うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の世界 六十五

2009-09-30 06:23:06 | 日記

勝たねばならない大地いつせいに芽吹かうとする<o:p></o:p>

この戦いは聖戦です。日本の生命線を確保しなければ、日本民族の未来はありません。軍官民一体の聖戦完遂の旗印に、日本全土に雄叫びの旋風が巻き起こります。<o:p></o:p>

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いさましくもかなしくも白い函 遺骨を迎へて<o:p></o:p>

死して護国の鬼となる。遺骨をお迎えしての言葉は勇ましいものがありますが、何か虚しさは拭えません。遺族にとって悲しい、それ以外の何ものでもありません。<o:p></o:p>

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街はおまつりお骨となつて帰られたか<o:p></o:p>

街や村々はまだまだ大陸の戦禍は遠い存在です。今日も街では秋祭りですか、そんな賑わいとは不釣合いな一団が人々の胸を打ちます。異国の地から無言の凱旋されたのは、どの町の、どの家のご主人ですか、どなたの息子さんですか。<o:p></o:p>

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遺骨を抱いて帰郷する父親<o:p></o:p>

 

ぼろぼろしたたる汗がましろな函に<o:p></o:p>

いつか一緒に酒を酌み交わそうと思っていたのに、それも果たさぬうちに自慢の息子が小さな白い箱に収まって帰ってきました。停車場からわが家への長い道のり、父は炎天の下、不覚に滲む泪を、骨箱に流れ落ちる汗と一緒に拭いました。<o:p></o:p>

 

お骨声なく水のうへをゆく<o:p></o:p>

水郷の村に今日も無言の凱旋の模様が悲しく人目を引いています。遺族の胸に抱かれた白木の箱が小船に揺れます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 六十四

2009-09-29 05:57:57 | 日記

山裾あたたかなここにうづめます<o:p></o:p>

ご主人でしょうか、あるいは息子ですか、無言の凱旋をした戦没者の遺族たちが、これもまた黙々と土を掘ります。古里の山を朝な夕なに眺められる格好な場所です。おまけにここは日当たりも良さそうです。遺骨を埋め土をかければ、長い冬がつづくのです。<o:p></o:p>

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凩の日の丸二つ二人も出してゐる<o:p></o:p>

木枯らしが村々を吹き抜けていきます。農家の身も凍る庭先に、日章旗が二つも寒空にはためいていました。そうです、この家からは兄弟で、二人して召集令状を受け、大陸を転戦しているのです。<o:p></o:p>

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冬ぼたんほつと勇ましいたよりがあつた<o:p></o:p>

庭先に冬牡丹が凛々しく咲き誇っています。一軒の農家の囲炉裏端は、いつにない明るさに満ちていました。両親、妹たちが、或は夫を召集された若妻ですか、一枚のはがきを手廻しで何度も読み耽ります。僕は元気でお国のために戦っています。お決まりの文面ですが、元気でいることは確かです。家族にほっとした安堵の色が浮びます。<o:p></o:p>

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雪へ雪ふる戦ひはこれからだといふ<o:p></o:p>

北国に熄むことなく雪はふりつづきます。冬はまだ先が長いのです、春はまだまだです。棚のラジオが戦勝ニュースを声高に報じています。新聞の紙面には連戦連勝の活字が躍ります。そして両者とも、戦いはこれからだと、国民に滅私奉公、一億一心、撃ちてし止まん、と戦意高揚を促しています。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 六十三

2009-09-28 06:12:12 | 日記

しぐれて雲のちぎれゆく支那をおもふ<o:p></o:p>

小雨がそぼ降ります。なぜか雲の流れ行く様子が物悲しく感じられます。そうです、大陸の戦火に想いが馳せます。その想いは戦地で奮戦する日本兵の安否でしょうか。それとも戦火に逃げ惑うシナの住民の身の上でしょうか。<o:p></o:p>

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ひつそりとして八ツ手花咲く 戦死者の家<o:p></o:p>

大陸の戦火は果てしなく拡大していきます。町はもちろん農村からも多くの壮丁が出征して行きます。それにつれて村々の玄関の柱には、戦死者の家をあらわす標識が増えて行きました。そうした家に夕餉の賑わいは見られません。庭の片隅で八ツ手の花が控えめに咲いています。<o:p></o:p>

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しぐれつつしづかにも六百五十柱 遺骨を迎ふ<o:p></o:p>

想像出来ません。一挙に戦死者の遺骨を大陸から内地日本に迎えたのでしょうか。本日の無言の凱旋者と新聞に報じられたのでしょうか。どこの港ですか、岸壁に横付けされた船舶のタラップから、或はクレーンからですか、六百五十もの白木の箱が遺族の元に帰ってきたのです。きっと軍楽隊が物静かな曲を演奏する中、時雨にけむる中をです。<o:p></o:p>

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もくもくとしてしぐるる白い函をまへに<o:p></o:p>

今日も村に戦没者の遺骨が帰ってきました。停車場に村人たちが悲しみを抑えて出迎えています。在郷軍人の音楽隊が悲壮な曲を奏で、今未亡人の抱える白木の函が改札口から現れました。夫人の頬に泪はありません。気強く傍らの一子を抱くようにして、迎えの人たちに深々と頭を垂れます。<o:p></o:p>

しぐれが雨音を忍ばせて降りつづいていました。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 六十二

2009-09-27 06:07:31 | 日記

日ざかりの千人針の一針づつ 街頭所見<o:p></o:p>

戦時下、街頭でよく見かけた光景ですが、戦況が悪化してからはあまり見られなくなりました。出征兵士の家族の方が、主にご婦人(姉妹・奥さん)が街頭に立ち道いく人にお願いするのです。白地の布に、それには虎の姿が描かれ確か全身に印が千個付いていて、そこに赤糸でたんこぶを縫付けて貰うのです。人々は競って協力しました。虎は千里を行き、千里を帰ると言われての縁起ものであります。時には五銭玉(死線を越える)や十戦玉(苦戦を越える)を縫い付けたりしました。兵士はそれを腹巻として身につけたりしました。武運長久を念じたわけです。<o:p></o:p>

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月のあかるさはどこを爆撃してゐることか <o:p></o:p>

ご本人の注釈が欲しい句です。まだ時期はシナ事変の頃ですから?でも敢えて、こうなると推理です。月が異様に明るさを増した夜ですか、赤い月ともいえる明るさです。そうでした大陸での戦火は激しさを増しています。渡洋爆撃なる文字が、連日新聞紙上を賑わしています。爆撃の目標都市はどこでしょうか、上海ですか、重慶ですか、南京ですか?炎上する都市の業火が、日本の月を赤く彩ると言ってるのでしょうか。<o:p></o:p>

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秋もいよいよふかうなる日の丸へんぽん<o:p></o:p>

秋が深くなるとともに、大陸の戦火もあちこち飛び火して、皇軍の征くところ敵なし、陥落した城壁に日章旗がひるがえり、万歳のときめきです。国内でもそれに和して門ごとに日の丸が飾られます。<o:p></o:p>

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ふたたびは踏むまい土をふみしめて征く <o:p></o:p>

町や村に祝出征の幟が振られ、日の丸の小旗がはためきます。送られる人は果たして、この地に戻って来るのでしょうか。今踏みしめている土を踏んで帰って来られるのでしょうか。これなど凄い反戦の句と思うのですが。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 六十一

2009-09-26 06:24:07 | 日記

「柿の葉」を終え、山頭火所感を載せます。<o:p></o:p>

 柿の葉はうつくしい、若葉も青葉も、ことに落葉はうつくしい。濡れてかがやく柿の葉に見入るとき、私は造化の妙にうたれるのである。<o:p></o:p>

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あるけば草の実すわれば草の実<o:p></o:p>

あるけばかつこういそげばかつこう<o:p></o:p>

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 そのどちらかを捨つべきであろうが、私としてはいづれにも捨てがたいものがある。昨年東北地方を旅して、郭公が多いのに驚きつつ心ゆくまでその声を聴いた。信濃路では、生まれて始めてその姿さへ観たのであった。<o:p></o:p>

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やつぱり一人がよろしい雑草<o:p></o:p>

やつぱり一人はさみしい枯草<o:p></o:p>

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自己陶酔の感傷味を私自身もあきたらなく感じるけれど、個人句集では許されないでもあるまいと考えて敢えて採録した。こうした私の心境は解ってもらえると信じている。<o:p></o:p>

「昭和丁丑の夏、其中庵にて 山頭火」<o:p></o:p>

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銃後<o:p></o:p>

 

シナ事変を題材にした句は、何句か以前に載せてみましたが、銃後と題して纏めた句には初めて接します。山頭火の戦争を題材とした句は、あくまで句作者として、平均的な市民感覚で詠んでいるものとは違います。底に流れるものはやはり、人間愛の滲む戦争批判です。<o:p></o:p>

冒頭に一編の詩を詠んでいます。そこに切々と心情を吐露していると思います。<o:p></o:p>

天われを殺さずして詩を作らしむ<o:p></o:p>

 われ生きて詩を作らむ<o:p></o:p>

 われみづからのまことなる詩を

うたのすけの日常 山頭火の世界 六十

2009-09-25 04:59:36 | 日記

あつまつてお正月の焚火してゐる<o:p></o:p>

暮れの大掃除のゴミが、まだ片付いていないのでしょうか。野良仕事もなく所在なげな村人の一人が畑の隅でゴミを燃やし始めました。人も集まり始めます。それぞれゴミを持ち寄り焚き火の火が赤々と広がり、正月の挨拶が和やかに交わされていきます。<o:p></o:p>

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雪ふる食べるものはあつて雪ふる<o:p></o:p>

蟻は夏の暑い盛りに懸命に冬を越す食べものを集めます。人間も同じこと、食糧の確保があって幸せがあります。まして何の生きる保証のない漂泊の出家の身には、冬の日々は飢えを凌ぐことが第一義です。しかし今日明日の草庵には心配はいりません。降り続く雪もなんのその、しっかりと食糧は確保してありますよ。<o:p></o:p>

 

しみじみ生かされてゐることがほころび縫ふとき<o:p></o:p>

人は一人で生きるにあらず、人との交遊、自然の恵みも仇おろそかには出来ません。病に臥せれば隣人知人他人の看護に頼ることになります。一人身の切なさ、衣のほつれを縫う灯りの下で、そんなことをしみじみと、今更ながら実感する山頭火でした。<o:p></o:p>

 

雪ふれば酒買へば酒もあがつた<o:p></o:p>

切実な問題です。冬の夜は熱燗がたまらなく恋しいです。酒瓶を袂に抱いて雪の中を酒屋まで、まさか雪のせいでもないでしょうが値が上がっています。困ります、二杯を一杯にしますか。それにしても困りました。<o:p></o:p>

 

一つあれば事足る鍋の米をとぐ 自戒<o:p></o:p>

シンプルな生活の薦めですか。草庵の独居生活、無駄を削りに削った生活に違いありませんが、一層の簡易生活を目指します。一つの鍋が幾通りもの働きをします。御飯も炊けば煮炊きもさせるといった案配です。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 五十九

2009-09-24 05:39:22 | 日記

ことしも暮れる火吹竹ふく<o:p></o:p>

草庵にも年の暮れがあっさりと訪れました。今年一年いい年だったと言えればよいのですが、年の暮れは独居の身には、一段と寂しさが増すのではないでしょうか。竈の前で、お節料理の一つも誂えようとしているのですか。火吹竹を吹く顔が赤く染まります。<o:p></o:p>

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お正月が来るバケツは買へて水がいつぱい<o:p></o:p>

お正月です。何かと気持も改まり新鮮な気持が横溢します。肌着は新しいものが用意できましたか、とんでもございません、草庵暮らしにそんな余裕はありません。せめてです、水を汲み置くバケツを新しくしました。それに満々と水を張りました。気分も昂揚してまいりました。<o:p></o:p>

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今日から新しいカレンダーの日の丸 昭和十二年元旦<o:p></o:p>

気持が一新します。何も用意は出来ませんが、せめて気持だけでも新年を祝います。壁にかけられたカレンダーの一月一日に、真赤な日の丸が塗られています。<o:p></o:p>

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ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で 自画像<o:p></o:p>

自画像と断わりがあります。思わず笑ってしまいます。正月といっても別段晴れ着があるわけでもなく、火の気もおそらくお粗末、厳寒の草庵は汲み置いたバケツの水も凍るはずです。そんななか暖をとるには、ありったけの衣服を重ね着するしかありません。綿のはみ出たどてらも意に介しません。達磨のように身動きも容易でありません。せめて正月らしく、笑顔を作ります。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 五十八

2009-09-23 05:27:23 | 日記

しぐれしたしうお墓を洗っていつた<o:p></o:p>

一陣の風に乗ったような時雨が、墓場を駆け抜けて行きました。林立している墓石群は汚れを、丁寧に洗い流されて生き返ったようです。顔を覗かした太陽に艶さえ帯びています。<o:p></o:p>

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生きてしづかな寒鮒もろた<o:p></o:p>

森閑とした冬の日、思いがけぬお裾分けに寒鮒を頂きました。俎板の鯉ではありませんが、じっと水の中で身動き一つしない鮒に畏怖をおぼえます。己もこのような最後を迎えられるでしょぅか。そんな想いに耽る山頭火です。<o:p></o:p>

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落葉してさらにしたしくおとなりの灯の<o:p></o:p>

草庵の独居生活は何かと淋しくもあり、不便なことも持ち上がります。そんな時お隣さんは強い味方となります。庭の木々を通してお隣の灯りを暖かく意識します。秋も終わり冬に向って落葉がふりそそぎ、裸木となった木々の間から、一段とお隣の灯りに親しみが増してまいります。<o:p></o:p>

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葉の落ちて落ちる葉はない太陽<o:p></o:p>

すっかり冬です。冬の太陽が木々に一生懸命に光を注ぎます。冬の木々はそれに応える術はありません。葉はすでに落ちきって寒さが一入身に染み入る季節を迎えました。<o:p></o:p>

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何事もない枯木雪ふる<o:p></o:p>

何事もない冬の風景ですか。枯葉をすっかり落として春をひたすら待つ枯木も、雪を頂き様変わりして華やかささえ見てとれます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その五十七

2009-09-22 07:16:09 | 日記

大学芋に挑戦です<o:p></o:p>

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九月二十一日 敬老の日

 

数日前テレビの料理教室で大学芋の作り方を放映していました。たいして気にもせずに見ていたのですが、丁度到来物の薩摩芋が何本か転がっています。よし暇ッ潰しに作ってみるかと、一念発起です。<o:p></o:p>

昔、浅草を訪ねた時など、老舗のお店があってよく買って帰ったものでして、好物の一つなのです。<o:p></o:p>

先ずは皮を剥き乱切りにします。個数にして40個ぐらいの量でして、天麩羅鍋をコンロにかけます。油の温度は低温にするのは常識の範囲、二回に分けて揚げる算段とします。その前に砂糖蜜をからませ、それにまぶす胡麻を炒っておきます。芋を低温で揚げるのと同時進行で、鍋に砂糖を盛って弱火でかき回します。果たして蜜ができるか、初体験でありまして懸命に掻き回しました。<o:p></o:p>

どうやらねばねばしてきます。最初一人でやるからと言ってはいたのですが、急遽かみさんを招集です。蜜作りを頼んで芋を揚げることに専念し、揚げる端から蜜を絡めて、大皿に芋が互いに粘着しないように並べていきます。これは垣間見たテレビの知識で、それに慌てて胡麻を振りかけました。<o:p></o:p>

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さて、結果としては失敗でした。蜜の量が足りなくて半分はから揚げのまま、皿に盛った芋は蜜が厚く、おまけに皿にこびりついて剥がすと芋が崩れてしまうのです。どうやら生半可の知識で始めたのがいけなかったようです。<o:p></o:p>

結局、薩摩芋のから揚げで、二人して昼食にしました。戦争中は代用食でよく食べたもんだと言えば、かみさんも薩摩芋入りの雑炊をよく食べたと応じます。<o:p></o:p>

そんなわけでしたが、バイトから帰ってきた下の孫が、出来損ないの大学芋を美味しい美味しいと食べてくれたのが、なによりでした。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 五十七

2009-09-22 05:53:34 | 日記

草のうつくしさはしぐれつつしめやかな<o:p></o:p>

時雨がいっとき街道を見舞います。砂塵に汚れた葉をきれいに洗います。萎れかけた草も立ち直っていき、しっとりとした青味が蘇えりました。<o:p></o:p>

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洗へば大根いよいよ白し<o:p></o:p>

眼に眩しい白さとよく言いますが、収穫した大根を井戸端で洗います。次々と農夫の陽に焼けた黒い手で洗われていき、その白さが際立っていきました。<o:p></o:p>

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しぐぐる土をうちおこしては播く<o:p></o:p>

時雨に濡れた畑の土は黒々と、艶っぽくさえあります。農夫の顔がほころび、鍬持つ手にも力が入ります。起こされた土が大きく息を吸っては吐くようです。種子に願いをかけて播きます。山頭火も豊作を念じて見守るのです。<o:p></o:p>

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影もぼそぼそ夜ふけのわたしがたべてゐる 自嘲<o:p></o:p>

仄かな灯りに自分の姿が、障子に黒い影となって映っています。ひとり黙々と箸をすすめる等身大の様が侘しく感じました。ぼそぼそと映る影までが、がたまらなく自分が嫌になりました。<o:p></o:p>

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ひよいと芋が落ちてゐたので芋粥にする<o:p></o:p>

天からの恵み物です。ひょいとが笑わせます。早速と言ったところでしょう。芋も幸せです。天下の山頭火に拾われ、胃の腑に収まったのですから。ところで芋は馬鈴薯でしょうか、薩摩芋でしょうか、戦中戦後と芋粥は結構頂きました。芋は薩摩芋に限ります。<o:p></o:p>