うたのすけの日常

日々の単なる日記等

気楽に大相撲観戦

2017-05-25 11:06:44 | 日記

 平成二十九年五月二十五日(木)

 稀勢の里が休場したので、気張らず観戦できるのが嬉しい。稀勢の里には来場所も休んでもらって復活して欲しい。どうやら痛めた箇所を、悪化させたたように見受けられるからである。是非そう願いたいものである。
 今日は久しぶりに涼しく、雨模様だが何処へといったあてもないので休日と決めた。体調も良くないので、丁度骨休みには良い。


気分優れず

2017-05-24 09:34:48 | 日記

 平成二十九年五月二十四日(水)

 そんならじっとしていればいいものを、昨日は片付けで屋根裏への梯子を何回も昇り降りし、疲労困ぱいの有様。座敷に戻りぐったりして、年には勝てぬとぼやけばかみさん、もう八十五ですよ、昔ならとっくにお迎えが来てる齢ですよと笑う。それには違いないが、世間には元気な年寄りがごまんといるわけで、我ながら意気地がないと歯がゆいこと。
 それならお相撲を楽しめば良いのだが、テレビ桟敷は一昨日昨日とがっくりとしてしまう。白鵬、日馬富士の両横綱が、取り口はともかく、計り知れぬ強みを発揮、全勝を確保。一方稀勢の里は連敗で既に四敗してしまった。高安は白鵬に完敗で二敗、残る五日間で三勝しなければ大関昇進の基準突破は難しい。残る相手は日馬富士、照ノ富士と強敵が控えている。とかく連敗する癖のある高安。稀勢の里の援護は望めないだろうからと心配は尽きない。もう相撲を観戦する気力も萎えてしまった。いっそ、溜まっている録画番組を消化しようかなんて考えてしまう。


大相撲夏場所序盤戦を終えて

2017-05-19 14:49:54 | 大相撲

 白鵬今場所の取り口半端ではない。昨日の御嶽海の取り口など、凄まじいの一言である。左で張って、右肘で御嶽の顔面を強烈にかちあげ、勝負ありだ。御嶽海これで戦意消失、お気の毒という以外言葉なしだ。後は言うまい。
 稀勢の里は前日まで二勝二敗、苦しい状態。解説の北の富士さんは、今場所は優勝など考えず怪我の悪化を避け、気楽に行けと言う。確かにそうである。連続優勝したのだし、横綱としての面目は先場所で果たしている。無理することはない。せめて弟弟子、高安の大関昇進の援護射撃に徹していけばよしである。昨日も何度も窮地に見舞われたが、必死の勝ち星を上げた。十五日間取り続けるのも考えものだ、命あっての物種というではないか。


メモ、水戸だより、その三

2017-05-17 10:09:11 | 日記

 平成二十九年五月十七日(水)

 水戸の住人になって一年たったころのメモだろう。
 二度目の冬を迎える。散歩に玄関を出れば一瞬にして小高い丘、雑木林、広がりを見せる田圃等の四季折々の風景を見てきたわけだ。冬の寒さは松戸と大差なく救われた気分。初春には鶯の鳴き声に聞き惚れ、五月には鯉幟の舞う青空の下の田植えを懐かしく見、千波湖の花火を眺め、機械化された稲刈りの様子に目を見張る。秋の訪れとともに晩酌の杯を持つ手がともすると、庭のこおろぎの賑やかな鳴き声にふと止まる。こうならべると、いかにも風流三昧の日々と受け取られるかも知れぬがさにあらず。そんな悠長な移ろいではない。いやしくも拙くも曲がりなりにも素人劇団の一員、退団したとはいえ、常に気持ちは松戸を向いている。劇団も小生の頭が硬化しないようにと、いろいろ問題を発信してくれている。それにしささかでも応えんと、緊張、焦燥そして?の日々である。と、ここは一応恰好をつけておいて、締めくくりに川柳を。

   おとぼけと 惚けの間を 綱渡り

   久しぶり 劇舎の階段 足軽く

   


水戸だより。昨日に続く

2017-05-16 08:58:33 | 日記

 平成二十九年五月十六日(火)

 水戸へ転居して翌年ぐらいの時期のメモか。

 つい先日まで田園の早苗は、乙女のはにかむ様に似て、楚々とした風情でなびいていましたのに、この頃は緑も鮮やかに、しっかりと根を張り、背丈を伸ばしています。その様子は、お局様のごとく泰然自若と、酷暑熱風の最中にも動ぜず、秋の実りを裏打ちしているようです。
 さて、人間いたるところに青山ありと申しますが、小生の場合そんな大それた標榜とはこと違い、ただ単に水戸の暮らしにいささか馴れたといったところでしょうか。
 「千波湖の花火」「黄門祭り」と、いい齢こいて腰が落ち着かぬ体たらくです。いろいろな連が参加する祭りのパレードに、先年まで所属していた松戸の劇団の若手が幟を打ち振り、「オカマ連」と大書したプラカードを掲げて参加したらと、不穏な考えが頭をかすめたりします。ミミ、ナナ等、劇団の諸嬢?が胸を揺すり腰を振って街道を行く。黄門様も真っ青。想像するだけでも、生きがいを感じます。
 お仕舞に私事ですが、五月に古希を迎え、いささか感無量といった心境です。そこで我流川柳を。

  古希迎え いまだ彷徨う 男あり

  われ生きる 芝居仲間の 輪の中に


雑多を整理していたら

2017-05-15 10:45:00 | 日記

 平成二十九年五月十五日(月)

 ぶろぐをちょっと休んでしまった。所在なさに整理の真似事をしていたら、数枚のメモが出てきた。おそらくブログには載せていないと思うので、よし、これにと決めたと発信を思い立つ。
 題目に「水戸便り」とある。
 水戸に来て半年。棲家は駅よりバスで二十分。家の周囲は田園地帯が広がり、点在する雑木林からは呆れるほどの鶯の鳴き声が聞かれ、少し足を伸ばせば幹線道路が走る。各種店舗が広大な駐車場を擁して、格納庫の如き威容を誇示している。が、我が家の近辺には吞み処皆無。小生には環境すこぶる良だが、前住地松戸に赴いた時の反動が憂慮された。
 しかし、松戸まで行くまでもでなかった。隠れ場所は何処にでもあるものである。既にその兆候顕著に現れてきている。「反省と奮起」、寿命ある限り続くと諦観の現在です。

 十五年ぐらい前のメモか?


久し振りに

2017-05-10 16:13:47 | 日記

 平成二十九年五月十日(水)

 夜来からの雨か、朝からしとしとした小雨続きの一日となった。当地もカラカラした乾燥から解放されて、喉もいがらっぽさが収まり気分好し。森林火災も収まればいいのだが、所によっては油断できぬ様相という。
 そんな中、韓国の大統領も決まったが、日韓間はなかなか問題が続出し、日本としては頭が痛い日が続きそうだ。だが何といってもお隣さんの事、辛抱強く対応するしかあるまい。まっ、一応は、成り行きを静観というところか。


各地で大荒れ

2017-05-09 15:31:13 | 日記

 平成二十九年五月九日(火)

 各地で山火事がすごい。山火事というより森林火災か。住宅も吞み込まれ一瞬にして丸裸になってしまった人もいる。避難指示が出、消防士が懸命に避難を呼びかければ命あっての物種。何もかも投げうって逃げるしかあるまい。お気の毒であるが、この火災で死傷者がなかったことを良しとする。そう思わずにはいられぬが、ご本人たちにとっては耐えきれぬ被害であろう。
 平地でも火災が続出し、死者も。最近の火事は、必ずと言っていいぐらい犠牲者が出る。それも独り身の高齢者、高齢者ご夫婦。せっかく長生きされ、余生をと思うのが人の情。それがなされずに亡くなるとはむごい話である。何とか対策がないものか、無念でならない。


世界はいい方向に?

2017-05-08 16:21:32 | 日記

 平成二十九年五月八日(月)

 まさに初夏、陽気はよろしいし、何の文句も言えないお天気続き。これで文句たらたらだったら、罰が当たるというもんだろう。人間文句があっても、ある程度の我慢が必要か。しかし言いたいことを我慢していたら、体に良くないことは万々承知。しかし既に体に関しては満身創痍、今更気を使っても時すでに遅し。なるようになるさと、あさってを向いているしかあるまい。
 ところで北とアメリカの関係が、話し合いの方向に進んでいるようで、これが事実なら願ってもないことである。トランプさんの選択肢にはこれもあったのだ。軍事力一辺倒と解したあべさん、大いに感激し持ち上げていたが、梯子を外されたようなかたち、もう二度と繰り返すまい過ちはである。第一世間に対してみっともない。はい、今日はここまでにします。


義妹二人が遊びに

2017-05-05 14:55:28 | 日記

 平成二十九年五月五日(金)

 水戸まで迎えに行き、寿司屋にでも案内して、そこで女三人で思い切り喋ったほうがいいだろうと、十一時の開店まで時間があるので喫茶店で時間を潰す。女三人と称したが三人の齢を足したら幾つになるか。まあそれは言うまい。まさに三婆である。喫茶店ですでに姦しい。かみさんに先に行って、座敷を予約しておくから十一時になったら、駅ビルまでと告げて一足先に寿司屋へ。それがである。予約して三十分たっても影も形もである。しびれを切らして迎えに行けば、遠く喫茶店から笑いながら出てくる三人の姿が。文句をかみさんに言えば、妹二人はあたし達に言ってくれてればとかみさんを庇っている。
 年寄りが四人も会すれば、話題は自ずと死に目のことになるのが当然。あたしも日ごろ思っていることをまくし立てた。齢の順から言えば先ずあたしが先、このことは娘にも近々言い聞かしておくが、小さい小さい家族葬にする。したがって死亡通知だけで勘弁してくれ。万が一かみさんが先になったら、兄弟だけには病状だけは知らせておくから、線香の一本もあげておくれ。と言う。何しろかみさん入れて弟妹は七人みな元気で、ひとりを除き、みな常磐沿線に住んでいるのである。
 まっ、そんなことで、久方ぶりの三婆のお喋りは終わった。