暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

謹賀新年 ’09

2008年12月31日 08時24分55秒 | 日常


元旦や冥土の旅の一里塚


このような句が身に沁みる家族を抱えながらの新年だ。

クリスマスが済んで一日で300人も無残にも空爆殺戮があったばかりで、それに怒りを覚えるこのごろ、それはアメリカを首魁とする西洋資本主義型が先鋭化したハリネズミ国家、イスラエルが異文化第三世界パレスチナを国連の警告をも無視して傍若無人な行いに終始するこの暮れ越し、新年、それは今までと同じように未だに世界に遍く平和が訪れたことはないという歴史上普通の時間の流れのひと時だ。


とはいえ、自分のまわりでは安泰な年越し、そろそろ今、大晦日の午後も暗くなり周りで子供や浮かれた若者、大人たちが花火を空に打ち上げている音を聴きながら、ここから数千キロメートル離れたところでは夜空を焦がす花火はその下で実際に人の命が消えていく、そのような火薬の使われ方でその違いを実感する。

目出度さや中くらいなりおらが春

とりたてて目出度いこともなく今まで何十年と過してきたそのような人工的な時間の区分が今ひとつだけまた次の普通の時間に入るべくゲートをくぐる時なのだ。 何が目出度いのか、そんなことをウダウダと考えている身はお目出度い。

皆様、くれぐれもご自愛の程

2008年12月30日こういう風に段々冷たくなっていくと、、、、

2008年12月31日 08時22分26秒 | 日常
天気がいいけれど気温はマイナスで日が射せば露が溶ける。 溶けて流れて軒端から落ちればそのうちに凍って氷柱(つらら)になる。 けれどもそれも長続きがせず10cmほどで止まっている。 

それが午後2時ごろだった。 買い物と銀行に用事で自転車で出かけようと物置を開けるときに上を見上げたら透明な氷柱が出来ていたのだ。 氷柱沿いに滴り落ちた水は地面の上で濡れたように凍っている。

テレビのニュースではこれから徐々に温度が下がって運河や湖水の氷が一日に1-1.5cmづつ厚くなっていき、1週間で10cm以上にはなるようだ。 現にもう昨日今日あたり牧草地の狭い水路などではスケートをするような人がいるけれど氷の厚さに充分注意するようにとの言で専門家達が透明な水路の氷の上で氷に穴を穿って測るとそこは4cmで穴から罅が入りミシミシと怪しい動きがあってこれでは安全とはいえないとテレビで報道していた。 けれどこういう気持ちのいい青空の下では皆スケートをしたくてうずうずしている。

こうなると国民的天候任せ行事のスケートマラソン、 Elfstedentocht (11都市巡り)の可能性が出てくる。 これは11の町や村を水路伝いに200kmほどをスケートで周って来て誰が一番か競う、今年は無理だけれど新年に可能ならちょうど来年で100周年になる行事なのだ。 もし開催されるなら一日中ライブ放送があり、朝暗いうちの6時ごろにスタートして過去3回の記録では6時間50分あたりに優勝者がスタート地点に戻ってくることになる。

この100年で15回しか開催されていなくて、私がオランダに住み始めた1980年からはこの28年で3回しか開催されていない。 開催年、月日、優勝者、 時間、 距離は下記の通り。

1985 21 feburary Evert van Benthem 6.47 196,8km
1986 26 feburary Evert van Benthem 6.55 199,3km
1997 4 january Henk Angenent     6.49 199,6km

85年の前は 63年でその間20年ほどの隙間がある。 つまり全て天候任せということで連続して行われるかといえば20年待たなければならないときもあり、こういうまたとない機会だからと一般人も何万人もこのコースを滑るのだから組織するのが大変だ。 全コースで一番氷が薄いところで13cmをクリヤーしないとスタートしないというようで、橋の下などは温度が高いから氷がないところもありそういうときには橋のたもとに上がって地面に敷かれた絨毯の上をノコノコ歩いて橋の向こう側に降りるということをする。

面白いのはスケートであっても毎回冬季オリンピックで金メダルを何人か取るのだがそんな選手でも勝てないということだ。 オリンピックのコースは400mの楕円形リンクで氷の質が一様だ。 しかし200kmの自然の氷は様々な様相を見せこのマラソン特有ののテクニックが必要なようだ。  体格もオリンピック選手とは違うようで均整の取れた太股が分厚い選手が少ないくどこか陸上マラソン選手の体格と似ているかもしれない。

このスケートマラソンではプロはいない。 上記3人の優勝者で22、23年前と2年連続の van Benthem は羊農家、 11年前の Angenent は芽キャベツ農家 である。 国民的英雄が農民というのは面白くこういうのは世界でもなかなかないのでははいか。 前回のマラソンの時にはあと何年かで女王を次いで国王となる皇太子が弟や従兄弟達とセキュリティーに見守られながら完走するというような映像も出ていた。

私の義理の弟はこれに参加すべく毎年夏の間は競争用自転車であちこちを走りハーフマラソンに参加し既にこの協会の会員登録をしてありゴーサインが出れば仕事を休んで滑りにいくと言う具合だ。 皆完走メダルが欲しくてたまらない連中ばかりだ。 朝6時ごろに出発して優勝者が午後1時ごろゴールするとすれば普通の人間はそれから50%なり100%増しの時間がかかり、ノロノロしていたら朝の6時に出発して夜の10時にゴールインにもなりかねない。 10数時間凍りついた外気のなかのだだっ広い田舎を滑り時々は村や町を通るときにはブラスバンドや応援の人々の賑やかな声援を浴びトップは滑りながらエネルギー補給の食事や飲み物を摂るのだけれど一般はあちこちにある出店で熱いスープやココアを飲んだり揚げた林檎やレーズン入りの丸いパンを口にして時にはアルコールを入れるかもしれないがそうすると重い足腰が一層だるくなるのだが好きなものは燃料だといって気楽にスケートを楽しむ人たちもいる。

賞に関しては男女境がないのだが大抵は男性が優勝となるから女性で一位になれば彼女にもトロフィーが用意されている。 若年の境は何歳にあるのかはしらない。 この調子でいけば新年10日か15日ぐらいにはこのスケートマラソンが開かれるかもしれない。

南の一つ星

2008年12月30日 02時17分51秒 | 見る

夕方6時前、空になった燃えないゴミのコンテナーをガラガラいわせながら角の定位置から家まで通りをひっぱって来てこの3日ほど快晴で透明なマイナス2℃の紺色の空を眺めると南西に大きな明かりが低い空に見えていて、あれはどうせスキポール空港に向かう旅客機ぐらいだろうと見ていたら動かないし周りには星が何も見えない。 暫く立って眺めていても動かない。 だからこれは飛行物体ではなく、ましてあんなあかるい衛星でもないし星に違いないのだがこれほど明るくこの時間に見えるのは子供の頃から一つ覚えにしていた明けの明星、宵の明星の金星だろうと思いそのまま家に入った。

それからふと思い起こして子供たちがまだ小さいときに近くの大学にある天文台に見学に行った折、そこでお土産として買ってきた丸いスライド式の星座ボードがあるのを思い出しそれを引っ張り出してきて確かめようとした。 その天文台はオランダで一番古いものでこの望遠鏡の座席にアインシュタインも座って星を眺めたのだと説明を受けたし、そこに座ればアインシュタインのように賢くなれると愚かに考えた我々が順番にすわりキャップを被せた昼間の望遠鏡を一瞥しただけだったのだし、また、そこの日本学者の教授と天文学の教授がおもいついた遊びから鎌倉時代の「方丈記」に出てくる話のなかの星を確認し、はっきりとどの方向の空にどのようにでたものかも当てたということも誰かから聞いたことがあった。 

この星座ボードはここ、ベルギーとオランダの空にだけ見られる星をきっちり記した直径25cmほどの星座ボードで係りの人はフランスもパリあたりまで下がればこのボードはいろいろなところでずれるから使えないといっていたのをうっすら思い出したものの、縁に刻んである日時と時間を合わせてコンパスを手に南北を確認してボードと対照するとそこに出たのは金星ではなかった。

きっちりその場所に出ていた明るい星は Fomalhaut 言われるもので今は他にその近くに何も星は見えず、それは確かに Zuidervis (南の魚)という星座の頭にあたる星らしい。 ネットでみればそのようにもなっているしそれを日本版にずらしてもそのようなカタカナ名になっている。 フォーマルハウトらしいがそんなもの、今まで見た事も聞いたこともない名前だ。 しかし、まだこのときには金星に未練がありこれは何かの間違いに違いないとあちこちボードをずらして見てもVenusはどこにも出てこない。 フォーマルハウトは日本では古くから「秋の一つ星」とか「南の一つ星」といわれていたらしいけれど今は殆ど大晦日に近いこともあり「秋の、、、」ではないだろうから「南の一つ星」がそれに該当するようだ。

このボードを探しても何処にも金星、Venusは出てこない、なにか変だ。 60年代だったか世界のポップスで流行った「Venus」という歌はオランダ人のグループのものだったはずなのにこれがないとは納得できなくて金星の項をみてみてもここの空のどこに見られるかはもうひとつはっきりしない。

世界中で金星にまつわる話はあって、ルネッサンス期のボッティチェルリの絵画、アフロディテはこのヴィーナスではないか。 小さいときからよく日本の田舎の空で観た宵の明星と同じものがここで見られぬはずはない、と思っていたのがどうもそうではないらしい。 多分、イタリアやスペインあたり、フランスの南半分ではかろうじて地平線のあたりに見られるのかもしれないが。 そこから北緯も5、6度上がって50度になれば見えないかもしれない。 わたしの日本の実家があったのは北緯35度あたりなのだからこことはかなりの差がある。 これを計算していなかったのだ。 つまり、オランダではヴィーナス、金星は見られない、ということだ。

なんともショッキングなことだ。 還暦が近づいてきて自分が住んでいるところでは金星は見られないことが初めて分ったそのことが動揺に繋がる。 今まで夕方西の空、低いところにある明るい星を金星だと思っていたものが違った驚き、それにここには金星がないという失望。 ここを東にずらせて北緯50度といえばハバロフスクのまだ北、樺太を丁度二つに切るようなあたりだ。 そこは今のところ日本ではない。 オランダのここでは何年かに一度はうちの庭からオーロラといわれる現象が見えるのだが私はそんな雲か煙かとしか見えないもやもやの中途半端なオーロラよりはっきりとした宵の明星がみたいものだが、それはない物ねだりにしかすぎない。

これからはフォーマルハウト、南の一つ星を金星の代替として眺めなければいけないのだし、そのうち耄碌してくるとそれも忘れてこれは金星なのだ、宵の明星なのだと幸せにも思い込んでいるのかもしれない。 明けの明星に関してはそれを観測する機会はもともとなかったしこれからもないから別段問題はない。

ウィキペディア;  フォーマルハウト の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%83%88

寒い日曜の午後、ちょっとサイクリング

2008年12月29日 03時03分18秒 | 日常
日曜の昼が過ぎてから起きだしてネットでラジオを聴いていたら家人が来て、こんないい天気に家の中でくすぶっていては気分が晴れないから自転車でどっかへいかない、という。 支度をして出るともう3時を周っており快晴の空ではあるけれど陽はもう傾いている。 あと一時間半もすれば日没になるだろうから海までサイクリングするのは無理で、それでは逆の方にするか、と夏にしばしば足を運んだ牧草地の方に向かった。 冬至からもう一週間経っているから少しは陽は長くなっているには違いないがそんなものはミリメートル単位のようなものだ。

この2,3日、ずっと気温はマイナス一度のままだから大きな運河は凍るわけもないけれど牧草地の間の水路などには薄氷が張っている。 牛は寒さに弱いから全て農家の牛舎に入れられ、あちこちには羊がそのまま放牧されている程度で夏場とはかなり外の景色の密度が違う。 茫洋として広い。 あまり高くない空に一羽、羽根をひらひらさせて中空に留まり、下を見つめて土鼠か何かを探しているのか小さな禽鳥がみえた。 オランダ語で Torenvalk といわれる隼の一種なのだが和名は家に戻ってネットで調べるまで知らなかったし、それをチョウゲンボウと言われても日本で聞いたことも読んだこともない。 隼の仲間なのだが、その隼にしても日本では名前は聞いたことはあっても自分の眼でみたことはなかった。

暫くいくと白鳥があちこちで見られたけれど白鳥とは違い一羽だけ白くて、けれど首が短く、羽根も白鳥のような形ではなくむしろ鷺のように見える鳥が水路から飛び去っていくのが見えて、そこに行くまでにその手前では大型の青鷺が見えていたからその鳥の首から頭の形が鷺と同型にみえてこれは白鷺だと思ったのだが、ヨーロッパでは白鷺は精々南フランス辺りまででこの辺りには上ってこず、ましてや寒い冬にはアフリカあたりで越冬する、とものの本にかいてあるから白鷺ではなく、野鳥観察ガイドブックの中の小型の白鷺、アマサギに形は酷似していたのだがどうみてもそれはありえないので、それでは一体あれはなんだったんだろうかと今でも疑問が残る。

風もない寒気の中を村を抜けて牧草地を一時間以上も自転車で走っていると芯まで冷たくなるようなのだがそれはペダルを踏み体を動かしていると感じないけれど村のカフェーに入り熱いコーヒーとジンで暖をとると一度に体の中の寒さが湧き上がってくる。 

この前にこのコースをサイクリングしたのは9月の中ごろだっただろうか。 結局、一時間半ほどで15kmほどのコースだった。 日曜の午後だったから家族やカップルなどが白い息を出しながらそんな景色の中を散歩しているのが多くみられた。

ウィキぺディア; アマサギの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%AE

ウィキぺディア; Torenvalk = チョウゲンボウの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%A6

夜中の回り道

2008年12月28日 11時13分04秒 | 日常
夕方からアムステルダムに出かけ自分では今年最後になるだろうというジャズコンサートから夜中に戻ってきて夜中に駅から家まで回り道をした。

昨日今日と日中夜間と零下を保つ快晴の星空の下、刺すように寒いものの耳も覆う毛糸の帽子をかぶっていると夜汽車の中で本を読みながらロシア人が冬に暖房のためウォトカをやるようにびちびやっていたスコッチの温かみも残っていて冷気が自転車を走らせる顔だけに当る夜気の中を少し回り道して帰ろうという気持ちになったのだ。

自転車をのんびりと走らせ学生や若い者達がポツポツと歩いている商店街の明かりのついたショーウインドウをあちこちと覗いていると流行らない古本屋がいつの間にかコーヒー・紅茶の店になっていて驚いていると楽器店の前きて自転車を停めてショーウインドウを覗く。

まだそこにあって自分のためのクリスマスプレゼントにしようかと逡巡していたポケットトランペットを暫しの間眺めた。 まだ諦めたわけではない。 5年ほど前に中国製の安物アルトサックスを日本土産に買ってきて吹いていたのだがそれも2年ほど前に中断してそのままになっている。 理由は吹きたいときに吹けないということなのだが、夜中に突然吹きたくなることがあるのだがそれは出来ない相談で、日曜の午後2時間ほどなら近所迷惑を承知で吹いてもいい、ということになっているものの、天邪鬼の身にはその時間は他の事をしていることが多い、ということが重なって触れることも疎になって一度ケースに入れたものがそのまま天井裏に収まり日の目をみることがなくなっている。 春になるとまた取り出そうという気になるのかもしれない。

中学校のときブラスバンド部にいて短い間だがチューバを吹いたことがある。 それは自分の意志ではなく希望したクラリネットは歯並びが悪いということから外され比較的体格がそれに向いていたということからチューバにまわされしぶしぶ吹いていた、ということなのだが、直に音階をふけるようになったものの自分のパートはメローディーもなく単純極まりない。 嫌気がさしているときにどういうわけか教師から指揮をやれと言われ人前で棒を振っていたのだがなんとも収まりが悪い。 何か手に楽器の技術をつけたいと思うものがただ単に音もでない空気をプラスチックの短い棒でかき回すだけなのだ。 中学生ぐらいでは楽団員すべてを手足として使い自分の音を創造する絶対権力者であるプロの指揮者のことも分からず、自分のやっていることはただ教師に言われるままメトロノームがわりにしかならない退屈な役割で後には何も残らなかった。それで結局ピストン楽器の経験も浅いだけで楽器に触れた程度だった。 指揮も同じようなものでどちらも何とも中途半端なものだった。 

ジャズが自分の生活の中で大きな比重を持ち特にホーンに惹かれトランペットは特別な意味をもつ。 その音質や曲の響きはチューバの退屈なものからの対極にある華やかな楽器であるものの、自分ではじめるとなると何とも難しそうな楽器だと感じるし自分のアルトサックスの経験からしても始めるとなると二の足を踏む。 練習を始めると今まで迷惑がられて中途半端に吹いている自分のアルトサック以上にはた迷惑で激しいブーイングがでるのは目に見えている

しかしながらサックスと違いトランペットは技術的にはミュートで音の調整ができるし今は完全ミュートで塞いで電気的な音をヘッドホーンで聴くことができるから夜中に吹きたくなっても自室でおおいに気張って練習することもできるらしいし、ここに見られるポケットトランペットのコンパクトなものでは身軽に自分の周りに置いて吹けるだろうということもある。 しかし、それでは自分のポケットハーモニカや縦笛をそのように気軽に日頃よく吹くかといえばそうでもないのでこれも一時の気まぐれに終わりそうな予感もあるから自分へのプレゼントとしてどうしようかと迷っている。 このトランペットが売れて店頭から消えたときにそれで諦めがつくかどうか、ということにも興味があるのだが当分ここを通るたびにそんな事を想いながら眺めることになるのだろう。

家の方に運河沿いに少し行くと住宅地に消防車が止まっていて赤いランプが回っているのが見えた。 そこでは別段人の動きも火や煙もみえるわけでもなく興味本位に自転車をその通りに向けて少し入り、たった一人の野次馬を気取っていたら4,5人ほど立ち話をしている消防士の一人に呼び止められた。 邪魔だから行け、というのかと訝っていたら黒く厳つい装備とヘルメット、反射して白い線が体に浮かび上がる消防士がヘルメットを取った。 そこから出てきたのは数日前出かけた義弟の誕生日の折、顔を見なかった義弟の長男だった。 その日も当直で同棲している甥のガールフレンドが来ていたのだが初めて見る甥の重装備の消防士姿とそのことを話していると叔父さんの息にアルコールが混じっているじゃないか、パーティーのアルコールがまだ残っているのかと冗談を言われたのだが考えてみると甥の住んでいるところはそこから50mも離れていないのだ。 当直の消防署はここから2kmほどある。 結局そこの住民が電気配線の具合を怖れて火災になるのではと夜中に消防署に連絡してこの出動となり7,8人が通常出動の消防車で来て2人ほどが家に入って他は外ですることもなく立ち話をしているところに私が通りかかったというわけだ。 暫く立ち話をしているとそのうち家の中も納まったのか電気系統専門家の消防士が出てきて一同消防車に戻り署に戻っていった。 甥もまだ明日の昼までの勤務らしい。 去年消防士になっていらい本格的な火災に出動したことがなく大きな事故にかかわったのは2ヶ月ほど前に牧場の水路に落ちた乳牛を一同で引き上げたことぐらいだ。

家の近所の電光掲示板には12時20分、零下一度と出ていてこれはこの2日ほどいつ通っても温度は変わらない。 自転車の向かう上にはカシオペアとそのオリオンがはっきりと見え、従者の犬の星まではっきり見えた。





夜汽車のチョコレートにスコッチ

2008年12月28日 11時10分39秒 | 喰う
寒くなりジャズ・コンサートの行き帰りも様子が少し変わる。

行きは夕食を終えてそそくさと自転車で駅まで走る事は変わらないものの、済んでからコンサートホールを出てアムステルダム中央駅まで港沿いの何もない空間を歩いて戻ることから、ああ、冬だなあと感じるところからことが始まる。 ジャズの、熱くときには静かな熱気に包まれたまま外気に出るとそこからの10分ほどが風もなく晴天の夜であればまだ凌げるものの惨めな雨風に叩かれればアルバート・アイラーに後ろから、でもなく耳のプラグから、少々押してもらわねば駅舎にたどり着くまでの700mがきつい。

それにマイナスも10度になると雨も風も雲さえ一切ないキリリとして気持ちのいい、星が一杯の快晴なのだがそれでも寒さが骨身に沁みる。 ホールを出る前にコンサート中に入れておいたビールや何やかやの水分を抜いておかないと途中で困ったことになる。 それは寒い国に住む若者に限らず老人、それに特にご婦人には切実な問題だ。 ということをこの2,3年痛切に感じるようになったこの時期だ。

まして夜汽車の40分ほどの間に寒々とした体に入れるものとして今の時期、こんな状態でビールなど飲む気にならない。 シベリアに住むロシア人がウオトカを飲む気もちがよく分る。 腹に入れるものは家に戻ってからは何か熱いものを腹の足しにしようという気持ちになるからそれではそれまでの虫養い、ポケットに入れ忘れていても今は溶けない「苦い」チョコレートを肴にスコッチをちびりちびりとやるのが適当だろう。 車両に殆ど誰もいない中、時間つぶしには別段急く事もない事柄について書かれた書物のページをめくりながら、駅から家までの自転車が凍りつかない程度にペダルを漕ぐための燃料補給をしながら時々灯が見える暗黒の平らな牧草地を抜ける夜汽車に揺られて先ほどまでの緊張・緩和に溢れた創造的音楽世界をしばし忘れて別世界で遊ぶこととなる。

Paul van Kemenade at BIMHUIS

2008年12月28日 10時42分48秒 | ジャズ
Paul van Kemenade with Eric Vloeimans, Wiro Mahieu, Harman Fraanje, Michiel Braam, Pieter Bast, Louk Boudestijn, Rein Godefroy

Sat. 27 Dec. 2008 at BIMHUIS in Amsterdam

Paul van Kemenade (as)
Eric Vloeimans (tp)
Wiro Mahie (b, el. b)
Harman Fraanje (p 1)
Michiel Braam (p 2)
Pieter Bast (ds)
Louk Boudestijn (tb)
Rein Godfroy (Fender Rhodes 3)

1st Set
1) Nyumbani Kwetu (H Fraanje)
2) Goodby Welcome (P v K)
3) Two Horns and a bass (P v K)
4) Same to earth, same place (P v K)
5) What are you sinking about (P v K)
6) In a continental mood (P v K)

2nd Set
7) Straight and stride, A Tune for N (P v K)
8) Coolmen komen (P v K)
9) Onmensheid ? (P v K)
10) Altijd herfst (always autumn) (P v K)
11) Dat is nog steeds (It still is) (P v K)

Paul vanKemenade の事は3年前のコンサートから始めて下のように記している。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/17863675.html
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/50948378.html

この宵のプログラムはDVDとCDを二枚収めた新アルバムのお披露目コンサートだ。

Paul van Kemenade / Two Horns And A Bass, Duos-Trios-Quintets / Buma/Stemra en STEMRA KEMO 08

また自分が主になってこの何年も主催する自分の町 Tilburg  での、ジャーミッシュの映画「Stranger Than Paradice]をもじったのか「分裂症より奇妙な」という名のジャズフェスティバルを今年も開幕してCD/DVDのお披露目をしてからの今宵の舞台だったのだ。 

この日も一番前の座席に荷物を置いて場内のCDコーナーのおばさんが店を開いているときに話をしているところへ25枚づつ入った箱を2つ抱えてきたこの日の主役が値段をどうするかな、と言いながらもおばさんのとり分もあるからなあ、まあ16ユーロだなと言い、その箱をバリバリと開け湯気が立つようなのを先ず私も一つ買ったのだった。 オランダ語ではこういうのをパン屋で焼けたものが熱いまま売れていく、というような表現をするのだが実際そんな売れ行きだった。 そうしてバーで口に針金細工で開閉自由の栓が出来るようになっているビン入りのビールを待っている間、知人達と立ち話をしているうちにホールも立ち見がでるほどの盛況になっていた。 

プログラムを見て、え、ピアノ3人か、へえ、ピアノ3つどうするのかと思っていたらこれはCDの構成にあわせたのか3つそれぞれのユニットであり、 はじめは抒情に富む Fraanje で1)2)。  3)から6)までは as, b, tp のトリオ。  7)は 前衛性のBraam とのデュオ。 8)から11)が 今時電気ピアノFenderRohodesを心地よく奏でるGodfroy とのクインテットだった。

尚、この日お披露目のアルバムDVDには 「In A Sentimental Mood」12分3秒 が前衛の大御所たち、 Ray Anderson, Han Benink、Ernst Glerum、  に加え ギターの Frank Mobus と混ざって古いヤマハのアルトを吹く Paul van Kemenade の映像が見える。

1)2)では抒情が美しいpに甘くもそこにアイラー、ドルフィーをすごしてきたアルトがパーカー、ウッズをフィルターの響きとしても聴こえ、3)から6)ではtpとのジャズの現在を俯瞰しながら小手試合を重ねるという風でもある。 第二セット皮切りの7)はどうもCDのこの二人のデュオ二曲を組み合わせ、セシル・テーラー的なピアノに途中フォービートの40年代から50年代初頭の響きを挟んで初期のダラー・ブランドに戻り、徐々にテーラー的に締めて終わるというものだった。

その後は日頃のクインテットにFenderRhodesを加えて今風ながら「まだずっとそのまま、、、」という彼らの音を響かせて終わったのだった。

ジャズと落語とか笑い、ジョークはつき物なのだがこの日、このアルトにまた笑わされた。 曲紹介で5)に来たとき、話は長くなるから曲の由来はやめとこう、と言うと会場から、何だいえよ、じらすなよ、私らいくらでも待つよと言われながら壷にはめたと喜びを隠した奴さん、パウルが真面目な顔をして話し出したのだった。 「インドでね、船舶ラジオを聴いていた者が、私シンキング、助けてくれSOS,と言っているのを聞いたんでこちらから返事に、何をシンキングしているの、と返事したんだって」 というそれだけのことだったのだが笑いがはじけた。 曲がしっかりと始まっていても笑ってはいけないような笑いが思い出してはこみ上げてくる。 笑い事ではないというのがここでの壷なのだ。 なるほどコミュニケーションというのは困り物だ、それが笑いものになるのだから。 sinking と thinking ではあちこちの怪しい英語ではそうなるのだろう。 他人事ではないシンキングは。

 

ディナーの準備

2008年12月27日 05時46分35秒 | 喰う
2008年12月26日、クリスマス第2日

日本で正月の三が日が伝統的には家族友人とゆっくりしたり寺社に参拝したりというのが普通だが、地球の反対側、とりわけ北ヨーロッパでは正月は元旦だけでそれからは日常がまた始まるというあっけなさ、だから日本の正月の気分と言うのは強いて言えばこちらのクリスマスにあたるのだろう。 イブには何日か分の買い物を済ませておいて夜には信心深い人々や子供のある家族などは教会のミサにでかけることが行われる。 そのあと25日、26日、おまけに27日とクリスマスの三が日は家族、友人とそれぞれの家で飲んだり喰ったりの様子で天気がよければ食事の後の腹ごなしに田舎や公園、海岸を散歩する人たちでにぎわうことともなる。

我が家は今年のクリスマスはまことに静かで舅夫婦がクリスマス第二日目に午後から夜にかけて晩餐するという行事が恒例となっていたのだが今年からそれもなくなり娘のボーイフレンドを加えて5人だけですることとなった。  参加者それぞれが一つづつ前菜、スープ、主菜、サラダ、デザートと準備するのが決まりで飲み物係の私はのんびりスーパーで買ってきた特別でもないボルドーの赤を室内温度と空気に馴染ませるという名目でちびちびやり始めた。

焼きたての小さなパンと台所にあったレイシ(茘枝、学名:Litchi chinensis)ムクロジ科の常緑高木の果樹、ライチ(広東語)とも呼ばれる、で今のところはちょうどいい。 白ワインは乾き物意外は大抵なんでもいけるけれど赤は乾燥イチジクとか干しブドウ、レイシなどの果物が結構合うようで夜中に何かのときにテレビを見ながらちびちびやるのにもこういう果物は重宝している。

娘は大蒜味の生チーズと茹でたホウレン草を燻製の鮭の薄切りで巻いたものが前菜だといってレモンを切るのに動き回っているし、その横ではボーイフレンドがブスッとし顔つきでモロッコから北アフリカの香菜とナッツを混ぜたサラダをつくりドレッシングが秘密だと家から持ってきたものをそれに降りかける。

家人は肉屋で買ってきた冷凍のオックステールスープを解凍してそれにマデイラワインを滴らせれば終わりだとソファーで新聞のパズルをしながら時々はオーブンのローストポークの具合をみている。 肉屋で特別にこのローストポークにつけあわせる、林檎をそのままクランべりー、赤ワイン、蜂蜜で煮たものは人数分トレーに用意されていて指でそのソースを舐めてみるとなかなかいける。 息子がノコノコとじゃが芋を剥いて薄切りにし水に晒して付近で水気をとり、それを層に重ねる隙間に白ワインを混ぜたベシャメルソースを引いて最後にグリュエールチーズを降りかけてオーブンに放り込むグラタンドフィノワを用意するのだと言う。 27日には息子が所属する学生団のグループがクリスマスパーティーをし、そのため40人分作ったティラミスの余分が我々のデザートになるらしい。

8時のニュースを見ながら飲むコーヒーにケーキは誰が用意するのか知らないけれど私の周りでは各自いろいろとやっているようで午後も半分を周った頃からみな食事の用意に走り回るというのも何か大晦日の気分に似ていなくもない。




2008年12月26日 家族で晩餐

2008年12月27日 05時41分59秒 | 日常

この4,5日は何をするともなく過した。 何もしなければそのまま日は過ぎていき、あれよあれよと言っているうちに時間は経つ。 特にこの10日ほど風邪が酷く、どのようにそれが経過するかはわかっているものの咳と咽喉の痰が生活の邪魔になり堪らん。 鼻が詰まるので口で呼吸すると咽喉がやられそんな具合だから何も匂えない。 物は旨くないし味気ない。

だから物を家族のために料理しても皆目味の見当がつかず目分量でやっつけ仕事となっていたのだがようやく昨日ぐらいから匂いが戻ってき始めた。

そんな具合だから日中はぶらぶらしていて重い頭のままでベッドの中で本を読んだりまどろんだりしている。 外に出るのは最小限度にしているのだが23日に晩餐の用意をするのにいつものスーパーに出かけたらその混雑の仕方には参った。 日頃はゆったりとしていて10台ほどしか入っていない駐車場が100台以上の満杯でその上階のパーキングに初めて上がらねばならないほどだった。 そこでも80%ほどの入りで大きなカートを山盛りにしてエレベーターにしても6つほど入れば満員で動くにしても待ち時間に辛抱がいるようなこどだったからこれは多分一年で一番混雑する日にあたっていたのだろう。

先日、義弟の誕生日に舅夫婦が出かけてきて退院後の姑はかなり元気で4時間ほど飲んだり喰ったりしていたから今日、クリスマスの2日目、オランダでは大抵家族で午後からゆっくり晩餐をする習慣があって我々もこの日は舅夫婦を招いて晩餐することになっていたものが、義弟のパーティーのあと疲れがでて姑の調子が悪く一昨日、今日は残念ながら行けないとキャンセルしてきた。 余命のこともあり今年が最後の晩餐になるものとそのつもりをしていたものが叶わなくなったからこの冬には家に来ることはないだろう。 暖かくなり四月か五月に外に出られるような体力が残っていることを願うのだがどうなることやら。

だから家人は用意していた今晩の料理を午前中そこに届け、温めて喰わせたらしい。 息子も私も酷い風邪だから出かけていってうつせばそれこそ命を縮めかねないから同行せず家人が戻ってきてからその様子を聞いた。 舅は食事を旨いと言ったものの普通は姑のほうが何でも食欲があったものが上出来の肉料理にもあまりフォークが進まなかったようだ。

結局、娘のボーイフレンドを加えて五人だけの晩餐となったのだがそれぞれコースメニューを分担して夕方五時ごろから前菜、スープ、サラダ、本采、デザートの晩餐を始めて結局、デザートを終えたのは八時前で、そのあと皆で八時のニュースをコーヒーとチョコレートボンボンで見るということになった。

私は風邪を引いていたから風呂もシャワーもこの何日か浴びていなくてクリスマスの晩餐であるから日ごろはしないネクタイをしめることになり、さっぱりするのにシャワーを浴びてから五時前の空を浴室の小窓から眺めると久しぶりの広重ばりの夕焼けが見えた。 八時のニュースの中の天気予報では今日は最高気温が2℃だったらしい。 夜間は昼間と同じく晴天で気温は零下3℃ぐらいまでさがるらしい。 夜中に散歩に出た猫を呼ぶのに庭に出てカシオペア、オリオン、北斗七星、北極星を眺めていると晩餐の折、十日ぶりに口にしたアルコールの温かさも直に醒めるようで猫と一緒に台所に入るとセーターに入り込んだ外の寒気が感じられた。

Michael Moore Quintet

2008年12月23日 00時37分20秒 | 日常
Michael Moore Quintet

Sun. 20 Dec. 2008 at De Burcht in Leiden, The Netherlands

Michael Moore (as, cl, bas cl)
Eric Vloeimans (tp)
Harman Fraanje (p)
Clemens van der Veen (b)
Owen Hart jr. (ds)

Michae Moore は1954年カリフォルニア生まれ、幼少の頃からクラリネットを学びボストンのコンセルバトワールでジャッキー・バイヤード、ギュンター・シュラー、ジョージ・ラッセル等に師事し、1977年に卒業後1982年以来アムステルダムに拠を置いて活動しているアルトサックス、クラリネット、バスクラリネットを概ね得意とする演奏家であり ICP(Instant Composers Pool) のメンバーとしてだけではなく様々なジャンルの音楽家たちと多種のプロジェクトを進めているマルチリード奏者である。

86年以来彼はオランダ内外で様々なジャズの賞を受け、中でもダウンビート誌批評家の投票ではクラリネット部門で2000年から連続して何回か第一位として認められている。

私はこの日、風邪のため頭が重く会場では咳込み迷惑を掛けない様にとのど飴を用意して自転車を走らせた。 フリー・インプロヴィゼーション系のジャズコンサートには町のジャズ同好会主催の演奏会ではせいぜい50人ぐらいかと高をくくって入ってみれば中ぐらいの会議室然としたスペースに軽く100人は入っていてびっくりしたし、開演時間を間違えて遅れてドアを開けて入ったときには2曲目が始まったところだと言われ暗い会場の端にあった椅子をよせて舞台の横に落ち着いた。

先週家に届いたオランダジャズ専門誌では恒例の年末に、オランダ音楽関係者、批評家、コラムニスト20人ほどにアンケートで幾つか質問をした中で、今年の収穫としてその一人が今年一番のアルバムにこの人のレーベル、ramboy から25番目発売の Fragile を挙げておりそれには私も異存なくそのアルバムをこのコンサートの前にまた聴いておこうと捜したのだがなぜか見つからない。 このアルバムのピアノはこの日の Fraanje で、この人はこの何年か折に触れ他のだれかのセッションでも弾いいるのに接することがありその抒情性の高さにいつも感心するのだが、ドッビュシー、ラベルあたりのトーンを思わせ自分のピアノに配分する具合がなんともいえないくらい心地よいのだ。

この日のトランペット、 Eric Vloeimans、 ヨーロピアンピアノトリオのMarc van Roon が加わったアルバム ramboy nr. 22、 06年発売のアルバム、 Osiris も私の好きなアルバムなのだがこの日はその中からMooreの筆になる佳曲、Ishi も演奏された。 それを弾く Fraanje のピアノの解釈にはより一層の親和感を持つ。

演目には自作の Whistle Blower, Brazilian Tune, Ishi, Fiets in Orstrijk, What is to do, Meager Harvest, などに加えて Jacki Byard の Blues、 O. Coleman のものが載せられ、それぞれアルトサックス、クラリネット、バスクラリネットで演奏された。

私はオランダの各地の ICP をはじめフリー、インプロヴィゼーション系のコンサートで多くのミューシシャンたちが様々な組み合わせでセッションをするのに立ち会って、自分が好きな楽器のアルトサックスがあると聴いているうちに Michael Moore がそこにいて耳が自然とひきつけられ、その豊かな音楽性に惹かれるようになり、Michael Moore の名前がそれらのグループのメンバーの中にあると出かけるようにしている。 彼の地味な人格は音楽では深みとなって現れるようでどのコンサートに出かけても彼のソロには感心してしまう。 

この夜は風邪のため重い頭でアルコールも入れずに音楽を追っているとそれでも軽い酩酊状態となりアルコールも要らないほどの彼らの音楽は私の気分を広範な音の地平で俯瞰から下降とさまざまな速度で飛翔させてくれ、夜中過ぎの演奏後、クリスマスの飾りの明かりが灯った運河沿いにに送り出されたときには滑らかで暖かいトランペットとサックスの絡み合いの音が一瞬か二瞬間、今の時期にちなんでそうしたのかクリスマスキャロルのように響いたことを思い出した。