うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 四週間ぶりの泌尿器科などなど

2007-05-29 06:05:58 | 身辺雑記

        とにかくせわしい午前中でした

 
8時50分のバスで泌尿器科へ、結構この時間ご婦人のお勤め人が乗ってこられる。病院に着き例の如くにすぐ尿を採るようにとコップを渡される。今朝は案の定採尿に骨を折ってしまう。尾篭な話で申し訳ないが、出掛けに便意をもようしトイレに入ったはいいのだが、不発で代わりにオシッコをしてしまったのである。こればかりは自然の摂理というのか、人の体はそう出来ているのか、そうなれば致し方なしというところである。紙コップの底にひたひたにしか採れず、看護婦さんに少ししか採れなかっので、ダメでしたら水でも飲んでゆっくり採ると言ったが、どうやらセーフでホットするが、なんともはや情けない話であ。、齢をとるということはこういうことかと自分を哀れに思ったりする。
 一時間の余待って診察室へ、今朝はベットに仰向けに寝て残尿検査。最前きれいに絞ったはずなのに、モニターに映った黒い扇状の影が残尿と説明を受ける。この程度ならまあまあというところでしょうと診察終わりとなる。
 バスの時間まで30分ほど間があるので、ジャスコの二階の売り場を一巡後、さえない商店街を通って停留所へ。帰りのバスは次で一人いた客が降りたあと、終点まであたし一人の貸切である。降りるときなんとなく申し訳なく、ありがとうございますと丁寧に言って降りる。家へ到着するとかみさんは使いか留守で、秘密の場所から鍵を取り出し入る。
 さあ、これから急いでやらねばならぬ事があるのだ。昨夜テレビ番組を予約録画したのだが、DVDのレコーダーが故障か作動しなかったのである。昨夜のうちに保証書を確かめてある。販売店の長期保証でまだ来年一杯保障期間がある。いい時に故障したとそのとき妙な安心方をしている。
 やっと通じた電話で相手は先ず電話番号をお教え下さいと言う。これがまたすぐに出ないのである情け無いことに。ちょっと待ってくれと言うと、どうぞごゆっくりときた。結構あたしのような手合がいるのだなと安心したりする。やっと伝えると、即座にあたしの住所から名前、そして故障したDVDの機種名から保証の有無まで確認する。なるほど、これが顧客情報とかいうもので、情報流出とかいって世間でよく騒ぎを起こしたりするヤツだなと、一つ利口になる。修理に来てくれる日も決まって先ずは一安心、といっても6月1日である。申し訳ないと頭を下げられれば不便だがこれも致し方なしということであろう。次は歯医者さんに電話である。

 右の下の歯をブリッジで治療を終わっていたのだが、後日左が異常をきたし、やはり前と同じに被せてある歯の根が折れていて、被せてある周りの歯も虫が食っているという診断である。今度は隣の歯をブリッヂの支柱にはできないので、入れ歯にするしかないという。テレビのCMでよく見る部分入れ歯である。ぞっとするね。お医者は出来るだけ現在の状態を維持して、入れ歯は最後の手段にしましょう、もし腫れてきたり、痛むようでしたらいつでも来て下さいと。それがいよいよなのである。素人考えで虫歯は神経を抜いて治療を施しサンプラでも被せれば、二度と虫は食わないと思っていたが、どうやらまわりに聞くとそうでもないらしいのだ。それより被せた歯の根っこが折れるとは想定外のことである。これも一つの老化現象かとしんみりさせられる。そんなわけで電話をして予約をする。来月5日である。それまで今は多少水を飲むとき沁みる程度だが、痛みや腫れがこなければいいのだが。とそんな心配をしいてるうちに以前の、といってもかなり昔の虫歯の治療で神経を抜く話を思いだしたりする。うろ覚えであるが、虫歯の穴に薬を塗り込みしばらく時間を置くと神経が死ぬのである。その間痛かったような気もするのだが、なにしろ神経がもがき苦しむわけであるから。だがこれは確かではない。そして死んだころを見計らって先生は極細の曲がった針金のついた金具を穴に差し込み、くるくるっと回して神経を絡め取るのである。神経はそれこそ細く、糸ミミズをご存知か、みみずの糸のように細いヤツで、昔は湿気の多い空き地などの石の下によくいたものである。あまり気持のいいものではない。歯の治療はそのあと詰め物をしたり、被せたりしたのである。
 まあこんなことでせわしく午前中が終わった次第なのである。


うたのすけの日常 アメリカのこと

2007-05-28 06:57:52 | 一言
     志村さんのブログに触発されてあたしなりに

 最初にはっきりとしておきます。あたしは親米でもなければ反米でもありません。ただ言えることはアメリカ人に生まれなくて良かったということです。
 敗戦後進駐軍とともにアメリカの物資や文明が、津波のように焦土と化した日本に押し寄せました。チョコレートやチューインガム、映画にそして間近にみるアメリカ兵の街を颯爽と行き交う姿。それらを日本人は敗戦の虚脱感から脱却できぬまま、呆然とそして羨望の目で眺めていました。その驚きは幕末に黒船を見た日本人さながらではなかったのではないでしょうか。
 当時連合軍総司令官マッカーサー将軍に、日本をアメリカの州に加えてくれと、直訴した日本人がいたといった話題もありました。政治犯として獄中につながれていた左翼の強者たちも、マッカーサー万歳と叫んでいました。とにかくアメリカ一辺倒、マッカーサー様々でした。しかし日本人のアメリカ崇拝も次第に色褪せて行きましたが、今は同盟関係も構築され、同等の立場?にあるといいます。ここであたしは日本人に生まれて良かったと声を大にして言えます。戦後60年の余、日本は兵器を持って外国人を一人として殺害していない平和国家です。なんら近隣諸国から侵略国家として復活云々と非難されるいわれはありません。
 単直に云います。アメリカは今次大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争と、その間アフガニスタンはじめ各地で血なまぐさい戦争を起こしています。もしアメリカに生まれていたらどうだったでしょう。朝鮮戦争で自身が死に、例え運よく生き残ってもベトナムで子供を死なせ、そしてイラクで孫を死なせたかもしれないのです。
 それにつけても一国の指導者とは、自国の国益、あるいは国家の安全に対する危機感からか、それがお粗末にも多くの場合妄想だったりします。そのために自国の青年を、はっきりと死ぬのを承知して平然と戦地に追いやります。指導者とはかくも残忍にならなければ、国家を運営していけないものなのでしょうか。それはなにもアメリカ一国にはとどまりません。今論議されている集団防衛自衛権というのですか、日本のそばで同盟国が攻撃されたら応戦することが許されるかといった問題です。由々しきことです。安倍さんもブッシュさん並に平然と青年を死地に追いやるのでしょうか。あのお優しいお顔が残酷な顔に変貌するのですか。指導者とはそういうものなのですか。
 ブッシュ大統領の今のお顔を見てください。いつの間にかマフィアの親分の容貌そのものになっています、それもだんだん醜悪の度合いを増していってます。黒人女性の国務長官も颯爽と登場し、そのスタイルの良さ、それにもまして聡明さが好ましかったのですが、今やその理知的なお顔は、黒いマントを羽織った魔女に変貌していると言っては言いすぎでしょうか。

 国際政治の深奥はあたしには理解の外です。ですがこれだけは言っても罰は当りますまい。ブッシュさん、イラクから一日も早く撤退してください。敗退でなく撤退といういい言葉が日本にはあります。今ならその勇気が讃えられる余地はあると思います。そうして下さい。イラクはイラク人に任しなさい。そうでないとますます民族間の殺し合いが進み、最後にはイラクには誰もいなくなったといった事態を生みかねません。安倍さん同盟関係も結構ですが、相手の顔色を伺うことはありません。忠告もときには友情に必要です。諌めて下さい。先日社会保険庁問題の質疑で、開き直ってあなたの答弁するお顔を見て、随分と人相が悪くなったと思いました。
 どうか日本に生まれて良かったと思っている一人の国民の安堵感を崩さないで下さい。そしていついつまでもそのお優しいお顔のままでいて下さい。

うたのすけの日常 野球と相撲

2007-05-27 06:46:58 | 身辺雑記

        野球と相撲で一日暮れました

 昨日から楽しみにしていた松坂登場のレッドソックス戦、食事を終えて早々に二階に上がり、テレビの前にどっかと腰を据える。それはいいのだがまだ開始まで一時間ある。ニュースショーとでもいうのか、コメンテンターがずらりと並んで、一週間の国内外の出来事に解説を加えたり意見を述べたりする番組、それを見る。いろいろ意見見方があって結構あたしは好きである。土曜は4チャンネル日曜は6チャンネルに決めている。
 かみさんが上がってきて「松坂何時から」と聞くので、「現地が雨でなけりゃもうすぐ9時から」と答え、チャンネルを廻すとなんと、画面に映った球場は雨が降っている。それもかなりの降りである。「なんだよ、冗談じゃない当っちゃったよ」とぼやいてしばらく様子をみることにした。
 
11時ごろどうやら雨も小降りになったところで試合が始まる。一回ピンチがあったが松坂なんとかきりぬけ、味方が4点入れてくれる。それがなんと松坂、急に体調がおもわしくなくなり、動作も緩慢、しきりと胃のあたりに手を当て苦しそう。そして相手にビッグイニングを与えてしまい、なんと5点入れられ逆転を許してしまう。しかし松坂が投げるときは味方打線がよく打つと、再三アナウンサーや解説者が言っていたが、案の定すぐに2点を入れて逆転。なんとか松坂頑張り味方打線も奮ってなんと追加点叩き出し、松坂の勝利を確定的にして、松坂五回で降板という試合であった。6点取られたが味方が10点取ってくれて勝利投手、はや7勝である。
 相手を1点に押さえても味方が打ってくれず、0点なら敗戦投手の憂き目を見る。日本の球界には名球会なる組織があって投手は200勝すれば、名球会入りとかいって騒がれる。打者は2000本安打か。いずれにしても自分ひとりでは成し遂げられない記録である。揃いのブレザーをグラウンドでいい大人に着せるセレモニーなんか茶番である。確かに200勝も2000本安打も偉業である。しかしその陰に多くの支えとなった選手がいるということを忘れないでもらいたい。
 話は横道にそれたが、松坂のあとはヤンキースの松井、そして日本のプロ野球はセパの交流戦で、巨人楽天戦とチャンネルを昔はカチャカチャだったが、今はリモコンである、なんと表現するのだろうか。まあそんなことはどうでもいい、あちこち変えて忙しい。

 いよいよ夕方相撲である。白鵬きょう琴光喜を破れば千秋楽を待たずして優勝が決まり、横綱昇進を不動のものにする。結果はその通りの結果となり、ファン待望の二横綱の誕生である。それにしても東西の横綱がモンゴル出身力士とはなんとしょうである。日本のお相撲さんに奮起してもらう以外にない。さて白鵬の優勝は決まったし、今日の千秋楽の一番は朝青龍を白鵬が倒し、全勝優勝なるかといったところだが、いかんせん横綱ここへきて三連敗。いかに勝負事が、緊張と集中力に支配されるかということが、あらためて知らされた。千代大海に突き出され一瞬にして緊張の糸が切れ、集中力も失い別人のような取り口になってしまっている。つくづく勝負の世界は恐ろしいと感じた一日である。今日は、朝青龍にここ一番の相撲を期待したい。
 ところで野球界に一言述べたので、ものはついでだ相撲協会にも言いたいことがある。あたしは時たま相撲中継を早くから見る。幕下以下からのときもあるのだが、なんとかならないものかと常々思っていることがあるのだ。それは幕下以下のお相撲さんのまわしとさがりのことである。まわしはどれも色あせ、さがりはまわしと色違い。赤黄緑白黒と多彩で冴えない色具合。おまけに麩糊も利かさずよれよれ、まるで盛らない居酒屋の縄のれんである。地方巡業の花相撲ではない、年に6回の本場所である。客席も色鮮やかに着飾ったご婦人たちが詰め掛けているのである。粋とといなせが行き交う本場所であるのだ。それほどでもないか。とにかく幕下以下のお相撲さんにもそれに似合ったまわしとさがりを締めさせてもらいたいのである。
 土俵の砂には金が埋まっている、鮮やかなまわしが締めたいのなら、稽古に励み出世して自分の手で掴めと。親方衆は確かにそう言うでしょう。あたしもそれが正論とは思うのですが……、難しい。 


うたのすけの日常 あたしの経済論

2007-05-26 06:05:40 | エッセー

      経済論とは大仰な、単なるやりくりです

 
先ずあたしも家内も多勢の兄弟に恵まれていたというのが、今回のあたしのお話の前提になります。そして発端は親から受け継いだ住宅店舗の建て直しであります。区画整理の建物の引越しなどで、改築修理は重ねてきましたが、元の建物といえば戦後の21年に建てたバラックです。それが本体なのです。
 44年に母が亡くなり、いろいろ難事がありましたが、ようやく店舗を建て直す資金の目途ががたちました。しかし何事にも目算狂いというものは付き物です。ここでは予算オーバーです。あれやこれやで途中で仕事の上での不都合が出たりして、設計のやり直しでみるみる資金は底をつき、什器や店の造作類に手が及びません。頼みの銀行は最初こころよく承知してくれたのですが、途中から雲行きが怪しくなり、中小企業金融公庫?を紹介するというのです。要は貸し渋りに転じたわけです。紹介するといっても審査が通らなければアウトだし、ことは急を要するのです。
 そんな急場に救いの神、中華そば屋を経営する友人が、最近駅前に新店舗を開店した相互銀行を紹介してくれたのです。新しく進出したため顧客の獲得に懸命で、貸し出し条件はゆるいというわけです。建物を担保に入れるのは当たり前ですが、条件はただ一つ、幾ばくかの定期を購入、それを担保に入れるということです。定期を組む金があれば、なにも金なんか借りるかいと啖呵を切るわけには参りません。定期に倍する融資を受けるのですから。今度はその金の算段です。
 かみさんがずばりと云いました。「兄弟に借りる」その一言で道は開きました。かみさんの兄弟は五人、あたしもそうなれば黙ってはいられません。あたしの兄弟も五人です。兄弟の中にはかなりの金持ちもいましたが、二人で相談して皆の経済事情を忖度し、多少の差をつけて右から左へと出せる金額の融資を頼んだ次第です。要するに一人に大金を頼んでも何かとこちらとしても気が重いし、皆に少しづつ負担してもらえればいいのではないかと。みな気持良く出してくれました。いきなり百万貸せというのではありません。当時としても兄弟たちにとってそれぞれ無理せずに用立てできた金額であった筈です。まこと勝手極まる理屈ですが正直ありがたかったです。
 あたしは三本の矢の故事を思いました。一本の矢は簡単に折れるが三本束ねれば容易に折れない、兄弟結束の大事を教えた昔修身で習った故事です。現在の少子化時代では考えられないことです。あたしの事例も一人っ子の時代ではあり得ない話です。
 このことだけとっても少子化は世の中を暗くすると思います。この先兄弟の助け合いとか、従兄弟同士の交遊は夢また夢の話で寂しいかぎりです。

 さてこの話には後日談があります。借りた金は借入先の経済状態をあたしなりに推察して、順次返済したのですが一口だけ残したままだっのです。あたしもそれなりに銀行の返済もありますし、最後の一口のあたしの長姉の分を、姉は金持ちだし甘ったれてトボケテいたわけです。ある日電話がありました。
 「皆に聞いたら返してもらっているというじゃないか。姉ちゃんの分はどうなってんのよ」と。


うたのすけの日常 孫の成長

2007-05-21 07:21:49 | 身辺雑記

         こっちの年取るのも無理はなし

 
19日に上の孫娘が、この四月から勤めている保育所で運動会が行われました。
 運動会で使うのでしょうか、居間で前々からいろんな用具や備品を作っていました。それはいいのですが、当日無事終えて帰宅してから熱を出し、医者に母親に連れられて行きました。この時期になって疲れが出たのでしょう。緊張しての勤めが続いたものと察しられました。あたしから見ればまだまだ子供の部類に入ります。それが乳幼児の世話をするのですから驚きであります。
 つい昨日のことのように思われます、孫二人の保育所での運動会を見に行ったのは。その孫が今度は幼児の運動会の世話に携わるというのですから、年月の経過の早いことに唖然としました。下の孫などまだオムツが取れずに、保母さんに手を引かれて駆けっこなんかしてたのですから。その孫も高校三年生です。
 その孫たちが小さいとき正月や夏休みによく遊びに来ました。デパートの屋上に連れて行ったり、浅草の花やしきに行き、乗り物に乗せたりしたのが昨日のことのようです。それが上は車を運転しての勤めです。下はコンビニでアルバイトに精を出し、携帯電話の使用料はそれで賄ったりしています。
 下の孫は今はだいぶ落ち着いてきて、女子高生らしき雰囲気を匂わせていますが、小さいときはひょうきんな子でした。かみさんと二人して、腹を抱えて笑わせてもらったものです。ある日遊びに来ていたとき、覗いてはダメよといって寝室にこもり、何かかごそごそしています。あたしたちは居間で待たされています。ファッションショーの真似事が始まったのです。寝室のクローゼットからかみさんの洋服を引っ張り出します。スカートはロングになり、かみさん小柄ですから洋服やブラウスを、それなりに上手に着こなすのです。どこから探し出したのか装身具を飾り、帽子をかぶり、しゃなりしゃなりと寝室から登場して廊下を行き来するのです。自分で最初にアナウンスします。エントリーナンバー何番と言い、それなりの口上を述べて出てくるのです。どこで覚えたのか女の子のやることは違うと感心したりもしました。
 その孫たちも今は友達同士でデズニィーランドに行く年齢になってしまいました。あたしもかみさんも確実に老いたということでしょう。
 


うたのすけの日常 早朝の散歩

2007-05-20 07:08:57 | 身辺雑記

       四時半に起き出すのも齢のせい

 これも就寝時間が早いので齢のせいばかりとはいえません。昨夜は八時廻ったところで床につきました。睡眠病なんて病気が存在するとしたら、該当するかも知れません。
 若いもんは日曜でもあるし、もっとも休日でなくてもまだまだ睡眠中なのは当たり前です。そっと洗面して散歩に出掛けます。散歩道は二通りありまして、田圃コースと公道コースと区別してあります。それぞれその日の気分によって選択します。今日は後者を選びました。下の写真は田圃コース、先日撮ったものです。


 空はどんよりとした曇り空でしたが、大体六千五百歩、一時間弱のコースですが、帰る頃には青空に変わり、まさしく五月晴れの様相を呈していました。日曜のこと、道路には車の影も、勿論人の姿も見当たりません。


 公道を渡って住宅地の道路を歩きます。家々の庭にバラやシャクナゲ、テッセンなどの花々が咲き誇っています。しかしあたしの日頃からの怒り心頭に達していることがあるのです。まず前住地では見かけなかった光景です。それは道路に点々と始末されずに放置されている犬の糞です。「バラと犬の糞」では洒落にもなりません。糞景は住宅地に限らず農道でも見られます。大通りでも例外ではありません。ときには大型犬の一人前の糞が道路の真ん中に鎮座してるときもあります。
 行き会う犬を連れて散歩の方々、皆さんにこやかに挨拶をされ、手に手にビニールの袋をお持ちです。そして始末されている姿も見かけるのですが、いつ不心得者が出現するのか、不思議です。従って各所に下のような、半永久的な堅牢な注意の立て札が立ち並びます。



 この立て札、市役所御用達でいろいろ種類がごみ放棄厳禁のも含めてあるようです。中には自製の立て札も見かけます「ここは私道だ、監視カメラを設置してある。ちゃんと見てるぞ。犬に糞をさせるな」公道なら構わないというわけではないでしょうが、憤懣やる方なきお気持よく分かります。この公衆道徳の低さ、県民性なのではょうか。越してきて五年、まだそこまでは探求できないて゜おります。
 うちのかみさん同じ県の生まれです。「あたしの生まれたのは○○山の向こう側ですからね」と言いますが、意味がよく分かりません。 


うたのすけの日常 拳銃立て籠り事件

2007-05-19 06:04:55 | 怒り
            サットって何んだ!

 事件が29時間ぶりに犯人逮捕で解決したことを知る。17日午後3時45分ごろ発生した事件を、延々一昼夜費やしての解決とは、恐れ入ったものである。おまけに第一報で駆けつけた警官が撃たれ、救出されたのが5時間後のことである。悲劇はこれに留まらない。サットの若い警官が撃たれて死亡している。妻と生まれて間もない愛児を残しての無念の死である。涙を禁じ得ない、何たる蛮行か。それなのにである、この惨事を収束するのに29時間も要したのは、いかなる理由によってなのか、警察上層部の早急な説明が欲しい。
 何よりも負傷した警官を、5時間も放置して救出出来なかった明解な理由を聞きたい。仰向けに倒れ、片手を振って元気を誇示する姿がテレビに映しだされる。その健気な姿がかえって痛ましい。警官は54才、決して若くはない、たとえ命に別状ない負傷とわかっていても、早期救出の手だてはなかったのかと問いたい。また殉職した警官は救出時に犯人の発砲によったものだという。それなら一層救出を急ぐべきではなかったのか。
 救出にかかると身動き出来ずに横たわる警官が、さらに撃たれる恐れが生じるという報道も聞いた。それなら放置していても危険な状況には変わりはない筈である。特殊部隊はそのために、普段から訓練を重ねているのではないのか、高性能な武器や器具も開発常備しているのではないのか。酷な言い方かもしれぬが、テレビに映る隊員の姿は、ただ右往左往しているとしか見えない、あたしには。
 浅間山荘事件、東大安田講堂攻防戦の教訓はいかがしたのか。素人の意見と一蹴されても一言言いたい。ブルトーザーに鉄板を溶接して待機させ、催涙弾閃光弾を一斉射撃し、加えて放水車で放水し、一気呵成に突入すべきであったのだ。同僚が一人死に、一人撃たれて無残にも犯人の銃口の前に仆れているのである。犯人の家族は撃たれたが、病院に運ばれ手当てを受けている。なにも家族に当るわけではないが、その落差が苛立たしいのである。そんな事態が悲しいのである。
 それにつけてもどうも警察の対応がしっくりとしない。犯人の説得、無傷での確保、それがあまりにも前面に出過ぎているのではないのか。生ぬるい対応が次々とこの種の事件を生んでいるような気がしてならぬ。なによりも暴力男が、一気に警察力によって打ちのめされるのをあたしは望む。
 ところで通称のサットとは、サット事件を解決する意味を含んでいるものと、あたしは思いたい。今度の事件の対応を見る限り、再び酷な言い方をするが、上にモをつけたほうがよろしいのではないか。

 最後になりましたが、林巡査部長のご冥福をお祈り致します。と共に木本巡査部長の一日も早いご回復を念じます。


うたのすけの日常 床屋さんとのお話です

2007-05-18 07:07:33 | 身辺雑記

     75歳ははたから見ればやはり老人でした

 
わが家からバスで280円の距離に、五年の余利用している床屋さんがあります。月に一度同じエリアにある泌尿器科と眼科に行く時、伸び具合を計ってお願いしています。ですからその連携プレイが上手く噛み合わないと、床屋をして随分とお久しぶりですねと言わせたり、かみさんに「伸びてますよ、お義父さんのお洒落見習ったら」なんて言われます。近所にも床屋はあるのですが、上手ですしなんとなく気が合い、世辞にもきれいとは言えないお店ですが利用しているわけです。
 一昨日もそんな次第で目医者の帰りに行きました。しかしドアを開けて入っても電気も点いておらず店主も居ません。飼犬が一匹土間に寝転んでいて鼻を鳴らしております。と思ったら後からドアが開きもう一匹の犬を抱えて店主が入ってきました。そしてあたしとの挨拶もそこそこに奥のドア越しに二階に怒鳴ります。「何子、お客さんが来たから散歩に連れていけないよ」。彼、犬を散歩に連れ出したものの、店に入るあたしを見かけて急いで戻ってきたのです。いかに流行らないお店かがお分かりかと思います。
 彼なかなかの根性がありまして、以前にかかとを骨折しても休むことなく、滑車のついた椅子に座って仕事を続けました。今日もやっと杖をつかずに歩けるようになったと言ってます。あたしは帰りのバスの時間を告げて座ります。
 散髪も終わって時間に余裕があったので話し込みます。といっても一方的に彼の話を聞くだけでして、彼なかなかの饒舌家なのです。彼の話です。

 「バス使っていらっしゃるのが億劫になったらいつでもお電話下さい。車で送り迎えしますから。」「大儀なときなんか、お声を掛けて下されば、お宅に伺ってやらして貰いますよ。遠慮なく言い付けて下さい。」「将来的にはあたしもそんなことを考えないでもないんですよ」とこれはあたし。「そういってはなんですが、この辺も高齢者の街といっていいぐらいでしてね、来てくださるお客さんにお話しているんですよ。そうすれば口コミで広まり、皆さんに喜ばれるんじゃないかと。こないだは懇意のお客さんが入院なさっていて、奥さんに頼まれ行って来ました。病院に出入りの床屋では嫌だと病人が言ってくださったそうです。高齢者社会ですから、これからはそこまで考えを変えてやらなくてはいけませんね。」
 
 なるほど、この近所にも二軒の床屋があり、小奇麗な店構です。店主としても店の改装も、儘ならずといったところではないのだろうか。それとも息子は東京で独立して理髪店を開業しているという事もあり、齢も還暦を迎えたと言ってますし、そこまでの気力はないのかも知れません。
 そういえばあたしの父も晩年は、懇意の床屋さんに来てもらって散髪してもらっていたのです。なるほど、あたしも父の年齢に近づいてきたということなのです。自分では若いつもりでいて、人からもお若い、とてもそんなお齢には見えませんと言われて、それなりに悦に入っていますが、考えたら別に考えなくても明日で75才になるのです。驚きです。大病と事故で背中と腹に大きな手術痕を残し、よくもこの齢まで生き永らえたものです。
 床屋の店主は正直に、あたしをそれなりの老人と見て心配してくれたのです。そう素直に考えればそう言ってくれるだけあり難いと思わねば、世の中丸く収まりません。
 あたしは思いました。これからは自信を持って自分は75才の立派な老人と、胸を張って大手を振って歩こうと。まさかそこまで気張ることはありませんか。いろいろ思いを巡らした半日でした。


うたのすけの日常 眼科へ行きました。

2007-05-17 07:04:06 | 身辺雑記

        60年の余眼病で苦しんでます
 
 
一病息災と一口に申しますが、あたしの場合何とかその日その日を元気で過ごしているのですから、それは当てはまりません。なにしろ別に診察券の枚数を誇示するわけではありませんが、手元にある診察券を見れば、内科・泌尿器科・歯科・皮膚科・耳鼻咽喉科・そして眼科とあります。常時通院しているわけではありませんが、各疾病ともその予備軍状態にあるといってよろしいのではないのでしょうか。とりわけ眼科はあたしにとって業病といえます。これは仏様があたしに罰を加え、神様が試練を与えているものと思わざるを得ません。
 ことの始まりは高校二年のときにさかのぼります。京都奈良への修学旅行を控えていて、夏も終わりのころです。友人と二人隅田川にボート漕ぎに出掛けました。湖畔に浮ぶボートとは違い、ペアと確か呼ばれたスピードの出る船で、座席が漕ぐと前後に移動するようになっているボートです。水すましのように水面を心地よく走ります。それはいいのですが、残暑が厳しかったのてしょう、二人してフリチンで川に飛び込んで泳いだのです。当時まだ隅田川の汚染云々は取りざたされていなかったのか、あたしたちが無知だっのか、見た目は川はきれいだったはずです。
 翌朝のことです。朝起きて目が開かないのです。痛みはありませんが、必死になって開けようとしてもあかないのです。上と下の瞼を指で強引にこじ開け鏡を覗くと両眼とも真っ赤に腫れ上がっています。あたしは泣き叫びました。「目が見えない」と。
 近所に一軒しかない眼科に駆けつけます。原因はもちろん細菌に汚染された川で泳いだことです。しかし後できけば友人は何事もないのですから、あたしには罰があたったのです。そう決め付けるのが妥当と思ったりしました。


 修学旅行は散々でした。充血した目に秋の日差しはまぶしく、痛みもあります。沈鬱な気分の三泊四日の日程でした。爾来急性結膜炎から慢性結膜炎に移行し、現在では病名も定かでない業病にとりつかれているといったほうが適切かも知れません。
 60年間目薬は離しません。医者の薬であったり、買い薬であったり、医者も転々と変えたりもしました。当初は東大の眼科にも足繁く通いました。軟膏薬を細いガラス棒で目の中にこすりつけることもやらされました。ある医者では目薬が原因なのも知らずに喉を痛め、癌ではないかと咽喉科に駆けつけたりもしました。住所も何度か変わりもしたので、その度に医者も変わります。治療も薬も診断もかわります。60年の病歴をその都度医者に語るのも疲れますので適当にはしょります。しかし終の栖ともいえる当地で医者も定まり、現在の医者に五年の余お世話になっています。医者も困っているでしょう。
 これといった激しい症状があるわけでもなく、あたしの訴えることは、瞼が重苦しい、目が鬱陶しい、しょぼしょぼしている、涙が出る、目脂が少々出るといったところです。昨日もそんなわけで医者に行き、診察を受けたのですが視力はそれなりにありますし、眼圧も正常。あたしの言うことはいつもと同じです。医者の言うことも同じ、白内障の症状は進行していません。様子を見ましょう、そうですか、では今日はお薬を変えてみます。それでしばらく経過を見ましょう。はい、ありがとうございます。それで毎度終わりです。しかし正直一年中目から意識が離れたことはありません。一年中目が重苦しく、読書は10分と続けられません。しかし不思議とパソコンはある程度持続出来ますし、テレビの野球など長時間見てられます。ですがその間、目から今述べたような症状が消えてるわけではありません。ときたま目を閉じます。目を休めます。薬を差します。
 まるで今朝は泣き言です。いい大人が誰に訴えているのか泣き言三昧です。でも幾分気分は晴れてまいりました。ブログの効果とあり難く思います。感謝感謝です。


うたのすけの日常 久しぶりの映画

2007-05-16 07:25:30 | 映画

    「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観る

 
随分と映画を観ていない。確か最後に観たのは「ラストサムライ」である。あの映画もかなり話題になったが、あたしには荒唐無稽以外の何者でもなかった。隣の席でかみさんも、かなり退屈しいてたはずである。大体が女性向の映画ではなかったのである上、あたしが誘ったので、いささか心苦しかったのを憶えている。今回は夕刊の広告欄を見ていた「あっ、この映画明日からだは」のかみさんの言葉で見に行くのが決まった。
 バスで映画館に着いて、上映まで40分ぐらいの間がある。当地にもシネコン?というのか当節流行のミニ映画館の集合した建物が出現している。初めてのこと時間があるのでゆっくりと場内を見て巡ることが出来た。八つの館があるのには驚きである。各館指定席で、自ずと入れ替え制である。このことは予め孫に聞いて先刻承知のこと。上映時間も携帯で調べてもらってあるので、気持は余裕たっぷりである。長いカウンターで各種の飲み物食べ物が売られている。おまけに生ビールまである。「トイレ大丈夫」と言うかみさんの心配をよそに中ジョッキを頂く。物見遊山の気分である。ベンチに腰を下ろし辺りを改めて見回す。土曜日のせいか、中高生らしき子供たちの姿が多い。今の子供たちは親も含めて大変だとつくづく思う。奇麗な格好をし、色とりどりの飲み物や食べ物を買い求め、館内のあちこちに屯して話しに興じたりしている。すぐそばにはゲームコーナーもあってなかなか賑やかである。なまじっかの小遣いでは間に合うまい、人様の経済のこととはいえ親御さんのやり繰りの苦労がなにかと想像される、己の娘親子を含めて。
 そんな感慨にふけっているうちに上映時間が迫り、場内に足を踏み入れる。席数目算で200ぐらいか、段差があって実に見よく前の席との幅も十分取られていて、至極満足である。前置きが映画を離れて脱線気味であるが、ここで軌道を映画に戻すことにする。

 この映画「製作総指揮、脚本・石原慎太郎」とあります。特攻の母といわれた鳥浜トメさんをモデルに、彼女が知覧でいろいろ語られた、特攻隊員との交流を元に脚本を書かれたものと想像される。
 結論からいうと題名と内容がそぐわない。「俺は君のためにこそ死ににいく」というテーマがぼやけている。なぜ特攻作戦が採られたのか、映画では特攻隊生みの親と言われた大西滝治郎中将を登場させ、敗色濃厚の戦況下にある日本の国体護持を語らしている。そして上級将校をして特攻による戦況好転を足場に、有利な条件で講和に持ち込むと言わせている。そのために二十前後の若者が死地に追いやられるといったのがテーマともとれるのである。母や恋人親兄弟の幸せを願い、日本の勝利を信じ毅然として死地に赴くといった、悲壮感あふれるタイトルとはかなりの距離がある。
 しかし若い隊員たちと、岸恵子(美し過ぎる)扮する鳥浜トメさんとの、出撃間際の日々の交流には、目頭が熱くなりぱっなしであった。俳優たちはみな熱演であり、巧みである。それだけにいっそう隊員たちの憐れさが胸を打つ。それにもまして既に世界に誇ったゼロ戦の性能も連合軍の後塵を浴び、優秀なパイロットは南海に没している。未熟な技量で、整備不良の飛行機で死地に追いやられた若者の無念さ、映画ならずとも涙は尽きない。しかしここでに言わせてもらえるなら、ラスト近く隊員たちが次々と敵艦に体当たりするにはほど遠く、敵弾を浴び全身血だるまになって死に行くさまを、これでもかこれでもかと見せるのはいかがなものか。せめて遠景で見せて欲しかった。
 
 改めて言うが役者は男優も女優もみな好演といえる。誤解を恐れず言わせてもらえるなら、日本の俳優は軍人を演じさせたら天下一品である。女ならさしづめパンパンガール(街娼)であろうか。