暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

キング・オブ・コメディ ;観た映画、Mar ’10

2010年03月31日 07時29分41秒 | 見る


キング・オブ・コメディ  (1983)

THE KING OF COMEDY

109分

監督: マーティン・スコセッシ
脚本: ポール・D・ジマーマン

出演:
ロバート・デ・ニーロ
ジェリー・ルイス
ダイアン・アボット
サンドラ・バーンハード
シェリー・ハック
トニー・ランドール
エド・ハーリヒー
フレッド・デ・コルドヴァ

スターを夢見るコメディアンの卵デ・ニーロが人気コメディアンのルイスを誘拐、彼の命をタテにして一晩だけのTV出演を強要する。奇しくも同じスコセッシ=デ・ニーロコンビの傑作「タクシードライバー」と同じく、願望実現のために常軌を逸する男と現代社会に息づくささやかな狂気をリアルに描いてはいるが、むろんあの域までは達していない。デ・ニーロ、ルイスという魅力的な顔合わせが(キャラクターのせいもあって)案外パッとせず、ルイスの熱狂的信者で誘拐を手伝う女性ファンに扮したS・バーンハードの方がはるかに強烈な印象を残す。

以上が映画データベースの記述だがそれを知らずにタイトルから「レニー・ブルース」の伝記的映画かと勘違いしていたのはデニーロが本作と同監督の「レイジングブル(1980)」の後半、ボクサーからの成れの果てで驚くほどの肥満を引きずってスタンドアップコメディアンを演じていたことと重なったからかもしれないがそれから3年後にこの体で本作に現れたというのも大したことだ。 それにレニー・ブルースを演じたのはまだ若かったダスティン・ホフマンなのだったけれどスタンドアップコメディアンとしてもブルースと本作でのコメディアンたちの種類は少々違うようだ。

本作はBBCテレビで深夜にスコセッシ連続二本立て「ミーン・ストリート (1973)」に続いて放映されたもので、「ミーン・ストリート」 を観た後で「レイジングブル」か「レニーブルース」を観るのは堪らないなと思いながらタイトルロールを見ていて、ジェリー・ルイスともう大昔、30年以上前に日本のテレビで放映されていたシットコム「おかしなカップル(1970~1975)THE ODD COUPLE」のトニー・ランドールの名前が出てきたときに自分の思い違いだと分かり、顔が綻ぶ二人の名前に惹かれてそれからまた1時間半以上同じところに座り、結局合計3時間半カウチポテト状態に成り果てたのだった。

日頃CBSでこの25年以上続いているデイヴィッド・レターマンのショーを見ているのでそのエド・サリヴァン劇場から週末を除いて毎日放映されるショーでのレターマンのホスト振りやひところの「ゲイリー・シャンドリング ショー」をも含めてアメリカのバラエティーショーのホストの様子がプロの屈託が間接的に伝わってくることを知っているゆえに本作中で人気ショーの大物ホスト、ジェリーを見るのはまことに話に穿った配役だと感心したのだし最近のルイスを見たのは本作から11年後の「ファニー・ボーン/骨まで笑って<未>(1994)FUNNY BONES」以来で、嘗てルイスが「底抜け」だったころの、いつどこで「おばかな」キャラが爆発するのか皆かたずをのんで待っていた昔のころからの影をもちつつ現在の「シリアス」な大御所として我々の前に現れるジェリー・ルイスにファニー・ボーンで再登場した風貌が重なるのだ。 

本作は軽味のある出来上がりではあるが狂気という点ではデニーロの役は「タクシードライバー」や「ミーンストリート」に通じるものであり、狂気かコメディーかの境目をたどり、どのような結末に至るのか、それとデニーロの演じるコメディアンの妄想とプロとしての技量、はったりと現実の境界をどのようにわたっていくのか、テレビ局の女性に使い物にならないと辛らつな批評をうけ、その批判があたっているなら追っかけ、ストーカー気味の猛烈な女性ファンとつるんでここまでした挙句テレビのショーに出たときにはちゃんと「うけ」ることができるようにやれるのか、受けないときには果たして凍りつかずそこをどう切り抜けるのか、という想いが持ち前の目を細め両手を広げて頭をかしげるデニーロの風貌をみているとよぎるのだが、ここでの「笑い」と芸人の「くささ」にまつわる怪しげな演技は「レイジングブル」のものとはまた種類が違うのだ。 ただ、ここでのいかにも擦れた芸人の「ちゃらちゃら」さはジェリー・ルイスとも合うし終局に向けての筋書きは現代の普通になった犯罪におけるメディア操作を辛らつに批判するものであり  That's All Buisness との辛らつさも「ライブ」録画スタジオでキューを振るディレクター、スコセッセに向けてデニーロがいう、「あんたが大将」にも符合する。

夏時間二日目のビーフステーキ

2010年03月30日 07時46分23秒 | 見る
前日に軽いパスタを食べていたから今夕はステーキが出た。 子供たちが居たころには2週間に1度ほどこれが出ていたが夫婦二人だけになるとその間隔が長くなってそういえばもう一ヶ月あまり口にしていないことを思い出した。

肉屋でそれぞれ130gほどの厚めに切ってもらったステーキ肉を鋳物の厚鍋にバターを溶かしオリーブオイルを加えて強火で上下それぞれ2分ほど焼いてからそれを取り出しアルミフォイルで覆って、それを暖めてあったオーブンに10分弱寝かせて置いたものが主菜のようだ。

ジャガイモ、アルデンテの花野菜にナツメグの擦ったのを少々散らして、添え物にはあり合わせのサラダ。 霧吹きのようなスプレーでバルサミコ酢をそれにふきつけていた。 イモと花野菜の上には庭から台所鋏で切ってきたチャイブ(セイヨウアサツキ)をそのままジョキジョキ刻んで振りかけ出来上がりだそうだ。

久しぶりのステーキで、その肉の赤からピンク、茶色から褐色の噛み心地、そのジュース、肉の組織を味わった。 厚鍋をテーブルにおいておいて牛の血や体液がバター、オリーブオイル、少しの赤ワインと混ざって焼かれ煮詰められた少しばかりの滴りに肉を浸したり肉片で鍋のそこに残ったものをこそげおとしたりして口に入れ素朴なステーキの味を再確認した。

食前酒のジンが効いていたので水とグラスに残ったビールで口を濯いだ。

5年前ならこのあとコーヒーとザッハタルトなのだがもうその元気はない。 窓際に熟れさせておいた西洋梨で充分だった。

アニー・ホール ;観た映画、Mar ’10

2010年03月30日 07時04分12秒 | 見る


アニー・ホール  (1977)

ANNIE HALL

93分

監督:  ウディ・アレン
脚本:  ウディ・アレン
     マーシャル・ブリックマン
撮影:  ゴードン・ウィリス
衣装デザイン:  ラルフ・ローレン

出演:
ウディ・アレン     アルビー・シンガー
ダイアン・キートン   アニー・ホール
トニー・ロバーツ    ロブ
ポール・サイモン
キャロル・ケイン
シェリー・デュヴァル
クリストファー・ウォーケン
コリーン・デューハースト
ジャネット・マーゴリン
ビヴァリー・ダンジェロ
シェリー・ハック
シガーニー・ウィーヴァー
ジェフ・ゴールドブラム
クリスティーン・ジョーンズ

 ニューヨークを舞台に、都会に生きる男女の恋と別れをペーソスと笑いで綴るアレンの傑作ラブ・ストーリー。うだつの上がらないスタンダップ・コメディアン、アルビー(W・アレン)は、知り合った美女アニー(D・キートン)と意気投合して同棲生活を始めるが、うまくいくのは最初だけ。次第に相手のイヤなところが気になり出した二人の間には見えない溝ができ上がっていた。そしてアニーの前に現れた人気歌手のカリフォルニアへの誘いが二人の仲にピリオドを打つ決定的なものとなった……。心の声を字幕で流してみたり、いきなり本筋と関係ない人物が現れたりと、ユニークな手法も尽きないが、根底にあるのはアレンのしっかりとしたタッチ。タイトル・ロールを演じるD・キートンが主演女優賞に輝いた他、アカデミーでは作品・監督・脚本賞を受賞している

本作の一週間前に「マンハッタン」を観て本作を観ていくうちに自然と二つを比較していることに気づいた。 そうすると「マンハッタン」で観た設定との類似が多く、ああ、「マンハッタン」は本作を「焼き上げ」たり「発展」「完成」させようとした意図の結果であるような気がして、そうすると本作を全く新しいものをみるような視点では観られず、話が進むにつれイメージがだぶったりして二作を公平には見られなかったような気がする。 なるほど題名の通り、「マンハッタン」では町のなかで生起する事柄をアレンを中心に描き、「アニー・ホール」ではアニーが主演でありキートンのすばらしい演技と個性はスクリーンに満たされているけれどそれ以上の個性のアレンがいつもそこにいるわけでその均衡の面白さがあるとしてもどこかで集中力が削がれるような気がした。 アレンの当時キートンへの煎れ込み具合がそうさせているのだろうしそれが本作のポイントではあるのだろうけど、しかし、「マンハッタン」ではキートンとの絡みが重要なこととしてあるもののアレン中心として作られており、だから結局は両者を比べるとどのような話への親和性がどちらをえらばせるか、という梃子になるのだろう。

性格設定、状況設定では二人や周りの様子にはこの二作にはあまり変わるところはない。 本作二年後の「マンハッタン」がモノクロで本作がカラーである、ということは本作には何の瑕疵ともならないし、むしろ話の中ごろろから後半のあたりキートンを追って移動するハリウッドの様子ではカラーが必需のものとなるだろうしそれがあるからカラーであってもニューヨークの色が、本作中でハリウッド在住のアレンの友人の口から発せられるとおり「暗く、汚い」茶色のかかったものとして脳の中に認識されるのだろう。

笑いのさまざまな質の違いは二作ともそのヴァリエーションの幅には大きな違いはないものの、本作では映画的小手先の仕掛けがあり映像的には面白いものではあるけれどアレンの存在自体、話すこと、発せられた言葉に内在するものが笑いの起爆剤であるからその点は充分心得られているようで「マンハッタン」ではそれはもう省かれている。

作中さまざまな顔を見て楽しんだ。 アレンの親、親戚などの顔、本作の翌年「ディアー・ハンター」で大きな印象を与えたクリストファー・ウォーケンがその後持ち味を活かした、暗いものを混ぜた独特なキャラクターで地位を築いていったのを知る我々には本作でも暗さを告白するその短いやりとりがまさにアレンの話題のなかにすっぽりと穿たれたものに嵌るものであり、後年に至るまでに作られたイメージとここでのウォーケンの告白がまさにユーモアとして哄笑を誘う事を不思議におもったのだ。 本作では既に後年のウォーケンのシリアスの中にあるユーモア性が発揮されてシーンはまことに短いものの図らずもマスターピースとなっている。

また、本作二年後キューブリックの「シャイニング」で好演するシェリー・デュヴァルはシャイニングでの絶叫はなかったもののアレンとベッドのなかで話すようす、目蓋や目のまわりのほんのりした赤さが印象的だ。 我々の年代にはポール・サイモンは独特なイメージを持つのだが歌唱の雰囲気も残してカリフォルニアの音楽界を風刺するキャラクターとなっていて嘗ての相棒アート・ガーファンクルがスクリーンで演じたものとも対照されて面白い。 

夏時間になった

2010年03月29日 01時15分27秒 | 日常



春分の日が過ぎてカレンダーの上では春になったのはついこの間だったのに今晩、三月二十八日の午前二時に時計の針を一時間前に進めることになった。 これで夏時間になる。 この次に時間を一時間もとに戻すのは7ヵ月後、10月の31日の早朝だ。

大抵、夏時間から冬時間、冬時間から夏時間に変更があるのは週末日曜日の早朝の2時、3時で、それは起きている人、仕事をしている人が一番少ない時刻でもあるかららしい。 つまり不都合が起こってもそれは最小にとどめられるからということなのだろう。 けれど、ほんとうにそうなのか。 機械化、自動化がすすんで様々なシステムには補正の装置がついているだろうから問題はないから昔にくらべると不都合は減ったのだろうけれど、機械化にはなじまない我々人間には相変わらず戸惑いはあるのではないか。 

まあ、戸惑いはあるとしてもそれは精精、朝起きて一時間はやく目覚めたことに気づくだけで約束や仕事の遅れにはつながらない。 逆に、夏時間から冬時間に変わったとして翌朝目覚めて一時間寝坊したと気づいたとしてもそれは日曜であるから大して深刻なことにはならないのではないか。 つまり最小限の不都合ということのようだ。 

夏時間になってからの楽しみは宵が長くなるということで夕食は明るいうちにできて、徐々に暖かくなると裏庭で夕食ができるようになることでもあるし、夕食後、かなりたってからジョギングでもしようか、というような気にもなることだ。 夏の間にジョギングを何回するかということは別問題ではある。

深夜映画を観ていてその時間になり自分の腕時計の針を進めたもののテレビを消したあともそのほかのいろいろな時計の針、文字盤はそのままにしておいて室内のあかりを消した。

外に出たいという猫を台所のドアから放つついでに裏庭にでてみれば雲のあいだからまわりに霞がかかったような月が出ていた。 朧月夜というのかと思ったもののまだそのような艶めいたようなことも周りの空気の暖かさも伝わってくることもないので違うのかなとも思い返しそのまま猫を外に放置したまま膝下に少々の寒さを感じながら中に入った。

ローマの休日 ;観た映画、Mar ’10

2010年03月28日 00時55分31秒 | 見る



ローマの休日  (1953)

ROMAN HOLIDAY

118分


監督: ウィリアム・ワイラー
製作: ウィリアム・ワイラー
原作: ダルトン・トランボ
(イアン・マクレラン・ハンター名義)

脚本: イアン・マクレラン・ハンター
ジョン・ダイトン
ダルトン・トランボ
(イアン・マクレラン・ハンター名義)

出演:
オードリー・ヘプバーン  アン王女
グレゴリー・ペック    ジョー・ブラッドレー
エディ・アルバート    アーヴィング
テュリオ・カルミナティ   将軍
パオロ・カルソーニ    美容師
ハートリー・パワー    ブラッドレーの上司
マーガレット・ローリングス ヴィアバーグ伯爵婦人
ハーコート・ウィリアムズ  大使


ローマを舞台に某小国の王女と新聞記者とのロマンチックで切ない恋の夢物語……と書くのもおこがましいほど、あまりにも有名な“世紀の妖精”オードリーのアメリカ映画デビュー作。ローマの観光地巡り的な平凡な作品に成りかねない内容をここまで素晴らしい作品に仕上げたワイラー監督の演出力には文句のつけようもないが、何と言っても最大のポイントはオードリーの上品で可憐で清楚で……と、上げればきりがないほどの魅力の全てをフィルムに焼き付けた事に尽きる。とにかく必見のアカデミー主演女優賞、衣装デザイン<白黒>賞、脚本<原案>賞受賞作。尚、赤狩りの犠牲になったダルトン・トランボがイアン・マクレラン・ハンター名義で脚本を担当していたことが1993年に公表された。2003年9月、「製作50周年記念デジタル・ニューマスター版」が劇場公開された。その際にはダルトン・トランボが本名でクレジットされている。無謀にも「新・ローマの休日」と言うリメイク作品がある。

上記の映画データベースの記述を読んで、「あまりにも有名な、、、」といわれている本作にはもう物心ついてからいろいろあちこちで言われているのを引用で読んだり聞いたりしているのもののこれまで45年以上観る機会がなかった。 というより自分では進んで見に行くような映画の種類ではなかったようで、筋はこちらから調べなくともあちこちで言われる、シンデレラの逆バージョン、御伽噺の一変種、ヨーロッパの王子が平民の子供になって、、ひいては日本中世の「とりかえばやものがたり」というものも思い浮かび、そこまでいくと大きくぶれてしまい、只単にとりかえられれば、という言葉だけで高貴な話につながったのだろうが、本作では「とりかえ」というレベルにまでにもいっていなく、それは例えれば単なるシャムネコの散歩ぐらいでしかない。 

いつかうちの子供たちがテレビで見ていた90年代か今世紀になってからアメリカで作られた同じような王女の話もそこでは只一人本作につりあうような「ちゃんとした」かつてサウンドオブミュージックでマリアを演じた女優が場違いに登場していたのだが彼女一人だけでは時代が変わればこうなるのかと思われるほどの子供向けのものに仕上がっていたのを思い出し、本作を見たことのない若者たちの頭の中にはこのような話が高貴な特権階級に対して一体どんな像となって残っているのか興味のあるところだった。

オランダに長く住んでいればここはヨーロッパにいくつかある王国の一つであり日本の皇室とも比較的近いとも言われており、日頃そういうような話題もメディアに流れる日常の中で、本作にも関係のなくもない世継ぎの話題に関してオランダではよっぽどの問題がない限りは長子相続であるようだから現在の皇太子とそのその子どもたちの小学生を頭に3人のお姫様方の誰が数十年ののち玉座に就くのかは明白な中、日本の世継問題、それが問題かどうかの議論もあるようではっきりしない状況下、去年か一昨年かに両家の同じような皇太子一家がオランダの保養期間に互いのお姫様方を並べて写っている姿などをなんとなくぼんやりと思い出したのだが、それは本作とはさして関係がないようだが高貴と俗の接触がどのように古今東西で行われているのかということでは両家の形態に差があって話がその方向にいくと世間じみてくるとともに宮内庁と皇太子の関係などが本作でのヘップバーンと侍女であるヴィアバーグ伯爵婦人との関係のようでもあるのかと妄想も膨らみいろいろな想いが錯綜する。。

本作がもう半世紀以上前の作であるのは承知していたけれどモノクロだとは思わなかった。 なぜかヘップバーンのまわりに漂うイメージからピンクのかかったカラー映画で60年代かなとの印象だったのだ。 そんな60年代のイメージだったのだが、始まってみて、なるほどペックの「アラバマ物語(1962)」でもモノクロだったように記憶しているからそれよりもほぼ10年前の本作なら白黒でも不思議ではないと納得ができる。 けれどカラーだと錯覚していたのにはこの話の醸し出す、王女、ローマ、ひと時セレブから逃れ気ままに町をあるき、おまけにアメリカ人の男との淡い恋になるのかならないのかというような心のふれあいを、というようなエピソードがモノクロフィルムにピンクのカラーフィルターをつけるのだろうか。 「アラバマ物語」はたとえカラーだとしても白黒の印象がのこるし、「カラー・パープル」というノーベル賞作家の作品の映画化のようなものにしてもカラー作品だったのだがそれでも濃い紫のフィルターがかかっているようだた。

ウィキペディアで彼女の経歴を読んでいてその記述に、体験として戦争中に「遠すぎた橋」のアーネムの病院でテレンス・ヤングを看病したという件が興味を惹いた。 何回かあの橋を渡ったこともあり映画を思い浮かべながら通り過ぎるのだがそこにはもう一つこの二人のエピソードが残ることとなった。 この女優のそこにたどり着くまでの過去を知ったときには彼女が本作を演じたときの感慨についてどのように記しているのだろうかと訝った。 自伝というようなものがあったらその部分は辛く過酷な時代であっただろうからそういう割合は少ないと思われるものの興味がある。  清藤秀人 『オードリー・ヘプバーン98の真実』 近代映画社、2007年、にはそういう部分がでているのだろうか。 本作で最後にペックを含む世界中の記者たちと握手をして幕を締めるだが挨拶の様々な言語が聞かれる中でアムステルダムからの記者に対するオランダ語での挨拶は実際に彼女の骨身に沁みこんだものでもある。

ノーズ・スプレー

2010年03月26日 18時00分29秒 | 健康
この4、5日眼の調子がおかしい。 くしゃくしゃ、シャバシャバと目蓋がむず痒く思わず手で掻いてしまうのだ。 

気温がこのところ18度近くまで上り陽気がよくなり、空気中に花粉が浮遊しだしたのだ。 花粉が出ているのは今に始まったことではなくもう何週間も前には寒いのにも関わらず眼がしょぼしょぼしたことがあり、その頃、そろそろ一番手が漂いだしたな、という自覚があったのだけれどここにきてそれが本格的になりだしたということだ。

2日ほど前にいつものように昼間からアルコールを体に入れていてまだ日がかなり高いときに裏庭に出た折、急にイガイガ、シャバシャバが眼に来てそのときあいにく手が離させなかったものだからかなり辛い思いをし、堪らず水に浸したタオルを目蓋の上に置いてその冷たさを味わいなんとかやりすごしたのだが今日また同じようなことがありそれと同じ事をしてバスタブの縁に腰掛けながら天を仰いでいるときに、そうだ、去年か一昨年に使ったノーズ・スプレーがまだどっかにあったな、あれを使えばしのげる、ということを思い出した。

しかし、ノーズ・スプレーのことを思い出したのは花がむずむずしてそれが涙を誘い出し涙腺から目蓋というルートが自覚されるからで2,3日前までは只目蓋がむず痒かったからだけで鼻には何の問題もなく、ノーズ・スプレーという発想が浮かばなかった。 根が単純で、ほぼ毎年こういうことは相変わらず飽きもせず起こるのだけれど、喉元過ぎれば、、、、の常でこの時期がおわると翌年はころりと忘れてしまっている。 そして翌年が今だ。 

花粉の量が多くなっていて鼻の奥のセンサーにも明らかに過重気味になっているのだろう。 うろ覚えでは薬品で鼻の中の過敏な神経を鈍らせるようなことをしているということだ。 つまり、アルコールで一層過敏になった鼻の奥の感覚を薬品で無理に鈍らせているということなのだろう。 だからアルコールを体に入れてなければこういうことは起こらない、と言われるとそうではない、と反論することもできるのは去年までの体験ではっきりいえることではあるけれど部分的には納得できないこともない。

そんなことを思いながらあちこち探してやっと出てきたスプレーのノズルを鼻の奥に入れてシュパシュパやっていると苦い味が鼻の奥から喉に通じて広がり、それは昔、田舎では一年に一度富山のクスリ売りが荷物を背負って農家に一軒一軒やってきては子供には紙風船をくれ、置きつけの常備薬を新しく交換したなかの漢方薬の、そのクスリの苦味に通じるこのスプレーの苦味にまた今年も同じような形で相も変わらず再会したのだった。




春になったのかな

2010年03月24日 11時13分53秒 | 日常

今日4人と町で1時15分に約束がありその10分前に目が覚めて慌てて自転車に飛び乗って出かけたから着いたときにはかなり汗ばんでいて青空だったのは覚えているけれど他の様子は分からなかった。 しかし、うちを出るときにコートは選ばずジャケットにマフラーで出たのだから内の中は暖かかったのかもしれないしそれに加えて窓の外の日差しで今年初めてコートを着ずに外に出ようと思ったのだろう。

2時間ほど人と会って家に戻るときになるほどぽかぽかしているのだな、と初めて実感したのは肌に直接半そでのポロシャツ、その上に薄いセーター、その上にジャケットで自転車を漕いで走っても寒くはないと思ったからだ。 5月の初めでもこの格好で出るのだから3月の後半としては暖かい、かな。 暖かいのはその通りだけれど今年の冬は寒かったからそう感じるだけかもしれない。 第一、1月、2月の平均気温はこの何年ものより3度ほど低かったではないか。 今の暖かさで例年並かもしれない。 

実際、公園の端を走っていると二日ほど前まではほんのちらほらだったクロッカスがかなりな数で咲いている。 白、薄紫に黄色の縞のものなどが混ざって遠くからみると絨毯のように見えて、そういえば去年もここでカメラを向けたことも思い出し、徐々にカメラの時期になりつつあるのを実感する。 角の経理事務所の電光掲示板には 15:40、 17℃ と出ていた。

マンハッタン ;観た映画、Mar ’10

2010年03月23日 01時03分33秒 | 見る

マンハッタン (1979)

MANHATTAN

96分

監督: ウディ・アレン
脚本: ウディ・アレン
マーシャル・ブリックマン
撮影: ゴードン・ウィリス
音楽: ジョージ・ガーシュウィン

出演:
ウディ・アレン      アイザック
ダイアン・キートン     メリー
マリエル・ヘミングウェイ  トレイシー
メリル・ストリープ     ジル
アン・バーン
マイケル・マーフィ
カレン・アレン
ティサ・ファロー


ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』に促されて開幕する、このアレンのNY賛歌は一切魅力的だ。例のごとくコンプレックスを抱えた、アレン扮する中年男アイザックは、TVライターとしては売れっ子だったが、シリアスな小説に転向しようと産みの苦しみの最中。彼は粋なレストランで友達とダベっている。共にテーブルを囲むのは大学教授のエール(M・マーフィ)と妻のエミリー(A・バーン)。そして、現在、彼が同棲中の17歳の高校生トレーシー(M・ヘミングウェイ)。どちらかと言えば彼女の方が夢中で、これ以上深みにハマるのを彼は恐れている。過去に二度の結婚に失敗している彼。最初の妻は麻薬に溺れ、次の妻ジル(M・ストリープ)は彼と一児を設けながら、レズビアンに走った。現在の彼の最大の悩みはジルが彼との生活を暴露した小説を書こうとしていること。ある日、彼はMOMAを見物中のエールが連れていた浮気相手のメリー(D・キートン)に恋をする。雑誌のジャーナリストの彼女の似非インテリ臭さは鼻持ちならないが、再びパーティで出合った二人は完全に意気投合。夜が白み始めるまでマンハッタンを散策するのだが……。不埒なアレンの一転二転する恋心に皆が惑わされ、結果は寂しいことに。最後、マンハッタンを走りに走る、その姿は哀れを誘う。G・ウィリスの白黒撮影が秀逸。  、、、と映画データベースに出ていた。


本作を観る前に家族4人で「硫黄島からの手紙」のカウチポテトを済ませ屋根裏に上がって「硫黄島、、」に関するメモをトコトコ打っている途中で下に降りて子供たちもそれぞれ下宿先に戻り誰もいない居間でテレビをザップしていたらベルギーのテレビ局で本作が始まったところだった。 まあ、いいところで切り上げるか退屈したら切ればいいと思いながらも、ま、70年代のニューヨークの笑いも「硫黄島、、」の鬱屈を他の方向に向けるのにはいいか、と観始めたし、初めのモノクロの画面にも惹かれたのもソファーに腰を落ち着けて観続ける理由になっていたのだろう。 初めの数分のニューヨークのショットとアレンの独白がよく合っているようだ。

アレンのものはいくつか観ていたのだが本作は何回も機会を逃しており、思い起こせば25年以上前、まだ気楽だった頃に友人たちと北の大学町で金曜夜の過ごし方で迷っているときに本作が名画座にかかっていてジャズのコンサートが重なっていたからジャズのライブを選んだことも思い出され、名の知れた本作を今回何の予備知識もなく観られるのは楽しみでもあった。 本作が作られてから30年以上も経つのだから本作を今では時代のレトロものとして、それに時代が何か60年代終わりに設定されているのではないかとも見える具合なのだが、例えばキートンの台詞の中にキューブリックの「2001年宇宙の旅」が引っ掛けとして出てくるのでそのときには当時大阪、南街会館かの大スクリーンでみた地球にシュトラウスのワルツの組み合わせが一瞬思い浮かび徐々に当時の様子に対照されて時代設定も固まってくるというものだった。

なるほど登場人物たちのヒップな生活と意見は当時の映画ファンを喜ばせるに違いがない。 あちこちに散らばる芸術、劇場、文学などの固有名詞には学生、学生上がりのイッピーたちにはかなり好奇心をくすぐる作用もし、今では知れたアレンの自己憐憫、自己愛、どこかで破れた法螺にユダヤジョークも交われば思わぬところで飛び出すちょっとした言葉にもしばしば噴き出すことだった。

個人的にはアレンとキートンが初めて会うところで名前の出た写真家のダイアン・アーバスにも当時関心を持っていたことからその後交わされる様々な固有名詞もその語られる脈絡の中では充分機能しているという風でもある。 それにしてもパパへミングウエーの孫娘の声のかわいいこと、その見栄えと少女声の乖離はまさにここでの役にぴったりであり、本作の「似非」インテリのドタバタの最後に際してご都合主義、事大主義、効率主義に生きる人物たちに結果として成長させられたこの娘の台詞が少々センチに走るようで乾いた笑いで終わるものと期待していたものには少々当て外れの思いがした。

ここでもアメリカのコメディーの伝統を踏んでいるのは引用されていたノエル・カワードの雰囲気がどこかに漂っていることで示唆されているのだろう。 これを水増しすれば90年代にテレビで人気のあったジェリー・サインフェルドのシリーズになるのだろうが、サインフェルドのほうは「(似非)知的コメディー」ではないからテレビと映画という媒体の違いを考慮しても質は大きく違い、それでもサインフェルドの語り口とここでのアレンが妙にこだましているように思うのは80年以後の社会の変化に伴うエンターテーメントの変遷に符号しているからなのかもしれないと愚考した。

硫黄島からの手紙 ; 観た映画、Mar ’10

2010年03月22日 01時43分55秒 | 見る


硫黄島からの手紙(2006)

LETTERS FROM IWO JIMA

141分


監督: クリント・イーストウッド
製作: クリント・イーストウッド
スティーヴン・スピルバーグ
ロバート・ロレンツ

原作: 栗林忠道
『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(小学館文庫刊)
吉田津由子(編)
原案: アイリス・ヤマシタ
ポール・ハギス
脚本: アイリス・ヤマシタ

音楽: カイル・イーストウッド
マイケル・スティーヴンス

出演:
渡辺謙    栗林忠道中将
二宮和也   西郷
伊原剛志   バロン西(西竹一中佐)
加瀬亮    清水
松崎悠希   野崎
中村獅童   伊藤中尉
裕木奈江   花子
ルーク・エバール
マーク・モーゼス
ロクサーヌ・ハート

 硫黄島での戦いを日米双方の視点から描く2部作の「父親たちの星条旗」に続く第2弾。アメリカ留学の経験を持ち、親米派でありながらアメリカを最も苦しめた指揮官として知られる知将・栗林忠道中将が家族に宛てた手紙をまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』を基に、本土防衛最後の砦として、死を覚悟しながらも一日でも長く島を守るために戦い続けた男たちの悲壮な最期を見つめる。主演は「ラスト サムライ」の渡辺謙、共演に人気グループ“嵐”の二宮和也。
 戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、日本軍の最重要拠点である硫黄島に新たな指揮官、栗林忠道中将が降り立つ。アメリカ留学の経験を持つ栗林は、無意味な精神論が幅を利かせていた軍の体質を改め、合理的な体制を整えていく。上官の理不尽な体罰に苦しめられ絶望を感じていた西郷も、栗林の登場にかすかな希望を抱き始める。栗林の進歩的な言動に古参将校たちが反発を強める一方、ロサンゼルス・オリンピック馬術競技金メダリストの“バロン西”こと西竹一中佐のような理解者も増えていった。そんな中、圧倒的な戦力のアメリカ軍を迎え撃つため、栗林は島中を張り巡らせた地下要塞の構築を進めていく…。   と映画データベースに出ていた。

オランダ人で日本にもビジネスでよく行き来し東京のことならいろいろと教えてくれる40前後のビジネスマンからだいぶ前に彼とイーストウッドのことを話していたときにそれじゃあ自分のコレクションからコピーしてあげるとその何週間かあとにもらった「父親たちの星条旗」と本作2枚のDVDをそのまま置いておいたものを土曜の夜、久しぶりに大学生の子供たちがうちに来て何か映画でも観ようか、といったのでそれじゃあ、これにするか、と負け戦のことから初めるのが子供たちにもいいかと思い本作のディスクをプレーヤーに差し込んだ。 日本語が分かるのは自分だけで英語の字幕でもいいのだがやはり彼らは自国語のオランダ語を選んだのだった。 字幕があるとついついそちらに目が行って集中力が削がれ怪しくなるから字幕がなければいいのだが仕方がなく見続けていると字幕に妙な訳があったり説明もなく固有名詞が突然現れたりしてこちらには支障はないものの他のものからあれはどういうこと、と字幕の不備をつくような質問が飛んできてしばし中断ということも一再ではなく、そのたびにポップコーンやビールにジュース、おしっこ、となるのだった。

未見ではあるが「父親たちの星条旗」には様子が大体見当がつくし戦争映画はいままでいろいろ観ているので本作は例えば負け戦のドイツ軍の話を撮ったものとも比較できてハリウッドばかりの映画に食傷気味の、それも今となっては遠い太平洋の戦の話、戦は日常、イラクからアフガニスタンの日々が戦争の今日、何が今更太平洋戦争なのだろうか、というのがヨーロッパの生き死にに関する話題なのだ。  けれど、アメリカ人のイーストウッドが絶え間なく量産された西部劇と同じくアメリカの戦争映画の中でこれをどのように料理するかに興味があった。 渡辺謙、が登場すると娘がすぐああ、この人、何年か前チェコの田舎の野外映画館でみた「Memory of Geisha]の人ね、というとすかさず息子が「Last Samurai]の人だともいう。 私にはだいぶ昔に見た「ラジオの時間」のトラックの運ちゃんなのだがここではそれは言ってもしかたがない。

Memory of Geisha の時にはチェコ語の字幕で誰も読めなかったのだが幸いなことに原語は英語だったから皆分かったもののそれでもその英語には何か妙なものもあり、やはりその話の舞台の言語でないと、と思ったものの字幕に慣れたヨーロッパの小国ならいざしらず英米独仏ではそれも疎ましいのだろうが、それでも世界中に席巻する「国際語」の英語であれば興行成績上仕方がないのだろうとも思ったものの、本作では殆どが日本語で、それも日本側からみた話としては当然ではあるのだけれどDVDでは様々な言語の字幕がそろっていて、はて本国アメリカでは嘗てのイーストウッドがマカロニウエスタンに登場したときのようにイタリア語から英語への吹き替えなのだろうかとも訝ったのだ。 これではまるでここで聞こえる米語が嘗て映画の中で日系二世や三世がしゃべっていた妙な日本語に聞こえそうで戦闘場面の米兵のエキストラでも日本人ではないかと思うほどに日本映画で、時代が変わればこういうこともあるのだなあと妙にも感心したのだが、同時期に同じ話をアメリカ側から撮っているのでそれとのバランスを考えれば納得のいくことでもある。

前夜「ダーティハリー4(1983)Sudden Impact」というのを深夜映画で2度目か3度目に見ていて、ダーティーハリーは71年にドン・シーゲルで始まりその後別の監督で作られこの4作目に自分が監督したのであるもののさすがに初めのインパクトはうせているようだけれどまだ少々のSwell(いかす・興奮するぜ)も散見されたのだがイーストウッドが初めてメガホンをとり主演したジャズDJを主人公とするスリラー「恐怖のメロディ (1971)」でもシーガルがバーテンとしてバーでイーストウッドと自分たちだけのルールでそれがあるのかないのか分からないようなゲームをしていた光景も浮かばれるが、年賦を見てみればこの71年というのは一年でシーゲルの佳作「白い肌の異常な夜(1971)THE BEGUILED」でも南北戦争時の話、敗走兵として主演しその初メガホン、シーガル2作とよく働いていたものでそこからから本作までの35年である。

本作を観ていて妙な気持ちがした。 明らかに欧米戦争映画のトーン、モードが見慣れたものから変わっており、それは明らかに日本のメロドラマ、戦争ものに流れるムードを引き継いだもので山中の入り組んだ洞窟内での劇場仕立てのいくつもの話とも相俟って涙が流れるほどなさけない当時の事態のお粗末さが実感されたのだが、妙なことにドイツの急降下爆撃機ユンカース・シュトゥーカと同様の主翼に特徴のあるF4Uコルセア爆撃機が飛来したときにはスピルバーグの「太陽の帝国」で少年がゼロ戦やムスタングに狂喜したように子供の頃この濃紺のコルセアのプラモデルを作ったことをも思い出したのだったがそれも日本軍の湿っぽい話からドンパチに移る転機ともなっていたのだった。

本作制作前か当時、何年も日中政治駆け引きのプロパガンダ合戦の焦点でもあった「南京大虐殺」の話をイーストウッドが撮るのではという噂があり、そのときはアメリカで中国系の女性作家がしきりにキャンペーンをやっておりそれを受けて中国側の攻勢に乗るのかなとも思ったもののそれがどうなったのかも知れないままに本作をふくむ2作になったのだたからこれを見終わった後ではイーストウッドが「南京大虐殺」を撮るのだったらどうなるのだろうかともそちらにも興味が行った。

硫黄島に関しては何年も前に黒川創という作家の同名のルポルタージュ風エッセーを読んだのだがそれにはこの島のことがどのように書かれていたのか記憶に乏しいものの火山灰地の厳しい土地のことにかなりのページ数が費やされていたことが朧げに浮かんでくる。

本作に関する判断は「父親たちの星条旗」を見てからだ、という気がする。

文芸春秋新年号と文学界二月号

2010年03月20日 11時55分35秒 | 読む



日本から40日ほど送れて到着した郵便に混じって入っていたものに眼を通していて感じたことを記す。

文芸春秋2010年新年号

   佐藤優  外相岡田「密約開示」が暴く外務省の恥部  114P

新年号だから12月に発行され、それを記事にするには少なくとも11月中には書かれたものだろう。 ちょうど、新政権発足後、そのころに外務大臣が核持込や日米安保条約に関する戦後日米外交史上で闇とも言われていたことを明らかにするキャンペーンの一環だったのだろうそのことに関するテレビのニュースで興味深いインタビューを見たことを覚えている。 

本記事はその経緯を佐藤が自ら元外務省主任分析官として関わった情報収集の経験をもとに現在の外務省の状況を観測しながらの記事である。 ちょうどそのニュースがテレビ報道で出た昨年、それに関わった元政府高官の証言が画面に出てその証言が特に興味深かったのを覚えているからそれから数ヶ月経ってその流動する日常の政治の中で薄れかけた頃にこのようなまとまった書き物として読むのは過去から続くイシューを再確認し新たなものとして納得もし興味深いものだ。 本記事によると2006年には外交専門の著者としては古巣の外務省関連の情報を収集しており、昨年テレビのインタビューに登場した元外務事務次官の村田良平、元アメリカ局長吉野文六両氏証言につながる経緯が面白い。 特にテレビでみた吉野氏の話には感心するとともに普通にはあまり好感をもってかたられない官僚の中でも実直な人柄に見えるそのインタビューに好感をもったことを覚えている。 

もちろんインタビューに応じるには高級官僚としての身辺に及ぶ危険回避策として新政府の外務大臣側との公務員の秘守義務に関する免責文言をとってからのインタビューであることはいうまでもないだろう。 この文で「男の田中真紀子」と陰では言われているらしい、外務省でも、また沖縄でも人気のない外務大臣のこの「密約開示」が外務省の大規模な人事粛清につながる「パンドラの箱」であり「時限爆弾」である、と書く著者だが、今日のニュースでは外務大臣の談話として密約開示は歴史の事実究明であってそれに伴う責任問題は問わないとの談話があった。 これが時限爆弾の信管を抜くこと、パンドラの箱に重石をかけることになるのだろうか。 沖縄の基地移転に関して終始言を左右して地元の信用をなくしているとの記事に加え今日のニュースでは首相の態度が問題なのだとも玉虫色の言で虻蜂取らずを繰り返すことに批判が及んでいた。 けれど、これは首相の力不足にもよるが戦後の歴史をここで坊ちゃん首相に追いかぶせるのもどうかとも思う。

今日のニュースで田中元首相の金庫番として「越山会の女王」とも言われた秘書が亡くなったと報じられていたのだが政治の闇、金に関することは嘗て文芸春秋誌上で立花隆が追求し当時はよく書かれたもののロッキード事件が収束するにつれて後には田中系列には分裂の経緯もあったものの結局は職務として「臭いものに蓋」をしきって今日、いくつもの「悪」を棺に納めて蓋をしたのだろうか。 

尚、著者佐藤が今の状況になるきっかけの一連の動きの中に田中真紀子外務大臣の影もある。 省庁のなかでも特異だといわれる外務省と政治のダイナミクスを身をもって体験している著者の言には説得力がある。

これに続いて19日、国会の外交委員会で新たに99年当時の条約局長が当時職の引き継ぎの際、重要資料58点中自ら最重要資料と指定して16点のファイルを作らせたのだが今回には8点が見出せなかったとの証言があり、また旧自民党政権、外務省内で書類の焼却が行われたと聞いたとの示唆があった。 受け継いだ後任の条約局長の証言が待たれる。 それに加えて上記の村田良平氏が19日に逝去したとも伝えられた。


文学界 2010年 二月号

   蓮實重彦、岡田茉莉子   女優という謎  168P

岡田茉莉子という人はスクリーンでも何回も見たが印象は厳しく怖い人だなあ、というものだった。 襟を正していないと叱られそうな人で美観というよりその印象が先行していた。 60年代から時代を代表するATGの監督、篠田正浩、大島渚、吉田喜重たちの女優でありパートナーである岩下志摩、小山明子、岡田茉莉子たちの夫唱婦随の営為は日本映画史に記されるものなのだが、岡田の目元、口元の印象が美しさに勝ってきりりとして見るものの背筋をのばさせるものとして自分のなかにあり、多くの作品中見たうちでは「秋日和」「秋刀魚の味」「秋津温泉」「エロス+虐殺」に続き3週間ほど前に地元オランダの客席200ほどの小さいアート系映画館でみた「戒厳令」が終わった後に登場した監督に同伴してスポットもなく薄暗い場末の映画館ともみえる中で30人ほどの観客、自分の前2mほどのところで挨拶した姿だったのだ。 それはオランダの映画祭で元オランダ高級紙日本特派員であった日本語が流暢な映画好きが吉田喜重特集を企画して2週間ほど二人を招聘した最終日にヨーロッパで最古の日本学部をもつ大学の学生、研究者の希望に応えて「日本基金」のマークが入った英語字幕の作品をそこで放映したあとの挨拶だったのだ。

薄暗く朧な電球の光が斜め上から射すだけの中での、華やかな舞台からは程遠い初めて目の前で見る女優の印象はそれが逆に「戒厳令」の印象にも図らずも添うであり、そこでの岡田のスピーチは簡潔で「戒厳令」が男の映画であるから出演しなかったのだと本気とも冗談ともとれることをいい、そのかわり製作でかかわったとを言うが吉田のこの作品に対する思いと当時の状況、その後10年以上メガホンを執らなかったという説明でその後のさまざまな活動の様子が想像される。 そして「女優 岡田茉莉子」という本を出版したと一言添えた。

それから何週間かして本誌で蓮實、岡田の対談と目次にあるので喜んでページをめくった。 自伝刊行に際して初めに蓮實重彦が岡田紹介、解説ともスピーチともとれる文が続きその後対談となっている。 蓮實の文にはもう30年ほど親しんでいてそこから多くの刺激を受けたのだがここでは構成の具合なのかスピーチから起こしたものなのか、それまでの文に比べると水気の多い少々ふやけたものに思えた。 この女優との付き合いが20年ほどで40年ほどになる吉田との付き合いに比べてこの女性がよく分からない、ということの証のような紹介であったり蓮實の「ゾケサ」のアネクドートにつながるような、外国名は覚えられるけれど日本の固有名詞の難さが付きまとうとして日本映画の難しさを「途方に暮れる」という語り口にこちらも途方に暮れそうになったのだった。