その五 一夜明けて<o:p></o:p>
薄暗い夜明けの路を、罹災民のむれといっしょに高輪の方へ歩きつづけ、知り合いの町工場、高輪螺子へころがりこんだ。雑炊を食べさせてもらい、二階に上がり、ぐったりと眠った。<o:p></o:p>
ときどきぼんやりと眼をさますと、美しい朝、日が眼に痛い。警報を夢うつつで聞く。一機偵察に来たとかであった。<o:p></o:p>
午後、シャベルを持って、高須さん、高輪螺子のおやじさん、そこの工員の唖男、自分と、四人で焼跡へゆく。<o:p></o:p>
目黒の空は煙にまだ暗く、まるで煤ガラスをかざしてのぞいたように、太陽が血色にまるくはっきり見える。空はどんよりとして、雨でも頬に落ちそうな曇りである。<o:p></o:p>
焼跡は今までよそで見たのと同じく、赤茶けたトタン板と瓦の海と化していた。なお余燼がいたるところに立ち昇り、大地は靴を通して炎の上を歩くように熱い。熱風が吹く。<o:p></o:p>
遠くからこの下目黒三丁目を眺めたときは奇妙な笑いがニヤニヤと浮んでいたが、現場について焼土と化したこの跡を見ると、さすが万感が胸に充ちて哀愁の念にとらわれざるを得ない。<o:p></o:p>
サンルームのように日当たりのよかった二階や、毎日食事をとった六畳や、ラジオを置いてあった三畳や、米をといだ台所や、そして自分が寝起きし、勉強した四畳半の部屋や……この想い出と、いま熱い瓦礫に埋まった大地とくらべると、何とも名状しがたい悲愁の感が全身を揺する。<o:p></o:p>
防空壕の口は、赤い炭みたいにオコった瓦で埋まっていた。完全にふさぐことがてきなかった酬いだ。掘返してゆくと、焼き焦げて、切れきれになった蒲団が出て来た。地面へ出しておくと、またポッポと燃え出して、覗きに来た隣の遠藤さんが、どんな切り端からでも綿がとれる。それで座布団も作れる、早く消せといったが水をいくらかけても消えない。くすぶりつづけて、一寸ほかのことをやっていると、またすぐに炎をあげている。遠い井戸から水を運んでは、ぶっかけ、足で踏んでいるうちに泥んこになってしまい、はては馬鹿々々しくなって、燃えるなら燃えちまえとみな放り出してしまった。<o:p></o:p>
鍋、お釜、茶碗、米櫃、それからずっと前に入れて土をかけて置いた瀬戸物、そして風呂敷に包んであった自分のノート類など、これは狐色に焦げて、これだけ出て来て、あとはみな燃えていた。防空壕内部の横穴の方へ大部分の家財を入れておいたのだが、何しろ恐ろしい熱気と煙なので手もつけられず、あきらめて夕刻帰る。<o:p></o:p>
町会も焼けたので、わずかに焼け残った近くの一軒の家を借りて事務をとっていたが、「罹災証明書」は出しつくして明日区役所からもらって来るまで待ってくれと書いた紙が貼ってあった。<o:p></o:p>
夜、高須さんと、高輪螺子に勤めている唖の工員とが話している。この唖は四十ということだが、見たところ年の見当もつかない、青白く痩せて、髪も眼の色も薄く、すぐ印象から薄れてしまいそう男だが、恐ろしくよく働くそうだ。高須さんとは何とか通じるらしい。時々通訳してもらうと、エビスビールの工場が焼けてしまってもう飲めなくて残念だとか、隣家に芸者の罹災者が来てて嬉しいとか、落下傘で下りて来た敵が憎くてたまらないとか、話しているのだそうだ。