暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

日本にもこういうものを首にぶら下げる女性が多くなるのだろうか、、、

2011年05月31日 23時28分36秒 | 読む

陽の当たる台所で新聞を開いて驚いた。 写真と共にそこに付けられたキャプションには「自分の女性器にたいする自信のなさはやっかいだ」「女性はしばしば大陰唇矯正をのぞむ」とあって、まてよ、これは前にどこかでみたことがあるぞ、いや、この歳であるから「そのもの」には多少とも知り合いになったりお世話になったり、、、、いや、ひとは一応みなここから世にでてくるのだからそれは当然なのだが、、、、そうではなくて、こういう話は二年半ほどまえに地元のフリーペーパーに出ていた記事を読んだことがあり、「なんとまあ、お00こだ」と題して写真とともに次のように書いたことを思い出した。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/57616140.html

そのときはこれは自分の日記で何のカテゴリーに入るのかと考えたのだが、美容整形についてだから、それでは「健康」のコラムに入れたのだが、今回それを調べるのに戸惑って、「日常」ではなにかバツが悪く、「見る」では一層いごこちが悪く、新聞の記事だったのだから「読む」だったかといろクリックして、結局、ああそうだ、これは体にメスを入れて矯正するのだから「健康」に関することなのだと思いなおしてそれでも何だか納得できない部分もあるのだが、やっとそこで見つけたのだった。 それで、書かれてある事情は以前に比べてすこし変化があったようだ。 アメリカの流行、トレンドは概ね大抵何年かたって世界中にひろがることの前例がいくつもあるようにここでもその前例通りの経緯らしい。  

自分の体に関しては何事にも恥じない今の「進んだ」アメリカの女性の意識として自分の性器に誇りをもって語れねば、というような意識があるらしく、オフブロードウエーで様々な女性が性器にかかわるさまざまなことを語り継いでいく「ヴァギナ・モノローグ」という試みが成功していると言われたのはもう何年も前の話だったのだが、それでもその試みは性器の即物的、「美容」的なことではなく社会意識の一つとして女性性を示す材料として語られていたように記憶している。 けれどここでは「美容」、「矯正」がある種の「オブセッション」となって「ヴァギナ・モノローグ」とは違う性、社会、心理学的なスピンがかかっているように思われる。

整形手術であれば健康保険の適用も例外を除いてうけられないものの、陰唇矯正の名の下に「美容整形」手術が施されるときに日常生活で不都合が起こるから通常の保険適用もあってしかるべきだというような、たとえば、乗馬や自転車運転の折の不都合というような「理屈」も飛び出し、この種の「矯正」を行う整形外科医らの入れ知恵もあって殆どが適用されないものの嘗てシリコン注入での豊胸手術のようにこれが新たなトレンドになりつつある、というのがこの記事の主旨だ。 目の前に広げられた大きな写真はオランダの高級新聞であるから与太記事ではないもののこれもそろそろ夏休みにむけて緊張感のゆるんだ構成であることもなくはなく、しかし、そこに付けられたキャプションにはこの現象の裏には一筋縄ではいかない心理的なものもあるようだ。 

とうぜん「普通」の家庭の子女にはこの話題は「普通」ではない「ヘンな」ものとして読まれるのだろうが、例えばあと10年ほどすればどうなのだろうか。 それには人間関係からくる自分の自信のなさが、もし自分の顔、髪型、体型が、こうだったらもっと自分の生活も、、、、、というようなことの延長として、こと人間関係の重要な部分ではある性の「性器」までことが及ぶのかと今更ながらため息がでるのだが、考えてみても男性器についてはもうインターネットのジャンクメール、宣伝に溢れるそれをみればそうなっても不思議ではないのだし同様のこととして今更そんなことは驚くことではないだろう。

この記事の最後に紙上の写真のことが書かれていた。 アメリカでは自分の、若しくはだれかのその部分の写真をそこにおくればネックレスにしてくれるサービスが繁盛していると丁寧にそのサイトのアドレスまでが下のように紹介されている。 これを首にかける心理というのはどういうものだろうか。 それを自分の「誇り」として人にみせるのだろうか。 例えばニュー・ハーフの人が手術で女性性器を手に入れた場合それを誇りに思い、人に見せたがる、とはだれかが言っていたことではあるけれど、そこまで行かなくともこういう装飾品をたとえばパーティーでご婦人から見せられたときにはどのように対応したらいいのかいまから考えておいてもいいかもしれない。 そのときの対応でこちらの値踏みをされることは確かだ。

http://www.etsy.com/search/handmade?ref=auto&q=vagina+necklace

なんでも欧米に倣う傾向にある日本でもこういうものを首にぶらさげる女性が多くなるのだろうか。 そうは思わないし、こちらでも将来自分の孫達がこういうものをぶら下げてあるいている、ということも考えにくい。

それにしても女性性器ならまだ今のところは話の種、新聞ネタにはなるようなのだが、これが男性性器ならまるで話にならない。 間抜けてみえるのはなぜだろうか。 男にもここに書かれているような心理が働くことは確かなのだがマッチョと恥じらいの混ざった居心地の悪さが漂うのは避けられないのではないか。 いづれにしてもよく分からない。 

どうでもいいことをうだうだと書いているような気がするのだが、それでもその中に何か深遠なものが少しでも入っているかどうか。 


あちこちでニワトコの花が咲いている

2011年05月30日 17時29分01秒 | 日常

日差しもよく温かいそよ風が吹いていたのでサイクリングに出かけた。 見知った田舎道をあちこち走っていたら農家の周りや林の端に沢山ニワトコの花が咲いていた。 けれど例年よりは一ヶ月ほど早いような気がする。 多分先月、今月の晴れ間の多い天気で早咲きとなったのかもしれない。  この花が一杯咲く葎を見て毎年思うのは、ああまたニワトコビールの季節だなということだ。 もう何年も前に「ニワトコの花で自家製“ビール”を作ったこともあった」と題して下のように書いたことがある。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/4738544.html

それももう今では二十五年以上前のことになるのだけれど、自分の飲み食いするものを自分で造るというのは面白いものだ。 のんびりああいうものを造る時間もエネルギーもそのころにはあったということだろう。 今では時間はあるがそれをする気力がない。

オランダ語ではこの花、木は Vlier とか Gewone Vlier といってバーっと咲いた後は錆び色に枯れてそのあと大分たって黒い小さな実が出来る。 そうなるともう秋だ。 いろいろな花の名前は覚えられないし思い出すことができないのだがこの花だけは覚えている。 「ニワトコ」となにか長閑でちょっとひょうきんな響きがするし、昔和訳でアメリカ文学の小説を読んでいて主人公の青年がこどものころ田舎の生活を回想する中でこの花の名前が出てきたのだったがそれがサリンジャーだったか他の作家のものだったか思い出すことが出来ないけれど、オランダに来てそのビールを作るときに本で調べてニワトコとあったのでああ、これがニワトコかと深い感慨を持っていらい忘れない。

それにあえてそれを造ろうとしないのは今はどこでもベルギーの白ビールがでまわって簡単に買え、それを飲むたびに「ニワトコビール」の味を思い出すからだ。 もっとも白ビールはアルコール5%ぐらいだが「ニワトコビール」は白ビールよりは淡い味で2-3%ぐらいしかないからヨーロッパ版シャンディーのようでもある。


ウィキペディア; ニワトコの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AB%E3%82%8F%E3%81%A8%E3%81%93

オランダ語版 ウィキペディア; Gewone vlier の項
http://nl.wikipedia.org/wiki/Gewone_vlier

GSG -1911 .22

2011年05月29日 22時57分07秒 | バンバン

金曜の夜何時ものように射撃クラブに出かけたらヘンク爺さんがこちらを手招きして、新しいピストル見るかい、というので作業室に一緒に入った。 爺さんは半年ほど前にトルコ製 Canik 55 Shark 9mm x 19 を買って試していたのだがどうも精度と調節の具合が思わしくないといって下取りに出し、新しいものと交換したのだという。

ボディーにはGSG-1911 とあり、近代拳銃の歴史で名のあるコルトガヴァメント45口径拳銃の1911年モデルなのだが、それを見る前に1910モデルという自分の気に入りのブローニング拳銃と混同して思わずブローニングのかと訊いたら、いやコルト・ガヴァメントのドイツ版コピーだという。 それに45口径はもうこの歳じゃ荷が重いから半分ほどの22口径にしたと言いながらプラスチック製のキャリングケースを開けたのだった。

新品の見覚えのある形がそこにあるけれどモダンなものが幾つかついていて、オリジナルとは明らかに少しは違うけれど、それでもちょうど100年経っても生き残っているその優秀さをその独特の誰にでも分かるその形で示しているようだ。 自分の気に入りの昔の探偵がもっていたりテレビでホンダのオートバイに乗った月光仮面が持っていたスマートで重みを感じさせないブローニングも設計者は同じだ。 長い歴史の中で同じ設計者、ジョン・ブローニングから同じ時期に生まれたブローニング1910モデルの方は形が変わり今はアンティークでしかオリジナルの形を見られないもののこちらの方は今もコルト・ガヴァメントモデルとしてその形を保って現役で作られ続けている。 それに、日本の明治初期、1873年に作られたリボルバーのコルト45とこの明治後期、1911年製ピストルの45口径が混同されてコルト45と言われるとどっちか迷う。 けれど爺さんのものはこれまで幾つもの国がパテント料を払って生産され続けてきたもので、これはドイツの企業が生産したものだからコルトの名前は使われることはなく、それに45も22になり、オリジナルの年1911だけは残されている、ということだ。

これで思い出すのはもう15年ほど前にまだ小学生だった甥に誕生日のプレゼントに何が欲しいと訊ねたら射撃をしている叔父のことを知っていてニコリと笑ってピストルが欲しい、というので物置にあった木切れの合板を張り合わせてそのあとやすりで角をとり半日がかりでガヴァメントモデルを作ってプレゼントにしたことだ。 このモデルに決めたのは直線を組み合わせればこれに見えるように作れるからリボルバーに比べると簡単だという理由だけだった。 それに光沢のない灰色の塗料を塗ってグリップの部分には木目をだし、そこだけにニスを塗れば金属でなくともその厚さから少々の重みもあり大人の手にしっくりと馴染むようで出来たときにはプレゼントするのが惜しいような気がしたけれどそれを誕生日にもって行くと本人は喜んだものの家族は少々困惑したような顔をしたものだ。 その後義弟夫婦のうちに行くたびに居間に転がっているのを見たし、銃の先が犬に齧られて欠け、遊んでいるうちに塗料もはげて角も欠とれ何年か経ってどこかに消えた。 甥にしてもそのころにはこのような古い銃器のことには関心もなくPCゲームにはもっと暴力的な銃器を弄ぶのも出ていてそんな木切れは子供のプラスチックの水鉄砲と変わらぬものになっていたのだろう。

爺さんはプラスチックケースに戻すときに、今まで幾つもいろいろな銃を使ってきたけどこれが最後のコレクションになりそうだ、と言った。



ウィキペデイア; FN ブローニングM1910 の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/FN_%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0M1910 

ウィキペデイア; M1911 の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/M1911

今年は石楠花の写真をちゃんと撮る前に枯れてしまった

2011年05月29日 17時39分10秒 | 日常

一年で一番忙しい何日か何とかやり過ごして庭の立ち木を眺めていると石楠花が枯れているのに目が行った。 この間まで何とか今年の写真を一枚撮ろうと思っていたのにそれを逃してしまった。

我が家の石楠花はどうもめぐりが悪いのか場所がよくないのかなぜか華やかな感じがしないし花は咲いても表に出すようなものではない。 

子供のとき近所の大きな屋敷の庭でよく遊んだのだがそういうときに石楠花の大きな木立に入り込んで隠れたりしたこともあって体の周りに引っかかる枝の感触とともに乾いたような湿ったような土のひんやりした空気と匂いも微かに記憶にあるのだがさすがにこの歳になってとても石楠花の葎の下を覗くこともしないし潜りこむこともしない。 赤よりも紫が勝っているこの石楠花は葉が虫にやられて穴だらけだ。

これから枯れた花が落ち残った花芯が茶色に変色して暫くそのままで2ヶ月ほどすればそれも落ちて新しい葉が伸びるようになる。

一日仕事の床磨き

2011年05月29日 03時39分24秒 | 日常


もう40年ぐらいそこにある居間の大窓を修理した。 この15年以上何かあると来てもらっている大工のヤンとその息子のメノのチームが思ったより手早くこなしたのだった。 彼らが家に初めて来たときにはメノはまだ独り者で彼らの村のサッカーチームで毎週一回か二回練習して週末には近郷近在の町に対抗試合に出かけるのを楽しみにしている若者だったものが、今は5つと2つのお姫様の父親でその下腹にはちゃんと由緒正しいビール貯蔵庫もできている。 当時はヤンもまだ四十代の初めたっだのだろうかそのチームでキーパーをしていたはずだ。 今回窓をやりかえるのに3日かかると見ていたものが一日半で済んだから余った日を居間の床磨きに当てることにした。

1958年築のこのうちを買って改造したときに床下から全部検査して二階の子供部屋二つと2.5m四方の小部屋は自分で自然木を貼り付けた長い長方形のパネルを何枚も張って済ませたものの階下の居間の床はちゃんとした木のフロアにすることにした。 その床下に断熱材を5cmほど施し床の上にも別の種類の2cm厚ほどの断熱材を敷きその上に同じく2cmほどの厚さの大きな合板のパネルを打ちつけてそれから床専門のプロを呼んで今のフロアにした。 4m x 8mの小さな居間だが、当時20年ほど前、職人はこれだけに4日ほど来て30万円ほど持って帰ったのだっただろうか。 そのとき、ワックスをひいたあとで磨く、60年代アメリカ映画に出てくるような掃除機に似た、丸い大きなブラシが下についたぴかぴかの機械を置いていった。 その機械は一年に一度だけ1時間弱使われるだけで、だから傷むことも無く今もそのまま物置の隅に置かれているのだが、今日はそれを取り出すハレの日になった。

当時夫婦でどんな床にしようかとカタログをみたりショールームを訪れたりしたのだが二人ともヨーロッパの彼方此方にある古い美術館の床のようにしたいといったことでいつもは何かにつけて意見の食い違いが多い仲、それにしようとすんなり決めたのだが、材料は揃うものの残念だったのはいくら厚いといっても木の床、断熱材、パネル、その上に8ミリ厚、7cmx28cmの 少々赤味のかかったオーク(楢)材とをいちいち互い違いに組み合わせて服地でいうとヘリンボーン模様の床を作っていく職人の様子にいたく満足したのだが美術館の響きは得られなかった。 それはその下のパネルー断熱材ー床板の造る軽いものとなったからだ。 コンクリートの床なら重く硬質のものになったのだろうが普通の町家ではそれはない。 その職人が仕事を終え片づけを終わってから取り扱いについて説明をうけ、毎年少なくとも一回は床磨きをするよう念を押されたのだった。

掃除機で埃を吸い込んだあと、表面の汚れをとる液体を布切れに含ませ強く擦りながらふき取り一時間ほど休ませそのあと液体のワックスを引く。それぞれの作業はいちいち跪いてやるわけだからそれがすむと手の力は抜け翌日は右腕が少々痛む。 ワックスを施したあと3時間ほど置いて機械で磨くということになる。 磨く作業はただ手を添えて機械が動くのを助けるぐらいだからどうということは無くそれは30分もかからない。 ただ居間の家具は片方へ移動させ場所をつくって作業するから同じプロセスを二回することになる。

この3年ほど今の時期に家人は妹達と示し合わせて十日ほどオランダ北部の島にキャンプにでかけ家は留守になりその間に一人でぼちぼちとこの作業をするのだが今年は窓を修理したときに家具を片方に移動させたからこの作業となった。 その作業の後二、三日はワックスの匂いが家に充満してそのうち鼻も慣れ匂いも収まるのだがそれまでは飼い猫は居間には寄り付かず屋根裏部屋のベッドの上とキッチン、裏庭を往復するだけだ。

40オトコの恋愛事情  (2007);観た映画、May  '11

2011年05月27日 19時34分34秒 | 見る

40オトコの恋愛事情  (2007)

原題; DAN IN REAL LIFE

99分

ジャンル; ラブコメディ

監督:  ピーター・ヘッジズ
脚本:  ピアース・ガードナー、 ピーター・ヘッジズ

出演:
スティーヴ・カレル
ジュリエット・ビノシュ
デイン・クック
ジョン・マホーニー
エミリー・ブラント
エイミー・ライアン
ダイアン・ウィースト
アリソン・ピル
ブリタニー・ロバートソン
マーリーン・ローストン
ジェシカ・ヘクト

日本では未公開なのか映画データベースに上のものしかなかったけれどネットで下のようなものを見つけた。

http://eigaiko.exblog.jp/13124424/

本作が夜中のBBCテレビでかかったものを観た。 

上のサイトで言っているように{「大家族」「帰省」「パートナーが入れ替わる」}のカテゴリーに入るようだ。 還暦を過ぎた自分の歳になると多かれ少なかれ家族のなかでこういうこと、こういう恋愛をのぞいては、経験しているから特に3人ものそんな娘たちを持った男やもめということにはいくら同情してもしすぎることはない。 
自分が男だからか息子との関係では別にどうということはないが娘はどうも時にはギクシャクして特に思春期には扱いにくかった。 それは娘が自分と違って女だからということでもあるのだろうが父親対娘のそんな組み合わせには時には母親が入ってバッファーの機能を果たすことが必要な場合があるようだ。 4人の娘を育ててきた自分の舅を見ていて今その姦しい娘達をみてもそれまでの苦労に頭が下がる思いと同時に、Thank God、 It's not me! と感謝しないではいられない。 特に思春期のホルモンが活発な娘の親としてはなかなかのものだ。 それが本作をみていて自分にも思い当たる部分が多く人事ではなかった。 娘も20を過ぎれば少しづつ世間もわかるようになりホルモン分泌も安定するのだろうからそこまでくればなんとかなる。 それと家族の関係、男やもめ、兄弟が絡めばどうなるか、というコメデイーがこれだ。

アメリカのシット・コムでお馴染み、とぼけたシリーズ「オフィス」の社長、カレルと同じく長く続いたシリーズ「フレイジャー」で警官で尻に犯人の銃弾をうけて退職した、シアトルにあるラジオ局のシュリンク、フレイジャーの父親が本作で親子になるのだから興味が湧いた。 それにカレルは「リトル・ミス・サンシャイン (2006)」や「ゲット スマート (2008)」で好演していたのだから期待がもてたのだけどスクリプトのせいか、こちらに前からの印象が強いせいか、それにコメディーにありがちな過剰な、幸せぶりを大家族で守り立てるアメリカ性というかそのステレオタイプぶりには引き気味にはなるものの、途中で、何かあると家族に無視され廊下でただ一人たたずむ主人公、というような場面ではクスリとし、こどもたちとの絡みで子供達の動きにもそのうちそんな孫達のおじいちゃんになるだろう自分を想ったり、今では大きい甥や姪の昔はこうだったなあとも思い出すところもある。

見るほうにも「見くせ」というようなものがあるのだろうか。 ジュリエット・ビノシュがこの中に入ると今までの色眼鏡がなかなか外せなくて困る。 その歳と風貌からすると少々地味すぎるような気もしないではないしインテリの設定ではカレルと釣り合う風でもあるのだがどうもしっくりいかないな、というのは自分の色眼鏡のせいだろう。 88年ごろから2000年ごろまで活躍した彼女の印象からすると本作は少々物足りない。

ともあれ音楽からスクリプトまでクスリとさせるところが多い佳作である。

残り物の夕食、羊肉、野菜にキドニービーンズ、らっきょ入り煮込み

2011年05月27日 02時44分45秒 | 喰う


昨日、息子が来たので肉を食わせてやろうとかなりいいステーキ肉を買って焼き始めたときにジャガイモを蒸していなかったのに気がついて慌てて電子レンジのスイッチを入れたら10分と出た。 それまでに厚いステーキの両面を2分半づつ焼いていたからもうほぼ出来上がりでオーブンにはそれから3-5分入れて温め内側の生の部分に少し熱が行くよう配慮するつもりだったのだがそこで肉をオーブンに入れないで少し冷やしてから入れたらよかったもののそのままプレートに乗せてオーブンに入れてしまったからジャガイモが蒸しあがるまで長くオーブンに入れすぎた。 それが間違いの元、おかげで中の肉汁が外に流れ惨めなものとなった。 ポートワインと牛肉コンソメパウダーを足したグレービーでなんとか喰えるようにしたけれどそれでも肉の組織の荒れたのは隠せなかった。 スーパーで買った1kgのジャガイモは剥いたら830gになっていてそれを3人で何個かづつ皿に乗せ、残った300gほどが今日の夕食の献立にはいっていた。

茹でたり蒸したりしたジャガイモが残れば次の日にでもそれをサラダ油をひいたフライパンで焼いて食べるのが皆の好みだ。 ただ塩コショウをしただけのもいいしマヨネーズをつけたものも旨い。 買ってあった羊肉と残り物の野菜に庭に茂り始めた香草のタイム、セージ、ローズマリーなどを加えて煮たあと瓶詰めのキドニービーンズを放り込みそのまま暫く煮込み火をとめてから酸っぱいらっきょを入れたやっつけ料理らしい。 家人は今日は献立を考えるのが嫌で冷蔵庫に頭を突っ込んで何があるか見てスタートし、成り行きに任せて出来上がったのがこれだと言い、でも昨日のより美味しいでしょ、と嫌味をいうのを忘れなかった。 今日の献立には白でも赤でもどちらでも合うようだが柔らかい羊が入っていたから安物のボルドー産赤ワインにした。

アメリカ,家族のいる風景  (2005);観た映画、 May ’11

2011年05月25日 21時18分20秒 | 見る


邦題; アメリカ,家族のいる風景(2005)

原題; DON'T COME KNOCKING

124分

監督: ヴィム・ヴェンダース
原案: サム・シェパード、 ヴィム・ヴェンダース
脚本: サム・シェパード
撮影: フランツ・ラスティグ
音楽: T=ボーン・バーネット

出演:
サム・シェパード    ハワード・スペンス
ジェシカ・ラング     ドリーン
ティム・ロス      ミスター・サター
ガブリエル・マン    アール
サラ・ポーリー     スカイ
フェアルーザ・バーク  アンバー
エヴァ・マリー・セイント ハワードの母

「ベルリン・天使の詩」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の巨匠ヴィム・ヴェンダース監督が、「パリ、テキサス」で仕事を共にしたサム・シェパードを再び脚本に迎え撮り上げた感動ストーリー。主演も同じくサム・シェパード。人生もなかばを過ぎた一人の男が、初めて“家族”と向き合おうとする姿を美しいアメリカの原風景の中に綴る。

かつては西部劇のスターとして鳴らしたものの、いまやすっかり落ちぶれてしまった俳優ハワード・スペンス。突然すべてに嫌気がさした彼は、撮影現場から逃亡、カウボーイの衣装のまま荒野の中に馬を走らせていた。やがて彼は、家を飛び出して以来30年近く帰っていなかった母親のもとへと向かった。突然の帰郷にも息子を温かく迎える母。そして彼女はハワードに思いがけない事実を告げる。20数年前、若い女性からハワードの子供を身ごもったとの連絡があったというのだ。まだ見ぬ子供の存在を知ったハワードは、かつて関係を持ったウェイトレス、ドリーンのもとを訪ねるのだったが…。

上記が映画データベースの記述だ。

西部劇好きとしては上記のクレジットに記載漏れがあって不満をもつ。 本作中、シェパード主演の西部劇の監督を演じるジョージ・ケネディーと撮影現場を逃げ出してはじめて出会う男、ジェームズ・ギャモンの名脇役たちを忘れては困る。 キャストがいい。 ジェシカ・ラングは可愛く美しいし、シェパードの母親、エヴァ・マリー・セイントの飄々とした態度がいいし、ティム・ロスの役柄と英語が面白く、総じて良質のロード・ムービーのコメディーだ。 それにしては邦題の陳腐なことはどうしてだろうか。 多分、ヴィム・ヴェンダースのカリスマ性がそうさせているのかもしれないし、もしそうなら原題を訳して「俺のところに立ち入るな」というように撮影現場の自分のトレーラーのドアのところにかけておくはずの札の文言にしておけばいい。 そうするとこのコメディー性が、妙な組写真の題名のような邦題から少しは映画らしく響くようになるだろう。

土曜のテレビで深夜映画にかかった本作を観たのだが、観たい観たいと長年思っていた同監督の「ベルリン・天使の詩(1987)」を先週観たところで本作とは似た様な違ったような、また「パリ、テキサス (1984)」と似たような、違ったような、という混ざった感慨をもつ。

84年か85年にオランダ北部の街グロニンゲンの映画館で当時一緒に住み始めた家人と「パリ、テキサス (1984)」を観た記憶があるのだがその雰囲気、絵、色彩、音楽には確かな印象をもったのだがまだ若かった故かストーリーにはあまり感銘を受けたような記憶はない。 今再度観れば確かに印象は変わるに違いないが、そのうちテレビにかかって見る機会があるかもしれない。 そしてその後ヴェンダースは「東京画(1985)」で小津安二郎賛歌をものし、その中で特にメラマン厚田雄春へのインタビューで、小津映画の食卓風景で特徴的なローアングルを語るところが印象的だったことも、それ以後ヨーロッパで小津ブームが起こったことと合わせて思い出され懐かしい思いがする。 それ以後は当時、探偵映画の「ハメット (1982)」を観たけれど今では印象が薄れてヴェンダースの作だとは名前だけで記憶しているものの彼の色があったかどうか記憶がない。 そしてほぼ20年後に「ベルリン、、」と本作を短い期間に続けて観ることになったのだから自然とヴェンダースの癖を探るようになったとしても無理のないことだろう。

ロード・ムービーは好きだ。 自分自身がこの30年ほど日本を離れて異国に暮らしていることとも関係しているかもしれないが、ロード・ムービーに見られるような場所を次々に変えて次のところに移動し何らかの小さいストーリーを作るというような生活はしないけれどそういう移動は殆ど毎夏3週間ほどのバカンスでヨーロッパの彼方此方を移動しているから知らない街、その郊外、人気のない自然、などは親しみのあるもので、本作にみられるような広大な西部の風景はもうこの50年ほどでスクリーンでしか見たことはないものの、その景色のなかで一度は、車でシェパードを追って移動中のミスター・サターことロスが荒野の真ん中で車を降り立ち止まり、風の音も無く自分の声しか聞こえなくまるで無音室の中にいるような体験も一度はしてみたいものだと思う。 それにネヴァダ州にある町のカジノの様子も何か「パリ、テキサス」を彷彿とさせるようだ。 空の青、暮れゆくハイウエー、それに原色というのがヴェンダースのイメージなのかもしれない。

イメージでいうと本作とは関連があるのかどうかは分からないもののなぜかフランシス・コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート(1982)」が思い出される。 なぜだろうか。 そのなかでは脇役として「パリ、テキサス」のナスターシャ・キンスキーとハリー・ディーン・スタントンが出演しているということも思いつかず、ただけばけばしいカジノのネオンサインとか放棄された古い像のようなものの集積場のイメージがあるだけだ。 コッポラとヴェンダースは関係があったのだから「ワン・フロム・ザ・ハート(1982)」のかなりの部分をそのまま「パリ、テキサス (1984)」に移動させていても不思議ではないかもしれない。

それに、どれも家族、ということがどこかにあってその繋がり、でイメージが重なるのかもしれない。 つまり主人公はそれを求めて路上を巡りロード・ムービーとなるのだろう。 求め続ける、ということか。 なんだかこの間観た「ベルリン・天使の詩」とも重ならないこともない。 ヴェンダースには魂の故郷としてベルリンがホームで、アメリカはストーリーと旅情を掻きたてるロードなのかもしれない。

コメディーと書いたがその兆しが各所に見られる。 ダイアローグであったり飲んだくれたときのシェパードであったりラングとの路上の口論でエアロビクス・ジムのガラス越しにトレーニングに励む何人かを含めて撮るということだったりするわけだ。 実際に主人公の息子は別として娘のしっかりした対応にはおかしみも何もなく本作ではただ一人の「まともで普通の」人格であるけれどその淡々とした、本来ならば叙情にながれがちなキャラクターにでもなるものをそのように仕立て上げているところにほかと混ざればそのあまりにもまともなことがコメディー性を醸しだすようでもある。

音楽においても幾分かアメリカにおけるヴェンダースの嗜好が表れているかもしれない。 「パリ、テキサス (1984)」のときにはライ・クーダーのギターがまさに特徴的で、当時ラジオでそれが流れたときには皆はすぐその映画を思い出したほど映画と密接なものだったし、そのライ・クーダー肝いりの忘れられたキューバのミュージシャンたちをプロモートする映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」もヴェンダースの作だった。 本作でもそれに似て初め歌手はクリス・アイザックかとみえたものがアイザックにしては歳が合わないと考え直したのだったが、それでもデイヴィッド・リンチのテレビシリーズ「ツイン・ピークス(1990-1992)」でのクリス・アイザックの音楽に符合するようでもある。 

このごろ雨が降らないから、、、

2011年05月24日 22時29分17秒 | 日常


このごろ雨が降らないから木靴を使うことも少ない。

裏庭に出るにはいちいち家の中で履いているサンダルから何かに履き替えるのも面倒だからそのままサンダルを脱いで足を木靴に突っ込んで台所から出る。 濡れていたり柔らかい土の上を歩くにはこれが重宝するのだが、この30年の間にもう何足履きつぶしただろうか。 少なくとも一週間に二、三回は使うのだから一足では3,4年に一回の割合か。 10年ぐらい前までは黄色いニスを塗った簡単な木靴を履いていたけれどその後は何も塗っていないポプラをくりぬいただけの素のものを使っている。 みやげ物用の装飾の模様が描かれたものは恥ずかしくて履けない。

家人は足の形が合わないのか刳り貫いたものではなく木靴の台に皮を被せたものを使っている。 どちらにしても庭仕事用と雨の降ったとき地面が濡れているときに裏庭にでるときに使うもので木靴では台所からしか出入りしない。 今はオランダの人間でもほとんど街の人間は木靴など使わず見るのは田舎の人間ぐらいだから底が擦り切れたら普通の店にはないから昔から続いている金物屋の奥に細々と置いてあるもの買う。 もしそういう店が閉まってしまえばみやげ物屋の絵葉書がおいてあるあたりに飾ってあるちゃらちゃらした木靴を買わねばならないようになるのかもしれないけれどそれまではまだ大分時間があるようだと楽天的なことを思っている。

時々は湿ったそんな日に慌てて近くのスーパーに走るときには木靴を履いたままで自転車に乗ることがあるけれど、そういうときには皆妙な顔をしてこちらをニヤニヤしながら見ている。 アジア人がオランダ人も今は履かない木靴を履いてあるいているぞ、という風に思うのだろう。 ほんのたまに二十歳前後の若者が木靴を履いているのを街でみるけれどそれは自分でファッションを気取っているのだ。 こちらはファンションなどおかまいなし、単なる合理的で便利だから履いているだけだ。 日本では若いときから下駄を履いていて夏には下駄でコンサートホールに行ったことがあるけれどそのときは何故かこれに履き替えてくれといってスリッパを渡されたことがある。 だから木靴は自分には下駄の続きなのだ。

ポプラは軽いからいいのだけれどその分柔らかい。 土の上をあるいている分には減らないのだけど濡れて湿った靴底でセメントやアスファルトの上を歩くと擦り切れるのが激しい。 だからそれで町の中を歩かないようにするのだけど慌てているときにはそういうことも考えないでアスファルトのヤスリで柔らかい木を擦っているような気がして履いてこなければよかったと後悔もする。 底にプラスチックの磨り減り防止を施したものもあるけれど自分はそんなものは邪道だと屁理屈を言って買わない。 勝手なものだ。

また火山の噴火だ

2011年05月24日 02時35分09秒 | 日常
2011年 5月 23日

イギリスBBCのニュースを夜中に見ていて、2,3日前に噴火したアイスランドの火山がまた爆発して噴煙が上がっているとを承知していたものの、それがこちらの方に流れてきているとのニュースに接して穏やかではいられなくなった。

アイルランド、イギリスを訪問中のオバマ大統領が予定を繰り上げて噴煙を避けて今のうちに帰る、というようなことでもあるらしい。 それまでアイルランドのパブで飲んでいる様子やどこかの迎賓館から出てくる大統領の特性リムジンがこんもり盛り上がったゲートに乗り上げてその長さゆえに動きが取れなくなってしまったというような椿事も報道されていたのだが今のうちに、ということらしい。 

喉元過ぎれば何とやらで去年の噴火でヨーロッパの空港や空の事情が大混乱したことももう今は昔となって去年のそのころは飛行機で何処にも行くことはなく年末年始に往復した程度だったのが今噴火されたら困る。 予想では一週間ほどで何とかなるのではないかということだったがそんなものはあてにになるとは限らないのはこの半年の天地異変で分かっているはずだが、もうあと一ヶ月で日本に飛ぶ予約をしてある者としてはそれまでに何とか火の神様に納まってもらわないとこっちが納まらないのだ。

山の神、火の神というのは女性ではないのか、誰かがそんな神を怒らせるようなことをしたのだろうか。 少なくとも私ではない。 家庭では波風を立てないように静かに過ごしているのだしちゃんと何でも言われるようにしていて、、、、でもないか、、、それでも、大体60点は確保していると思うからそれは私ではないことは明言する。 

下腹はずんずん前に出ているのだけど体重は増えていないし、ちゃんとゴミの日にはもれなく所定の場所までコンテナーを持って行き翌日の午後にはガラガラと車輪をならして戻っているのに、、、、、それとも、、自宅ではトイレは開けたまましているからか、、、、、歯は何日も磨かないこともあるからか、、、、しかし、それでも60点は保っていると思うのだけれど、、、、ま、自分ではなくヨーロッパや全世界の人々の何人かが怒らせていることと看做そう。 それはどんな奴らなのだろうか。 

原子の火を弄んで火遊びを誤ったどこかの古狸たちなのか、それならそいつらにまず全てを吐き出させてカチカチ山の火打ち石で普通の火の味あわせるとか、それで甘い汁を吸った周りの蚊や虻たちに自分達が吸ったみんなの血(税)を吐き出させそんな古狸たちに薪を背負わせ、、、とするとそれでぞろぞろ出てきた狸たちに負わせる薪がなくなってしまいそうで、、、、けれどこれは地球の反対側の話だからアイスランドの神様には聞こえないのかも知れず、それではアイスランドの無責任な銀行が欧米をかき回してつぶれた挙句、その尻拭いを結局国が責任をとることを巡って紛糾していることに苛立った結果なのだろうか。 天変地異は起こる。 アメリカでは直径1・5kmの竜巻で家も何も破壊された町が今日のニュースに出ていたのが一つの証拠だ。 

それにアイスランドには地殻の継ぎ目が何キロにも亘ってあるのだからそれが綻びて徐々にあちこちに波及して、、、、、というと、なんとも悲観的な見方だろうか。 それにそういえば世界の終わりが来る、といってパニックにしたアメリカのカルト教会のお告げは昨日か一昨日だったはずだ。  世界の終わり、、、、、、か。