暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

旧ビルマでジャーナリストが撃たれた翌日お稲荷さんを包む

2007年09月29日 04時46分29秒 | 日常
息子のパーティーの準備をしていてその合間にテレビのニュースで私より少し若い日本人フリージャーナリストが旧ビルマの反政府デモを鎮圧に出た軍の兵隊に至近距離から撃たれた映像を見た。 その瞬間を近くのビルの屋上から捉えていたものがいて再三スローモーションで写された映像はゆっくりカメラを上にもち倒れていく姿を見せていた。 即死だったということだ。 

フリージャーナリストの宿命であるものの、世界の紛争地域で生き延び、本人はまさかここで一瞬のうちに落命するとは思っていなかっただろう。 痛みも何も感じる暇のない絶命だ。 

そもそもこの国の20年来の軍事政権の背景にはここでも中国が利権を独り占めし、一部特権階級の軍事政権、軍属、政府高官のみに利益を絞込み注入、自国の権益のために独裁政権を庇護する歴史が続いており、僧侶を中心にした民衆の抗議行動に世界中が憂慮し政府の態度に非難の声が上がっているものの中国を後ろにもつ政府の態度はプレス排除、インターネットのライン接続を切断する、近年東欧諸国の政変時に見られた現象であり、国連の議場で拒否権を持ち各国も無視できない大国中国を頼んだ動きである。 そして誰がこの中国の熊猫に鈴をつけられるのだろうか。 米国は自国のことで手一杯でも軍政に反対し民主主義の危機だというなコメントでお茶を濁しわざわざ中国を牽制する行動には出まい。 それで、日本はというと、、、、、この件に関して日本人の犠牲者がでていてリップサービス程度の要望はするものの実のある結果に期待はもてないだろう。

もう30年ほど前のことだ。 オランダに来るために此方の雇用主からヴィザが送られてくるのを待ってほぼ一年半ほどぶらぶらしていた。 その折、70年代初めのオイルショック後市が埋め立て企業誘致の出来なかった広い土地の中にある港に着く貨物船をジョギング、壁打ちテニスのあと眺めていて、だだっ広い埋立地にアジア人が駅に向かって歩いているところに行き当たった。 英語で話しかけると稚拙な反応があってフィリピン人、ビルマ人などの船員が何日か積荷の小麦を降ろす間無聊を持て余しているのだという。 どこか名所旧蹟を回りたいのだがどこへどのように行けばいいのか分からない、という。 そのための資料も何もないからそれではとそのうちの言葉の一番できるものを車で我が家に連れて行き食事を一緒に摂りながら地図や写真などを示して奈良観光が出来るように説明して再度船に戻した。

数日して電話が入り奈良観光が出来たことの礼を言われ、船の夕食に招かれた。 そこで何人かの船員と質素な食事を振舞われそのあとビルマ人船員の家族の写真を見せられ家族の現在兄弟の夢などを語るのを聞いた。 何ヶ月も洋上で暮らす船員達は細かく書かれた丸く端正なビルマ文字の手紙を大事にしているのが印象的だった。

その後、何度か手紙のやり取りをしたがそのうちどちらからか消息が途切れ、彼はそのとき語った夢のとおり船員として蓄えた資力で母国にうちを建て結婚し家庭を築いたのかどうか。 もしそういう経過をたどっていたのなら今頃は孫を抱いていても不思議ではない。 今の事態をどのように受け止めているのだろうか。 

そんなことを考えながら先ずお稲荷さんを50ほど包んだ。 太巻き、河童巻きほぼ10本づつ材料のあまりものを口に入れワインを飲みながら済ませた。 明日は朝から魚屋に走り握りの材料を調達し寿司飯を一升弱炊いて握らなければならない。 

昨日、卸問屋に出かけビール小瓶各種総250本、ワイン赤6本、白6本、ロゼ3本、ソフトドリンクス各種計20kg弱、各種つまみ2.5kg、チーズ5kg、ソーセージ5kg、一口ものの各種揚げ物5kgを車一杯にして買い込み、これで明日50人を夕方7時半から12時まで接待することになるのだが気になっていた天気予報では何とか天気はもちそうだと聞き、少し安心した。 もし雨になれば庭にパーティーテントを二つ張っているものの居間に30人も収容できるものではないから面倒だ。 若者たちは裏庭で息子の友人のDJで音楽に合わせて踊ったり飲んだり喋ったり、中年以上は居間で各自飲み物食い物を手に歓談、ということになる。

この前このようなパーティーを開いたのはいつのことだったのだろうか。 3年ほど前か、そのときは夜中でもまだ生暖かかったから5月の末頃だったのかもしれない。 明日はそれに比べて夜間、外では15度位にはなるから若い者達はしっかりビールで温まりそれ以上に若い男女交えてそのエネルギーだけでも寒さは感じないに違いないから外に放り出しておけばいい。 

気候のいい6月の終わりごろの予定だったのが息子の病気で3ヶ月延びたのが明日というわけなのだが、やはりこういうものは夏に限る。 

2007年09月28日 07時08分15秒 | 喰う

たまたま目にしたオランダの食品管理についてのテレビ番組とネットの「きっこのブログ」での記事がどちらも、かたやオランダで食されるタイ産の白身魚の鮮度と、きっこ、、、では中国産のうなぎが日本産として売られることを示してこれが日本の食品業界、管理省のゆるさ、違反に対する罰則のなさに象徴される、消費者こそが馬鹿を見る構造になっていることを明らかにしていることだ。

先日もきっこ、、、でマグロの水銀蓄積にたいする欧州と日本の安全基準の違い、日本の監督省庁の業界に牛耳られ、表示差し控え業界のいいなりの実態も示されていたとおり、食品安全についての、特に魚においての安全性のさまざまな局面に光が当てられていて蒙を啓かれた。

1970年代には大阪の我が家では村の魚屋でその原産地を聞いて阪神近海で獲れた魚は食べなかった。 それまでに水俣で重金属に汚染された魚を口にしたヒトだけではなく猫が狂い死にをしたことが有名で、おなじく汚染された阪神間の水域でとれたものを口にして水俣の二の前にならないようにしたためだと母親から聞いていた。 

あさって3ヶ月ほど日延べになっていた長男のパーティーが我が家で開かれることになっていて、50人以上の来客があると息子から聞かされておりあさっての朝、海に近い魚屋に寿司用の鮭とマグロの切り身を買いに行くつもりなのだが鮭はいいとして、聞くところではマグロは水質汚染の有無に関係なく水銀蓄積度が高い魚らしいから2ヶ月、3ヶ月に一度ならば口にしてもいいが習慣的に口にすることは慎んだ方がいい、とECのガイドラインにあるらしいし、更に妊婦と子供には出来れば食べないようにともアドヴァイスが出ているとある。

我が家の猫は一週間に一度は冷凍の白身の魚を解凍してゆでたものを食べさせているのだが、猫用の缶詰魚ではなく、普通のヒト用のスーパーで冷凍庫に並べてあったものである。 まてよ、これはいいとしても、それでは猫の餌の鰯、マグロなどの缶詰魚の品質は信頼に足るものなのだろうか。 

夜空

2007年09月28日 06時36分22秒 | 日常

満月だった。 それで夜中に東の空に上がった月を眺めていてデジカメに収めようとしたがうまくいかない。 肉眼では月の模様がはっきり見えるからその痘痕面を少しでも見せられたらいいと片手に十分入るような小さく薄いカメラでズームを利かせてそれを小さな三脚に載せてセルフタイマーで摂ると雲や、空はそこそこ撮れるものの肝心の月の表面は明るすぎてだめだ。 コンピューター処理をしようとしてもちゃちなソフトではどうにもならないふやけた真っ白い円盤だ。

ちゃんとした一眼レフのデジタルカメラで撮らなければうまくいかないことはわかっているものの、この歳になって一眼レフは重過ぎるのだ。 ジャズのセッションに出かけても近くにセミプロがいてシャープな画像をフラッシュを焚かずに撮っているのをそばで見ているがそのときには別にうらやましくない。 私が撮るのはメモかちょっとしたクロッキーといったものだから。

それで名月は目に収めるだけにして写真はギブアップで裏庭に戻りいつもの南の空を眺めた。 庭木で囲まれているからここは月光とその反射の影響がないので暗い星空で、薄い雲が出ていることが分かるものの星がさすがに冬空ほど多くないものの普通の夜空だ。

三脚に載せ上向けに30秒露光させた。 南から北に向けて風が吹いているようでゆっくりと雲が流れていくのが微かに分かるのだが、いざ出来上がった写真と実際の違いに今更ながら驚く。 妙な写真だ。 庭の垣根の光は台所の蛍光灯の光であるらしい。 葉など肉眼で見えないのに30秒で集めた光が我々にこう見させるのだ。 空の暗黒が蒼に変わっている。 

写真は真を写すというがそれでは肉眼で見た夜の空は何だったのだろうか。

秋風や天高く

2007年09月25日 14時45分57秒 | 日常
秋の天気は変わりやすい、といわれるとおり、この何日かの好天気の締めを司るのか天空の蒼碧を箒ではいた模様が巻雲、シーラスとなって見える。

子供のときからこの雲が一番好きだ。 夏のモクモクと力瘤を築き上げる入道雲も悪くなく、その湧き上がる様をしばしば見上げることがあるけれど、高い筋雲、シーラスが見えていた空気と温度、その透き通った蒼との記憶から好みの雲はここに落ち着くのだ。 

それに子供のときからこの季節は稲刈りも終わり村の祭りが待っていることも大きく関係している。 10月15日ごろが統計的に一番晴れる時期だと聞いたことがあるし、子供のときから自分の村の祭りが雨に降られたというのはあまり記憶にない。 村の子供、青年、大人が一体となって何トンもある地車(だんじり)を3日間曳き廻す。 その空の記憶がこれだ。 特に夕近く曳き廻しに疲れた肌に涼しい空気を感じて見上げる空にかかる雲がこれだ。 

今日は私の実家の村のある市で試験曳きを称してこの地車をひきまわしている、とネットのブログやコミュニティーサイトで知った。 日本の秋はまだ本格的ではなく暑かった夏を引きずっていると聞いているがどうなのだろうか。

この雲が出るとそのうち天候の変化がやってくる、といわれている通り、オランダ気象協会はこれから3,4日は雹や雨が降る日が続く、といっている。 こういう風にして秋は徐々に深まり空の蒼が狭められていく。

隣の猫

2007年09月24日 05時37分56秒 | 日常
隣のゲイのカップルには猫が二匹いて両方とも7,8歳だ。 うちのとあまり差がないのだけれどそのうちの一匹が人なつっこくて、というかあまりにも無邪気に家の中に入ってくる。 引越して来てから3,4週間自宅内で慣れさせていたようでそのときは時おり二階のバルコニーからそれぞれ此方を眺めている風だったのだがいざ裏口の猫用の扉が開くようになるともう一匹は普通に庭を掠めながら、ちょっとごめんなさいね、という風で此方を観察しながら通り過ぎていくのだがこの猫は、夏の間は裏庭に面したうちの居間ドアや台所のドアから中に入ってきて誰が来ても怖れる風もない。 

我が家の伯母さん猫は無頓着にあちこち好きなところで寝転がっていたり適当に近所に散歩に出かけるのだが、この猫、我が家を自分の家の別宅とでも思っているふしがある。 恐れる様子もなにも見せなくて私が近寄って抱き上げてもされるまま、冗談に怒りの息を吹きかけて怖がらせてみようとしても、うちの臆病伯母さん猫なら怒ってどこかに立ち去っていくところが此方をみたまますぐ伯母さん猫用の金属の碗に頭をつっこんで他家の猫のえさを味見しそのまま平らげる。 

その時は実際の歳を聞いていなかったから小柄でひよわなところもありまだ半年か一年足らずの仔猫だからこうなのだろうと思っていたのだが、8つと聞くとへえ、という気にもなる。 ま、育ちだからこうなのだろうともおもうけれど、しかし、もう一匹の方が普通の猫なのだからその平生の互いの関係がちょっと不思議な気もする。 

その顔つきが韓国李朝あたりの掛け軸でみかける愛らしい虎に似ていないでもない。 彼の国では蛮族の大将である加藤清正が退治したのがこの虎なら拍子抜けするほどの顔つきなのだがユーモアがあっていい。。

ハーグの射撃クラブ

2007年09月24日 05時36分11秒 | バンバン
朝10時ごろ地区古式銃射撃大会に出かけたのだが、ポカポカと日差しが暖かく、ここはこの州が持ち回りで大会を主催する射撃クラブのなかで唯一、自然光の下、屋外で撃てるクラブなので今日は50mの的がはっきり見え、その甲斐あってかフリントロックのライフル射撃で10点を二つ射止めた。 日和のぐあいでゆったりしたのかあと4発残っているのにあと5分だと射場監視員に言われて慌て集中力に欠け、13発全てを30分で撃ったものの結果は芳しくなかった。

クラブハウスの一部が射場部分が屋内であとの45mほどは砂丘が連なる林の崖に打ち込む仕組みで、ここはオランダ陸軍の駐屯地の一部分であり遠くでは演習の発射音が聞こえることもある。  昔、森鴎外、林太郎が軍からドイツに派遣されたときに泊まったスヘベニンヘンの名高いホテルもここから遠くもないし、ハーグの国際戦時法廷の被告として収監されていた元セルビアのミロソヴィチ大統領もリベリアのチャールズ・テーラー元大統領が現在収監されている監獄もここから目と鼻の先だ。
 
このクラブは私が20年ほど前、ひょんなことから始めた道楽のスタート地点でここへは自転車でも来られるところに住んでいてハーグという政治外交の都市であるから時々は各国の大使館付き警護員が練習に来るのが見られたのだが、彼らは颯爽とスーツにネクタイで50発ほどピストルを発射してそそくさと帰るのだが、その様子を観察していると映画の世界があながち根拠のないものではなく、例えば 妙齢の女性が20mほどの標的に向かって機敏な動きで対応するのを見ているとさすがにプロであるということが分かり、それは以前に見たテレビシリーズ、X-FilesのスカリーFBI捜査官のイメージとも齟齬をきたさない。

日本で田中角栄首相がロッキード社からの収賄容疑で日本国内が沸いていた頃、オランダでも当時の女王の夫君、ベルンハルト殿下が同社からそのような金銭を受け取ったとの疑惑で結局オランダ軍の名誉指揮官の位を剥奪されその後軍服を着用することがなかった、とも聞いたのだが、その人が私がこのクラブに入会したときにはクラブの名誉会長だった。 その人の没後、今の女王の義弟が名誉会長になっているがこのクラブハウスが新築になったときにその入り口近くにすえられた小型砲の除幕式に来ただけで射撃にはあまり興味がないようでここに顔をだすともきいたことがない。

いい天気だった

2007年09月24日 05時34分23秒 | 日常

10時からの射撃大会から2時頃戻り、そのまま家人の作品展示場に自転車でゆったり出かけたのはポカポカとした秋日和だったからでもあるのだが、この町の140人の芸術家が71の場所でさまざまな展覧会を開いていて5時までにいくつかの会場を回りたいと思ったからだ。

こんないい天気の日曜日は皆がそれぞれ表で日向ぼっこをしたり運河を様々なサイズ、形のボートを駆ってのんびりとクルーズしたりするのには最適だ。 この時期が過ぎて空に鉛色のものが混じり肌寒くなるとボートの類はもう来年まで繋留場所に留め置きか小さなドックでの補修ということになる。

家人が展示場としているヘヤー・サロンにはひっきりなしに来訪者が出入りして忙しそうなので邪魔にならないよう外に出て、パンフレットの地図と目ぼしい芸術家の作品展に自転車で出かけたのだが目的の通りを一つ間違えてレンブラントが育ったうちの200mほど北側に出てしまった。 かつてこの町が敵から防御する為の西の門を抜け出たのが間違いだった。 門の建物の下を通り抜けてすぐ右に曲がりレンブラントの父親の風車を右に見て跳ね橋を渡り昔刑場だった河岸のそばにあるレンブラント誕生の地を抜け右に折れなければいけなかったのだ。

昔、職人養成学校だった建物に多くの芸術家達がアトリエを持っていて、その中の何人かは顔見知りでもあるのでこの何年かの作品を見るのが楽しみだった。 その一人が韓国人女性の抽象画家だ。 もう20年以上前ハーグのはずれに住んでいた頃彼女は隣の住人でその人にしばらくピアノを習っていたことがある。 オランダ人の夫の父親はかつてコンセルトへボーオーケストラのコンサートマスターだった人で音楽一家であったけれどその後彼女も私と同じ町に越してきて長くなるがお互い町の反対側に住んでいたのでしょっちゅう会うこともなく今日は4,5年ぶりだったろうか。 その隣には家の近所に住む、子供達の学校で同級生の母親のアトリエがあった。 そこの子供は何年か前にロータリークラブの交換留学生として奈良の高校に一年間滞在して日本語もかなり分かるようになって帰ってきていた。

そこで忙しく来訪者に対応する知人達とは長く駄弁っていることも出来なくとも自然とすぐ時間が過ぎて、それでは次の場所に移動、ということになり、結構忙しい一日だった。 それにその場所を出たところで自分の自転車の後輪がパンクしていることに気づき2kmほどを押して帰宅する羽目になったのだが幸いなことにこの上天気に助けられ腐ることもなく日頃見過ごしがちな景色をながめながら歩いたのだった。

あちこちで挨拶が、いい日和だねえ、と聞こえていたのだが、そのニュアンスは、あとこういう日にちがどれ位続くのだろうか、という、もう冬支度をも頭に入れての挨拶だということが感じられた。。

紙のクロウタドリ

2007年09月24日 05時32分43秒 | 見る
町の芸術家達の展覧会でファンタジーを交えた極細油画を描く人のアトリエを覗いたらその人はいかにも繊細で実直そうな30半ばの男で何人かの来客の質問に静かに答えていた。

この男は油絵、建築デザイン、都市工学、エッチングにメゾ、アクアチントを表現の手段に使っているようなのだが動物、鳥などに興味があるらしく自身のエッチングにも沢山見られたのだが私の興味を惹いたのは剥製よろしく飾られているいくつもの動物、鳥のペーパーモデルだった。 エッチングなどの複製美術も生業としているのだから光沢を抑えた自然な色合いが紙とは思えない効果を出しているので見とれた。

剥製であれば本物なのだがそれでも生きていないから本物ではない。 そして時には剥製はお化け屋敷のドラキュラのように此方をドキリとさせる時もあるから余りにも本物に近いのも良し悪しである。 

その点、この紙のクロウタドリではごく細かく見ればその鋭角な線に紙のモデルであることがわかり安心するのだが適度の重量感があるところが木を削り着色したモデルかと訝るほどの上出来である。 これらのモデルについては、この人の興味は3次元体を紙の平面に広げそれを表面だけの紙で立体に再現することのようだ。


Johan Scherft ;
http://www.jscherft.dds.nl/schilderijen.html

涼しさも訪れて芸術の秋か

2007年09月23日 10時28分37秒 | 日常
子供達の高校、大学の新学期が始まって2週間あまり、涼しさも訪れて世間もやっとヴァカンスぼけから醒めて落ち着くと芸術の秋となる。 と、いうのは自分の道楽のジャズコンサート通いも新学期を迎えたようで6月から9月初めまでの夏休みも終わり、本格的に内容の濃い舞台が出始めてきたからだ。

家人も造形、装飾品の創作をするものだから今月の初めにもマーストリヒトに出かけ、夏の終わりと秋の初めの清々しい青空市場的な作品展示会を旧市内の教会広場であるそれに参加したのだが、それからもう3週間経つと季節と町の様子ががらりと変わる。 

我々の住んでいる町の芸術家達が何十人ぐらいだろうか、たぶん30人から50人の間なのだろうが、毎年市内の色々な場所をそれぞれが週末にギャラリーとして借受け二日間の芸術ルートと題して展示会をする。 パンフレットをもち、自分の好みの展覧会を覗く散歩ルートというところだ。 これに家人がもう何年も招かれていて、この何年かは今週、10月3日の祭りに伝統の生鰊とパンをもらうために申し込みに出かけた町の旧公式計量所から2分とかからぬところにある町の美容室の中に展示をしている。 この美容室はゲイのヘヤーアーティスト、アレックスの店で店内は内装、デザイン、装飾などまことに趣味のいい店で評判の高いところでもあり週末二日の展示日には沢山の来客が見込まれるし実際何年かは忙しいことだった。

今日、土曜日は毎週の週末食料買出しでもあるし、特に今日は久しぶりに娘のホッケーチームを他の親と一緒に遠征試合に連れて行くべく3時間ほど運転手をしなければならず家人の手伝いをするわけにはいかなかったのだがいつものように中古CDLP屋に寄りバロックのアルビノーニ、オーボエコンチェルトを見つけ、青空市場の買い出しのあと野菜や果物で一杯になった買い物バッグを置いてしばらく一年ぶりのアレックスの店を覗いた。 家人も買い物があるのかしばらくの間店番を頼まれ作品のこともあまり分からないのにもかかわらず入場者がくれば騙し騙し何とか対応して30分ほどそこで過ごした。 そのうちの一人と話をしていてその人が私が4週間前ジャズフェスティバルに出かけた北の町、グロニンゲンから昨日来たということで、話してみると20年以上前に私が毎日通っていた研究所の傍に住んでいて、又、知人たちとも縁のある人で、この間の記憶がはっきりしているその通りに住んでいることから、いろいろな話を楽しく交わしたのだが話を家人に渡し、娘達の運転手になるべく自転車でえっちらおっちら家路を急いだ。

明日は射撃の地区大会があるのでゆっくり他の芸術家達の展示場を巡る時間もない。 何年か前に買った絵の絵描きのアトリエにも行ってその後の精進の具合を見たいのだが残念ながら今年はその機会がなさそうだ。




ディルが育った

2007年09月23日 08時05分11秒 | 喰う
この一ヵ月半ぐらいの間、魚料理の折には庭から香菜、ハーブのディルを摘んできて使っているのだけれどこの何週間かで育ちすぎるぐらいに大きくなり、トウがたつ、ということになってきはじめた。

やわらかで細やかな針状の葉だけの株であれば料理に使えるのだが細かな花が咲き出せばいけない。 花は花で可愛くて美しい。 こまかな線香花火がはじけたような黄色が空間に小さく広がっているのだから。 野の花にこういうのはいくらでも野原で見られるのだけれど魚料理でディルがあの芳しい味をもたらすのだとなると愛らしさがつのる。

どんどん背が伸びてそのうち鉛色の空から雨と風が来訪するころになるとしなやかさが失われて野の花と同じように、倒れ、朽ちて枯れることになるのだろうが、その前に花の咲いていない下側の葉の部分をとっておいて冷凍庫に保存して置き、来年の春にまた新しく芽吹いたものが金魚鉢の藻ぐらいになるまではその冷凍物を使うことにしよう。


ディル=イノンド

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AB