暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

射撃競技会、姑への御機嫌伺いの日曜日

2013年10月06日 23時47分22秒 | 日常

10時45分起床、フリントロック式ライフルと道具一式、それに姑のところに持って行く洗い上げた洗濯物を両手に一杯車に運び慌てて出発した。 自分が撃つことになっている50mの競技会の時間は12時だからその30分前には会場に入らなければならない。 高速を制限時速の10%増しで走り、カメラのあるところでは限度の速度に忠実に走る。 このところ政府の財政難の折、交通違反の罰金の額が上がり、今まで大まかだったものがたった5kmオ-バーでもきっちり課金される。 今年はもう既に2回払い込んでいる。 それにこのルートではこの10年で3回は罰金を払っているから急いでいるとはいえ注意しなければならない。 家からその射撃クラブまで35kmで丁度30分かかり、滑り込みセーフだった。 競技会が済んでクラブのバーでフレンチフライの芋とビールで昼飯にしてその間参加メンバーと駄弁り2時を周って姑の住む町へ向かった。 

普段ならそれほど時間も距離もかからない町が途中の運河にかかった跳ね橋が修理中だからかなり大回りに迂回しなければならなく、結局その介護施設に寄って帰宅したときの車のメーターからは15kmの迂回だったことが分かった。 姑にはこれまでの家族に起こったことの報告となった。 娘の日本研修のこと、息子の卒業式、息子の彼女のこと、近所の様子などといつものように訊かれるままの報告なのだがこういうことが年寄りには一番の土産になるようだ。 それは日本の母にしても同様で、だから同じようなことを日本語とオランダ語で別々に話すことになる。 

今月の半ばに姑の生家の家族会がありそれを家人の妹が今差配している。 それには姑の兄弟の子供たち、つまり家人のいとこ達とその連れ合い、こどもたちが60-70人は集まるようで、それには姑の姉妹も6人来るらしい。 80から90になるような年寄りたちであり6年前に姑の姉妹達がまだ全部揃っていたものが今回は半分になっていて、これが多分大掛かりな家族会に来られる最後になるのではないかと言う。 本人は6年前医者からあと3年の命だといわれていたものが治療法の進歩でまだ生きているからこういう感慨もでるのだろう。 痛み止めのモルヒネが身体に貼り付けるパッチで摂取されるのだと知った。 モルヒネや各種の痛み止めなどの副作用で日常の食事が味気ない、食がすすまない、だから痩せ続けていると言う。 30年前初めて会ったときのでっぷりとふくよかだった頃の面影はとうにない。 介護施設の近所に住む姑の義姉が来たのでそれを機会にそこを離れた。 

岐路、市街地もなくただ耕地が見渡してそれぞれに何キロか広がるあたりで雲のあいだから光が降りているところに行き会って車を停めて写真を撮った。 その後5分ほど走ったらそこは雲ひとつない午後4時の快晴で気持ちのいい秋日和になっていた。