暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

風邪に通風

2012年12月27日 13時51分24秒 | 健康

久しぶりに風邪で寝込んでいる。 クリスマスのディナーが済んだあたりで何故かゾクゾク悪寒がして、あ、これはいけない、ひきそうだ、と身構えたがすでに遅かったようだ。 その後鼻水が出、止まらず寝床で You Tube の画像などを見ていたのだけれど頭が重く、眼がショボショボしてきて頭痛もし、タブレットでラジオを聴きながらそのまま寝入ったのだが起きてみるとびっしょり寝汗をかいていて濡れた感触が冷たくてパジャマを慌てて乾いたものと換えた。 少々熱があったのだろう。 普通の風邪だと全治するのに一週間ほどかかるから、そのとおりに行って欲しいと思う。 正月の3日に飛行機に乗り込むまでに何とかしないと面倒なことになる。 

むりやり一日ベッドの中にいたけれどさすがに背中が痛くなり、起きようとしたのだが、そのとき、いつものようにまた右の踝の辺りに通風の痛みを感じ始めたのですぐに薬を一錠口に含んで水で飲み下した。 大抵半年に一度ぐらいの間隔でこの症状がでるのだけど、この前に痛み出したのは何時だったのか思い出せずブログで辿ってみたら去年の2月と書いてあるからもうほぼ一年になるのか。 けれど何時だったのか足首を挫いた痛みか通風か分からなかったことがあり、そのころに服用していたのではないか。 取り立てて食餌療法をしているわけでもないから快方に向かうわけではないので急に良くなるということも期待していないから通風のほうも相変わらず半年に一度のご来訪ということだろう。


第一クリスマス日、夜中はほぼ満月だった。

2012年12月26日 22時43分27秒 | 日常


ヨーロッパではクリスマスは地味でイヴには教会のミサにでかけるとして本格的なクリスマスというのは25日(第一クリスマス日)と26日(第二クリスマス日)だ。 公務員、会社員などはこの両日は休日になっており今までは店もスーパーも閉まっていたのだがこの何年かは第二クリスマス日にはスーパーも開けるところがでている。 それにこの20年程、二日目には家具のセンターがオープンして人で賑わうようだ。 家庭でディナーをするのが一般で家族で二日のうち一日は家族だけで食事をする。 息子にはこの1年ほど付き合っているガールフレンドがいて先方のうちでも当然家族のディナーをするのでうちと調整した。 初日は彼女が我々のところで食事をして二日目は息子が先方の家に出向いてディナーをするということだ。 4週間ほど前に息子と家人がクリスマスのディナーのための料理教室に出かけそこで覚えてきた鹿の背肉のステーキがメインコースで、自家製のアイスクリームがデザートになった。 一晩みなで食事をし正月の二日に半年間アイルランドの大学で修士論文を書くために留学するという息子の彼女との暫しの別れのディナーでもあったのだ。 自分は3日に日本に帰省するのに発つのだからそろそろそれぞれの日程も迫ってきているような気になってくる。

先週の日曜日に彼女の両親が初めて我が家を訪れて半日一緒に過ごしたのだが気さくで気が合いそうな夫婦だったから子供達の関係が続く限りこれからも時には会うこともあるだろう。 

出発まで一週間ほどになったのだがここにきて風邪を引いてしまった。 この1年半ほど健康で風邪など引いたことがなかったものが今暖かいからか、油断をしたからなのか、クシャミが出て鼻汁がとまらずのどが痛い。 幸いなことにクリスマス第二日目には何も予定がなかったので10時間以上眠り殆んど一日中ベッドの中にいたのだがこんどは頭が重く頭痛がする。 今日はいちにち軽い暴風雨が吹き、雨が降っていたけれど、それでも時には青空が出ることもあって誠に不順だ。 けれど温度は夜中の3時でも外気は8℃もある。 クリスマス中のものとしては記録になるほど暖かいそうだ。 屋根裏部屋の窓から丁度雨があがって雲の切れ間から月が覗いているのが見えたけれどほぼ満月だった。

クリスマス・イヴのミサに行った

2012年12月26日 15時11分48秒 | 日常


クリスマス・イヴの夕食後10時半から始まるミサに自転車で出掛けた。 町の中心にある、そこにもう何百年も建っていて子どもの頃の画家レンブラントも通っていた学校もすぐ近くにあるから彼もこの中に入ったり、周りで遊んだりしたに違いない教会だ。 アメリカが発見され、清教徒たちが新大陸にメーフラワー号で移住するときにこの教会の近くに集って渡る時期を待っていたこともあり当時の記録、公文書の類が残っているのでブッシュ家やクリントン家の系譜をここから辿ったと言われている。 ブッシュ・シニアが大統領だったときにここに来た折、彼の乗るリムジンをたまたまこの近くで観たことがある。 毎年のイースターにはオランダ首相と閣僚達がこの教会で演奏されるバッハの「マタイ受難曲」の聴衆として参列する場所でもある。

まだ子供達が小さかったとき、15年ほど前だったろうか、クリスマスの催しも今ほど大きくなく、子供達のミサには予約も要らずそのまま出掛けていって教会内にしつらえてあるキリストの厩での誕生の場面を見せたりもして楽団の演奏にあわせて「聖夜」などを合唱した記憶があるのだが、子供達も家を出た今、夫婦二人でこの町の教会連合主宰の本格的なミサに参加したのだが、それには前もって入場券を予約しなければならないほどの盛況になっていた。 子どものためのミサが6時から8時、大人のためのミサ(I)が 8時半から10時、最終ミサが10時半から12時と三部制だったようだ。 ようだ、というのは自分では何も知らず、家人がフリー・ペーパーでこの催しがあることを見て入場無料のチケットを申し込んでいたからだ。 カトリック、プロテスタント、 幾つかのオランダ改革派教会などを統合した会である。 田舎の村に行くと少なくとも3つの異なった教会があると言われていたけれど宗教離れの激しいこの3,40年ほどでわが町の大きな教会も自分自身では維持できなくなり市の管理となっているからこのようないくつかの宗派が集まって合同のミサを行う、ということになっているのだ。 市の管理であるから今の財政難の折、こんな大きな空間を遊ばせておく手はないと教会の広い空間で各種の催し物が行われ、数百人のディナーショーから蚤の市、はたまたオランダ最古の大学が行う数百人単位の期末試験などの会場として利用されている。 

10時をちょっと廻って教会に近づくと脇の出入り口が開いて人がどっと出てきたのに戸惑った。 それを横目に自転車を置くのに場所を探していると家人とはぐれ、自分のものをどこかに停めて広場に戻ると混乱はないものの静かな人の渦で一杯だ。 人が出てくる脇の大きなドアのところで他の人たちと第一部に参列した人が皆出てしまうまで待っていたのだがいつまでたってもその流れは終わらず、そのうちここは入り口ではなく広場の方の正面から入るよう指示がありそちらの方に向かうとすでにそちらのほうには長蛇の列が出来ていた。 そして列の前の方はもう大分中に入っているようだったがそれでも軽く1000人はまだ並んでいるようだった。 幸いに途中で家人がその列に入っているのを見つけそこに加わり、そうこうしているうちに教会内に導かれ、もう既に半分ほど席が占められているのを横目で見て中央の説教壇に比較的近いところに回り込んで席を取った。 ざっと見渡して2000ぐらいのパイプ椅子が並んでいるようだった。 大きな教会だからそれくらいの椅子のスペースでも全体の70%ほどかそれ以下で、申し込みの数がそのようだったからこれだけ椅子がおいてあるだけでまだまだ充分すぎるほどの余裕がある。 3回のミサで約6000人というのは人口10万の町としては大きい催しということになるだろうか。

吹奏六重奏団と女性メゾ・ソプラノが音楽担当であって時には器楽曲、時にはブラームスやバッハにメンデルスゾーンなどの歌曲が披露され、その間には賛美歌を幾つか聴衆も加わり歌い、それを牧師のクリスマスにちなんだ説教で繋いでいくという構成だった。 当然ながらキリスト誕生の様子を語り聖書の一説を読み、クリスマスの意味を考えるといった説教の内容ながら信心のない自分にはそれらは砂糖菓子のように響いてその内容は自分には単なる習慣と文化以外の何物でもなかった。 人の精神魂の救済といったことには興味があるがそこに神が出てくれば途端に分からなくなる。 賛美歌の歌詞を受け入れられるかどうかの問題を各自はどのように解決しているのだろうか。 つい先日、クリスマスも盆も正月も目出度いとも思わない、と書いたところだ。 まさにこのミサはキリストの誕生を祝い、神に帰依する栄光を謳い上げる儀式なのだが今年のスピーチが柔らかすぎたせいか特に感興もおこらなかった。 習慣としてくる参列者が多い中、本当の敬虔なキリスト教徒はどれほどいるのかと想像したのだが確かに善良な市民に溢れていることは確かなのだが真の信心となるとその数は大分下がるに違いない。

12時を大分廻って教会を出ると暖かい雨が降っていた。 ポンチョを被り家人と自転車を漕いで家路についた。

ちょっと暖かいと思ったら、、、、

2012年12月24日 18時29分08秒 | 日常


昼間買い物に行くのに自転車に乗って出掛けたのだけれど一週間ほど前には手袋をしないと漕げなかった冷たい気温が今は7,8℃だろうか、なにか暖かいように感じて手袋をしないでも不都合はない。 表に木蓮の樹があってこのあいだまで枯れたような枝ばっかりだったものが今、暖かいからだろうか、ビロードのような毛が新芽の上にできていて、アーモンドの実が毛皮を纏っているように見えなくもないが、これから真冬に突入するに連れてこのコートの数も増え、 今は薄いねずみ色のものがそのうち白いフンワカしたもので覆われるようになる。  それを見るたびにもう春が来ているかとの錯覚に捉われるけれど、そういえばこの時期に猫柳の枝にもこのようなものができていたのを思い出した。

木蓮の花が咲くのは初夏の2週間ほどの間でそれまでその元となる新芽はこれからほぼ半年こうやってその2週間のために備えるのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

全国大会で1位になっていたらしい

2012年12月24日 12時31分01秒 | バンバン

突然オランダ射撃連盟から認定証とメダルが郵送されてきた。 今年のランク認定で古式銃、フリントロック・ライフルの部で一位だと書いてあるから驚いた。 地区の大会なら驚かない。 この何年かフリントロック・ピストルの部門ではチャンピオンなのだ。それもその部門の銃を撃つのが自分ひとりだから2位も居らず100点中7,8点でもチャンピオンになるという、他人にとっては何とも腑に落ちないチャンピオンであるようだ。 しかし、フリントロック・ライフルでしかも全国レベルで一位とは思ってもみなかったことだ。 メダルの裏に打たれている記録を見れば58点と出ていてこれは全国大会の時の記録でもあり、そのとき多分毎年出場している自分より遥かに成績のいい何人かが来られなかったか何かしたのだろう、それでいつも底で蠢いている自分が一位として浮上した、ということなのだと思う。 その何人かの顔が思い浮かぶ。 

競技会は日にちと射場に入る時間が予め決められておりそのとき一緒に射場に入る何人かは顔をあわせたりするものの50ほどある種目のうち自分と同じ種類の銃を撃つ人と一緒になることは殆んどないからいつも個人競技のような雰囲気の中で日程をこなしており、それでも例外は自分のクラブでそんな大会があるときに射場監視員をして、一日に7,80人ほどの参加者の銃を点検するときに自分と同じ種目で参加した人のものを見るときぐらいだ。 それでもその数はあまり多くはない。 

この10年ほど歳が重なるにつれて成績が悪くなっている。2000年ごろ一度全国大会で3位になったことがあってその時の成績は悪くなく、それが自分のキャリアの中で最高点だとおもっていたところに今回の思ってもみなかった種目での第一位だ。 これにはかなり当惑している。

カレンダー・ガールズ  (2003);観た映画、 Dec. 、 ’12

2012年12月23日 04時32分38秒 | 見る

カレンダー・ガールズ     (2003)
CALENDAR GIRLS

108分

製作国 アメリカ

監督:  ナイジェル・コール
製作:  ニック・バートン、  スザンヌ・マッキー
脚本:  ティム・ファース、  ジュリエット・トウィディ

出演:
ヘレン・ミレン      クリス
ジュリー・ウォルターズ  アニー
シアラン・ハインズ    ロッド
ペネロープ・ウィルトン   ルース
セリア・イムリー      シーリア
リンダ・バセット      コーラ
ジェラルディン・ジェームズ  マリー
ジョン・アルダートン
アネット・クロスビー
フィリップ・グレニスター
ジョージ・コスティガン
グレアム・クラウデン
ジョン・フォーチュン

99年、イギリスの小さな田舎町で世界初の“婦人会ヌード・カレンダー”が製作され、30万部を売上げ大きな話題となった実話を基にしたヒューマン・コメディ。病院の資金集めにと企画されたヌード・カレンダーの制作過程を通して、モデルとして参加した中年女性たちそれぞれの人間模様をユーモラスかつ暖かな眼差しで描く。主演は「ゴスフォード・パーク」のヘレン・ミレンと「リトル・ダンサー」のジュリー・ウォルターズ。

ヨークシャーの田舎町ネイプリー。主婦たちの社交の場はもっぱら地元の婦人会。大親友のクリスとアニーもこの婦人会のメンバーだったが、あまりにも平凡すぎる退屈な毎日に、最近疑問を感じ始めていた。そんなある日、アニーの夫ジョンが白血病で亡くなってしまう。悲しみに暮れるアニーを励ます狙いもあって、クリスは突拍子もないアイデアを口にする。なんとそれは、毎年恒例の婦人会カレンダーを製作するに当たって、今年は自分たち自身がモデルのヌード・カレンダーをつくろうというもの。そして、その売上げをジョンが世話になった病院に寄付するというのだ。最初は誰も相手にしなかったが、徐々に有志が集まり始め…。

以上が映画データベースの記述である。 オランダで女性をターゲットにして番組編成をする民放テレビ局で観た。 理由は贔屓のヘレン・ミレンの名前がテレビガイドに出ていたからだ。 この間、といっても8月の末にミレンが出演する作品を観たのはコメディーしたての「グリーンフィンガーズ (2000)」で、その印象を下のように記している。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62900688.html

本作の出来は上記のガーデニング物語とあまり変わらないものの、ミレンの役はこちらのほうが颯爽としており、他の女性を引張っていくところは変わらないもののここでは屈折したところも見せるという役割だけれど、彼女にしてみればコメディー仕立てであるから軽く流す、といったところだろうか。 本作でことに嬉しかったのは何年か前に歩いたイングランド北部、ヨークシャーの田舎の景色がふんだんに見られたことだ。 見晴らしのいい田舎はまことに気持ちがよく、そこに点在する村々の佇まいは質素ながら美しく、いかにもイギリスの古いかたちがそのままある、という印象を受けた。 それがこの物語の要点でもある。 田舎がそのまま昔ながらの豊かな田舎として在る、というのは外見的にはあってもその中で暮らす普通の現代の生活というのも一方にある。 戦後、交通、メディアの発達で都市と田舎の生活距離は飛躍的に縮まったが田舎には昔ながらの伝統を守るということもあって、それが近年教会離れということの中でそれに準じる田舎ではまだかろうじて残っているらしい婦人会ではどうなるのかというのがこの作品のテーマでもある。 師走に入りクリスマスが近づくとどの局、どの国のテレビ編成も家族、地域、異なった人たちの絆を深める、というような趣旨の所謂「フィーリング・グッド」映画やチャリティーの資金集めの番組を流したりするのだが本作はその典型的なものでもある。 話は少し異なるけれど、昔自分が子供の頃アメリカの中学校や高校でチャリティーのために女子学生が何ドルかでキスをさせる、ということを聞いて驚いたことを思い出す。

プライベートなことを少し切り売りしてそれで集めた金は浄財になる、ということらしい。 こういうことが日本であり得るのだろうか。 裸を晒す、ということについては疑いを持たないし、若い娘がAVで自分の求めるもののためにキスから遥かに向こうに行ききった行為をして金を得る、ということが異常ではなくなっている社会である。 彼女らがそれを浄財として何かのチャリティーに寄付するという話はそれを自分個人の宣伝材料にするというのを別とすると、そんな例を聞かないのではないか。 そういうことからすると現代日本では本作での婦人会での良俗、裸を巡るドタバタは、こんなことで問題になるのか、とも、ハリウッドで経験した彼女達のことを日本の熟年婦人会会員たちに起こったとすると、日本でならもっとあざとくメディア攻勢が始まってそのうち飽きられてすぐに消えてしまうにちがいない、というような声が聞こえてきそうだ。

イギリスBBCテレビを長く観てきてそこに登場する様々な映画、シリーズ、コメディーで登場している中年以上の女優達がここに揃っていることを嬉しく思う。 本作と絡めて想う事がある。 ヘレン・ミレンが過去に残したヌード・カレンダーなどというものが存在しているのだろうか。 もしあるなら60年代にそういうこともあったかもしれないとも思う。 そのころ少年の自分は二-ル・セダカ唄う「カレンダー・ガール」に惹かれ、彼女はそのころ既にイギリスのセックス・シンボルだったのだ。 その残り香がまだ本作には漂っているような気がしたのは単なる気のせいだろうか、それとも残り香ではなく歳を経ても湧き出てくる魅力なのかもしれず還暦を越したファンには堪らないものとなっている。

クリスマスに誕生日それに正月

2012年12月22日 14時31分54秒 | 日常


義弟の誕生日だから夕食を済ませてから20kmほど離れた町に出掛けた。 家人の妹の連れ合いである。 55になったのだという。 夕方大急ぎで買い物のついでに久しく入ったことのない古いタバコ屋に入って自分の気に入りのハバナ葉巻を1本つつんでもらい義弟のプレゼントにしたのだった。 喘息もちだからもう6,7年前に葉巻は止めた。 けれど未練はあって自分が吸えたらいいなあと思うものを日頃葉巻を吸う義弟にプレゼントした。 さて、自分にはクリスマスや正月、とりわけ誕生日がなぜ目出度いのか分からない。 おめでとうというしそう言われれば有難うとこたえる。けれどなぜそれが目出度いのか自分でははっきり自覚していないというか分からないのだ。 

もちろん小さいときはそういう日を待ち望んでいたけれどそれは自分の欲しいものがもらえ少々普段より旨いものが喰えるというような単純な理由からであり、それは正月でも同じ事だ。  他人が目出度いと思うのは納得できる。 しかしことは自分のことになると分からなくなる。 実際の望むものは簡単には手に入らない、とそういうことを人生で学び、それは普段の生活の中で手に入るように務め、誕生日にクリスマス、盆に正月はそれとは関係のないことなのだと思うようになり、そうするとそれは何なのだろうかと思案する。 成人だから他人の誕生日、クリスマス、新年などにはそれを祝うふりを上手にするくらいの世知はついていて自分のこととなるとこういう年中行事には最小の努力でやり過ごそうとする。 これらは行事なのだ。 だからそれが行事だったら普通にこなさなければならない。 そのように過ごしてきた。

義弟の家でトイレに入って壁をみると今はもう18になった一番下の甥っ子が4つ5つのときに幼稚園で描いたと思われる絵の下に一年365日が曜日抜きに月ごとに一覧表になったカレンダーが張られておりその中にこの家族、友人、知人の名前がそれぞれの誕生日の日付のところに書かれている。 全部で150人ぐらいだろうか。 大抵はそれぞれの日の夜にその家にちょっとしたプレゼントをもって出掛け、大抵8時ごろから12時ごろまでのパーティーで過ごす。 そこにはカップル、夫婦で出掛けるのが普通だ。 このカレンダーにはうちの家族4人の名前があり、家人の兄弟、その連れ合い、それぞれの子ども、孫たちの名前もある。 この150人の誕生日全部にでかけるとなるとほぼ二日に一度ということになり、そうなると日常生活は送れなくなり、当然のこととして「端折る」こともでてくるし、我々の家族のように一年で一度天気のいい夏の一日、ガーデンパーティーで家族全員の誕生日を一緒にしてしまう、ということもあるから実質出かけるのは7,80回ほどなのかもしれない。 一週間に一度、というところか。 それでも多い。 ここに書名前が書かれているというのは近い関係であって毎年これが続くということだ。 それを続けていくということが市民生活の大事な部分でもある。

そのカレンダーを後にして15人ほどが集う居間にもどると取りとめもない話が続いており、これはこの25年ほど変わらぬ風景だ。 子供達は大きくなりそのうちその友達が横にいて知らぬうちに別れ別の顔が現れ結婚し、子どもが出来、我々の年代のものでは連れ合いと死に分かれたり離婚、再婚があり、上の世代のものが一人欠け、二人欠けるというような風景だ。 

それでもここに今いるとしてそれを目出度いというのなら分からぬでもない。 けれどそれで充分なのだろうか。 

クリスマスがそこまで来ているんだなあ

2012年12月21日 11時17分27秒 | 日常

雨がしょぼしょぼ降っている。 昨日も一昨日もこんな天気の中、外へでるのが億劫で家の中にすっこんでいた。 しかしそんな中でも日常のことはしなければならずポンチョを被って自転車で町に出た。 今年の仕事は全て済み一月の中ごろ日本から帰ってくるころまですることは何もない。 だから何日か前にこの何年かで初めて自分からいいだし屋根裏から組み立て式のクリスマスツリーを下してきて居間にしつらえた。 飾りは家人がやった。 そとから帰ってくると色のついた電球が灯っていてこの10年以上味気のない単色の電球だったものが急にクリスマスツリーに相応しいカラフルなものになっているので驚いたのだが考えてみると去年だったかそれまで長く使っていたものが一つ切れ、二つ切れしていよいよ連鎖反応で三分の一ほど点かなくなっていたので新しく買い換えたのだった。 それもツリーには長年の単色電球だということに慣れていたのか新しいものに買い換えたということを忘れていた。

毎週水曜日の夜に通りの角までゴミのコンテナーをごろごろ引張っていき、木曜日に回収車が来るから空になったものをその日の午後遅くうちにガラガラ引張って家までもって帰る。 茶色の生ゴミのコンテナーとプラスチックなどのごみをいれた緑のコンテナーの二つがそれぞれ隔週このルーティーンで行ったり来たりする。 毎年、市の衛生局からこの地区のゴミ回収カレンダーというものが配られてきて、もう20年以上木曜日が回収日であることと緑と茶色が隔週になっていることは変わらないものの実際今週は茶、緑のどちらなのかはカレンダーを見て確かめその週の色を水曜の夜に引張っていくことをしているのだが、どういうわけか今年はそのカレンダーが手元にない。 郵便ポストに入っていなかったのか、入っていたとしてもそのあと誤って他の紙のゴミと一緒に棄ててしまったのか分からないけれど、とにかくない。 市のホームページを見てもそのようなものは出ていないし、だからといって取り立ててそういうものがなくても先週どちらを持っていったのか思い出せばいいだけの話だ。 コンテナーの蓋をあけて詰り具合をみればどちらかが分かることだ。 一年で50回ほどする日常のことなのだが時にはどちらか判断がつかず100mもない角まで手ぶらで出向いて行って色を確認してから戻り、改めて向こうに並んでいたものと同じ色のを持っていくということを2,3回やった。 けれどこれももうすぐ終わり、来週あたり市から来年の新しいカレンダーがポストに入るに違いない。 そうするともう迷うこともなく毎週のルーティーンが自動的に、ひっかかることもなく戸惑いもなくスムーズに行われることになる。 

一年で50回、20年やっているのだから1000回か、だけど950回は迷わず、迷ったのは2,3回なら、、、、とどうでもいいようなことを思いながら角まで空のコンテナーを取りにに薄暗い中歩いていくと昨日の夜には10以上並んでいたものが今は二つだけしか残っていなかった。

ジュニア・ウエルズはずいぶん久しぶりだ

2012年12月20日 14時00分11秒 | 聴く

先日BBCテレビを観ていて、ローリング・ストーンズがもう半世紀ほどロックをやっているらしく、その関連かその特集の Crossfire hurricane というドキュメンタリーを放映していた。 我々の世代はフォークからロックの興隆期に育ち、そのころ友人はストーンズ、自分はビートルズという風に過ごしたのだったけれど、自分はジョージ・ハリソンとジョン・レノンが贔屓で、自分のビートルズはグループが解散したときで終わり、甘く口ざわりのいいマッカートニーはあまり得意ではなく、結局今残っているのは飄々としたリンゴ・スターとソツのないマッカートニーだけだ。 それに比べてストーンズは健在だ。 ミック・ジャガーの元気さはまともではないほどだ。

だが、そんなドキュメントを本気でもなく眺めていてふとテレビガイドを見ると、その後、それに続いて1981年にシカゴのブルース・ラウンジでストーンズが地元のクラブに飛び入りした態でそのセッションに参加するという40分ほどの録画ヴィデオが放映されると書かれている。 それに出演するブルースマンの名前を見てこれは観なければと冷蔵庫からビールを持ってきて深夜、テレビの前に座り直した。 

学生のころジャズ喫茶でレコード盤を回していた。 そこにくる連中の一人が金をもっており自分のブルースのLPコレクションをもとにしてそのころそういう喫茶店でよく見られたアルテックA7というスピーカーを買って自宅をブルース喫茶にしたのだった。 理由はジャズも好きだけれどブルースの方がもっと好きでその町にはジャズ喫茶は3,4軒あったけれどブルース喫茶というのは一軒もなかったからだ、とその男は言った。 その男を通じてブルースのことがちょっとわかるようになり、シカゴブルースが自分に合う、とおもうようになり、マディー・ウォーターズ、バディー・ガイはもちろん、とりわけジュニア・ウェルズの歌唱とブルース・ハープが気に入りになった。 だからLPターンテーブルが消える3,4年前まで2年に一度ぐらいはバディー・ガイとのシカゴ・ブルース・バンドのものを聴いていた。 テレビでは時々マディー・ウォーターズやバディー・ガイの映像は見られるもののジュニア・ウェルズの方はほとんど登場せずこの放映には喜んだ。

テレビガイドのクレジットには

Muddy Waters And The Rolling Stones; Live at the Checkerboard Launge ,
with Buddy Guy, Junior Wells and Lefty Dizz

とあり Lefty Dizz という長身痩躯のギターマンはしらないけれどやたらと派手でチューニングのおかしいギターで前にでようとする。 初めミックジャガーが呼ばれ狭いステージに登場してウォーターズ先導でブルースをやり、徐々にキース・リチャード、ロン・ウッドも出てきてギターを手にする、ということになるのだが場はここでの縄張りをとりしきるマディー・ウォーターズがこの人気グループをも気にしつつ自分達のペースでやる、といった構成になっている。 81年当時、このセッションで一番印象的だったのはブルース・ハープでブルースを歌うジュニア・ウェルズだった。 その後、90年代。2000年代になってバディー・ガイの新譜は何枚か手に入れたけれどジュニア・ウェルズはどうだったのだろうか。 何れにせよ突然シカゴ・ブルースバンドが見られて驚いたがとてもうれしかった。