うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その245

2011-05-31 06:32:38 | 日記

               昼を過ぎましたのに

 腹が減っては戦になりませんので、食堂で用意してきた昼食を摂ります。運よく終えたころに、
看護婦さんから連絡が入ります。といっても妹の友だちが、ナースセンターに訊きに行ってくれてのことであります。手術は終わり、現在麻酔を覚ます処置をとっていて、間もなく先生からお話があるということです。三人一応ホッとした表情で控室に陣取ります。
 先生が見えます。患部は所見通りの様態でして、すべきことはすべて行えました。間もなく麻酔も覚め、そうしたら集中治療室で面会できますと、なかなか簡潔なそして力強いお話で先がぱっと明るくなった気が致します。
 間もなく看護婦さんに案内され集中治療室に向かいます。入り口でスリッパに履き替え、手を消毒してから用意されてるマスクをして室内に入りました。テレビなどでよく目にする小奇麗な光景とは大違いでして、講堂のような大きな室内にカーテンで仕切られたベッドが雑然と置かれていて、一口に言って野戦病院のごとき荒々しさを感じました。そんな状態にかえって強い安心感が生まれてきます。各ベッドへ行き来する看護婦さんの動きも、緊張感の中に余裕が十分に感じられました。
 妹は盛んに寒い寒いとうずくまっています。看護婦さんは私たちに、電気毛布も入っていますし、もう少しで麻酔が完全に醒めれば普通の状態になりますと、毛布を一枚かけてくれます。

 しばらくそばにいましたが、看護婦さんたちの邪魔になってもいけませんので、明日は早々にくることにして、三人で一緒に帰ることにしました。
 博多駅で改札を出て右と左に分かれます。
 


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その244

2011-05-29 05:53:37 | 日記

                昨日のつづきです。

 ほどなくタクシーが到着、人通りのない田舎道を五分ほど走って、それらしい建物が見えてきました。「青洲会病院」、なんでも花岡青洲に因んだ病院とかですが、詳しいことは詮索しておりません。時刻は昼をだいぶ廻っていて、面会時間の決まりが心配でしたが、妹から遠方より身内の者が面会に来ると話してもらっていますので、委細構わず三階の病室に直行します。
 ナースセンターの前を頭を下げて通過、おずおずと病室に入ります。四人部屋で窓際のベッドに妹はにこにこしていました。すこぶる元気そうで顔色もよく、これなら手術に耐えられると直感します。ベッドのそばの、話に聞いている友だちと挨拶を交わします。彼女は妹が術後、自分で身の回りのことを、ある程度できるまで世話をしてくれるということであります。それもわざわざ大阪から来てくれて、博多のホテルに宿泊してくれてのことであります。
 昔からの友だちとはいえ、旦那さんを一人大阪に残してのことでして、ただただ頭が下がります。妹にとって頼りになる亭主は老人ホームで車椅子生活、ほかに身内がそばに居ない境遇では、まことに大事な大事な友だちです。

 明日は八時半オペ開始で、四時間強の時間を予定しているそうであります。背筋にメスを入れるとか、手術の要領の書き物を見せられますが、半分程度しか理解はできませんで、すべてはお医者さんにお任せするしかありません。
 明日は昼ごろ来るからといって、帰ることにします。明日は一応家族控室で待機していて、術後担当医から説明があるということであります。
 玄関そばのタクシー会社直通の無料電話で車をお願いします。
 博多駅を出て、駅のそばと謳っているホテルを探そうとしましたが、直ぐに諦め、客待ちのタクシーに案内してもらいます。乗ったらちょっと走って直ぐに下車で笑ってしまいました。
 フロントで手続きを済ませ、直ぐに風呂です。ホテルの風呂は大の苦手で嫌いなのですがこの際です、カラスの行水でさっさと身支度、夜の博多の街にと飛び出しました。かみさんは帰路、妹の元気そうなのに、よかった、よかったの連発でありました。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その243

2011-05-28 06:42:29 | 日記

          三泊四日の九州路、先ずは二十四日です。

 夜半からの雨か、目覚めるとかなり激しい雨音がします。幸い婿殿が早出で水戸駅まで送ってくれます。携帯の傘はバッグに入れたまま六時半出発です。このまま濡れずに目的地まで行けるのがなによりです。
 今朝は五時起床、かみさん、インシリンの注射をしなくてはなりませんので、早めの朝食を撮ります。食後切符を改めます。乗車券は行きの一枚、水戸から妹の入院している博多乗り換えの伊賀までの通し切符です。それに上野までの特急券、そして博多までの「のぞみ」の特急券。この「のぞみ」の特急券が曲者なのです。曲者呼ばわりはチト気の毒かも知れませんが、あたし共はジパンク倶楽部という年寄り向きのサービスを受けられる会に入っております。それでいろいろ細かい規則があるのですが、一応三割引きで乗車券、特急券を購入できるのです。
 しかしです。新幹線の「のぞみ」だけは対象外といったわけなので、もし博多まで三割引きのサービスを受けたければ、「こだま」「ひかり」を主要駅で乗り継いでいかなくてはなりません。そうなるとそれぞれに待ち合わせの時間をとられるので、かなりの時間のロスがあるわけでして、割引なしの「のぞみ」をどうしても利用する羽目となります。しかし往復の乗車券購入には一割引きが加算されますから、まあ納得せざるを得ません。
 なお会費は一年毎の更新でして夫婦会員で年6120円であります。

 途中さしたることもなく博多到着、そこから篠栗(ささぐり)線快速電車で約九分、長者原(ちょうじゃばる)で香椎(かしい)線に乗り換えで一駅、伊賀に到着であります。まあ八時間程度の所要時間ですか、見知らぬ駅頭に降り立ち、よくもまあ遠くに来たもんよといった感慨をひしと感じました。
 駅長さんに病院の電話番号を尋ねますと、改札窓口に掲示されていたのですが、携帯お持ちですね、呼び上げましょうと言ってくれます。
 さびしい町の、駅長さん一人といった物静かな駅の親切であります。雨はすっかりあがっていました。


うたのすけの日常 学童疎開

2011-05-23 06:24:31 | 一言

                 今朝の新聞から

 その昔、戦争末期、都会の空襲を逃れて、田舎に集団疎開したことが脳裡に浮かびます。原発避難23校「休業」移転先確保できず。児童・生徒5000人散り散りと一面に出ていました。休校でなく括弧して休業とした意味は今いち分かりませんが、とにかく学校や父兄にとって大変な事態になっているわけです。そんなことから、戦時の疎開を思い出したわけです。
 原発事故による警戒区域や計画的避難区域、そして緊急時避難準備区域に指定された地域の学校が、散り散りバラバラの憂き目に遭っているのです。
 小生たちは戦時、都会から地方に学校ごと三年生から六年生まで、希望者だけではありましたが、先生に引率され、寮母さんが付添い親元を離れて集団疎開しました。それはそれは大変な国家的事業だった筈です。小生の在学した小学校を例にとれば、山間地にある田舎町の宿屋六軒に分宿、午前中は各宿屋で学年ごとに別れて授業を受け、午後は地元の分校を借りて授業を受けています。
 三度の食事は各旅館の手によって賄われ、寮母さんや上級生が給仕を手伝いました。食糧難といった事態で常時空腹に苛まれはしましたが、学友たちと別れ別れになることもなく、この齢になっても色々楽しかったことなどが思い出されます。
 今、福島の子供たちは、空襲と放射線災害の差こそあれ、大変な災害に遭遇しているわけです。何とか学校単位でバラバラにならずに結束して避難できないものでしょうか。
 戦時と比べれば食糧の心配もなく、移動手段にも恵まれているのです。声を大にして言いたいですね。
 当時疎開児童を送り出した都市や学校、それを受け入れた地方の学校、そして自治体、大元の文科省に資料が残ってはいないのでしょうか。なにも戦時中の学童の集団疎開を再現しろと言うつもりはありませんが、なんかいいヒントはないものかと考えたわけであります。

 最後になりましたが小生の学校の疎開地は、福島県田村郡で今は田村市の一部、幸い?避難者を受け入れていますので、避難区域からは逃れられています。

 なお明日から三泊四日の予定で福岡に行ってきます。末の妹の病気見舞いであります。かみさんに付き添われて新幹線でまいります。(笑) 


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その242

2011-05-22 05:45:21 | 日記

             節電対策として取りあえず

 といったわけで今年はあたしどもの部屋は西向きの窓に、すだれを吊るすことにしました。今までは西日を防ぐのに、差し込む時間帯にはガラス戸障子と閉めてクーラーを全開にしていたのであります。当地は夜ともなれば結構涼風が吹き、クーラーいらずで余程のことがない限り過ごせるのであります。それに家庭の電力消費の一番大きいのはクーラーといいます。クーラーを使用しないだけで節電50パーセントとと、軽く節電の目的達成というわけです。だからといってそう簡単にクーラーと縁切るわけにもまいりません。朝晩はともかく日中はかなり温度は上昇しますし、熱帯夜になることもあるわけです。それで少しでもクーラーの使用を制限するといった行動に打って出たわけです。

 かみさんに手伝ってもらって巻尺で窓の寸法を測ります。それよりすだれは一枚か二枚かが問題でありました。窓の左の一枚は大体三分の二、茶箪笥で隠れるので結論として右半分、すだれは一枚で間に合うということとなりました。
 休みで家にいる娘に、すだれ買いに行ってくるからと声をかけます。すると今年限りで来年また新規に買うなら、百円ショップで売ってるわよと言います。なるほど、ひと夏使えば陽にも焼けるし、埃もたかるわけでして来年また新しいのを買うのも一つの方法であります。なにしろ百円です。そうか、夏が過ぎて取り外して洗ってしまっておくより、来年また百円で新品を吊るすのも一つの選択であります。手間暇かけずに毎年新品を吊るすにこしたことはありません。
 まあそんなわけで二人して、百円ショップまで自転車をとばしました。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その241

2011-05-21 06:08:35 | 日記

                電波時計に手こずる

 もう何年も使用していた置時計が故障しました。人様から何かのお返しに頂いたものでして、修理してまで使うこともないので新調することにします。外はぽかぽか陽気、所によっては真夏日になっています。ところでホームセンターの階上になんでもありの食堂があります。ここのラーメン、滅多食べたことはないのですが、小生好みのしょう油ラーメン、くどくなくあっさりした味がなによりなのです。電気店で置時計を買いに行くついでにそこへ寄って、お昼はラーメンにしないかとかみさんを誘います。
 「この暑いのにラーメンですか」と乗り気ではありませんで、「暑いときにこそ熱いものがいいのだ」と、賛成させ自転車ででかけました。
 先ずは電気店で電波時計なるものを買います。この時計は電波を受信していつも時刻を自動修正して、狂うことがないのだとかみさんに能書きを垂れます。それよりなにより千円しないで買えるのが魅力、街の時計屋さんが消えていくのが解ります。

 ホームセンターの階上に寄りますが、驚いたことに件の食堂が見当たりません。掃除のおばさんに尋ねると店じまいしたと言います。それも去年の九月ごろとのこと、結構盛っていたのにと不思議です。商売の盛衰一寸先は闇かと暗然といたしました。
 仕方がないので、コンビニに寄ってパン食に変更であります。汗をかきながら帰宅しますと既に御昼を廻っています。冷たい牛乳で喉を潤しメロンパンを齧ります。早々に食事を終え、時計の箱を開け取り出します。「なんだコレ?」なんと電池が出てきました。「やっぱり電池で動くのか?」と首を傾げる小生にかみさん「電波で動くってどういうことなの?」と冷ややかな態度であります。「だよな、よくわかんねえや。とにかく二階でやるから」と緊急避難であります。

 説明書を読み読み、まさに悪戦苦闘であります。いろいろなボタンを押しても現在の日にち・時刻を合わせることができないのです。説明書によれば置き所によっては受信状態が悪く、置き場所を色々変えるようにとあります。とにかく文字盤がめちゃくちゃになってしまったので、もう一度やり直しだと電池を抜きます。慎重に入れ直し眺めているうちに、あっという間に説明書にあるように、正常に受信したというマークが出て何時何分何秒・月日・曜日・温度とがっちり表示されました。
 どこがどうでこうなつたという経緯が解らず、とにかく動き出したということで先ずは目出度しですが、しょうがねえなと苦笑いするばかりでした。

 電波時計なるもの、電波がどこから発信されるのか解りませんが、電池要らずで電波によって作動するものとばかり思っていたのが、間違いの元でありました。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その240

2011-05-20 06:01:11 | 日記

                床屋から泌尿器科へ

 思い切って二か所を一気にこなすことにしました。昼飯を早めにすませ、十二時五十分のバスで先ずは床屋さん。青物町というユニークな地名のバス停に床屋さんはあります。鈴が鳴るドアを開けて入るやいなやおやじさんが顔をのぞかせ、ちょっと待ってと言います。どうやら奥で電話中らしく、意味不明の話し声が聞こえてきますが新聞を広げてしばし待ちます。やがて店の灯りがともり、まさに灯るといった感じであります。そして飼い犬と一緒におやじさんが出てまいります。犬はさっと客席のベンチに上り横になり睡眠の態勢であります。他に客が居れば犬は奥に追いやられるのですが、小生の犬好きを知っているおやじさんは何も言わずに支度にかかります。
 「今回はちょっと間が空きましたね。でも今日来てもらってよかった、明日は休みにしますんで……」「臨時休業?」「月に一度の検査に日赤まで、予定はまだ先なんだけど、被災地に応援に行くとかで。けっこうみんな交代で行ってるらしいよ先生方。」
 癌の手術をしてもう一年は過ぎたはず、経過はどうなのか、まだまだ還暦過ぎたばかりで働き盛りといえます。順調な回復を祈るばかりであります。

 水戸駅まで送っていくと言います。「悪いよ」「どうせ暇だし、ちょっくらだから……」せっかくですから好意に甘え、表の自販機でコーヒーを買って飲んでもらいながら送ってもらいます。北口で降ろしてもらい、医院の受付まではまだ時間があるので自販機で買ったコーヒー缶を鞄にしまいます。そして喫茶店で時間を潰そうと入ったはいいのですが、カウンターにかなりの列です。なんだこれっ、回れ右で外に飛び出しいつもの映画館に向かいました。そこのベンチでコーヒーを取り出しおもむろに飲み、ここで時間待ちと腹を据えます。
 三十分ぐらいの時間調整で医院に向かいます。受付まであと五分。既に表に四人患者が待っています、うち一人は女性ですので付添いと判断、四番目だなと納得、戸の開くのを待ちました。
 定刻ちょっと前に戸が開き、受付を済ませます。この時点で家を出てから二時間経過、散髪を済ませたしまずは順調といったところですが、問題はここからであります。日赤から先生がどのくらいの時刻に駆けつけるかであります。三時受付、三時半診療開始なのですが、このことあってないようなものでして、結局今日も帰りは五時四十五分のバスとなりました。  


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その239

2011-05-19 06:46:57 | 日記

           何かこう気分がすっきりしません

 昨日今日と当地は気持ちよい朝が続きます。それなのにです。おそらくこれは原発事故の収束が、なかなかままならぬ事態のせいではないかと思います。空は晴れても心は闇よ、といったところです。全くこれは政府や東電が事故の真相をひた隠しにしているといったことに、世論が硬直し、そのため不安がかえって倍増していくといったせいでもあります。困ったものであります。どうか嘘はつかない。事故収束の推移を隠すことなく発表するといった姿勢を確立して貰いたいのです。
 嘘をつき通すことができるのなら、知らぬが仏で致し方ないといったこともあるかもしれませんが、それが何でしょう、頭隠して尻隠さずで、つぎつぎと真実を暴かれていく事実には、その姿勢が理解できません。
 そんなわけで、小生いささかうつ状態といったところなのです。今日は水戸駅そばの泌尿器科まで行かなくてはならぬのに、どうも気が進みません。おまけに髪の毛も伸びてきているし、一日で両者を賄ってしまおうと考えたり、気持ちだけが先走って体が無性に重いのであります。
 医者は午後三時からです。水戸までの途中で下車し、床屋に寄ってから医者に行くか、それとも最初に医者に行ってから、帰りに途中下車して床屋へ行くか、しきりと迷うわけです。そうなんです。あらためてあした単独で床屋へ行くか、こんなことでいろいろ迷うのも、気持ちがうつ状態に陥っているからなのでしょうか。これもみんな原発事故の後遺症であります。
 いい年寄りが床屋へ行くとか医者がどうのかと、こんな些細なことで悩んだりすること自体、おかしいのではないかと、これまた考え込んだりしてキリがありません。困ったものです。


うたのすけの日常 牛もさまよう

2011-05-18 07:22:19 | 一言

              えらい事態に突入です

 牛70万頭放牧できずといった活字が、夕刊一面に躍っています。東北関東七県の牧草から、例のごとく規制値を超す放射性物質が検出されました。このため牛の放牧ができず、そうなれば当然飼料で賄わねばなりません。その飼料代年に500億といいます。菅さんは原発被害者には、とことん損害を国の責任において、最後まで面倒を見るといっています。ですがこれで問題解決とは行かんでしょう。菅さんその口の下から、資源の少ない我が国としては、これまたとことん原子力発電を推し進めていくと見栄を切ってます。困りました。確かに電力事情は悪化し、国民生活は悪化するでしょう。
 なにも大見得を切るわけではありませんが、それが何だっていうのです。この列島に原発を作り続けるということは悪魔の所業です。福島原発の地獄絵図を目の当たりにして、転換政策にふみきるといった発想は浮かんでこないのですか。
 国民をあくまで「死の行進」に狩り立てるとでもいうのですか。

 電力のエネルギー源を他に求めたりしたら、その費用は莫大なものとなり、国民生活を圧迫し、強いては国際競争に引けをとるといいます。そんなことをいうのでしたら今の状態はどうなんですか。原発事故の対応に散々非難を浴び、風評被害で輸入を差し止められたり、いいことなんて一つもないじゃないですか。この元凶はことごとく原発からきていることを国を挙げて知るべきことであります。
 このまま原子力政策を続けていたら、牛どころではありません。既に福島県人は、難民生活に追いやられそうではありませんか。このままの状態が続けば日本人残らず難民となってさまよいかねません。この狭い日本の何処をさまよえというのですか。

 そればかりか、茶所静岡の茶葉までが汚染され、新茶の出荷を差し控えよのご託宣。かと思えば当地茨城でも同様の被害。
 おちおち茶も飲んでいられなくなりました。生肉どころの騒ぎではありません。 


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その238

2011-05-17 05:43:41 | 日記

                   損保その後

 損保会社の審査に、婿殿休みが取れたとかで立ち合うこととなりました。正直ほっといたしました。先日午後に約束の時間に一分一秒違わずインターホンが鳴りました。これには吃驚です。外交の仕事はこうでなければと感心します。
 おおよそ二十分ぐらいで帰ったもようで、婿殿小生の部屋に顔を出します。ニコニコ顔です。
 「どうだった?」
 契約金の何パーセントかで五十万ほどおりるということです。ダメで元々、ダメ元から駒で結構なことであります。
 先ずはご報告までということであります。