考えてみればもう4週間ほど風呂に入っていなかった。 早いものだ。 だが、熱いシャワーが有難い、熱い風呂にはいりたいと思ったのは先週の何日かだけで、そのときには10年ほど前には普通だった気温、マイナス2,3度になって、ああこれで「まとも」な冬になったと喜んだものだけど、すぐまた暖かくなったから湯の熱さを楽しむこともなく普通のシャワー生活だったのだが、今夜、家人が風呂をたててそのあと久しぶりにゆっくりとニュースや軽い音楽を聴きながら1時間近くその中で漂っていた。
帰省中はウイークリーマンションというのか、そういう狭いながらもユニットバスがついていてそこで湯に浸かっていたのだが、オランダの自宅ではもう今ではなかなか見られない、大きくて深く、また傾斜しているので仰向けに寝転んでいると沈み込みそうになる前世紀の遺物がある。 湯を満たすのにも時間がかかり日本の風呂のように湯をザーザー流せない欧米流のものであり、このようなバスタブはもう30年近く前に経験した北京のホテルの、ロシア人が持ち込んだバスタブのようだなあと湯煙のなかでそういえばその部屋にはカギもなくカギをかけることも思いもつかないそのホテルのことを久しぶりに思い出したものだ。
年末年始の時期に紀州の徒歩温泉小旅行というものを家族で楽しんでそのときは休暇なのだから勿論、入浴というのも一種娯楽で、これは日常の入浴の具合とは違う。 日常では様々な物理的、時間的制約もあり毎日、朝寝朝酒朝湯、というわけにはいかないし、川原に溢れる湯から2mほど離れた透明な川水に飛び込んではまた42度ほどの湯に戻る、ということもないし、岸壁の洞窟にしつらえられた風呂場から裸で3mほど下を覗けば海草の少ない透明な塩水が今昇った朝日に照らされ頭上には小鳥の囀りが洞窟に響くというようなこともない。 ただ洗って出る、というだけだ。
と、いうようなことを思い出しつつ娘に風呂場を占領するなと督促され芯まで温かくなった体を拭き拭きキーボードの前に引きずって冷水を含みながらボヤーっとしていると、そういえばその時、中国旅行の折、西安で見学した楊貴妃の浴室にはあまり気が惹かれなかったのはなぜだろうかとシーアンのことを思い出し思案した。 大理石の浴室は浴槽の湯が抜かれていてなんだかチーズに切り抜いた穴のようで味気なく見えたからかもしれないし湯気のないところにのこのこと観光客の猥雑さで行ったからかも知れない。
そんなことを考えながら土産物のオカリナを吹いて体の火照りを冷ましていたらクシャミが一つ出た。
帰省中はウイークリーマンションというのか、そういう狭いながらもユニットバスがついていてそこで湯に浸かっていたのだが、オランダの自宅ではもう今ではなかなか見られない、大きくて深く、また傾斜しているので仰向けに寝転んでいると沈み込みそうになる前世紀の遺物がある。 湯を満たすのにも時間がかかり日本の風呂のように湯をザーザー流せない欧米流のものであり、このようなバスタブはもう30年近く前に経験した北京のホテルの、ロシア人が持ち込んだバスタブのようだなあと湯煙のなかでそういえばその部屋にはカギもなくカギをかけることも思いもつかないそのホテルのことを久しぶりに思い出したものだ。
年末年始の時期に紀州の徒歩温泉小旅行というものを家族で楽しんでそのときは休暇なのだから勿論、入浴というのも一種娯楽で、これは日常の入浴の具合とは違う。 日常では様々な物理的、時間的制約もあり毎日、朝寝朝酒朝湯、というわけにはいかないし、川原に溢れる湯から2mほど離れた透明な川水に飛び込んではまた42度ほどの湯に戻る、ということもないし、岸壁の洞窟にしつらえられた風呂場から裸で3mほど下を覗けば海草の少ない透明な塩水が今昇った朝日に照らされ頭上には小鳥の囀りが洞窟に響くというようなこともない。 ただ洗って出る、というだけだ。
と、いうようなことを思い出しつつ娘に風呂場を占領するなと督促され芯まで温かくなった体を拭き拭きキーボードの前に引きずって冷水を含みながらボヤーっとしていると、そういえばその時、中国旅行の折、西安で見学した楊貴妃の浴室にはあまり気が惹かれなかったのはなぜだろうかとシーアンのことを思い出し思案した。 大理石の浴室は浴槽の湯が抜かれていてなんだかチーズに切り抜いた穴のようで味気なく見えたからかもしれないし湯気のないところにのこのこと観光客の猥雑さで行ったからかも知れない。
そんなことを考えながら土産物のオカリナを吹いて体の火照りを冷ましていたらクシャミが一つ出た。