暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

モロッコの旅(17); 田舎の市で(6) 市の大通りからエッサウィラに戻る

2014年07月31日 00時07分50秒 | 日常

 

昼食のタジンをミント茶で腹に入れ、その後帰り支度で賑わっている大通りを車を停めたところまで歩いた。 買ったか売れ残ったかの牛をトラックに積み込んでいるところに行き合った。 かなりの高さのトラックに何人かの男が首の縄を引張り下から2,3人の男が牛の尻を押している。 何事も人力に頼っているのが珍しかった。 人件費が高い北ヨーロッパに住んでいて機械化ができる範囲までは行き通っているところではこういう風にはならない。 つまりここでは一人当たりの労働力は機械の製造費より安いのだ。 けれどその分人、物、動物の距離が必要最小限の機械を除いてまだまだ近いというべきだろうか。 少し行くと小型トラックの荷台に積み上げたスイカを売る農夫がそのまま客に上から投げて手渡しているところに来て、家に戻ってから家主の夫婦と半分づつに分ける積もりで熟れたのを一玉買った。 昔、自宅の畑で取れたスイカの甘さを思い出し何十年ぶりかで甘く熟れたスイカを口にした。  日頃、温室栽培や早めに収穫してから保存・輸送の途中冷蔵庫に置かれ飛行機、船、トラックを経てマーケットで売られている多くの野菜や果物に慣れている者にはここで売られるものの新鮮さは日頃口にしているものとは比べものにはならない。 ただ我々短期滞在者には生ものは用心してかからなければ後で痛い思いをすることになりかねない。

市のはずれに来るとロバに荷を積んで帰り支度をする人たちがのんびりといた。 大量の物資はトラック、牽引車つきオートバイなどで運ばれ、量が下がるとリヤカーで、個人単位のものはロバに乗せて移動するのが普通だ。 ロバは燃料としての石油製品を消費しないし多くのメカもいらない。 これもそこに住む人々の生活テンポに合った乗り物なのだろう。 マラケッシュとエッサウィラを結ぶ150km余りの幹線道路は砂漠を横断している高速道路で道端がそのまま周りの土地に続きその舗装道路の端をロバに荷を積みその上に横すわりに乗って移動する人々も普通に見られ、それはここで何世紀にも亘って続いている姿なのだ。  


キング・コング (1976);観た映画、 July  ’14

2014年07月30日 19時46分08秒 | 見る
 

キング・コング (1976)

 

134分

 

 
 怪獣映画の古典をイタリアの製作者ディノ・デ・ラウレンティスが巨費を投じてリメイク。旧作のようなモデル・アニメーションにこだわりさえしなければ、ヌイグルミのコング(特殊メイクアップ・アーティストのリック・ベイカー自らが演じる)というのは質感・力感の表現に長けており悪い選択ではないのだが、いかんせんドラマの展開が平板なのと視覚的な見せ場に欠けるのとで内容空疎な作品に終っている。機械仕掛けで作動する実物大のコングのロボットが製作当時話題になったが、本編ではほんのわずかの登場で、あれが単なるデモンストレーション用にしか過ぎなかったと知らされたのは映画を観終わった後であった。調査隊の給仕としてジョン・ローンがチラリと出演。

 以上が映画データベースの記述である。

キング・コングを初めて見たのはいつごろだったのだろうか。 多分1960年代だったに違いない。 だからそれはオリジナルと言うべき「キング・コング(1933)」であり東京オリンピックの際に買った白黒テレビの画面で観たそのときの衝動と感動は忘れられるものではない。 モノクロであるがゆえに却って想像力が湧き昭和8年当時の特撮力に驚いたものだ。 そのころ観たテレビの円谷プロ制作作品とはこれほど時代を隔てているのに映画的真実の差には子供ながら雲泥の差があると感じていた。 また恐竜達との戦い、エンパイアー・ステートビルの頂上で片手でぶら下がり複葉機の射撃を撃破し墜落していくコングには同情しつつ当時の子供には美女と野獣の意味もよく理解しなかったもののコングへの思いいれは充分に湧いた。 その後本作をいつごろか、多分80年代に見ていたかもしれない。 オリジナルの印象があまり強かったのでその時はデータベースの記述にほぼ沿った印象をもったのだろうと思う。 だからその後「キング・コング(2005)」でナオミ・ワッツ、「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディの出演作を観たとき、これは前作よりははるかにいい、と思ったのはそのテンポと特撮、CGの効果に依っているとみたのだが基本的にどれもオリジナルの話のバリエーションでもあり、そのときにも1933年作が作る方、観る方の両方に定本としてあった。 いずれにせよオリジナルを越える作品を作るのが如何に難しいか垣間見えるようだ。

興味深いのは30年以上前に本作を観たときに比べるとこの間、出演者たちの諸作を眼にしているので彼らを微笑ましく見ることができたことは本作品の出来にはかかわらないものだけれどこれが映画の瑕疵、稚拙さを充分カバーして上記の破れ目を覆うのに充分だったと感じた。  ジェシカ・ラングの出演作を幾つか観ているけれどこれほど瑞々しくコケティッシュなものは観た事がない、と思ったら本作がデビューだったのだ。 2005年のナオミ・ワッツに比べると遥かに情緒的、エロスが感じられ明らかにマリリン・モンローが底に見える。 今本作を観るとあちこちに70年代が見える。 それにスティーブ・マーティンの「ロンリー・ガイ(1983)」などで奇妙な可笑し味をかもし出すチャールズ・グローディンをみるのも面白かったし、味のある悪役をこなすエド・ローターがここでは普通に船員として演技し、橋代わりの大木をコングに振り回され奈落に堕ちて絶えるというのもあっけなかった。 ジェフ・ブリッジスに関しては今更いうことがない。

今本作を観て奇妙に思うのは衝撃の映像でこの10年世界の動きを変えた9・11の今は無いワールド・トレード・センターのツインタワーが本作ではオリジナルのエンパイヤー・ステート・ビルディングにとって代わって当代第一の建築物としてコングのよじ登る記念塔になっている事だ。 いくつものショットには今は無い建物の面影を現し、ツインタワーの崩壊直後アポカリプス的映像となった建物の骨組みの様子が整ったかたちでコングを見上げる警察隊、軍隊を集めた広場の後ろに垂直の幾何学模様として見えるのは奇妙な感覚だ。 キングコングというのはこれから先もその時代時代の雰囲気を留めながらバリエーションを変えながら作られていくクラシック・ストーリーなのだ。


モロッコの旅(16); 田舎の市で(5) 羊を商う人々のそばでタジンを喰う

2014年07月29日 18時59分07秒 | 喰う

 

昼を大分周って市の中心にあるカフェーというか食堂に腰を落ち着けて昼食にしようとこの日のガイドであるアパートの主人夫婦が我々をここに連れてきて勝手知ったる風にこの食堂の主人に挨拶をし、かねて予約してあったタジンを頼んだ。 いくつも火口がある長い竈にはずらりと陶器のタジン鍋が並んでいてそれらは今の時間に間に合うようそれぞれもう2,3時間は煮込まれていた。 

我々には牛肉のタジンが持ってこられ四人分の肉と様々な野菜に香辛料、レモンが加えられどれもとろけるように柔らかい。 同じく別の竈で焼かれたパンが添えられて周りのテーブルではナイフやフォークを使わず直接パンを千切ってそれでタジンをはさんで口にもっていくのだけれど我々のためにどこかから簡単なナイフとフォークが用意されていた。 どのテーブルも客の人数に応じて大小の鍋に牛肉、羊肉、鶏肉の違いはあっても同じ形状に煮込まれたものを各自つついていた。 ここではタジンだけがメニューであとは幾つかの漬物が小皿に分けられて売られているだけだ。

野菜や果物、衣料品やその他の物品をうる市はまだ開いているけれど牛馬、ラクダの市は昼前に終わっているからそんな家畜を商っている連中がここに集まっているのだとここでは顔なじみであるらしいモロッコ人のカリッドが説明してくれた。 彼の後ろは横道で、そこには羊を何頭も束ねて互い違いに頭を組み合わせて並べたものを隔てて羊の売り買いをする人々がみられる。 一頭が1500円ほどで取引され、目の前の四人分のタジンが500円ほどだそうで、これが正真正銘の地元の市の値段だそうだ。 ここには観光客などいないし期待もしていない市の佇まいだ。

 


ビースボスでミニ休暇

2014年07月28日 15時16分55秒 | 日常

金、土、日、月 と短いながら家族4人で休暇に出かけた。 子供たちが独立するにつれて一緒に過ごすことも減り、毎年のように家族揃って3週間も長期にわたってでかけることももうないだろうからこれが我が家のこれからのの一家揃っての夏期休暇となるだろう。 徐々に我が家の夏の伝統が一つづつなくなっていく。 その分夫婦の時間が増えていく。 

ロッテルダムの南、ドードレヒトの近くに水郷地帯のビースボス(Biesbos)というところがあり、そこは昔から湖沼地帯が広がっていて今は国立自然公園のレクリエーション地域になっている。 そこには何年か前に訪れており次のように書いている。

 http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/908984.html

 ここを歩いたのは4,5年前だと思っていたのだが前に書いたのを探してみるともうかれこれ10年前になる。 なるほどその時の記憶が大分薄れていたはずだ。 前回は夫婦で20kmほど歩いたけれど今回は一日はガイドつきのカヌー遊び、もう一日は自転車をドードレヒトの中央駅で借りて走ったからその範囲が一日で50km以上サイクリングをしたことになる。 土曜のカヌー・ツアーでは早朝7時から2時間半ほど自然の水路が入り組んだこの地帯を一生懸命漕いだのだがかなりのところで流れに逆流する場所があったので我々には2時間半は充分だった。 週間天気予報では雨が続くと言われていて雨の中をカヌー、次の日に自転車とスケジュールを決めてあったのだが雨も仕方が無いかと諦めていたのだけれど両日とも何とか天気は持ってどちらも恙無きを得たのだった。 金曜日は出かけ場所に着いてからそのあたりを散策するだけ、月曜は朝借りていた丸太小屋の掃除をして11時にそこを出るということになっていたので自由行動に使ったのは丸二日だった。

 3晩泊った宿舎は国民保養施設というような組織の一つでそこには団体、個人、グループで週末、を様々な講習にも使われるというようなセンターの態もなしておりそこを運営する人たちは営利団体ではないから半分ボランティアーでもあって自然と互いに気のいい隣人というような態度で接するるから気は張らない。 我々は4つ5つある個別の丸太小屋に寝泊りした。 100mほどの水路を隔てて渡し舟でしかいけない辺鄙なところにあるから渡し場の駐車場に車を停めておいてモーターのついた渡し舟で行ったり来たりするようなところだった。 

 自転車でドードレヒトの町を抜けて大きな渡し場から水郷の中心部まで600mほどの水路をフェリーボートで渡るのだが幸いなことに行くにしても戻るにしてもフェリーを待つこともなく、そこに到着すると5,6台の車と10台ほどの自転車がこちらに来るところでそれが降りてしまうとすぐ乗り込んで一人100円ほどの渡し賃をのんびりと集金にくる男に払い上に登り景色を楽しんだ。 それでも5分ぐらいで向こうに着くから結構大きいフェリーなのにあっけなかった。 どこに行っても渡しに乗ると気分が浮きうきする。 橋があれば車や徒歩で何のこともなしに向こう側に行けるけれど渡しとなると小さければ小さいほど嬉しさが湧くのは何なのだろうか。 アムステルダム中央駅のすぐ裏側には向い側に行くのにこのフェリーより少し大きいものが毎日運行しているのに楽しくなくはないけれど無表情気味になるのは利用客の圧倒的な多さと町と街を結ぶ無機質さかもしれない。 渡しというイメージには田舎のイメージもあり、のんびりとした佇まいも関係しているのだろうし切符を売りに来てはそこで一言二言話していく田舎のおじさんのイメージもそれに加わっているのかもしれない。 実際自分の経験ではたいていの小さな渡しのキャプテン兼切符売りのオジサンはここでもそうであったようにそんな感じだ。

 


モロッコの旅(15); 田舎の市で(4) 羊を商う人々

2014年07月25日 04時12分49秒 | 日常

 

市の外れに牛、馬、はてはラクダを取引するためのちょっとした広場があって早朝から昼まで家畜の市がたつのだと説明されたが我々がここに来た正午ごろには僅かの牛を除いてその日の取引の潮は過ぎていたのでその場所は閑散としていた。 昼食にしようと地元の食堂に入るとそんな家畜市を済ませた人々が回りでタジンの鍋を囲んでいた。 そのそばの横道に羊を商う人々がいた。 羊は牛馬やラクダに比べると一頭あたりの嵩が小さく群れにしても比較的扱いやすいようで首に綱をかけ横一列にしたものを対面させ首を交差させると羊は効率よく束ねられる。 そんな束がいくつも見られた。 その傍でベルベル族の民族衣装を着た人たちが値段の交渉をし折り合ったらそこで握手し商いを成立させたことになる。 羊はイスラム圏では最も消費される四足動物ではないだろうか。 一頭あたり1500円らしかった。


The Missing (2003);観た映画、July '14

2014年07月24日 02時43分29秒 | 見る
 
 
邦題; ミッシング  (2003)

原題; The Missing  

137分


 
19世紀末のアメリカ西部を舞台に、孫娘が誘拐されたことで、確執を抱えた父と娘が過去のわだかまりを乗り越え、協力して救出へ奔走する姿を描いたウエスタン・サスペンス。監督は「ビューティフル・マインド」「アポロ13」のロン・ハワード。出演は「逃亡者」のトミー・リー・ジョーンズと「エリザベス」のケイト・ブランシェット。

1885年、アメリカ・ニューメキシコ州。荒野の一軒家で医者として生計を立てている女性マギー。彼女は2人の娘、反抗的な姉リリーとしっかり者の妹ドットを女手一つで育て、恋人ブレイクの助けも借りながら平穏な日々を過ごしていた。そんなある日、20年前にアパッチ族との生活を選んで家族を捨てた父親ジョーンズが突然帰ってきた。過去を悔いるジョーンズだったが、マギーは決して許すことが出来なかった。ところが翌朝、町に出掛けた娘たちとブレイクが何者かに襲われ、リリーがさらわれてしまう事件が発生する。犯人がネイティヴ・アメリカンだったことから、マギーは不本意ながらも彼らの習性をよく知るジョーンズに協力を依頼する。そして、2人は一緒に追跡を開始するのだった…。
 
上記が映画データベースの記述である。 「真の男」のための局と銘打ったオランダ民放テレビのゴールデンタイムとして観た。 
 
真の男のマッチョな局ではあるが本作には現代の思潮の表れか西部でたくましく生きる女たちのストーリーがハードな世界の底流にあるように思う。 それは西部劇で追跡譚というジャンルにもあって大抵はインディアンや悪漢にさらわれた家族を追うという、もしくは復讐譚であったりする。 ジョン・ウエインのものでは「捜索者(1956)」、少々趣を異にした「マクリントック(1963)」などが見られ、近くはコーヘン兄弟のジョンウエイン映画の焼き直し「トゥルー・グリット(2010)」が思い起こされる。それについては下のように書いた。
 
 
それにしても本作はチャンバラ、戦争映画、西部劇でそだった世代には佳作に映るだろうと思う。 それは西部劇で育ち自らもジョン・ウエインが死期を悟り映画に向けての遺言ともいうべき「ラスト・シューティスト(1976)でローレン・バコールの息子を演じた当時22歳のロン・ハワードが本作の監督でもあるからだろうとも想像する。 クリントウッドにしてもハワードにしてもそれにトミー・リー・ジョーンズにしても西部劇を現代に継承する映像作家たちである。 今西部劇が少ないのは需要が少ないのと現実が西部劇から遠くなっているということにも起因するのではないか。 自分がこの20年来道楽として行っている黒色火薬を使って当時の銃器を撃つ古式銃射撃で興味を示す若者の数が現代銃器射撃の割合からして圧倒的に少なくなっていることにも現れているだろう。 邦画にしてもスター俳優を輩出したチャンバラを継承し時々制作される時代劇の人情話は別として活劇チャンバラものが減っていることにもそれと似たものを感じさせられる。 けれど例えば黒澤がスケールの大きい合戦を撮るのにロケーションに苦労し味気ない自衛隊の演習地ぐらいしかもうその場所が求められなかったのに反して西部劇では未だにその大自然が充分絵になる環境が残っているのを我々は幸せとすべきだろう。 そういう意味では西部劇にはまだ昔をかなり写実的に表現するための装置が存在する。
 
本作を始め現代の西部劇には「女性に優しく平等に」という現代思潮が侵蝕しているようなニュアンスを上に書いた。 それは世界がこの50年ほどの大衆消費経済の中で大きく変り、それにつれて50年前のようなマッチョな作風が受け入れられがたくなっていていることにも依るだろうしそれを敏感に興行収益に感じ取る映画産業の方向転換と見て取れるかもしれない。 それも過去の西部劇社会に在ったであろうストーリーを綴ってパラダイム変更をしただけだとも言えるかもしれない。 その例を家族を棄てて出て行き文明の敵である蛮族インディアンもどきとなった父に対峙するケイト・ブランシェットとその娘達にみることが出来るだろう。 ここでは娘に対してボソボソと口を開く大根役者ともみまがうトミー・リー・ジョーンズとの対比は秀逸だ。 それに本作で末娘のドットが「トゥルー・グリット(2010)」での父親の敵討ちを誓う少女と同じくストーリーを推進する要素となっていることを思い起こすと現代思潮の侵蝕という意味が分かるだろう。 ただそのときストーリーがどれほど面白いか面白くないか、当時そうでありえたのかどうか、が現代に西部劇を観る我々に語りかけてくるのだが、そうならばシャロン・ストーンが快刀乱麻にマカロニ・ウエスタンよろしくぶっぱなす「クイック&デッド(1995)」はどうなのかというと話になるとそこでは議論の余地があるだろう、ただそういう話は嘗ては海賊が出没したことをネタに妖怪たちが乱舞する中自らも妖怪であるらしいジョニー・デップの海賊冒険譚にも通じ、そうなると我々が良質の西部劇とみる作品群を語る地平から些か距離が出来すぎた感がある。 けれどそういう意味では本作で安倍の清明よろしく蛮族・悪役インディアンが呪術を駆使しケイト・ブランシェットに纏わりつき、それに対抗して果てはキリスト教の神も加えてと競合させるシーンには1885年ではさもありなんと自分の立場を贔屓の引き倒し気味に移動しているのを認めないではいられない。
 
本作で騎兵隊中尉としてチョイ役で出演しているヴァル・キルマーの「サンダー・ハート<未>(1992)」ではインディアンの血を引くFBI捜査官として現代のインディアン居留地やウンデッド・ニーを背景にした興味深いものだったことを思い出す。 
 
西部劇に現れる現代思潮と書いた。 それでは邦画の現代時代劇に見える女性の像は如何なものか。 池波正太郎や藤沢周平ものでは西部の女に匹敵する時代劇の女は期待できず、それを期待するのは間違っているという声も聞こえそうなのだが、それは日本が「文明開化」した明治まで待たなければ出てこない、またそういうドラマがテレビを中心に制作されていることを見ると明らかだろうとも聞こえるようで、それならそれはある種のリヴィショニズム的現代思潮である「明治以後は女性が解放され、それ以前は儒教思想に則った貞女が鑑だった」の像を再生産する以外の何物でもない。 それはある種、俗情との結託ともいえるものなのだ。

モロッコの旅(14); 田舎の市で(3) 茶を売る少年

2014年07月22日 21時56分13秒 | 日常
 
 
 

村の市で肉を売るセクションから香辛料や衣料を売るところに戻るとその境目に喫茶店のようなテントがあり、そこで少年が忙しくグラスを洗い客やそれぞれの店の者に配達する様々な色、形のポットを用意しているところだった。 この光景は町のスークでもよく見られ、狭い通路を沢山のポットやグラスを盆に載せて忙しく動き回る壮年の男はもちろん、若いもの、子供たちがいる。 茶はモロッコに限らずアフリカでは日常生活の折節に大切であり、なくてはならないもののようだ。 ポットに紅茶と新鮮なミントの束を放り込んで熱い湯を注ぐと出来あがりでそれに沢山の砂糖を加えるのが普通だ。 ミントの鮮度、種類がネックになり人は市でいちいちミントの束を手にとって香りを確かめてから買う。 こんな新鮮な茶が入ったポットがもってこさせて100円以下だ。 新鮮な大きなミントの束を積み上げたところでは一束10円ほどだろうか。

ここにでは奥に休憩する人々が見え、市で買って前足を縛った羊を傍に置いて帰宅前に暫しこの茶で寛ぐといったところだろうか。 自分を養い家族を養うのに小さな子供からできることは何かしら仕事を見つけて働くのは普通のことだ。 こんな村ではマラケッシュのスークのように物乞いじみたことはしないけれど、こんな風に働く小さな子供たちを見ているとそれぞれ一人前に稼いでいるのだという気の張りのようなものが一様に感じられる。 


Vénus noire    (2010) ; 観た映画、July '14

2014年07月22日 03時11分39秒 | 見る
 


Vénus noire (2010)

162 min  

制作国; フランス、ベルギー

脚本

 Abdellatif Kechiche (original scenario),  Abdellatif Kechiche (adaptation),
 
出演
  Yahima Torres ... Saartjie 'Sarah' Baartman
  Andre Jacobs ... Hendrick Caezar
  Olivier Gourmet ... Réaux
  Elina Löwensohn ... Jeanne
  François Marthouret ... Georges Cuvier
  Michel Gionti ... Jean-Baptiste Berré
  Jean-Christophe Bouvet ... Charles Mercailler, le journaliste
  Jonathan Pienaar ... Alexander Dunlop
  Rémi Martin ... Le premier client du bordel
  Jean-Jacques Moreau ... Henri de Blainville
  Cyril Favre ... Le premier aide naturaliste
  Dominique Ratonnat ... Le 2e aide naturaliste
  Didier Bourguignon ... Le 3e aide naturaliste
  Ralph Amoussou ... Harry, le premier domestique
  Alix Serman ... Matthew, le deuxième domestique

粗筋;

The story of Saartjes Baartman, a Black domestic who, in 1808, left Southern Africa, then ruled by Dutch settlers, for Europe, following her boss Hendrick Caesar , hoping to find fame and fortune there. Once in London her master turned manager does nothing but exhibit her as a freak in a phony and humiliating carnival show. After a series of troubles caused by their act, Caesar, Saartje and their new friend, bear-tamer Réaux, head for Paris where once again, and against her will, she has to mimic savagery and expose her body, first in carnivals, then in the aristocratic salons of Paris, later on among the libertines and finally in brothels where she ends up being a prostitute. In the meantime, French anatomists will have taken an interest in her unusual anatomy (enormous buttocks and labia) only to declare her the missing link from ape to man. In 1815, aged only 27, she dies alone, of a combination of pneumonia and venereal disease. Written by Guy Bellinger


映画データベースで検索しても何も無かったのでIMDbから牽いた。 本作はオランダ国営テレビの週末深夜映画として観た。 

医学部でインターンをしている娘が電話で夕食を一緒にしたいけど行ってもいいかというので3人分の食事を作りそれをのんびり裏庭で済ませ、その後ニュースでパレスチナがイスラエルに無残なまでに攻撃され、女子供の流血を見、またアフリカから中東、西アジアに至る地域のニュースが絶えないこのごろにオランダではもうバカンスムードが行き渡り、のんびりしたニュースが続いた。 娘がテレビで何を観るのか尋ねるので本作のことを言うと、あれ、エロチックな映画でしょう、というので、へえ、テレビガイドでは四つ星を付けたエロ映画は昔の「ディープスロート」ぐらいしか観た事ないし大島の「愛のコリーダ」にしてもエロ映画じゃないからな、それに民放とは違い国営テレビでエロ映画もないだろう、と言っていると娘は友達達とクラブに行くとかで夜の町に出て行った。

エロチック、官能、とくると嘗ては我々の劣情を弄ぶロマンポルノなどがあったけれど今の燒結を極めるAVなどからすると昔のロマン・ポルノは子供騙しぐらいにしか捉えられないかもしれない。 けれどそこには今のあからさまな即物性が無いだけまだ官能を「くすぐる」ところはあったように思う。 本作にエロを期待して見てしっぺ返しにあうのはマルキド・サドの「悪徳の栄え」や「ジュスティーヌ」を読んでそこに政治に対する呪詛、と人間に対する洞察の豊かをみてエロどころではないと感じるのと同様かもしれない。 そもそも本作にエロを期待して見ると後味の悪い思いがするに違いない。 

その後味の悪さはどこに起因するのかそれを省察することに多少の意味があると考えそれを記してみる。 

 オランダに住んでいてオランダの歴史に触れるとそこには海外に雄飛する国民の像とともに歴史の中でいかに彼らが海外で雄飛したか、どのように彼らが住む土地に富をもたらしたか、というところに今で言う中性化された「国益」を生み出すプロセスが示され、そのなかでどのように人々、物品、を扱いその過程で利潤を得てきたかということに思いが行く。 例えば今ではゼーランド地方の首都であるミッデルブルグが嘗て世界の奴隷貿易の拠点でありそのプロセス、資料が事細かに残されており、嘗てのその忌まわしい歴史に対する禊(みそぎ)としてか現在では人権意識を高めそれを擁護することに寄与した人々を顕彰する賞が設けられ、受賞した人々がニュースに登場するのを常としているけれど、本作もそれに関係もなくはない。 人身売買、及び奴隷解放の歴史がいつごろからどのようにして生まれてきたのかという点が一つ。 19世紀初頭の運動が本作の中である種、主人公の来歴に絡むとそこえはその議論がここでは単純にすぎるように見えるからくりが仕組まれているのだが、法廷でのヘンドリック・シーザーの陳述にはこの間の事情を知らなければ我々はそこに集う烏合の衆に加担するかもしれないしこれは現在進行する南北問題に起因する経済難民の問題とも絡む。

本作は最近までオランダ語の「アパルトへイト」という言葉がまだ生まれる前に南アフリカで生を受け、それまでのオランダ植民地の勢力がイギリスにとって変られる1800年以降にイギリスに越してきてフリーク・ショーで原始的なホッテントット族の女を見世物にしている1810年に始まる。 男はイギリスに行けば珍しい未知の国、アフリカのイメージを膨らませて大衆娯楽としての見世物で一山上げられると踏み嘗ての使用人、Saartjie 'Sarah' Baartman を「黒いヴィーナス」と名づけあざとい興行を流行らせている。 彼女の名前は紛れもなくオランダ名でそれは今でもごく普通に存在する。 男はオランダ系ブール族と言われて当時はイギリス系に押されていた経済弱者の白人であり両者ともオランダ語から派生したアフリカーンスという言葉を話す。 日頃オランダ語の環境で生活するものには本作でのアフリカーンスは甚だ興味深いものだった。

人間の興味は果てしない。 それが未知の動物、人間もしくは人間まがいであれば我々の好奇心を充分刺激し、知的、情動的にかかわらず我々を捕らえて弄ぶ。 そこで求める者に求められるサービスを提供して利益を得るのが是か非か、という問いが湧くのは当然で、それが経済のなかではサービス業として成り立っているのはいうまでもない。 世界で一番古いサービス業と言われるものに売春がある。 オランダではいまなお大きな街に行けば飾り窓の女たちが媚を売るのが見られる。 そこで彼女達が営業できるのは人身売買を通らず自由意志でサービス業を営みその報酬は他人に搾取されない、つまり人権を保障されているということと本人の健康が保証されている限りこのサービスは認可される。 時々アフリカ、旧東欧諸国から人身売買を経てここに来る女性達が当局に保護されその売人達が逮捕されるというニュースが見られるが、合法的な彼女達には労働組合もあり、彼女達の市当局に対する権利にも数百年の歴史がある。 

さて、主人公サラが法廷に証人として召喚されそこで語るのは彼女は奴隷でもなく自由意志でこのサービス業に従事しているということでこのサービスはフリークショーの「演技」であって利益は平等に分かち合っていると言うが傍聴の人々には信じがたいことである。 彼らには彼女は未開の黒人であって言われるままの鸚鵡返しをする哀れな被害者なのだ。 主人公が野蛮なホッテントットに仕立てられゴリラ同様に扱われ、興味心を煽り、同情を買うようなフリークショーは嘗て世界中どこでもフリーク・ショーは存在し、今は人権の意識が「ポリティカル・コレクト」を誰憚ることもなく否応なくも前面に押し出し、嘗てのようなフリークはカーテンの裏に押しやられ、果ては身体障害者、精神薄弱者までこの部類に押し込められている感の否めない時世である。 本作と時をあまり隔てず巷の大衆、医学、科学に従事するものに興味を牽かせたフリークショーの男を主人公にした作品にD・リンチの「エレファントマン(1980)」というのがあった。 本作でもエレファントマンと同様フリークショーではあるが本作ではフリークでありながらエレファントマン以上に人権をどう扱うかに焦点が向かっているようだ。 当時アフリカ局というのがイギリス政府にあり植民地主義、帝国主義の中、徐々に広がった奴隷貿易廃止、奴隷撲滅のキャンペーンを張る者達がこのフリークショーで首輪を嵌められケージに閉じ込められ猛獣狩りよろしく追い立てられて芸をする姿にサラが虐げられて搾取の対象になっていると見られパートナーであり南アフリカでは雇い主だった男が法廷に立たされ訴追されるがサラの証言でパートナーであると言い立てても聴衆はショーを信じてサラはそう言わされているだけだと信じ込むという始末であることは既に述べた。

本作にはもう一つのフリークショーがある。 こちらの方がもっと人間存在の理性とそれを推し進める「科学的好奇心」の一面を示す上で興味深いかもしれない。 フランス科学アカデミーの研究者たちの人間の起源とその分化を身体部位を比較することで解明しようとする試みである。 具体的にここで研究対象にされるのは女性器の陰唇の長さなのだ。  蛮族、フリークと言われながらそれで利益を得る主人公であっても冷徹な科学者たちの「科学的・理性的」な視線には幾らフリークショーには耐えられても人間としての深部の声には耐えられない。 けれどその後主人公が体を売り苦界で果てた後に彼女のビジネスパートナーに売られ科学者の視線に晒され標本となり現在まで保存されている結果となるのだがその彼女が本国南アフリカに帰還した実際の映像はエンドロールで示され本作は終わる。 

本作でのキーワードは視線であろう。 科学者の視線、政治家、運動家、本作を観る我々の視線が試されるが取り分け印象深いのは Yahima Torres 演じる Saartjie 'Sarah' Baartman の視線である。


久しぶりに家族でサイクリングをした

2014年07月20日 23時36分56秒 | 日常

 2014年 7月 20日 (日)

週間天気予報では雨になると言っていたけれど曇り空ではあっても降る気配がないので午後3時前に姑の住む介護養老施設に向けて自転車を漕ぎ出した。 大抵なら車で高速を15kmほど走るのだが今日は久しぶりに家族4人でそこまでサイクリングをしようということになっていた。 施設の近くにいいレストランがあるのでそこで姑を囲んで夕食を摂り、自転車なら皆酒も飲めるからそのあとブラブラ自転車で戻ればいいとの算段が弾き出したこのサイクリングでもある。

昨日一昨日ほどの暑さはないけれどそれでも気温は高く部屋の中にいれば団扇が必要なぐらいなのだが牧草地が広がる田舎の自転車道は静かでそよ風があるので気持ちがよかった。 車なら直線が多いから15kmほどになるけれど田舎道を右に左にのんびりと走っていると18kmにもなる。 途中酪農農家が自家製のチーズやアイスクリームを売るところがあるのでそこに来てみると我々と同じような家族連れが10組ほどいて周りの景色を見ながらそれぞれ色々なアイスクリームを舐めている。 春の終わりにここを通ったときにはまだ時期が早かったのか開いていなかったからこれから9月の中頃まで繁盛するのだろう。 清潔な農家のアイスクリーム屋の奥にはぴかぴかに磨かれたチーズ製造機やアイスクリームの機械が覗ける。 農道には旗が一つ立っているだけなのだが口コミというのは馬鹿にならないものでここを通る人々はほとんどここに立ち寄って休憩するようになっているようだ。 それにこの農家の周り5kmにはカフェーやレストランがないからある意味では独占ということも言えるかもしれない。

オランダは自転車道が完備されていて凸凹道を走るということは殆ど無いのだが、それでも途中、アスファルトが50cmほどしかなく両側それぞれ1mほどが草の路肩になっているところが1kmほど続いていた。 そこは乳牛たちが一つの牧草地からほかの牧草地に自分達で移動する通路にもなっていてこの狭い農道を自転車のペダルと漕いでいると前方に40頭ほどの乳牛がのそのそ歩いているところに追いついた。 牛達は路肩の草を食いながら移動するので中央の50cmほどのアスファルトは空いているからそこを走るのだが牛達はかならずしも我々に道を譲るという気配りが出来るわけではないから自然と我々の方が自転車を降りて牛の間を分け進むということになる。 バカンスの他の国ならいざしらずオランダでこういう経験をするのは稀だ。 羊ならこういうことはあるけれど羊であれば我々が近づくと大抵は逃げるようにするのが普通だから問題は無い。 嵩の高い牛は不気味でもあるけれど乳牛は雌牛だから難儀はしない。 そういうことはないがもしここに種牛として広い農場に一頭放たれている雄牛がいれば只事ではすまない。 こころ優しいご婦人たちで助かった。

施設に着き暫く姑と話していてそろそろレストランに、ということになった。 このごろ姑は徐々に足腰が弱くなっており少し歩くには誰かが腕を貸して二人連れで歩くということをしているけれどこの施設から300mほど離れたレストランに行くのに今回初めて車椅子を使った。 予約時間の6時からそこを出たのは9時だった。 夕陽が沈む方向に向けて自転車を走らせ帰宅したのはもう自転車の明かりが必要な11時前だった。

 

足掛け10年この日記を書いてきて今日が3001回目となる。


モロッコの旅(13); 7000m上空で

2014年07月20日 00時05分15秒 | 日常

 2014年 7月 19日 (土)

オランダは気温が34℃と昨日に続いて真夏日であり、夜中になっても屋根裏部屋の温度計は30℃から下には行かない。 これなら6月の初めにいたマラケッシュのホテルの方がましだった。 小さなバスタブ一つ、電話ひとつだけでテレビも何もない簡素な部屋だったけれどエアコンがあった。 10日間滞在した中で一日だけは夜中にエアコンのスイッチを入れたけれど結局11時を周ってから涼風が出て窓を開け放って過ごした。 けれどまだその時は夏になっていなかったからもう今ではエアコン無しではいられないだろう。 今のオランダは一年に何回あるかというほどの真夏である。 昨日あたりまで子供、若者だけが水路や運河に浸かっていたものが今日は中年、老人までが肩まで水に浸かって涼んでいる姿があちこちで見られた。 

そんな中オランダ全土は一昨日のニュースのショックに包まれている。 墜落したマレーシア航空のボーイング777機の乗員300人あまりのうち200人ほどがオランダ国籍だったということに加えて徐々に明らかになってきているのはそれはのロシア製ブックミサイルによって撃ち落されたということに加えてそれを巡る幾つもの進展の模様だ。

この事件が勃発してから様々なニュースソースによって徐々に状況が明らかになり、だれが撃ち落したかというところまではっきりしていることだ。 それは元ロシア軍の上級軍事情報将校でこれらはプロ中のプロ、アフガニスタン、チェチェ二ア、バルト三国とロシア政府の命を受け転戦、今はウクライナ分離派の軍部中枢として権力を握っている人物たちらしく、これらが追撃命令を出したとみられる二人で、長い目でみてこれらを訴追できるかということが水面下で討議されているようだ。 けれどそれよりも先ずしなければならないことは犠牲者の確保、状況保全、調査団の活動保護、という問題らしくロシア語の堪能なオランダ外務大臣が現地に到着しているもののウクライナ政府は当初から国際社会に向けて原因解明、犯罪者弾劾の意向を示しているから問題はないとしても果たしてキエフから先500km離れた現場までたどり着けるか、仮に出かけてもこれら親ロシア分離派が活動を阻む恐れが大きいことが予測されるのでその効果があるかどうかが疑問視されている。

上空20kmまで撃墜能力のあるロケットは組織が混沌としている寄り合い所帯の親ロシア分離派軍単独では所持、操作する能力がないから当然それはロシアからの物資、人的支援がなければできることではない。 分離派の自称首相と名乗る男が、わが方にはそのような能力のある武器はない、政府側のロケットだというロジックは一見合っているようにみえる。 それはわが方、分離派だけでは所持、管理できない、ということであり、仮にわが方から飛んだとすればそれは後ろ盾であるロシアのものだ、ということを意味している。 実際に親ロシア分離派の背後のロシア領からの物的人的の援助、移動を阻止する力はどこにもない。 そして飛行機を撃墜したと思しき移動式地対空ロケット発射台を積んだ車がその後ロシア領に引き揚げていく映像が流れている。 それには4発装備が3発しか見られない。 様々な映像が東西メディアに流れプロパガンダ情報戦の態を呈している。

オランダは気温34-36度まで上がった。 ウクライナの墜落現場は35℃で雨らしい。 調査委員会が到着して遺体保全、回収に向けて動き始めているが分離派の兵士、グループに阻止されているという映像が入っている。 軍隊の態をなしていないような連中が上官の命令だここを退去しろ、文句があるならロシアにいえ、というような言動も聞こえることから一貫して関与を否定している上にこの事故の責任はウクライナ政府にあると言い続けているプーチンの言動とあわせて事の実態があぶりだされているように見える。 その上官二人の傍受された会話は世界中にニュースとしていきわたっている。 それが戦争状態にある地域に墜ちた遺体を確保しにいく連中の置かれた状況だ。 多分300体が全て回収されるわけではないだろうし10kmほどに遺体、遺品、機体の破片が散らばる現場は戦闘地域でもあって委員会委員が確認調査、遺体確保にDNA検査という普通の事故現場の活動をするのは無理だとの報告がある。 分離派兵士がダンプカーのようなものに全て一からげに積み上げ現場を破壊しているというのだ。 遺品を勝手に拾い集めて持ち去るものも多いようだ。 けれどそれを阻止する力は今のところ誰にもにもない。 オランダ首相が今日午後プーチンに直接電話で抗議するようなことがあったとニュースで報道されていた。 それは200人のオランダ人を殺された国の首相として実質の黒幕であるプーチンに対する当然の行動である。 だれもプーチンがそれを認めすぐ行動に移すとは考えないしオランダ首相の行動を子供じみたものととるものもいるだろうけれど、これはむしろ当然のものと考えるものが多い。 とは言っても物事はすぐには解決しそうにはない。 遺族は現場に出かける用意があり待機しているようだけれどこの分離派の行動を危険なものと見て現場に行くのを見送っている。 この暑さの中、戦争に夢中の分離派にはまともな死体安置所や落ち着いて身元確認する場所を提供し協力する態度がみられないようだ。 分離派といっても幾つもの派閥のようなものがあり命令系統が混乱しているようでこれがことを複雑にしている。  話は唐突に飛ぶが嘗て日本軍が満州で張作霖爆破した構図に似ていなくもない。 調査団の示唆を蹴り声高に国際社会から離れた日本に今の分離派を比べるのは稚拙ではあるが共通点が無くも無いように感じる。 事件を冷静に調査しようとするところに声高に否定、誰かを糾弾する構図はあちこちで見られるもののようだ。

気温35℃で然るべき施設がなければ遺体は腐敗し無残なものとなり検査活動にも大きく支障をきたす。 飛行機事故でこれほど遺体回収に困難をきたした例は少ないようだ。 一つにはこれは事故ではなく、戦争犯罪に繋がる事例であることにもよる。 娘の友人の知人の名前が今晩発表された乗員リストにあったし、これら200人ほどの住所はオランダ中に散らばっておりそれぞれそこで亡くなった知人、職場の同僚、学校の、クラブのメンバーのコメントもでている。 例えば、インドネシアにバカンスに出かけた夫婦に子供3人が名簿の中にあり、その住居が示されそこにはもうだれも戻ってこない。 オランダ人だけではなくその他被害者の国の元首達もこの犯罪の責任究明を求める声明を出している。 

35℃ということがこの文を書かせるもとになっている。 ボーイング777は一ヶ月ほど前にモロッコに行ったときに往復に使った機体であり、スキポール、モロッコは3時間ほどだから7000mほどのところを飛んでいた。 スペイン上空で蜘蛛の巣の様に広がった道路の中心にある村を見下ろして撮った覚えがある。 そのころ息子は墜落したのと同機体でまったくおなじ航路をインドネシアに向かい、また戻っている。  ウクライナ政府は1週間ほど前に航空管制当局に民間機の飛行高度を7000mから10000mに上げるよう指示しており当機も10000mほどの高さを飛んでいたと見られているけれどその倍の20000mまで届くロケットは発射後40秒で一瞬にして破壊している。 傍受された司令官たちの会話では、今撃墜したところで人も物も落ちてくるのが見える、とも言っている。 まさに撃墜指令を出しそれを見届けている者の発言、映像だ。 もし戦争犯罪法廷が開かれるのならオランダのハーグということになるのだが、もし関係国での裁判を避けるとしたらどこで行われるのだろうか。 フランスでも、ベルギーでもイギリスでもドイツでもオランダでもオーストラリアでもない。 多分どこからも依頼されることはないとしても、もしそうなると例えば日本にそれを仕切る能力はあるのだろうか。 国際社会に貢献し平和を希求すると内に向かっては威勢良くいう国にはそれを実行するソフトもハードも揃っているようには見えない。

何れにせよ蒸し暑く放っておけば物事がどんどん腐敗していく。