暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ヒマラヤユキノシタ; この花の名前は?

2009年03月31日 09時20分16秒 | 見る

昨日写真を撮ったシナ連翹の下に植物が植わっていてそこに15cmほどの茎が上に出てそこから細かい濃いピンクというか薄い紅色というかそういうたくさんの花が咲いていた。

家人が半年かもう少し前に植えたもので、今日の夕食後にこれはなんと言う名前か聞いても要領を得ない。 ガーデンセンターで買ったときに名前と写真がついているプラスチックの小さなボードがあるはずだというのだがどこにも見当たらない。 そこで居間にもどっていくつかある植物の本のページをめくってもどうしようもない。 大体がそういうものは名前が分かっているものを調べるためのもので名前が分からなければ索引など役に立たなくてこれではちょっと手が出ない。 何百、何千と種類があるなかでただ漫然とページを繰ってたまたま出会うまでそれを続ける根気もない。 だからネットで探してみることにした。 オランダ語版で樹木については樹や葉の形などで検索できるものがあるから重宝しているのだが花に関してはつらい。 一般に花のほうが樹木に比べてよっぽど数が多いように思う。

葉の付き方、葉脈のかたち、花の色、季節、などなどを入れて検索すると名前がでてくるものがあったが、そうすると250種類以上の名前が出てきてそれらをとてもひとつひとつ探る根気もない。 そこで出てきたのがこちらから写真を送って何人かのその花を知っている人がそれに答えるという掲示板だった。 幸いなことに親切なかたからすぐに返事を戴き、それが「ヒマラヤユキノシタ」だ、ということを教わった。 家人には日本名を言っても伝わらないのでここは「ベルゲニア(Bergenia)」ということにしよう。 幸いなことにオランダ名もそのままラテン語のBergenia だから覚えるのには数が少なくて済む。 それにオランダ語では Bergen は「山(複数)」だからヒマラヤに合っている。 

どこかでユキノシタという名前は聞いたことがあったがこれだとは知らなかった。 想像していたものからはイメージはあまり遠くなかったことは確かでイメージの中でも「雪の下」の花は何故か純白ではなくなにか赤か黄色のような気がしており蓮華の花のようなものではなく一つのしっかりした茎から小さな花がいくつも咲いているものだったから目の前にあるこれに大体合っている。

けれど我が家の裏庭では深い雪は積もらないから雪ノ下から徐々に成長するユキノシタの資質は充分開花しないのではないかとも愚考する。

ヒマラヤユキノシタ(Bergenia)


この花の名は? 掲示板 ;
http://ksbookshelf.com/bbs/sbu2_bbs.cgi

ウィキペディア; ヒマラヤユキノシタの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%82%BF

チョコレートバー; アメリカがクシャミをすると、、、

2009年03月31日 00時50分34秒 | 日常


スーパーのレジのところで買ったものを買い物袋に入れているとそこのおばさんが、これサービスだよ、といって肘から手の先ほどの長さの袋をこちらにどさっと渡してよこした。 そのオバサンの横には箱が置いてあってレジで清算する客ごとにそこから一袋づつ取り出して渡している。

あのね、賞味期限があと3、4日で切れるからそのつもりでね、みんなにあるんじゃなくてなくなったらおわりだろうけど、まだなくならないからね、まだ大分あるよ、という。 なるほど、そうだろうな、期限切れが迫っているからなので、そうでなければわざわざ売れるものを客にただでやることもない。 普通なら大抵は大安売りのときに値段を下げて売り切るのだから、期限が迫るまでうれなかったから放り投げた、ということだろう。 その品はヨーロッパ中で見られるもので、子供達に人気があり、品質には別段問題があるはずもなく、結局このスーパーでは今に至るまで在庫が掃けなかったということだ。 

チョコレートの中にピーナッツが入った茶色の長方形の棒、一つ50gのチョコレート・バーだ。 わたしはこういうものはほとんど食べないが、もう大分前、子供達がまだ小さい頃は家人が子供達のためにときどき買っていたことを思い出した。 どこの学校の自動販売機にも街角にも必ず他の類似のマース・バーとかそういうものと並んでこれが入っている。 田舎を歩くときにはリュックに入れることもあるが大抵食べずにそのまま持ち帰ることが多い。 それが10個袋に入って500gだからちょっとドサッとする重さだ。 大きな袋の外観は小さな一個のものをそのまま大きくしたデザインで遠くから一目でそれとわかるように作ってある。

そのまま買い物袋に入れてスーパーを出るときに、でもちょっと変だな、と思った。 普通はどこのスーパーでも賞味期限が近いものを、ボランディア組織がそれぞれのスーパーを回ってもらいうけ、生鮮食料品を中心に生活必需品をまとめて生活困窮家庭に配布しているのだが、そういうボランティアグループが援助している物資の中にもこういう菓子の類を入れているはずだ。 人口10万人弱の市では去年は300ほどの家族が一週間に何回かこのような援助を受けている、と地方のメディアに報じられていたけれど経済不況の昨今、その数は増えることはあっても減りはしていないはずで、そういうところに一人何個づつか配ってもまだ余っている、ということだろうと想像した。

金融危機から経済不況へと特に年が変わってから一層厳しくなりそれは様々なところで感じられる。 風呂場、トイレの改築をするのに業者を回っていると普通なら施工の時期は半年ほど待たされるのが普通なのがそれがすぐに始められる、業者と契約をするにしても期間中に業者が倒産した場合の保険の有無を確認する、というような、今まで個人の売買ではあまり考慮されなかったことまで話が及んでいる。 事実、その代理店では中間の卸業者の一つが倒産してその保険が功を奏したということもあったという。 ものが売れない、注文がとれない、ということか。 

ここはいくつも種類のあるスーパーのうちで安売りが特徴の庶民的な店だ。 品数は他の店に比べて少ないけれど全体に物が安い、というようなことで移民の多く住んでいる地区の中にある。 いつも行くスーパーの前の道を今改修していて車がそのスーパーの駐車場に入れず仕方なく通り越して一つ向こうの地区まで来てこのスーパーのレジでチョコレート袋のオマケという次第になったのだが、それにしてもどこのスーパーでも仕入れの段階でどれだけの期間に何がどれだけ売れるか、特に、このようなもう何十年もまえからあるような商品については安定していて仕入れ量が分かっているはずなのにここに来て急に客の購買量が減った、ということなのだろうか。 子供に与えるチョコレートを買い物のときに母親が買い控えしはじめた、というのが結論的想像なのだが子供にとってはチョコレート菓子は贅沢品なのか。 私がそのこどもなら日常の必需品だと主張するにきまっているけれど所詮、財布は母親が握っていて、こんなものばかり食べているからベルトの穴がまた一つ向こうにいくのだ、といわれるのが精々だ。 けれどベルトの穴はここでは理由ではないように思う。

家に戻りそのことを家人にいうと、うちでももう子供達はほとんど家にいないのだし、こういうのは食べない歳になっていて近所にも子供はいないから、アルバイトに勤めいている法律事務所にでももって行けば誰かが食べるかもしれないというものの、その法律事務所にしても人権、外国人出入国管理の業務を専門にしていてほとんどが政府の予算に頼っているからこの財政縮小の折、開店休業ということになっているらしく、だから業務を縮小しそこで秘書をする家人の契約も6月一杯で切れるのだという。 

一時が万事この調子だ。 このチョコレートにまつわる話は、風が吹けば桶屋が儲かるという、ある意味楽天的な世間の一面をみせる諺が、今はそれが、逆転して風が吹けば皆、襟口をそぼめて身を硬くし、ひいては財布の口が締まる、という話に収斂するように響く。 いや、これはアメリカがクシャミをすれば日本は風をひくというが、アメリカの不良債権焦げ付きのことが世界中に波及し、アメリカがくしゃみをすると手元にチョコレート・バーが転がり込む、という事態になったということだ。 

100年に一度あるかないかというような不況の大風が吹くなかで果たしてどんな桶屋が儲けているのだろうか。 すくなくとも銀行も製造業も青息杜息なのだからあとはある種のサービス業なのだろうがどんな業種なのか興味の行くところだ。 単純に考えれば借りた金で下がった株を買えばいいというようなものだけれど下がったままで動かない。 実業がうまくいっていないから株価が低迷しているわけでいつかはあがる筈のものでもそれが2年先か3年先か分からないものは買えない。 ことはそんな簡単には行かないから人は今、何とかして儲かる桶屋を狙って努力しているに違いないのだ。

今あちこちでスキャンダルになっている官僚、政治家達の桶屋には儲けさせてはならない。 高級官僚、政治家など、政治家というよりそれを商売にする政治屋がこの機に乗じて太ろうとしているにちがいない。 もともとしっかり桶のタガを締めて売らねばならぬものが日本の政治家、桶屋には緩んだタガの間から水がダダ漏れの商品を売って客に被害をあたえることが多いと聞く。 医療の保障を掲げて当選したはずの市長が資金繰りのめどが立たずに病院を閉鎖したから住民がリコールしてその市長を罷免したというニュースが今日あった。 果たしてこの市長には医療の場としての病院よりその建設の利権ということに風を感じていたのではないかとの勘繰りが起こる。 何とか建設の受注にからみ世界各国で昔からスキャンダルが絶えない。 そういう風が吹いたら儲かるのはそんな桶屋だけでまわりのものはごみが眼に入って迷惑する。 それを防ぐためには風が吹かないようにしなければいけないのだろうがこの風の具合をなんとかするために世界中のあちこちで首脳が集まって鳩首会談に余念がない。 それを眺めるこちらからは、そんなに冷え切った経済ならそれで温暖化した地球をすこしは冷やせないかというような腹に力の入らない情けないジョークにもならないような言葉しか出ない。

またシナ連翹が咲いた

2009年03月30日 07時00分55秒 | 日常
毎年この時期になると家の庭にシナレンギョウ(Forsythia)が咲く。 そしてその度に写真にとって日記に貼り付けている。 一昨年の日記では今の時期に、去年では3週間ほど早く咲いている。 去年から今年にかけて冬はいつもより寒かったということかもしれない。 一月の終わりごろには北のフリースランド州で十何年かぶりに野外の水路や運河を200kmほど11の町を巡って滑るスケートマラソンが行われるかもしれないというような期待もあったぐらいだから普通よりは寒かったのだろう。 こういう草花の開花の時期で冬の様子も分かるというものだ。

この花は英名も蘭名もForsythia(フォーシチア)でオランダの一般名はChinees Klokje(中国の鈴)だから名にあるように中国原産のものだろう。 だからシナ連翹とした。 レンギョウという名の響きはもう随分前にほかにどこかで聞いたことがあるのだがなんだったのだろうか。 誰かの詩の一節に出ていたのかもしれないがどうも思い出せない。

ウィキぺディア; レンギョウの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%A6#.E3.83.A8.E3.83.BC.E3.83.AD.E3.83.83.E3.83.91.E5.8E.9F.E7.94.A3.E7.A8.AE

テレビでビヨンセのコンサートを一時間ほど見た

2009年03月29日 14時41分21秒 | 聴く
今年もう70歳に近いティナ・ターナーのコンサートがオランダのどこかのアリーナで老若男女のファンを集めて盛況にひらかれたことの様子がニュースで伝えられたその何時間か後にテレビのチャンネルをあちこちと変えて眺めていてたらビヨンセが2007年頃にカリフォルニアでコンサートを演ったときのものを放映していたの行き会い、そこで初めてこのビヨンセという歌手をじっくり観た。

それを観ようと思ったのはいつだったか彼女のコンサートの模様がちらりと出ていてその体躯から放たれる歌と踊り、存在自体ののセクシーさに圧倒され、それで名前がビヨンセーだと分かり、へえ、これがこの何年か子供達の間で時々名前の出ていたビヨンセかと認識したのだった。 なるほど、これでは早熟の子供、男女達がイカレルはずだ、と還暦近い親父が一曲の半分ぐらい見ただけでイチコロになるのも無理はない、と記憶していたからだ。

そして、はじめてじっくり観たのがこの1時間だった。 なるほど男を周りに傅かせ女の夢や自分の環境で一番強く生き残る術を豪華な体と動き、歌で体現するのだから男女の心を両掴みにするはずだ。 ここで何年もポップの世界で女王を誇るマドンナのことを思い出した。 勿論、もう20年以上前からスターであるマドンナと比べるわけにはいかないもののそのマドンナのポップ戦略は充分商品としてのビヨンセには後輩の常として使われているのだが、けれど、基本的にはその肉体性では圧倒的にビヨンセに分がありそうだ。 歌唱力と喉の幅にもこちらのほうに軍配が上がる。 それではラティーノのかつての歌姫ジェニファー・ロペスと比べるとどうだろうか。 多分アメリカのラテン文化より黒人ポップの資質のほうがより世界に売れるのかもしれないが結局はビヨンセの強力な肉体性に依るのだろうと思う。 歌唱力も抜群で、疑いもない歌唱力に「も」がつくところがミソだ。

私と同い年でその父親がかつてこの国のシンフォニーオーケストラのコンサートマスターだったバイオリニストの息子である私の同僚がもう20年以上前に言ったことをこのビヨンセを観ていて思い出してはっとなった。 ひ弱でいかにもユダヤ人然とした髭と温和な風貌と性格をもち、普段の彼からはとても出るような言葉だと思えなかった。 「自分は親が親だから人並みにバイオリンは弾くけど音楽に特に執着はない。 けれど音楽を一つ挙げろといったらティナ・ターナーだな、とてもティナ・ターナーの下腹部に響くような音楽に勝るものはほかにない。 ターナーはすごい。夢では彼女の虜になっている」と言うほどだった。 それが今、私にとってはビヨンセだったということだ。 これほど現代的なセクシーさをもち実力を兼ね備えたエンターテイナーはいないのではないか。 マドンナの80年代からの挑戦的な肉体性はすでにここでは見るものを併合して完全降伏させる力を持つのだが90年代にマドンナを祭り上げたアメリカのフェミニスト達はビヨンセをどのように評価するのだろうか興味のあるところだ。

ここまで書いてYouTubeをいろいろ見ていたらこのコンサートで歌い踊ったものと同系のクリップがいくつもあったし、特に、前大統領のジョージ・ブッシュ夫妻の隣にティナ・ターナーがすわりターナーを除いて全て立席で、ビヨンセがターナーの十八番「プラウド・メアリー」を熱唱する何かのコンサートの一部が挙げられていて、そこでは若い日のターナーの振りつけで歌うビヨンセの体躯はまさしくターナーと相似でありターナーのエネルギーと歌唱力の衣鉢をつぐのは確実なのだがそれにも増して舞台上の踊りから醸し出す動きからは確実に女王の風格が現れている。



スラムドッグ$ミリオネア  亀も空を飛ぶ; 観た映画、Mar 09

2009年03月29日 11時00分31秒 | 見る
スラムドッグ$ミリオネア(2008)
SLUMDOG MILLIONAIRE
120分
製作国 イギリス/アメリカ

監督: ダニー・ボイル
共同監督: ラヴリーン・タンダン
製作: クリスチャン・コルソン
製作総指揮: ポール・スミス
テッサ・ロス
原作: ヴィカス・スワラップ
『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社刊)
脚本: サイモン・ボーフォイ
撮影: アンソニー・ドッド・マントル


出演: デヴ・パテル ジャマール・マリク
マドゥル・ミッタル サリーム・マリク
フリーダ・ピント ラティカ
アニル・カプール プレーム・クマール
イルファン・カーン 警部
アーユッシュ・マヘーシュ・ケーデカー
ル ジャマール(幼少期)
アズルディン・モハメド・イスマイル サリーム(幼少期)
ルビーナ・アリ ラティカ(幼少期)

 「トレインスポッティング」「28日後...」のダニー・ボイル監督が、インドを舞台に撮り上げたバイタリティに満ちあふれた社会派エンタテインメント大河ラブ・ロマンス。原作はヴィカス・スワラップの『ぼくと1ルピーの神様』。日本でもお馴染みのクイズ番組で史上最高額まであと1問と迫ったスラム育ちの青年が語る過酷にして波瀾万丈の生い立ちが、多彩な要素を巧みに織り込みつつスリリングかつ躍動感いっぱいに描かれてゆく。世界中で数々の映画賞を獲得し、ついにはアカデミー賞で作品賞を含む最多8部門を受賞する快挙を成し遂げた。
 インドの国民的人気番組“クイズ$ミリオネア”。この日、ムンバイ出身の青年ジャマールが、次々と難問をクリアし、ついにいまだかつて誰も辿り着けなかった残り1問までやって来た。ところが、1日目の収録が終わりスタジオを後にしようとしたジャマールは、イカサマの容疑で警察に逮捕されてしまう。スラム育ちの孤児でまともな教育を受けたこともないジャマールがクイズを勝ち抜けるわけがないと決めつけ、執拗な尋問と拷問を繰り返す警察。ジャマールは自らの無実を証明するため、これまでに出された問題の答えは、すべてストリートで生きながら学んだと、その過酷な過去を語り始めるのだったが…。

上記が映画データベースの記述なのだがオスカー受賞作品をそんなに時間をおかずに観ることは久しぶりで「イングリッシュ・ペイシェント(1996)」以来だろうか。  それも今日3月28日午後8時半から9時半までの一時間世界の各地で省エネルギーのキャンペーンとして余分な電気を消すというようなことをニュースで聞き、たまたま家族四人そろって夕食を摂った後8時のニュースを見た後、さてどうするかと言った時に息子がどこからかダウンロードしてきたいくつかのディスクを持ってきたのでそのうちの一つを観ながらうち中の電気を消して皆、ブラウン管の前に座ったところで皆の意見が一致してこれを見ようと選んだのがこの映画だったというわけだ。

オスカーの祭りの前からBBCなどではこの映画のことが大きく取り上げられ「トレインスポッティング」を撮った監督の作らしいから興味をもっていたものの一方では真摯に地域の問題などを考えるグループから批判があったりしたことも伝えられていた。

結局、なぜイギリス映画アカデミー、アメリカ映画アカデミーで賞をさらえたのか、ということが鑑賞後わかりはじめた。 それはまさに製作国、イギリス、アメリカの映画だだからだ。 さらに敷衍して言うとハリウッド映画そのものだ。 画調、シナリオ共にハリウッドのものでハリウッドのインド版ボリウッドの町、ムンバイの関係者やインド人一般からインドのスラムが写されてインドのイメージが悪くなるという画像がちりばめられているというのだが心配することはない。 ハリウッド的というのは写実は排除して一秒の何分の一かでそれを匂わせるようなショットをちらりと見せてその実、現実は見せない手法だ。 暴力は匂わせるだけで決して血や汚物、死体に生きていても変形した身体を長く見せることもない、いわゆる「ポリティカル・コレクト」にスリルあるフィーリング・グッド・ムービーなのだ。 精々汚物といえば幼少時の主演の男の子がボリウッド・スターのサインをもらうために肥溜めに自ら飛び込んでその力でそこから抜け出し汚物をあたまから垂らせたままでスターに群がる子供たちの間をその悪臭でぶっちぎり、掻き分け見事にスターからサインを勝ち取る、というエピソードがこの映画の意でもある。 体にまとわりついた汚物は映画の観衆までは匂わずそれは単なる笑いの対象でしかない。

メディアで話題になっていたこの映画のことを想像したときには英語で撮られた映画の大賞で受賞したというより、本来なら娯楽映画だけでなく良質な英語以外の外国語映画として受賞するのが相当なのではと思っていたのだが今日本作を観た後、明らかに受賞した部門が大賞で相当だと確認した。 大手の映画業界がアメリカで選んだものとして正統なものだ。

もう何年も前、オランダの写真家、エド・ヴァンデル エルスケンが彼の写真集「HALLO!」(1978年)の中でアフリカに観光旅行したアメリカ人の中年以上の団体が貧しい現地の村で幾分かの「伝統」衣装をつけてよちよち歩きする子供に群がりその子供たちにカメラを向けているところを撮っている。 エルスケンの眼はその老人たちのと同じ機能をもつカメラというものでそのアメリカ人たちを撮り、世界の現実を提示する批判的な写真を創作しているのだが、ここではそれぞれの退役アメリカ人のフィルムに焼きついた写真が貧しくも可愛そうで可愛い黒人幼児なのだ。 旅行の後、フロリダの冷房の効いた部屋でその写真を隣人に見せるのだ。 くしくも本作の中にもそういうアメリカ人の旅行者が束の間登場するのだがそのけなげにもこちらを向いて写っているだろうくりくりとした丸い眼の黒人幼児がアメリカ人が見たい画像、すなわち本作なのだ。

観終わって息子は自分の下宿に、娘はボーイフレンドと土曜の夜の遊びに出かけ、家人はベッドで読みかけの本を読んでいる間、猫をそばに初めの15分ほど見過ごした、オランダ国営放送にかかっていたイラン映画を観た。

亀も空を飛ぶ(2004)
原題; TURTLES CAN FLY
メディア 映画
上映時間 97分
製作国 イラク

監督: バフマン・ゴバディ
製作: バフマン・ゴバディ
脚本: バフマン・ゴバディ
撮影: シャーリヤル・アサディ
音楽: ホセイン・アリザデー

出演: ソラン・エブラヒム サテライト
ヒラシュ・ファシル・ラーマン ヘンゴウ
アワズ・ラティフ アグリン
アブドルラーマン・キャリム リガー
サダムホセイン・ファイサル パショー
アジル・ジバリ シルクー

 「酔っぱらった馬の時間」「わが故郷の歌」のバフマン・ゴバディ監督が、アメリカによるイラク侵攻を背景に、イラク北部のクルディスタンで過酷な状況の中たくましく生きる子どもたちの姿を、リアリズムと幻想的表現を混在させつつ力強く描き出した衝撃のドラマ。世界各地の映画祭で高い評価を受け、数多くの賞を受賞。
 アメリカ軍のイラク侵攻が目前に迫る2003年春。幾多の戦争で荒廃したイラク北部クルディスタン地方の小さな村。ここに、サテライトと呼ばれる戦争孤児の利発な少年がいた。機械類に詳しい彼は便利屋として大人たちに重宝にされていた。また、子どもたちを使って地雷除去のアルバイトを取り仕切るなど持ち前の才覚を発揮して抜け目なく立ち回っていた。そんなある日、サテライトは目の見えない赤ちゃんを連れた難民の少女アグリンに出会い一目惚れする。少女には両腕のない兄ヘンゴウがいた。やがてサテライトはヘンゴウに不思議な予知能力があることを知るだった…。

以上の映画データベースの記述からこれが貧しいクルディスタンの難民キャンプで群れる子供たちを描いたものであることは「ミリオネヤ-、、、」の、インドのスラム街でこどもたちが主役になっているもとと相似形であるもののその質は180度違う。 ここでは実際に眼もちゃんと見えず、両手のないもの、足がないものまで現実どおり出演させ、いたいけない幼児まで演技ともそのままともいえるような過酷なことをさせ、観客の目を背けさせそうな画面の現実を創り上げ、そこでには真の現実が画面の現実を侵食している。 フィーリング・グッド映画の、いかにも現実だという「ポリティカル・コレクト」には組しようもない贅沢の無さだ。 親から生き別れ兄弟とつながりながら世の中をこどもの体で大人のすることをして生き延びるところも同じだ。 インドのスラムではクイズで大金を掴む夢が現実から逃れるために機能する、ある種のアメリカンドリームなのだがイラクの現実は夢を語る余裕はなくただ現実につぶされないように走るしかなく、それぞれの現実は二つの映画に現れる、少年達にとって「運命」の少女達の顛末だろう。

二つの映画を比べて観られる僥倖を多くの人と分かち合い、それぞれの現実に自分がいたとするとどのような物語が紡ぎ出し得るのかを語り合うのも一興かもしれない。


ビーフステーキ 180g

2009年03月29日 07時55分01秒 | 喰う


スーパーでステーキ肉を買った。 このスーパーの精肉部はいい肉を廉価で売るので定評があり日頃重宝しているのだが今回は少し違った。

部位の形がそのようなので砲弾型ステーキとオランダでは呼ばれているサーロインの赤みが少し薄いものは柔らかくて申し分ないのだが今回はアントレコットの肉味の強いものをと求めたのが180g2枚で5ユーロ40セント。 砲弾型ステーキのサーロインより一割がた安いのだが値段には関係なくその肉のいかにも牛肉という風味を味わいたいとそのパックをカートに入れた。

特別に何か料理が思いつかないときの安易な献立だ。 丸くて小さなジャガイモをサラダ油で炒めたものにインゲン豆と人参を茹でてパターとナツメグの粉を振り掛けたものを温野菜にして簡単なサラダを添えた。

厚い鋳物のフライパンを充分熱くしてバターを溶かしバージンオリーブオイルを加えて泡が引いたところでグラインダーで挽いた粗引きの胡椒と軽くナツメグを擦って振りかけておいた肉を二枚ジューッという音と共に表面に置き、手で10秒ほどそれぞれの肉を押さえそのまま2分ほど焼いた。 その間に塩のグラインダーで表面に塩を振りかけた。 2cm弱ある肉厚の縁が下から色が変わっているのが見え、底の焦げ目がついたところで裏返し今度は2分弱しっかり焼いて脂が煙らないように火を少し緩め先ほどと同じように塩を振った。

ジュージューいうまだ熱いうちにそのままフライパンごと食卓に持ってきて家人は肉の厚いほうを選んで自分の皿に置いた。 一番厚いところをナイフで切り割って色を見ると意図したとおりのミディアムだった。 色の割りに予想したようなアントレコットの味がせず妙なことに中心の赤みが硬く、むしろ焼けた上下のほうが柔らかい。 これでは通常の反対ではないか。 ちょっと期待はずれだ。 これなら砲弾型ステーキ肉を買えばよかったと後悔したがそれでも再び焼くこともなく二人ともいつもより肉を薄く切って結局全部平らげた。 良質の肉なら普通赤ワイン、塩胡椒、醤油を肉汁に少し落としてとろみをつけてグレービーとするようなこともなくそのままフライパンに残った脂を肉切れでこそげ取るようにして充分グレービー代わりとするのだが、もっとも簡単なそのグレービーにしても砲弾型ステーキから出るほどの肉の味がしなかった。 

近所の肉屋にこのことを言えば、だから言ったこっちゃない、というに決まっている。 スーパーはいつも思ったようなものが買えないよ、というだろう。  でもね、あんたのところと値段を比べるとそりゃそれだけのリスクを負ってみようという気にはなるよね、今回はハズレだったけど、とも言い返す用意がこちらにもあることはあるけれど、、、、、

後ろに野鴨がいた

2009年03月28日 11時29分34秒 | 見る
環濠の土手でミニ水仙を撮るのにしゃがんでいたらそれに興味をひいたのか水辺から雄の野鴨が一羽ひょこっとあがってきてのそのそこちらに来る。 あちこちで古いパンやそんな屑をもってやってくる老人とみえたのかもしれない。 もともと野生なのだが冬場には氷の合間に浮かんでいる鴨たちこんな餌をやりにくる子供から老人までいるのでこのあたりに群れていてこれではもう野生とはいえない。

雄がのこのこ私の手の届くほどのところまで歩いてくるのに比べて茶色のごましお模様のような雌は上がって来ず水面にいてこちらに寄ってこない。 雄が餌にありついたときには上がってこようというのかもしれない。 今はまわりにほかの鴨がみられないからこの二羽はツガイかもしれない。

写真を撮り終えて立ち上がるとそれに驚いたのか少し後ろにさがったもののまだそこに立ってこちらの様子を窺っている。 残念ながら鴨にやる食い物は何も持っていないからそのまま木に立てかけてある自転車を取って家路に向かったのだがちょっと行ってから後ろを振り向くと雄の鴨はまだ手持ち無沙汰にそこに立っていた。

オランダ語には英語と同様、鴨、ダックには「馬鹿、阿呆」という意味があるのだが雌は別にしてこのような、のこのこ出てくる雄はそのうち「デッド・ダック」になっても不思議ではなく、だから結局、そんな風に言われても仕方がないと納得する。

クロッカスが済んだらミニ水仙が咲いた

2009年03月28日 00時55分59秒 | 日常
寒空の下、修理に出した時計を受け取りに自転車でえっちらおっちら向かい風を浴びながら環濠沿いを走っていたら黄色が目に付いた。 ほんの二、三日のことだけれど辺りのミニ水仙が何センチか伸びてつぼみを開かせたと思ったらその色で周りの印象ががらっとかわるものだ。

この20年以上使っていて重宝しているセイコーの腕時計を受け取りに行く。 オランダに住み始めて4,5年経った頃だっただろうか。 それまで日本で学生時代に長い休みには大工の棟梁の叔父のところでアルバイトをしていて、そのときバンドがちぎれて気がついたら中学時代から持っていた腕時計をコンクリートに塗りこめてしまっており、叔父の補助金と稼いだ金でセイコーの腕時計を買ってから15年ぐらい使っていたものが調子悪く、日本に帰省したときに町の古くからある時計屋で見てもらったら、寿命ですなあ、修理もどうも、どうしようもありまへんわ、というので4万円弱払って求めたものだ。 比較的薄く機能的で正確、文字盤がシンプルで見やすいから重宝しており前の時計のように死亡宣告を出されたら仕方がないけれどまだ使えるものなら直して時計の息が止まるまで使おうと時計屋に持っていったのだが修理費に2万円弱かかるという。 一瞬躊躇したのだがまあそう決めた手前、ちゃんと直るのなら、と念を押して頼んだら2週間ぐらいで、といっていたものが2ヶ月かかった。

文字盤を支える細かい支柱が折れてそのために折れた部分がメカニズムにひっかかり停まっていたということで、交換部品はメーカーでももうとっくになくなっており、日本へその問い合わせをするのに時間がかかり結局こちらでレーザーでその細かく折れた部分を溶接して再生したのだという。 金属製のバンドもその小さな留め金の部分が磨耗しておりそれまでときどきダランとはずれて腕にぶら下がるたびに指で金属板をまげてだましだましこの何年かやりくりしていた金属バンドの部分も交換したと言っていた。

時計に関しては、お前はもう半分定年で時間が充分あって、それじゃあ時計は要らないんじゃないかというとそうでもなく、逆に時間に追われるということもある。 時間があるからのんびりしていると、あれ、もうこんな時間かとか、次の予定に急かされて慌てることもしばしばで、だからそうならないためにも時間を見るということになるようだ。 ともかく直ってこれから20年は無理だとしても10年は使えるとして、そのときはもう自分は完全な、毎日が日曜日なのだからこの次は大きな懐中時計にしようかとも思う。

そんなことを考えながらミニ水仙を通り過ぎて3,4週間前に写真を撮った普通の水仙のところを眺めたらもうその一帯は緑の葉だけになっていた。 ミニ水仙と自分で言っているだけの花は自然のものなのだろうか、それとも品種改良で15cmあるかないかのミニに作ったものなのだろうか。 そういえば去年これを低いバスケットに一杯盛ったものをだれかから貰ってそれをしばらく居間のテーブルに載せて何回か水をやったことを思い出した。

おい、あれ誰なんだ?

2009年03月27日 08時27分07秒 | 読む


何かの都合で普通は帰宅することのない午後早くに家にもどることがある。 そして、台所で見も知らぬ若い娘が飲み物か何かを用意してるのを驚きをもってちらっと眺め居間に入るとぐうたら息子がテレビをだらしなく見ていて、親父が戻ったのに別段挨拶も声もかけることもないことに親父はムスッとしながらも、おい、あれは誰なんだ、ヤンティーヌなのか? と問いかけるところに見も知らぬ娘がどら息子と自分らだけのためのつまみと飲み物をもって入ってくる、というのが我が家のトイレにかかった日めくりの2月25日水曜日の漫画だ。

漫画といってもこれは我々還暦あたりの人々の日々を中心に、これ悲喜こもごもの様子をスケッチしてニヤリとさせ、「こういうのアルアル」のアイロニーを各所にちりばめたもので何年も我が家の個室で各自を、といっても子供たちが小さい頃には何のことかと合点がいかぬこともたくさんありながらもそれでもそれぞれを楽しませてくれている。

この絵にしても息子の立場からすれば、せっかく親が二人ともいないときに新しいガールフレンドと二人だけで楽しめると思ったら、よりにもよって何で親父が帰ってこなければいけないんだよ、まあ、自分の部屋に行ってもいいけどこのソファーでゆっくりしようとあの子に言った手前格好がつかねえじゃないか、ほんとにウザイなあ、それに何でヤンティーヌだよ、もう一年以上前じゃないか、ああぁ、何で帰って来るんだよぅ、、、とでもいうところだろう。

娘にすると、あれ、ちょっとやばいかな、ヤンのお父さん、私が台所にいるときに声をかけてくれないでそのままいっちゃったから何かあるのかな、ここはやっぱりあの時初めにこちらから可愛く挨拶すべきだったかな、それにしてもヤンティーヌって誰? あれ? 私、そんな名前の子聞いてないし、、、、ええっ、 ヤンてそういう子ともなんかあるの? ええ、やばい、、、、けど、まあ、ここはヤンのところに行ってそれから後でじっくり問い詰めてやるわ、それにお父さんにはシカトの気配は消してちゃんとしとかないとね、、、、、、、

これはどこの家庭でもあることだ。 しかし、ここでもあるようにこういうような光景は息子のところにガールフレンドが訪れるときのことで、自分の娘が台所にいた場合には初めにそこで娘に声をかけるだろうし、そうすると、母親とお茶なのか、いや、そうじゃなくてぇ、ボーイフレンドの、、、、と展開するだろう。 娘に声をかけずに居間に入って見も知らぬ若者がソファーにこんな格好をして座っているときには次の瞬間には多分、男のほうが驚いて恐縮しながら挨拶か握手、話の接ぎ穂がつけばそこに入ってきた娘と一緒に少し話して親父は自分の部屋に引き下がり着替えをする、ということになるのだろうが男のほうがそのままで親父に挨拶もせずそのままテレビの画面に見入っているとなると話はここで俄然おもしろくなる。 

思い返してみると我が家ではこのような経験はなかった。 どの学校にも近いことから小学校のころからこんな時間に家に戻ったときには子供たちのクラスやクラブの友達が入れ替わり立ち代り家人のそばでごちゃごちゃといるということがあった。 小さいときは遊びに来た子供たちが家人と一緒にクッキーを焼いていたり、ジュースか何かを飲んでそのまま外へ遊びにいってしまったりといったぐあいだった。 だから子供たちの顔は見知っているもののその名前は私には皆目見当がつかず、子供たちが大きくなるにつれてその数は徐々に減るものの授業が二時間休講になって時間をつぶすためとか何かのときには各自家の中で自由に飲み食いをしている連中の顔を見ることもあった。 そして、それぞれ大きくなるにつれてしばらく見なかったその子供たちもあるとき見違えるような若い青年男女になっていて我々が驚き、戸惑っているうちにそのうちの一人がボーイフレンド、ガールフレンドとなっていて、それまで他の連中と昼飯を台所で一緒に喰っていたものがそのうち我々の夕食の卓にいるというプロセスで、急に突然にこんなことになるということはなかった。 

こういうことは私の周りでも隣近所でもあることで今は隣の高校一年生の娘のところにくるボーイフレンドのバイクがよく家の前に停まっているから隣もこのような時期を済ませていることになる。 思い返せば自分の若いときのことを比べてその違いに驚くのだが高校のときに男や女の友達は何人かいたが特定のガールフレンドはおらずいくつかのデートといってもほとんど外で済ませ互いの家につれてくるということはなかった。 大学時代は親元から遠く離れていたから結局、親とガールフレンドのとハチアワセというようなことは起こらなかった。 

三寒四温に夜来風雨声

2009年03月25日 09時10分42秒 | 日常
昨日は風が冷たく、それまでのこれで暖かくなるかというような春の兆しに冷水をあびせるようで、なるほどこれは三寒四温の歩みだなと思ったのは昨日の昼間に肉屋の前にある文具、書籍、タバコなどを売る小さな店に出かけ、その狭い店内で請負簡易郵便局をも一人でまかなう婦人から私が自宅不在の時に届いていた小包をいくつかもらいに行ったときだった。

外から店に入るときにこれでは手袋をしてくればよかったなと悔やみ揉み手をしながら入ると手押し車とみえる介護器具を押した老婆とその連れ合いに狭い通路で行き交いするかたちとなり、そのときに互いに横向きに蟹の横這いのように向き合いぐるりと回転したから、それがダンスのターンをするような形に見えたのだろう。 もう90にもなろうかとも思える老婆は私の揉み手と互いの体のヒネリから、ここで踊っておけば外にでても寒くはないね、と上機嫌でこう言ったからその突然さに笑ってしまった。 春がきて気分が高揚していたのにこの今の外の寒さに対抗するのにダンスという名前が老婆の口から出た事に驚いた笑いだった。

入り口の方に向う老婆の後ろから同じく90歳ぐらいとしては大柄な連れ合いとみえる老人が、そんなものを押すようになってもまだ(昔のように)踊りたいのか、と軽口をなげると、この老婆も、おまいさんならもういいけど若いのだったら踊ってもいい、とこちらにウインクした。 連れ合いの男はにこりともせずドアを開けて老婆が寒い外気に出て行く後についてゆっくりドアを閉めて出て二人はゆっくり去った。

老婆が踊ってもいいと言われたこちらは若いともいえない還暦に近い男である。 けれど、老婆からすれば30歳は若いのだ。 苦笑いをしていると注文しておいた書籍と日本の老母から彼女の孫に送られたお菓子の包みを私とほぼ同年齢のおばさんから渡された。 その時に、今の景気の悪さと合理化の影響でそのうちこの簡易郵便局も本局に統合されて消えることになるといわれた。

夕方食事が終わって屋根裏部屋に上がるときに窓から外を眺めると一時的に晴れていて薄い夕焼けのようなものが見えたのだが風は依然として冷たかった。 そのまま何やかやうろうろしていていると4時ごろに風雨が窓を打つ音が耳に差した音楽のプラグ越しに聞こえていたがこれは前夜天気予報で言っていたとおりのことでオランダ南部ではこのときに氷点下にもなるところがありそこらあたりは霰とか氷雨になるといっていたがこのような吹き殴りの雨では外の体感気温は氷点下と大差ないのではないか。

しばらくして夜も明けるかというころには風雨も止んで鳥の囀りが聞こえ始めた。