている自分のことも考えるのだが、それに加えて想像したのは彼らが観たのは多分字幕を通して観たのであって字幕なしで台詞を聴いて映像をみるのと違った情報の質の違いがあるのではないか、情報に欠けるところがあるのかもしれないとも思った。 ニュアンスが伝わっていないのではないかとも思うけれど受け手の想像力にも拠るのではないかとも忖度しつつ、例えば、「おフランス」のとかフランス的なムード、というような例えの使い方とそれが語られる脈絡を見ればスノッブまでも行かないジャンク・フード喰い、とか「カフェでお茶する」というような人の匂いが漂ってくる。 そういう人間にはこういうストーリーを自分のこととして考えられる、ありえる、というような世界からは程遠く、その言動からは海外で言われる「日本人の幼児性」といわれるその感受性を端無くも実証しているようなものだろうとも思うのだ。 

これを見ようと思ったのはただ一つ、ハーヴェイ・カイテルの名前がテレビガイドに出ていたからだし、粗筋も読まなかった。 読めば面白みがなくなるし、その時々でこれから話がどうなっていくか気分が削がれるからだ。 とはいえここで上にみるような記述を貼り付けることなどしていることから、これもこれから見ようという人たちには迷惑な話だ。

読書感想文にしても映画覚書、日記にしても、それらを読んでいるとそこから浮かび上がってくるものがあり、それを大げさに言って「文は人なり」と思わせるから、そんな色々なブログは面白い。 

日本では並んだらしかったけれどオランダではだめだった

2012年03月27日 23時42分02秒 | 日常

昨日は金星、月、木星が夕方西の空に一直線に並ぶ様が見られると報道されていたのでオランダでもそうなのかと眺めていた。

多分日本の午後5時ごろそれが見られるとしてそのときはこちらは朝の10時、そんなものは見られるはずもない。 で、こちらでも5時ごろになると見られるかといえば見られない。 まだ明るすぎるのだ。 だから8時半頃まで待った。 ここ数日快晴の日々が続いている。 夜の気温4度ほど、日中気温17度、夕方の空は雲ひとつなく澄んでいる。 そして8時45分に西の空に向けてカメラを向けた。 金星の左下に鋭い下弦の月が見えているのだが木星は小さく木の枝の先に見えるだけだ。 それらの線を結んでみると鋭く長い三角形の先が木の枝の先にほのかなランプが点ったような形に見える。 この時点で日本でそれが起こったときからもう12時間ほど経っている。 当然地理的に地球のどこでもそれが見られるとは限らないからこんなものかと思うけれど、でもちょっと待ってみようか、もう少し動けばもう少し形が何とかなるのかもしれないと11時ごろまで待ってみたのだが形は変わらず、木星は既に地平線に沈んでいるものの地平線の下でもこれらが一直線になるようにはおもえず、結局ここでは駄目だった。 空がこれほど澄んでいるのに残念なことだ。


寝過ごし、映画、金星ー月ー木星、外食、息子の下宿、軽いショック

2012年03月27日 03時23分43秒 | 日常

眼覚ましを9時半にかけておいたと思ったのだがその目覚まし自体に夏時間の修正を施していなかったので実際は10時半になっており、10時前にくるはずのペンキ屋のために下に降りて台所の鍵、庭からポーチに出る木戸の鍵を外してもそこには誰もいない。 寝過ごしたのだ。 台所にもどろうと裏庭のベンチを見るとその上にペンキ屋の昼飯、サンドイッチの弁当とジュースの紙パックが置いてあるのでどこから入ったのかは知らなかったものの仕事の服と道具一式は物置と家内のアトリエにいれてあり、それらの鍵はかかったままなので木戸から庭に入ったとしても衣服や道具、ペンキが取り出せないので仕事にならずどこかに行って怠惰な施主が起きるのを待っているのだなと思いながら紅茶とサンドイッチの朝飯を新聞を読みながら摂っていると天気のいい11時にペンキ屋が来たので自分の不手際を謝り職人は今日は一人で仕事を始めた。 助手の男は何かが不満で今日は勝手に休暇をとっているらしい。明日は来るだろうと言っていた。 昼休みに暫くこの50にまだ手が届かない男の道楽や高校に行っている子供達を通して今の教育と20年前に受けた自分の教育の違いについて話したのだがこの男の言うにはオランダの教育の質の下がったことに対して何年か先に払うだろう子供達の学費の高さのことを憂いていた。 年間一人17万円ほどになる。 日本ではどれくらい要るかいってやろうかと思ったが話し出すと休憩時間を大幅にはみ出して、そうでも短いのに仕事の時間を削りそうになるのでやめた。 男は3時を廻って今日は打ち止めにして帰った。

ペンキ屋が帰るとそれまで家のどこかに隠れていた猫が庭に出て木の上に登り庭に下りてくる鳥を眺めていた。

居間でヴィデオに撮っておいた映画を観ていると晩飯の時間も過ぎ8時になった。 今日は日本では夕方に金星、月、木星が一直線に並ぶ、というようなことがどこかに出ていたのでオランダではどうかとこちらの夏時間8時に西の空を眺めたのだがまだ明るくみえることは見えるもののもう少し夕闇が迫ってから写真を撮ろうと8時のテレビニュースを見た。 そのあと一人で外食しようと自転車で出るために裏庭にでるともうかなり夕闇が下りていたので自転車のサドルにカメラを乗せて上に向けて撮った。 金星と月ははっきり見えるものの木星は小さくかなり下に見え、どうも一直線とはいかない。 日本の夕方というとオランダではまだ朝の10時ごろ、まだ寝ていた頃だ。 それはいいとしてもそれからはもう10時間半ほど経っている。 それぞれの位置関係が分からないので一直線に並ぶ機会はヨーロッパでは今日は見られないのだろうか。 もし見られていればメディアで何か報じられたいるはずだがそれもなかった、ということがこのイヴェントが見られなかった、ということなのだろう。 この種のことは地球のどこでもみられるとは限らない、というのは皆既日食、月蝕などについても同様なのを知っているからだ。

駅から遠くないところにある魚のレストランに行こうと自転車を漕いだ。 家からは町の中心を通って反対側になる。 うちが町の東南の端にあるとすれば駅は北北西にある。 自転車なら20分ぐらいか。 月曜だから休みかもしれないと思っていたのだが行ってみるとその通りだった。 仕方がないのでその近くにある古くてしょぼい中華料理屋で小籠包と麻婆豆腐、焼き飯をビールで喰った。 そのあと帰り道、ふと思い立って息子の下宿に寄ったらその部屋に友達が5,6人いてビールを飲みながら談笑していた。コーヒーをくれといったらインスタントしかない、といわれたけれどそれでもよくブラックコーヒーのまま飲みながら暫し自分がYouTubeに載せたジャズライブのことを見ながら話していた。 一応大人のいうことに耳を傾ける姿勢は示すもののやっぱり自分達はハウスやクラブでかかるダンスミュージックの方がいい、といって折衷案なのかブラックサバスやキングクリムゾン、ピンク・フロイド、というような我々のナツメロを選んでいる。 11時になったのでそこを出て自転車の鍵を外していると猛烈にクシャミが出て妙だと思いながら自転車を漕ぎ始めてみると、まてよ、これは中華料理のグルテン、アルコール、急な温度の変化で出始めているアレルギー・ショックの前兆かと気をつけて家までもどり、それに加えて呼吸が出来にくい喘息気味のゼーゼーする音まで聞こえる中、台所で抗ヒスタミン錠を一粒口に入れてそのままソファーの上でマイク・タイソンが語るこの25年ほどの話のドキュメンタリーを見ていたのだがそれが終わって、薬を飲み下してから2時間以上経ってからなんとか効果が出てきて普通に呼吸が出来るようになった。 今回はいつものように体に蕁麻疹がでるようなことはなかったものの鼻汁が絶えず出てティッシュの箱を半分空にしてしまった。

今日は最後の軽いアレルギー・ショックを除いて悪い日ではなかったのに最後に味噌を付けた。 11時を廻って晴れた夜空にだいぶ傾いた月を見ても金星と月の角度は変わっておらず木星はとっくに地平線に沈んでいた。

今年もまた夏時間になった

2012年03月25日 23時50分55秒 | 日常



2012年 3月 25日 (日)

昨日の夜のニュースでは早朝2時に時計の針を一時間進めて3時になることが報じられていた。 カレンダー、手帳の類にもこの情報が示されているからヨーロッパに住んでいるものには年に二度の行事になっているのだが、我々の生活も時計に準じて廻ることになるのでこの行事も大切といえば大切だ。 

アナログ、デジタルの時計の針、各種機材についているクロックを調整しないといけない。 これだけデジタル情報制御が行き届いている時代だからそれをしなくても自動的に変わるようにプログラムされているものがあるのだろうけれどそれは他人ことで自分の持ち物の中にはそういうものがあるのかどうか知らない。 というのは家の周りのものはそれをしなければならず、そのクロックの類を毎年二回調整していて、携帯電話にしてもそのままの冬時間になっていたのだからそれも行き届いていないのだろう。 まてよ、この携帯は父の日のプレゼントという言い訳で無理やり持たされたもので、日頃は殆んど使うこともないし、ただ必要なときには目覚ましのバイブレーション機能を使う程度の4,5年前の一番安そうなものだからそれも疑わしく、今のスマートフォンではこの圏内で売られているものは自動調整機能がついているのかもしれない。 自分の目の前のコンピューターのモニターの隅に見える時間は調整しなくてもちゃんと夏時間になっているけれど、それは何回か前の夏に調整してそのままに放ったらかしのままだからそうだというわけで冬時間の時には一時間先を告げいたのだけど、それでも自分の日常の活動には差しさわりのがないからそうしてあるだけのことだ。 時計が必要なら腕時計を見る。 急いでうちの中を走り回って午前2時に針を変えて廻らなくてもそれは翌朝すればいいことだ。日曜早朝の午前2時に変換する、というのは社会的な影響を考えてもっとも人間の活動の緩い時を選んでいるということなのだ。 

で、昨日の8時のニュースで6時間後に時計の針を進めることと言っていたのにそれをしていなくて、今日は朝早く起きる予定もなにもなくてよかったから目覚ましもかけず、好きなだけ寝ていても通常のように昼前に起きるということが出来なく、充分睡眠も取れ、もうこれ以上寝ていられないという気持ちで目覚めたらまだ9時半だった。 昨晩寝たのがまだ1時にもなっていなかった。 それはこのごろ朝9時前に起きる生活が続いており、それが生活時間の習慣化となったからなのだろう。 だから宵の1時、2時にはもう耐えられないほどの眠気が襲ってくるし、普通夕食後8時のニュースを見ていると20分ぐらいで眠気が襲ってくるものがこのごろはそれもない。 

ゆっくり朝食を摂っていた時に流れてきた音楽の間にニュースが入って、それが11時のニュースだというので、ええ、もうじき昼飯か、と訝った。 あれ、目覚めてからそんなにゆっくりしたいたのか、新聞にしてもそんなに長く眼を通していないのに、と腕時計に眼をやるとまだ10時で、ああ、夏時間だったな、と思い出した次第だ。 幸いなことに今日は日曜の射撃大会も今週は予定にないから支障もなく、とりあえず台所のアナログ時計と腕時計、携帯の時間だけは調整した。

自分は今日は何も時間に縛られることがないからこともないものの、予定のある人たちの間ではこの日は、睡眠時間が一時間短い、寝不足だ、と言うものがいる。 ところが午後になるとそれは少々趣を変える。 それでなくとも日が徐々に長くなるというのにこれからもっとというか、正確には地球の傾きによって自然に日の長くなることに加えて夏時間の1時間が加わる、という人工的な操作がされて日没が1時間先送りされているのだ。 冬時間そのままだったとしても一番日のながいころ、6月の終盤には10時半ごろまでぼやっと明るいところに一時間だから夏時間の11時半頃まで北の空は明るく、10時ごろまで裏庭で新聞が読める程度に明るい、という日が続く。 だから裏庭にガーデン・テーブルを出して夕食後にゆっくりしていても暗くなることはないからこれから夏にかけて皆が一年中で一番待ち受ける季節となる。 陽が翳っても寒くはなく日照時間が9時ごろまで明るくなるのはこれからまだ半月はかかるのではないか。 

夜8時に西の空にカメラを向けた。 晴れてはいるけれど陽は翳り始めている。 下弦の細い月が見えている。 明日は車の時計の針を進めることにしよう。


ニコニコ・マークか?

2012年03月25日 00時36分18秒 | 日常


町にでて義弟の還暦祝いのために買った面白本を手に本屋をあとにして目抜き通りに来た。 

市役所の前では信号が青で、渡ろうとよく見たら青信号の青のランプに落書きがしてあり、それは嘗て黄色に黒で笑顔を描いたニコ・ニコ・マークのようなのだがちょっと違う。 黄色に黒い線のニコニコマークと青に黒い線のこれでは印象が大きく違うし、それに一文字に引かれた口の線は笑顔を誘うものではない。 インクが垂れてなんだか少しホラーじみているように見えなくもない。多分これは世界で繰り広げられてきたオキュパイ・ムーヴメントの名残なのだろう。 この町ではなかったもののアムステルダム、ハーグなどでは世界と連動して幾つものテントが設営され、それには当初、世論を考慮して市も一定の理解をしてしているという姿勢を見せてはいたものの、その後、時が経ち、今では様々な理由をつけてそれらの施設が撤去されており、その残党、シンパの若者がこのように落書きをしていったのかもしれない。 現にこの信号の赤いランプには我々が60年代後半から首にたらしたりベルトのバックルにしていたピース・マーク、メルセデス・ベンツのロゴの垂直線を下まで伸ばしたようなものがなぐり描きされていた。 

スーパーにこんな棚ができた

2012年03月24日 01時56分55秒 | 喰う
今日いつも行くスーパーに新しいコーナーが出来た。 Glutenfrij のコーナーで、それは小麦製品、とりわけグルテンが排除されている食品を集めた棚だ。 各種アレルギーがあってグルテンもその一つでもあり、自分の街には南ホランダ州で一番この種の特別食品を揃えた自然食品店が近くにあるのだけれど、その味はとても旨いものとはいえなく、そのことは自分でも確かめているけれど、今一般のスーパーにもこの種の食品が並び始めた、というのは残念ながら時代の流れなのだろう。 残念な、というのはこういう食品が出回る、ということではなく、スーパーに並ぶほどアレルギーが広がっているという証左となるからだ。

自分も急性アレルギーショックの可能性をもっている患者だと診断されたのは2年ほど前で、2万人に一人ぐらいの割合だそうで、この町は10万人ほどだからあと4人はいるのだが自分のアレルギーはグルテンだけだと無害なもので、それに急激な運動やストレスがあってグルテンと合致したばあいに発病、ショックが起きて命にかかわるようになものとなり、それがこの町にあと4人はいる勘定になるのだが自分は本格的な患者第一号の栄誉を大学病院で与えられたし、その参照文献は学会に発表された日本の研究者たちによる英文のレジュメだった。 日本にはオランダと較べられないほどの患者がいるということでこれは環境だけの問題ではなくライフスタイルにも係わるもののようだ。 研究が進んでいるということはそれだけ症例が多いということだ。

話をこのスーパーの棚にもどすと、グルテンだけで発病するアレルギー患者がここではビジネスになるほど多いということだ。

自分の経験では今のところこのような材料で作られたものは不味い。 唯一つ喰えるのは何の面白みもない米から作った塩味のクラッカーだけだった。 日本往復の機内食で頼んだ特別食の不味かったことは忘れられない。

藤沢周 著  焦痕

2012年03月23日 11時11分51秒 | 読む
焦痕

藤沢周 著

2005年 集英社 刊

ISBN4-08-774745-X C0093

本作は2001年から2004年にかけて文芸雑誌「すばる」に掲載された作品をひとつに集めたものだ。 次の表題にはそれぞれ中心になる人物が配されそこで語られるストーリーのなかで直接、間接的に次の話に登場する人物が絡んだり素通りをしたりする、というような人物交差のバトンがつぎつぎに渡っていくというような体裁になっている。

焦痕    大林(サラリーマン)
腹が痛い  露木(サラリーマン)
素描    淳 (飲み屋店員、バイト学生)
錯誤    千野 (業界新聞編集者)
消失    沢村 (インドネシア風バー店員)
擬態    越野貞一郎 (自称作家)
零落    塩谷 (不動産会社営業部渉外課40歳)
惑溺    大沢 (大学院生)
偏差    井原 (オフィスデザイナー)
ぷちぷち  佐久間美和子 (T-Bay 通信 会社員)
無辺    土田 (T-Bay 通信 会社員)

この何年か藤沢周の作品に触れてその肌触りに惹かれるのはそこに描かれる人物達の苛立ち、弾け方が似ているようであっても自分とは違うというところで、そういう人物群を描きつづける作者の感性に興味をもつからだろうと思う。 それは、こころの中にあるものが弾けて切れるか、自己が日常から乖離するような瞬間をいったりきたりする、そういう場面に惹かれるからでもある。 もし自分が日本でサラリーマンをしていたら藤沢の描く人物群の一人になっていたかもしれない、というような恐れもあるからなのかもしれない。

掲載誌によって作品の様子を変える、ということはあるのだろうか。 他誌でみたものとはその内容、核というものは変わらないだろうものの、すばる掲載の本作はストーリー、表現が直裁であり、主人公たちの鬱屈、逡巡がなぞりやすくできているように見える。 前に藤沢を文芸界での古井由吉の子供なり甥だと書いたことがある。 実際、他誌で古井にみるような、読者の脳を溶かすような思考表現の試みをしているものを幾つか眼にしている。 古井のそんな作品を映像作品にすることは甚だ難しいだろうけれど、ここではそれぞれの短編が若い映画監督に、このお膳立てで映画に出来るか、やれそうでできないだろう、できるならやってみな、と難癖をつけて挑戦しているような趣さえ見せている。 テレビのドラマにならなるかもしれないようなお膳立てでもある。 やれそうな俳優達が沢山いるように思うし簡単にドラマにはなりそうだが、けれど出来た映像作品が本作品を保証するかどうかとなると、その違いははっきりしていて、それは作者の思う壺でもあるところなのかもしれないと想像する。