暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

日常生活に軟着陸

2013年01月31日 01時10分52秒 | 日常
2013年 1月 31日 (水)

一昨日の夜、イスタンブールからスキポール空港に戻ってきたとき向かい風に煽られたのか飛行機が着陸の際、ドスンとかなりの衝撃があり軟着陸とは言えない様なものだったのだがそれもやり過ごしこともなく荷物が廻ってくるベルトコンベヤーでかなり凹んだスーツケースを二つ拾い通関を何事もなく抜けて誰も待つことも無い通路からすぐ駅に降り、電車に乗れば只3時間ちょっとだけの空の旅であり、その前の三時間ほどをイスタンブール市内のもう慣れたエジプト・バザールを歩いただけなのに疲れが出ていた。 

自分の駅前に車で迎えにきていた息子に荷物を預け彼が後部に荷を放り込んでいると、パパ知ってるかい、今日ベアトリクス女王が退位を発表したよ、と少々興奮気味に言う。 それはこの何年も噂されていたから今更驚くこともないのだがなぜ今の時期なのか、ということが車中の話題となる。 別段健康上の理由でもなく、去年の冬オーストリアの保養地で雪崩に巻き込まれ植物人間状態になった次男のようすも退位の理由にもならず、憶測では今年か来年にはオランダ近代王制200年の年にあたり、また75歳という区切りのいい年齢ということと皇太子の娘三人にもそろそろ手がかからなくなってきているということも理由にもなり、女王の母親の誕生日、4月30日の女王の日にその式典があるらしいとのことだ。 自分がオランダに来た1980年のその月、4月30日にベアトリクスがユリアナ女王から王位を継承したのだから自分にも一つの区切りになるような気がするが、それでそれがどうした、と言われればそれは何でもない。 そんなことを話しているとこれでオランダに戻ってきたという気分になる。

簡単な遅い夕食を摂った後、眠気が襲ってきた。 イスタンブール滞在中は殆んど12時には就寝していて8時に起床という規則正しい、自分の日常である夜明けに就寝、正午前に起床と言うパターンは消えていてまっとうな生活リズムだった。 それは毎日何キロも歩きまわり食事をしサウナや風呂のあとビールを飲んでベッドに横になっていると自然とそうなるということで自宅の生活パターンからは程遠い例外的なものだったのが自宅に戻ってもまだ習慣化されたまま、眠気が襲ってくるというわけだ。 テレビを見る気にもなっていない。 昨日、帰宅の翌日もほぼ同じく8時に眼が覚め、はて何をしようか、そうか今日は仕事があるのだったと午後から仕事場に出向き、日頃顔を合わさない同僚たちとも夏までの打ち合わせをし、夜にはこの3年ほど頼まれて教えている日本語の個人教室に出かけたからその疲れもあり10時に帰宅してからはビールを口にすれば今までのパターンがまだ続いていた。

今朝は早朝トイレに行った後寝床の中でぐずぐず読書をしたり i-Pad mini の You Tube で古い時代劇を観て過ごしているともう昼を廻っていた。 茶碗2杯分ほどの白米を解凍し卵かけ飯にしてキムチと味付け海苔で昼飯としてビールを飲んだ。 そのあと雑用をしているとそのうち陽も傾き、食事当番だったことに気付き今はもう手袋も要らない外気8℃に自転車に乗って近くのスーパーに出かけるのに近所の通りまで来ると、これでやっと日常生活に軟着陸したような気分になった。




イスタンブールの旅 (1) ボーイング737-700

2013年01月30日 01時12分42秒 | 日常


イスタンブールへ8日間行ってきた。 正月4日から10日間日本へ里帰りし、オランダに戻って一週間、その後8日間のイスタンブールの旅だったから何だか妙な気分だ。 それぞれその場所に落ち着いたかと思うと次の場所に移動ということの繰り返しだったからだ。 日本往復では400人ほどのKLMジャンボ機だったものがイスタンブールまでは通路を挟んで三人掛け23番までの140人ほどの小さなKLMボーイング737-700で、行きの4時間ほどは今まで経験したことがないほどの機内温度で外気マイナス5℃ほどに慣れていた身体には暖房を止めてくれと言いたいほどだったのだがそれも着いてからの何日かが15度ほどにもなる陽気に見合う通過儀礼とみれば納得の出来ないことでもなかった。

出発前夜までの積雪のこともあり飛行場まで高速で行こうかそれとも積雪で混乱する朝のラッシュアワー時を避けて確かな電車で行こうかと迷いネットの情報から飛行機が飛んでいることを確認して電車で行くことにして息子に駅まで送ってもらったのだが駅の方が混乱していた。 間引き運転に加えて自分の乗るはずの列車が来ない。 15分ほど待ったのだが来ないのでプラットホームに溢れる乗客たちも電車を見限ってか駅を離れるものも見られ息子に電話し再度車で今度は高速をスキポール空港に向かった。 空港についてボードを見ればイギリス、アイルランド方面は全て欠航、その他は遅延という風になっていて結局3時間送れて飛んだ。 とにかくやっと飛んで安心したもののこの狭い機内に押し込まれた乗客たちはすでにかなり疲れていた。

明るいうちに着くはずのものが飛行機が高度を下げイスタンブールに着陸するころには既に暗くなっており、眼の下にはビーズを散りばめたような町の光が見えるその手前の水の部分がボスポラス海峡のはずだ。 イスタンブールがどういうところかも知らず、これがただ結婚25周年の祝いにもらった旅だったから、そこがどんなところか見当もつかず、ただそこがヨーロッパとアジアの結節点であることとヨーロッパ中にいる移民のうちでモロッコ人と並んで多いトルコ人の国だというくらいの知識しかなくどのように8日間を過ごすかも全て家人まかせだった。 

明日の朝はこの雪で陸、空の交通渋滞だといっている

2013年01月20日 23時37分23秒 | 日常

午後から細かい雪が舞っている。 夕方家人が軽く積もった雪を箒で掃いて庭に通路だけつけたのだが夜になって裏庭をみればもうそのルートの跡さえ見えなくなっている。 天気予報ではこのまま明日の午後までこういう風で、そうなると鉄道、高速道路、空路に混乱が出る、と言っていた。 

明日から8日間、家人と二人でイスタンブールの町を見物する予定になっている。 昼前にスキポール空港を発って4時間弱でイスタンブールに着くことになっているのだがこの分では飛ぶのかどうかも怪しい。 オランダ国鉄からメールが入り、明日は見込まれている雪のために通常の運行を間引き運転で行い、それでも遅延することもありえるからそのつもりで、という報が入っている。 もし明日、飛行機が飛ばなければ明後日に飛ぶとして計画が一日短くなって7日間となる。

自分の乗る飛行機がキャンセルになるというような経験が無いからもう今から空港での混乱と手続きの煩雑さのことを考えるとうんざりしている。

正月明けから日本に10日間、オランダに戻って1週間、そして明日から8日間のイスタンブール、忙しいといえば忙しいけれど特に感慨はない。 

こんな粉雪の舞う夜は家族で鍋

2013年01月20日 18時41分36秒 | 日常

オランダは日中マイナス5℃だった。 おまけに粉雪が舞ってそれがまだ明日一日続くと天気予報では言っている。

こんな日の夕食は普通、体が温まるもの、例えばスープやシチューなどもいいのだが、それでも食事の空間全体を暖めてゆっくり家族で食餌をするのには何と言っても日本の鍋だろう。 ヨーロッパではこのような鍋の伝統は無く、昔はそれこそ囲炉裏に吊るした大きな煮込み鍋からそれぞれ皿に取って喰うような仕方があって、台所兼食堂などは大きな暖炉の火で暖かかったのだろうけれど今はそれもなく、せいぜい思いつくのはスイスのホンデュぐらいなものだろうか。 あれにしてもアルコールランプのような小さな火でテーブルの中心に置いたあまり大きいとも思えないような丸鍋に溶かしたチーズや油を入れたものに各自パンや肉、野菜などを浸して食べるもので鍋のグラグラ熱気の上がるようなものでもない。 

肉屋で豚の赤身をハムを削ぐ機械で薄く削いで貰った。  こちらにはハム以外に普通の肉をこのように薄く削ぎ切る習慣がなく、時には初めて入った肉屋でこれを説明しても経験が無ければ断られることもあり、我が家ではもう何年も慣れた肉屋で主人に今日はNABEだから、といって削いでもらう。 SUKIYAKI の時も同じようにしてもらうのだがエドは私の場合、NABE というと豚肉、 SUKIYAKI の場合は牛肉と心得ている。 

材料の主要なものは白菜と大根だ。 これらが無ければ鍋はやらない。 青空マーケットでまずそれを確保して太いニンジン、ネギ、生椎茸にライムを二個、ポン酢もあるけれど趣向を変えてライムも加える。 残念ながら菊菜や水菜はない。 中国食材店で次回のため北海道の昆布を籠に入れ、水槽から木綿豆腐よりこころもち固めの豆腐を掬い、ポン酢とゴマダレの壜も籠に放り込み雑炊代わりの生うどんのパック入りも忘れない。 ハルサメはみつからなくて残念だったけれど家にはまだ七味唐辛子はあるはずだ。

買い物に行く前に土鍋に水を張って昆布を浸しておいた。 流し台に買ったものを並べこれから準備に入る。 二十歳を越した息子と娘を含め親子四人で豚肉が800gなら十分足りるのではないか。 そとは粉雪でもこんな食事の終わり頃には子供達は暑いといってT-シャツになるのが見えている。

凍てつく土曜日、青空マーケットに行く

2013年01月20日 10時44分42秒 | 日常
外気マイナス3度の午後、土曜のマーケットに夕食の鍋の材料を買いに行った。 陽が射す青空の見える天気だから気持ちがよく、人出も多かった。 陽射しがあっても凍てつくような温度だからテントの店が続くところを歩いていると足の下から冷気が昇ってくるようだ。 ひごろはテントの庇だけの店の連なりがこの時期だけは庇の先からビニールの膜のようなものを垂らし壁のようにして内側をヒーターで暖めているところが多い。 野菜の買い物を済ませていつものカフェーに入ると今日は肥った女将さんがおらず若い者がカウンターの内側にいたのでいつものように何も言わずともビールが出てくるということがなく、ちょうど都合がよかった。 というのはこんなときはビールというよりジンで身体を温めるのが一番でショットグラスを一つ頼みそれをひっかけてまた外に出た。

古いCD/DVDを売る屋の主人と話していると今の若い者にLP回帰が起こっているようでこの店ではCDは売れなくなって古いLPばかりが求められている、という。 実際、我々が話している15分ほどの間にも20代の若者が何人もLPを選んで買って帰るのが見られたからそれも幾分か納得できた。

魚屋がいくつも並んでいるところに行くとそこは相変わらずテントの垂れ幕もなく外気がそのままで威勢のいい売り声がかかっていて、そこはオランダの新鰊の品評会で一番となった店だ。 モロッコ系の従業員ばかりが沢山働いている。 鰊を調理する女性が何人か鰊の腹を裂いて内臓を取り出し水で身をきれいにして並べているのだがさすがにこの寒気の中で仕事をするのに厚着をして着膨れした姿を見せている。 鰊を処理するその手際のよさには驚かされ、そばで売り声を張り上げる男も、この美人たちはオランダで一番仕事が速いカミサン連中だと囃し立てている。 この人たちは10月3日のこの町の祭りの朝にも市が市民に無料で配布する鰊を今と同様に調理する人たちに違いなく、その手際には淀みが無い。

普通ならここで4匹ほど買って半身づつ8枚、甘酢に漬しておいて夜中にワサビ醤油に白米で酒を飲むのだが来週月曜から一週間家人とトルコのイスタンブールに行くので今日は見るだけにして帰宅した。 イスタンブールではどんな魚介類が食べられるのか楽しみだ。 

写真を撮る女性たち

2013年01月19日 11時53分58秒 | 日常



雪の中、自転車が使えないので歩いて仕事場に行く途中幾つかのことに気がついた。 この冬初めての積雪だったので道をゆく人達も珍しさも手伝ってかあちこちの冬景色を楽しんでいる風でもあり、日頃とは違った雰囲気でもある。 その中で、歩いていると物珍しい雪景色にカメラを向ける人たちが見え、取分け女性でカメラを手にあちこちにむけてショットを狙う姿がよく見られる。 

携帯のカメラを使って写真を撮るのは近年普通の光景ではあるのだけれど、それ以上の本格的なカメラを手に持って写真を撮る女性が増えてきているように感じる。 実際、もう殆んど技術的に行き着いたのではないかといわれるようなカメラ業界では最近は女性にターゲットを絞って販売戦略をたてる、といったようなこともどこかで聞いたことでもあり、そういうことでは本格的なカメラで写真を撮る女性が増えているのは確かなことのようだ。 もうほぼ半世紀ほどカメラを手にしているものからみればカメラ、メカ、男、というような構図が優勢だったものがここ何年かで写真の風景の中にカメラをもつ女性の数が増えているのを実感として経験している。

我々の若い頃には電池の力を借りずに全て絞とシャッター速度だけでフィルムに像を残し、暗室でそれを現像、印画紙に焼き付けるということをしていたものが今の写真技術だ。 音楽でLPからCDに変わったときにちょっと抵抗したがすぐになしくずしにCDに呑まれてしまったのと同じようなことが写真でもデジタルになったときに経験していて、今ではもうフィルムの時代は遥か過去のセピアトーンになっている。 今これらの技術に支えられ驚くほど簡単にカメラを扱えるようになった中で女性がここに大きく参加するようになったのは大歓迎だ。

古来、平安時代からなになに日記、というようなつれづれの思いを記してきたのが女性で、男性とは違う感性で日常のことを綴ってきた歴史がある。 日頃の何気ない風景を残すのが日記だとするならば意識するかしないに関わらず写真でそれをする女性が増えているということだろう。 男の文体、女の文体があるように写真にもそれがあるのではないか。 それを見てみたい。 けれど今、目の前の雪景色のなかで運河と古い建物に向けてカメラを向けている若い女性に見せてくれということはしたくてもしない。 

腰が痛いのに雪かき

2013年01月18日 15時37分03秒 | 日常


せめて人の通るところだけでも何とかしようと雪かきをした。 ぎっくり腰のとば口にい続けているのに家の前の舗道と、物置から庭を通って表に抜けるだけのせいぜい幅50cmほどの地面を確保するためにプラスチックのスコップと箒でなんとか時間をかけてやり遂げ、汗も流し、冷たいビールで一服したのだが、その時またぞろピリリと腰の痛みがもどり、まるでサルのように腰を落として背を上にソロソロと歩く始末だ。

裏日本というか日本海側の豪雪地帯の雪かきにくらべるとこれは雪かきと言うより耳掻きだ、といってもいいほどのものだが今まで健康だったものが寄る年波からこのようなちょっとしたことで痛むざまでピーピー言っているのだから、秋田や山形で屋根が落ちるのを防ぐのに一所懸命に雪かきをしている年配の人たちの苦労にくらべると何のこともない。 けれどなんとも口惜しいことだ。

ポカポカの日本から戻ってみれば雪

2013年01月16日 21時52分21秒 | 日常
2013年 1月 15日 (火) 雪

前日の午後スキポール空港に着いた。 12時間ほどの空の旅には少々疲れ、それは去年と同じホテルで去年はそこにあるジムで靴を持っていなかったからトレーニング出来ないのを残念に思い今回こちらから持って行ったトレーニングシューズで何日か毎日2kmほど動くベルトの上を時速7.5kmで走りその後サウナで汗を出し人が働く時間にゆったりと外を眺めながら大きな風呂に入っていたのだけれど、それが少々はしゃぎ気味だったのか体重の増えたことに無頓着だったからか腰を痛める結果になり、ぎっくり腰の入り口辺りをうろうろと徘徊するていたらくだった。 これも身から出た錆、サウナの後の冷水を浴びるのは気持ちがいいものの年寄りの冷や水、この痛みが帰りの機内でジクジクとしたのだった。 けれど戻った空港で機内から運ばれた自分の27kgとなったスーツケースを取り出し持ち上げるときには何ともなかったのだからそのときにはもう大分ぎっくり腰ゾーンから離れていたのだろう。

この時期に日本からオランダに来る人たちは機内の日本人の数からすると驚くほど少なく、荷物を乗せたカートを押してガランとしたホールを税関の最後の関門を抜けるとそこに家人が待っており、そのまま空港の大ホールで電車の切符を買い地下のプラットホームに下りれば5分ほどでハーグ行きの電車が来てそこから15分ほどで自分の駅に着き、そこに待っていた息子が運転する車で家に向かった。 電車がスキポールのはずれから地上に出たときにちらほらと白いものが舞っていた。 スキポールに着陸するときに雲のなかから鉛色の中、スムーズに降りたボーイング777の機長を上手だと評したのは一つ座席を置いて窓際に座っていた40前の脂がのり始めた日本の大企業の駐在員で年間160回以上飛行機に乗っているからその経験上これほど上手な着地は少なく、この機長は軍のこのような大型機でよく訓練された人なのだろうと言っていた。 そのときはただの冬の曇り空の中でもうこの狭い空間から開放される喜びで一杯だったから気がつかず、そんなものかと思っただけだった。

行きも帰りも機内ではスコッチを飲みながら映画を幾つか見ていて興奮もあったのか眠らなかった。 だから家に戻ってそのまま荷物を解き家族それぞれへの土産を渡し、旅の話を様々にして過ごし夕食を摂った後にはどっと眠気が襲ってきて、それに堪らずそのまま寝床にもぐりこみ眼を閉じると訳もなく沈み込んだ。 次に眼を覚ますと夜中の3時で便所に行って戻ると再びそのまま眠りに沈没した。

朝、眼を覚まして驚いた。 積もっている。 この分だと欠航はなくとも遅延だったり悪く行くと他の空港に回されるかもしれない。 例えばブリュッセルなどに下されてそこから電車ということも考えられる。 道路の交通は大分遅れるかもしれないからバスでは帰れない。 と、そういうことを思うと昨日戻ってくることができて幸いだった。 実際この日のニュースでは交通網の混乱は大きく、渋滞は合計1000kmの大台を越して新記録だと言っていた。 そして早くも温度よ下れ、氷よ16cm以上になってこの10年行われていない国民的行事である自然のなかでの200kmスケートマラソンを待ちわびる人たちの話がそろそろ盛んになってきていることも添えられていた。

朝食を摂った後、職場に出かけるのに雪かきが出来ていない町を自転車で走るわけにも行かないのでデイパックを背中にウォーキングシューズで1.5kmほど離れた自分のジム所まで歩いて行ったときには外気マイナス5℃の空は快晴だったから昨日の鉛色の世界と違い気持ちが良かった。 夜には20kmほど離れた警察署に出かけて銃砲所持許可証の延長のため書類をそろえて出向かねばならず、そのためには車も必要でスコップとブラシで丸く白い車の雪を下さねばならなかった。 前日息子が運転していたからバッテリーは大丈夫だったけれどこれからは2日に1度はエンジンを温めたほうがいいと心した。

このように、10日ほどの温暖な大阪滞在中は一度も降雨にも逢わずコートも要らないところからこのようなところに来ると別世界に戻ったのだと自覚する。 これに慣れるには時間がかからなかったものの、この10日ほどの日本滞在中にあったことを反芻する時間も余裕もまだない。 去年の夏のバカンスの後にしたように少しずつこれから記して行こうと思う。