前日15kmを中途半端に歩いた。 というのは、歩き始めてから10kmほどは別段休憩をすることもなく歩き続けて1時間ほど昼食を途中のホテルのレストランで摂り、ちょっと歩いて又、堤の上のカフェーで時間待ちのため1時間ほどビールを飲んだり行き交う川舟を眺めたりして過し、それじゃあと又15分ほど歩いて周りになにもないライン川の吹きさらしの渡しで30分ほどぼんやり待った一日というのは歩いたような歩かなかったような中途半端な気がした。
オランダはドイツ国境のこのあたりや南のドイツ、ベルギーに近いリンブルグ州は丘陵地帯があるものの、一般的には平らな国だから30分ほど歩いていればほぼ自動運行装置が働くのか体が自然に作動して単調な道では中途半端には停まりたくなくなるものだ。 1時間半か2時間に一度ベンチに腰を下ろし、今の時期ならみかんを一つか二つ口に入れるだけでいいし、暑い時期なら水を補給したりして10分ほど休憩する。 だからこんなコースで渡しの都合で1時間半以上時間をつぶすのは体が歩きたいと欲求不満のシグナルを出しているようなのだ。 奇妙なことだなあとおかしくなる。
二日目はそういうこともなくホテルでコンチネンタルとイングリッシュ両方の朝食を充分目のミルクティーでほぼ満腹気味に採って、途中の昼食時、山野の中のカフェーが不如意のことを考慮してフランスパンに野菜とハム、トマト、胡瓜、ウインナーソーセージを挟みバゲットのサンドイッチにして、バナナ、林檎、みかんも食堂のヴァイキングのテーブルから持ってきて、もらったビニール袋に入れて弁当にした。 クッキーや紙パックに入ったジュースも呉れたのはこのホテルではピーターの小道を辿る人のためにはチェックインの時の飲み物、夕食のコースメニュー(スープ、メイン、デザート)、朝食、弁当つきで一人8000円程度のパッケージになっているからだった。
宿を出たのは日曜の朝、9時半、これから20kmほど歩くのだが寒くもなく前日と同じく朝からセーターのみで軽快に小さな町の中心にある教会の塔を横目でみて町外れに来ると新しいうちが並びその地区を抜けていくのだが、古い中心部はそれぞれの町や村にはなんとか特色らしい風情があるのだが新興住宅地区は全国どこに行っても同じで面白みがひとつもない。 だから広々とした田園風景の中に出るとほっとして農道に沿って歩くのだが日曜の朝には車も人もほとんど見えないし、この時間ならば日曜の教会での礼拝に出るきっちりした服を着た人たちが車で10時の鐘に間に合うように通るぐらいだ。
教会に代々通い続けている人たちは多分それから1時間程度、説教を聞き、賛美歌合唱を行い、そのあと教会の近くのカフェーでビールやジンを飲みながら村人と談笑し、家に帰り日曜の昼食(正餐)を家族と摂りゆっくりするという日曜を過す、というのが伝統的な日曜日だ。 厳格なプロテスタントでは労働やなにか日常にする作業はしてはならない、というところもあるから面倒である。 いまでも大都市を除いて日曜の休業原則をとるところが多いから日曜の村は昼頃からのカフェーを除いて店は閉まり静まり返っている。 これは日本から来る人たちには異常に映ることでもあるかもしれない。 そういう静寂というのは日本では田舎を除いて地方の都市でもないに違いない。
田園地帯の広々とした何もない風景では中世と同じような経験ができる。 昔、歩いて村から村を旅するものには簡単な地図はあっただろうが方向さえしっかりしていれば大きくは迷う事はない。 田園地帯の真ん中で周りを見遥かすと大抵3-5km先には教会の尖塔があちこちに見える。 それを目指して辿ればそこには宿があり、村があるという仕組みで集落と外の田園地帯というものが今でも昔の面影を残してかなりはっきりとしているのだが、しかし、小国の人口膨張から、どんな町でも郊外には徐々に何処も同じ画一の住宅地が増えている。
いくつかそんな村を通過していると11時前になり老人たちが夫婦で日曜の服装で教会に向かう姿が見られ軽い挨拶をしながら通り過ぎるということになる。 ここでは11時である。 多分、日曜の朝は昔に比べて一様に寝坊をするようになり、特に小さい子供をもつ家族のために時間をずらせる傾向にあると聞いていたからこの村でも教会離れが進む若い世代を引き止めるための施策なのだ。 そうしているうちにまた村をぬけドイツ領に入り小さい村のカフェーでコーヒーを飲むことにした。
ドイツとオランダのカフェーのコーヒーには違いがある。 ちょっとしたところではドイツでは2,3杯分の量を小さなポットに入れてくるから一杯だけならそういう風に初めから注文しなければ戸惑うことになる。 それと一般にドイツのカフェーのコーヒーはオランダのものに比べて酸味がありきりっとしたコクがあるように思う。 カプチーノやエスプレッソなどを注文するとこれはどこに行っても同じような味なのだから普通のコーヒーを頼んだときの味の感じだ。 日頃オランダの昔ながらのカフェーで飲むコーヒーは重みがありどっしりとした感じだ。 勿論、何千、何万とあるカフェーのことだから多分、個人的な印象なのだろうし、最近は機械で業者が卸す材料をボタン一つで作るのだからブランドが画一的な味を決めるということになりがちだから20年前とは大違いだ。
国境を越えるとこの教会のそばの小さなカフェーのバーの続きには奇麗に布のナプキンをかぶとのように折ってナイフやフォーク、ワイングラスなどをセットした小さいテーブルの上に飾ってあるのが沢山ある。 ここでは教会の後、家族で昼食を摂る組が多い、ということだろう。 オランダではこれはない。 倹約のオランダ、豊かなドイツということだろうか。数キロメートルの違いである。 そこの女主人は上手なオランダ語で、今日は暖かいから食事の後に散歩でもするのか予約が多い、と言っていた。
オランダはドイツ国境のこのあたりや南のドイツ、ベルギーに近いリンブルグ州は丘陵地帯があるものの、一般的には平らな国だから30分ほど歩いていればほぼ自動運行装置が働くのか体が自然に作動して単調な道では中途半端には停まりたくなくなるものだ。 1時間半か2時間に一度ベンチに腰を下ろし、今の時期ならみかんを一つか二つ口に入れるだけでいいし、暑い時期なら水を補給したりして10分ほど休憩する。 だからこんなコースで渡しの都合で1時間半以上時間をつぶすのは体が歩きたいと欲求不満のシグナルを出しているようなのだ。 奇妙なことだなあとおかしくなる。
二日目はそういうこともなくホテルでコンチネンタルとイングリッシュ両方の朝食を充分目のミルクティーでほぼ満腹気味に採って、途中の昼食時、山野の中のカフェーが不如意のことを考慮してフランスパンに野菜とハム、トマト、胡瓜、ウインナーソーセージを挟みバゲットのサンドイッチにして、バナナ、林檎、みかんも食堂のヴァイキングのテーブルから持ってきて、もらったビニール袋に入れて弁当にした。 クッキーや紙パックに入ったジュースも呉れたのはこのホテルではピーターの小道を辿る人のためにはチェックインの時の飲み物、夕食のコースメニュー(スープ、メイン、デザート)、朝食、弁当つきで一人8000円程度のパッケージになっているからだった。
宿を出たのは日曜の朝、9時半、これから20kmほど歩くのだが寒くもなく前日と同じく朝からセーターのみで軽快に小さな町の中心にある教会の塔を横目でみて町外れに来ると新しいうちが並びその地区を抜けていくのだが、古い中心部はそれぞれの町や村にはなんとか特色らしい風情があるのだが新興住宅地区は全国どこに行っても同じで面白みがひとつもない。 だから広々とした田園風景の中に出るとほっとして農道に沿って歩くのだが日曜の朝には車も人もほとんど見えないし、この時間ならば日曜の教会での礼拝に出るきっちりした服を着た人たちが車で10時の鐘に間に合うように通るぐらいだ。
教会に代々通い続けている人たちは多分それから1時間程度、説教を聞き、賛美歌合唱を行い、そのあと教会の近くのカフェーでビールやジンを飲みながら村人と談笑し、家に帰り日曜の昼食(正餐)を家族と摂りゆっくりするという日曜を過す、というのが伝統的な日曜日だ。 厳格なプロテスタントでは労働やなにか日常にする作業はしてはならない、というところもあるから面倒である。 いまでも大都市を除いて日曜の休業原則をとるところが多いから日曜の村は昼頃からのカフェーを除いて店は閉まり静まり返っている。 これは日本から来る人たちには異常に映ることでもあるかもしれない。 そういう静寂というのは日本では田舎を除いて地方の都市でもないに違いない。
田園地帯の広々とした何もない風景では中世と同じような経験ができる。 昔、歩いて村から村を旅するものには簡単な地図はあっただろうが方向さえしっかりしていれば大きくは迷う事はない。 田園地帯の真ん中で周りを見遥かすと大抵3-5km先には教会の尖塔があちこちに見える。 それを目指して辿ればそこには宿があり、村があるという仕組みで集落と外の田園地帯というものが今でも昔の面影を残してかなりはっきりとしているのだが、しかし、小国の人口膨張から、どんな町でも郊外には徐々に何処も同じ画一の住宅地が増えている。
いくつかそんな村を通過していると11時前になり老人たちが夫婦で日曜の服装で教会に向かう姿が見られ軽い挨拶をしながら通り過ぎるということになる。 ここでは11時である。 多分、日曜の朝は昔に比べて一様に寝坊をするようになり、特に小さい子供をもつ家族のために時間をずらせる傾向にあると聞いていたからこの村でも教会離れが進む若い世代を引き止めるための施策なのだ。 そうしているうちにまた村をぬけドイツ領に入り小さい村のカフェーでコーヒーを飲むことにした。
ドイツとオランダのカフェーのコーヒーには違いがある。 ちょっとしたところではドイツでは2,3杯分の量を小さなポットに入れてくるから一杯だけならそういう風に初めから注文しなければ戸惑うことになる。 それと一般にドイツのカフェーのコーヒーはオランダのものに比べて酸味がありきりっとしたコクがあるように思う。 カプチーノやエスプレッソなどを注文するとこれはどこに行っても同じような味なのだから普通のコーヒーを頼んだときの味の感じだ。 日頃オランダの昔ながらのカフェーで飲むコーヒーは重みがありどっしりとした感じだ。 勿論、何千、何万とあるカフェーのことだから多分、個人的な印象なのだろうし、最近は機械で業者が卸す材料をボタン一つで作るのだからブランドが画一的な味を決めるということになりがちだから20年前とは大違いだ。
国境を越えるとこの教会のそばの小さなカフェーのバーの続きには奇麗に布のナプキンをかぶとのように折ってナイフやフォーク、ワイングラスなどをセットした小さいテーブルの上に飾ってあるのが沢山ある。 ここでは教会の後、家族で昼食を摂る組が多い、ということだろう。 オランダではこれはない。 倹約のオランダ、豊かなドイツということだろうか。数キロメートルの違いである。 そこの女主人は上手なオランダ語で、今日は暖かいから食事の後に散歩でもするのか予約が多い、と言っていた。