その七 不満募る被災者 連夜の焼夷弾<o:p></o:p>
不平をいえばきりがない。なぜ政府は急遽大々的に消防隊を作らないのか、なぜ罹災地に数日分の米なり缶詰なりを運ばないのか。いやそれよりもB29そのものを、なぜ海上で迎撃して全部やっつけないのか。やりたいのだが、やれないのだ。出来ないのだ。<o:p></o:p>
ひる、乾パンを一袋もらって引き返してみると、防空壕はもとのままで、遠藤家では自分のほうの焼跡整理に一心不乱である。自分を見ても知らない顔をしている。顔負けして新宿の学校へゆく。<o:p></o:p>
学校へゆくと、みな病院へいっているらしかった。自分はひとまず帰郷するよりほかはないと決心し、罹災のむね報告。また高輪にもどると、高須さんとおやじは目黒の焼跡へいっているという。すぐに追っかけていってみると、例の穴は依然そのまま、高須さん大いに怒り、遠藤家では言を左右にしているところであった。<o:p></o:p>
怒ったり弁解していてもしかたがないと、高須さんと勇太郎さんと自分と節ちゃんで、汗と煙と埃に恐ろしい顔つきになってふたたび掘返し出した。しかし、結局出て来たものは、焼けた靴、中の服やシャツや着物も焼け焦げたトランク、行李、下半分灰になった医学書など、モノらしいモノは何も出て来なかった。奥の方に毛布や蚊帳があるはずなのだが、まだ熱く、煙がひどく、あきらめて夕刻高輪に帰る。<o:p></o:p>
夜、風呂にゆく。この辺一帯断水しているため、小半里もある銭湯を探してそこへゆく。二日間の煙と煤と汗と砂と泥を洗い落とし、美しい月明の夜を歌をうたいながら帰る。そしていい心持ちで蒲団に入ろうとした、時に十時。<o:p></o:p>
警報またもや発令。<o:p></o:p>
敵先夜とひとしく二百五十機を以って来襲。<o:p></o:p>
二百五十機とはあとになって知ったことだが、がばとばかり起き上がり、かくて先夜についで、いや先夜にまさる炎との大悪戦が開始されたのである。<o:p></o:p>
敵はまず照明弾を投下して攻撃を開始した。<o:p></o:p>
三十分ほど後には、東西南北、猛火が夜空を焦がし出した。とくに東方、芝、新橋のあたりは言語に絶する大火だった。中目黒のあたりも燃えているらしい。<o:p></o:p>
ザアーアッという例の夕立のような音が絶え間なく怒涛のように響く。東からB29は、一機、また二機、業火に赤く、また深照燈に青くその翼を染めながら入って来る。悠々と旋回している奴もある。<o:p></o:p>
隣組の人々は、厚生省傍の空地に集まっていた。そこは建物疎開の跡で、大きな防空壕が二つ野菜など蒔いた畠があった。人々は空を仰いで、畜生、畜生、と叫んでいた。厚生省は真っ赤に浮き上がり、ガラス窓は紅玉のように輝いていた。B29がまっすぐ頭上に進んでくると、「ああっ、危ないっ」と叫んで、みなあわてて軒下や防空壕に逃げ込んだ。それると、「わっ、助かった!」と胸をなで下ろした。<o:p></o:p>
厚生省の向こうの女学校が燃え上がった。エロクトロン焼夷弾というのであろうか、真っ白なしぶきのように炎が噴き上がって、パーン、パーンと凄まじい音が空中に無数の火の粉をまきあげている。<o:p></o:p>
「いよいよ今夜はこっちの番だ!」<o:p></o:p>
と高輪螺子のおやじは迫った声でさけんだ。
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