
自分の人生に幕が下りようとしている現在、先ほどまで熱にうなされ汗びっしょりになったパジャマを家人に換えられるのをうつらうつらとやり過ごしたあと何時間か居眠り、そんなこともあったのだろうかと夜中に目覚めれば久しぶりにすっきり頭の中は覚醒していた。 これならパソコンの前に坐れると息を整えブログにもらった知人たちへのコメントもし、まだ幾つかこれから載せようとしているモノクロポートレートの写真を眺めてもいた。 すると自分がなぜこの1年ほどそれまで撮れなかった人物ポートレートを撮ろうとしていたのか分かった。 分かったといってもそれは今更のことでもないのだが改めてそのことを実感した、ということなのだ。
初めてカメラを手に取ったのが父からもらったトイカメラでそれは6つぐらいの時だっただろうか。 神戸摩耶山頂とパラソルの母親の写真を撮っている。 どういう訳か母親の顔はなくパラソルの縁と母の胸元が上辺に見える。 そのことをここにも載せた。
https://blog.goo.ne.jp/vogelpoepjp/e/5590d99adbe8331d93820265e2ef5ded
それから高校・大学と写真部に所属した。 大学では写真・芸術・世界観などについて少しは学んだがそのときの様子は上記のサイトに少し書いた。 けれどポートレートについては触れていない。 受験・大学進学と自分の興味は社会や世界がどのようなものでなりたっていてどのように動いているのか、というような漠然としたものに向いていた。 その骨格としての法律というものを学べばそれが解明されると思っていたふしがある。 大学に入るとすぐに教授が我々に、君たちのように世間も何もわかっていないものが法律の骨だけを知っても何の役にも立たない、法だけを学ぶのであればその骨のまわりの身にも血にもなっている人々のことを先ず知らねばそれはただ死んだ勉強でしかない、法は成文法である、だから法律書に並んで古今の文学を紐解きそれに親しめば法律理解にも深みが出るだろうと言われた。 そして自分の乱読が始まった。 高校の教師が言った、悪書というものはない、何事にも目を開きよく見て読み、自分の頭で判断する、するとそこに一定の判断がついてくる。 すると悪書といわれるものが何故そう言われるのかが理解できて、そのとき悪書は単なる悪書でではなく理由のともなった自分を豊かにする読書体験材料となる、という言葉も乱読を後押しするものだった。 それ以来乱読は続いている。
ポートレートである。 高校・大学と写真というものについて多少は齧ったものの殆どが町のスナップショットだった。 当時我々が尊敬していた写真家たちのスタイルは概ね承知していたしそれを真似て撮ってもいた。 「雰囲気」である。 そして写真の中に在るもの、そこに写っているものの意味を考え討議する。 当然そこには町や景色だけではなく人々も入り、ポートレートも含まれている。 けれど人物ポートレートというものは一つのジャンルとして出来上がっていたように思う。 例えば家族が写真館にでかけて記念のポートレートを撮る、パスポートや自動車免許証用に撮った写真もそのようにいえるかもしれない。 写真館の前にはそういったような写真が並んでいる。 それを前を通る人々は立ち止まってじっくり眺めるようなことはあるだろうか。 顔を知られた有名人や飛び抜けて特長をもつ顔でなければ一瞥の後には忘れ去られることとなる。
ここまで書いてからほぼ一週間が経った。 この間容体が悪化してベッドから2mのところにあるパソコンにむかうことができなかった。 まだ自力で4mむこうのトイレにはよちよちあるきで通っているものの消耗が激しくベッドに戻るとゼーゼーと息を整えるのに5分はかかる。 じぶんの寿命もほぼ尽きかけているのを実感する。 本来ならば推敲しちゃんと終わるつもりだったものがもうその時間もないように思うのでここでこの項は中途半端ながらこのままにすることにした。
要は、じぶんの命がもう長くないと悟ったときからそれまでできなかった人物ポートレートをこの1年ほど始めて、街頭の人々を中心にほぼ250人撮った中で、自分は人が好きで興味があったんだなあ、と実感した、ということだった。
もうひとつ今日これに関してうれしいことがあった。 ほとんど膈にちに救急医療チームを呼ぶ。 今日来た看護人の女性はうちに来るのが2度目で自分のブログを見たと言い、日本語は分からないもののポートレートに印象付けられた、できれば撮ってもらいたいと言われたのでベッドから彼女ともう一人の男の救急隊員を撮ったのだった。 命の終わりにこういう風に言われたのに意外な嬉しさを感じる。 これで後5枚ほどここに挙げなければ収まらない。 隊員達にも言ったのだけれど、あと4、5日の命だとして約束はできないということだ。 現にこの文もパソコンからではなくベッドの中でiPadから慣れないまま不自由しながらポツポツと打っている。