キング・オブ・コメディ (1983)
THE KING OF COMEDY
109分
監督: マーティン・スコセッシ
脚本: ポール・D・ジマーマン
出演:
ロバート・デ・ニーロ
ジェリー・ルイス
ダイアン・アボット
サンドラ・バーンハード
シェリー・ハック
トニー・ランドール
エド・ハーリヒー
フレッド・デ・コルドヴァ
スターを夢見るコメディアンの卵デ・ニーロが人気コメディアンのルイスを誘拐、彼の命をタテにして一晩だけのTV出演を強要する。奇しくも同じスコセッシ=デ・ニーロコンビの傑作「タクシードライバー」と同じく、願望実現のために常軌を逸する男と現代社会に息づくささやかな狂気をリアルに描いてはいるが、むろんあの域までは達していない。デ・ニーロ、ルイスという魅力的な顔合わせが(キャラクターのせいもあって)案外パッとせず、ルイスの熱狂的信者で誘拐を手伝う女性ファンに扮したS・バーンハードの方がはるかに強烈な印象を残す。
以上が映画データベースの記述だがそれを知らずにタイトルから「レニー・ブルース」の伝記的映画かと勘違いしていたのはデニーロが本作と同監督の「レイジングブル(1980)」の後半、ボクサーからの成れの果てで驚くほどの肥満を引きずってスタンドアップコメディアンを演じていたことと重なったからかもしれないがそれから3年後にこの体で本作に現れたというのも大したことだ。 それにレニー・ブルースを演じたのはまだ若かったダスティン・ホフマンなのだったけれどスタンドアップコメディアンとしてもブルースと本作でのコメディアンたちの種類は少々違うようだ。
本作はBBCテレビで深夜にスコセッシ連続二本立て「ミーン・ストリート (1973)」に続いて放映されたもので、「ミーン・ストリート」 を観た後で「レイジングブル」か「レニーブルース」を観るのは堪らないなと思いながらタイトルロールを見ていて、ジェリー・ルイスともう大昔、30年以上前に日本のテレビで放映されていたシットコム「おかしなカップル(1970~1975)THE ODD COUPLE」のトニー・ランドールの名前が出てきたときに自分の思い違いだと分かり、顔が綻ぶ二人の名前に惹かれてそれからまた1時間半以上同じところに座り、結局合計3時間半カウチポテト状態に成り果てたのだった。
日頃CBSでこの25年以上続いているデイヴィッド・レターマンのショーを見ているのでそのエド・サリヴァン劇場から週末を除いて毎日放映されるショーでのレターマンのホスト振りやひところの「ゲイリー・シャンドリング ショー」をも含めてアメリカのバラエティーショーのホストの様子がプロの屈託が間接的に伝わってくることを知っているゆえに本作中で人気ショーの大物ホスト、ジェリーを見るのはまことに話に穿った配役だと感心したのだし最近のルイスを見たのは本作から11年後の「ファニー・ボーン/骨まで笑って<未>(1994)FUNNY BONES」以来で、嘗てルイスが「底抜け」だったころの、いつどこで「おばかな」キャラが爆発するのか皆かたずをのんで待っていた昔のころからの影をもちつつ現在の「シリアス」な大御所として我々の前に現れるジェリー・ルイスにファニー・ボーンで再登場した風貌が重なるのだ。
本作は軽味のある出来上がりではあるが狂気という点ではデニーロの役は「タクシードライバー」や「ミーンストリート」に通じるものであり、狂気かコメディーかの境目をたどり、どのような結末に至るのか、それとデニーロの演じるコメディアンの妄想とプロとしての技量、はったりと現実の境界をどのようにわたっていくのか、テレビ局の女性に使い物にならないと辛らつな批評をうけ、その批判があたっているなら追っかけ、ストーカー気味の猛烈な女性ファンとつるんでここまでした挙句テレビのショーに出たときにはちゃんと「うけ」ることができるようにやれるのか、受けないときには果たして凍りつかずそこをどう切り抜けるのか、という想いが持ち前の目を細め両手を広げて頭をかしげるデニーロの風貌をみているとよぎるのだが、ここでの「笑い」と芸人の「くささ」にまつわる怪しげな演技は「レイジングブル」のものとはまた種類が違うのだ。 ただ、ここでのいかにも擦れた芸人の「ちゃらちゃら」さはジェリー・ルイスとも合うし終局に向けての筋書きは現代の普通になった犯罪におけるメディア操作を辛らつに批判するものであり That's All Buisness との辛らつさも「ライブ」録画スタジオでキューを振るディレクター、スコセッセに向けてデニーロがいう、「あんたが大将」にも符合する。