暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

家人が午前、タチアオイを植えた

2008年03月31日 23時59分31秒 | 日常
土曜の午後起きたらユトレヒトの息子の部屋に行くはずの家人が午前中に物置の隅にタチアオイを植えたそうでそれを眺めていた。

息子が遅く起きたので午前にガーデンセンターで買ってきていた植木の鉢を5つレンガ数個分の土に移植したのだと言う。 タチアオイは十年以上も前に義弟が種を持ってきてくれそれ、以来、何もしなくても毎年あちこちに大人の背丈よりも遥かに高くて大輪の美しい花を咲かせているのだが、果たしてこれも今までのように大きくなるのだろうか。 もしそうなるのならその時には添え木か壁に釘を打ち付けてそれに長い茎を縛らねばならなくなるのだろう。 それにここは毎日物置から出入りする自転車が通るところとなっているので葉が大きく広がると困るのだがそれはそのときのことだ。 ここは日当たりがあまりよくないので背丈より高くならなくてひ弱なタチアオイとなるかも知れず兎に角どのようになるか興味が湧く。

シャワーを浴びてさっぱりした息子が運転する車で出かけ家人は半日、勝手知ったるユトレヒトの街で息子の部屋を見て必要なものを買い、夕食はどこかのレストランで二人でデート気分でディナーを摂るのだと言っていた。 娘はボーイフレンドのところで夕食を、だから今晩在宅は私一人だけになり、今日、肉屋でシュ二ッツェルを買っていたものの、マーケットをあるいているときそこで見た水気の多そうな大根に惹かれて献立が決まった。 白米、大根おろしに鰹節、エリンギともヒラタケともいえそうなオランダでoesterzwamと呼ばれるキノコを、大蒜の入れたたっぷりとしたバターで焼き、塩胡椒だけで蓋をして蒸し、ソテーにしたものをメインに、苺をデザートにと、菜食の献立を決めその材料を買った。

買い物から帰宅して午後3時から4時半まで子供達が所属する近所のホッケークラブで他の親と一緒にバーキーパーをしなければならなかった。 小さな子供から年寄りまで男女合わせて1000人以上いるクラブだから持ち回りのこの義務は、この前は2、3年前だったように思う。昔、子供達がまだ小さかったときは試合は午前中で、もし11時ごろから午後2時ごろまでのバーマン・シフトだったら何十人といる小学生レベルの子供達に圧倒されるのだが3時からだと客も落ち着いて急ぎもせずゆったりとできるから都合がいい。

義務だとはいえ、バーマンを勤めたご褒美にビールを何杯か飲んで歩いて帰宅してラジオをつけ、先ず大根を下ろして夕食の準備に入った。


ウィキぺディア; Althaea rosea(タチアオイ)の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%81%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%A4
同じくヒラタケ、エリンギの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%82%BF%E3%82%B1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AE

ヘンク爺さんのハンバーガー

2008年03月30日 21時22分48秒 | 喰う

この20年ほど古式銃射撃をやっていて南ホランド州にある様々な射撃クラブを巡って年間7,8回トーナメントをするのだがそれぞれのクラブにはバーがあってそこで飲み食いをすることになる。

日曜が競技日なのだがそれぞれのクラブに車で30分程度走り何とか辿り着くと先ずコーヒー、そしてその日の登録、それが済んで12時に1回目の種目が始まり2種目と続けて撃てば1時をちょっと廻った頃に射場から出てきてやっとアルコール飲料が飲めて軽い食事となるのだが、どこもフリーザーから取り出して電子レンジで簡便に調理できるものをそろえていてちゃんと調理するものといえば相も変わらずフレンチフライかコロッケの揚げ物ぐらいなのだけれどデルフトのクラブでは毎回爺さん連中が交代で自分のクラブ特製ハンバーグをこしらえる。

200mほど離れた駐車場に車を停めて出るとあれ、何か匂うぞ、という気持ちになった。 それで銃二丁の入った鞄を提げて森の外れにあるスポーツクラブがいくつか並んだところに沿って歩いても鳩競技のクラブも自転車競走のクラブも閉まっていて開いているのは射撃クラブだけなのだからこの段々強くなっていく大蒜、玉葱に牛肉を脂でこってり焼いた匂いはここの特製ハンバーグでしかない。

爺さん達は朝早くから大量の玉葱と大蒜をこってりバターでいためて大鍋に取っておく。 ハンバーグはメンバーのオバサンたちがあらかじめ100個単位で調製して冷凍しておいたものを大型冷凍庫に収め、4,50個を前日に取り出して普通の冷蔵庫に移しておいた物がそのつど大型フライパンで注文に応じて焼かれる。

この日はハンバーグの下にチェダーチーズが挟まれ、上に特製ソースとマヨネーズがかけられ、その上に胡瓜の酢漬けのスライスが乗った。 私はここに来るとこのヘンク爺さんの「コレステロールにいい(コレステロール増産するのにいい)」ハンバーガーとビールで満足する。

S&W .22 Revolver

2008年03月30日 21時20分54秒 | バンバン
S&W Revolver .22 Long Rifle CTG
Springfield Mass. USA
CFB5163, 617-5


規則では、許可のある自分の銃器に使用される口径の弾薬は携帯が許されているがそれ以外のものは自宅にに持ち帰れない。 それは、練習のためクラブの銃器を使うときに、自分の持っていない、例えば32口径、38口径、それに力の強いマグナム弾などを使うような場合なのだが、練習後弾の入った箱に自分の名前を書いてクラブの保管庫にしまっておくことになっている。 練習の22口径は安価でもあるのでしばしば用いる。 22口径はオリンピック種目などで用いられる小口径で、実用的ではある。
 
日頃、大口径の44口径を黒色火薬で撃つので衝撃はともかく煙と音は大きい。 この日、自分の9mm弾が保管庫で見つからなかったので22口径の弾を持って係りのところでクラブの銃をピストル、リボルバーのなかから丁度そこにあったものを選んで射場に出向いた。

S&Wのリボルバーはこの形では最もポピュラーなものだろう。 しかし、その使用する弾丸にさまざまなバリエーションがある。 今日のこれはその中で最も口径が小さいものだ。 これまでに45口径や38マグナムなどを経験しているが、大口径のものと比べてもリボルバー自体は殆ど大きさに変化はないようでシリンダーに弾丸を込めるときに蓮根状の穴の小ささを認識するとともに逆にこの弾の小ささに比べて全体の大仰にも思える銃の重さに少々ちぐはぐなような思いもする。 発射したときの反動も音も小さい。 

多分、自分の経験と偏見から小口径とこのリボルバーの組み合わせにそのような気持ちになるのだろうが、もし口径を22と決められたら私はこの重いリボルバーよりは計量で小さいオートマチックピストルを選ぶかもしれない。 そういう理由でこの形では32とか38口径に人気が集まっている理由も理解される。

元旦と夏時間

2008年03月30日 11時33分13秒 | 日常

ほぼ毎日ブログ日記を書いていてそれを毎日載せる訳ではない。 読んだもの、見た映画、展覧会に喰ったもの、などなどについてあちらこちらに完成させないで放ったままになっているものが多く、たまに書きかけのものを辿ってみると随分前まで戻る事となる。 そう思ったのは正月のブログを載せていなかったことに気が付いたからだ。 

それに考えてみると今年はこれを書いている今、3月30日の早朝2時が来るとやっと夏時間に戻る、というか、なる、ということに相なってこれで丁度正月から一年の4分の1が過ぎたということになる。 夏時間というのは日本と8時間差がある冬時間から7時間差に変えることで、時計の針を1時間早めて午前2時を3時にする。 丁度その時間になって10分経った。 携帯、デジタル、目覚ましに腕時計の針をそれぞれ1時間進めなければ翌朝から様々に不都合なことが出てくる。 明日は日曜日で大抵は皆急がずゆっくりする休日なのだが私は12時から25m古式銃の競技会で2種目に30分づつ射場に入らねばならない。 だからこれに遅れないよう時間のターゲットをあわせなければならないのだ。 つまり10時半に起きるということだ。 今日、土曜日は午後の3時に目を覚ましたのだから10時半起き、というのは少々辛い。ま、それはそれとして。

2007/2008年の年越し、大晦日の日記だ。 これに適当な写真が見つからないのでオランダの年越し蕎麦に相当するオリーボルと呼ばれるボール状のドーナッツの写真を添える。

英語版ウィキペディア、Oliebol の項
http://en.wikipedia.org/wiki/Oliebol

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大晦日の喧騒の中で飲み食いに忙しく年越しの瞬間はブラウン管から微かに流れてくるオランダ2007年ヒットパレードを聞きながらトイレで過ごしてしまった。 運が悪い。

そのときふともう40年以上も昔、級友から聞いた、「元旦や餅で押し出す去年糞」というバレ句、川柳を思い出したのだが、そこから出て、居間から窓越しに爆竹、花火が飛び交う外をシャンパングラスを手にした兄弟、友人、知人に加わったのだが義弟のうちでのこのパーティーももう20年近く続いている。

顔ぶれも来る者去るものも少しはいるものの概ね変わらず歳を重ね自分達の年齢の者には違いがあまり感じられないものの、しかし、そこで元旦午後に毎年撮ってきている記念写真を見ると明らかに子供達の育ち方の速さに驚く。 そういえば義父母にしてもひ孫がもう7人になっているのだからこれから徐々に家族内でのベビーブームが来ても不思議ではないと感じた。


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もっと色々書きたかったから放ってあったのだろうがそれが何だったのか思い出せない。

パッションフルーツ

2008年03月29日 11時21分06秒 | 喰う
還暦も目の前にちらちらしだし、その兆しを食欲で感じることがある。 3つ4つの頃は胃腸が弱くて親が心配したと言われたのだが物心ついてからは至って健康、食欲の衰えたことはない。

農家で育ったものだから食料はほぼ自宅の田畑、親戚から廻ってくるもので間に合っていたし、小学校を終えるまでは毎朝鳥小屋に入っていってまだ暖かい卵をとってきてはそれと炊き立ての飯、1月の終わりか2月ごろ自宅で毎年作った味噌の汁と一緒に摂るのを日課にしていた。

体調の基準は食欲があるかないかで食欲がないのは一年に一度か二度ほどだ。 風邪で寝込むといっても食欲は衰えない。 けれど還暦が目の前にちらついてきた今、食欲はともかく食餌の量がそろそろ減ってきているように思う。

大抵、夕食の後はフルーツ入りのヨーグルトか何かを混ぜたカスタードプリンのようなものをよく摂っていた。 それでなければグレープフルーツのようなものを一つ摂っていたのだが、それもこのごろ胃に重く感じるようになって最近は蜜柑一個かパッションフルーツ一個を半分に切ったもの二つで充分だ。

それに香りのいいパッションフルーツはそれだけで食事の脂や満足感をさっぱりと流して爽やかにしてくれるのでここのところ気に入りの果物だ。

さすがに輸入物で木や蔓から熟したものをもぎ取った、というわけにはいかないものの買ってきてから表面に皺が少しできるまで待って二つに断ち割る。 完熟でもなくまだ緑色のところがあっても南国の爽やかな匂いが自分の鼻腔に漂って甘味のある酸、少量の実でも満足する。


ウィキぺディア、パッションフルーツの項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84

AK 47

2008年03月29日 09時38分25秒 | バンバン
雨の降る夜、アムステルダムのジャズライブに行く予定だったのだがその気も雨で削がれ夕食後、自分の射撃クラブに出かけたら何時もなら充分ある駐車スペースが50台ほどの車で一杯で脇の路肩に停めようと思って動かしたらこの雨で緩んだ所へ右前輪がぬかるみに落ち込み1250kgのブジョー406のステーションワゴンがニッチもサッチも行かなくなった。 そこでクラブハウスで我が爺さん仲間四人に運転する自分の前で車体を持ち上げてもらってそろそろ後退して何とか事なきを得た。

クラブハウスに戻りそれぞれにつまみと飲み物で礼を言い、さて、今日はどのピストルで練習しようかと考えていたらヘンク爺さんが、おい、いいいいライフル買ったぜ、と囁いてきた。 まだ金払ってないんだけど来週ちゃんと手続きして自分のものになるんだ。 役員のヤンの持ち物だったけど、まあ、ちょっと今までの道楽から方向変えだな、という。

ヘンク爺さんはこの40年ほど古式銃専門にデービー・クロケットの風貌そのままにその時代のアウトドア・ライフをずっと再現していてオランダでは面白くないとドイツの森でずっと野山に泊まりこみ1600-1700年代のアメリカワイルドライフを数寄者達とわいわいやっていて、武器はおろか料理、道具、野原のあれこれについて生き字引だ。 70も半ばに届きさすがに重いものはきつくなったのか日頃の競技会にはもう長く長銃は撃たず25mの部で1870年ごろのアンティーク短銃にだけしぼっていい成績をあげている。

そういう爺さんに興味が湧いてそれが入っているバッグをヤンに借りて作業室に持っていき、開けて驚いた。 AK47じゃないか。 カラシニコフだ。ほぼ毎日報道される中東紛争に登場するものだ。 今日も8時のニュースに映っていたはずだ。 オランダの法律では自動小銃として連続発射は認められていないからシングル・ショット仕様だ。

ヤンがこの2年ほど使っていたもので新品、中国製だ。 この銃の歴史は長く世界で一番多く生産されている銃ではないか。 ベトナム戦争ではアメリカ軍、コルト社のM-16に対抗したものだったのではないか。 それが今現在も中東で銃口から硝煙を昇らせている。 M-16はそのスマートな形に似合わず、メカに弱いところがあってベトナムでは事故で自国の多くの兵士を死なせたとディスカバリー・チャンネルでその軌跡を見たことがある。

比較的シンプルなメカと安価な材料で大量生産されたカラシニコフは砂、水、などの武器にとっては敵である過酷な環境に強いゆえ中東、アフリカでは今でも現役である。 こういう武器は旧東欧、中国で大量生産されて紛争諸国に供給される。 中国のそれら地域での商法の荒っぽさは今の世界秩序にはそぐわないと強い批判がでたのはついこの間だったのではないか。 それが目の前にあり、手に取ってみればすんなりと照準も合わせられるけれど、普段アンティーク、古式銃ばかり弄んでいる者にはこれは少々生臭いものだ。 何かを射止める機能なら同じじゃないかと言われるけれど私はこういうものはどうも好まない。

我々のクラブでは50mだけしか試せないがそのうち100m、300mと他のクラブで試すのだと言っていた。 何十発も入った弾倉を装備すれば軽く5kgは超えるのだからこういう生臭い玩具を70も半ばになって弄ぼうというヘンク爺さんの心変わりは那辺にあるのか今度聞かねばならない。


ウィキぺディア AK-47の項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/AK-47

De Pianoman

2008年03月27日 12時44分28秒 | 読む
日本では誰も読まないだろうということを考慮して粗筋を記す。

自分の読書メモであり、粗筋の間に沢山詰まった血肉にこの人の文芸があるように思う。 第一章での起爆力がそそった。 この地方に嘗て住んだ経験から村人の様子が目の前に浮かぶようである。 多分舞台を1990年代前後に設定しているのだろうが村と都市、特に日頃アムステルダムに繁く出かけるものには両方に住んだ経験からして主人公の大都市経験が新鮮である。 

枚数の制限があるのだろうがこの3倍ぐらいの量であれば女教師の内面、父の言動、主人公のジェンダー、精神病院での医師達の分析、主人公の音楽に対する考えなどが深められたのではないかと想像する。北部の州、何もない農村には主人公のような青年がまだまだいそうであるし、現在都市部で問題になっていて日常メディアをにぎわす世界的な青少年問題にここでは一切触れられていないところにこの老作家のスタンスが感じられる。



題名; De Pianoman
著者; Bernlef

オランダ語 89頁 小説

2008年

ISBN 978 90596 5062 6

表紙; 「農家」  Willem van Althuis、 1978


1 11p 主人公の誕生と両親のこと、言葉少ない昔の日本の東北の農家に比べられる生活、村の様子が一クラス20名足らずの村の学校に都市部から越してきた女教師とのふれあいでそうでなくても口の重い地方の、特別口数の少ない主人公がこの教師とのふれあいでピアノが言語となりえたいきさつ、高校を卒業してすぐ近くの自転車のタイヤ工場で働き、ある日突然有り金の500ユーロほどをポケットに家出、アムステルダムへ

2 5p アムステルダムのダム広場でイギリス人の体を緑色か銀色に塗って日がなストリートパーフォーマーとして放浪する女性と知り合いユースホステルでアメリカ人男性二人の車に同乗してパリへ

3 3p 教師が家出の噂を聞き両親のところへ、ところが両親はとりあわず警察へ行くが警察でも両親の捜索願が出さなければ駄目だと突っ放される

4 12p 12p パリへ行く途中のガソリンスタンドでの性的初体験。そこで自分のゲイ素質を確認する。 ストリートパーフォーマーは姉的存在

5 3p 女教師の村での教師生活に加えて町の教育学コースで知り合った男との関係

6 4p 主人公、パリで勝手知ったるストリートパーフォーマーの様子に同行し、言われるままに金を使い彼女に付いてカレーからドーバーに向かうが税関を通過して出たとたん有り金、パスポート、一切合財を持ち去られたことに気付く。

7 11p ドーバーの大型トラック駐車場でヒッチハイクし北の町に行くからと運転手に載せてもらいその運転手の最終地で下ろされる。 遠浅の海岸に繋留されているが今は引き潮で歩いていける船に一泊、翌朝海岸を歩いているときに警察に保護される

8 4p 警察の聴取があるが主人公のことについては本人が一切反応しないため情報が得られず何か精神の異常、もしくは何らかのトラウマのショック状態なのだろうと診断され精神病院へ、そこで約4週間滞在するも本人が唯一興味を持ったものがピアノであったためDe Pianomanと呼ばれる

9 3p 精神病院も余分な患者を持ちかねるものの警察に返しても警察の管轄ではないと押し付け合うのだが、そこでの一人の看護婦が音楽が鍵になる、というコメントがこの本の結節点だろうと推測する。 地元の新聞でこのことが記事になる。


10 4p ある日、地元の新聞に嘗て自分の村の卒業生が今、イギリスの施設にいて謎の人物のピアノマンであることを校長が読み、すぐさま女教師の下へ、

11 6p 女教師精神病棟に赴き主人公を確認、会話がある。 ヒースローに向かう車内で父の死を知らされる

12 4p 初めての飛行機、自宅に戻る前に女教師の家で同居する男友達に会いストリートパーフォーマーに続いて裏切りを味わう
  
13 1p 工場では興味本位な同僚に言葉少なに接し日常に戻る。 父の溺れ死んだ堤から水面を眺める

14 1p 母に徐々に失踪中のことを話し始め、この村で母親を養っていく、語ることの救いを無意識に悟り始める




おまけの本を読んだ

2008年03月27日 01時52分39秒 | 読む
日頃あちらこちらと気の向くままに読み齧りの本が多い中、この間、息子の新しい部屋を訪れがてらブラブラ歩いたユトレヒトの本屋で読書週間中のオマケとしてもらった本を今日読み上げた。 ブラブラと歩いていてもらったのだからブラブラとゆっくり一回に一章づつ読んだ。

実を言うと、これはこのオマケをもらうのにわざわざ一冊本を買ったというような経緯もある。 自分でお金を出した本もオマケも二つともジャズがらみの購買なのだ。

その日は駅の近くの美しい郵便局の建物でバスの回数券を買い、建物内部の写真を二三枚撮ってそこから小さな路地に入りジャズ専門のCDショップで自分への土産を買いその路地を出たら本屋があった。 なにも予定もない、さっき授業に向かう息子と別れ家に戻るにしても早すぎる、夜中までこの町で遊ぶつもりもない、とすればそんなときには手っ取り早く時間をつぶすには本屋に入るに限る。 古本屋であればもっと都合がよかったのだがここからそこまではちょっと距離があったのでこの本屋に入ったというわけだ。

新刊書の書店はがさがさして何か落ち着かない。 けれど、積み上げてある本の中にこの間テレビのトークショーで「老い」「記憶」というような今年のテーマについて話していた老作家がそのときの様々に年代の違うゲストと創作と記憶、虚と実の混交、それに実生活での現実との対比、というような面白い話題を話しているのを思い出し、そういえばこの作家が今年の読書週間の書き下ろしオマケ本の作者だったと思い出したのだ。

雑誌ではなくちゃんとした本で12ユーロ50セント、約1500円分の詩や小説の類をこの期間中に買えばもらえるし、今年はその本を持っていれば期間中の日曜日はオランダの鉄道が只になり、ジャズのライブが電車の中でもある、というような全国を挙げてのキャンペーンだと本屋のオバサンに知らされた。 雑誌を買ってオマケをもらおうとしたらちゃんとした本を買わないともらえないといわれそれじゃあ、と詩人、小説家でこのあいだアルトサックス奏者、Benjamin Hermanの新しいCDの中で詩の朗読をし、旧式のタイプライターを叩いてリズムを刻んでいたRemco Campertの「悪魔の心(心臓)」という本を買ってやっとオマケを手に入れたのだ。 このCDはCampertの人となりについてのドキュメントフィルムのサウンドトラックとして製作されたものでその中で詩人、作家は特にこのサックス奏者の音楽を指定した結果の作品だった。 

それにもう一つ、このオマケ本の老作家、Bernlefのハードカバー本のタイトルが「Pianoman]だったからで、時々その作家をライブハウスで他の年寄り達の間に見て、若いときから続けた「老癖」はなかなか死なないな、と感じたこともあり、また、この作家のピアノマン、というタイトルに惹かれたからでもあった。

ではなぜ、ピアノ弾きとか他のジャズにからんだ言葉をつけないのか、とも想像したのだがけれど、あまりジャズの中にはまり込む話では新鮮味もないし、全国の老若男女に向けての書き下ろしなのだから、一般読者向けには馴染まないからなのだろうと想像し、話の展開を楽しみにそのまま学生がたむろするカフェに入り、街の象徴、ドムタワーが見える窓際に座りジンと大きなコーヒーを注文し読み始めた次第だ。

その夜、家に帰りニュースで同じくオランダ語で書くベルギーの作家、ヒューゴ・クラウスが安楽死で逝去したと報道されていた。 この人もオランダ文学の巨匠でオランダ語で書かれた作品ではもっともノーベル文学賞に近い人だと言われていたのだがこの何年かアルツハイマーを患っていて本人の意思で自分の命を終わらせたと言われている。 図らずも今年の読書週間のテーマの一つである「老い」「記憶」と作家活動の一つの解決法を示した作家のこの世との決別の方法だった。

このオマケ本について書くつもりだったがそれまでの前置きが長すぎた。 次の機会にこの本について書く。




春の雪 (2)

2008年03月26日 07時13分01秒 | 日常
昨日に続いて寒い。 日頃は目を覚ます時間ではないけれど8時半に起きて車の排気ガスの浄化装置というのかなんというのか、そういうものを修理してもらうのに9時までにガレージに持ってきてくれと言われたので罅の入ったパイプがものすごい大きな音を立てるのに、ひょっとして途中で落ちないかとびくびくしながらそれでも1.5kmほど車を運転したのだが、そういえば寝ぼけ眼で車に入ったとき目の前が白くて見えなかったのでワイパーをかけてサラサラの雪を掻き落としたのだった。 べとべともしていなく簡単に払い落とせた。 そして、道路の上には別段白いものが積もっている様子もなかったのだが、カーラジオの道路情報ではオランダ全国の交通渋滞の総キロ数は880kmで1990年以来の停滞だ、と言っていた。 けれど、それは大抵大都市の周りの高速道路で地方の道ではどうということはないのだろう。 現に、わたしの走るところはなんともないしのんびりしたものだ。

年々人は通勤時間のラッシュにイライラし、今日のように3cmほどしか積もったか積もっていないかのような雪でもパニックになるような現象が起こるのだという。 車間距離を充分とらずのろのろ運転の途中でだれかが急ブレーキをかければスリップし、たまらなく追突しまい、あげくその処理のためにあちこちで停まって互いに保険の書類をダッシュボードの底からガサガサ取りだし、携帯で保険会社と警察に電話をかけ、事故確認のために交通警官を待ち、、、というのだが警察なんかこういうときには来ない。 そうすると880kmの渋滞になるのだ。 朝7時前にうちを出ても昼前に職場につければいい方だ、と夕方のニュースで言っているものがいた。 

それもオランダだけではなくドイツにベルギー、オーストリアなどあちこちの隣国で玉突き事故が起こりレッカー車がてんてこ舞い、全壊した車を査定するために一時保管しておくスペースが取れないほどだ、というようなことも言っていた。 しかし、それは通勤に通う幹線道路だけのことで我々のように昼前にに起きてよたよた自転車で通うような人間にはまるで実感のないことだ。

ガレージに持っていけば、夕方出来上がるから、と言われ車の後ろに積んであった折りたたみの自転車を組み立ててそれに乗って家に戻るときにはさすがにこの寒さに堪らず、手袋をつけねば走れなかったほどだ。 ほんの10分ほどのことだったけれど戻ってからの暖かいコーヒーがありがたかった。 明日もこういう天気が続くそうだ。

トイレのタイル

2008年03月25日 02時36分15秒 | 日常
先日知人の誕生パーティーに家族で招かれてそこの家族、友人を交えて30人ほどが居間で何時間も色々と話に花が咲き、途中飲み食いがあるから当然皆生理的欲求を催すわけで、各自そこの便所を通う事となる。 面白いのはそれぞれの家のそういう小部屋にはそれぞれの意匠があり、当然その家の家族全員を含めて誰にも訪れられることを目的としているからどこにも共通したものがある。

休息部屋、という風にも言われるから躾中の子供やハンディを負った人以外は大抵一人で用を足しながら暫し瞑想にふけることもあるだろう。 家事の合間に一息入れて読書、という人もあるようでこの家の人もそういうことをするようだ。 新聞、雑誌に、当然大抵の家にあるようなカレンダーがかかっていてそこには家族、知人の誕生日が生年とともに記されているだろう。

私の親戚のカレンダーにはどこにも自分の名前に生年月日が他の親戚縁者、彼らの知人に混じって記載されており、これが親戚付き合いの一つの指標となる。 ああ、この人たちの誕生日にはその家のパーティーを訪れて、、、、ああ、この日に生まれたのだったら皆週日は忙しいから大抵週末の午後か、いや、土曜の午後は皆走り回っているから昼はない、金曜日の夕食後の8時半頃から12時ごろまでかな、、当然興が乗れば2時3時だし、日曜の夜なら大きなパーティーだろうな、仕事を持っているなら日曜夜は2時3時までは無理だろうし、、、という具合だ。

年寄りたちはもう何十年とこういうことをやっているから自分達で静かに午後のお茶の集まりにして簡単なツマミものでおしゃべりに話を咲かせ爺さん連中はその間で黙っているか時々何かのジョークを言って笑わせたり男同士で病気の話に夢中になるのだろう。 好きなものは適当にアルコールを摂り、とそういう時には娘達や孫達が爺さん婆さんの間を縫って世話をするということも普通だ。

年寄り達の何かの記念日であれば大きくパーティーが子供たちの手で組織され、町のレストランとかホテル、公民館でなされるのだろう。 年寄りたちは大抵、子供、孫、ひ孫達が揃うのを喜ぶ。 年頃の子供の誕生日であれば子供たちは子供たちでパーティーをするけれど、その子供が主賓で大人たちのパーティーであることもある。 子供たちは大人を観察し、混ざり、同様に大人たちも子供たちが談笑するところで聴き、今時の子供、若者についての情報を仕入れそれぞれそれらの情報をアップツーデートする。 年寄りたちもつかず離れずの所に陣取ってそんな孫、たちが育った何代も前まで遡って色々な悲喜こもごものゴシップに花を咲かせるのだろう、というようなことを何度も経験している。

日本にいたときはこれに対応するような、親戚が交歓する機会はは冠婚葬祭、法事だったのだろうが、誕生日ではなかった。 せいぜいこの30年ほどで子供たちの親がサポートしてきた西洋流のパーティーがもとになり、そこにビジネスが絡めば話は変わってくるが、殆どが当人の世代前後だけで何世代もが一緒の機会、それも継続的にというのは稀だろう。 何世代も同じ空間に何時間もいて飲み食いを共にする、しかもそれが毎年続く、というようなことは稀だろう。 毎年同じ事を繰り返し新しくこの世界に生まれて来たものを交え、その子が誰に似ているのか、そこから家族親戚知人の話にも及ぶのだろうし、去年までそこに毎年座っていた人がもう来ることがなくなったことにも話が及ぶというような具合だ。 私は現にこの間、義弟の誕生日の集まりで彼の初孫を見たときにはその赤ん坊が25年程前に見たその母親とそっくりだったことに驚いたし、その自分にも驚いた、という経験もある。 毎年同じところで同じような事を話すその年月も少しづつ変わったこと変わらないことがあり、毎年同じということはない。

何故こういうことを書くのかというと全てはこの家の小部屋のタイルに16世紀以降のタイルの意匠に嵌められた様々で古風な性交の様態がを見たからだ。 ここに座り、立つ人々は老いも若きもその交接の意味を暫し様々に考察するのだろうし、それがこの家の主人の意図でもあり、アルコールが入ればこれにちなんだ話に皆色々な花を咲かせることとなるのだろう。

オランダは古くから寛容の国、人間の欲望に素直、様々な価値観を相対化するような歴史をもっていて性に関してはスカンジナビア諸国に並んで60年代から世界に知られた国である。 このような文化があれば大方の性意識は放埓でもなく世代を超えて開かれたものとなる。 勿論、多文化が混じるところであるからこれで全てを言い尽くせるわけでもない。 宗教的なこともあるのだろうが大らかな真実であり猥褻ではありえない。

全ての人はこのようにして生まれてきて大方はこのように再生産する。 それが人間的ということだろう。 

さて人間も動物であり、人と動物を隔てるものは何なのか、性に関して隔たりはあるのだろうか。 聞いた話では人間のみが季節を問わず発情するということらしいのだが性ホルモンが動き回る若い人たちを観察するのは楽しく、また、自分達のその頃と重ね合わせても興味深い。