めっきり秋らしくなり日中気温が15℃ほど、夜間は10℃を切るような時雨の混じる湿った日々となり予定のないものには自然と家の中に居て何やかやと蠢いているのだけれどそれでも一日に一度ぐらいは外の空気を喫おうと庭に出るとゴミのコンテナーの傍にハイビスカスが咲いている。 5月の終わりころからこの仲間である芙蓉が町のあちこちで背丈ほどの塔を立て花を咲かせているけれどこれは塔は作らず葎は薄い石楠花のものに見えなくもない。 夏のイメージの花が寒くなり始めている今の時期に咲いているのは何か場違いでこんな花が亜熱帯から寒帯に突然迷い込んできたような印象さえ受ける。
この何週間かシリア、アフガニスタンからの難民がドイツを目指して民族の大移動の態をなして北上し、すでにこの数か月にはトルコに200万人が住みそれに加えてこれから何か月かで200万に追いつこうかと言う数がハンガリー、セルビア、クロアチア、オーストリア、ドイツと迫り、昨日などはその先陣がオランダにも届いている現在、今更言っても何の解決にもならないのだが大まかに見てその責をこの何十年もにも亘る大国の世界戦略の結果と観るのが後世の判断であるのだろうけれどそんなことは歴史家に任せておけばいい、それどころではないと EU はその対応に躍起になってはいる。 けれど基本二十数か国の同意を得ての対応でなければ動けない大所帯であるから周辺国、EU友好国は悲鳴を上げ混乱しそれに対するEU官僚組織の対応の遅れが課題となっている。 緊急の課題は迫りくる冬をどうするのかと言うことだ。
彼らが移動する地域はこれまでアフリカ、アラビア、中東からの難民、移民が比較的暖かい地中海を渡ってきたのと反対に今は寒冷の地域でありそろそろ雪の心配もあるところとなっているのだが命を懸けて沈むような船に押し込まれて地中海の外れを渡り彼らがそこを目指してきたのはEUの防波堤がこの地域に弱点があったからだ。 そこにシリア、アフガニスタン、北アフリカなどの難民が雪崩れ込み、ドイツ首相の人道主義的受け入れ声明がそれに拍車をかけたのだった。 人道主義からとはいえそこには強かな計算があって、老齢化が進むヨーロッパ各国には歴史的に俯瞰しても絶えず移民が必要だと言う意図が底流にある。 ヨーロッパの歴史は太古から移民の歴史でありそれを塩梅して様々な国家からそれを纏める統合地域国家となっているのだからそれは例えば現代のローマ帝国とでも言えるものかもしれない。 当時は奴隷があったとはいえ市民社会で奴隷にも市民になる機会はあり2000年前のローマの市民には今難民たちが移動する国から来てローマで財を成したものたちの名前が多く碑に見られるのだから歴史は繰り返されているのだろう。 というより絶えず世界は流動しているといってもいい。 だから今EU内ではローマ時代にしたとのと同じく正確にその動態を把握するべく彼らの登録に躍起になっている。 けれど実際に紛争国から逃げて来るものはIDを敢えて旅で無くしたり身の危険を感じてパスポート、写真の類を持たずに移動する者たちも多くそれをどのように遇するのか、戦争、紛争が理由で身の危険がある難民なのかそれとも貧しい自国からよりよい生活を求めて移動する経済移民なのかの判断がネックでもあり、それに対応する法制度、移民管理に関わる人的資源が圧倒的に虚弱であるということが混乱の理由にもなっていてこれはEUの比較的安泰の国にとってはもはや対岸の火事ではなくなっている。
オランダは移民の国であり例えば17世紀には画聖レンブラントの育ったライデンの町は町の人口の55%がフランス・ベルギー北部のフランス語圏で栄えていた繊維産業のプロテスタント達が宗教により追われたことで難民になっていたものが逃げてきたことで主なものとなっており彼らの技術と人口が地元の産業に貢献し大航海時代の海外進出とともにその後の所謂オランダの黄金時代を築くことになるのだからメルケル首相の難民歓迎の言には繋がっている。 だからメルケルのブレインにはしっかりと歴史を見据えて国益及びEU益に繋がる算段が見える。
このようなことを考えるのは自分の周りには今ほどの量ではなくともこの20年以上にわたって様々な地域から避難してきた家族があちこちに住んでいるのを日常的に見てきているからだ。 子供たちの友達家族にはセルビアの戦争で命からがらボスニアから逃げてきてその家族は世界中に今でもバラバラとなっている。 この間まで新聞配達をしていた若者は小さい時にソマリアから逃げてきてもう20年以上になる。 さまざまなオランダ語のアクセントの中にはそんなものも聴こえ、まだ慣れないものは英語、現地語が行きかう言葉だけれどもそんな言葉を含めると日常どんな言葉が聞こえるかと言うことだ。 こんな国では合法に移入してきた者には人権が保障されそれぞれの能力に応じた経済活動を各自行う権利が限定的にせよ保証される。 紛争地域と認定されたところから逃げてきて戻れば身の危険があると認定されれば難民扱いとなり保護されるべきだと言うのが一般の扱いである。 だからその紛争地域を安定させることが難民をなくすことになるというのが解決策であるのだが世界政治が絡むと上手くいかず、紛争国の一方、及びイスラム国を名乗る軍を空爆し、というような案もあるけれどいまのところそれには近過去の歴史の教訓からは安易に手出しをできない状態だ。 そんな中で難民、流民が寒くなる今バルカン地域に押し寄せているのだ。
考えてみれば自分自身にしても結果として移民だ。 世界市民というような浮ついた意識で銀行口座に何年も住めるだけの額を持ち、大学の助手という形で1980年に招かれて来たのだから地元警察のビザ交付の際には他には列を作り何時間も待つ欧米以外の外国人の列を横目にそんなことを数分で済ませていた。 日本と言う国は先進国で、ヤクザか国際テロリストでない限りは何の問題もなく、今から考えると当時の牧歌的ともみえる移民政策の現場でも嘗てはオランダ語が語源の世界に悪名を響かせた「アパルトハイト」の国で名誉白人という「栄誉」を浴していた日本人なのだからそれ以外の難民・移民の状況を初めて横目に見た体験だった。 それが今はその何万倍にも届くというような状況なのだ。 一年に一度のそんな警察詣りは何年続いただろうか。 日本人が少ない所だったからそんな人間は珍しく、言葉の分からぬ日本人の運転免許証の翻訳をも頼まれ幾つかしたこともあり、また担当職員が日本を訪れた経験もあることから自分に対する待遇とその他の移民に対する態度の違いに驚いたりもした。 それが日本と言う国の位置を示していたのだった。 その後地元の国家公務員という職を持ち一定程度の税金を何年も支払い続け、それだけで永住権が得られるのに現地人と結婚もし、地方選挙参政権を与えられ地元の政治に意見を反映させる市民となっている自分は、元々何処へ行こうが何処で野垂れ死にをしようが構わぬ遊民のつもりの若気が家庭を持ってみるとそこに住み着いて移民というカテゴリーに納まっていたのだった。
今そんな離民・難民の報道をメディアで日常見てきて今回少々驚いたことがある。 テレビに出る今までの難民の殆どが現地語か旧宗主国の言葉でしか話せなかったものがここに来て俄然英語で流ちょうに話すものの多かったことだ。 そんな彼らが皆、ドイツ、ドイツと言いながらもドイツ語を話すのを殆ど聴いたこともなく、だからメルケル首相ができるだけ早く流入する国の言葉をと遠回しに英語でなくドイツ語を習得しろ、と言っていたことだ。 この20年ほどで増えてきているといってもドイツやフランスでまともな英語を話せるものは大人では中産階級に限られているように思う。 若者には若者特融のコミュニケーション能力をもっているのだから片言以上の英語で話せはするだろう。 自分にしてもオランダに来るまでは英語で仕事をし30歳でこちらに来てからは今更新しい言葉を習得するというのは頭にはなかった。 35年住んでこの7,8年だろうか、ジョークの一つも言え何とか支障なく話せるようになったのは。 それも子供が出来たからの結果でもし子供がいなければオランダ語を習得していなかっただろうし話せてもそれはカタコト外人でしかなかっただろう。 言葉とはそういう側面もあるのだしオランダはオランダ語が話せなくとも英語で物事は支障なく過ごせるけれどただそうなるといつまでも外人でしかないのは日本と同様だ。 それに比べて日本に行く欧米人からいつも聞かされるのは、意思の疎通に困る、オランダ語は通じないことは当然でそんな人がいれば奇跡に等しいのだけど英語が普通に話せる日本人が殆どいないのには驚くということだ。
日本は英語が話せなくとも支障のない島国なのだから国外に出なければ問題はない。 国際化、国際化とこの30年言われてきたその結果がこれだ。 言葉は世界の窓を開く鍵だ、と言われる。 その鍵が日本では利かないということだろう。 日本の扉を開ける鍵を作るのは楽ではない。
難民たちの英語を聴く経験をし、情報を携帯で瞬時に交換し、金や物を持たずとも情報源となる携帯だけは話さない難民たちの姿を見て新しい形の流民なのだと実感した。 当然メディアのレポーターたちは一番通じる言葉で情報を収拾しようとそういう混乱の中でインタビューするのだからその結果英語の達者な30歳前後かそれ以下の男女がテレビカメラやマイクの前に現れるのだがその中には建築家、小企業主、公務員、研究者、医者であったり知識階級の人間が多く、ドイツまで身の危険を冒して運び屋に100万円近い金を積んで脱出するのだからその国では貧民ではなかっただろう。 そういう者たちが次代の人的資源になるのであるのは歴史にいつも現れているのでありその卑近な例は東西の壁が崩壊以後の旧東ヨーロッパの国からの移民でありそれは自分たちの周りに多くいて経済基盤を支えつつあるのは自明である。 うちの何軒か先にもそんなスラビック系の言葉を話す者たちがこの何年か住み着いているのだが果たして彼らはここに住み着くか稼いだ後はポーランドに戻るのかどうか皆興味津々に眺めているところでもある。 かれらの多くは自国に家を持ち賃金格差、生活格差による差益を自国に持ち帰るのが当初の目的だったのだから着の身着のままで避難してきた今の人々とは違う。 人口の動態にはこういう背景を含みすでにこの中に高齢化社会の不足労働力を補う策も長期的に見て組み込まれている。
高齢化社会の労働不足が深刻になってきている日本にはそのような移民政策はマイクロスコープの下でしか見えない形でありここでもガラパゴスの態をなしているようだ。 先日覗いた中央公論では東京都が高齢者福祉では破たんしていると言うことが細かなデータによって示されていた。 ロボットですぐに解決できるというような能天気な幻想は既に霧散しているのにその策は明確には示されず首都がこれだということはこれがそのうち全国規模になるということだ。
EUに流れ込む難民のことから日本の移民政策に話しが飛んだ。 遠隔地の火事の火の粉は徐々に流れているのであり、それとは別にここではすでに別の問題から足元から燻っているのをそれを感じない振りをしているのかどうか、その反応が些か遅すぎるようにも感じるけれど日本は今ヨーロッパのすることに眼を据えて学ぶ必要があるように思う。 今から50年後の自分がこの世からはいない日本がどうなっているのか興味があるのだがそれは今の二十歳になるかならないかというような若者の肩にかかっているように思う。