62年ぶりに自分が生まれた故郷に母親と一緒に出掛けてきました。
自分の生まれた美唄市二の沢、炭鉱が全盛期だったところで、炭鉱は昭和47年に閉鉱しています。
大正の初めから昭和の頃まで産業の中心だった炭鉱、今は全く何もない森林になっていて、記憶が
全くなくなっている場所でした。
母親は、懐かしく所々に残っている炭鉱の立坑、駅舎など見て昔の頃を想い出していました。
炭鉱が産業の華やかだった昭和30年代母親の親、姉が住んでいた常盤台には行けませんが
三菱美唄炭鉱記念館等にあった航空写真を見ると常盤台の炭住など全盛期を感じる光景が写って
いました。
あれだけの賑わいがあったところは森林に覆われて、ここに炭鉱があったと感じることが全くない残っていない
状況になっています。
三菱美唄炭鉱の立坑が二つ建っています。全く思い出すことがないですが、母親は脳裏に焼き付いていました。
三菱美唄炭鉱記念館に展示されていた航空写真、小さな赤丸が上に移っていた立坑の場所です。
星印が写真を撮ったところです。
常盤台駅があった場所でもあります。自分が生まれたところはこれから左上に行った二の沢ですが今は何も残って
おりません。
赤丸が常盤台、炭住が整然と並んで建っています。
常盤台の付近がジオラマで造られていました。
北海道の炭鉱がなくなりこれだけの集落が消滅した所はないでしょう。62年前の思い出を胸に刻み自宅に帰って
きました。