暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

'18 夏休み(8) 電動自転車に乗る

2018年08月30日 03時13分22秒 | 日常

 

2018年 8月 4日、5日

土、日の二日間滞在先近くの町で貸し電動自転車を借りた。 そして二日で115km漕ぎその感想を記す。 

オランダは世界に冠たる自転車王国で自転車ネットワークのインフラに関しては他のどの国にも追随を許さない。 それはヨーロッパの各地、日本の自転車事情を自分で経験して言える事で、オランダに40年近く住み、時には車を使うけれど日常的に大抵の物事は自転車で済ませ、偶には近所を20-30kmほどサイクリングしている者にとって環境に害を与えず、またこれが適度な運動となっているのだからこれほど便利なことはない。 

だから、体力がそこそこあり、急がず、距離が長すぎなければ、数段変速ギアのついた普通の自転車でことは足りるのだが、そこに、楽に・早く・長い距離を、自転車で移動したくなればそこに動力を導入しようと思うのが自然の流れとなる。 だから19世紀に発動機の発明に伴って自転車に発動機をつけたものがオートバイなりモーター・バイクとなったのは言うまでもなく、自分がまだ小さな子供のころ、1950年代には普通の自転車の車体に小さな発動機をつけたものが普通に見られ、そのうち60年代の後半になってホンダのスーパーカブを乗り回すようになってもいる。 それからは大型オートバイにも車にも触れるようになる。 けれど一方、大学時代には知り合いが乗るフランス製のソレックス・バイクに旧式の自転車の面影を見て、漕がなくとも走り、動力を使わないときには漕いでも使える洒落た自転車だと思った。 

けれど旧式の動力付き自転車にしてもソレックスにしてもそれらは発動機で車輪を回しガソリンが切れるなりして発動機が動かない場合にだけ自分で漕ぐシステムだった。 だから自転車として漕ぐときには車体の重さが加わり、自転車だけのものと比べると相対的には漕ぐものにかなりの負荷を感じさせる装置となっていた。 だからそれはただ押すよりはマシではあるけれどとても自転車と呼びたくない、ただの動かないオートバイだった。 つまり漕ぐことと動力とは相容れなく、白か黒、0か1かで動力ゼロのときは漕いでも動くけれど普通の自転車には及ばないものだった。

ここに来て動力に電気を使い漕ぐのをアシストするものが出てきて人気を呼び使われるようになった。 システム的には、漕がなくとも電気だけで動かせるものはオランダでは法的に原動機付きバイクと同等に見做され原付免許携帯及びナンバープレート付帯の義務がある。 漕がなければ動かない、漕ぐとそれをアシストするような電動自転車には免許もプレートも必要ない、というようになっている。

自分が借りたのは自転車自体が3段変速、電動補助強度が5段階で自分で漕がねば進まない仕組みのものだ。 ハンドルの上にはデジタルの小さな計器がつけられていてそこにはいくつかのボタンで補助強度の調節ができ、走行距離と速度、及び補助強度の度合いが表示される。 ペダルを踏みこむと一拍か二拍置いて引っ張られるような感じがしてスピードが増す。 オランダはどこもほぼ坂道がないから幾つもの変速装置は要らないものの自分が日頃町で自転車を漕ぐ時には、特に信号で止まる前にはシフトを一番低くして置いて青になると踏みだすにつれてシフトを上げていくことをするから電動でもそのようにする。 そしてそれに関連させて補助強度を調節するとスムーズにことが運ぶようだ。 初日に70km、二日目に45km世界で最も整備された自転車道の、それも人気の少ない見通しのいい郊外、信号のほとんどないルートを走りその快適さを味わったが一旦これを日頃生活する町中で使うとなると少々の危険要素を感じて二の足を踏むだろう。 もし日常に使うとなると足腰に自信がなく、けれども自転車に乗りたいと思うときだろうからそうなると、それまであと10年は今のままでいいと思う。 今回は二日間だけだったがその中でもヒヤリとする瞬間があったことが二の足を踏む理由で、こんなゆったりとしたレクリエーション用のルートでこれなのだから信号が幾つもあって交差点も複雑、かつ人通りの多い通りでの使用にはかなりのリスクが伴うのではないかと思うからだ。 車を運転するのにリスクが伴うのは当然ではあるけれど電動自転車でのリスクはもっと微妙で突然急に目の前で起こる様な種類のものであるような気がする。 実際、人が乗る電動自転車の様子を見て危ないと思うことが今までに何回かあったし人からもそんなことを聞いていることに加えてメディアで電動自転車の事故が多々報道されており、殊に高齢者が電動自転車を使う場合の事故が多いことから安全協会がキャンペーン講習を各地で行っていることも伝えられている。 オランダでは主に電動自転車は老人の乗り物で若者はバイクやスクーターに乗るからそういうことになるのだろう。 この種の電動自転車には免許が要らないということが安全管理の上でハザードとなっているけれどそれは必ずしもそうだろうか。 日頃感じるのは免許の要るスクーターでもヒヤリとする場面を何回か見ることだ。 無茶なスピードで無謀な運転をするバカな若者男子がいるのは当たり前ではあるけれどそれでも男子は一応に事故の危なさは心に留めてあるよう見えるものの、一方、スピードは出さなくとも周りに不注意で他人のことを斟酌していないかのように運転する若い女性をよく見かけることだ。 女性は機械に弱いといわれることと関係があるのだろうか、それともそれは性差によるものだろうか。 議論を呼びそうな気がする。

 今日のネットニュースで、電動自転車による悪質な過失事故の判決を次のように報道しているのに行き当たった。 

昨年12月、スマホを操作しながら電動自転車を運転し、歩行者にぶつかって死亡させたとして重過失致死罪で大学生の女性に対し、横浜地裁は禁錮2年執行猶予4年の判決を言い渡した。 スマホを使いながら自転車を運転して事故になるケースは急増しており、警察庁も注意を呼びかけている。 判決では「周囲の安全を全く顧みない自己本位な運転態度で、過失は重大」と指摘。そのうえで、事故当時は時速9・3キロと比較的低速だったことや、被告の家族が加入する保険で賠償が見込まれる点などを考慮し、執行猶予つきの判決が相当だと結論づけた。 判決によると、被告は歩行者専用道路となっている商店街で自転車を脇見運転し、歩行中の女性(当時77と衝突、脳挫傷などで死亡させた。被告は左耳にイヤホンをつけて音楽を聴きながら飲み物を持った右手で右ハンドルを握り、左手でスマホを操作しながら走行。メッセージの送受信を終えてスマホをズボンの左ポケットにしまう動作に気をとられ、事故を起こした。 弁護側は「悪質性の低い脇見運転」だと主張したが、判決は「前方を注視しないばかりか、危険を察知したとしても直ちにブレーキをかけられない状態だった」と述べ、「『脇見運転』と矮小(わいしょう)化する弁護人の主張は論外」と退けた。さらに、被告が法廷で「急いでいたことが事故の原因」と述べたことについて「根本原因である自らの運転態度についての内省が深まっていない」と非難した、とあった。

何とも愚かな、と呆れた。 数々の愚かな過失を犯し、自らの運転態度についての反省がなく、賠償は本人ではなく親がかりというのだから、ある意味これがそんな個人を作り出した日本と言う国を表していると感じた。 ことに日本の町で自転車に乗る危なさにはいつまで経っても慣れない。 日頃のニュースからみて公共の交通インフラを整えず、交通安全教育だけを言い、年寄りから自動車免許を自主返納という形をとって獲りあげようとしているかに見える交通政策からみるとこれからどんどん増えていくだろうこのような電動自転車の問題をバカな娘を罰するだけなのか、他にどのように解決するのだろうかとその点に興味が湧く。

快適にバカンスの郊外で快適に115kmほどを電動自転車で走り楽しんだ。 時には日頃オートバイ以外では走ることのない時速35km以上で走る経験もし、なるほど魅力のある自転車ではあるけれど当分の間自分の日常には要らないと思った。


息子の誕生日パーティー

2018年08月29日 11時46分06秒 | 日常

 

2018年 8月 25日 (土)

息子が30になったのは今年の1月末で、その日は大阪四天王寺に母親の納骨に家族四人で出かけ、その後ミシュラン二つ星の割烹料亭で食事をしたのだったがそれは家族だけのもので誕生日のパーティーとは言えず本人も心残りになっていたのだろう、先月メールでこの日にこんなプログラムでパーティーをやると知らせてきた。

午後息子のハーグにあるアパートからライデンの我が家まで海岸沿いの国立公園を含むサイクリング・イベント往復約40km、その後5時からハーグの家で9時までバーベキューを含む立食パーティーとあり、またこの日は夜7時ごろからすぐ近くの運河上でハーグのジャズ・フェスティバルが開かれるのでそれをも見物の流れ解散、というものだった。 何かしようかと前もって息子に訊いてみると寿司を作ってくれというのでもうこの20年ほど何回も大晦日のパーティーで作っているバラ寿司とかちらし寿司というものを35人分ほどは用意するといっておいた。 義弟宅の年末の持ち寄りパーティーには評判がよく、何年も続くと皆も味に慣れ期待もされるようになっていることから同じものを同じ量作ればいいので何も考えなく材料さえ揃えればほぼ自動的に手が動く。 家人はサイクリングで腹をすかせた若者たちが昼に到着すればザワークラウト入りのホットドッグでもてなすとも言っていた。

その日の天気予報はかなりの雨になるというのでサイクリングも取りやめで40人弱も下宿にくれば入れないことはないけれどかなりの混雑になると予想していたものの空は斑でも陽も射すときがあり結局息子と娘を入れて6人がサイクリングの格好をして現れ、麗らかな日差しの下、裏庭のテーブルで用意した食事を平らげ帰って行った。 後で聞くと一度だけ雨宿りをしたけれどあとは陽射しの中を気持ちよくサイクリング出来たそうだ。

ハーグに戻った娘が車で来て、我々と共に寿司と冷やした飲み物を入れておく発泡スチロールの箱をハーグのチャイナタウンにある息子のアパートまで運んだ。 チャイナタウンのゲート近くで荷物を下ろしているとザーッと雨が降ってきて電気屋の軒先で5分ほど雨宿りをしたけれどそれから後は大した雨は降らなかった。

5時に部屋に行くともう15人ほど居て、ほとんどの者から病後のことを訊ねられた。 名前も知らず顔もうろ覚えの連中からそんなことを訊かれるのに戸惑ったがもうこの一年で何回同じ話をしたのか数えきれないくらいなので短いバージョンを数人毎のグループに話して出来るだけ回数を少なくした。 日頃のこんな話は殆どが年寄りたちとの話となるので若者たちに話すのは新鮮な感じがするのだが大抵反応は、彼らの家族や叔父、叔母、爺さん、婆さんに関係していて流石かれらの年齢グループにはまだ癌は身近ではなさそうだ。 当然息子の男友達たちには中学生の時から家にきている者たちもいるのでそのころからの女友達は少ないもののここにくる女性たちは殆どが男友達のガールフレンドであるから顔見知りなのは数人でしかない。

直径40cmほどの木の桶で5合のすし飯を混ぜ、そこに様々な具を混ぜたり乗せたりしてちらしずしにする。 当日港町の Katwijk の魚屋に出かけ、燻製鮭の薄切り500g、燻製鰻5尾、オランダ剥きエビ500g、イクラ50gを買ったら1万円ほどになっていた。 ベジタリアンが5,6人いるというのでその者たちのために別に4合ほどの魚抜きのちらし寿司を用意した。 魚が入った寿司には甘辛く煮たかんぴょう、ニンジン、シイタケを具にしたけれど、ベジタリアンの方にはそれに加え茹でたバター豆、胡瓜の細切り、稲荷寿司の皮の細切りを混ぜどちらの方にも錦糸卵を十分に散らしてある。 出汁、鮭、少々の砂糖に塩胡椒、ミルクで12個のL卵からフライパンで12枚の薄卵焼きを作り細切りにして錦糸卵を作った。 前夜、焼くだけで1時間かかったが、具の煮ものをしたり錦糸卵を用意している時には、日本に帰省しない年の晦日には同じことをしているので妙な気持ちになった。

息子の何人かの女友達からは手造りのキーシュが何皿か、大量のサラダ各種、パンに塗る何種類ものペースト、大鍋に用意されたカボチャのスープなど若者の胃の大きさに驚かされる。 二つある冷蔵庫では足りないので冷えたビールやワインを酒屋で買ってそれを保存しておくのに我が家の発泡スチロールの箱が三つ呼び寄せられたのだったけれどそれでも100本ほどのビールしか入らないけれど始めるには冷えたカートンに入ったものから飲んで行けばいいのだから一応はいつも冷たいものを口にできるシステムになっているのだ。 彼らは学生時代からこんなパーティーを彼方此方でもう何十回と経験していて30にもなると少しは趣も変わり、それまでは安物の一種類のビール、ピーナッツにポテトチップスだけで量だけのパーティーだったものから今はビールだけでも10種以上、ワインにソフトドリンク、食い物も各種レベルアップしているのを見ると彼らの年齢からすると青年から中年の入口に入るパーティー仕様にも見えるのだ。

5時に来た時何人かがバルコニーというかテラスというか外にパーティー・テントを二張っていた。 そこには20人ほどが収容できそうだった。 雨に備えてであるけれど雨風が来たら殆ど役に立たないようにも見えたがないよりはましだと言っていた。 だれかが寝袋とこれ、それにビールがあればロックフェスティバルに行った時には最強だったと笑っていたけれどこんなものを持って行ったのは初めからまともに寝るつもりはなかったのだ。 バーベキューと言っていたけれど豆炭に火を起こし何人かで串に刺した鶏肉を焼き鳥にしたものだけだった。 100本以上作ってタレに浸したものを空を眺めながら焼いた。 幸いに雨は降ってこなかった。 40人弱のグループで年寄りは我々二人だけだった。 ふと、まだ子供のパーティーで親をやっているのかとそんな感慨も迫り、もうそろそろこんなことも終わりにしたいとも思った。 思えばこんなことを子供たちが幼稚園に行く頃からやっている。 それが今、息子の小学校からの友達のガールフレンドの腹が大きくなっているのを眺めているのだ。 多分我々がこんなことをするのはあと1回か2回で終わりだろうと思う。

知り合いのギタリストが9時前からワンセット30分トリオで演奏するとプログラムにあったので皆に別れて家人とそこを出た。 近くの運河沿いは喰い物屋も出て賑やかだったがどういうことからか彼らは見当たらず暫く彼方此方を歩いただけで駅の方に歩いていると、ここに来てから口にしたのは焼き鳥一串だけだったことに気付いた。 焼き鳥を焼きながら飲んだビールで腹が一杯になり何も喰えず自分の作った寿司の味見も出来なかった。 映画館のロビーでチョコレートケーキをコーヒーで喰って胃を宥めた。 

ハーグ中央駅に着くと乗った電車が3分で出てライデンの駅に着くとターミナルに待っていたバスが2分で出た。 オランダでは誰もが電車やバスの連絡の悪さの文句を言うし国鉄の混乱模様は日常テレビで報道されているけれど自分に関しては30分も待った試しはこの何年もない。

 

 


喰えない

2018年08月26日 12時09分38秒 | 喰う

 

このコラムは「食う」なのに喰えないことを書く。 普通は喰ったもの、喰った感想なりそういうことを書くのだが今日はそれ以前の「喰えない」ということを書くのだから、それなら「食う」のコラムというより「健康」に関してのことでもあるのだからそこに書けばいいとはいえ、喰いたいのにちゃんと喰えなかったものの写真も撮っているので「食う」のカテゴリーに収めることにした。

自分の経験していることは胃を切った人に共通する現象なのだと説明された。 知り合いの親戚にもう10年以上も前に胃を半分切った人がいて日常生活で一日に5回も7回も食事をしている人がいる。 例えばうどんを5筋ほど食えば満腹してもうそれ以上だめで、そんな少量を5回も7回も時間をおいて繰り返し毎日を過ごしている。

自分の射撃クラブの同僚で去年医者のすすめで肥満対策で胃を小さくした男がいる。 自分の手術とほぼ同時期だったことからこちらは胃癌、あっちは肥満矯正のためと術後の経緯の軽重の差はあっても食後の体の反応に関しては同じような経験をしているのだが一つ違うのは向うは味覚が鈍り、食欲がなくなったこと、だから腹が空かず時計の針に従って、食べるというより食物を只単に機械的に規則正しく口にするだけの毎日となったことだ。 

手術から一年以上も経って今こんなことを書くことに少々の苛立ちを覚える。 手術後半年ほどでほぼ普通の食生活に戻った。 刺激物や酸性の強いものに弱くなったものの味覚は戻り、以前にも増して敏感になっているとも思えるようにもなっていた。 医者から一回の量を少なくして一日5回以上に小分けして食事をするように言われていた。 頭では分かっていても60年以上も続けている自分の食習慣はなかなか変わるものでもなく、ことに味覚が正常、食欲もあるのだから美味い食い物を前にして抑えることはなかなか難しい。 普通の食生活に戻るにつれて、また体力が恢復するにつれて家庭で食卓に着くと自分の皿に家人のものと比べて3割ぐらい少なめに取り分ける。1年半前までは家人の3割増しで盛り、おまけにお代わりをも普通にやっていた。 それがこうなっている。 ただ術後の恢復期には医者に言われたことは頭にあったものの何れはもとの健啖に戻ることを当然のこととして現在の状況はその過渡期と考えていたふしがある。 ない胃を鍛え自分が考える一回の限度をこれと決めて皿に取り分けたものを完食するつもりで頑張っていたのだがこの4ケ月ほど食事の後不快感と吐き気のようなものが押し寄せてベッドで30分ほど横になってやり過ごすということがほぼ毎日になっている。 

それならそこまで盛らずに少量にすればいいのだが、これくらいと思って盛りつけたものに対してこうなのだからそれで気分が滅入る。 どこまで後退すればいいのかそれに悩むのだ。 それに快不快の境目がとても微妙なのだ。 あと三口ぐらいで完食できるとおもっていたらスプーン一匙、肉フォークひとかけらで急に嘔吐感に襲われてベッドに轟沈となるのだから落とし穴に嵌められたような気分に落ち込むわけだ。 それにほんの偶に完食してそんな攻撃に遭わなかったときがあるのだがその時には多少の空腹感が残る。 そしてその時にはあと一口分でもお代わりをすればまた元の木阿弥になる感じはあるのだからその境目の薄さには悩まされることとなる。 結局は自分の喰える限度と思う量よりまだ少なめに皿に盛り、その習慣に徐々に自分を適応させていくしか仕方がないようだ。 そして旨いと感じてもそこで慌てず急がずゆっくりと咀嚼して少ない量を相手の食べる量に合わせて完食するという技を身につけなければ少ない量を喰い終わり他人がまだ食事しているのを味気なく眺めていると言う甚だ寂しい体たらくを晒すことを避けねばならない。 これが自分の「喰えない」現在である。

今日の食卓に上がったのは隣村の肉屋が手造りの自慢の小ぶりのソーセージで、その大きさは南米の女たちが20も30も胃に飲み込んで運ぶコカインのパッケージほどの親指より少し大きめである。 小粒の新じゃがを洗って花野菜と一緒にキャセロールに放り込み庭のローズマリーを刻んで塗しオリーブオイルを振り掛けて焼いたもの、レタスにプチトマトのサラダである。 手術前にはこの3倍位が食事量となっていたはずだから量の貧しさはカメラが被写体に寄って大きく見えることでカバーしている。


垣根の散髪で今日は少々疲れた

2018年08月23日 18時14分26秒 | 日常

 

前夜 You Tube でヤクザ物のVシネマというものをいくつか見ていて5時間ほどしか寝ていなく、9時半起床、11時からのフィットネス・トレーニングを頑張ったから寝不足も加わっていつもより疲れ気味だった。 帰宅して自転車を押しながら裏庭に続く戸を潜っているとこの何日か気になっていた垣根のボーボーぶりが堪らなく、汗をかいた短パン・T-シャツのまま梯子を物置から取り出して剪定鋏でチョキチョキ片側10mほどのブナの垣根を刈りだした。 ここは枝がしっかりしていて電動のヘッジトリマーでは心細いので手間をかけてチョッキンチョッキンやるのだ。 だからこれだけで1時間半ほどかかった。 垣根は一年に2,3回刈るのが慣例となっている。 前回のことは下記のように書いてあった。

https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/66020416.html

もう一つの7.5mほどあるイボタノキの垣根は枝が細かいので電動バリカンでザーッと刈れるので30分ぐらいで済ませた。 途中2回ほど空が曇り細かいものが降って来たけれど構わず続けていると晴れ間も出てこの3日ほどの変わりやすく涼しい天気で特に汗をかくこともなくフィットネスのべっとりした汗も乾き作業に捗がいった。 落とした枝や葉を熊手で搔き集めている時に、まてよ玄関入り口の棘のついた木もこのあいだ刈ったのにもう棘のついた枝が出てきて来客に痛い思いをさせるかもしれないし、その手前の枯れて茶色になった羊歯も取り除き、もう一回ぐらいは咲くかもしれない薔薇も剪定をしておけば体裁も悪くないから、とそちらのほうにも色気を出してどうせ序でだからと玄関先で鋏を動かしていると結局何やかやの後かたずけを済ませると4時前になった。 この次は今年最後で11月ごろになるだろう。 今日は11時からフィットネスを始め4時前までずっと体を動かしていたからその後汗を流すのにシャワーを浴びて体を拭いている時に疲れを感じて晩飯を作る気が失せた。 家人に当番を代わってもらいベッドに横になり冷たいものを口にし、音楽を聴きながら雑誌を読んでいると居眠ってしまった。

6時を周って晩飯コールがかかり下に降りていくとインドネシア料理が出来ていた。 定期的にジムで体を動かしているからか高いところに梯子で上がり不自然な姿勢で作業をしていても筋肉痛はない。 それがトレーニングの利点ではあるけれど歳による自然な体力の衰えというのはあるものだと実感した一日だった。

 

 


'18 夏休み(7) 標高100mの高地までサイクリングした

2018年08月22日 19時20分07秒 | 日常

 

2018年 8月 4日 (土)

 

午前中に Ede の町で電動自転車を土日の二日借りることにした。 サイクリングを渋る自分に負担の軽い電動自転車を押し付けて置けばついてくるだろうというのが奴らの魂胆なのだ。 自分と息子は車で Ede の駅まで行きナイメヘンから来る娘のボーイフレンドを拾い自分はそこからすぐの自転車屋の前で降ろされ彼らは森の家までもどった。 Ede から森の家まで7kmほど電動自転車で移動。  初めて電動自転車なるものを経験してその奇妙な感覚に初めは慣れなかった。 娘とそのボーイフレンドは森の家の普通の三段変速付きの貸自転車を二台借り、家人はライデンから持ってきた普段乗る24段変速の自転車で、息子はハーグからずっと乗ってきたサイクリング車の5人で国立公園の森の中を移動し Posbank という標高100mの高地を目指して出かけた。 オランダの国土は平らで水面下のところも多い中、例えばスキポール空港などはマイナス4.5mほどではなかったか。 ドイツ・ベルギー・オランダの国境が集まっているあたりが一番標高が高く300mほどであるのだからここが100mであればかなりの高地とでもいえるところだ。 ドイツとの国境が近いこの森の中の見晴らし台からは、ドイツの村の教会の尖塔も眺められる。 そこで昼食にして Arnhem の町を北側から縦断しライン川の堤防を西に10kmほど戻り Renkum の渡しで小舟に乗った。 
 
オランダのあちこちに出かけるとそこに渡しがあればそれに乗るのを楽しみにしている。 大概が自転車と人だけを乗せる渡し船ではあるが偶には車を2,3台乗せるものもある。 大都市でも例えばアムステルダム中央駅の裏側にほぼ10分ごとにでている無料の市営渡し船があってここは車は乗せないものの自転車と人の乗降客が多く一度に数百人乗せるオランダの中でも一番混雑する渡し船だろう。 その点では Renkum のこの渡し船は定員12名のこじんまりしたものだ。 一人1ユーロ、自転車もちこみなら1.5ユーロで切符を見せれば Renkumの渡し場近くの店でアイスクリームが1ユーロになると船長から言われた。 我々はこの日の最終便、4時45分のものを待つ間もしあと8人来たらどうするつもりかと思ったけれど結局出航間際にやってきた年寄り夫婦と7人がこの日最終便の客だった。 ここから10kmほど堤防を行けば橋があるので対岸につけないことはなくこの渡しの用途は自分たちのようなサイクリングに来るものや地元の人々のためだけのものではなはだのんびりしたものだ。 渡し船が岸を離れても5分とかからず向う側に着く。 
 
村のスーパーで簡単な食材を買い帰宅、この行程で自転車のメーターは63kmになっていたからこの日自分は70km電動自転車を漕いだことになる。 全く疲れはなかった。 森の家で夕食の後、娘とボーイフレンドは娘の車で30kmほど離れた彼らの住むナイメヘンに帰って行った。