暇つぶし日記

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イントゥ・ザ・ワイルド  (2007);観た映画、 July '13

2013年10月01日 13時29分37秒 | 見る



邦題;  イントゥ・ザ・ワイルド    (2007)
原題;  INTO THE WILD

148分

監督:  ショーン・ペン
製作:  ショーン・ペン、 アート・リンソン、 ビル・ポーラッド
原作:  ジョン・クラカワー  『荒野へ』(集英社刊)
脚本:  ショーン・ペン
撮影:  エリック・ゴーティエ
音楽:  マイケル・ブルック、 カーキ・キング、 エディ・ヴェダー

出演:
エミール・ハーシュ     クリストファー・マッカンドレス
マーシャ・ゲイ・ハーデン   ビリー・マッカンドレス
ウィリアム・ハート     ウォルト・マッカンドレス
ジェナ・マローン      カリーン・マッカンドレス
キャサリン・キーナー    ジャン・バレス
ヴィンス・ヴォーン     ウェイン・ウェスターバーグ
クリステン・スチュワート   トレイシー
ハル・ホルブルック     ロン・フランツ
ブライアン・ディアカー
ザック・ガリフィナーキス

若さゆえの生真面目さで自らの心と向き合い、過酷なアラスカの大自然に立ち向かっていった一人の青年の姿を追ったジョン・クラカワーのベストセラー・ノンフィクション『荒野へ』を、オスカー俳優ショーン・ペンがメガフォンをとり映画化。恵まれた境遇にありながらも繊細な感受性ゆえに満たされずにいた青年が、突然すべてを捨て、ヒッチハイクでアメリカを縦断しながら様々な人々との出会いを経て、最後は徒歩でアラスカの荒野へと分け入り、その4ヵ月後に餓死した死体となって発見されるまでの心の軌跡を静かに見つめていく。主演は「ロード・オブ・ドッグタウン」のエミール・ハーシュ。

1990年夏、ジョージア州の大学を優秀な成績で卒業した22歳の青年、クリス・マッカンドレス。卒業祝いに新車を買ってあげるという両親の申し出をあっさり断った彼は、通帳にあった預金全額を慈善団体に寄付し、家族に何も告げることなく、文字どおり無一文でアラスカへ向けて旅に出る。道中、様々な出会いと経験を重ねるクリス。サウスダコタでは彼の無鉄砲を諫めてくれる陽気な兄貴分ウェインと親交を深め、スラブスではヒッピーなどアウトサイダーたちが集うコミューンに身を寄せ、そこで美しい少女トレイシーと出会う。彼女はクリスに好意を抱き、クリスにも恋心が芽生えたかに思われたが…。一方その頃、残された家族は音信不通の息子の身を案じ、祈る思いで彼の帰りを待つのだったが…。

上記が映画データベースの記述である。 テレビガイドでショーン・ペン監督の映画だというのと若者が荒野を歩く話だというのだけ横目で読んで深夜ベルギー・国営テレビで放映されたものを観た。 本作とは別にカナダの北から単独数ヶ月に渡り少ない食料だけで荒野に踏み込み更に北に進んで精も根も尽き果てた末に現代の利器、携帯を使って水上飛行機に拾いに来て貰う結末の腰折れドキュメントを本作の数日前に観てアームチェアー冒険家の自分としては、なんだこのへな猪口、ヘタレがとそのヴィデオ画像をみて毒づき、その男を情けなくも思い、結局現代の利器、携帯で助けに来てもらうのかい、しかし結局そういうものだろうなと妙な納得の仕方をしたのもこのような道なき荒野を何ヶ月も彷徨った経験がないビール腹還暦男の勝手な意見だと宥め、それにしてもあの腰折れドキュメントは何だったのだろうかと思っていた矢先の本作だったのだ。 

実話をもとにしているとはいえ映画とドキュメンタリーの違いがここにあり、それは再構築された劇映画である「虚構」と事実の記録の違いであり、ドキュメンタリーは見たそのままの事実を写して一人でカメラを操作してその限られたアングルなどからその稚拙さゆえの臨場感をも得るとともに、一方時には一人芝居の間が抜けたような瞬間が訪れることもあり、緊張感もうすれがちな場面もこのドキュメンタリーには見られた。 熊の来襲におびえる様はなま半かなものではないのだが観る方としては興味本位で何かもっと切迫した気配がないのかとも期待があり、そうなると悪く行くとこのドキュメントもそこで終わりともなり、そういえばそういうドキュメントもあったとも思い出す。 もしそうなると今観ているドキュメントは本人が熊に襲われた後、発見されたカメラから起こされたものかというような甚だ気持ちのわるいものともなり、多分そういうものではないだろうとも思いなおし、だから結局何も起こらなく疲労困憊の果てに救助される顛末をみて、何だ初めの意気込みはどこへ行ったのだ、駄目ドキュメントめと毒づきながらテレビのスイッチを切り観た事を忘れようとビールを一啜りすることとなる。

上の経験をしたあとの本作であるから主人公が山に入るまでの導入部を観るとそれまでの経過、入るまでに準備する段階、様々な人との交流経験の中で触れ合う人々との様子が示され何故荒野に向かうのかというその動機が徐々に明らかになるのであり、荒野に入った段階では物語はほぼ解決をみているとみてもいいのだから本作の数日前に観たドキュメンタリーとは内容も形式もそもそも異なっている。 むしろ比べるほうがおかしいのだがなぜかこれら二作が重なって思い出せるのだ。 ドキュメンタリーでは過酷な現実に直面しながらうろたえ泣きもする人間に向かって自分はシニカルなことをいい、そんなに辛いなら拾いにきてもらったらいいじゃないか、と画面に向かって毒づくのはそれまでただ荒野を彷徨う画面と本人の状況、感情および意気込みだけしか示されてはおらず、本人の背景、何故ここにいなければならないのか、というような動機がはっきり述べられていなかったからでもあるのだが、ただそこにいる本人に感情移入できるようなことがなかった。 ひょっとしてドキュメントの冒頭で動機が述べられていたのかもしれないけれどそれも何十分にも渡るサバイバル・ドキュメントでは現実に直面し対処するその中では動機はもうどうでもよく、そこにいること、生存することに大きく座を占領されているようだ。 ナショナル・ジェオグラフィックやディスカバリー・チャンネルでも再三放映される同様のサバイバル映像などとこのドキュメントが違うところはここでは画像は本人の独白とカメラ一本の画像だけだけであり観る者はソファーにゆったりと落ち着いて観るようなチームによって作られた情報番組でもないところにあるだろう。 そのことが本作とこのドキュメントに共通するところでもあるのかもしれない。 そもそもナショナル・ジェオグラフィックやディスカバリー・チャンネルの映像と劇映画のジャンルに入るだろう本作では違いがはっきりしている。 

多分本作はロード・ムービーのジャンルに属するものなのだろう。 本作でも述べられているソローやケロワックの諸作ともつながりこころの中のどこか荒野を彷徨いたいと思っているふしも見えるショーン・ペンの作にふさわしいものである。