うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む107

2010-05-18 04:30:42 | 日記

その八 まさに銃後も前線である<o:p></o:p>

 どうせ結局やられるんだ、早く片づけてくれ、などと昼間はいっていたのが、さすがにいざとなると動揺は覆いがたい。<o:p></o:p>

 B29は今夜もまたよく墜ちた。赤い人だまみたいに炎の尾をひいて飛んでゆく奴もあった。煙が空中に満ちて、空が次第に見えなくなって来た。<o:p></o:p>

 ゴウーと風が出はじめて、近くの邸宅の森の樹立が海鳴りみたいな音をたて出した。あまりの大火に凄まじい気動が生じるのは、この空襲がはじまってから身を以って体験した一事実である。<o:p></o:p>

 ピカッと空にきらめく青白い閃光、轟音、投弾の響、女達の悲鳴。男の女を叱りつける威張った、そのくせかん走った声。みんな、なんども肝つぶして物陰に逃げ込んだ。<o:p></o:p>

 何時間たったか分からない。もう星のまったく見えなくなった空に、敵機の爆音はなお轟いている。<o:p></o:p>

 この白金台町もつづいて燃え上がり出した。目黒方面から、炎が潮のように迫って来た。黒煙は濃霧のように流れ、前の往来は避難の群集でいっぱいだった。<o:p></o:p>

 蒲団をかぶった老人、大八車を引いてゆく姉妹、赤ん坊を背負った母親、しかしこの人々は何処へ逃げようというのだろう。敵機はまだ飛んでいる。安住の地は東京の何処にもないはずだ。火のないところと、敵は丁寧に投弾してゆくのだ。(人を、日本人をターゲットにした殲滅作戦です。日本軍には投降は許されぬといいますが、無防備の市民を助ける術もないということなのか?)<o:p></o:p>

 見るがいい、さっきまでは暗かったただ一つの方角の空にも、まるで金の砂のように焼夷弾がふってゆくではないか。焼夷弾は地中にめり込む鉄の筒だ。凄まじい速力で落下するにきまっている。しきしそのあとの空中に、オーロラのごとく垂幕のごとく、徐々に徐々にふってゆく金色の砂みたいなものはいったい何だろう。幾千億の花火が傘をひらいて降りてゆくようにも見える。そして風の唸りがはげしくなって来た。<o:p></o:p>

 空を仰ぐと、火の潮みたいに赤い火の粉が渦巻き流れてゆく。無数の赤い昆虫が飛んでゆくようにも見える。大きな燃えカスが、屋根や路上に落ち、ころがり回って危険なことこの上ない。自分と勇太郎さんは屋根に上がって火叩きをふりまわした。みな、往来をころがってゆく大きな火の粉に必死に水を浴びせている。(火叩きも現実に活躍したわけです。防空演習ではよく見たものですが…)<o:p></o:p>

 「水を使うな、そんなものに水を使うな!<o:p></o:p>

 と、だれかが叫んだ。しかし目の前に飛びめぐっている火の塊を見ると、みな本能的に飛びかかって踏みにじらずにはいられない。<o:p></o:p>

 電車通りをはさんで左側一帯を焼き払ってくる姿は、とうとう右側にも移った。焼ける音が凄惨にひびいた。<o:p></o:p>

 「みんな逃げるな、最後まで敢闘せよ!<o:p></o:p>

 ここの防空群長をやっている在郷軍人が凄まじい声をあげて、荷物を背負った群集の逃げ惑う往来を歩いていた。しまいには、<o:p></o:p>

 「白金台町は断じて燃えない! 逃げるやつは厳罰に処するぞ、逃げちゃいかん」<o:p></o:p>

 と棒を持って群集の方へ躍りかかっていった。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 17

2010-05-17 14:59:41 | ドラマ

よね  クビ?またどうしてです。いやその前に朝済んでんですか。食べたの、じゃ今お茶淹れますからね、ゆっくり訳聞かしてくださいよ。警察と聞いては腰据えなくちゃ。(お茶の支度をする)あんた、かんそ芋があったね。<o:p></o:p>

謙三  卓袱台の下だ。それで又何だって首に?<o:p></o:p>

よね  待って、今下へ直ぐ行くから伊織さん。あんたずるいよ一人で聞いたりしちゃ。(首を突っ込む)お待ちどう様、それで?<o:p></o:p>

伊織  話すんですか、弱ったなあ……実はね、パトロールしててばったりかつぎやと鉢合わせしたんですよ。俺はその、見て見ぬ振りそのままやり過ごそうと思ったんだが、其奴何勘違いしたか、いきなり俺の胸のポケットに百円札捻じ込んで、脱兎の如く横丁へ駆け出すんだよ。「おいおい」って言う間もあらばこそ、あっという間に消えちまったんだよ。追っかけようにも腹空いてるしさ、しよぅがねえな、なんて思っているうち、そんな事すっかり忘れてしまったんだ。<o:p></o:p>

謙三  うん、有り勝ちな事だな。<o:p></o:p>

よね  そしてどうなすったんですか。<o:p></o:p>

伊織  どうもこうもないですよ。交番へ戻ったら部長と同僚が怖い顔しててね、傍にしょんぼりさっきの男がいるんですよ。其奴俺から逃げた出した後、同僚に捕まってさ、さっきそこで百円渡して見逃して貰ったって、また百円出してふん捕まったって訳だよ。<o:p></o:p>

謙三  立場最悪ですね。<o:p></o:p>

伊織  もいいとこだよ。部長が本当かって言うから、ああそうだったと思ってポケットまさぐったら百円札が出てきたってわけですよ。当たり前だ奴が入れたんだから。しまったと思ったが後の祭り、以上だよ。収賄で即刻懲戒免職さ。<o:p></o:p>

よね  でも伊織さんは受け取るつもりも、見逃すつもり……ではない捕まえる気も全然無かったわけでしょう?そこんところ上手く弁解できなかったの?<o:p></o:p>

伊織  同じ事、職務怠慢でお払い箱ですよ。<o:p></o:p>

謙三  ついて無いね。<o:p></o:p>

伊織  その通りですよ、ツキはさっぱりと逃げ出してますね俺からは。孫の顔見ようなんて年に兵隊に取られ、鉄砲の代わりに鍬持たされ芋作りに汗流す始末さ。付近の百姓には芋兵、芋兵って馬鹿にされるし、戦争が終わってやっとの思いで帰ってみれば、女房子供は三月の大空襲で焼け死んでしまってたって訳ですよ。ツキに見放されるなんてもんじゃないよ、会社は焼けて行方知れず、警察官募集のポスター見て潜りこんだが、所詮お巡りは俺の肌には合わない。これで良かったと思うよ、負け惜しみ無しでさ。はっはは……(自嘲気に笑う)<o:p></o:p>

よね  みんなそれぞれ苦労がお有りだったんですねえ。(手拭を出す)<o:p></o:p>

謙三  なるほど、そういうわけですか。それにしても紙芝居とはまた思い切りましたね。<o:p></o:p>

伊織  とにかく職探しと知り合いを駆けずり廻ったんだが無くてね、たまたま隣の、バラックですがね、住人の年寄りが戦前からの紙芝居やで、自分はもう年できつくなったから良かったらやって見ないかって、それで一式借り受けて始めたってわけだよ。はははっ、速成の手ほどき受けてね。<o:p></o:p>

よね  それにしても勇気いったでしょう?<o:p></o:p>

伊織  それほどでもないよ、元々俺は子供の頃から芝居心があってね、こういう事嫌いじゃないんだ。なかなか子供たちには評判良く大勢集まるんだ、大人たちも結構見てるよ。<o:p></o:p>

謙三  そいつは良かった。あの商売も上手い下手があるからね。警官やってるより良いじゃないですか。収入も結構有ったりして……<o:p></o:p>

伊織  腹減らして立ち眩みするような事は無いよ、はははっ。<o:p></o:p>

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伊織の笑いが空しく消えていく中、舞台溶暗そして溶明。その日の夜、謙三の店。座敷<o:p></o:p>

で謙三よね清子の三人遅い食事をしている。<o:p></o:p>

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清子  その伊織さんて警官見事な転身遂げたわね、警官から紙芝居やさんなんてなかなか真似出来ないことよ普通の人には。<o:p></o:p>

謙三  そうだとも、商売に貴賎なしだ、俺、つくづく感心させられたね。人間やる気になりゃあ何だって出来るって事だよ。<o:p></o:p>

よね  あの人も戦争被害者だったんだね。それも飛びっきりのさ。あたしは話聞いてて涙が出て来たよ。<o:p></o:p>

清子  お母ちゃんは何聞いても涙なんだから。<o:p></o:p>

謙三  全くだ。ああそれより母さん、清子に確かめる事があったんだよな。<o:p></o:p>

よね  そうそう、忘れるとこだった。あんたからお聞ききよ。<o:p></o:p>

謙三  何言ってんだ、こういう話は母親が聞くもんだ。久し振りだ三人ゆっくり飯食うなんて、こんな機会ないよ母さん。聞いてみな。<o:p></o:p>

よね  全くあんたって人は、なんでも人に押し付けるんだから。<o:p></o:p>

清子  何よ、なにを聞きたいの?想像はつくけどね。<o:p></o:p>

謙三  こりゃいいや、話が早い、そう言う事なんだ清子。一体どうなってんだ。<o:p></o:p>

清子  (呆れて)お父ちゃん、<o:p></o:p>

謙三  何だよ、お父ちゃんお母ちゃんの聞きたい事分かってんだろう、話したらどうだい、ええっ。<o:p></o:p>

清子  呆れた、禅問答してんじゃないのよ。はっきりしてよ。<o:p></o:p>

よね  そんならはっきり聞く清子、ジュンの事だよ。<o:p></o:p>

清子  やっぱりね。<o:p></o:p>

謙三  やっぱりって、分かってんじゃないか、どうなってんだ?最近いささか帰りが遅いし、それもしょっちゅうだからな。三日にあげずだ。<o:p></o:p>

よね  帰りの遅いのとやかく言ってるんじゃないよお父ちゃんは、こないだもジュンと食事して来たなんて言うし、気が気じゃないんだよ。何たって相手はアメリカ人だしね、そりゃジュンは良い人だよ。親思いだし礼儀正しいし、やさしそうだしね、あたしだって嫌いじゃないよ、<o:p></o:p>

清子  なら問題ないんじゃない。要はジュンがアメリカ人だって事よね。そうよね?<o:p></o:p>

謙三  (よねの顔を伺いながら)そうよねってお前決めつけんなよ。いいかい、あのね、アメリカっちゃ遠いんだぞ、いやそうじゃない、問題ないって何が問題がないんだか、それ聞いてないよな。17


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む106

2010-05-17 04:24:16 | 日記

その七 不満募る被災者 連夜の焼夷弾<o:p></o:p>

 不平をいえばきりがない。なぜ政府は急遽大々的に消防隊を作らないのか、なぜ罹災地に数日分の米なり缶詰なりを運ばないのか。いやそれよりもB29そのものを、なぜ海上で迎撃して全部やっつけないのか。やりたいのだが、やれないのだ。出来ないのだ。<o:p></o:p>

 ひる、乾パンを一袋もらって引き返してみると、防空壕はもとのままで、遠藤家では自分のほうの焼跡整理に一心不乱である。自分を見ても知らない顔をしている。顔負けして新宿の学校へゆく。<o:p></o:p>

 学校へゆくと、みな病院へいっているらしかった。自分はひとまず帰郷するよりほかはないと決心し、罹災のむね報告。また高輪にもどると、高須さんとおやじは目黒の焼跡へいっているという。すぐに追っかけていってみると、例の穴は依然そのまま、高須さん大いに怒り、遠藤家では言を左右にしているところであった。<o:p></o:p>

 怒ったり弁解していてもしかたがないと、高須さんと勇太郎さんと自分と節ちゃんで、汗と煙と埃に恐ろしい顔つきになってふたたび掘返し出した。しかし、結局出て来たものは、焼けた靴、中の服やシャツや着物も焼け焦げたトランク、行李、下半分灰になった医学書など、モノらしいモノは何も出て来なかった。奥の方に毛布や蚊帳があるはずなのだが、まだ熱く、煙がひどく、あきらめて夕刻高輪に帰る。<o:p></o:p>

 夜、風呂にゆく。この辺一帯断水しているため、小半里もある銭湯を探してそこへゆく。二日間の煙と煤と汗と砂と泥を洗い落とし、美しい月明の夜を歌をうたいながら帰る。そしていい心持ちで蒲団に入ろうとした、時に十時。<o:p></o:p>

 警報またもや発令。<o:p></o:p>

 敵先夜とひとしく二百五十機を以って来襲。<o:p></o:p>

 二百五十機とはあとになって知ったことだが、がばとばかり起き上がり、かくて先夜についで、いや先夜にまさる炎との大悪戦が開始されたのである。<o:p></o:p>

 敵はまず照明弾を投下して攻撃を開始した。<o:p></o:p>

 三十分ほど後には、東西南北、猛火が夜空を焦がし出した。とくに東方、芝、新橋のあたりは言語に絶する大火だった。中目黒のあたりも燃えているらしい。<o:p></o:p>

 ザアーアッという例の夕立のような音が絶え間なく怒涛のように響く。東からB29は、一機、また二機、業火に赤く、また深照燈に青くその翼を染めながら入って来る。悠々と旋回している奴もある。<o:p></o:p>

 隣組の人々は、厚生省傍の空地に集まっていた。そこは建物疎開の跡で、大きな防空壕が二つ野菜など蒔いた畠があった。人々は空を仰いで、畜生、畜生、と叫んでいた。厚生省は真っ赤に浮き上がり、ガラス窓は紅玉のように輝いていた。B29がまっすぐ頭上に進んでくると、「ああっ、危ないっ」と叫んで、みなあわてて軒下や防空壕に逃げ込んだ。それると、「わっ、助かった!」と胸をなで下ろした。<o:p></o:p>

 厚生省の向こうの女学校が燃え上がった。エロクトロン焼夷弾というのであろうか、真っ白なしぶきのように炎が噴き上がって、パーン、パーンと凄まじい音が空中に無数の火の粉をまきあげている。<o:p></o:p>

 「いよいよ今夜はこっちの番だ!<o:p></o:p>

 と高輪螺子のおやじは迫った声でさけんだ。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む105

2010-05-16 04:51:23 | 日記

その六 墜ちたB29のこと<o:p></o:p>

 唖の話した落下傘云々というのはこんな話だ。今暁墜ちたB29の中の一機が、高輪螺子の裏、十間ほどの空地を隔てて厚生省があるが、その石塀の向こう側とこちら側にかけ墜ちた。その恐ろしい響きといったら、みんな柱に抱きついたくらいだと高輪螺子のおやじはそのまねをしてみんなを笑わせたが、それはあんな巨大なものがわずか十間ばかり離れたところに墜ちれば恐ろしかったろう。それは自分もあとで見にいったが、塀のこちら側に尾翼の一部が落ちて地面にめり込み、ビクとも動かなかった。<o:p></o:p>

 さて、話にきくと、続いて落下傘で二、三人降りて来た。斜め前の肉屋だった家の軒先を掠めて落ちて来た一人は、落下傘が完全にひらかず、つぶれて死んでしまった。その跡も自分は見たが、血はまだ路上に斑々と残っていた。もう一人は恐ろしく若い飛行兵だったそうだが、集まった民衆が激怒してみんなでよってたかって鳶口で半殺しにしてしまったという。もう一人は、なんと女であったそうで、これは憲兵が連行していって今厚生省の中にいるらしい。なお今でもそこにみんながおしかけてわいわい騒いでいる。<o:p></o:p>

 おやじは墜ちた機体から素早く油を四、五升汲み出して来たそうで、これで螺子を作るんだと悦に入っている。今度墜ちて来たら、憲兵の来ないうちにウイスキーや菓子をとってくるんだといい、あんなものにまた墜ちられてはたまらないと女工たちは悲鳴をあげている。<o:p></o:p>

 深夜また警報。B29数機駿河湾より本州を北上、日本海に機雷投下。<o:p></o:p>

五月二十五日<o:p></o:p>

 朝、また焼跡にいって見ると、驚いたことにきのう半分掘りかけた防空壕の入り口が、また新しい瓦礫でぎっしり埋まっている。きくと隣家の遠藤さんの娘の節ちゃんが、昨夜八時までかかって埋めたのだそうだ。<o:p></o:p>

 むろん遠藤さんの家もないが、ここは防空壕がちゃんとしているので、当分そこに住むことにしたらしく、こちらの防空壕の口から火と煙が立ち昇り、見ていて不安だったのと、もうだめだろうと思って埋めたのだという。<o:p></o:p>

 しかしこちらにして見れば、掘って見ればまだ何が残っているかも知れない。お節介なことをすると、高須さん大いに怒り、もう一度昨日の通りに掘返してもらおうと、どなりつけて会社へ出かけていった。<o:p></o:p>

 遠藤家でまた掘返すからというので、自分も町会へ出かけてゆき、ひるまで行列して罹災証明をもらった。<o:p></o:p>

 警報は二、三度鳴ったが、無一物になった者にとっては、もう戦々兢々としている必要は何もない。しかしそのうちにまた空襲警報になってしまった。五、六十機の小型機が侵入中だという。<o:p></o:p>

 小型機は銃撃する。しかしみんな動かない。罹災証明書をもらわなければ、何も買えず、どこへも汽車でゆけないからである。<o:p></o:p>

 その罹災証明書をもらうのに、一日でも駄目、二日目に半日も並ばせるとは何事と怒り出す者もある。ところが町会事務所では、老人が一人、女が二人キリキリ舞いをしていて、私達も焼け出されたんだ、その焼跡整理も出来ないんだと悲しげにつぶやいているのである。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 16

2010-05-16 04:43:41 | ドラマ

よね  (その背中に)英さん上野、ずっと付き合ってくれてんだろう?(綾子振り返り嬉しそうに、ええと答えて店を出る)<o:p></o:p>

よね  あんた、綾ちゃんすっかり元気になったね。<o:p></o:p>

謙三  ああ、元と変わりねえ、良かったな。<o:p></o:p>

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 客つぎつぎと店を出て行き、朝の時間を終えた二人、椅子に腰を下ろして一休みといったところで店の前が騒がしくなる。区会議員に立候補した坂田の一行である。幟を翻し、メガホンで支持を強要せんばかりに怒鳴る子分を従えた坂田が登場する。二人、表に出て、坂田に軽く頭を下げる。<o:p></o:p>

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坂田  おうっ、ひぐらしさん、景気はどうですか?いよいよわが街復興の時です。(周囲を睥睨し、演説を始め出す)不肖坂田武治、粉骨砕身地元皆さんのため、この町を一日も早く復興させる事を約束します。生活の安定主食の安定配給を旗印に、区議会に出馬する決意に至りました。ここに七重の膝を八重に折り、伏して皆様のご支援を願う次第であります。旗印、掲げる目標はそれだけではありませんぞ!先ずは混沌そして混迷を極める駅前の整地そして区画整理、即ち碁盤の目のように道路を整備し、葦張り、板張りのバラックは勿論取っ払い、近代的な商店の誘致繁栄に議会に働きかけます。諸肌脱いで議場を鉄火場と心得、反対する野郎共がいたら叩ッ切ても、やると言ったらやる覚悟であります。(三々五々と集まってきた聴衆、子分たちの強制で拍手する)次なる約束は皆様の可愛い子供の教育です。青空教室の解消、即ち近代的な教室の拡充であります。二部授業なぞ以ての外即廃止に持っていきますぞ。更に完全給食の実施です。皆様の子供は絶対に飢えさせません!いつまでもアメリカに頼っちゃいねえ。坂田組、一家を挙げて買出し部隊を編成、米どころを隈なく詮索して買い上げ、この町の子供たちにギンシャリ、ギンシャリですぞ!給食を実行します!体を張っても!食糧管理法なんか坂田の眼中にはありません。糞食らえであります。衣食たりて礼節を知る、腹を空かしてちゃあ鉛筆一本持てやしませんぞ!やると言ったら坂田はやる。坂田武治に二言は有りませんぞ!(子分たち拍手、まばらな聴衆の拍手が続く)次なる旗印は、これは肝心かなめ。アメリカ万歳民主主義大歓迎、日本の赤化防止。ソ連は日ソ不可侵条約を破って満州はおろか、樺太はじめ歯舞色丹なぞ北方四島を火事場泥棒も真っ青ってな案配で盗みやがったんですぞ。ソ連に仁義はない!飢える日本にシャケ一匹送って来たかってんだ。そこへいくとアメリカは違う。小麦粉やとんもろこし牛乳とじゃんじゃん送ってくれる。日本はアメリカに見習い、民主主義を確立しなくちゃいけません。坂田武治は体を張って、その実現に邁進する覚悟であります。どうか皆さんの清き一票を、地元の繁栄に命を賭ける男の中の男一匹、坂田武治にどうかお願いします。(満足気に一礼して、謙三に近づく)いやあ、断りなく店前借りて演説ぶっちゃってすまねえ、後で若え衆に一本届けさせっから勘弁してくれ。<o:p></o:p>

謙三  飛んでもありませんよそんなお気遣い。大変ですな選挙運動を朝早くっから。<o:p></o:p>

坂田  まあな、ところで……(廻りを見廻し聴衆の去ったのを見て)倅の事だが、奴さん最近大分派手にバイに走ってるらしいんだ、それにいちゃもん付ける訳じゃねえが、俺としては、はははっ、いささか目障りなんだ。縄張りってもんがあるからな、しめしはつけなくちゃならねえ。<o:p></o:p>

謙三  (顔色を変える)待ってくださいよ坂田さん、邦夫が縄張りをどうこうしたって仰るんですか?<o:p></o:p>

坂田  そうは言ってねえよ、いずれそうなるかも知れねえって事を言いてえんだ。どうだい、倅はなかなか見所がある。だが寄らば大樹の陰って言うぜ、俺ん所の身内になったらどうか、倅に一度聞いてみてくれ。おめえさんにも損の無い話だ、駅前の整地が済んだら一角、一等地を空けとくよ。昔のような店を構えたらどうだい、親子でよく考えといてくれ。俺は面倒が嫌いな人間でな……それじゃまだよそ廻らなくちゃならねえから。(不敵な笑いを残して坂田と一行はメガホンの騒音を残しながら去って行く。謙三とよね不安げに見送り店に入る)<o:p></o:p>

よね  あんた、英さんの言ってた事ほんとだったんたね、邦夫の事。<o:p></o:p>

謙三  ふん、脅しに掛かりやがって、ほっとけばいいさ、こっちには何一つ弱みは無いんだ。<o:p></o:p>

よね  でも邦夫の事が、向う見ずに何仕出かすやら分かんないよ。<o:p></o:p>

謙三  あいつだって其処んところは心得てるさ、坂田の縄張りまで入り込むような真似はしないよ。邦夫はがつがつ儲けに目を晦ますようには人間出来てない、英さんも気を使ってくれているし、心配するこた無いよ母さん。それより飯にしようよ。<o:p></o:p>

よね  そうだね、何か急にお腹が空いてきたよ。坂田の演説じゃないがギンシャリでも食べてみたいね腹いっぱい。<o:p></o:p>

謙三  寝てる子起こすような事言うない。それよりこないだの間違い、知らぬ半兵衛決め込んでいたなあいつ。<o:p></o:p>

よね  相手にしない。<o:p></o:p>

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二人が朝食の雑炊を食べ終わる頃、表から拍子木の音が聞こえてくる。<o:p></o:p>

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よね  あんた、紙芝居だよあの拍子木。<o:p></o:p>

謙三  そうらしいな、紙芝居の復活か、焼け跡だらけで場所には事欠かないや。(立って行き戸を開ける)あれっ、あの紙芝居や……伊織さんじゃないか。<o:p></o:p>

よね  伊織さんてお巡りさんの?まさか、(謙三の傍に駆け寄る)そうだわよ!呼んでみよう、伊織さーん、伊織さーん!<o:p></o:p>

伊織  (振り返り照れ臭そうに笑う)へへへっ、これはひぐらしさんお早う。<o:p></o:p>

謙三  お早うもないでしょう、何ですかその格好は?それも仕事のうちですかい。<o:p></o:p>

よね  とにかくお入んなさいよ、さっさっ、(二人して伊織を店に引き入れる)<o:p></o:p>

謙三  どうしたんです?訳聞かして下さいよ、一体どうなんちゃってるですう。<o:p></o:p>

伊織  警官辞めたんだよ。<o:p></o:p>

謙三  辞めたっていつ?<o:p></o:p>

伊織  辞めたってより早い話が首になったんだ警察。16<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む104

2010-05-15 05:52:02 | 日記

その五 一夜明けて<o:p></o:p>

 薄暗い夜明けの路を、罹災民のむれといっしょに高輪の方へ歩きつづけ、知り合いの町工場、高輪螺子へころがりこんだ。雑炊を食べさせてもらい、二階に上がり、ぐったりと眠った。<o:p></o:p>

 ときどきぼんやりと眼をさますと、美しい朝、日が眼に痛い。警報を夢うつつで聞く。一機偵察に来たとかであった。<o:p></o:p>

午後、シャベルを持って、高須さん、高輪螺子のおやじさん、そこの工員の唖男、自分と、四人で焼跡へゆく。<o:p></o:p>

目黒の空は煙にまだ暗く、まるで煤ガラスをかざしてのぞいたように、太陽が血色にまるくはっきり見える。空はどんよりとして、雨でも頬に落ちそうな曇りである。<o:p></o:p>

焼跡は今までよそで見たのと同じく、赤茶けたトタン板と瓦の海と化していた。なお余燼がいたるところに立ち昇り、大地は靴を通して炎の上を歩くように熱い。熱風が吹く。<o:p></o:p>

遠くからこの下目黒三丁目を眺めたときは奇妙な笑いがニヤニヤと浮んでいたが、現場について焼土と化したこの跡を見ると、さすが万感が胸に充ちて哀愁の念にとらわれざるを得ない。<o:p></o:p>

サンルームのように日当たりのよかった二階や、毎日食事をとった六畳や、ラジオを置いてあった三畳や、米をといだ台所や、そして自分が寝起きし、勉強した四畳半の部屋や……この想い出と、いま熱い瓦礫に埋まった大地とくらべると、何とも名状しがたい悲愁の感が全身を揺する。<o:p></o:p>

防空壕の口は、赤い炭みたいにオコった瓦で埋まっていた。完全にふさぐことがてきなかった酬いだ。掘返してゆくと、焼き焦げて、切れきれになった蒲団が出て来た。地面へ出しておくと、またポッポと燃え出して、覗きに来た隣の遠藤さんが、どんな切り端からでも綿がとれる。それで座布団も作れる、早く消せといったが水をいくらかけても消えない。くすぶりつづけて、一寸ほかのことをやっていると、またすぐに炎をあげている。遠い井戸から水を運んでは、ぶっかけ、足で踏んでいるうちに泥んこになってしまい、はては馬鹿々々しくなって、燃えるなら燃えちまえとみな放り出してしまった。<o:p></o:p>

鍋、お釜、茶碗、米櫃、それからずっと前に入れて土をかけて置いた瀬戸物、そして風呂敷に包んであった自分のノート類など、これは狐色に焦げて、これだけ出て来て、あとはみな燃えていた。防空壕内部の横穴の方へ大部分の家財を入れておいたのだが、何しろ恐ろしい熱気と煙なので手もつけられず、あきらめて夕刻帰る。<o:p></o:p>

町会も焼けたので、わずかに焼け残った近くの一軒の家を借りて事務をとっていたが、「罹災証明書」は出しつくして明日区役所からもらって来るまで待ってくれと書いた紙が貼ってあった。<o:p></o:p>

夜、高須さんと、高輪螺子に勤めている唖の工員とが話している。この唖は四十ということだが、見たところ年の見当もつかない、青白く痩せて、髪も眼の色も薄く、すぐ印象から薄れてしまいそう男だが、恐ろしくよく働くそうだ。高須さんとは何とか通じるらしい。時々通訳してもらうと、エビスビールの工場が焼けてしまってもう飲めなくて残念だとか、隣家に芸者の罹災者が来てて嬉しいとか、落下傘で下りて来た敵が憎くてたまらないとか、話しているのだそうだ。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 15

2010-05-14 15:22:23 | ドラマ

謙三  そしたら、<o:p></o:p>

よね  そしたらにやにやしながら頭に血が昇る様な事言うんだよあんた……<o:p></o:p>

謙三  何だって、<o:p></o:p>

よね  …この娘は生娘だって医者が言ってたなんて、あたしはカーッとなって、その生娘を寄ってたかって辱しめたのは何処の誰だって、良心咎めないのかって。<o:p></o:p>

謙三  よく言った。<o:p></o:p>

よね  でも、綾ちゃんが、泣き泣きあたしの腕引っ張って、もういいもういい、早く帰ろう帰ろうって……<o:p></o:p>

謙三  そうか、綾ちゃんその場に居るのが居たたまれなかったんだろうな……<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

障子が静かに開き、清子が出て来る。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

清子  泣きやんだわ、落ち着いたみたいよ綾ちゃん。あらかた事情は聞いたわ、非道い話。今夜一緒に寝るわ。<o:p></o:p>

よね  そうしておくれ。<o:p></o:p>

清子  英さんに今夜の事は、話しちゃいけないって言っといたわお母ちゃん。<o:p></o:p>

謙三  そうだよな、英さん、俺が付いて行かなかったばかりにと責任感じるから。母さんからも明日また念押しといた方がいいな。<o:p></o:p>

よね  そうするよ。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

その時、表戸を叩く音。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

謙三  誰だろう、こんな遅くに。何時になる。<o:p></o:p>

よね  十一時になるよ。どなたあ。<o:p></o:p>

刑事  警察だ所轄の。すまんが時間は取らない、訊きたい事がある。<o:p></o:p>

よね  (目を怒らし、刑事を入れる、そっけなく)何んでしょ?<o:p></o:p>

刑事  (店の中に素早く目を配り)倅は居るかな?掛けさせて貰うよ。(清子刑事に一瞥も呉れず奥へ引っ込む)<o:p></o:p>

よね  (立った儘)邦夫ですか、居ませんよ。<o:p></o:p>

刑事  橋本二郎の事で少し訊きたいんだ。<o:p></o:p>

よね  二郎さんに直接訊いたらどうなんです。<o:p></o:p>

刑事  あんたらの指図は受けん。お宅の倅は橋本と以前からツルんでたのは分かっているんだ。居たら立ち回り先を訊こうと思ってな。お宅は橋本の家とも懇意にしてるっていうじゃないか。何か知ってる事はないか。<o:p></o:p>

よね  知りませんね、<o:p></o:p>

刑事  倅の行き先は?<o:p></o:p>

よね  知りませんね、それに二郎さんと倅とはとうの昔から付き合いはありませんよ。会って訊いてもなにも分かりゃしませんよ、生憎だけどね。<o:p></o:p>

刑事  何だその態度は!それはこっちで判断する事だ。お前んとこの倅も、今度の事件に繋がりがあると睨んでいるんだ警察は。<o:p></o:p>

謙三  何ですか、それじゃ倅がスリ仲間だって言うですかい?母さん、邦夫はスリ働いてるんだそうだよ。<o:p></o:p>

よね  バカバカしい、なにを根拠に言うのやら。息子はね、小学校の時分から不器用で通ってるんですよ、工作図画が不得手なんですよ。通信簿何時も甲乙丙の丙が指定席なもんで、スリなんて出来っこありませんよ。<o:p></o:p>

刑事  何!警察は何もかにもお見通しなんだ。叩きゃ埃の出る体なんだ、お前んところの倅は。まあ今夜のとこはこれぐらいにして帰るが、倅が帰ったら署の方に出頭させるんだな。<o:p></o:p>

よね  お帰りですか?ご苦労さんですね。一寸言わせて貰いますがね……<o:p></o:p>

刑事  何だ。<o:p></o:p>

よね  余り二郎さんのお母さんに纏わりつかないで下さいな。<o:p></o:p>

刑事  何だと!<o:p></o:p>

よね  あの人はね、今度の戦争で大事な跡継ぎをお国に捧げてるんですよ。弟の二郎さんが何したか知りませんがね、そんなのおあいこですよ、お母さんの苦しみや悲しみ考えたら。それなのにお家の廻りをうろうろしたり聞き込みしたりして、悲しませるのは止めてくださいよ。岡引根性丸出しで!<o:p></o:p>

刑事  …(一瞬言葉を失くすが)貴様あ、何ほざく、引っ括るぞ!<o:p></o:p>

謙三  (慌てて)お前、黙んないか!<o:p></o:p>

よね  引っ括る?それが善良な市民に言う言葉ですかね。民主警察が聞いて呆れるよ。<o:p></o:p>

謙三  刑事さん、まあ今夜のとこはお腹立ちでしょうが、此の侭お帰りになって下さいよ。こいつ気が立ってましてね。正常じゃないんですよ毎月の何で……<o:p></o:p>

刑事  ……何だ、毎月の事?ヒステリーになんのか、人騒がせな、終わるまで閉じ込めて置け!(憤然として帰る)<o:p></o:p>

よね  やだよ、あんたったら言うに事欠いて。<o:p></o:p>

謙三  まあ、あいだけ言えば気も晴れたろう。こっちは気が気じゃ無かったぜ。あの刑事も間が悪かったな。(二人、声を殺して笑う)<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

暗転<o:p></o:p>

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(5)<o:p></o:p>

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数日後月も替わり、初冬の風が時折寒々と店の暖簾を煽る。店内には綾子が数人の客に混じって朝食を摂っている。今朝は街の空気がなんとなくざわめいている。地方選挙が公示され、選挙運動が始まったのである。駅の方角からメガホンで我鳴る意味不明の声が近づいている。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

綾子  ご馳走様、(丼を厨房のよねに手渡す)<o:p></o:p>

よね  はいよ、いよいよ真冬が到来だ。だんだん寒さが厳しくなるから、風邪引かないように気をつけるんだよ。<o:p></o:p>

綾子  はい、じゃ小母さん行ってきます。15<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む103

2010-05-14 04:52:45 | 日記

その四 火より煙の恐怖<o:p></o:p>

 高須さんはリュックを背負っていた。二人ともやっぱり小口さんの横を通って逃げて来たそうである。<o:p></o:p>

 町会のあった一帯はほとんどすでに焼け落ちて、通りに面した家々は骨だけになってまだ燃えていた。<o:p></o:p>

 煙の中を群集と一緒に、五反田へゆく大通りへ出た。そのとたん、ザザッーという音がして、頭上からまた焼夷弾が撒かれていって、広い街路は見はるかす果てまで無数の大蝋燭をともしたような火の帯となった。自分たちはこの火の花を踏んで走った。<o:p></o:p>

 五反田の空は真っ赤に焼けただれ、凄まじい業火の海はとどろいていた。煙にかすみ、火花に浮んで、虫の大群のように群集は逃げる。泣く子、叫ぶ母、どなる男、ふしまろぶ老婆、まさに阿鼻叫喚だ。高射砲はまだとどろき、空に爆音は執拗につづいている。<o:p></o:p>

 やっと目黒川のほとりに出た。この一帯も延々と燃え、ほとんどすでに焼け落ちて、煙と熱気にうるんで柱や電柱が無数の赤いアイスキャンデーのようにはろばろとゆらめいてた。熱い。しかしいざとなればこの河へ飛び込めば命に別状はないのだから、何といってもほっとした。<o:p></o:p>

 新橋のたもとへ出て、一時間近くあたりの燃えるのを眺めていた。人々は一杯路傍に立ったり座ったりしていた。蒲団を積んだ自転車やリヤカーや大八車が並んでいた。みな恐ろしいほど黙っていた。火だけがうなっていた。ぼんやり立っていると、びしょ濡れの服が寒くてたまらなくなった。傍の、たしか工場らしいと記憶していた建物はすでに崩れ落ちて、煮えたぎるような火の坩堝が地上にひろがっていたが、ときどきパーン、パーンと何か爆発して、真っ黒な煙がもくもくと火の中を昇っていった。傍へいって身体を暖めた。ごうせいな焚き火だ。この期に及んで、道に落ちている1本のシャベルを拾った。<o:p></o:p>

 三人は權の坂を下ってゆき、家のほうへ帰ってゆこうとした。<o:p></o:p>

 いつもゆくロータリーの傍の銭湯はすでに火の野原となり、煙突だけが火炎の中にそそり立っていた。まだ燃えている左側の家々に、警防団の人々が細いホースを向けていた。反対側の舗道には、中年の女が一人茣蓙の上に横たえられて唸っていた。大鳥神社も燃え、小杉八郎邸も燃えていた。その前の往来に置かれているゴミ車が、一人前の顔をして燃えているのが可笑しかった。<o:p></o:p>

 家のすぐ近くの米の配給店のあたりはなお盛んに燃え、その炎と煙が路上に吹きつけ、とても通れそうにないので、家にゆくのは断念して、しばらくロータリーのところで、下目黒から五反田へかけての火の海を眺めていた。<o:p></o:p>

 東の空は薄黒い微光をたたえ出していた。身体の疲労が感じられて来た。もう空襲警報は解除になっているのだろうが、サイレンは聞こえず、あたりのラジオも勿論早くから切れてしまっているので、状況はさっぱり分からない。<o:p></o:p>

 またトボトボと権の助坂を上っていった。数百人の人々が群がって、坂の下の火事を眺めていた。日の出女学校が燃えている。壁、建具が焼け落ち、屋根が落ち、赤い火が柱なりの形を残して空に描かれているが、やがて何とも形容しがたい響きをたてて一本の梁が折れると、どどっーとみな地に崩れ落ちる。地平線は火の潮が流れているようだ。<o:p></o:p>

 


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 14

2010-05-13 15:08:58 | ドラマ

英輔  何言ってんだい、俺はね…復員してきて駅に降り立った時、そして親父やお袋そして妹までが焼け死んだって知った時、戦争も地獄だがそれ以上の地獄を腹に叩き込まれた思いだった。俺見てえなやくざが生き残って、親父お袋妹までが…と、世間斜めに見てやけな暮らしに首突っ込む崖っぷちだった。小父さんたちに再会し、昔ながらの変わらねえ人情に触れ、どうにか立ち直る事が出来たんだよ。じゃなかったら今時分、押し込み、辻強盗と、塀の中さ。これ位の事は万分の一の恩返しにもならねえよ。好きにさしてくれよ小父さん小母ちゃん。<o:p></o:p>

英輔  ……<o:p></o:p>

よね  (涙を拭いながら)ほんとにお家族はお気の毒だったよ。焼夷弾が母屋に直撃で、あっという間で避難すね間もあらばこそだったからね。<o:p></o:p>

謙三  止さないか。<o:p></o:p>

英輔  いいんだ小父さん。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

舞台溶暗。そして溶明、その日の夜。謙三の店、暖簾は下げられ謙三一人椅子に掛け思案顔でいる。清子勤めの帰りで「ただいま」と入って来る。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

清子  お父ちゃん一人なの、お母ちゃんお風呂?<o:p></o:p>

謙三  そうじゃない、それよりもう十時になるじゃないか。遅いぞ!<o:p></o:p>

清子  ごめん、ジュンに誘われて店の人たちとみんなで食事会。そんな事より邦夫の夕べの件どうなったの?<o:p></o:p>

謙三  その話は付いた。人違いだ。<o:p></o:p>

清子  そう、良かったわね。ねえ、お母ちゃんは?<o:p></o:p>

謙三  それのが肝心だよ、さっき交番からお巡りが来て、上野署からの連絡で君山綾子という女性の件で至急上野署まで来るように、それも母さん名指しで来てくれって言ってきたんだよ。訳も分からず母さんすっ飛んで行ったってわけよ。<o:p></o:p>

清子  綾ちゃんに何かあったのかしら。もしかして満州からお母さんが?<o:p></o:p>

謙三  それはないだろう、そうだったら綾ちゃん知らせに帰る筈だよ。<o:p></o:p>

清子  そうよね、でもおかしいな、<o:p></o:p>

謙三  何が、<o:p></o:p>

清子  英さん、今夜は付き添ってなかったのかしら。<o:p></o:p>

謙三  英さんが?又なんで英さんが付き添ってなんて。<o:p></o:p>

清子  お父ちゃん知らないの、英さんね、ずっと綾ちゃんと一緒に毎晩上野へ行ってるのよ。綾ちゃんから聞いたのよ。<o:p></o:p>

謙三  そうか、よっぽど綾ちゃんが心配なんだな。でも偉いよ英さん、なかなかそこまでは出来ないよ。<o:p></o:p>

清子  上野は何かと物騒だからって、英さんが言ってくれたんですって。綾ちゃん嬉しそうだった。ねえお父ちゃん、英さん好きなんじゃないかしら綾ちゃんの事。<o:p></o:p>

謙三  うーん、そういう気持は無いようだ、妹のように思ってるんだと言ってたな。綾ちゃんも兄貴のように慕ってんじゃないのか。<o:p></o:p>

清子  そうかしら、あたしは恋愛感情が芽生えてると思うな。少なくとも英さんのほうには。<o:p></o:p>

謙三  恋愛感情…大袈裟な言い方すんなよ、それよりお前の方はどうなんだ?<o:p></o:p>

清子  あたしの方って?<o:p></o:p>

謙三  ジュンとの事だよ。お父ちゃんはともかくお母ちゃんの心臓に波立たせるような事言い出すなよ。<o:p></o:p>

清子  (笑って答えず話を逸らす)そんな事よりお母ちゃんも綾ちゃんも一体どうしたのかしら。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

それに答える様に表戸が開き、よね、綾子の肩を抱きかかえて帰る。綾子、目を泣き腫<o:p></o:p>

らしている。二人声を上げて駆け寄る。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

よね  清子、奥に布団敷きな、綾ちゃん寝かせるんだ。(清子、綾子を抱き座敷へ上げ奥の部屋へ連れて行く)襖閉めて、あんたもそこ閉めて。<o:p></o:p>

謙三  (慌てて戸を立て、小声で)どうしたんだ綾ちゃん?何があったんだ。<o:p></o:p>

よね  まあ落ち着いてお聞きよ。<o:p></o:p>

謙三  落ち着いているよ俺は。<o:p></o:p>

よね  そうだよね、実はね、綾ちゃん今夜もお母さんたちに遭えず、一人駅の外へ出たとき、たまたま警察のパンパン狩りに出くわしちまったんだよ、それがまた運悪くっていうか、警察のドヂっていうか十把一絡げでもってパンパンと一緒に捕まっちまって……<o:p></o:p>

謙三  何だって!<o:p></o:p>

よね  大きな声出すんじゃないよ。<o:p></o:p>

謙三  (声を顰め)それで……<o:p></o:p>

よね  トラックに乗せられて……<o:p></o:p>

謙三  警察へ連れて行かれたのか?<o:p></o:p>

よね  バカだねあんた、警察ならまだ救われたよ。病院へ持って行かれちまったんだよ、可哀そうに……(手拭を取り出す)<o:p></o:p>

謙三  病院って、吉原病院か?<o:p></o:p>

よね  そうだよ、堅気と商売女の区別がつかないのかよあいつ等。<o:p></o:p>

謙三  (急き込んで)それで?<o:p></o:p>

よね  そうだよ、おそらく有無も言わせず診察台に乗せたんだろうよ。可哀そうに、随分と恥ずかしかったろうよ。<o:p></o:p>

謙三  ふーん、それで警察は母さんに何だって言うんだ。<o:p></o:p>

よね  口惜しいじゃないか、医者が検査の結果陰性だというので釈放する。それで身許引受人として、本人の申し立てであんたを呼んだのだ。今後夜の盛り場への出入りは、十分注意するようにだって言うんだよあんたあ、(泣きながら)あたしゃ口惜しくって。<o:p></o:p>

謙三  それじゃ何かい、警察は素人娘を玄人と間違えた事を詫びねえのか。詫びて済む話じゃねえが、ナリ見たって一目で分かるじゃねえか。<o:p></o:p>

よね  あたしはね、この娘が上野へ夜来る事情を懇々と言ってやったよ、そんな娘を暖かく見守るのが警察の仕事だろうって、それをパンパンと一緒くたにして非道いじゃないかって、あたしゃ巡査の胸倉叩いて武者ぶりついてやった。そしたらね……14<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む102

2010-05-13 05:01:01 | 日記

その三 猛火に追われる<o:p></o:p>

 まだ家にいられたかも知れない。しかし周囲はすでに火の海と化していた。とても防ぎ切れるものではない。それに恐ろしいのは煙だ。眼を開けていられない。逃げられなくなってから逃げてももう遅いのだ。<o:p></o:p>

 「逃げよう、もういい、もういい、山田君」<o:p></o:p>

 と高須さんが叫んだ。二人は門のところまで逃げて来た。大通りに出る路地はもう火につつまれていた。<o:p></o:p>

 自分は反対の遠藤さんの方向へ路地を走った。遠藤さんの家の前では、家財を背負った一家の人々が、<o:p></o:p>

 「節ちゃんっ、節ちゃんっ、何してるの、早く来ないかっ、節ちゃんっ」<o:p></o:p>

 と血声をあげていた。<o:p></o:p>

 ふと傍を見ると、一緒にいると思っていた高須さんがいない。自分はふりむいて、<o:p></o:p>

 「高須さん、勇太郎さあん」<o:p></o:p>

 と、必死に叫んだ。眼とのどが痛く、濡れ手拭で顔を覆って自分は連呼しつづけた。しかし二人とも来なかった。勿論むざと焼け死ぬ二人ではないので、さては小口家の方角へ逃げたかなと思って、自分はそのままどんどん走って、欅の大木のある細い十字路に出た。<o:p></o:p>

 真っ直ぐの方向はいちばん最初から燃えていたところで、まったく火の海だった。町会へ出る路は、すでに両側の家が燃えていた。その方角から数団の人々が駆けて来て、<o:p></o:p>

 「駄目です、こちらは逃げられません」<o:p></o:p>

 と叫んだ。<o:p></o:p>

 自分の逃げて来た路も、もう駄目である。みな右の女学校へゆく細い道を走った。<o:p></o:p>

 「逃げられますか」<o:p></o:p>

 「分からないが、とにかくゆきましょう!<o:p></o:p>

 とだれかが叫んでいる。<o:p></o:p>

 「うろうろしてると焼け死んでしまう。とにかく何処かへでなければ」<o:p></o:p>

 遠いところで、ぐわう、と火がうなっている。あたりは夜霧のように煙がたちこめて、一尺先の人影も分からない。<o:p></o:p>

 息が切れて自分は歩いた。歩いたりなどしてはいけない! と思ったが、苦しくてとても走れなかった。ふと、「死」が頭を掠めた。いま考えるとばかばかしいが、そのときは勿論物凄く緊張した顔をしていたであろう、煙が苦しくて、早く澄んだ空気を吸いたかった。自分は「死」を考えつつ、一人で夜霧のような煙の中を歩いた。<o:p></o:p>

 「駄目です、こっちも火の海です」<o:p></o:p>

 と、前方から二、三人駆けて来た。<o:p></o:p>

 「そちらに道はありませんか?」<o:p></o:p>

 自分たちは引き返した。またもとの十字路へ出た。<o:p></o:p>

 「町会の方へ出ましょう」<o:p></o:p>

 と自分は叫んで、傍の用水槽にざぶっと飛び込み、全身を浸すと水煙あげて飛び出し、両側の燃えている路地の中を、顔を伏せて走り抜けていった。<o:p></o:p>

 大通りへ出たところで、高須さんと勇太郎さんに逢った。