暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

多分これが今年最後のウォーキングだろう 、と二日前に書いたのだが、、、

2011年12月31日 19時21分41秒 | 日常

2011年 12月 30日 (金)

多分これが今年最後のウォーキングだろう 、と二日前に書いたのだが今日がほんとの最後のウォークとなった。

今日は近くの港町、Karwijk に行く用事があった。 ひとつはそこの警察署がこの地方の銃器、火薬物所持取り扱いの許可証を管轄しているのでこの3年ほどこの時期には毎年許可証の更新にでかけなければならなく、もう一つの予定はそのあと警察署の近くにある魚屋で、兄弟家族、友人が寄って大晦日にそれぞれ持ち寄りで一晩中飲み食いするパーティーに寿司を毎年30人分ほど作っていてそれがこの何年も恒例にのなっており期待されているからそのための新鮮な魚を買うつもりもあった。

11時が警察署での約束時間で10時に起きだし、すぐに干し椎茸をぬるま湯に浸し、寿司酢をあわせていると家人が天気がよさそうだから Katwijk から Wassenaar まで海岸線を歩いて帰りは砂丘の内側の自然遊歩道を戻ってくるのはどう、と訊く。 それに異存もなく支度をして車に乗り警察署にでかけそのまま海岸通りを過ぎ駐車場に車を置き、砂浜に降りスヘーベニンゲンの方向に歩き始めた。

ここは2010年5月末にハーグの保養地スヘベニンゲンまで歩いてその後市電でハーグ中央駅まで行き電車で戻ってきたことのあるコースなのだが、ここがそのとき下のように書いたその海岸線だ。 

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/60690736.html

初夏とは違い冬の北海であるから絶えず高い波がなだらかな遠浅の砂浜に押し寄せて絶えず潮騒が聞こえる。 北西の風が強く海岸に押し寄せる波頭が泡だって洗濯機の軽い泡のようなものを作り、それが風に飛ばされて砂浜を滑るように上がってくる。 青空がみえるけれど彼方此方に雲があり海の彼方では時雨れているのが分かり、雲が水平線までおりてシャワーのような霧が筋となって下りているのが見えるのだが、幸いなことに風向きからするとこちらには向かってこないようだから家を出るときに慌ててリュックザックに入れ忘れたポンチョのことを思いだし、今日一日雨が降らないように願う。 

暫く行くと薄く長く砂浜に押し寄せる波の間にもがきながらこちらに向かってくる黒い鳥が見えた。 漁船から流れてきた網の切れ端が羽や首に絡まっているようで上手く羽ばたけない。 水鳥だから溺れはしないものの飛べそうにもない。 ウォーキングシューズが水に浸らないところまで流れてきているのでなんとか捕まえてネットの切れ端を外してやろうとするのだがつかまりそうになると羽ばたいて深みの方に逃げていくからそうなると捕まえようもなく、また荒波にもまれてこちらに流れてくるまで待つしかない。 そんなことをしながら二度失敗し、三度目にこちらに流れてきたときに家人が注意を逸らしている隙に反対側から首と羽を掴んで確保し、波がこないところまでもっていき家人がナイフでくちばしの間から首、羽まで絡んだネットを切っていると丁度そのとき都合よく砂浜を自然保護団体の監視ジープが来たのでそのまま持っていくと、ああ、 Zeekoet(ウミガラス) だね、という。 Meerkoet(オオバン) なら湖や川にいる Koet(鶏より小さい水鳥の種類) だから承知しているけれど 海の Koet だとは。 オオバンとはあまり形が似ていなくてどちらかといえば小型の Aalscholvers(海鵜)の方に似ていなくもない。 


Zeekoet(ウミガラス)の写真;
http://www.google.nl/search?q=zeekoet&hl=nl&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=DX7-ToWCHIeUOsHcgJ0H&sqi=2&ved=0CEIQsAQ&biw=1579&bih=883

Meerkoet(オオバン)の写真;
http://www.google.nl/search?q=meerkoet&hl=nl&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=s37-ToiXGc6XOvayyY0F&sqi=2&ved=0CD8QsAQ&biw=1579&bih=883

Aalscholvers(海鵜)の写真;
http://www.google.nl/search?q=aalscholvers&hl=nl&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=M4H-Tq2UIY-N-wbU4qXYAQ&sqi=2&ved=0CFEQsAQ&biw=1579&bih=883

Bruinvis(ネズミイルカ)の写真;
http://www.google.nl/search?q=bruinvis&hl=nl&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=9k__Tpb5LYifOrOe8KIB&sqi=2&ved=0CEMQsAQ&biw=1579&bih=883

このウミガラスを渡したときにこのまん丸な漁師然としたその男のことを思い出した。 3,4か月ほど前にテレビのレポルタージュ番組でこの海岸を監視しているボランティアのことが紹介されていてそこで活躍していたのがこの男だったのだが、そのときには今年は北海に住むイルカが浜に打ち上げられるケースが多く、その度に農業大学の解剖室にその原因を探るために死体を運搬し、解剖に立ち会っている姿を思い出したのだった。テレビで見たことを話すと喜んで、こちらに握手をしてきて、よく見てくれた、それは2,3日前の全国ニュースでも紹介されたように北のイルカが南下してきていること、北海の Bruinvis(ネズミイルカ)の食物が減っていて年々平均サイズが小さくなっていること、それはこの30年ほどのあいだに鱈のサイズが半分ほどになっていることと平行している、と説明してくれる。 きのうもここからちょっと離れたところに打ち上げられたネズミイルカを処分し、打ちあげられたアザラシも捕獲して施設で保護したとも付け加えた。 この鳥は外傷もないし、食い物を与え二日ほど置いておくと元気になるだろうから新年にまたここに連れてきて放つと言って早々に車で去った。

遠くにかすかにスヘベニンゲンのホテル群が見えるようになると人の姿も多くなり、馬やポニーに乗って海岸線を散策する姿も見られる。 Wassenaar の近くになると砂丘の高台にカフェーがあるところが見えた。 夏には浜のあちこちにバーやカフェーがあるけれど今は全てたたんでしまい他に休憩するところがないのでここに入ることにした。 人がかなり居る中に入って椅子に座ると屋根の上を雨がたたきつける音が聞こえ、入るまで空模様に気がつかなかったけれど間一髪で雨にあわずにすんだ。 雨が止むまでしばらくそこにいてから砂丘の裏側、人気のない砂丘の内部に入り林の中を通り、海岸線とほぼ平行に元来た方向に向かって進んだがこのあたりは自然公園のなかだから足元は砂地なものの景色が海岸とはまったく違い、起伏や植物の相に富んでいる。 それに潮騒はここまで聞こえてこない。 山のないオランダでこういうところに来たときはまるでなだらかな山の間を歩いているような気にもなるしイギリスの山間部にもこのようなところがあったように思い出すけれど、何れにしても実際のスケールはとてもそれらとは比べ物にならない。

海岸線を歩いたのは5kmほどだったけれど内陸部は曲がりくねり蛇行している部分が多いから余分に2kmはあるいているようで、だから今回も一昨日と同じ3時間ほどで12km歩いたことになる。 駐車場についてその足でまた海岸線のプロムナードをもどって魚屋で要るものを買って家にもどったら4時を少しまわったところだった。

多分これが今年最後のウォーキングだろう

2011年12月29日 00時32分19秒 | 日常


クリスマスが済んで家から出ず、家の中に居ても動かず、喰い続け飲み続けの腹に刺激を与えようかと家人がこの近くの郊外を歩くルートをネットで探し出して昨日の夜言ったのが、明日行くわよ、だった。 こっちは別段予定が何もあるわけでなく、いつものようにただ言われるままに従順にうなずいた。 

10時起床というのは少々早めだけれど何とかなるだろうと床に入ったのが朝4時を周っていて、けれど寝覚めは思ったほど悪くはなかった。 雨は降らなかったものの一日中どんより曇った空からは太陽はついぞ顔を現わさないまま終わる。 しかし歩くと決めたらただ歩くだけだから雨が降っても風が吹いても近所10kmほどの、こんな散歩のような、それも見知った町や村を縫って歩くコースではどうということもない。 バスで2つほど向こうの村の停留所まで行きそこからは夏なら自転車でよく通るところを向こうに見て今回はあちこちの牧草地を通り抜け動物の糞があちこちに落ちている泥濘、草地と水路の間を歩く。 ウォーキングでも今回はあるようなないような点線をたどるように路とよぶのか筋といってもいいようなものを探しながらフンを避けてあるく、いつもとは少し違う新しさもあるというものだ。 周りと足元を頻繁に見ながら歩くのがテクニックだ。 無風、外気9℃、例外的な温暖な気温で、平年よりは7,8℃温かいこの頃だと天気予報では言っており、それを証明するかのように外でも手袋をつけずとも冷たくはなかった。

何年か前までは通れなかったところを自然愛好家連盟が国、州、地方公共団体に圧力をかけ農家に補助金を与えることで柵に小さなステップをつけさせ幾つもの牧草地を縫ってあるけるようにしたのだった。 イギリスでは労働党トニー・ブレア政権のときに既にそのような法律を通過させており、3年ほど前に北イングランドを何日も続けて歩いたときには幾つもそんなところを通過してとても重宝したことを経験しているけれどオランダではまだ法制化には至っておらず、実質的には国や地方公共団体が農家をサポートして塀や柵を乗り越えるためのステップを付けさせているのが現在だ。 だからそういう成果がいくつか整ったときには連盟のサイトにそういう田舎めぐりのコースが現れるという具合でそれを家人がたまたま見つけてぬかるみのつづく牧草地を歩こうということになったのが今回の裏にあったということになる。

今回歩いて牧草地や未舗装路にあったフンは羊、アヒル、野鴨、白鳥、銀鷺、カナダ雁、野兎などのもので、この時期になると牛は既に農家の厩舎で冬篭りだから牧草地はがらんとしており景色は夏とは大きく違っていて幾つもの牧草地を横切るのが楽だった。 夏には牛のフンだけではなく牛そのものの間を分けて通らなければならないこともあり、蹴られたりこちらに向かって押し寄せたりしないように様子を窺いながら歩かなければならないこともあるから少々気を使う。 ウォーキングの初めならそういう牛がかたまって集まっているところを迂回して避ける手もあるけれど、迂回路もなく、また20kmほど歩いた末にそういう場面に行きあえばそこからわざわざ2kmも迂回する気にもなりにくい。 だからそういうときには牛の間を強行突破ということにもなる。 今は牧草地には羊があちこちにいるだけだからサイズも気性もまるで違う羊ならどうということはない。 今回にしても水路の堤に細い筋になっている小道に怠惰な羊の群れが寝そべってこちらが一直線にそちらに向かって近づいてもまるで動く気配もなくこっちを眺めているだけの怠惰な群れに行き合い、殆んど跨ぎそうに潜り抜ける場面もあった。 また広い牧草地の真ん中で5mほど先の草地から突然野ウサギが飛び出して彼方に逃げていくのが何回か見られたし、その様子はまっすぐ逃げるのやジグザグに逃げて彼方から適当にこちらを窺っているというのもあった。 さすがに南ホランダ州では大きな森があるわけがないから何週間か前のドイツ国境あたりの田舎とは違い鹿は見られない。 はるか1kmほど向こうの牧草地ではショットガンを持った5,6人の連中が一列に並び野兎を追いながら撃っているのが見られたが当然ライセンスをもっていてのことであり、これもこれから2ヶ月ほどの狩猟期間限定の狩猟に違いない。  

予定のコースをほぼ終わりかけ、かなたに高いビルやアパートが見られるようになるとそういうところにある遊歩道のある自然公園にはちらほら小さな子供をバキーに載せた若い夫婦連れや老人が歩道をこちらに来るのが見られるようになりジョギングの中高年もぽつりぽつりと向こうを動いていくのが影になっている。 オランダ中、いや、いずこも同じ町の外郭に広がる一律の新興住宅地に近づくと一気に気分が町のモードに換わるようだ。 広く見渡せる田舎道では迷わなかったもののそんな町に入って帰りのバスセンターの方向を確定するのは楽ではない。 そこから2kmほど住宅地をその方向に向かっていると途中にショッピングセンターがありそこの肉屋で夕食の冬の定番、青マメのスープの冷凍パックとソーセージを買って1kgほどになるものをリュックに収めて適当にバスセンターに向かって歩いていたらロータリーのところでこちらに来る32番のバスが見え手を上げたらロータリーの中で停まって我々二人を乗せてくれた。 

運転手は陽気な男で、こんなところで停めるのは違反だけどね、後ろに待っている車もないし、それにこのバスを外したら3時間もあんな寒いバスセンターで待たないといけない可哀想なあんたらだから例外的に停めてあげたんだ、クリスマスだしね、と冗談をいう。 こちらの方はバスセンターまであるいても15分、それにこの32番の路線は30分に1本だから歩いてもそこで15分待てば次のが来るのが分かってはいるのだけど1kmと30分を稼げたのはありがたかった。 他に2,3人しか乗っていないローカルな運転手のバスに助けられたようだ。 私達の横に乗っていた見るからに介護老人ホームの介護人と思しき女性とはいつものことのように何やかやと話している。 工事中の田舎道でちょっと待っているときには外をたまたま自転車でこちらに向かってきていたおばさんとも窓越しに何か話していたのだからこういう雰囲気は町の中とは大きく違う。 その女性も降りるとスリナム語を騒がしく話す4,5人のグループが乗ってきて雰囲気が一気にカリブ海風になった。 20分ほど乗り自分達の停留所で降りたらまだ4時をちょっとまわったところだった。

翌日、この日に参加できなかった娘と家人は二人でまたほぼ同じコースを歩き、家人が春にノルマンディーを連続一週間リュックを担いでグループであるく計画の準備のためのトレーニングを始めているのだということにも想いがいった。 自分は仕事の関係で参加できないのだが去年も家人はそれに参加してかなりハードなプランを消化していたのだからこのように定期的に歩くことにしているのだろう。 二日連続で20kmちょっとでは足慣らしの部類だろう。 自分は正月の3,4日ごろにはまたこの日のようなものなら歩いてもいいと思っている。 

そういえばもう5,6年ほど前、子供たちがまだ高校生の頃、1月の凍てつくリンブルグ州の岡の続く田舎道を二年続けて家族4人で歩いたことを思い出す。 3年ほど前には正月3日を挟んで3日ほど熊野古道を歩いたこともあり、それぞれ比較的天気の悪い正月を歩いていて未だ青空の下、陽射しを浴びながら歩いた正月の記憶はない。 陽射しの強い青空の下、雪の中をあるいた記憶はあるがそれは一月の終わりか二月のことだったように思う。 個人的な統計ではここは正月には天気は良くないようだ。

昼のツリー

2011年12月27日 23時47分10秒 | 日常



世間ではクリスマスの喧騒が聞かれ、我が家でも25日にクリスマスの夜には世間と同様、家族水入らずの晩餐だったのが息子のガールフレンドを加えて5人でそれぞれが何かフルコースのメニューの一つを担当して行うものだったのだが結局5時から初めて夜中の2時まで何やか飲み食いの一夜だった。 

子供たちがまだ小さいときからこの日は同じ事をやってきてその晩には舅姑も同伴していたものが去年には姑と娘のボーイフレンドが同席したものの姑はもう外に出るのが辛くなり、また、娘とボーイフレンドは仲を解消して二人とも当分は勉強に忙しい日々を過ごすのだそうで毎年うちの晩餐にも変化が起こっている。

それはクリスマスツリーも同じことで10年ほど前までは本物の木を買っていたものがそれが面倒になり、いつの頃からか箱に入った組み立てのツリーに換えて屋根裏から一年に10日ほど居間に設置する、と言う風になっており、飾り物はもうこの20年ほど続けているものであって色の球や星形は壊れないものの何の因果かもう年季なのだろうか、今年はイルミネーションが故障してしまい、やっつけでDIYショップに出かけたら最後の一セットだけが惨めに残っていて、仕方がないのでそれをつけたのがこれだ。

Fitness Club 50+ のチェット・ベーカー

2011年12月23日 05時35分36秒 | ジャズ


月曜夜、フィットネスクラブの50歳以上とはいうけれど実質55歳以上のクラスで音楽にあわせ、一時間様々な運動を床、それに色々な器具を使ってするのだが、そのスキームは始めの10分は古いディスコやロックで徐々に汗を呼び出し、中ほどの40分は今時のトランスやヒップポップで時には殆んど音楽を忘れてフウフウ足掻くのだが、最後の10分はそれまで動かし続けてきて肥大した肝臓、心臓、下腹の波立ちのペースを静めるものが使われて、キース・ジャレットのふわふわピアノ、ペギー・リー、ジョー・スタッフォードにメロディ・ガルドー などの女性ヴォーカルが一週間に一曲か二曲聞こえてくれば絶滅寸前の鯨かマグロに比べられる体躯の親父たちはそれまでの過酷な運動という名前の拷問から優しく解放されるという献立になっていたのだが、この二週間ほどはチェット・ベーカーがかかった。

先週はマイ・ファニー・ヴァレンタインが仰向けに横たわり息をゆっくり整える上から聞こえて来て、その安らかなトランペットは誰のものかは分かったもののピアノが分からず、後でそのCDを見てビル・エヴァンスの香りはあったもののソロはなかったから後でジャケットで確認したのだが、今週は別のアルバムから「Alone Together」がかかり、そのサテンのような音色、エヴァンスに加えてジェリー・マリガンまでも加わるものだったからそれは今年最後のフィットネス・ジムのセッションを飾るのに相応しいものと感慨がひとしおだった。 

それはただそのときの彼らの音楽だけによるものではなかった。 肉体上の疲れ、息絶え絶えに体を痛めつけた末の静かなジムの床に仰向けに横たわり息を整え聴くそれは甘く眠気を誘うものでもあり、そういう時、30年以上前、学生アルバイトとしてジャズ喫茶で一日10時間、LP7000枚以上のコレクションからリクエストに応じ、また自分で選んで好きなようにかけていた中には当然本作があったものの、それを今聴くと当時と今の環境の違いを想い、それで感慨がひとしおだったと言うことでもある。 そしてこのような風に思いもつかなかった聴き方で聴くと同じものでもその効果に新たな発見がある。

それにこの「Alone Together」というのはこの前日地元カフェーのジャズ・ライブでドライブする女性ヴォーカル Machteld Cambridge で聴いていたということもそれに趣をそえるものになる。

クリスマスが近づいてきたら恒例の行事の一つが、、、

2011年12月22日 04時15分49秒 | 日常

今日用事があって町に行くと駅の近くの広場に人だかりがしていてそれを興味本位に覗いてみた。 何日か前にここに「ガラスの家」と呼ばれる、この何年かクリスマスになると決まった町にこしらえられるチャリティー・マラソン・DJ施設が今年はわが町だと言っていて、何人かの知られたDJがクリスマスの何日か前からここに籠もって食い物は摂らず飲み物だけで何日か過ごし、テレビやラジオでここからオランダ全国に向けてライブ放送されるのだとニュースで見ていた。 別段お祭り騒ぎが好きではないけれど興味本位で帰り道に寄ってみたら、もう全国から億単位の募金が寄せられているとラジオから聴こえた。 日頃は静かな広場も今はずっとテレビカメラが常設で何人かのカメラマンやリポーター、各種メディアが殆んど若者で一杯の観衆の間を潜って取材しているのが見えるし、何かのグループが地元で集めた募金をここに持ってきているのか舞台で歌いながらカメラに収まっている。 後ろの大きなスクリーンには彼らが写っているのだから今全国に向けてライブか後の放送のためのビデオ映像なのだろう。 

今年のテーマは世界の戦禍の中で格闘する母親のため、ということらしく募金はアフリカの内戦で苦労する母親を支援するために様々な団体と協賛し、それらを通じて母親、そのこども、家族を助けるということらしい。 「ガラスの家」はDJテーブルと放送施設、それにソファーの部屋が外からは丸見えでその様子は24時間スクリーンにでるのだそうで、それを見よう、あわよくば自分達もカメラに収まって全国放送されようと群がる若者達でひしめき合っており、そこには我々のような歳のものはとても近寄れそうもないから遠くからはるか向こうに見える小屋の様子を会場の彼方此方にあるモニターでみるしかない。 8時のテレビニュースは別としても日頃はアムステルダムやヒルバーサムにある放送センターから流れる国営、民放に登場する様々な有名人、アナウンサーにショー・ビジネスの人々が毎日ここに来てチャリティーのために顔をみせるようだ。 昨日は子供たちとマラソン募金をもって来たオランダ王室の王位継承権何番目かの王子がガラスの家を訪れたのだそうだ。

クリスマスの熱が上がるにつれて慈善の熱も上がるようなのだが、こことは別に政治、経済の世界では気勢が上がらない。 どのように財政を引き締めるかの議論がつきず、きょうのニュースはここ数年めっきり目だって増えているポーランドから流入してきた労働者がこの不況で失業するケースがあり彼らは当然の権利として失業手当を要求するのだが、担当大臣が3年ぐらい働いたぐらいで失業保険を受けるのは何年も働いてきたオランダ人の失業者が多い中、不公平だと法を5年から10年にせよということを懸案として国会に提出するべく審議するというのが流れていた。 ここでも誰のための福祉、権利かというようなことが不況下ではまず自国優先ということになるというのが明らかにされている。 この国の中では戦争はない。 けれど失業者は多くそれが政府の財政を圧迫しているのは確かだ。 当然この広場の催し物の最終日には例年のように政府担当大臣がここに来て政府の義金、幾億かを手土産にテレビの前でパーフォーマンスを行うに違いない。 ここに集まるのは善意の若者達が圧倒的に多いのだが中年以降は毎年恒例のこの種の行事にはもう大きな感慨も起こらないのではないかと思われるほどの少なさだ。 とくに中年以降、老人では女性の数が圧倒的に少ないのが目に付く。

近くにこの催し物に協賛の土産物屋があってそこではこれにちなんだ様々なT-シャツや飾り物が売られていたのだがサンタの赤い帽子を一つ買って家までそれを被って帰った。

クリスマスが近づいてくると、、、、

2011年12月21日 13時29分17秒 | 日常


金曜の夕方から家人と隣町のキッチンショップの料理教室に自転車で出かけた。 職場の共済が人数を募って一回16人限度でキッチン・ショップの売り場の隣にある実習教室で元ミシュラン二つ星のレストランでシェフとして働いていたという店主が伝授のクリスマス・ディナーコースの一夕だ。 去年は Springbok(スプリングボック)の背肉のステーキの旨いもので今年も楽しみにしていたのだが、前回と同じく寒い夜に自転車で出かけるとそこには一年のご無沙汰でしたという日頃職場であまり会うことのない人達が親子連れ、恋人、娘の婿たちというカップルで来ていて、その後はコースに従って作っては喰い、作っては飲み、そしてまたキッチンに戻るというような忙しくもあるけれどかなりの部分はシェフのお膳立てに助けられて楽しいものだった。

今回のメニューは次のようなものだった。

前菜;  マグロのターターの上にマグロのラビオリ、若布のサラダ、鰹の出汁とワサビ、クリームのソース
中菜;  レタス、ゴルゴンゾラチーズのムース、シャンペン
主菜;  鹿の背肉ステーキ、
デザート; チョコレート・ムース   コーヒー

ドライブ (2011);観た映画、Nov. '11

2011年12月20日 11時21分01秒 | 日常

邦題;  ドライヴ    (2011)

原題;  DRIVE

監督: ニコラス・ウィンディング・レフン
原作: ジェイムズ・サリス
脚本: ホセイン・アミニ

出演:
ライアン・ゴズリング
キャリー・マリガン
ロン・パールマン
オスカー・アイザック
アルバート・ブルックス
クリスティナ・ヘンドリックス
ブライアン・クランストン

映画データベースを見たら日本では来年の放映で制作者たちの背景も粗筋も何も記述にない。

久しぶりに映画を映画館で観た。 ほぼ2年ぶりぐらいかもしれない。 本作を観て映画館で観るのはいいと感じたことが数点ある。 一つは車のエンジン音、ピストルの発射音のリアルさ、BGMである。 それが聴覚に訴えるもの。 それに広角のスクリーンで主人公が運転する車から降りて男が質屋に強盗に入る時のカメラが地面に沿って駐車場から質屋に移動する男に平行に動く映像である。 主人公の殆んど必要なことしか話さない、沈黙の多い対話が緊張と退屈のシーソーゲームをするようでそれがこの映画の印象として残るに違いない。

息子によると主役は今一押しの俳優らしい。 本作で寡黙な男のイメージを出すとすると少々弱いような気がする。 映画のムードも一流のものではなく良く出来たB級映画のものだ。 タランティーノの「パルプ・フィクション(1994)」を思わせるようなところがあるけれど「パルプ・フィクション」のメリハリのある躍動感に溢れたものに対してアンニュイに流れるような本作のムードがそれに対照されるような気もするし、マイケル・マンの「刑事グラハム/凍りついた欲望(1986) 原題;MANHUNTER」をどこか思わせるようなところもあるけれどそれに比べると何か弱いような気がする。 それはプロットと主人公の性格作りによるのかもしれない。 日本でこれが封切りになるのかどうか。 DVDだけで終わるような気がする。 テレビシリーズなどで見る助演の俳優なども悪くはないし気に入りのロン・パールマンも出ているのだがもっと悪い性格が与えられていたらもっと面白かったのにというような気もする。

乙女の祈り  (1994);観た映画、Dec. '11

2011年12月19日 19時02分55秒 | 日常

乙女の祈り   (1994)

原題; HEAVENLY CREATURES

100分

製作国 ニュージーランド/アメリカ

監督:  ピーター・ジャクソン
脚本:  ピーター・ジャクソン、 フランシス・ウォルシュ
撮影:  アラン・ボリンジャー
音楽:  ピーター・ダゼント

出演:
メラニー・リンスキー  ポウリーン
ケイト・ウィンスレット  ジュリエット
サラー・パース    ポウリーンの母
クライヴ・メリソン   ジュリエットの父
ダイアナ・ケント    ジュリエットの母
サイモン・オコナー

純粋でいて残酷、あまりにも多感な二人の女子高生が夢見る幻想と現実。夢に溺れる二人は、ついには自分達の領域を侵すものを抹殺しようとする……。実際に起きた事件の映画化で、彼女たちが犯行に駆り立てられるまでを、鮮明に解き明かした心理ドラマ。多感な少女の見る幻想世界の映像や、この年頃の持つ残酷さを描いた心理描写はお見事。「バッド・テイスト」(87)、「ブレインデッド」(92)のP・ジャクソンが新境地を見せた逸品である。

上記が映画データベースの記述である。

ニュージーランド映画というのとこれがケイト・ウィンスレットのフィルム・デビューであることがテレビガイドに出ていて本作をイギリスBBCテレビの深夜映画で観た。 ケイト・ウィンスレットはいくつか観ていたけれどどういう訳かあまり印象に残らず、何年か前に「愛を読むひと (2008) 原題;THE READER」の映画評を観て興味を持ったのだがそのうちそれも観ることが出来るだろうと期待しつつ本作の少女達の世界にも興味を持ち、チャンネルを合わせた。

メラニー・リンスキーが秀逸である。 彼女はこれまでにオーストラリア映画かどこかで観ていたように記憶するが確かではないのだが、そのときの印象がここでもまた観られその一層の上手さに舌を巻いた。 夢見る乙女達の世界を知らない全て男女共学の学校を通過してきた日本人還暦男にはこのような、とくに1952年のニュージーランドの女子中学校高のイントロ場面からの授業風景からして興味深い。 イギリスを宗主とするコモンウェルスの一員としてのイギリス流の教育、階級の違う二つの家庭の様子にも当時のラジオ、ポップ・ミュージックも絡めてどこか懐かしい思いもし、夢見る乙女達のその世界の中で二人が御転婆ぶりを発揮し、徐々に自分達だけの世界を築いていくプロセスやそのファンタジー場面での特撮もよく出来ていて観客もそれにつられて彼女達の世界に触れる事となる。

14歳である。 何とも性徴のはっきりしていることか。 現在では日本でも少女の成熟期が早まっている兆しがあるもののそれでも1954年ごろのここでの様子には叶わないような気がする。 リニンスキーの年上の姉が登場するけれど姉のプロフィールには焦点が当たっていないだけその分リニンスキーの歳と性格が強調されて、姉にしても3つ4つ年上ということでもあるから余計に彼女のことが強調される。 家に寄宿する若い男との交渉の中での描写がストーリーを辿る上での優れた描写になっている。 その初体験の場面が秀逸で彼女に対照すれば男の即物性、その間抜けさに驚くと共に少女の描く夢の世界と残酷さにひやりとするようでもある。

また、ここにウィンスレットの病気が絡むことでも時代が反映されている。 1950年代の病気は何と言ってもまだ結核だ。 少女期の情緒、精神の振れ、ジェンダー、それに当時やっと克服できるようになった、旧不治の病の結核がからんで物語としてはノスタルジア満載の膳立てだ。 

今日本では当時のリニンスキーの歳で少々肥り目の普通の女の子であり、このような才能のあるタレントはいるのだろうか。 多分捜せばいるだろうけれどそのような人材を探し出してこのような作品を作り出す土壌があるかどうかがポイントになるのではないかと思う。

霰とか雹とかいうものが降っていたようだ

2011年12月18日 15時30分34秒 | 日常
いつもの通り屋根裏部屋で夜中ずっと起きていると時々屋根を打つ激しい雨音に耳を聳えかすこともあり、そうかと思えば腹に何かを入れようと下に降りるときに観る、上に向いて傾斜した窓からは早く走る雲の間に月さえ見えることもある冬の天気だった。

日曜昼の2時を廻って起きだし、キッチンに下りると白いものが庭に見えた。 霰とも雹ともいわれるものだ。 もう大分溶けて小さくなっているようだ。 なるほど夜にはヘッドホーンの音楽の間に入り込み聞こえていた、強く屋根を叩いていたものは雨ではなくこれだったのだ。 けれどその後また雨がなんども降っていたのだから夜に降っていたものがこれだったらもうとうに溶けている筈でこれはその後降ったものだ。 コーヒーのいい香りがしているのでそれを手に空を眺めていてこんな天気が冬中続くと退屈しないのにと思った。 冬でも入道雲がでていて遠くでは時雨れている風でもある。 妙なものでただその形からなのだろうか、外気2℃のこんな天気でも冬の入道雲を見ていると去年の暑い大阪の夏が思い出される。

視覚の影響というものは大きいものだ。 寒ければ厚着をすればそれで凌げるけれどドンヨリとして湿った灰色の空は肌着の間までその冷たさが入ってくる心地がして堪らない。 実際の温度や湿度は大して変わらなくてもそこでポイントとなるのは青空と日光なのだろう。 ここは日照時間が子供の時から育った大阪の三分の一だと知らされていたのがとくにこの時期、陽のありがたさが肌身で分かる。 それが温帯から北ヨーロッパに越してきて長く住んだ感想だ。 

そういうことも忙しくてあれやこれやと体を動かしゆっくり空を眺めることもなく、次から次へやらなければならない雑事をこなしていかなければならない日常であればそのまま通り過ぎていくのだろうが、少しは時間も出来、周りを眺めることも出来るようになってみればこのような今まで見過ごしていたわけではないけれど身に沁みては感じなかったことがここにきて改めて見渡せるようになるのだ。




Calamity Jazz

2011年12月18日 03時56分56秒 | 見る
Calamity Jazz

ZATERDAG, 17 december 2011 16:00
Jazzcafé de Twee Spieghels


いつ雨が降ってもおかしくない空の下、自転車で土曜のマーケットに向かい、ダイコン、ほうれん草に苺、大きな西洋梨2個と生鮭の切り身3つを買い物籠にいれ久しぶりにゆったりと中古LP・CD・DVD屋に出かけ髭面の主人と駄弁っていて、そういえば今日も何かそこを曲がったところ、市立図書館前のカフェーでもうすぐライブがあるけど、オレはカントリーとかブルースのようなものばっかり聴いているから分からないけど、 カラミティーってバンド知ってる?と訊くからそういうのは知らないな、と返事しながら、どっかにマイケル・フランクスのものないかい、と訊ねるとこの店のどこにあるかとても見当がつかないから、ま、ぼちぼち捜すんだな、と言われ捜す気分が削がれ、最近面白い映画観たかい、と訊ねると自分がさっき家の台所で評を読んで、ま、2,3年先にテレビに出たら観ようと決めていた、スパイ作家ジョン・ル・カレ原作の「TINKER TAILOR SOLDIER SPY (2011)」で封切りなったばかりのものをそこの名画座で観たという。 ジェームス・ボンドに対照されるひそやかなMI6部員の物語でゲイリー・オールドマンが主役だ。 で、とても面白いと言うのをだけを聞いてもうそれ以上は聞かず置いた。 そして近くのカフェーでのライブ開始定刻を30分ほど廻ってそこにいけばもう賑やかに始まっていてどんどん狭い通路を進み前にでて女性ボーカルとリズムセクションプラスアルト・サックスのバンドがジャズのスタンダード、パーカーの十八番の幾つかと「ダーン・ザ・ドリーム」や「チュニジアの夜」をやって休憩に入った。 

3ユーロの赤ワインを飲んでいるとジャズ同好会の先輩が来て互いに暫くだったといいあい、この間会ったのはいつだったかとなると、ここから50mぐらいのジャズ同好会定例会場で、二ヶ月ほど前に日曜午後、「ビーバップ・フルートの父」といわれている Sam Most の演奏以来だ。 この2ヶ月ほどの互いの近況をジャズを絡めて話しているとこの先輩、その会場で今からすぐ、アムネスティー・インターナショナルのブックフェアの手伝いに行かなければといい捨てて出て行ってしまった。 

後半が始まってそれまで前のテーブルではしゃいでいた中年女性を含む何人かの女性がバンドが演奏するヴァン・モリソンの「Moon Dance」にのって踊りだし始めたので、こちらもそれが潮時と混雑する狭い通路に一杯の人を掻き分けて外に出ると、外は4℃、びしょびしょと雨が降っていて慌ててポンチョをかぶり、持ったかなり重い買い物籠を自転車の両脇のバッグに振り分けて放り込み家路についたのだった。


Calamity Jazz
http://www.myspace.com/calamityjazz