暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ファースター 怒りの銃弾  (2010);観た映画、 Apr. '14

2014年04月30日 22時34分37秒 | 見る

邦題; ファースター 怒りの銃弾   (2010)

原題; FASTER

98分

監督:    ジョージ・ティルマン・Jr
製作:    マーティン・シェイファー、 リズ・グロッツァー、 トニー・ゲイトン、 ロバート・テイテル
製作総指揮: ジョー・ゲイトン、 ダラ・ワイントラウブ
脚本:    トニー・ゲイトン、 ジョー・ゲイトン
撮影:    マイケル・グレイディ

出演:
ドウェイン・ジョンソン      ドライバー
ビリー・ボブ・ソーントン     警官
オリヴァー・ジャクソン=コーエン 殺し屋
カーラ・グギーノ        シセロ
マギー・グレイス        リリー
ムーン・ブラッドグッド
アドウェール・アキノエ=アグバエ
ジャン・ホーグ
トム・ベレンジャー


「スコーピオン・キング」「ウィッチマウンテン/地図から消された山」のドウェイン・ジョンソン主演で贈る復讐アクション。自分を陥れ、兄を殺した者たちへの復讐に燃える男とそれを迎え撃つ殺し屋、さらに事件を追う刑事、3者の攻防がスピーディーに展開してゆく。共演はビリー・ボブ・ソーントンとオリヴァー・ジャクソン=コーエン。監督は「ザ・ダイバー」のジョージ・ティルマン・Jr。

兄とともに銀行強盗を成功させた男“ドライバー”は、何者かにアジトを襲われ、目の前で兄を殺された上、自身も命は取りとめたものの刑務所送りとなってしまう。やがて、10年の刑期を終え出所したドライバーは、すぐさま復讐へと向かい、ターゲットを確実に仕留めていく。一方、その事件を任された定年間際のベテラン刑事は、犯人を割り出すや着実にドライバーを追い詰める。また、狙われる側も凄腕の殺し屋を雇い、ドライバーの暗殺に動き出すが…。

上記が映画データベースの記述である。 オランダで「本物の男たちのためのチャンネル」と銘打った民放テレビ局のゴールデンタイムにかかったものを観た。 8時のニュースで幾つかの血生臭い紛争の様子を観た後、チャンネルをザップしたらかかっていたので観た。 テレビガイドを覗くと評価が低く、ただ出演者の名前にビリー・ボブ・ソーントンとトム・ベレンジャーの名前があったから粗筋も見ず観始めたのだがそれまでに30分経っていた。 見終わってトム・ベレンジャーが出ていたのか考えてみると分からず、見過ごした初めの30分ほどに出ていてそのときに殺されていたのか、それとも自分の観た中でメークや扮装でそれと見えなかったのか、これまで彼のこの30年ほどの出演作を色々と観てきたことから少々残念な思いがした。

初めから観るつもりがなくともその映画の流れやスタイルで面白いと思うことがある。 観始めたときに若いイケメンの男がスタイリッシュな家のなかでヨガのようなアクロバチックな動きでトレーニングしその後にベッドに眠る若い美女を眺めキスをするというようなちょっとしたコマーシャルにあるような風情が、それが二人とも有能な殺し屋であることが分かりそれならブラッド・ピット夫婦のそういう映画があったことに思いがいき、それならどうストーリーが違うのか観てみようとおもうとどうも彼らは主役ではないような気がしてくるのだった。 新人をこのような話の中でスターにすべく制作されたものも数多くあるけれど追われる男、ドウェイン・ジョンソンを見ているとどうもただの殺人犯のようにも仕立てられていないようで初めの30分を見逃しているから余計にそれぞれの役者の設定位置が定まらずストーリーのテンポのなかで分かる仕組みなのだがそれでも最後まで謎が残る仕組みになっていて凡百のアクション物のなかではよく出来ていると思った。 それはそれぞれの設定とテンポ、その場その場のカメラ、雰囲気がスタイリッシュということにも依っているかも知れない。 ストーリーはまるで違うけれどテンポと感触が昔観たマイケル・マンの MANHUNTER(1986)に似ているから本作の監督は当時のマイケル・マンに比べられるかもしれないと思った。 けれど非情、クールでスタイリッシュでならしたマンに加えてある種の情がそれぞれの登場人物にあることがマンとの相違点だろうか。 チューンアップした70年代のアンティークな車に乗るジョンソンとシルバーのフェラーリで追うジャクソン=コーエンのカーチェイスでどちらの性能、運転テクが優れているのか興に乗って車線を隔てた両者が対面しジョンソンがフェラーリのタイヤを打ち抜きそこを去る場面で思わず笑った。 B級映画としてはよく出来た作だと思う。 多分マンのMANHUNTERと同じくこのジャンルではこれからも参照されるのではないかと思う。

今ネットのどこかで見たら本作の監督は現在、ジャズの帝王マイルス・デイビスの伝記映画を計画中とあって、それが誰によってどのように演じられ、そこにはどんなジャズメンが顔を出すのか出さないのか、だれが音楽担当をするのか完成作を観るのをいまから楽しみにしている。 そういえばマイルスは赤いフェラーリに乗っていてそれが警官の嫉妬から黒人差別となるような事件があったのではないかと当時のことを思い出した。 マイルスと同じくこの監督もアフリカン・アメリカンの力を示す結果を残していくのだろうか。

今日テレビのニュースで俳優ボブ・ホスキンスが亡くなったと報じられた。 先日本作の制作年と同じ年に撮られたイギリス映画で60年代の女性労働者の男女同一賃金を勝ち取る自動車工場の労働組合の中でホスキンスが板ばさみになる役をこなした「MADE IN DAGENHAM」を観たばかりだったのだがこれでまたいい俳優が一人逝った。


今年も苧環(オダマキ)が咲いている

2014年04月29日 06時11分43秒 | 日常


先日家人が庭から手折ってきた白いオダマキの初物をここに載せたけれど今は庭のあちこちに白は勿論、薄い紺、薄い赤色のものが見られる。 苧環は好きな花なのだが今まで幾つか今の時期に撮ってきた。 例えば去年は下のように書いた。  

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/63417298.html

同じ時期、といっても今年は4週間ほど早いのだが、同じように撮るのも能が無いので新しいカメラのマクロ機能を使ったものを載せる。 面白い形のものがあったのでカメラに収めて苧環シリーズの一つにする。 今日のは開花前の芽である。 ほんの3cmほどの奇妙なかたちなのだが角の根元を蔽っている部分が花弁となって広がり、角が花ガクの先にほんのアクセントだけ残してはっ
きりした花になるようだ。 ようだ、というのは想像で実際はどうなるか知らない。 

おととい急にこの記事を書き始めたときにボロいコンピューターがへたりネットと繋がらなくなった。 古いXPシステムなので不都合が徐々に出てきているのを自覚しているから近々新しいものにするつもりなのだがへたったのには参った。 だから昨日の日記が書けなかった。 けれど今日はどうしたことか繋がったのでなんとかこれを書いている。 明日はどうなるか分からない。






ライラックが紫丁香花(むらさきはしどい)だって

2014年04月29日 03時08分40秒 | 日常

二三日外に出る事もなく、出ても脇目をふらず最短距離を自転車で走るようにしていたから日頃の通勤路に来ると急にオランダ語で sering、 一般的には「ライラック」なり「リラ」の花といわれているものがあちこちの中高木から突き出して開花しており驚いた。 日本にいるときはただライラックとかリラとかの名前だけしか聞いたことがなく何となくロマンチックな印象があったのだがこの国に住んでこれが sering(セリング)だと説明されてもそれとライラックが結びつかなかった。 それに和名を探してそれが「紫丁香花(むらさきはしどい)」などと言われてもそんな名前は聞いた事もなかったし字面からは香りの強い紫の垂れ下がる房の花、ということが想像されてるけれど白もときどきあちらこちらで見かける。 けれど特に赤味がかった紫のものが印象的だ。 学名が Syringa vulgaris だというとそれはセリングの読みに近く、ライラックやリラに繋がるようなものではない。 だから動植物の、特に植物は各国によって呼び方が違うのでとりわけ面倒だ。 自分にとってのライラックやリラの思い込みが実際にみることで崩れたような気がする。 それはひとえにこの花からはそれまで持っていた華麗なり穏やかに主張するイメージとは違い、過剰で暴力的なほどの花房の形とその花房のせり出し方だ。 これよりも大木のトチノキの白くこれまた過剰に同様なかたちの花房と相俟って先週までの桜に取って代わるようでもある。 尚、和名の漢字がどう「はしどい」と関係があるのか分からない、というより「はしどい」というのはどういう意味なのか分からない。 ここでは丁香というのがそれに当たるのだろうがそれがあて字なのだろうというのは分かるけれどそれから先が分からない。

今日は仕事があって先週亡くなった伯母の葬儀には行けなかった。 代わりに家人が彼女の母である故人の妹の付き添いで参加してそれは姑の家族が住んでいた村の葬儀場で行われ、幸い雨も降らず式は満足のいくもののようだった。 そして斎場の周りと墓場にもこの花が沢山見られたそうだ。




第1回国王の日

2014年04月26日 22時44分11秒 | 日常

2014年 4月 26日 (土)

昼を周って起き出したら今日は第1回国王の日だった。 祭日だが週末なので特別なことはないのだが祝日だから土曜のマーケットもスーパーも店は全て休みだから買い物に出かけられない。 

去年までは今のオランダ国王ヴィレム・アレクザンダーの祖母、ユリアナ女王の誕生日が女王の日という祭日で、現国王の母親ベアトリクス女王も母親の誕生日を受け継いで1948年以来ほぼ70年間40月30日が国民の祝日、女王の日だった。 だから今年初めて国王の日として以前より何日か前倒しになって祭日になったようなものだ。 けれど今日は新国王の実際の誕生日ではなくそれは明日27日であるけれど日曜日になるので振り替え休日として繰り上げたとのことだ。 

自分がこの国に来たのは現国王のの母親ベアトリクスがユリアナ女王から王位を継承した前月の1980年の3月だった。 オランダ事情を何も知らなかったのでそのときアムステルダムで王制に抗議するデモによって新女王の披露スピーチが妨げられたのをテレビで見てこの国には共和制を求める人々がかなりいるのだなと思ったくらいだったのだが実際はヨーロッパの様々な王室の中で優等生の部類に入るオランダ王室の人気は70%を越しているものと聞いている。 とりわけ現国王の妻、マクシマ・ソレギエタの人気は姑ベアトリクス女王に迫るほどのこともあり一般的にはオランダ人はオランダ王室支持とみてもいいだろう。 日本国の皇室の様子を見聞きするにつけその差を実感し、オランダ王室の開かれた王室を演出する技量はかなりのものだと思う。 皇太子の妃候補がマクシマ・ソレギエタになるまで皇太子はいくつかのロマンスがあり娘と一緒にデートの車を溝に落として助けを求めて難渋したようなこともあったのだがその後、妃の父親がアルゼンチン軍事政権で農林大臣をしており反政府勢力の虐殺に関与しているというきな臭いことからオランダ議会では結婚承諾については多少の問題になりその結果両親と公式の接触を絶たれた時期もあるけれど一般のオランダ人はそんなことを斟酌しないで只単に美貌の妃に浮かれているようにみえた。 官民一体となったシンデレラ・キャンペーンで庶民にアピールした結果が今に至っているということなのだろうか。 日本の皇室との関係も深く、ほぼ同世代、子供たちも歳が近いということもあって日本皇太子妃の病気療養のためベアトリクス女王の別邸が提供され皇太子一家がオランダに滞在した際にはそれを追って日本から来たメディアの喧騒もニュースになったこともあった。 もう何年か前のことである。

もう20年以上前、仕事の帰り狭い路地を自転車で抜けようとしているとき目の前を頑丈な男が三人横に並んで歩いているところに追いついたのだがそこを抜けようとしても両側に抜けるスペースが無く、普通はこんな狭い路地を歩くのに交通に考慮して3人も並んで歩く不心得ものはいないのでマナーの知らない愚か者だと後ろからベルを鳴らして通り抜けようとしたときに振り返った顔の一つがその近くに下宿があった当時学生のヴィレム・アレクザンダー皇太子だった。 皇太子を包んでいた左右の屈強な男は護衛の私服兵士だったのだ。 あとでそのときのことを思い何とのんびりしたものだと思った。 今のようなテロの脅威が日常にあるときではなくもし皇太子の動向が分かっているとしてこの路地で後ろから襲撃しようとしたらそれには何の造作もないことで、自分が後ろから自転車で近づいていることなど気にしていなかった護衛の不備が責められていいものなのにと思ったものだ。 それが唯一現国王と接触した経験だ。 王位継承者の王女三人が少し大きくなってきたから退位して息子に譲るとベアトリクス女王が宣言しそれまで予想はついていたもののそれで皆を驚かせたのが一昨年のことでのことで、即位式が去年の4月30日だったから新国王になってほぼ1年だ。 今でもメディアでも今日の日を女王の日と言い間違えるものが多いほど女王の日は国民の脳の中に刷り込まれているようで今日の催しではまだ小さな娘3人をもつ若い国王のイメージを押し出して国民に近いというイメージを作ろうという意図がみえる風でもある。

今日は天気は芳しくはないけれど暖かいからか様々な草花がここに来て一度に咲き始め家人は庭から鈴蘭とオダマキを摘んでテーブルのガラス器に生けた。 

50歳の恋愛白書  (2009);観た映画、Apr. '14

2014年04月25日 03時28分44秒 | 見る


邦題; 50歳の恋愛白書(2009)
原題; THE PRIVATE LIVES OF PIPPA LEE

98分

監督:     レベッカ・ミラー
製作:     デデ・ガードナー、 レモア・シヴァン
製作総指揮:  ブラッド・ピット他
原作:     レベッカ・ミラー
脚本:     レベッカ・ミラー
撮影:     デクラン・クイン
音楽:     マイケル・ロハティン

出演:
ロビン・ライト・ペン   ピッパ・リー
アラン・アーキン    ハーブ・リー
マリア・ベロ      スーキー・サーキシアン
モニカ・ベルッチ    ジジ・リー
ブレイク・ライヴリー   若き日のピッパ・リー
ジュリアン・ムーア   カット
キアヌ・リーヴス    クリス・ナドー
ウィノナ・ライダー    サンドラ・ダラス
マイク・バインダー   サム・シャピロ
ティム・ギニー
ロビン・ワイガート
ライアン・マクドナルド
ゾーイ・カザン
シャーリー・ナイト

奔放な10代を過ごした末に30歳年上のベストセラー作家と結婚し、理想の妻として家庭を守ってきた50歳の主人公ピッパ・リーが、自らの人生に疑問を抱き心揺れるさまを描いた女性ドラマ。主演は「フォレスト・ガンプ/一期一会」のロビン・ライト・ペン、共演にアラン・アーキン、キアヌ・リーヴス、ジュリアン・ムーア。アーサー・ミラーの娘レベッカ・ミラーが自身の処女小説を自らメガフォンをとり映画化。

50歳になるピッパ・リーは、30歳も年上の売れっ子作家の夫ハーブ・リーの良き妻にして、成長した2人の子どもの良き母として、誰もが認める理想の女性だった。しかし、ハーブと出会う前の彼女は、現在の姿からは想像も出来ない荒んだ人生を歩んでいた。ようやく手に入れた安定を幸せと信じて結婚生活を送ってきた彼女だったが、15歳年下の男性クリスとの出会いが彼女の心に少しずつ変化をもたらしていく。

上記が映画データベースの記述である。 これを書くのにネットで本作のことを論じている記事を幾つか読み、男性の批評子は割合客観的に読もうとしている態度は見られるものの多分30前後とみられる女性達のコメント・意見にはいささか驚くと同時に、異国で別の時代に生きてきて自分と別の時間を過ごしてきた熟年から老いが始まりかける同性のことをなんと読めないものかとその驚きを隠せなかった。 そういえば50を越した家人が中学生の娘にものごとを諭していた場面を思い出し若い娘というのはそんなものかと、また自分のそのころのことをも思い出し自分の乏しい経験を頭の中の知識だけで前に押し出し年長者の経験を斟酌しない、ということの意味を理解したのだが同時にそれが若いということの特徴のようだ。 取り分けネットの世界は40歳にもなれば老人の世界であるようだからこれも閉ざされた世界だけのことだと捉えればいいのだろうか。 総じて本作に対する批評子の点数は低いようにみられたけれどそれを彼らの人生経験不足から見えているものを見なかったからの故とみた。

本作をBBCテレビの深夜映画として観た。 理由はアラン・アーキンがでているからだ。 ぶつくさ何事にも毒づく役が多いところに親しみが感じられてテレビガイドに名前がでていれば観る様にしている。 本作でも概ねそんなものだったが主役でもなく役柄からはストーリーは別として少々行儀がよすぎるようにも感じた。 

何とも酷い題をつけるものだと呆れたのだが70年代からあったそんなタイトルの焼き直しとでもみたのだろうか。 ピッパ・リーの秘められた生活と意見、とでもすればまだ少しは本作の趣旨に沿うのだろうしそれを60年代からのアメリカ中産階級の女性史とみることが出来、それが原作・監督のレベッカ・ミラーの趣旨でもあることは確かで、けれどそれを声高にせずユーモアを交えた造りにしてあるところがそれまでアラン・アーキンがでる映画でみたきたある種の軽みと共通するところか。 

レペッカ・ミラーがあのアーサー・ミラーの娘であることを知り、なるほど、だから作家と結婚する主人公とその生い立ち、こどもたちとの関係、自分探しということを盛り込んだ自叙伝的要素を散りばめた作だと理解した。 日本にこういう女性がいるかどうかは知らないけれど欧米には少なくないことは周知の事実で、だから本作がコメディーとしてテレビで放映されるのでありある種のノスタルジアを感じさせるのだ。

牧草地では干草作りが始まっていた

2014年04月24日 03時48分00秒 | 日常

夕食が済んでから姑のところに届け物をするために少々のドライブをした。 9時ごろの夕空は曇っているものの夕陽が充分光を雲の下に届けていてもう日がだいぶ長くなっていることを示していた。 途中カーパークに停まって外に出た。 夕食を済ませた農夫が一日乾かした干草をトラクターに集めていた。 朝、もう霜が降りることもないから天気予報で明日雨が降るかもしれないといっていたのかもしれない。 晴れたらまたここで乾かしそれを梱包し冬に備える。 昔、といっても1970年だったと思うけれど北海道の酪農農家を手伝うのに帯広の南の幸福とかいう駅のあたりの農家に行ったことがある。 その夏は冷夏で雨が降り続き牧草の根が腐り干草が出来なかった。 干草がなければ乳牛を飼育することはできず結局大半の乳牛を売り払って離農することになったとあとで聞いた。 だから干草の作業は死活問題にもなりえて、ひいてはこの時期、毎日の天気予報が大切なのだ。 

姑の介護施設行くと下の大きな食堂にはそこに住む老人達があつまってボランティアらしい人たちのコーラスのミニ・コンサートに聴き入っていた。 姑がいないか外の廊下からガラス越しに眺めてもだれも同じような顔に見えるのだけれどその中にはどうもいないらしく彼女の部屋に行くと薄暗い部屋の中に彼女は坐っていた。 92歳になる彼女の姉が亡くなったのだという。 これで12人姉妹の半分が向こうの世界に行ったことになる。 今までの姉たちは殆んどが88以上で亡くなり、92,3が限度だという。 86になる自分はもう医者には長く持って3年といわれたけれどそれが5年前だから姉たちの年までは持たないのではないかという。 日にちからいうと葬儀は土曜になるのだがその日は新国王の誕生日で祝日だから葬儀は月曜になるのではないかという。 

30分ほどそこにいて外にでればもうとっぷり暮れていた。 帰り道草刈をしているところを通ったらまだ暗い中、ライトを撞けたトラクターが農作業をしているのが見えた。

釣鐘水仙

2014年04月23日 00時11分42秒 | 日常

庭の隅っこに毎年咲くシラーがまた咲いていた。 咲き始めていたというのが10日ほど前で、幾つも小さく白い釣鐘が教会のベルのように幾つもぶら下がるまで先ず芽を出し、それから徐々に開きだす。 ラテン名で釣鐘水仙(つりがねずいせん)は Scilla hispanica と出た、と去年のいまごろ毎年のように同じような写真を載せたけれどあのときの古いカメラで撮ったものと比べるとやはり今年の新しいものは少しは性能がいいようで見栄えも今年の方が少しはましだ。 花は毎年変わらないのだからそれはカメラと撮るほうの腕ということになる。 腕は弱ることはあってもよくなることはないから結局カメラということになるだろうか。

イースターの休みが一週間ほどあり、結局どこへも行かず何もせず寝床と台所をうろうろと行ったり来たりするだけの日々だった。

Hermine Deurloo Trio with Jesse van Ruller

2014年04月22日 16時23分22秒 | ジャズ


Hermine Deurloo Trio with Jesse van Ruller

at Tuinzaal in Leiden, The Netherlnads

Sat. 12 April, 2014

Hermine Deurloo;      chromatic harmonica
Tony Overwater;       acoustic bass, electric bass
Joshua Samson;       percussion, hang, morsing
Jesse van Ruller;     Gibson ES 335 guitar

地元のジャズ同好会が45周年のシーズン最後のプログラムとして招待したのは女性ハーモニカ奏者、ヘルミネ・デューローのカルテットだ。 彼女はもともとサックスを吹いていてオランダのジャズ史では欠く事ができない革新的ジャズ集団、Willem Breuker Kollektief のメンバーとしても在籍していたことがある。 30年以上前に初めてこの集団を聴いた時にはヨーロッパのチャーリー・ミンガスバンドだと思った。 実際それぞれ個人としても優秀なメンバーを吸引力の強いサックスの Willem Breuker が率いるフリージャズを中心とした万能ジャズバンドだったのだ。 様々なフォーマットを縦横にそれぞれメンバーが入れ替わり立ち代り限りなく続くようなアドリブを披露しそれにウイットの富んだオーケストレーションでバックが盛り上げるというジャズ過剰のてんこ盛り集団だった。 リーダーの Willem Breuker は作・編曲、組織と文化政治的にも力のある人だったからオランダのジャズ文化政策には大きく貢献し、ある意味、現在オランダに若いジャズミュージシャンの卵たちを引き寄せる音楽教育の基を作った一人だったと言えるかもしれない。 現代音楽の雄 Louis Andriessen との親交もジャズ・現代音楽をジャズに基地をおいて行き来するコンセプトに影響していたのだろう。 2012年の没後このグループは解散された。

彼女はもう7,8年まえだっただろうか、この日の会場の上にある大きなカフェでトランペットの Kurt Weiss がビッグバンドを率いて演奏したときに客員奏者として満員のホールの自分の目の前6,70cmのところで聴いたのだったが間近に見るのと数メートル離れて見るのとは印象が大きく違って女性ハーモニカ奏者ということで今回を記憶新たにしたのだった。

このコンサートはギターの Jesse van Ruller を迎えて彼女の初リーダーアルバムのプロモーションとして巡業ユニットになるものだ。 自作の Glass Fish をタイトルとした CD のクレジットは次のようだ。
 
Hermine Deurloo; Glass Fish

CHALLENGE CR73353
Recorden in Germany in Feb.,2012

1 Benny's Dream (Larry Golding)
2 Ode For Tomtem (Gary Peacock)
3 Almost Always Never (Tony Overwater)
4 Zombi Zua (Misha Mengelberg)
5 Fleurette Africaine (Duke Ellington)
6 Glass Fish (Hermine Deurloo)
7 Mein Junges Leben Hat Ein End (Anonymus)
8 October In Oosterpark (Hermine Deurloo)
9 Venice Cowboy's (Jesse van Ruller)
10 Anna Virus (Tony Overwater)

ヨーロッパでジャズ・ハーモニカというと特に出身地のべルギーとオランダでは誰もが知る最近90を越え引退を表明したトゥーツ・シールマンスを避けては通れない。 アメリカのブルースハープは別としてクロマティック・ハーモニカはその音色と物理的構造からシールマンスの呪縛を離れがたい。 それほど一般的にその音色を聴くとそれだけでシールマンスと判断されがちだからだ。 ポピュラー音楽や映画音楽として効果的に使われてきてジャズとなるとシールマンス独占だったものの中にどのような差異化を持ち込むかというところがジャズハーモニカ奏者としての課題でもあったのだろう。 そのために情緒に流れがちな音色に抑制をかけ現代ジャズのイディオムを探っているようにも聴こえる。 

自作の6,8に加えベースの Overwater による3,10と 客演の van Ruller による9がメンバーによるもの、他はそれぞれ作曲者に興味深い名前が並ぶ。 取り分けエリントンの5がいつまでも頭に残った。 休憩中にそれぞれ奏者と短い会話をしていて初めて見聞きする楽器であるハングというものについてジョシュア・サムソンに訊いた。 今世紀になってスイス人によってつくられた比較的新しい楽器でカリブ諸島などで使われるスチールドラムの椀状の部分だけを二つあわせたような形で、UFOのようなそんな楽器を膝の間に挟んで手で叩き撫でるようにして音を出す。 穏やかなスチールドラムのようでガムランの音にも共通するような不思議な音色だ。 司会者はその音色をエロチックでもあると表現した。 規則的に椀の部分を巡って一定の音の領域が作られ音階によってはほかのUFO状の楽器が2つ、3つ見られそれを使う。 ハングというのはぶら下げる、というようなものかと思っていたらスイス方言で「手」という意味でどちらかというと叩く打楽器とは見ないようだ。 それはピアノが打楽器の部類にいれられているのと同様だからだろうか。 このアルバムでは1,5、7などでは効果的にこれが響いている。

表題の6は客員の van Ruller を交えての好演だとおもう。 ハングと同様サムソンが用いるのは口に挟んで人間の骨と口腔を楽器にする  morsing であり、これは昔フォークソング運動で紹介されコミカルな音が特徴的だったように思う。 それはまだ日本的な湿っぽい私小説的四畳半フォークが隆盛となりテレビに出るようになるまえの60年代のフォークソング運動でのことで効果音としてどこかオーストラリアのカンガルーが跳ぶ音を真似たようなものでもあった。 ここでは van Ruller のカントリーを思わせるギターと相性がいい。 van Ruller のカントリーといえば何作か前のアルバム「チェンバートーンズ」で カウ・デイジー というカントリー風の愛らしい曲があった。 そのときはGibson ES 335 guitarを普通に使っていたものが9ではもっとスチールギターの音色を強調してエコーもかけ彼のカントリーになっている。 このところ van Ruller に会わなかったので消息を尋ねると男児の父親になったのだという。 だから活動を家庭中心に組んだらこうなったのだと今まで見せなかったような穏やかさを見せた。 それが彼の演奏に影響しているのかどうかはこのプロジェクトの成果が全体に丸みのある音作りからは判断しがたいものだった。 それもこのクロマチック・ハーモニカという楽器とリーダーの女性性の表れなのだろうか。 

復活祭(イースター)第一日目

2014年04月21日 03時56分00秒 | 日常

復活祭で皆が休日、我々も何も無く静かに過ごせると思っていたら今日うちに娘が新しいボーイフレンドを連れてくる、ついては自分の誕生日に希望していたのが叶えられなかったから今日はその希望どおり餃子のパーティーにしたいというので昨日からその材料を用意してあったものを昼の2時ごろからえっちらおっちら刻み始めた。 息子のガールフレンドも来るから6人での餃子パーティーということになる。 子供たちも日本に行けば日本食のうちとりわけ餃子が好きでそれを評定して一人前にいろいろ言う。 

それはともかく、自分が宣言した我が家のルールは、包まざるもの喰うべからず、であってそれぞれが具を解凍した日本製の餃子の皮に包まねば喰ってはいけないということでここではゲストも何もない。 具を作った自分を除いて全員で包む。 餃子の皮は1パックに24枚入っていてそれを7つ使った。 だから168個になるはずだが3枚破れたから165個となり、みんな満腹した食事のあとには5個残った。 だから一人平均23個食ったことになる。 白米と味噌汁で締めにしたのだが途中餃子をぱくつきながらビールの小瓶をみな2本づつ飲んでいた。 喰い始めてからデザートのフルーツポンチが済むまで1時間半ほどか。 その間にフライパンで餃子を8回焼いた。 こういうことをするのは去年が2回、ことし初めてで回数としては子供たちが家を出てからかなり減ったような気がする。 それまでは一年に3,4回はやっていただろうか。 そして餃子を喰わないゲストはいなかった。 皆一同にこんな旨い日本食は知らなかった、と言ったけれどいつもそれを中国のものだと訂正しなければならない。 オランダでは中華料理はインドネシア経由、南方系の中国人が多いので中国北方の餃子をしらない。 とりわけ同様なものがあったとしても酢と醤油、ラー油に浸けて喰うというのはない。 甘たるい妙なベトナム、タイ料理にでてくるようなもので喰っているようだが酢醤油をしらない。 中国食材店に行けば餃子の冷凍が無くは無いが買って喰う質ではない。

今のところオランダの中華料理店にないものは餃子の「酢醤油の浸けたれ」と90%以上が中国人経営の日本食レストランにない「いなり寿司」だろう。 あと10年ぐらいすれば知られるようになるのかもしれない。 OBENTO というのがこの何年か知られるようになりこれも中国系のやっつけすし屋の店先に宣伝があったり、日本食のこつとして UMAMI ということばが意味もわからずメディアで使われていたりと新しいことも現れてくるから餃子のたれなどそのうち何のこともなく知られるようになるのではないか。

日本人が集まれば食い物のことばかり話しているといわれることをここでもやっているようだから止めるけれど、イースターののんびりした午後3時から日が変わる11時半まで続いたパーティーの余興として皮を包むことから始まってそれをそれぞれ喰うというのは悪くは無い。 そして昼間の気温が18℃ほどまで上がってきたというのはまた春に戻った気分がするけれど、空模様は雨が降らないものの晴れたり曇ったりと不安定な天気だ。 晩飯が済んだ頃に裏庭に出て南の空をみると巻雲が青空を背に出ていた。 これが出ればこのあと数時間か半日ほどは雨が降らないそうだから何の雨具も持たずにやってきた若者達には朗報なのだろうが彼らは他のオランダの若者と同じく雨が降っても大抵は傘など差さずコートの襟をそばだててそのまま雨の中を進むのだ。


鮭の蒸したもの

2014年04月19日 06時16分31秒 | 喰う


魚屋で鮭が安かったから買ってきたと家人が言い、それを白ワインと薄口醤油に浸けておいたものをスチーム・オーブンで蒸した。 添え物はグラタン・ドフィノワと軽く茹でて胡麻を振りかけたホウレン草だ。 ミックス・サラダをそばに冷えたシャドネーの白で旨い夕食だった。

鮭の切り身を塩胡椒した小麦粉にまぶしバターで焼くこともあるけれど90℃で蒸した鮭は身に火が通っているけれど温度が高くないのでたんぱく質や身が固まることもなくまるで生のような柔らかさとなってそれが旨い。 身の内側の色をみれば生でないことは一目瞭然なのだが口にいれた感触が蒸し物特有の柔らかさで一瞬生なのかと思うほどだ。 バター焼きも旨いけれどこちらも悪くない。