うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む235

2010-09-30 05:14:08 | 日記

冬、迫り来る<o:p></o:p>

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十一月二十九日(木)冷雨<o:p></o:p>

 きのうの議会。「正義を叫ぶべくわが国はその力を失っている」と首相の述懐。議員、戦争犯罪人を糾弾せよと吼えまくる。<o:p></o:p>

 「軍として国民の前に深くおわび申しあげる。ただ尽忠の将兵と英霊にはご同情を……」と壇上手をついて首を垂れる<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="下村" AddressList="16:下村;">下村</st1:MSNCTYST>陸相。野次の嵐に、ただ一人軍服の巨躯黙して語らぬ米内海相。<o:p></o:p>

 終戦のドサクサに軍用品を持ち逃げした不心得の軍人は許せないが、この最後の陸海両相の態度は悲壮見事にして、いかにも日本人らしく武士的である。<o:p></o:p>

 酒五合配給。七円五十銭。<o:p></o:p>

 緒方知三郎「病理学講義」を読む。<o:p></o:p>

十一月三十日(金)曇のち雨<o:p></o:p>

 昼休み、二年三年の懇話会。三年の某、われらは家族制度の桎梏に苦しみたり、天皇はすなわちその表象にして根源たり、すべからく打倒せざるべからずなど叫び、みなのだまれだまれの声に立往生。<o:p></o:p>

 食糧問題重大にして、二ヶ月乃至それ以上の冬休みとなれる学校多し。相談の結果十二月十日より一月二十日までと決め学校に交渉せるところ、十二月十日より一月一杯は休みとすと却ってまけてもらう。<o:p></o:p>

 午前佐々病理。放課後、学校に電線引くとて、電柱を無用の焼野より倒し運ぶ。冷雨。<o:p></o:p>

 寒気ようやく烈しからんとす。冬物一切失いたれば、夏シャツ夏服寒くして耐えがたし。風呂敷をたたんで背中にあてて、その上から上衣を着てすまして歩いている。誰も知らないから可笑しい。<o:p></o:p>

十二月一日(土)晴<o:p></o:p>

 午前十時家を出て、勇太郎さんと津田沼へゆく。また古清水氏から芋を売ってもらうためである。<o:p></o:p>

 津田沼駅の前にも、蜜柑、大根、葱、鰯などの露天が出ている。帰途にあるかどうかわからないので、蜜柑二十個十円、鰯二十匹十円で買う。きょうも街道を大きなリュックを背負った買出部隊がぞろぞろ行進している。<o:p></o:p>

 十二時半バスで習志野を通る。枯れすすきゆれて褐色の広野に大きな雲の影が動く。昨日の雨で街道は泥んこでバスははねまわるが、地平線に巻き上がった入道雲の繊細な光りの陰翳の美しさ。

 車中で婆さんたちが話している。<o:p></o:p>

 「何しろ内地にいた兵隊さんはトクですよ。二、三日行って山みたいに物をもらって帰った人もあるんですもの。それからみるとうちの倅なんぞは可哀そうなものです。先月に北支をたって二十八日に帰って来たんですがね、何でも向こうじゃ朝はこれだけほどの御飯(と片手で盃を作って)昼はすいとん、晩は粟がゆなんだそうで、こんなに痩せちゃってえ。いろんなデマが飛んで日本の家はみんな焼けて人はばたばた餓死してるなんていうもんだから、帰って来て御飯をたべさせてやったら涙をこぼしていましたよ。……<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む234

2010-09-29 04:22:24 | 日記

風太郎氏懊悩は尽きません<o:p></o:p>

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…しかし、今は何でもいえるか。<o:p></o:p>

現在ただいま、インドネシアを弾圧し、仏印を強圧している英仏に何が言えるか。蒋介石と毛沢東の背後にいる米ソに何か言っているか。しかし戦時中臆病であった彼らは、この点についてはまた黙っている。<o:p></o:p>

戦時中の沈黙は勝利のための沈黙といえないか。いまの沈黙は屈従のための沈黙とはいえないか。<o:p></o:p>

十一月二十七日(火)雨<o:p></o:p>

 朝鮮にいた日本女性の九〇%までは汚されたという。<o:p></o:p>

 ハンス・カロッサの「医師ギオン」で読んだ第一次大戦後のドイツ国民の、寒風吹く廃墟にぼろを着て冷たい大地にうずくまっているような姿、終戦直後「日本人はまだあれほど打ちのめされてはいない」と考えたが、今やそれが事実として眼前に現れて来つつある。しかも敗戦の苦悩はまだ序の口なのだ。
十一月二十八日(水)晴<o:p></o:p>

 解剖実習室に屍体二十余来る。すべて上野駅頭の餓死者なり。それでもまだ「女」を探して失笑す。<o:p></o:p>

 一様に硬口蓋見ゆるばかりに口ひらき、穴のごとくくぼみたる眼窩の奥にどろんと白ちゃけたる眼球、腐魚の眼のごとく乾きたる光りはなてり。肋骨そり返りて、薄き腹に急坂をなす。手は無理に合掌させたるもののごとく手首紐にてくくられぬ。指ははみ出たる地下足袋、糸の目見ゆるゲートル、ぼろぼろの作業服、悲惨の具象。<o:p></o:p>

 午後松葉と有楽町、日比谷劇場に映画「限りなき前進」を見に行く。…ニュースの中に天皇の伊勢御親拝あり。「脱帽」の字幕はもう出ないが、反射的にいっせいにみな脱帽する。その後で徳田球一が天皇制打倒を哮える共産党大会の状況が出る。<o:p></o:p>

 四時ごろ劇場を出て、日比谷公園に入ってみる。草枯れ、樹々荒れて荒涼たる公園のかなたに赤い落日が沈んでゆく。<o:p></o:p>

 噂の通り、なるほど進駐軍がいたるところ日本娘の頸や腰に手を巻いて座っていたり歩いたりする。中には向かい合ってブランコにのっている組もある。<o:p></o:p>

 日本人は首さしのばし、この風景を見るがごとく見ざるがごとく歩いている。ベンチの端では老人がぼそぼそと芋をかじっているのに、反対の端では抱き合って、チョーチョーナンナンとやっている。<o:p></o:p>

 噂では、女学生の時間、事務員の時間、売春婦の時間の別があるということだが、今は何の時間にあたるのか、あまり品のいい女はいないようだ。リボンなど髪につけて、服装も下司ばり、顔も進駐軍には気の毒なようなものが大半である。(小生も子どもながら、米兵の腕にぶら下がるように歩いている彼女たちに、美人を見たことなしであります。)<o:p></o:p>

 彼女たちは必ずしも食わんがためばかりとは考えられない。上野駅頭の浮浪者の多くが精神薄弱者であるように、これら女性も少し精神が異常なのではないかと思われるが、しかしそれにしても彼女たちは戦争中日本のどこに住んでいたのか、思えば不思議千万である。……。 殺人的電車に乗って帰る。一番先には進駐軍用の車が一輌ついてこれは閑散を極めている。夜一夜中停電。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む233

2010-09-28 05:30:50 | 日記

この項なお続きます<o:p></o:p>

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十一月二十一日(水)曇寒<o:p></o:p>

 午前道部師ドイツ語、午後浅田師法医。<o:p></o:p>

 平石よりアメリカ煙草ラッキー・ストライクを買って来てもらう。白地に赤丸のデザインなり。平石、日本占領記念なりというがほんとうかな。<o:p></o:p>

 本庄繁大将自決す。<o:p></o:p>

 里見弴の短編を読む。<o:p></o:p>

十一月二十二日(木)雨夕上る<o:p></o:p>

 右に走り左に馳り、これに附和し彼に雷同する者すなわち愚衆にして、愚衆とは一億人中、九千九百九十九万九千九百九十九人の意なり。<o:p></o:p>

 学校の飯田より送れる荷はすべて送れりと判明。万事休す。<o:p></o:p>

 村井順「源氏物語評論」を読む。<o:p></o:p>

十一月二十三日(金)快晴<o:p></o:p>

 ほがらかなる秋天。三軒茶屋マーケットにて石鹸一個を買って来る。泥色のこんにゃくのごとく軟かきもの八円なり。<o:p></o:p>

 (この種の石鹸、わが家でも大いに使用しました。ぐっと握り締めると五本の指の間からにょろにょろと出てくるのです。勿論泡立ちはなく大変な代物でした。)<o:p></o:p>

十一月二十四日(土)晴時々曇<o:p></o:p>

 午前佐々病理。<o:p></o:p>

 新宿マーケットで、向う鉢巻のあにいが「尾津組長の都民のみなさまへの大奉仕です。はまぐり一升六円、市場卸しの半額」と書いた看板の下で「さあ買ってゆきやがれ、こんなこと二度とねえぞ」と叫んでいるから、つりこまれて一升買って来る。高須さん曰く、それは船橋で五円で売っていると。<o:p></o:p>

 武者小路実篤「人生論」を読む。<o:p></o:p>

十一月二十五日(日)午前曇午後晴<o:p></o:p>

 朝高須さんの父君逝去されたりとの電報。<o:p></o:p>

 佐藤春夫「指紋」「瀬沼氏の山羊」「のんしゃらんの記憶」など読む。「指紋」はコケオドシなり。<o:p></o:p>

十一月二十六日(月)薄曇<o:p></o:p>

 高須さんは名古屋へゆく切符を手に入れるため、玉電もまだ通らない未明の三時、渋谷まで歩き、省線<st1:StationName w:st="on" StationName="一番に乗って東京">一番に乗って東京駅</st1:StationName>へゆく。徹夜組多くそれでも買えないところを、何かの偶然で幸い一枚手に入れたと九時ごろ帰宅。二十二時十分の列車に乗ると夜七時ごろ家を出る。香典三十円を呈す。<o:p></o:p>

 午前緒方校長のカシンベック病論。満州の研究所の運命を憂うる顔悲痛なり。<o:p></o:p>

 「われわれは戦争中心ならずも真の声をあげることが出来なかった。これからはそれが出来るわけである」とほとんどの言論人がいっている。<o:p></o:p>

 なるほど戦争中いえなかったことはいえる。そこで彼らは今を限りと軍閥と侵略戦を鞭打つのである。屍に鞭打つのだから「吾々は戦時中臆病であったことを自認する」と言う彼らでも平気なわけである。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む232

2010-09-27 05:26:01 | 日記

まだ続きます<o:p></o:p>

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……呼ぶ声、呼ぶ声、まるでシナの市場だ。<o:p></o:p>

 公園のベンチに乞食のむれが日向ぼっこしている。「乞食のように汚い」という形容があるが、ホントに汚い。ぼろぼろの雑巾のようなものをまとって、裸足で、髪はぼうぼうと埃をあび、顔は青黒く垢に埋まっている。少年と老人が多く、女は少ない。いれば老婆だ。二人の老人が指を立てて「四つ?」「四つ」と話している。一方の枯木のような掌には芋がのっている。まるでアラビアの悪夢のような風景だ。<o:p></o:p>

 靴は五百円、八百円。靴墨は黒が十三円、赤が十四円、コルクの栓まで五個五十銭と書いて売っている。ハマグリ一升三円五十銭、林檎は七個で二十円、これはいいとして竹の皮五枚で三円というのには眼をぱちくりさせる。<o:p></o:p>

 焼け果てても、浅草は凄まじい活気に白熱の火花を散らしている。<o:p></o:p>

 ズックの靴をぶら下げた老人に物陰にひっぱってゆかれて、三人それぞれ進駐軍の煙草やチョコレートを買わされる。キャラメル四個で百円、チョコレートは一枚四十円。<o:p></o:p>

 壁の下でぐにゃりと柔らかいものを踏んづけて、気がつくとあたり一面野糞だらけだ。もう灰色に硬化しているのだが、踏んづけるとまだ柔らかい内部が黄色ににゅっとはみ出すのである。<o:p></o:p>

 上野駅まで歩く。駅の隅に老婆が一人蓆に横たえられていた。通りがかりの人々、暫くこれを眺め、やおら歩み出す。近寄る人一人もなし。老婆、眼をひらいてじっとしている。まだ生きている。<o:p></o:p>

十一月十八日(日)快晴<o:p></o:p>

 午後羽田氏航空隊のあった土浦より帰る。知らぬ間に中尉になっていた由。もうこうなれば中尉になろうが大将になろうが同じことじゃとみな苦笑。時期遅れて退職金はもらえなかった由。<o:p></o:p>

十一月十九日(月)快晴<o:p></o:p>

 朝吉田より柿を送って来たが、箱壊れてだいぶ抜かれたようである。<o:p></o:p>

 「日本人はその醜悪なる面貌によってわれわれに嫌悪を催さしめる」<o:p></o:p>

 と、或る外人がいった。ヒドイことをいうやつだと思ったが、ナルホド電車などに乗って周囲の顔、顔、顔を見回すと、まさに醜悪ないし貧相の極を尽くしている。よくまあ、これだけヘンな顔ばかり揃って出来たものだと感心せざるを得ない。<o:p></o:p>

十一月二十日(火)晴薄雲あり<o:p></o:p>

 午前衛生学。<o:p></o:p>

 新聞に東条勝子夫人の心境談のる。これはこれとして、今の日本人の東条大将に対する反応は少しヒステリック過ぎるではないか。校長の論のごとき、まさに手を覆せば雨となると誹られてもいたしかたがない。<o:p></o:p>

 僕は、東条が終戦以来、逮捕状の出るまで死なず、アメリカ兵が来て急に死のうとしてしかも死ねず、いま敵のパンを食って生きている不手際を軍人として非難するまでで、戦争犯罪人などとは考えていない。<o:p></o:p>

 小磯、真崎、本庄、荒木、松井、南の六大将。久原、松岡、白鳥、葛生、鹿子木の五氏に戦争犯罪人としての逮捕令発せらる。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む231

2010-09-26 06:17:58 | 日記

続きます<o:p></o:p>

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午前十時より第一講堂にて始業式。校長の演説、また軍部を弾劾す。東条のごとき首はねても足らずと叫びしとき、拍手せる馬鹿あり。<o:p></o:p>

 伊沢凡人「毒」を読む。<o:p></o:p>

十一月十七日() 快晴<o:p></o:p>

 朝勇太郎さんと、勇太郎さんのチッキを渋谷駅に取りにゆく。<o:p></o:p>

 満員の玉川電車の窓から、広茫たる焼野を背に、浮浪者のむれがさまよっているのが見える。その中にアメリカ人夫婦が、乳母車を押し歩いている。夫の口からは紫煙がながれ、妻の唇は紅に彩られ、子どもの帽子や蒲団はまるで花のようだ。「さっそうたるもんだな」と車中の一学生が嘆じた。<o:p></o:p>

 渋谷駅の石の壁には、全東京至るところそうであるが、ベタベタ貼紙だらけで、破れてはためいているもの、落ちたあとの汚らしく残っているもの、文句も百花繚乱といいたいが、玉石金糞紛然錯然たるものがある。<o:p></o:p>

 曰く「餓死対策国民大会!<o:p></o:p>

 曰く「吸血鬼財閥の米倉庫を襲撃せよ!<o:p></o:p>

 曰く「日本自由党結成大会!<o:p></o:p>

 曰く「赤尾敏大獅子吼、軍閥打倒!<o:p></o:p>

 曰く「財閥の走狗毎日新聞を葬れ!<o:p></o:p>

 曰く「天皇制打倒、日本共産党!<o:p></o:p>

 曰く「爆笑エノケン笑いの特配! 東京宝塚劇場!<o:p></o:p>

 曰く「十万円の夢、宝クジ!<o:p></o:p>

 この中に薄く、護持、という文字だけ壁に残っているのは、その上に神州か国体という文字がのっていたのだろう。<o:p></o:p>

 その壁の下に、青年や老人が、リュックやトランクや籠から何か出して売っていた。鯖を半分に切ったもの一枚十円。アメリカ兵が蜜柑売りをのぞいている。傍の中学生が得意そうに「トゥエンティ・ファイブ」といった。二十五銭の意である。アメリカ兵は「ワン?」と一本指を立てて、「トウエンティ・ファイブ・シェーン?」といったイエス、イエスと答えると、大きな手に小さな蜜柑を一つもらって、「オー、O・K」といい口笛を吹いていってしまった。みな笑った。アメリカ兵だから安くしたと見える。一般に蜜柑は十五、六で十円するのである。<o:p></o:p>

 駅の倉庫にゆくと、自分たちで勝手に探してくれという。探したが、チッキなし。帰る。<o:p></o:p>

 十時ごろ、高須さん勇太郎さんと地下鉄で浅草にゆく。<o:p></o:p>

 地下鉄、ガラス破れ、言語に絶する超満員。身体は宙に浮き上がれ、足は踏んづけられ、子どもは泣き、女は金切声をあげ、男は怒声を飛ばす。形容ではなくまさに窒息一分前といったありさまで<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="23:田原町;" Address="田原町">田原町</st1:MSNCTYST>に着く。<o:p></o:p>

  仲店の向こうに松屋だけ壮然と浮かび、コバルト色の空に雲が流れているが、地上は相変わらずの群衆の修羅地獄。瓢箪池のまわりに食物屋が露天を並べている。汁粉一杯二円、蜜柑は五つで五円。その他浅利汁、芋、林檎、汚らしい妙なパン、どれもがその一個その一杯もはや銭単位でない。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む230

2010-09-25 05:19:08 | 日記

授業の間に<o:p></o:p>

                                                                                        <o:p></o:p>

十一月十四日() 曇時々雨<o:p></o:p>

 午後松葉、納富らと神田に、今度使うことになった英語の教科書を買いにゆく。途中雨。<o:p></o:p>

 暗雲に冷たくひろがる四谷区役所附近、塩町、本塩町、四谷駅近傍、いずれも惨たる焼土。トタン張りの小さな掘立小屋のむれが風の中に悲鳴をあげている。<o:p></o:p>

 雨にぬれた道を細帯一本の気のちがった女が裾をひきずって歩き、それをジープが追い越す。ジープの中のアメリカ兵は暖かそうな帽子の中から煙草の煙をなびかせている。<o:p></o:p>

 市ヶ谷駅は石垣の間に屋根をかぶせ、その上に土を盛り上げた原始的な姿である。街路樹の美しかった一口坂(いもあらいざか)もただ灰侭。真っ黒に焦げた電柱が二つに折れて、上の柱は電柱にひっぱられて宙に浮かんでゆれている。靖国神社は雨の中に人影もない。先日アメリカ人記者が報道していた。「靖国神社、明治神宮などに参詣する日本人はいなくなった。この神道の潰滅こそ日本人の天皇観の革命的変化の先駆となるものである」果たしてそうなるか。<o:p></o:p>

 神保町は残って、学生群が出入りしているが、本屋の本は寥々として、並べてある本もボロボロだ。まるでパンフレットみたいな、いや新聞紙を四つにたたんだような新雑誌がチラホラ見える。色々な日米会話のチャチな謄写本がある。進駐軍をあてにしたらしい店々が、ヘンな浮世絵や人形や陶器や提灯や数珠などを貧しげに並べて、その一軒から黒人兵が日本娘をつれて出て来るのが見えた。<o:p></o:p>

 神保町が下らなくなくなるのは、いつの日であろう?<o:p></o:p>

十一月十五日() 曇<o:p></o:p>

 未明大豪雨。早朝山形県より勇太郎さん羽田豊作氏を同伴して上京し来る。<o:p></o:p>

 羽田氏ことし二十四歳、秋田鉱専卒業後海軍航空隊に入っていた由。戦争末期の航空隊の惨恐や、長崎の原爆の恐怖を語る。大村にいたりしなり。<o:p></o:p>

 午前本島師レントゲン。突如何を思い出したか平和論一席あり。先日若きアメリカ将校と論ずる機会あり。愛は無限なれど憎は殺戮にて極まる。愛の哲学のすぐるることの一事にて明らかなりといいしところ、アメリカ将校大いに共鳴せりと。だれだってかかる平凡の論には同意すべし。<o:p></o:p>

 いったいに教授連の異口同音の平和礼賛ことごとく敗戦の事実とかけ離る。日本に訪れし平和は、剣にて刺されたる屍の静寂にあらずや。<o:p></o:p>

 夜外出中の勇太郎、豊作両君、就職の口ダメなりと帰り来る。帰ってトロ押しでもやりますかと海軍航空隊憮然たり。土産のさわし柿二十個以上も食う。<o:p></o:p>

十一月十六日() 快晴<o:p></o:p>

 昨夜の柿の大食いたたりしか、早朝腹中に不快感をおぼえて厠に走る。<o:p></o:p>

 朝食後、復員軍人らしき汚らしき男、表より首をつき出して、何か食うものなきや芋にても結構なりといい、みな脅威を感ず。<o:p></o:p>

 上野駅頭の餓死者に復員の将兵多しと。まだピクピクしているのを運び去りて墓穴に投ずとの話あり。母国に帰還すれど、家焼け妻子の行方知れず、加うるにマッカーサー司令部より軍人の就職禁忌の命令発せられ、ためにヤケクソになりて悪行をほしいままにする者多しと。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む229

2010-09-24 04:57:10 | 日記

この項続けます<o:p></o:p>

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いつのことかはっきりしない将来にまで、日本人民が「自由なる意志」を持ち得るか。圧制、懐柔、新教育、新理念、宣伝等によりそれが歪められることは可能であろう。<o:p></o:p>

 しかし、余思うに、日本人に天皇は必要である。われわれは八月十五日に於ける天皇に対する戦慄的な敬愛の念を忘れることは出来ない。<o:p></o:p>

 いずれにせよ、敵が天皇制を認めようと否定しようと、それは米国自身の政策の都合による。そしてまた絶対廃止とまで自信のないことは、終戦時の「沈黙」及び今の小姑的な言動から推しても明らかである。われわれは心をひきしめて敵を見すえ、「日本の珠玉」を護りぬかなくてはならない。ひとたびこの珠壊けんか、それは永遠に返らない。われわれの時代にこの取り返しのつかぬ失態をしてはならない。<o:p></o:p>

十一月十三日() 快晴<o:p></o:p>

 午前浅田博士ラテン語、午後田林師バッセルマン反応について。<o:p></o:p>

 冷やかな血のような夕日が、それでなくとも赤い廃墟を照らしている。茫々と枯草がなびいている。一年前までここに町があったのだと誰が想像出来よう。強いてその幻を夢見れば人は戦慄せざるを得ない。しかし人々はそんな回想に沈むより、ただ飢えに戦慄している。<o:p></o:p>

 曾てあったその町を想わせる、ただ一つの荒原の中の大河にも似た大通りに、何千という群衆が、飢えて、叫喚してながれている。自分達はこの流れからようやく脱け出して、細い路に入り込んだ。草むらの中に消えている小路に。<o:p></o:p>

 ひびの入った半ば崩れたコンクリートの壁は夕陽をさえぎって、そこに暗い陰を倒していた。自分たちはその壁の下で小便をして、路傍で買った二個五円の小さな林檎をかじった。<o:p></o:p>

 初秋の風は冷たかったが、飢えにひしめく人間は、熱い乾いた砂塵をのどに吹きつけ、青白い果物は歯にしみてうまかった。<o:p></o:p>

 そこへ右肢の股のつけねからない青年が松葉杖でとことこやって来て、やっぱり立小便して、片手で懐から黒い皮の薩摩芋を取り出して、ガツガツ食い出した。自分たちとふと眼が合うと、<o:p></o:p>

 「高いですなあ、何もかも。芋一つ一円ですからなあ」<o:p></o:p>

 と、いった。<o:p></o:p>

 「あなた、傷痍軍人ですか」<o:p></o:p>

 と、きくと、<o:p></o:p>

 「ガダルカナルの生残りですよ、は、は、は」<o:p></o:p>

 と、彼は枯木に風の生るな笑い声をあげた。自分たちが黙っていると、彼はふたたび歯の間から押し出すようにいった。<o:p></o:p>

 「もう、今の日本にゃくたばり損ないのゴクツブシですよ」<o:p></o:p>

 口はパクパクと笑うように動いたが、笑い声は聞こえなかった。<o:p></o:p>

 夕、風呂にゆく。銭湯は二時より七時までなり。七時に近ければすでに臭きことおびただし。白き洗面器持ち来りし人あり。洗い湯出ず。この洗面器に湯舟より汲める湯を見れば、さながら雑巾バケツの湯のごとし。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む228

2010-09-23 04:27:08 | 日記

風太郎氏、依然懊悩消えず<o:p></o:p>

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午後うどん作り。すり鉢にて小麦粉を練り、机の上にてすりこぎを以ってこれをのばし、庖丁にて細く切る。仲々うまくゆかず、縄のごときうどんを生ず。それでも食えばやっぱりうどん的にして頗るうまし。<o:p></o:p>

 夕食後(夕食は四時なり。今は朝飯を九時乃至十時に食い、昼食抜きの二食生活なり)高須さんと三軒茶屋より若林町の方へ散歩す。<o:p></o:p>

 キャンプでもあるにや、米軍ジープ往来しきりなり。町の子らことごとく双手をあげて、一台毎に喚声をあぐ。苦笑いのほかなし。この子ら先日まで皇軍に歓呼す。強者こそ彼らの絶対無条件の英雄なり。無邪気という点に於いて、女子また群衆、小児に大同小異。<o:p></o:p>

 松陰神社も暮れんとして幽暗閑寂。村塾の模型にも人住めるがごとし。裏に回れば芋干されあり、火も見えぬ。罹災者なるべし。<o:p></o:p>

十一月十二日() 快晴<o:p></o:p>

 午前木村教授、日本数学史第二回。<o:p></o:p>

 日本人は敗戦の打撃による自失からようやく立ち直ろうとしている。むろん自失は未だまったく消えたわけではない。醒めてもマッカーサーの厳酷なる命令には服従しなければならぬ。しかし民衆の心の底には、これまでの総司令部の命令を夢うつつのごとくにはきかない一種の批判力が生まれて来つつあるように思われる。この感情がすなわち「時」の賜物であって、再起の第一歩となるものである。<o:p></o:p>

 米軍総司令部は、東条大将が三菱財閥からその邸宅と一千万の贈与を受けたと公表し、その後郷古潔から左様な事実なしと訂正の申し入れを受けた。事実のあいまいなるに拘わらず、がむしゃらに東条を悪漢にしてしまおうとする魂胆はここにも見え透いている。<o:p></o:p>

 UP社長ベーリーの「日本には食糧もいかなる種類の援助も与えず、世界の前に惨たる日本たらしめよ」云々という談話。その他天皇制問題について最近敵側が露わにしはじめた、ただ勝利者としての圧迫的放言は、いまでこそアメリカは天下無敵だからいいようなものの、これが後世にタタって来ないと誰が保証出来ようか。<o:p></o:p>

 圧迫歓迎、弾圧万歳。われわれは米国の甘い「人道的政策」を心配しているのだ。精々残忍と圧制をほしいままにして、日本人に或る感情を蓄積せしめよ。<o:p></o:p>

 「将来日本の政体は日本人民の自由なる意志にもとづいて決定される」と敵はいう。<o:p></o:p>

 この「自由なる意志」というのにみな安心しているが、そう安心していいことであろうか。<o:p></o:p>

 現在ただいまならば、公平に見て、日本人中九割九分までは天皇制を支持している。しかし「将来」とはいつのことか。敵はそれを明言していない。<o:p></o:p>

 敗戦のとき日本は反覆して天皇制存続のことにつき条件を保留した。敵はこれに対して空とぼけた。苦しまぎれに日本は、敵が黙っている以上は承知したものと考えて(考えようと無理に考えて)降伏した。敵が絶対不承知なら、あの際日本のダメ押しを明確に一蹴すべきである。そのときは素知らぬ顔をして、今や日本が丸裸となってから「われらは天皇制を支持すると曾て言明したことはない」と放言しようとしている。日本自ら進んで欺かれたのだとも云えるが、敵も進んで欺いたのである。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む227

2010-09-22 04:59:01 | 日記

風太郎氏 神話について語る<o:p></o:p>

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天孫降臨や八州の修理固成や大蛇退治が、この戦争中哲学的に喋々され、神聖化されたばかばかしさは、実に何とも評しようがなかった。<o:p></o:p>

 われわれはこれから「神」さえも合理化しなければならない。例えば天皇が二度とマイクの前に立たれることはないであろうという側近者の話は、時勢後れと評するほかはない。ラジオで国民に呼びかけるというようなことを、それほど重々しく考える必要はない。くだらない神秘やもったいをつけることで民衆の崇敬がかち得られない時代は、遅かれ早かれやって来るのだ。<o:p></o:p>

 科学万能の果ては人類の幸福か不幸か、それを不幸としないためには、事実としてはっきり把握することが必要だ。神秘すなわち無知の産物で、それが人間の脳髄の及ばない時代はしかたがなかったとして、これからは堂々と天日に照らすべきである。惨禍は大部分無知からうまれるものである。<o:p></o:p>

 新しい日本史を歓迎する。ただし、これから出る歴史書は当分、今までの歴史と同様眉に唾をつけて見る必要がある。秀吉の朝鮮征伐を、大東亜共栄圏建設の理想に燃えたもの、など書いた戦時中の評価はばかげているが、さればとてこれを突忽たる侵略と断定し、イギリスの印度征服やアメリカのフィリッピン占領には眼をつむっているような歴史書はお話にならない。<o:p></o:p>

 とにかく神話は、ギリシャ神話の水準にとどめるべきである。<o:p></o:p>

 夕、風呂にゆく。この五日から銭湯は二十銭に上がった。「風呂の二十銭はいいですよ、燃料も要ることですから……しかし散髪の五円はひどい、メチャクチャですよ」という声、風呂の中でしきりなるをきけば、どうやら散髪代も上がったらしい。<o:p></o:p>

 出れば金色の細い上弦の宵月。空は淡青に冷たく澄んでいる。国民酒場には労働者や人夫やサラリーマンや職人たちが大行列している。通りすがりにきくと「三百円、どうして飲めるもんですか!」という嘆声。酒一升の闇値ならん。<o:p></o:p>

十一月十日() 晴<o:p></o:p>

 午前久保生理。午後岩男内科、低血圧症に就いて。<o:p></o:p>

 明日は進駐軍が神宮外苑で遊楽するため、一部省線電車は乗車禁止を行うと。敗戦国は惨めなるかな。<o:p></o:p>

 日本のアジア解放戦は真実邪悪なる侵略戦であったか。見よ、インドネシアは独立を叫んで英蘭軍と戦い、安南軍はフランスと死闘をつづけているではないか。日本は今や刀折れ矢尽きて不甲斐なくも敵の軍門に下った。われらはこれらアジア諸民族の戦いをただ黙して傍観しているよりほかはない。<o:p></o:p>

 日本に執拗な反抗をつづけた蒋介石は、日本の価値と大東亜戦争の意義を、遠からず骨身に徹して知るでおろう。今やすでに全中国を動乱の渦に巻き込みつつある中共との戦いに対し、蒋先生以って如何となす。だから言わぬことではない、と日本から思われても致し方ないではないか。<o:p></o:p>

十一月十一日() 快晴<o:p></o:p>

 蒼空一片の雲もなく強風烈し。神宮外苑の米兵に相応ずるか、米機十機二十機編隊組みて爆音凄まじく飛び交う。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む226

2010-09-21 06:03:31 | 日記

この項続きます<o:p></o:p>

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われわれはそれを否定しない。それはよく知っている。ただし僕個人としては、アジアを占領したら諸民族を日本の奴隷化するなどいう意識はなかった。解放を純粋に信じていた。<o:p></o:p>

 ただ、ききたい。それでは白人はどうであったか。果たして彼らが自国の利益の増大を目的とした戦争を行わなかったか。領土の拡大と資源の獲得、勢力の増大を計画しなかったか。<o:p></o:p>

 戦争中は敵の邪悪のみをあげ日本の美点のみ説き、敗戦後は敵の美点のみを説き、日本の邪悪のみあげる。それを戦争中の生きる道、敗戦後の生きる道といえばそれまでだが、横田氏ともある人が、それでは「人間の実相」に強いて眼をつむった一種の愚論とはいえまいか。<o:p></o:p>

 また平林たい子が「暗黒時代の生き方」と題して、いわゆる「転向」は「時を待つためにこの手段をとらねばならなかった、やむを得ないことであった」といっている。それならば日本人の大部分が「今」がそうではないのか。いまが偽装を必要としない真実の時代であるというのは、盾の一面しか見ないこれまた一種の愚論ではないのか。<o:p></o:p>

十一月六日() 快晴<o:p></o:p>

 学校の事務のほうでは、飯田からの学生の荷物はことごとく送出したという。ついに絶望のほかなきか。蒲団のみならず、衣類一切中にあり。焼け出されて、辛うじて家より整えてもらいたるものなれば閉口の極に達す。<o:p></o:p>

 高須さんが船橋にゆき、夕、干鰯を買って買える。三匹一円の由。船橋では何でも売っている。鰯の天ぷら三つで十円、牛乳コップ一杯五十銭、ショーチューなどもあるという。<o:p></o:p>

 チエホフ短編を読む。<o:p></o:p>

十一月七日() 晴午後曇<o:p></o:p>

 松葉に茨城から葱、里芋、大根など持ってきてもらう。このごろ芋飯に芋の味噌汁のみでビタミン欠乏症になりそうなゆえなり。<o:p></o:p>

 小泉丹「生物体の機構」を読む。<o:p></o:p>

十一月八日() 快晴<o:p></o:p>

 予想というものは、一般に希望の別名であることが多い。希望とは自分の利益となる空想である。従って、これを逆にいえば「あいつは大した人間にはなれないだろう」などとよく人は断言するが、これはその「あいつ」なるものが評者にとって不利益な人間であることが分かったときに発せられることが多い。銘々が心に振返って見るがよい。この野郎、将来小人物になるに過ぎんわい、など思うのは、たいてい癪にさわった、つまり自分の不利益になったときにきまっている。<o:p></o:p>

 午前木村教雄教授、日本数学史第一回。志賀直哉「大津順吉」を読む。<o:p></o:p>

十一月九日() 快晴<o:p></o:p>

 きょう電車の中で、前の人の肩越しにのぞいてみたら、白柳秀湖が「日本歴史より神話追放」という大見出しで何か書いているらしかった。その説はたいてい分かっている。大賛成である。