散歩に出た近所の庭に陽射しの中で一際その赤と青の色が際立って見える茂みがあったのでそれにカメラを向けた。 実は青く綺麗だったのだがその実を支える枝とは言わず柄 というのだろうか、その赤が際立っていてそれが何か赤いサンゴのように見えた。
家に戻ってから名前を探すににグーグルにオランダ語で winterbessen(冬の実), Blauw(青) と並べて入れて検索し、出てきた沢山の画像の中から同じものをとりだしてみると Viburnum davidii とあった。 尚、何百と言う画像の中に検索には青と入れたのに赤の実が殆どだったのだがそれも多分「冬の実」に曳かれて出てきたのだろうがここでは青といういう制限が効いていないようにもみえた。 viburnum というのは「ガマズミ属」で「レンプクソウ科」「スイカズラ科」の属の一つとあった。 聞いたことのない名前の多い中でうちの庭にも頼りないけれど一株だけあるスイカズラが出てきて何とかとっかかりができたような気がしたのだがウィキペディア日本版で代表的な種のなかに vibunum davidii はなかった。 英版の説明では中国西部の原産、19世紀のフランス人宣教師、植物学者の Armand David に因んだ命名であると記されており、また中国版では四川省などの海抜1800mから2400mのところに自生する、ともある。 それはともあれ、こういう知識は老齢の自分には今の瞬間だけのものでありラテン名は勿論、ガマズミ、レンプクソウなども頭には残らない。 何百とある画像の中でつい最近ここに記した「ムラサキシキブ」は忘れないものの、数週間前に記して今ではもう赤い実も落ちてしまった庭の「イチイ」の名前さえ忘れてしまって自分の日記を繰りなおさなければ出てこない始末だった。 今日のこれも像の印象は残るだろうけれど名前はもう数時間後には自分の記憶から消えてしまっているだろう。 あの、あれ、それ、あの青くて柄が赤い、、、、というような、どうにもならないことになるのは分かっている。
けれど、この「ガマズミ属」の中に「サンゴジュ(Viburnum odoratissimum または Viburnum odoratissimum var. awabuki)」というのがあってここにきて何とか取っ掛かりがついたような気がした。 最初の印象である「サンゴ」が名前となって出ているのだ。 それになんとか日本名のようなアワブキまでついている。 このサンゴでなんとかこれからも正確ではなくとも似たような仲間として名前が定着するような気がする。
とはいうものの、サンゴジュで検索すると「樹」がでてきて Viburnum davidii の低木・茂みではなく、実の形も柄の様子も Viburnum davidii とは同じだけれど実の色が赤で、実も柄も両方とも赤ではなんだか絵に締まりがなく初めの印象のサンゴの枝ぶりが実の赤に押されて弱くなりごく普通のものとなる。 けれど自分が記憶になんとかこれを留められる縁になるのはこの「サンゴ」だけであるからこれにしがみつくに越したことはないだろう。 近い将来この名前を思い出すには「サンゴ」がキーワードになるのだろうがそこで行き止まりになり Viburnum davidii には届かない。 だからここに忘備録として記すのだ。
尚、viburnum「ガマズミ属」は オランダ名で sneeuwbal (雪の玉)である。 その種の一つに Viburnum plicatum (Japanse sneeuwbal)の画像があり、名前に「日本の雪の玉」とまで書かれていてその和名は「ヤブデマリ(藪手毬)」とある。 こうなるともう形は雪の玉ではあり、ほとんど紫陽花であり、それなら和蘭折衷の「日本雪手毬」とでもすればいいような気もする。 もしそうすると、雪だから白で、手毬なら色々なバリエーションがあるから白以外にも色のバリエーションがあるからこの組み合わせはどうかという者がでるのだろうか。 今時は雪にも妙な色がついたのもあるぞと誰かがいうともう訳が分からなくなる。 サンゴのような赤い柄と青い実の興味深い Viburnum davidii からほぼ紫陽花まで来てしまった。
https://nl.wikipedia.org/wiki/Sneeuwbal_(geslacht)#/media/File:023-Viburnum_plicatum.tif
散歩していて眼につくものをカメラに収めて後ほどそれが何なのか名前を探ることを道楽にしている自分の記憶の弱さは別として、ラテン名、英名、和名、オランダ名と関係を繰って辿っていくとまるでジャングルに迷い込んだようなことにもなりかねない。 互いに絡まり合った手がかりの無いような名前の中、それがちゃんと理路整然と関係を明らかにして行くのがこの場合植物学的分類作業なのだろうが、十全でないネットを手繰って素人が便利だからといって入り込むとすぐジャングルに迷い込んだようなことになり、そのうち何が何だか訳がわからないようなことになって耄碌爺さんは路頭に迷う。 若い時のように記憶がちゃんとしているのならばその記憶を頼りに後戻り、どんな脇道にもちゃんと出たり入ったり出来るのだろうが今はすぐにつかえてしまう。 若い時は今のようにこんなことに興味も時間も、また辛抱もなく、別のことに頭がいっぱいでこんな年寄りの散歩には鼻もひっかけなかったのだから皮肉なものだ。
Viburnum davidii、 Viburnum davidii、 Viburnum davidii と繰り返しても覚えるわけではなく、子供のころ英語を習い始めた時にはいちいち当時はまだボールペンもなかったときだから鉛筆で何回も何回も手書きをして覚えたものだ。 今それをやっても覚えられるとも思わないのでそれもやらず、キーボードの上でただ無駄にコピペを繰り返し中国に行ったフランス人宣教師のデーヴィッドがこの青と赤の鮮やかな低木を眺めている像を微かに定着させようと虚しく努力しているのだが、、、、。