20019年 4月 26日 (金)
昨日は抗癌剤投与第六期目(最終期)が始まる日でバスで大学病院にキツイ抗癌剤の点滴をうちに出かけた。 バス停まで300mぐらい歩いてバスの表示を見るとまだ15分ある。 それなら歩けるところまで歩いてその近くのバス停から乗ればいいとブラブラ歩いていると藤の房がたわわに咲いているところを通った。 うちの藤はまだ植えて3年か4年しかたっていないのでこれほどではないがこの2年ほどチョロチョロと咲き始めている。 日当たりがここほどよくないのか自宅のは蕾が開き始めで、その写真を撮ったのだがまだここに載せるほどではないと思っていたので今日の写真は自宅よりましなこの藤をここに載せることにした。 近所では肉屋の近くにもっと豪華な4軒ほどの軒先に一株が豪勢に連なって咲くところがあるのだが代替わりをしたその肉屋には行くことがないからその藤をもう見ることはない。 それにもう一か所、自分が通っていた大学の近くの豪邸の玄関にかかった藤の古木だ。 昔ここにその写真を載せたかもしれないが今はもうそこを通ることもないのでこれももう観ることもないだろう。 昨日は抗癌剤の副作用がかなりの状態だったから日記は書けなかった。
抗癌剤の点滴はもう何度も同じことをやっているので今回もその例に漏れずスムーズに行った。 2時半から初めて5時前には済んでいた。 右腕の血管は左より細いのでいつも左腕に打ってもらっていたのが今回今までの抗癌剤の影響かなかなか血管が出ない。 3度4度と看護婦は血管を探して、腕時計を外すぐらいのところも探ったがだめだった。 だからもっと上手な看護婦を呼んで左腕を諦めて右腕の血管にやっと針を収めることができてからはスムーズに事が運んだ。 これで15分無駄にした。 時間が見る間に過ぎて行ったのは点滴中ウツラウツラとしていたからで、これも前回と同じく抗癌剤の副作用だ。 これが終わって素早く着替え、荷物をまとめて冬のスキー帽を目深にかぶり、分厚いマフラーを首に巻いて悪寒が続く点滴の副作用に備え11階から玄関に降りて家人の車を待っている間もウツラウツラとしていた。 車に乗り込みシートにもたれると瞼が下がり気が付いたらうちの玄関だった。 すぐに自室・病室に入りパジャマに着替えたが酷い悪寒がした。 そのまま眠り込み6時半に夕食だといわれて起きた。 食欲はなかったが無理をして喰った。 食事中にも居眠りそうだったが食後すぐにまたベッドに戻り眠った。 9時に起こされた。 朝の9時だと思ったが暗かったから夜だと思い直したのだが頭の中が少し混乱していた。 抗癌剤の錠剤を飲む時間だったのだ。 その後朝の5時まで眠った。 下に降りたり階段を上がるときには手すりを持たないとフラフラして足が覚束なかった。
翌朝、朝食のときには幾分か意識がしっかりしていたが第二日ではまだフラフラしてベッドに居続けるのが常だったが今日はその通りにはいかなかった。 姪夫婦とその子供が11時に見舞いに来る筈になっていたからだ。 体調がよくなかったらベッドに戻るつもりだったが彼らが来て見れば気分がシャキッとして彼らが4時に帰るまで元気だったのが不思議だ。 前にもこのようなことがあった。 それは抗癌剤の時ではなく2年前の手術後に日本から友人が来てくれた時だった。 体には食い物を入れる管がつながれベッドにくぎ付けだったのが友人夫婦が来た時には半日シャキッとしていたからそれが不思議だったのだが今日もそのようなものだった。
この前に日曜日にうちで誕生日会をした集まりは身内だけだったのだが家人の一番上の姉夫婦は来ていなかった。 去年夫婦は義兄の故郷シシリアに戻っていたからだ。 義姉夫婦には3人子供がいて一番上の娘はシシリアの家を守ってもう20年ほどになる。 一番下は息子でオランダに住み電気工をしていてそれが唯一その彼女と先週の会には参加していた。 次女はハーグの美大を卒業しハーグで知り合ったイタリア・サルジニア島出身のジャズ・ピアニスト、 Augusto Pirodda と一緒になりブリュッセルに住み彼らには5つになる女の子がいる。 彼らが今日自分の見舞いに来る予定になっていたのだ。
何年か前にアントワープのカフェーで Augusto が演奏すると言うので自分、義姉と家人の3人で出かけたことがある。 その時はトリオだったから7人分の寿司を造って持って行き喜ばれた記憶がある。 そのときトリオのフリー・インプロヴィゼーション演奏のバックには姪が操作するオーバーヘッドプロジェクターによる流動体が動く像が投射されていた。 前回に会ったのは義姉夫婦がシシリアに帰るパーティーのときでその時初めてちょこちょことよく動き回る彼らの人見知りのする娘を見たのだった。 今日は以前と同じく自分たちにはなじまないものの居間のフロアで玩具を弄び静かにしていたが昼食となるとあれこれテーブルのものを集めて嬉しそうに自分のサインドイッチを作ってそれを頬張っていた。 姪は母親の乳牛のような体に似合わずイタリアでも小柄な方に属する姿だがその娘も同様小柄で、大きくなっても170㎝には届かないだろうと想像するけれど自分にはもうそれを確かめるすべもない。 アウグストはもう4年近く、第二次大戦の折りオランダ解放を画策するために貢献した兵士の物語を70年代に映画にしたそのリメイクのミュージカルの音楽監督をしていて、週に2日は軍の空港だった場所に設置された劇場で働いている。 だからそのためもあってオランダ語が話せるようになったから前回のように英語で話さなくともよくなっている。
我々が5月の中頃から2週間ロシアのセントピーターズブルグへいくクルーズから戻ってきた後このミュージカルに招かれることになったのは嬉しいことだ。 ライブのミュージカルなど見に行く機会がなかったけれど身内が演奏するミュージカルに招かれると言うのは嬉しい驚きだ。 10人のバンドで演じるそうだがこのミュージカルは国民的な話であることからロングランを続け来年はロンドンに舞台を移して公演するのだそうだ。 この仕事と自分のスタジオでのレコーディング、ライブ演奏、姪がアトリエで活動する間の子育てと忙しい日々を送っているようだ。 アウグストのアルバムの装丁・デザイン・グラフィックは姪が担当している。 自分の身うちにフリージャズ・ピアニストがいるのは嬉しいことだ。 ジャズの話をあれやこれやと話して合間にピアノで曲想やソロ、コンボのやり取りの実際を弾くのを聴くのには興味が尽きなかった。 いつだったか山下洋輔トリオのメンバーだった坂田明と共演して感動したというのでもう自分では聴くことのない山下トリオ・ソロのLPを探して5枚進呈した。 友達に見せびらかして羨ましがらせると言うのを聞いて嬉しく思った。 自分の死後散逸するはずの500枚ほどジャズLPを身内で聴く者がいるというのはこれも無駄ではなかったことの証になる。
彼らが帰ってから疲れたのか2時間ほど居眠りをした。 抗癌剤投与の第二日目、ふつうならグッタリしている日だったが嬉しい来客があって普通の日が過ごされたのが嬉しい誤算だった。
尚、ここで身内の宣伝をさせてもらう。 Augus Pirodda のホームページを下に記す。 短いながら曲の部分を聴くことができる。
http://www.augustopirodda.com/