陽の当たる台所で新聞を開いて驚いた。 写真と共にそこに付けられたキャプションには「自分の女性器にたいする自信のなさはやっかいだ」「女性はしばしば大陰唇矯正をのぞむ」とあって、まてよ、これは前にどこかでみたことがあるぞ、いや、この歳であるから「そのもの」には多少とも知り合いになったりお世話になったり、、、、いや、ひとは一応みなここから世にでてくるのだからそれは当然なのだが、、、、そうではなくて、こういう話は二年半ほどまえに地元のフリーペーパーに出ていた記事を読んだことがあり、「なんとまあ、お00こだ」と題して写真とともに次のように書いたことを思い出した。
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/57616140.html
そのときはこれは自分の日記で何のカテゴリーに入るのかと考えたのだが、美容整形についてだから、それでは「健康」のコラムに入れたのだが、今回それを調べるのに戸惑って、「日常」ではなにかバツが悪く、「見る」では一層いごこちが悪く、新聞の記事だったのだから「読む」だったかといろクリックして、結局、ああそうだ、これは体にメスを入れて矯正するのだから「健康」に関することなのだと思いなおしてそれでも何だか納得できない部分もあるのだが、やっとそこで見つけたのだった。 それで、書かれてある事情は以前に比べてすこし変化があったようだ。 アメリカの流行、トレンドは概ね大抵何年かたって世界中にひろがることの前例がいくつもあるようにここでもその前例通りの経緯らしい。
自分の体に関しては何事にも恥じない今の「進んだ」アメリカの女性の意識として自分の性器に誇りをもって語れねば、というような意識があるらしく、オフブロードウエーで様々な女性が性器にかかわるさまざまなことを語り継いでいく「ヴァギナ・モノローグ」という試みが成功していると言われたのはもう何年も前の話だったのだが、それでもその試みは性器の即物的、「美容」的なことではなく社会意識の一つとして女性性を示す材料として語られていたように記憶している。 けれどここでは「美容」、「矯正」がある種の「オブセッション」となって「ヴァギナ・モノローグ」とは違う性、社会、心理学的なスピンがかかっているように思われる。
整形手術であれば健康保険の適用も例外を除いてうけられないものの、陰唇矯正の名の下に「美容整形」手術が施されるときに日常生活で不都合が起こるから通常の保険適用もあってしかるべきだというような、たとえば、乗馬や自転車運転の折の不都合というような「理屈」も飛び出し、この種の「矯正」を行う整形外科医らの入れ知恵もあって殆どが適用されないものの嘗てシリコン注入での豊胸手術のようにこれが新たなトレンドになりつつある、というのがこの記事の主旨だ。 目の前に広げられた大きな写真はオランダの高級新聞であるから与太記事ではないもののこれもそろそろ夏休みにむけて緊張感のゆるんだ構成であることもなくはなく、しかし、そこに付けられたキャプションにはこの現象の裏には一筋縄ではいかない心理的なものもあるようだ。
とうぜん「普通」の家庭の子女にはこの話題は「普通」ではない「ヘンな」ものとして読まれるのだろうが、例えばあと10年ほどすればどうなのだろうか。 それには人間関係からくる自分の自信のなさが、もし自分の顔、髪型、体型が、こうだったらもっと自分の生活も、、、、、というようなことの延長として、こと人間関係の重要な部分ではある性の「性器」までことが及ぶのかと今更ながらため息がでるのだが、考えてみても男性器についてはもうインターネットのジャンクメール、宣伝に溢れるそれをみればそうなっても不思議ではないのだし同様のこととして今更そんなことは驚くことではないだろう。
この記事の最後に紙上の写真のことが書かれていた。 アメリカでは自分の、若しくはだれかのその部分の写真をそこにおくればネックレスにしてくれるサービスが繁盛していると丁寧にそのサイトのアドレスまでが下のように紹介されている。 これを首にかける心理というのはどういうものだろうか。 それを自分の「誇り」として人にみせるのだろうか。 例えばニュー・ハーフの人が手術で女性性器を手に入れた場合それを誇りに思い、人に見せたがる、とはだれかが言っていたことではあるけれど、そこまで行かなくともこういう装飾品をたとえばパーティーでご婦人から見せられたときにはどのように対応したらいいのかいまから考えておいてもいいかもしれない。 そのときの対応でこちらの値踏みをされることは確かだ。
http://www.etsy.com/search/handmade?ref=auto&q=vagina+necklace
なんでも欧米に倣う傾向にある日本でもこういうものを首にぶらさげる女性が多くなるのだろうか。 そうは思わないし、こちらでも将来自分の孫達がこういうものをぶら下げてあるいている、ということも考えにくい。
それにしても女性性器ならまだ今のところは話の種、新聞ネタにはなるようなのだが、これが男性性器ならまるで話にならない。 間抜けてみえるのはなぜだろうか。 男にもここに書かれているような心理が働くことは確かなのだがマッチョと恥じらいの混ざった居心地の悪さが漂うのは避けられないのではないか。 いづれにしてもよく分からない。
どうでもいいことをうだうだと書いているような気がするのだが、それでもその中に何か深遠なものが少しでも入っているかどうか。