暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

青年カイツブリ

2009年02月27日 08時04分30秒 | 見る

職場のすぐ近くにほんの小さな水路が延びている。 それはもう150年以上前にふフォンシーボルトが日本から持ち帰ってきた植物が大木に育っているところにも伸びていて、そこでは春には美しい藤の大きく長い房がいくつも見られるところでもあるのだが、その水路は青年男女なら跳び越せそうな4mあるかないかという幅で車は通れないところであるから日ごろはまことに静かな佇まいだ。

空気の中に少しは緩みは感じるもののまだ空に雲が重く残っている午後、仕事場から帰宅するときに人通りのないその水路沿いを自転車でゆっくり走らせかけていたら足元の水路の表面に細かなあぶくが走ったので自転車をとめて見ていたら案の定、こちらでいう Fuut(カンムリカイツブリ)が出た。

日ごろ町の水路や環濠のあちこちでみる鳥なのだが私のとくに好む鳥だ。 この町では幼鳥のときに捕獲して足に登録のための番号を記した金属のリングを施しているのをよく見かける。 そうしてその様子で水路の水質、鳥を含む動植物の形態を調べているようだ。 深くない水路は季節によって変化を見せ夏には水草や藻も繁殖し小魚の群れもみる。 けれど鳥は迷った白鳥がたまにくることはあっても大抵はアヒルか鴨かという連中だけで特に晩秋から冬の間は寂しく、はなはだ変化がないからカンムリカイツブリはいつでもアクセントになって見かけると時間のあるときは自転車を止めてしばらく眺めている。 ことに冬の間は鴨にしてもほとんど姿を消しているのだからこの鳥がいるのは慰めになる。

形から見るとこれはオスでまだ若そうだ。 カンムリカイツブリは夫婦仲がよく大抵二羽で見られるから水路の両側をざっと見渡しても他には何の影もない。 そうするとこれは去年巣立った若者だろう。 今年はこれから暖かくなると堀か近くの湖水でメスを見つけ求愛のダンスでパートナーを見つけ、そのうちどこか水上の安全なところに枯れ木を集めてきて巣をかけ春の終わりごろには2,3羽の白い小さなふわふわの雛を夫婦で育てるようになる。 夏が終わるころには雛にもぐって魚や藻をとることも訓練して教え、そのうち育った子供たちを巣離れさせる、ということになるのだろう。 そして冬を越した若い成鳥がここで活動しているのだろう。 けれどこの種の鳥には多少ともテリトリーというものもあるのだろうからここは親たちも来る場所なのかはたまた他の同種と共同乗り入れ猟場とでもいうところなのだろうか。 数から言えばオオバンや鴨のようにどこにでもいるという鳥ではないから過密問題はないのだろう。

透明ではあるが底が暗い上に夏のように陽も射さず、ねずみ色の空の下、夕刻迫る時間に濃緑色の水にはあぶくだけが連続して走りそれが途切れるかと思えば突然まったく想像もしていなかったところに浮かび上がる、といったことをしている。 すぐ近くにいるのにもかかわらずこちらを気にすることもなくのんびりしたものだ。 けれどカメラを向けてシャッターを押そうとしてもそれはそれで絶えずうごいているのに加え、この光の乏しい中ではシャッター速度も上がらず満足のいくものは撮れない。
 
カメラの設定をあれこれしているうちにこの若い成鳥は場所を変えようとするのか潜らずに浮かんだままで体の割には大きな水かきのついた足を動かして木の札に葵の紋を冠した日本からの到来木のある植物園の方に移動して行った。

今年の夏にはここでメスや小さい雛鳥2,3羽と一緒に小魚を取っているのをゆっくり見られる事を楽しみにしている。


カンムリカイツブリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%AA 

スーパーでの出来事

2009年02月27日 08時01分09秒 | 日常
木曜の午後のスーパーはゆったりとして年寄りたちが広いスペースでゆったりと時間をかけて買い物をしている。 ゆったりとしているのは動きそのもの,
時間そのものがゆったりとしているからで何もわざわざ時間をかけようとしてやっているわけではない。 急げないわけだ。

この時間はは金曜や土曜での同じスペースとは思えないほど閑散としており、スーパーにしてもこの機に大量の商品を倉庫から大きなカートでそれぞれの棚に補充したり交換したりするのに都合がいいわけだし、年寄りの我々としても新しいものが直接買えたり周りから急かされる事もなくゆっくり老眼鏡で細かな文字も読み、要らないものでも珍しそうに眺めることもできて月曜の残り物ばかりが目に付く店内とは違い、全日9時から5時まで働くものにそんな風に時間を贅沢にとれることをうらやましいと思われるかもしれないがそんな我々にしても10年、20年前には混み合う日常のショッピングは充分経験しているから今の時間の棲み分けということではこれは社会の年齢構成に相応していて順当だろう。

さて、夕食の献立を決めるのに想像力を動員しなければならないのだがさっき広場の向こうの魚屋で腹に入れたムール貝の揚げ物とビールがそれを阻害する。 家族の作った長い買い物リストの物はあらかたカートに入れ生鮮食料品のところに来てあれこれ思案しながら肉売り場のところに来たのだが肉にしようか魚にしようか、魚ならさっきの魚屋のほうが新鮮なものがあるはずなのだけど、またあそこに戻るのも面倒だ、肉なら生のものを自分で料理するかそれともいろいろな香辛料をいろいろな油でまぶした出来合いのものを焼いたり炙ったりするか、牛にするか羊にするか牛ならどの部位か、エトセトラエトセトラ、、、と取りとめもなくそんな肉の塊や小片、中片の並んだところを眺めていた。 そんな風にぶらぶら見ていたのは係りの店員がつかず離れずの距離にいてこっちを放っておいてくれたからで、自分の気性からすればまだ何も決めていないところに寄ってこられてあれはどう、これはどうと勧められると面倒だ、ということもあるからだ。 まだ20歳になったかならないかという利発そうな女性だ。 こっちのことは見えているのだけれど気配であえて近づこうとはせず自分のほかの仕事をしているからそれでいいのだが、そこにフロアマネージャーが老婦人と一緒にやってきた。

広いスーパーの中には2人ネクタイをしてスーツの前もボタンをかけた50前くらいのと20代半ばの見るからに大企業のビジネスマン然とした男たちだ。 このスーパーはオランダだけではなくアメリカにも支店をもち、K-1のリングの角に見られる「マツモトキヨシ」というネーミングの元となった、創業者の名を冠した大企業でありどこでも競走の激しい中、ここでは商品の多様化、高級化、自社ブランドを広める、ということを進めて、コストの削減、レジでの時間の短縮化から割引カードを持った客にスキャナーをもてるようにし、各自が自分で買いながらスキャンさせわざわざカートに入れたものをまたコンベヤーにのせ、それも何人も待ったあとにそういうことをするのは客と店双方に無駄であるとでもいうのか、レジも10ほど残したものの将来に向けてレジのない出口ではスキャナーと銀行カードなどの組み合わせで自動振込みさせて時間の短縮を図る、ということも行っている一部上場の大企業なのだ。 だからここでのフロアマネージャーはある意味、社長の代理であり接客にはジェームズ・ボンドばりの素早さ手際よさが期待されているようだ。

彼らの業務は日ごろは裏での在庫管理、表にまわって商品、店員、接客のチェックが主で携帯で話しながら忙しく店内を巡回するということなのだが表から狭い柵もなくそのまま入れる広い入り口から中学生くらいの子供がスケートのままで傍若無人に近い態度で入ってくるのを若い方が注意して帰らせている。 アメリカのように警官然とした警備員がいるというわけでもないからまだこの国はそういう意味では荒れてはいないのだろう。 しかし、小学生でも学校に行かず2,3人づつぶらぶらと不審な態度で店内を徘徊していることがあるので防犯の意味でも絶えず注意が要る。 

私の横に来た50でこぼこのマネージャーは慇懃に老婆に付き添っており、これはどうも苦情に付き合っているというようすだ。 老婆の様子は髪は手入れができておらず服装も周りから見ても年齢には似合わず荒れた様子、上体二つ折りに近いような形で大きな買い物カートにうつぶせになるようにもたれてゆっくり移動する。 この老婆は今まで何回かここで見たことがある。 横をとおるときに何か一人でつぶやきながら歩いていたようなこともあるし、高いところにある商品が取れず頼まれてとってあげたこともある。 彼女の口吻は別段激しいこともないけれど、精肉部の店員、つまり20でこぼこの女の子の対応がよくない、ということのようだ。 ステーキ肉の切り身を選ぶのにショーケースに並んだものの一つを指定したのにその女の子からは見えないのかさっぱり要領を得ず自分を無視している、というのがどうやら老婆の苦情らしい。 老婆はそれをフロアマネージャーの方も女子店員の方も見ずつぶやくようにいい、いわれた女子店員は驚いたような顔をしている。 いわれがあってもなくてもフロアマネージャーの前で言われれば普通なら接客の常としてここは客の言い分を一応聞くのが普通で、マネージャーは老婆にそれではどの肉ですか、と尋ねて次にその肉はカウンターから見えるかどうか店員に確認している。 

もちろん我々から見てもショーケースに奥があるわけでもなく老婆も店員もちゃんとしたオランダ語を話すのだから言葉による意思の疎通に問題もなく、この時間帯に店員にしても客に対応する時間は充分すぎるぐらいあるのだから店員が客を無視することなど考えられない。 店員にしても他のスーパーとは違い接客の訓練が十分いきとどいており誰も気持ちよく丁寧に対応してプロとして働く自覚はできているように見うけられるから彼女も例外ではないようにみえる。

静かにそばに立って対応していたマネージャーは、老婆に向かい、店員にしてもどうもお尋ねの商品はちゃんとあちらからわかるようですから今は間違いなくお求めのものをお買い上げいただけるようです、と老婆に示唆するとそのときには老婆はもうカートを押して別の場所に移動している。 マネージャーはそちらの方向を少し眺め店員に目配せして次の何かのために移動して去った。 それでこの一件は一応片がついたのだろう。

そういうものを横で見ていた私はまだどの肉にするかも決めかねたままで値段と肉の質を比べていたのだが老婆とマネージャーが去った後そこに立っていた女子店員が、決めるのむずかしいでしょ、というので、ほんとに難しいね、と言ってウインクをしたらお試し用の肉が焼けたのか微笑みながらそちらのほうに移っていった。

結局そこでは生肉の切れを買わず少し離れたところで小さなソーセージが何種類かパックされたものをカートに放り込んで野生のほうれん草とマッシュポテトで夕食にすることにして買い物を終えたのだった。

さっきの一件のことを考えていたのだが、あれは多分、一人暮らしの老婆の鬱屈か、はたまたアルツハイマー症のようなものが出始めているのか、それとも実際に店員が老人のテンポに苛つくような一瞬のしぐさをしたのか、それは分からないものの私の観察ではどうも老人に分が悪いようだった。 このフロアマネージャーの対応は冷静かつ適切なもので他のいくつもあるスーパーのマネージャーたちとはかなり違う。 当然さまざまな難題についてはすでにシミュレーションで訓練されており高齢化の社会であることから老人対策もされているのだろうし、だから老人が言葉を荒げても感情を露にせず辛抱強く対応するということがマニュアルにあるのかもしれない。

駐車場を出て信号を左折し大通りに車を入れたら途端に交通渋滞に巻き込まれた。 さっきまでのんびりしていたのだがそれもゆったりと自分のテンポで歩き回れたからのことで、気が急くなかでノロノロ運転、また停止の交通停滞で止まってしまうとイライラする。 動かないからとはいえそれがゆったりというわけではなくむしろ逆でストレスを無為に蓄積させる。 窓外をみると速度違反の監視カメラの裏側に制限時速は50km/h の表示がでていてここではスピード違反を出そうにもまず渋滞の撤去が課題だ。 見上げるその監視カメラの後ろに現在建築中の高層住宅が見えた。 これからもまだ景気の停滞が続くと見られている昨今、果たしてこの住宅は完成するのだろうか。 

水ぬるむ?

2009年02月25日 12時57分07秒 | 日常

仕事場のビルの廊下を歩いていて大きなガラス越しに陽がはいっている。 暖房も効いているのだけれどそれでもそれ以上に温かみがあるようでそれは日の光の力に違いない。

ガラス越しに見下げる環濠の水の表面をそよ吹く風が縮緬皺を寄せてその縞のより具合に水が緩んで粘着度が増したように感じる。 錯覚なのだ。 けれど、この二、三日明らかに冬が緩んでいる。 水がぬるんでも不思議ではないだろう。

帰りに環濠の縁の草地にはところどころに小さな水仙の芽が2cm3cmと覗いているのが見えた。

バッシング ; 観た映画、Feb 09

2009年02月24日 10時47分08秒 | 見る
バッシング (2005)
BASHING
82分

監督: 小林政広
脚本: 小林政広

出演:
占部房子   高井有子
田中隆三   高井孝司
香川照之   支配人
大塚寧々   高井典子
加藤隆之
本多菊次朗
板橋和士

2004年にイラクで起きた日本人人質事件を巡る日本国内での反応をヒントに、中東で人質となった主人公の帰国後の姿を描いた社会派ドラマ。監督は「歩く、人」「フリック」の小林政広。2005年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作。
 北海道のとある海辺の町。ホテルでアルバイトをしていた高井有子は、ある日突然クビになってしまう。彼女は中東の戦時国でボランティア活動中、武装グループに拉致・監禁され、人質となった女性。無事に解放され、帰国した彼女には世間からの厳しいバッシングが待っていた。ホテルの支配人も、そんな彼女の存在を持て余し、クビを決断したのだった。しかし、彼女を待っていた不幸はそれだけに止まらなかった。

以上が映画データベースの記述だ。 家人と娘が日本映画がベルギー局で放映されるから、と私がジャズコンサートに出かける前に言っていたからそれをヴィデオの留守録にセットして出かけた。 翌日、どうだった、と尋ねたら、どうもよく分からなかった、というので自分自身もその背景、どんな映画かも知らなかったので家人の見たことを聞いて日本人ボランティアの拉致事件が報道されたときのさまざまな反応のことを思い出してうろ覚えながらそのことを家人に説明してもどうも要領を得ないようで、そのままテープを巻き戻して観た。

なるほど、これでは外国人には分かりにくい。 日本のその当時のことを心得ているものにはバッシングというのは日本の社会を覆う鵺で、それがどのような形となって個人をつぶしにかかるかということが分かり、それが中東戦争にからんだ、他人の庭での争いごととしか一般には受け止められていない日本で起こったエピソードが社会を炙り出す本作のテーマなのだろうが、そういう鵺なら白日の下に引っ張り出し曝けだし鵺の正体を腑分けして社会の「異なった」個人を排除しようとするものを「異なる」個人集合である社会の中で個々の権利を守るものとしてNGOを含めてさまざまな機関が援助する制度のある国に住んでいるものにはなかなか分かりにくいだろう。

第一に事の発端の当事、拉致を巡る日本国内のこの事件にたいする反応、バッシングのことがはっきりとは伝わってこない。 ただ、心無い「世間」の無知、その無責任な中傷には本作でその一端が示されているのだがそのことがおぼろげに映るのだろう。 ただはっきりしているのはどうして主人公と主人公の家族、とりわけ父親があのような形になるのかそれがわからない、というのだ。 たぶん、それが日本という国だろうね、とも。

最近の日本のことが分からない身にはインターネットのチャットルームのあちこちを覗いて意見交換をするとき、理を尽くして率直な意見を述べると、空気が読めないなり、くどい、異国だから日本とは違う、KYだというようなことを言われ疎まれることがある。 もちろん、時差の関係から日本ではほぼ夜中も半分もまわったころのチャットルームだからそんな若者がたむろする連中の背景、生活は「普通の」市民とは違うことは勘定にいれいてもその「ぬるま湯、仲間、内輪」「楽しかったらそれでいい」「ウザイものはいや」の世界は本作における「世間」に相当するようにも感じる。 善良な主人公の父親がただ善良だけでは「世間」に対抗できないことをも示しているといえるだろう。 

善良で弱いものは自殺するというのは現在読書中の左高信の著書「鯛は頭から腐る」の中でも高級官僚や企業の腐敗を糾弾する中でスキャンダルが起こるごとに誰かが首をつったり高いところから飛び降りたりする現実で示されている。 本作の中で父親の後妻が「待つのよね」を繰り返す場面ではすでに「待つ」だけでは事態は改良されないことを示し、「善良な」市民が「善良な」市民に圧迫される「空気」の中では頑固で小さいときから友達もなく、成績もよくなく大学受験にも落ちた裕福でもない家庭の女子が自分の居所をボランティアの中で見つけてその挙句現地で拉致されそれがナショナルニュースになった顛末がこれだというのではやるせない。 ボランティアというのは裕福な家庭の子女のみがやることでまず己の家の中からやることだ、外国にわざわざどうして出て行く必要がある、などの言は普通に世間に蔓延する言説が普通にこの映画に入ってきて世間の声となっているのだ。 

本作では当時のことを捨象してその後の地元の小社会で本人と家族に焦点をあてて日本に蔓延する「世間」のバッシングを描いたのがポイントなのだろうが私の家族が本作のことの本質が分からなかったほど日本の「世間」の鵺は不可思議なものなのだろうか。

なお、この後ネットをみると立教大学のサイトに、2004年3号 「イラク日本人人質事件とメディア報道に関する研究」が出ていた。 概ねここから本作が説明しなかった事情を知ることができた。 それにつけてもオランダの看護士の男性と日本人女性医師がソマリアで長らく拉致された後、最近解放されたニュースがあったのだがその報道されぶりと本作に見られる日本の反応の違いには驚かされ、もう5年以上前の事件当時、「政治」とメディアが大きくかかわっていたことをいまさらながら思い知らされて、その責任の所在がどこにあるのかないのか考えると荒野に放り投げられたような気にもなって呆然とする。

http://www.rikkyo.ne.jp/web/z3000268/journalsd/no3/no3_note1.html

RUNAWAY JURY ; 観た映画、Feb 09

2009年02月24日 06時09分33秒 | 見る
邦題; ニューオーリンズ・トライアル  (2003)

原題; RUNAWAY JURY
128分

監督: ゲイリー・フレダー

原作: ジョン・グリシャム
『陪審評決』(新潮文庫刊)

出演: ジョン・キューザック    ニック・イースター
ジーン・ハックマン    ランキン・フィッチ
ダスティン・ホフマン    ウェンドール・ローア
レイチェル・ワイズ    マーリー
ブルース・デイヴィソン    ダーウッド・ケーブル
ブルース・マッギル    ハーキン判事
ジェレミー・ピヴェン    ローレンス・グリーン
ニック・サーシー    ドイル
スタンリー・アンダーソン
クリフ・カーティス
ジェニファー・ビールス
ネストール・セラノ
リーランド・オーサー
ジョアンナ・ゴーイング
ビル・ナン
ディラン・マクダーモット
マーガリート・モロー
ノーラ・ダン
ラスティ・シュウィマー
セリア・ウェストン
ルイス・ガスマン

「ザ・ファーム/法律事務所」「ペリカン文書」など多くのヒット映画の原作者としても知られるベストセラー作家ジョン・グリシャムの『陪審評決』を基に、訴訟内容をタバコ訴訟から銃訴訟に置き換え映画化した緊迫のリーガル・サスペンス。陪審員の取り込みを図り様々な裏工作を交え熾烈な駆け引きを展開する原告・被告側双方と、ある目的を秘めて陪審員団に潜り込むことに成功した一人の男。ひとつの民事訴訟を巡って繰り広げられる三すくみの法廷外バトルをスピーディかつスリリングに描く。監督は「コレクター」「サウンド・オブ・サイレンス」のゲイリー・フレダー。主演はジョン・キューザック。なお、下積み時代からの親友というジーン・ハックマンとダスティン・ホフマンの記念すべき初共演が実現したことも話題に。
 ある朝、ニューオーリンズの証券会社で銃乱射事件が発生。犯人は16人を死傷させ、最後には自殺した。そして、この事件で夫を失った女性セレステが地元のベテラン弁護士ローアを雇って、犯人の使用した銃の製造メーカー、ヴィックスバーグ社を相手に民事訴訟を起こす。2年後、いよいよ裁判が始まろうとしていた。被告側は、会社の存亡に関わるこの裁判に伝説の陪審コンサルタント、フィッチを雇い入れる。彼は早速あらゆる手段を駆使し陪審員候補者の選別に取り掛かる。やがて陪審員団が決定するが、その中には謎に包まれた男ニックも含まれていた。

上記が映画データーベースの記述なのだが、BBCテレビで放映されたものを観た。 「小さな」原告が若手なりどちらかというとうらぶれた弁護士とともに法廷闘争で「大」企業のその財力を元に「力のある」弁護士たちを打ち負かすドラマというのはたくさんあり、弁護士、判事などのテレビシリーズさえある昨今とりたてて珍しいことではない。 大抵は経済力のない小民が金持ちに立ち向かう構図が見えるのだがそういうところで敵役のジーン・”ポパイ”・ハックマンの演技は悪くなかった。 彼の悪役での名演は例えば、ケビン・コスナー主演の「追いつめられて(1987)原題NO WAY OUT」を始めイーストウッドの「許されざるもの」など枚挙に暇がない。 実際、これらの悪役ではかつての「ミッドナイトカウボーイ」でホフマンと組み、今ではアンジョリーナ・ジョリーの父親として名のあるジョン・ヴォイドもハックマンと重なるような味のある役をたくさんこなしているようで、たまたま昨日もテレビでコッポラの法廷映画「レーンメーカー(98)」で悪徳保険会社の弁護士としてマット・デイモン演じる青年弁護士に対するしたたかな弁護士を演じていたのをみた。 二つとも原作者はジョン・グリシャムである。

法廷映画はいろいろあるけれど、ここで面白いと思ったのは本作では陪審員制度、とくに陪審員の選定をめぐっての駆け引きがポイントになるところだ。 大組織の潤沢な資金を元に勝つためには裁判のキーポイントになる陪審員の背景を洗いざらい調べ出して自分側に有利な陪審員を作り出そう、というところだ。 普通の市民から選びだされた陪審員の性向が事前に分かればそれほど有利なことはない。 ことは法律を巡る法廷闘争以前にキャスティングボートを握っておく、というかなり恐ろしい試みなのだし、本作のようにそこには原告の弁護士、ホフマンの影というようなものまで捻りを加えて、ありそうな恐ろしい話を娯楽にした、というところがハリウッドで、その恐ろしさが結末でかなり中和されているもののハリウッドはやはりハリウッドだ。

本作は原作ではタバコ訴訟に絡むものだったそうだが却って本作のように悪名高い武器製造会社をもってきたことでタバコの害と同じく「ポリティカル・コレクト」部門ではよりいっそう悪役に対する憎しみを増すのに貢献しているように思う。 タバコのほうでは訴訟には直接関係していないものだったかもしれないがアル・パチーノが演じたものがあったのではないか。

先ほどテレビを見ていたら下馬評どおり「トレイン・スポッティング」を撮ったイギリスの監督がインドのスラムを舞台にした「スラムドッグミリオネア」がオスカーを、日本の葬儀屋の話が外国語部門、短編アニメ部門でも日本のものがオスカーを取ったと報道されていた。 葬儀屋の話ではアメリカで「SIX FEET UNDER」というテレビシリーズが評判だったけれど日本のものがそれとどう違うのか興味のあるところだ。

ついこの間日本で、残酷な殺人を犯した被告が自分でも死刑を願い法廷でも検察側が近い将来実施されるという日本の裁判員制度をみこしてか視覚や感情に訴える陳述を行ったけれどメディアなどが被害者家族の死刑を望む声を前面に出している報道を踏まえてか裁判官による判決は法に則った順当なもので、それは裁判員制度のなかで裁判員の振れを抑えるもの、日本の裁判員制度のもとでは死刑の判決が簡単にできかねないことへの憂慮を示すものだと捉える評論もあったようだ。 人権、法の下の平等、権利に義務、民主主義などという大文字の言葉は日常生活の諸行為の中で検証されて実体化できるもので果たしてこれらの文字の実体が今まで日本の歴史の中で検証されてきたかどうか、それが育てられ根付いているかどうか疑問の多い中、また、日ごろセンセーショナルな煽情的報道が多い中で果たして事件の解決、防止が死刑で片がつくかということも十分検討されない状況下では、現在の裁判員導入には大きな疑問と危惧をあらわす声も多い。 

果たして日本にはクラシック映画「十二人の怒れる男(1957)」や「アラバマ物語(1962)」のように異なった意見を討議して法的均衡、正当性を主張する場が創造できるのだろうか。 アメリカのシステムとは違い裁判員制度では全員一致ではなく個人の意見を尊重し多数決とする、それでも結果が被告に不利の場合は裁判官3名のうち一人が賛成しなければ有罪にはならない、というのだそうだが、それにしても裁判官も法の均衡ということでは圧倒的多数の原初「十二人の怒れる男」の意見に賛同しないといいきれず、政治の場でもしばしば見られる「愚集政治」に飲み込まれる結果となりかねない。 

「KY」という言葉が蔓延しそのレッテルを貼られた人々を排除する社会ではたとえこれが将来に向けて国民参加の裁判といっても、現在、裁判員に指名されるのをどのように避けることができるのかその問い合わせが絶えないような社会ではそれができるまでの犠牲は大きすぎるのではないか。 犯罪者だから仕方がないではすまされない、もし仮に私が被告になった場合そんな制度の中では裁判にはかかりたくない。 果たしてそういう制度を被告が忌避する権利はあるのだろうか。

裁判員制度の政府広報
http://www.saibanin.courts.go.jp/

Van Vugt, Pavone, Sarin, Van Kemenade

2009年02月23日 13時41分58秒 | ジャズ
Van Vugt, Pavone, Sarin, Van Kemenade

Sun. 22 Feb. 09 at BIMHUIS in Amsterdam


Paul van Kemenade (as)
Mark van Vugt (el. g)
Mario Pavone (b)
Michael Sarin (ds)

この宵はこのバンドリーダーの様々なガジェットと電気ギターを駆使して現代的フュージョン; カントリーから民族風、バップ、フリー、インプロヴィゼーションと幅広く活躍するギター、Mark van Vugt(マーク・ ファン フフト)が中心になりゲストとしてアルトサックスの Paul van Kemenade (パウル・ファン ケーメナーデ)を招いての一夜だ。

コントラバスとドラムスはファン フフトがニューヨークをも長く活動拠点としていることからそこで気心が知れた二人を招いたということだ。 大きなコントラバスは低音が美しく響き、ドラムスはしっかりとしたタイムキーピングをつかさどり、セッションがインプロヴィゼーションになると時にはあえてリズムを外してこちらの訝しさで注意を惹きそれによって他のメンバーも刺激を得て様々な方向に音楽をもっていく、ということもやる。

この日のゲスト、アルトサックスはすでに何回か書いたことがありいまさら繰り返すこともないけれど、若いときからミンガスバンドを目標としプロとしてソロからシンフォニーオーケストラをも駆使し、アジア、アフリカ、ヨーロッパとハードバップからインプロヴィゼーション、フリーを進める活躍の人である。 この日は音のバランスの点からホーンの先にマイクをひとつ挟んでそれでいつものように軽快に飛ばす。 テーマや途中のユニゾン、チェースはそれぞれのコンセプトに従うのは当然のことながらソロとなるとそこで提示されている曲想から、より自分のテリトリーに戻そうとするような動きも時々見える。 それはフリー、インプロヴィゼーションでは彼がイニシアティブを取りそれぞれが自由な空間で領域を重なり合わせて音楽を作るというこの種の音楽の基本的な条件をみたすものだ。 

ギターは厚手のセミアコースティックを中心に50年代コピーなのか誠に愛らしい弦の長さが普通の3分の2ほどのものも適宜に使いたくさんあるペダルやボックス、様々なガジェットで第一セット4曲、第二セット4曲の自作をECM風、南アフリカ風、パリテキサスのライ・クーダー風、ビル・フリーゼル風、マイルスバンドでのマクラフリン、スコフィールド風などと電気ギターの70年代以降の歴史を辿るような音色と響きだった。 ただ、バンドのコンセプトとアルトサックスというのはショーターやフォーチュン、それにあまたフュージョンのアルトで散々聴かれているのだがケーメナーデはそれをよしとしないようだ。 そこでは何があってもミンガスはミンガスだ、というようにケーメナーデはケーメナーデを吹いている。

この日のリーダーについて特筆されるべきは響きの材料は歴史的に最良質のものを集めていることと意匠がすべて自分の作で進めているところだろう。 それぞれの曲に影と日向を作り緊張と緩和の中でもゆったりポッカリ空いた「穴」をつくってある。 そこでゆったりと相互に様子を見合いその場でそこからの新しい地平を探るポイントとしているのだろう。  


ああ、当たらない, GLOCK G17

2009年02月22日 21時53分01秒 | バンバン

20日の金曜の夜、所属する射撃クラブに2009年度のオランダ射撃連盟のパス及びクラブの射撃手帳をもらいに出かけた。 今年度の警察からの銃器所有許可証は2月のはじめにほぼ20年この時期に地元の警察署にでかけ毎年のように同じ婦人警官から自分の分厚い一冊のファイルに並んだほとんど同じ書式のファイルにまた一枚を加え、代金1200円ほどを払ってスタンプを押してもらい、彼女の息子のバードウォッチングのための鳥の精密なイラストがたくさん並んだポスターをみながら少しはおしゃべりをしてまた来年と20分ほどで用を済ませ、年間3万円ほどは12月に自分の属する射撃クラブに払い込むとオランダ射撃協会の会費もそこから支払われこれで一年間の資格の義務は済む。

クラブの同僚と四方山話をしたあと自分の弾丸を用意していなかったことを思い出しクラブで出来合いの弾を買った。 ルガー9mmパラ、50発が箱に入って1200円ほどで、クラブのピストルを撃つつもりだったから小口径の22口径はやめて32口径か38口径にしようと思ったのは自分の44口径の銃に反動が近いからでもあるのだが、あいにく両方とも修理に出ているということだからこれらより少し小さい9mmにするわ、というと同僚が、9mmは38口径よりちょっと小さいぐらいだけじゃないか、という。 なるほど1インチが25.5mmでその0.32倍が8.16mm、 0.38倍が9.69mm、 0.44倍が11.22mmだから9mmというのは0.352となり、なるほど38口径よりちょっと小さいぐらいだ。 クラブで購入した市販の弾薬は自宅には持ち帰ってはならない規則で射撃後は残りをクラブの保管庫にもどすのが決まりだ。 自作の弾薬はもちろん持ち帰りは自由だが、けれどさまざまな制約がありそれは安全第一が確保されるべき方策として当然のことである。

9mmではここ何回かクラブ所有の自動ピストルCZを撃っていたから今回は久しぶりに無機質で最も面白くないグロックを手に取った。 いつもは黒色火薬を使った古式銃ばかり撃っているのだが時にはこのように現代の銃を試して今風を気取っているのだがこれがさっぱり当たらない。

GLOCK AUSTRAIA 9x19 GLT661 と刻印されている。

ほとんど毎日テレビのアクションもの、刑事もの、ミステリーなどに登場するピストルの中でこれをよく見かけるものだ。 ほとんどがプラスチック製で機能的ではあるのだろうがなんとも味気なく感じるのはオランダで35000人ほどが登録されている射撃連盟員の一割以下の古式銃の部門にいて古臭い骨董銃ばかり扱っているからかもしれない。

25mの射場で自分の古式銃なら25m離して撃つのだが様子のわからないクラブのものだから15m話して25cm四方の紙の的をセットするのだが初めの5発で着弾したのはゼロ、12mまで戻してもう5発撃つとやっと2発が7点と9点のところに着弾した。  初めはちゃんとグリップを通常のとおりだったのだがまるでだめだったからテレビ映画でギャングや悪者がやるように体を傾けピストルをほぼ水平からこころもち時計の9時半あたりの角度にもどし発射した。 自分の銃より引き金の遊びが深いためこの姿勢は腕の筋肉への負担が少なく感じるけれど、射撃の姿勢としては皆の眉をひそめさせるものだ。

目の様子がこのところ変化しているようだ。 一日のうちで老眼鏡をかけていることが多く2ヶ月ほど前に作った遠近両用のものとの具合がよくないのかもしれない。 ピストルの照星、照準の組み合わせで狙うのだがライフルの長銃なら間隔が長いからはっきり的との組み合わせがうまく見えてそこそこの成績に収まるのだが短銃では霞んではっきりしない。  はっきりしないといっても狙うときには銃口の上に突き出た照星が手元の照準の間にきっちり挟まれているのがわかるから左右のずれはないはずだから問題は上下のブレだけのはずだけれど15mで25cm四方のなかに入らないというのは普通ではない。 この場合、自分の眼とこの銃器の設定の具合の両方の結果がこれなのだろう。

日曜の昼、自分の古式銃、フリントロック式ピストルで25mの競技会に出た。 25cm四方の的に13発発射して着弾したのが2発、それも10点がひとつと4点が一つだけだった。 10点に命中したのは多分手元がぶれたものだったのだろう。 いつもの通りの姿勢で基本どおりに狙ったものはすべて外れている。 眼鏡の具合だろうと今のところ暫定的な結論をつけておいた。


グロックG17
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF17


昨日の夕焼け

2009年02月22日 13時07分05秒 | 日常

昨日は日中、陽が射し、温度は10度近くまで上がり、町のカフェーでは表のテラスに椅子やテーブルを並べているところも多く、実際午後の買い物の際、人々の顔つきも心持和らいでいるようでそんな通りを歩いていて黒のコーデュロイのズボンの腿あたりに日差しのかすかな温もりさえ感じ、そういうところで地球の地軸の傾きが少しは戻ってきている事を確かに認めた。

夕方家族そろっての鍋を囲む準備をしているとき台所の外、西の空が赤く焼けていて久しぶりの赤い空だと暫し外に出て眺めていたのだがそのうちまた雲が多くなり鍋も残りで雑炊にするころにはポツポツと降り始めた。 

今日は一日寒くはないもののいつ振るのかというような日だった。 予約しておいたジャズのコンサートにも行こうかどうしようかと迷ったのだが夕食後にまだ地面が濡れていなかったから出かけたのだが結局は夜中に帰宅するまでポンチョは使うことはなかった。 12時半、近所の税理士の事務所の上にかかったデジタル表示では8℃となっていたから手袋もつけずに自転車をはしらせても冷たく感じなかったのだと納得した。

寒くてもいつものオリオン星座におお犬、小犬、ふたご座が出ている空の下を帰宅したかった。






アムステルダム散歩 (下)

2009年02月22日 01時01分21秒 | 日常
 
長い青空マーケットの通りが終わって左折し鉄道の高架を抜けると先ほどの人たちが住んでいる地区なのだろう。 ここも通りは120-130年はたっているという大通りの外観で両側に並ぶ店は異国情緒に溢れている。 生鮮食料品、日常雑貨、衣料品店などの種類を眺めているとここはもはやオランダではなく中近東であることを示しているようだ。 オランダの他の中小の都市と違うところはここでは彼らは私たちが話すオランダ語は解するけれど私たちは彼らの言葉が皆目解らないというところだろう。 全体に人が多く活気があるように感じる。

線路に沿ってしばらく行くとそういう地区も抜けそろそろ町の東北の縁に近づいてきたのか1970年後半から1990年ごろにかけて作られた現代的な意匠で大きく箱型の建築物が見られるようになる。 オフィスと住宅が半々ぐらいに混ざり中央あたりにはこの町を通る地下鉄の駅もあり、ここではそれがトンネルから出ていて、通りから見ると川の底をせき止めて駅にしたような形にも見えなくもなく擂り鉢の底のように歩道から見える駅は底に降りるための普通の階段があるわけでもなく開放的に周りの歩道から野球の外野スタンドのように階段が刻まれているのでどこからも最短距離で駅のプラットホームにアクセスできるような設計だ。 こういうものが公共の場所を機能的にデザインするということなのだろう。 それを横目に見てそろそろ港の縁に差し掛かったのだが1900年ごろから南北アメリカやオーストラリアに移る人々を送り出したり、まだ大きな貨物が飛行機でなく船で運搬されていたときに当時栄えた倉庫やホテルを改造して再開発の対象となった地区に入った。 波止場に沿って今でもその当事の代表的なホテルが残されているのでそこで一服することにした。 波止場に沿った倉庫はショッピングセンターに衣替えされている。

ロイドホテルというのは今から見るとなんということはないのだがその建物は確かに1920-30年代を髣髴とさせる様式だ。 これはロッテルダムにある当時のオランダーアメリカ航路本社・ホテルの様式に相似している。 長い歴史の中、蒸気船での多くの乗降客ならびにアメリカへの移民が通過していったところでもあるけれど第二次大戦中は監獄として使われ戦後もそのように引き継がれ1963年から1989年まではロイドホテルというと少年鑑別所の別名だったそうでそのころには建物もかなり老朽化していたところ芸術家、建築家たちが市の助成を得てモダンなものに改装しホテルとして再開させ一部は北米航路に向かう客たちの部屋を再現し、また監獄、鑑別所のころの部屋も残してあり生きた博物館となっているのだそうだ。 広い食堂に続くラウンジの図書室喫茶室然としたラウンジのゆったりした長いソファーでビールを飲みながら新聞を読む私を残して家人と子供たちは上階のあちこちを歩き廻っていたようだ。 階下のトイレで用足しをしているときにはそこは普通のホテルとはかなり違った空間でデザイナーたちが40年ほど前の雰囲気をかなり残そうとしていることが感じられたものの少し離れたところにあるご婦人用のデザインはこちらからは知るすべもない。

ホテルを出て波止場の縁を歩いていると細かい雨が降ってきた。 目の前にはジャワ島と呼ばれる人工島があって、それはアムステルダムの港から、昔はアイセル海だった内海が大堤防でせき止められてからはアイセル湖となったところに注ぐ重要な水路の出口に近い部分でその水路の部分に中州のように細長く人工島を作って今は高層アパート群となっているのだがそこにかかる長い橋を渡ってはいるとことなる。 基本的には大きなコンクリートの箱の集まりなのだがそれぞれに少しづつ特徴があったりひねりが加わっているようで遠くから眺めるとそれぞれの建築家の工夫が見えるようだ。

家人が突然、あ、日本語がある、というので見上げると建物の入り口の上に大きくカタカナまじりのひらがなテキストが見える。 なんて書いてあるの、と訊くから「デートのときにはミニが似合うときいた」と書いてあるのをオランダ語で言うと、それがどうしたのかしらね、こういうとこにこのテキスト、なんの関係もないでしょう? それにしても自分でも意味のわからないものをよくこういうところに大きく書きつけるものだわね、ばかばかしい、と言うのに賛成しながらも、こういうのは今に始まったことではない、Tシャツにもばかばかしいのが多いからそんなもんだろ、と言ったのだけど、ここに住む数千人の住人はここでは必ずこれに眼が行くのだからその頭に去来するのはどんな想いかと不思議に思ったのだが、もっとも、意味がわからなければそれはただのかたちでしかなく何の感慨もないのかもしれない。 それとも東洋の深遠な「禅」の言葉とでもおもうのだろうか。 まさか、それはない。

風と雨が強くなり波止場沿いに歩いていると海沿いの石畳が滑るようで水に落ちないよう波止場の内側をあるいて、歩く人も見えない高層住宅が並ぶところを上を見上げながらあるいていたらビルの地上階にファッション・ショップがあって子供たちがそこに入ってしまったからそれから半時間ほど私は何もすることもなく、手持ち無沙汰で店の前にあるいすに座ってデイパックから取り出したスコッチの小瓶からちびちびと飲んでいたら娘のボーイフレンドが中の様子に耐えられないのか私の横に座ったので壜を差し出したら、温かくなるから助かります、と一口すすってまた店の中に入っていった。 こういうのはアウトレットにでかけたときに懲りている。

結局そろそろ暗くなってきたし雨も強くなり、ここでこの日のウオーキングは終わりにしようと家人がいうのでそれに従った。 中途半端な気もしないでもないけれどこれから歩き続けても何もなく両側にのしかかる住宅に囲まれた中を雨の中ぶらぶらとまだ2kmほど歩き橋をわたり、日ごろはジャズを聴きに来るミュージックホールの建物の横に出た。 そこから市電に乗り中央駅まできて予約してあったレストランがあるところまでまで地下鉄で出かけた。 そこに3時間ほどいてまた地下鉄で中央駅まで戻り自分の駅までもどってきたら10時を周っており駅前でばらばらになり我々夫婦は預けてあった自転車に乗って霧のように細かい雨の中を家に向かった。


ロイドホテル
http://www.lloydhotel.com/
旧オランダーアメリカライン本社・ホテルニューヨーク(ロッテルダム)
http://www.top010.nl/html/vm__hoofdkantoor_hal__hotel_ne.htm
アムステルダム市、ジャワ島地区
http://www.amsterdamdocklands.com/navigation/Architectuur/Java_main.html

Bart Wirtz Quartet

2009年02月20日 10時26分56秒 | ジャズ
Bart Wirtz Quartet

Thu. 19 Feb. 09 at Cafe De Burcht in Leiden, The Netherlands


Bart Wirtz (as)
Jasper Soffers (p)
Jeroen Vierdag (b)
Joost Patocka (ds)

1st Set
1) North
2) J minus No
3) Wait
4) Honque Honque

2nd Set
5) Prologue
6) Butcher Pepe
7) Your Eyes
8) Hasty Hand

このグループのベースとドラムスは何回も他の連中と演っているのを聴いているけれど本日の主役アルトとその補佐とも言うべきピアノのことは会場で地元のジャズ同好会の司会から紹介されるまで知らなかった。 

17歳までこの町で育ってからロッテルダムの音楽院でサックスを修めその後ニューヨークに修行のため7年間住みその時大先輩のゲーリー・バーツのグループで吹き、時にはアルトの Vincet Haring とセッションをすることもあったとセッションの間の休憩中に本人から聴いた。 オランダに戻ってからは人気のあるグループ Young Sinatra や  Michiel Courbois  など実力あるバンドやミュージシャンたちのグループでアルトを吹いていて、今回リーダーとしてははじめてのCDをリリースするツアーの一環だったのだ。 オランダのメジャー、チャレンジレーベルから出たばかりの、Wirtz Prologue / CHALLENGE CR73277 を引っさげての登場で会場に詰め掛けた家族、知人などと和やかに話す間にも初回400枚ほどプレスしたCDの売れ行きは好調のようだ。

アルトの第一声を聴いてその響きが気に入った。 70年代後半にニューヨークで聴かれたポストハードバップともいうような香りが濃厚にリードの湿度と乾き具合がいいアルトの響きに感じられ、だからこれは余計な流行物を排除してジャズの王道を進むものであり、徐々にテンポが上がって一当たり様々なフレーズと指使いを開陳してピアノに繋げる様子は真剣に聴こうといわせるこの宵のプレリュードで初めて聴くものをうならせる。 それに低音が際立ち弾むベースと確かなタイムキーピングにさまざまなアクセントを力強くからませるドラムスの具合はますますアルトをひきたて、2)では8ビートまで乗せて弾け 3)の美しいバラードはどこかウエイン・ショーターを匂わせクラシックモダニズムに触れ、それが4)ではモンクの飄々としたユーモアというものも示されここでもジャズの王道を敷衍している営為が確認されるのだ。

美しいバラードは7)でも聴けるのだがこれらに対照して5)や8)ではコルトレーン調のゆったりとしたシンコペーションのリズムセクションに乗せて豪快に飛ばす太い音もこの段階では機関車のスロットル全開状態で会場の客の体をうねらせる作用を促し、聴く方はそれぞれのミュージシャンの中で想起されているものを追っているようにも見える。 このコンサートを体験することでわれわれは最良のジャズメインストリームの現在に触れることができるようだ。

この日のプログラムで演奏された曲はすべてCDに収められているものだがこれらはリーダーのアルトが自作のものなのだが、CDの中でドラムスを担当しているユースト・ヴァン・シャイクはこの日、地球の反対側でジェリー・マリガンのものを中心にしてバリトンサックスのヤン・メヌー、オランダジャズギターのスター、イェッセ・ヴァン ルラーとともに静岡か名古屋で公演しているはずだ。

下記のサイトでこのグループの音が聞ける。
http://www.bartwirtz.com/