暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

昼に一時停電があった

2009年08月30日 05時23分08秒 | 日常


昼ごろ屋根裏部屋でことことキーボードをたたきながらやっと元に戻りかけたボロPCを宥め宥めノソノソやってるとまたPCの電源が切れたから、あーあー、このいかれているPCのコンデンサーがまた小言をいってると思い電源コードを外していたら下から息子が、電気が落ちたー、と叫ぶから下に降りていくとそのとおり。 うちの中のすべての電源がオフになっている。

いくつもあるブレーカを一渡り懐中電灯で調べてみても切れている兆候もないし自然に落ちているスイッチも一つもない。 元の電流が流れていることを示す円盤も回っていないからうちの外に原因があるにちがいないものの、はて、外で工事をするといった回覧もなかったから、どこかの阿呆が穴を掘っていてひっかけたかはたまた地区のどこかを走っているクレーンが倒れて家屋を倒壊させてそのあげく、、、、、というところに頭が回ったのだがそれはさておきとりあえず表に出て様子をみようと玄関を出たら近所の連中も同じように思うのかノコノコ出てきて、なんだろうね、と話をしている。

一通りそんなことをガヤガヤとやってるとそのうちの一人、5軒ほど先のゲイのカップルの女性っぽいほうが電力会社に電話をし始めた。 もう5分ぐらい電気がとどこおっているんだけど、と言うと、はて、お宅の地区では何ともないようで停電の通報はお宅が初めてで、、、、とのこと。何とかしますからしばしのご猶予を、、、、と言って勝手に切られたとか。 ピンクのカーデガンを羽織った50前後のその、男のオバサンは、失礼ねちゃんと誰が直しに来るのかもいわないし通報の礼も言わないといって怒っている。

で、仕方がないからとそれぞれ自宅にもどりかけて家のすぐ隣の40前後のゲイのカップルでイケメンのほうがのこのこ出てきて何なのかと尋ねる。 個人自動車教習所の教官であるその男は裏庭で庭仕事をしていたから気がつかなかったと言った丁度そのときに明かりがぱっとついてほっとした。

家に入りもう一度玄関の電気とガスの棚を開けてそれぞれを見ると異常なし、ゆっくり円盤は時々赤い点を見せて回転している。 電子レンジやDVDプレーヤーなどのデジタル表示の時計を見たら10分ほどの遅れだった。

それで一件落着なのだがしかしその原因は知る由もない。 こういうことはこの20年ほどでは自分の周りではなかったのだけれど今回は如何にも面妖な、というか場当たりというか納得のいくようないかないような、、、、、。

パンチドランク・ラブ ;観た映画、Aug. 09

2009年08月29日 05時27分00秒 | 日常
パンチドランク・ラブ (2002)

PUNCH-DRUNK LOVE
95分

監督: ポール・トーマス・アンダーソン
製作: ジョアン・セラー
ポール・トーマス・アンダーソン
ダニエル・ルピ

脚本: ポール・トーマス・アンダーソン
音楽: ジョン・ブライオン

出演: アダム・サンドラー   バリー・イーガン
エミリー・ワトソン         リナ・レナード
ルイス・ガスマン         ランス
フィリップ・シーモア・ホフマン   ディーン・トランベル
メアリー・リン・ライスカブ    エリザベス

「ウェディング・シンガー」のアダム・サンドラーと「奇跡の海」のエミリー・ワトソン主演で描く刺激的でピュアな異色ラブ・ストーリー。精神面で問題を抱える主人公が、初めて自分を好きになってくれる女性と出会い、彼女の優しさに見守られて不器用ながらも愛を成就させていく。監督は「ブギーナイツ」「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソン。2002年のカンヌ国際映画祭でみごと監督賞を受賞。なお、マイレージを貯めるためクーポンの付いたプリンを買いあさるエピソードは実話が基になっているという。

ロサンゼルスのサン・フェルナンド・バレー。バリー・イーガンは、相棒のランスと共に倉庫街でトイレの詰まりを取るための吸盤棒をホテル向けに販売している。突然キレたり泣き出したりと、精神に問題を抱える彼の最近の関心事は、食品会社のマイレージ特典を利用して無料で飛行機に乗ること。そんなバリーはある朝早くから出社すると、隣の修理屋へ車を預けにきたという女性リナと出会う。実は彼女はバリーの姉の同僚で、バリーの写真を見て一目惚れしてしまい、車の修理を口実に様子を見に来たのだった。やがて2人の仲は親密になっていくのだが…。

以上が映画データーベースの記述である。 8時のニュースを見てそのあと民放のテレビにかかったのが本作でそのままソファーに根を生やして見てしまった。 先日、アメリカCBS局の看板番組 David Letterman Show を見ていてゲストのサンドラーが夏休みに自分の小さい子供たちとどのように過ごしているか、というようなことをいつものように飄々と彼の持ち味である鼻に抜けるような軽い笑いを交えての話し方で会場の客を楽しませていた。 長年の人気番組であるサタデーナイトライブで人気を得て「ウエディング・シンガー」で好評を博したコメディアンが才能のある監督の下で作ればこのようになるのだろう。 英国の優れた女優を相手にしてそこは単なるハリウッドのコメディーには仕上がっていない。

どたばたのようでどたばたでない、ある種不思議な雰囲気を醸し出しているのはサンドラーの性格設定の妙と日頃の持ち前の鼻に抜ける薄笑いを見せないところにあるからなのだろう。 出だしからコメディーの肌触りを避けカメラワーク、フレームの移行の具合などに工夫をこらし、シュールでさえある。 それに進行に伴って主人公の内面の鬱屈に合わせるかのように音楽がそのイライラを促進させ主人公の性格のかなりの部分を形作ったにちがいない生い立ちの、7人の姉!たちのパーティーの場でのかまびすしい会話とバックグラウンドミュージックが苛立ちを盛り上げ、そこでのアメリカ市民的家族の場に行き当たったときに辟易する笑いが立ち上がるのを体験するのはかなりなものである。 これは秀逸なシーンだ。

エミリー・ワトソンをはじめて見たときにはなぜかデイヴィッド・リーン監督「ライアンの娘」を演じたサラ・マイルズを思い出した。 本作では今までの役柄がシリアスで力の入ったものが多い中、それまで如何にもイギリス的な役柄を演じていて、最近にはオーストラリアを舞台にした西部劇「プロポジション - 血の誓約」(2005)でも好演したのを見、明らかにハリウッドでは見られない性格を演じる実力のある彼女をここでは英語のアクセントを残しただけで笑顔の多い、主人公に釣り合う一種不思議なところをも持つ女性にしているところにも好感を持った。 ロイアル・シェークスピアカンパニーで修行したそれらの演技の重みを取り去ればこのような役になるのかと忖度した。

それにいつも独特な困惑した苦笑いをここでは見せないフィリップ・シーモア・ホフマンとラティーノの達者な脇役ルイス・ガスマンもコメディー風味に自然な味付けを施すのに役立っている。 特筆すべきは本作で一種シュールな香りを出すのにカメラワークとここでの音楽は必須であることだ。




10番街の殺人 ;観た映画、Aug. 09

2009年08月28日 09時30分16秒 | 見る
10番街の殺人 (1971)

原題; 10 RILLINGTON PLACE
106分
製作国 イギリス

監督: リチャード・フライシャー
原作: ルドヴィック・ケネディ

出演:
リチャード・アッテンボロー
ジョン・ハート
ジュディ・ギーソン
パット・ヘイウッド
イソベル・ブラック
ミス・ライリー
フィリス・マクマホン
レイ・バロン
ダグラス・ブラックウェル
アンドレ・モレル

あまり一貫した作品傾向はないと思われているR・フライシャーだが、(猟奇)犯罪サスペンスの切り口でみれば、しっかりと系統立てて撮っていることが分かる。本作もその一編である。原題のリリントン・プレイス10番に住む元警官のクリスティーは退職して、自分のアパートに間借り人を置き、悠々自適の生活を送っているように見えた。が、最近越してきた若夫婦の奥方に向ける視線は、妙にねちっこい……。イギリス的陰湿さをすっかり自分のものにして、それでいて直球勝負は捨てない、天才職人監督R・フライシャーの後を引くホラー。でも、今や良心的大監督アッテンボローの、かつての役の選ばなさ加減はM・ケイン以上か?

以上が映画データーベースの記述なのだが、最後のコメントが気になった。 役の選ばなさ加減、というのは役者として自分の資質をもとにさまざまな役を試みる、ということで、ここでは、というのは1971年の段階で、すでに後年の独特な味わいをはっきり示していて、実際にあったこの犯罪の犯人もかくや、というような如何にもイギリス的な性格がハリウッド流の映画ががあふれる昨今では興味深く彼の風貌とあいまって印象深い演技をしており、アメリカ映画、ヒット作の「大脱走」(1968)での如何にも溌剌としたキャラクターの多い中でのアッテンボローの風貌を思い出させ、そこでの彼の持ち味がなるほどといまさらながら腑に落ちる。 マイケル・ケインとの比較で言えばケインも味わいのある演技で悪役をもこなすけれど、しかしその風貌からはいくつも演じたように秘密諜報部員もしくはその関係者の役を演じるタイプでその整った風貌が逆に演技の「深み」を探る邪魔をするような痛し痒しの部分もあるようだ。 

1971年というのにも惹かれる。 先週, 北イングランドを一週間ほど歩いてその後、リバプールで2,3日滞在したその経験からしてこの中に出てくる景色にはほぼ40年近くたっても変わらない部分もあり、また日本の当時とも、また、時代の変わり方とも比べ合わせてわれわれの越し方を思う縁ともなるからだ。

この映画を観ようとおもったのは英国BBCテレビの深夜映画にかかったからで主演のアッテンボローと競演のジョン・ハートの名前と製作年に惹かれたからだ。 今では渋い声でいろいろな映画で活躍するハートの若いときの瑞々しい良質の演技に今の成功のもとをみるようだ。 とくに役柄が微妙に同情を曳くものであり文盲の人間が犯人のアッテンボローの巧みな言動で冤罪におとされ、また刑事調書をとられるプロセス、裁判での検察、弁護とそこに証人として登場するアッテンボロー、ハートの弁護人がアッテンボローの過去を暴いていくあたりが秀逸だ。 アメリカ映画やテレビドラマで法廷ものが氾濫する現在、これが実話をもとにしている以上71年当時の審理の進め方に興味が行くだろう。 観客であるわれわれは「真実」を知っているわけだがほぼ40年前にそこにいればどのようにしてハートを救うことができたのか考えてみるのも一興だろう。アッテンボローとハートの使う言葉の違いに絶望をみるだろうし、特に、刑が実施される前の医療審査委員というかその男たちの言動、言葉には、法と法手続き、そこにはまった罪人の闇の深さ、うつけたような絶望を見るだろうし、それで古今の冤罪にまつわる共通点をも見ることになるだろう。

映画開始の重要な20分ほどを見過ごしてその後、そこで語られる言説をもとに話を見始めたのだがそこではアッテンボローの言動が怪しいものながら、それでも戦後の堕胎の「違法性」が貧しく若いカップルの妊娠には負担になるその解決策としてそこに言葉巧みに付け入る主役の動きは、まるで話の方向はちがうものの50年時代を舞台にして「堕胎」という一点ではつながっている佳作の英国映画「ヴェラ・ドレイク」(2004)を思い出させる。 こちらの方は犯罪の意図はなく死者が出ることはなくとも発覚後、薬事医療法上の違法性を問われて収監される結末となるところでわれわれの涙を誘うのだが、本作でも主役の犯罪を別としてもそれに付け込まれる被害者経済弱者に哀れさが漂う。 もっともヴェラ・ドレイクの場合は法的には加害者であるヴェラ・ドレイクに哀れさが漂うのだけれど。



「ヴェラ・ドレイク」を観ての感想
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/53131579.html

麦の穂をゆらす風; 観た映画、July 09

2009年08月26日 05時17分20秒 | 見る

麦の穂をゆらす風  (2006)

英題; THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY
126分
製作国 イギリス/アイルランド/ドイツ/イタリア/スペイン

監督: ケン・ローチ

出演:
キリアン・マーフィ        デミアン
ポードリック・ディレーニー    テディ
リーアム・カニンガム       ダン
オーラ・フィッツジェラルド    シネード
メアリー・オリオーダン      ペギー
メアリー・マーフィ
ローレンス・バリー
ダミアン・カーニー
マイルス・ホーガン
マーティン・ルーシー
ジェラルド・カーニー
ロジャー・アラム
ウィリアム・ルアン

 社会派ケン・ローチ監督が、激動の歴史に翻弄される2人の兄弟を軸に、独立戦争から内戦へといたる1920年代のアイルランド近代史を描いた悲劇の物語。 2006年のカンヌ国際映画祭では最高賞のパルムドールに輝いた。主演は「バットマン ビギンズ」「プルートで朝食を」のキリアン・マーフィ。
  1920年。長きにわたりイギリスの支配を受けてきたアイルランドでは、疲弊した人々の間に独立の気運が高まっていた。そんな中、南部の町コークでは、医師を志していた青年デミアンが、ついにその道を捨て、兄テディと共に武器を取り、アイルランド独立を目指す戦いに身を投じる決心をする。そして、イギリス軍との激しい戦いの末に、イギリスとアイルランド両国の間で講和条約が締結された。しかし、完全な独立からは程遠い内容に、条約への評価を巡ってアイルランド人同士の間に賛成派と反対派の対立が生まれ、ついには内戦へと発展してしまう。そして、デミアンも兄テディと敵味方に分かれて戦うことになるのだった…。

上記が映画データーベースの記述なのだが、政治的、特に歴史的に長く続く抗争が世界的にしられている地域についての映画を製作するときにはかなりの考慮がいる。 映画制作の目的は言わずもがな、監督、製作者が観客に見せたいものを提示するということであるのだが、そこにはさまざまな思惑が働く。  

1970年代に日本の写真家が北アイルランド問題のことを含めて写真を提示しその状況を新書にしたものに接し、そこで初めて近隣国から搾取され続けてきた人々が自国の独立を求めて侵入者(この場合英国)に対して武力闘争をつづけるそのポイントがベルファスト、ロンドンデリーでありダブリンであり、そこに宗教もからめて説明されていた。 そこでテロリストとレッテルを(英国とアイルランドのプロテスタント側から)張られているIRAの背景も示され、同時にパレスチナ国家建設をもとめるPLOのことにも触れていたのだった。 当時は高校生で周りが二度目の日米安保条約改定時期にさしかかり、自立、独立ということの大切さを考えていた者たちには当然自国の歴史、文化の中で異なものに興味を持たないことはなく、自国が正しいものであってほしいというのは青春をその国で過ごす個人のまっとうな世界観ではあるだろう。

その時に、自分、自国の「正しさ」の中には他人、他国の「正しさ」とは齟齬があるかどうかの考慮があり、もし、そこに齟齬があればそれは何に由来するかということを知った上で判断しなければそれは勝手な主張ということになるわけで、それを敷衍すれば「正しさ」はさまざまな観点から検討されなければならないこととなる。 それに中立の判断を下せるという理想的な、もしくは少々シニカルなもの言いをすれば、「能天気」な考えを持っていたのが60年代後半の高校生の自分だ。

太平洋戦争後15年経ったときに小学生だった頃にはアメリカのテレビがなだれをうって日本に入ってきており、それもアメリカの対日文化政策でもあったのだが、そういう白黒テレビで育ったものだから英雄譚の多い戦争ものや西部劇で育ち日ごろの生活ともかなり違う画像、音楽などに惹かれた。 そこで観たのは正義が勝つ、いつも最後の危ないところで男が来て六連発のリボルバーやマシンガンもしくは肉体的、機械的暴力が最終的解決をもたらし容貌の醜い悪漢は倒れ麗人がその英雄を慰めめでたしめでたし、もしくは英雄はその場を去り次の場所に消える、ということだったのだ。 誠に能天気ではあるがそれが現実との齟齬から生まれる夢であるのは大人には分かるものの子供たちの脳内にはそれが楽天的正義観のイメージとして残るのだ。

法と秩序が守られないところでは「正しく」武力を扱う者にはその優れた武器とその技量の裏打ちにより法と秩序を回復することができるのだ、というアメリカ的理想像が繰り返されるのだが、これは古来地球上で言われてきた言説の繰り返しではあるけれどパックスアメリカーナのプロパガンダとしてみれば現代に至る戦後史の底流を裏打ちする思想であることは間違いない。 

秩序はさておき法の「正しさ」は誰が判断するのか。 それは法を作る権力を持つものであり、現在、その所在は内容を別とすれば大抵は「民」ということになるだろう。 歴史的、生物学的な「王」というのは地上に残り、「元首」、「君主」として現存するものの、おおむねその法的な内容は「民主」としてあるだろう。

本作はカンヌで賞を獲得したのだが、「王」を倒し人民の自由を標榜してきた国フランスの映画祭で、世界の大国でありすぐ目の前の海を越えたところにある英国によって搾取され続け自由を奪われていたアイルランドの完全自由を求めるところにある場にこのような映画を製作することによって英国が主に戦後処理の中で作り上げたシオニストの国イスラエルに抗うパレスチナとアイルランド独立の運動も自然と浮かび上がってくるのも偶然ではないだろう。

本作では「マイクロコスモス」が提示される。 しかしそのマイクロコスモスはそれを膨張させた時には歪みが出る可能性がある。 それはマイクロのもつ小さな差異がスケールがあがると見えなかったもの、計算の誤差、というものが顕然化することでもあるのだろう。 たとえば、イギリス兵達の暴虐無人な振る舞いの強調化がそれに当たるのかもしれない。 あれは英国の不良な軍人で兵の士気を煽る軍曹などで軍隊というものは規律に則って行動するからそんなものではない、というものがいるとする。 日ごろのニュースを見るにつけ古今東西世界中の軍組織には変化はない、との印象を持つ。 上官、司令、国は手を汚さず、「規律をまもらない」ものたちが徐々に「勝手に」他国の堤を切り崩し、相手の責として洪水、浸水を起こさしめその後は仮の堤を相手方深く構築しそれがそのうち仮ではなく定着させてそこに居座る、というのが大概のプロセスだろう。 人の生活を向上させる上での経済活動援助というのは悪くはない。 それがその地域の人々の生活をただ単に豊かにするというのではなく、貧しかった頃にあった例えそれが小さなものであっても小さいがゆえに尊かったその「幸福」感を、こんなはずではなかったと思わせない前提であれば悪くないだろう。 

「真綿で首を絞める」という言葉がある。 死ぬほど首を絞められたことのないものにはその苦しさはわからない。 真綿である。 真綿であってもコンピュータのケーブルであってもその苦しみには変わりがない。 真綿のその柔らかさにはじめは目を細めた結果、首を絞められていることに気づき逆戻りがきかないところで喘ぎ、抵抗し、その抵抗が無駄かどうかの判断をする時間があればそのエネルギーを生存のために使え、というのがメッセージなのだろう。 そこでは最期の吐息、もがいて求める酸素というものが自国の「自由」ということなのだろう。

それでは自分が求めた酸素と自分がこの地上から消え去った後に残った者たちが呼吸する酸素はそこに質の違いがあるのだろうか。 「自分の自由は他人の迷惑」ということもある。 ここでの自由は多分「勝手」ということばに言い換えられるかもしれない。 「勝手」という言葉には含蓄がある。 勝つ手、勝った手、勝った者、勝者、ということなのだろうか。 勝った者のすること、振る舞いなのだろうか。 その振舞い方が政治、経済的に勝った英国がアイルランドに対して何世紀にも亘り施してきた政策に対する二十世紀はじめのアイルランド人が英国の圧制に対して始めた運動の抗争をマイクロコスモスにして示したのがこの映画なのだ。 

嘗てテロリストと呼ばれたIRA,シンフェーンのリーダーたちが今ではアイルランド政府の高官に納まり、15年前、20年前には世界のテロリストと言われていたアラファト議長も世界舞台でパレスチナの基礎を幾分かは築いて今は亡く、アメリカをバックとして国連議決をもたびたび蹂躙するイスラエル政府に対して国際世論も異教、異文化に対する戸惑いと「西」の政治的経済的背景から解決策やには「テロリスト」のラベルの取り扱いには二の足を踏む状況であるようだ。

今から50年、100年経って今言われる中東のテロリストたちがどのような扱いを受けているのか知りえない自分ではあるが興味はある。 スコットランドでパンナム機が爆破され270人もの死者を出したロッカビー事件から20年、首謀者が人道的理由から釈放されリビアでは英雄的な扱いを受けたことに対して憤りの声が西側で起こっている今日、テロ行為の「正しさ」がどこにあるのかないのかを考える縁にはなるだろう。

藤沢周  「キルリアン」

2009年08月25日 11時29分25秒 | 読む


藤沢周  「キルリアン」

新潮 2009年 5月号

文学雑誌、新潮、5月号の巻頭作品であり見開きの目次には次のように書かれている。

キルリアン   200枚  無意識の底に糸を垂らす。 深く、もっと深く。 そのとき、鎌倉の谷戸の闇に、新潟の鉛色の雪景色に、情事の記憶が澱むホテル街に、小説家の生が幻影のように浮かび上がる。

読み進んではじめの十頁ほどときどき引っかかった。 それはこの作家にはときどきこのようなことはあったものの、これだけしばしばあるのは珍しいと感じた。  漢字にひっかかるのだ。 読み進めていって和語が漢字で表記されている部分で、ええっと、これは、、、、という具合だ。 

しばしばそれがあるというのは密度がある、ということで、そこではさまざまな現象が提示される空間の表現にそのような言葉、ここでは訓読みの和語が必要だから多用されるということだろう。 だから日常創作物の中ではほとんどが即物的、ものごとの襞などない無機質プラスチック気質のマックハンバーガー的言語が氾濫するなかに生活するわれわれにこのような訓読みが躓きを起こさせることとなるのだ。 普通音読みでは躓くということにはならず、ただ上滑りで、滑っただけではそのままそこを通り過ぎることとなり、地面をろくに見ることもなく世界との接触もないのだが、躓くとなると目の前に迫った土の湿りや匂い、ひいては蹴躓いて初めて自覚する土のでこぼこまでが現前するという現実をはっきり知覚するようになり世界と対峙することにもなる。

それをさせるのはあくまで訓読みだ。 官僚のはったり作文では音読み熟字が多用され近年ではそのはったりにシンニョウがかかり丸投げのカタカナことばが氾濫しているといわれている。 それはことばの放棄だとも言われる。 そういうことは百も承知の作者はここでは漢字の訓読みで世界の襞を探り、湿度をもたらし、味気のない文学世界にたたずむわれわれに日本語でどのように世界を表現できるかということを示すこととなる。  

風の中の蝶の重力か重心か、というようなひとりごちするところに屈託があるのだろうか。 読了してから一ヶ月以上経っているから話の筋も女の香りも酒の酔いも酒場の男たちとの会話がどのようなものだったのかも忘れ、鎌倉の山門の僧もそこにいたのかも定かにないもののその印象は古井由吉の良質の部分を継承していることを再確認し好ましく思った。

これを読了してから同じ作者の文芸春秋社2007年夏出版の単行本、「幻夢」を済ませたのだがそれももう記憶にない。 短編8つのうち4つは「文学界」掲載時に読んでいたはずなのに記憶はなかったしこれらについてはメモがあるはずだからそれを参照しながらぼちぼちと記憶をたどり日記に載せつつ藤沢の肌触りに添っていくことにしよう。

2009年  残暑お見舞い申し上げます

2009年08月25日 07時37分35秒 | 日常
夏休みもそろそろ終わる頃、 急に壊れてにっちもさっちも行かなくなった古いコンピューターも修理ができて何とか元に戻った今日この頃、現代の利器も困ったものでデーター、システムの補修・修復が面倒で結局これに二ヶ月かかった。

もっともこの時期には何もすることもなく手持ち無沙汰だから庭に寝転んで今まで何年も積んで置いた本を読んだり読み残しのものを済ませたり、 また、 もう何年かぶりにメモ用紙にいろいろとキーボードに触れられない手持ち無沙汰からか手書きで日記代わりのようなことをしていた。 読んだ本も平均一冊400ページとして13冊あるから5200ページを越して久しぶりの読書量という感じがする。 

イギリスの北、スコットランドの見える湖水地方をマン島が見えるアイリッシュ海岸、セント・ビーズからてくてくと家人と二人8日ほどで120kmほど歩あるいて北海まで歩く西海岸から東海岸までのコースの半分弱をこなし、残りはあと何年かかかって済ますことにしてリバプールに戻りそこで2日ほど遊んで2日ほど前オランダに戻れば息子が何とかコンピューターのシステムを入れ替えてほぼ元に復旧していたから今日から再開の運びとなった次第。

考えてみれば2005年にブログ日記を始めてその年にはそういうこともあった様かもしれないけれどそれからは日記を2ヶ月も休むことはなかったように記憶する。 休んでも大概は休暇で留守にしたから長くて3週間ぐらいで、機械の故障とかでこうになったというのは初めてだ。 その間、もうだめな場合、次はラップトップにしようかまたデスクトップにしようかとちょっとは電気屋やそれに類するサイトでいろいろ調べているうちにまだ4年使っている我がPCもハードウエアが大丈夫だからOSとソフトを更新して何とか息をついたわけだ。

厄介なのは何年も使っていてそれに慣れると今度新しいものに変わると戸惑ったり苛ついたりしがちで今回も例外ではない。 また以前のように徐々に慣れるしか仕方がないのだろう。

昨日の日曜日、ハーグの大使館に出かけて衆議院選挙の在外投票をしてきた。 今回から小選挙区の投票もできてネットで地元の候補者をやっとのことで調べられて幸いだった。 オランダには約7000人の日本人が住んでいるらしくそのうちのどのくらいが選挙権があるのか知らないけれどそのうちで大使館にわざわざ投票に来るのは10パーセントちょっとらしい。