暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

大学病院再訪; 家人の手術日

2018年06月29日 17時45分53秒 | 健康

 

 自分の病気で一度は打つ手なしと診断されアムステルダムの国立癌研で実験材料になるまで抗癌剤治療で親しんでいたライデン大学病院を再訪した。 アムステルダムにある癌研に入院してからはここには一年ほどのご無沙汰だったがそれまでは良く家族に運転してもらって来ていたところに今度は自分で運転してこの日手術を受ける家人を乗せてくることになったのには少々感慨深いものがある。 この一年ほど家人は頭が重く風邪のような症状で鼻の調子が悪くMRIやCT-スキャンなどの検査もし、癌の恐れはないもののその後の診断では捗が行かずでは一度簡単な手術で管を通し液を抜いたりカメラで覗くなりしてみようかという事になって4か月ほど前からその手術日の予約を試みてやっとこの日に手術できるところまでこぎつけていた。

12時半入院、14時手術、1時間ほどで終わり術後の麻酔を覚ますのに2時間ほどの予定で半日家人の付き添いとして今度は別の角度から病院をみることになった。 去年の抗癌剤治療の時は10階かの窓から眺めた景色のこともここに書いていたのだがベッドに横たわって時間を待つ家人を横目に今度は6階の別の角度から外を眺めライデン駅を別の角度からも観た。 手術が長引けば宿泊することにもなる待機病室にいるともう一つ大型ベッドのスぺ―スが空いていた。 そのうち大柄なオランダ婦人が入ってきて、ああ主人はまだ帰ってきていないね、と言う。 聞いてみると1年半ほど前に花火の暴発事故で顔面を破損してそれから9回手術を繰り返していて今回が10回目だと言う。 右目はなんとか回復したものの左目は網膜剥離治療、レンズ再生、角膜移植に今最先端の細胞から育てる組織の移植などで今回の手術ももう済んだと思ってきてみたらまだ手術中のようだと言って出て行き、結局それから3時間ほど経って大木のようにボソッと立ちアイスキャンデー舐め舐めその大柄な母親のそばに立つ中学生ほどの息子をつれて入ってきてもまだ事情は同じようで、時間を外で潰すからといって出て行った。 こちらの方は検査と手術を兼ね備えたような比較的簡単な手術のようなのでそのうちナイメヘンからやった来た娘を加えて手術半時間か1時間前に来るはずの麻酔・準備コールを待ったが手術予定時間になっても何の音沙汰もない。 接待の茶菓をもらっても仕方がなく雑談・新聞・雑誌を読みながら時間を潰したけれど3時半になっても駄目だから今日は無いなと覚悟したら4時になって若い医師が二人来て状況を説明しに来た。 10室ほどある手術室の手配、予定が、長引く手術などがありどう配分しても今日中には手術の可能性がないからひとまず帰宅して次の予約、約束を各自主治医ととってもらうこと、緊急手術などの深刻度の度合いによっても予約は取ってあり、家人の場合ではそれが後退し深刻度上位であってもこの日に出来ない手術もあったのでこの遅延処置には理解を願うこと、何週間もの詰まった予約の順序を混乱させるわけにはいかないので家人の手術はその流れの中で大きな「隙間」があるところに優先的に配分されること、等々が説明され、これは文句をいってもどうにもならないことは明白なので家人はそこで振る舞われた朝からの空腹を満たすべく賄いの粗末な食餌を口にし、自分は不味いコーヒーとケーキを腹に入れて帰宅した。 当然5時間分の駐車料金は向うもちだった。

こういうこと、というのは医療関係の不首尾、システム不良はニュースやルポルタージュで知っていたけれど自分の身のこととなるのは初めてだった。 世界のどの国でも医療はその程度はあれ問題のない国はない。 60年代、70年代の北欧型社会福祉制度で整っていたオランダの医療制度も80年代以降膨れた制度と財政を持ちこたえるのが難しくなり、90年ごろから市場原理に基礎を置く制度にシフトせずには維持不可能になったのは公共の団体では当たり前のこととなっており、ヒト・カネの不足のあおりがここに一つの形となって現れているという事なのだろう。 最近のニュースでは医師の不足、ことに手術の場では麻酔医の不足が言われていて何人ものチームで手術をする場合には高度な専門性が進んだ現場では一人が欠けると手術不能という事も当然のこととして起こり得る。 自分の場合では、癌研の病理診断チームは7,8人の医師が水曜10時から幾つものモニターを使って何十人もの患者の診断を効率的にしておりその日はたまたま放射線医師が欠席していたので約束をしていた面談が一週間延びたという経験がある。 家人の場合それだけではないようだ。 手術室の入れ替えで何人ものチームの移動、欠員の補充の不可、手術の都合で何時間もそれが延長されれば予定が変更される。 細かく説明はされなかったがそういうこともあるとの類推ができる。

冷房の効いた病院にいて外に出るとムッとするような夏日だった。 家に戻り、こんな暑い日にはとザル蕎麦とリゾットを簡単に造り晩飯とした。


見つからなかった本がどこかからか出てきて、、、

2018年06月28日 08時53分21秒 | 日常

 

定年退職してもう3年になる。 それまで仕事関連や自分の趣味のための書籍を仕事場の自室に置いてあったのだがそれだけではスペースが足りず図書館の開いているところに箱詰めにして置いていた。 自宅の自室にはものが溢れていて置いておける場所がなかったということもある。 退職時には自分の事務所は明け渡さなければならずそこの書籍は整理してあったものの図書館においてあったものを持ち帰ろうと置いてあったところに行ってみると数百冊あったものが消えていた。 若く赴任してきた図書館の責任者に尋ねても司書に尋ねても全く知らぬ存ぜぬで埒があかず自分で図書館のスペース、建物の屋根裏部屋を全て視たけれどどこにもそのようなものは見つからず忸怩たる思いで定年退職した。

おととい急に写真付きメールが入り、自分の荷物ではないか、と書かれていてこの建物は学科の移動に付き3週間以内に自分のものであれば整理し、そうでなければ身元の分からないものは処分されると書かれていた。 それで今日久しぶりに大学に出かけ管理人に鍵を開けてもらい屋根裏部屋にあがれば見覚えのある箱に探していた自分の書籍があった。 キツネにつままれたような気がした。 なぜ、どこから出てきたのかは謎だった。 

要るものと要らないものを手早く種分けして数日後に車で取りにくる旨を伝え帰宅した。 13,4箱、約400冊になるだろう。 殆どが目を通したことのあるものだが未読の物もいくつかあってこれからそれらをボチボチと読もうと思う。 けれど取敢えずこの箱をどこに収めるかが問題になる。 屋根裏の自室は今以上のガラクタ部屋になることは確かだ。


Teken  が マダニ(真蜱)だって

2018年06月25日 15時31分00秒 | 健康

 

家人がオランダの北の島で開かれた演劇・音楽・芸術祭である Oeral から10日ぶりに戻ってきた次の日、teken に噛まれているかもしれないからと左の脹脛を指さすのでソファーに横にならせて診てみた。 長さ1mmよりは大きいけれど2mmまで行かないような、小さな芥子粒のようではあるけれど3、4対の髭のような足がみえるものが頭を脹脛にめり込ませている。 ああ teken だ、と告げてこれを取り除くための特別のプラスチック器具と消毒液を持ってきて難なく取り除きティッシュペーパーの上に乗せて写真を一枚撮った。 

オランダ版 Wikipedia, Teken の項

https://nl.wikipedia.org/wiki/Teken_(dieren)

 

日本版 Wikipedeia マダニ の項

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B

 

幾つかの画像

https://www.google.nl/search?q=insect,tick&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwio1eWjxe7bAhUSKuwKHcvyDaYQsAQIJw&biw=1680&bih=942

 

自分は野原をショートパンツで歩き回らないから問題はないものの子供たちがまだ小さい頃野原や公園で遊びまわっていた頃学校からでもこの時期になると Teken に注意するよう達しが来ていて簡単なそれを取り除くプラスチック製の器具を薬局で買ってきて用意していた。 一度だけ息子か娘にくっついたものを取り除いたことを覚えている。 もう20年ほど前のことだ。 それがここにきて Teken とは。 島を離れる早朝に日本人アーティストのパーフォーマンスが朝5時からあり、それに間に合わせるべく夜明けから島の突端の砂丘まで急いで草に坐ってそれを鑑賞したあと寝泊まりしていたテントを畳み帰宅したのだがそれから脹脛に異物が入っているのを感じていたのがここに来て Teken ではないかと確信したのだと言う。

 これに噛まれるといろいろな感染症の可能性があるとしてオランダではこの時期さまざまなメディアでキャンペーンがなされ子供がいる家庭、野外活動をするものには Teken はよく知られている。 ついこの間もニュースでこれとオーク・コナジラミの幼虫である毛虫が樹の幹にびっしりと発生していると警告があったところだったので、だから家人の Teken もタイムリーではあったといえる。

これが和名でマダニだというのでいささか戸惑った。 ダニというのは自分の経験では家の中に発生するノミ・シラミの類でことに真の蜱となればまさにイエダニではないか。 それが野外の寄生虫であるのだから子供のころから田舎の山川野原で好き勝手に遊んできた自分が聞いたことがなかったから驚いただけでたまたまそれに遭遇しなかったということもあるけれど上の二つのウキの記述や写真から見て日本の方では実際的な情報は少ないからそれだけ問題が少ないということかもしれず、また一方これだけ都市化が進み子供が幼児から学校に押し込まれるような社会では自然に親しむことの少ない子供、さらにそれらが成人してからは一層自然から離れるような生活をしていて存在していても実際的に接触をする機会が少ないからという事もあるのだろうかと今ではほぼ他国となった日本のことをウィキペディアの異なった記述から想像してみる。 身近なことではオランダに住み始めてからハリネズミが庭をゴソゴソ歩き回っているのを経験している。 危険はないから近くに行って眺めたりはするけれど触れようとはしない。 それはハリネズミの棘があるからだけではなくハリネズミにはこのマダニが幾つも付いていることがありそれがこちらに移らないように触れない、ということだ。 

Teken はオランダ名で、普通 Teken というと名詞で記号、画、サイン、兆候などの様につかわれるからここでの蜱(ダニ)という意味は今のところただ一つの蘭和辞典にも載っていない。 けれどこの時期にはオランダ人の殆どが知っていて使うほどの語彙であるのだからこのことからこのオランダ語辞書の質が問われるということなのだが人手と経費を抑えるために中学生向き蘭蘭辞書をそのまま訳しただけではそうなるのも致し方がないともいえる。 英語万能の今の世界でオランダ人でさえ自覚しているように誰がオランダ語など勉強したり習ったりするのかということでもある。 ちなみにこのマダニはラテン名 Ixodida、 英名 Tick であり、日本では社会のダニは人について血を吸う嫌われ者ではあるが人知れずぬくぬくと血を吸い続けそれが常態になっていると社会全体が麻痺しがちになるもののやがて社会的不公平や弱者の数が増えるにしたがってダニを意識するようになる。 暴力団などは小さなダニであってその背後に巧妙なダニがまだ当分の間吸えると踏んで生息できる環境をつくろうと努力しているのではないか。 Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling、、、、とオヤジギャグが口から出そうになるのを抑えてあまり気持ちの良くない幾多の Teken の画像を眺める。


夏至が来てもう夏なのに寒い

2018年06月23日 23時04分48秒 | 日常

 

 

2018年 6月 21日 (木) 

この2日ほど寒い。 何もすることがないので夕食後,サッカーWCライブと退屈なB級SF映画を交互に見ていた。 SF映画は地球温暖化や急激な氷河期がやってきたらという旧来の物語をCGで膨らませて焼き直したようなものだったのだがこの2日ほど日中気温が15℃ほどと肌寒く生来のズボラから放っておいた冬のジャンパーに手が向くほどで、先週から来ていた家回り補修のペンキ屋も寒空を見上げながらの仕事ぶりだ。

そんな鬱陶しい空模様の写真も何だから数日前に撮った、気流がおかしそうな雲の写真をここに張り付けて多少の青空を慰めにする。


また新鰊を喰った。

2018年06月23日 21時26分50秒 | 喰う

 

土曜のマーケットでこの3週間ほど昼飯に新生鰊を喰う。 伝統的なら尾を摘まんで下からがぶりと喰いついて3口ほどで平らげるのだがそのあと摘まんだ指が匂うのでそばにはレモンを入れた濯ぎ桶があるのだが同じものを紙の皿で幾つかに刻んでもらって玉葱のみじん切りを乗せてプラスチックのフォークで喰った。 今の時期新鰊のキャンペーン中はプラスチックのカップにオランダの熟成ジンであるオールド・ジェネーヴァ(30%アルコール)を頼めばつけてくれる。 写真では3分の2を飲んだところだが、このジェネーヴァは貰った量ではカフェーでは300円はするのに払ったのは新鰊だけの値段約230円だけだからどうなっているのかと思う。 商売というものには普通の人間には分からぬトリックがあるのだろうか。 兎に角美味い。 一週間に一度も二度も喰うのは今の時期しかない。