うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 4

2010-05-02 17:56:31 | ドラマ

よね  (茶を淹れながら呆れ顔で)あんたも人が悪いね、承知してて英さんの話はしょってるんだから。英さん、さっきの綾ちゃんの事、訊きたくているんでしょう。<o:p></o:p>

英輔  まあ…<o:p></o:p>

謙三  へへへっ、あの娘[こ]はね、一週間ほど前か、上野からここの駅前へ移ってきて靴磨きしてる娘なんだよ。上野じゃ実入りも多かったらしいんだが、何かとチンピラや浮浪児が悪さしかけるんで、居たたまらなくて来たらしいんだ。満州からの引揚者でね、あっちで現地召集ってのかい、父親はそんで戦死。残された家族はええと……<o:p></o:p>

よね  お母さんと弟、あの子と三人よ。<o:p></o:p>

謙三  それが気の毒じゃないか、満州の、満州っちゃ広いんだろう、そこをソ連軍や満人に追われて逃げ惑ううち、あの娘は皆とはぐれちまったんだよ。<o:p></o:p>

よね  だけどねえっ……<o:p></o:p>

謙三  そうよ、逃げるさなか、もし家族が離れ離れになったら、上野駅の大天井の改札口で、夜の九時に待ち合わせようって決めてたそうだ。それであの子は引き揚げの情報が得やすい上野で、靴磨きを始めたそうなんだ。だから毎晩仕事を終えると改札口に立つそうだよ。でも言ったような訳でこっちへ来たんだよ。<o:p></o:p>

英輔  うーん。<o:p></o:p>

謙三  唸ってるね。健気なもんだよ。<o:p></o:p>

よね  あの娘、上野に居た時は地下道で寝起きしてたそうよ。初めて来たとき何か事情が有りそうなんで……<o:p></o:p>

謙三  このお節介が色々と訊き出したってわけなんだ。貯めてた売り上げ、ごっそりチンピラに巻き上げられたこともあるそうだ。<o:p></o:p>

英輔  うーん。<o:p></o:p>

よね  こっちへ来たって寝るとこがないって言うんだろう、気の毒になっちゃって、あたしたちが焼け出された時、一時間借りしてたとこがあるだろう、五丁目の焼け残りの……<o:p></o:p>

英輔  ああ、俺が復員してきた時転がり込んだ、あの時の小母ちゃんのとこ?<o:p></o:p>

よね  無理矢理頼んで置いて貰ったんだよ。家に置いてもいいんだけど……<o:p></o:p>

謙三  家にゃ、ご存知炬燵が出入りしてるからね、そうもいかなかったんだ。<o:p></o:p>

英輔  それはそうだ。<o:p></o:p>

謙三  ?……まあいいか。<o:p></o:p>

英輔  (構わず)そうか、そう言うことか。分かったよ。(意を決したように)よし、駅前に朝市手伝わせている、気心の知れた奴がいる。其奴にあの娘に手出しはならねえって、よく若いもんに徹底させろって釘をさす。これでどうだろう?<o:p></o:p>

謙三  どうだろうって……英さんが力になってくれりゃあこんな力強いことはない。なあ母さん。<o:p></o:p>

よね  それはそうよ。<o:p></o:p>

英輔  俺も、これからは駅前にまめに足はこんで、あの娘に目え配ることにするよ。小母ちゃん、あの娘が親子再会を果たすまで、守ってやろうよみんなして。よし、そうと決まればこうしちゃ居られない、ちょっくら駅前、それとなく見廻ってくるよ。(慌てて飛びだして行く)<o:p></o:p>

謙三  (開けっ放しの戸を閉めながら)鉄砲玉だよ。<o:p></o:p>

よね  英さん、綾ちゃんに一目惚れだね、あの調子では。でも好いね若いっちゃ。<o:p></o:p>

謙三  「特攻崩れと焼け跡の乙女」ってとこだなさしあたっては。<o:p></o:p>

よね  特攻崩れはないよ、英さんに気の毒だよ。「元特攻隊員と焼け跡の処女」ってのはどう?<o:p></o:p>

謙三  うーん、処女ねえ……満州の広野から海を渡ってやっとの思いで辿り着いた日本。いろんな事があったと思うよ恐らく、口には出せない辛い事がな。<o:p></o:p>

よね  (思わず手拭を目に当てる)そうだよねえ……そうだよねえ……<o:p></o:p>

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暗転<o:p></o:p>

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(2)<o:p></o:p>

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舞台溶明、数日後の朝謙三の店。英輔店前で駅からの道をしきりに気にしている。出入りする客が腰をかがめ挨拶をしていく。下手から綾子が大きなカバンを肩に小走りで来る。<o:p></o:p>

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英輔  ようっ。(片手を上げる)<o:p></o:p>

綾子  (はにかみ)お早う御座います。<o:p></o:p>

英輔  丁度いいや、店空いてるよ。俺も今来たところだ。一日一回はここの雑炊食べないと気がすまないんだ、特に朝はね。(先に立って店に入る)<o:p></o:p>

謙三  いらっしゃい。あれっ、(二人を見て目を丸くしよねを小突く)<o:p></o:p>

よね  あらっ、二人揃ってなんかあったの?<o:p></o:p>

謙三  余計なこというな。(小声で)バカ。<o:p></o:p>

英輔  店の前で偶然会ったのよ。綾ちゃん、雑炊でいいだろう。<o:p></o:p>

よね  綾ちゃん?<o:p></o:p>

謙三  いちいちうるさいよお前は、バカ。<o:p></o:p>

よね  なによ、朝っぱらからバカ呼ばわりしないでよ。(ふくれる)今朝は雑炊じゃないのお生憎様、すいとんよ英さん。<o:p></o:p>

英輔  すいとん?(綾子と向かい合って腰を下ろしながら)すいとんだって……<o:p></o:p>

よね  綾ちゃんは雑炊よりすいとんのが好きなのよね。<o:p></o:p>

英輔  俺もどっちかといえばすいとんのが好きなんだ。丁度いいや。<o:p></o:p>

よね  そうだったかね、英さんすいとん見ると、親の仇に会ったみたいだなんて言ってなかったっけ?<o:p></o:p>

謙三  (よねを睨みつけながら)あいよ、すいとん二つだね。(と厨房に入る。よね綾子の隣に掛ける)<o:p></o:p>

綾子  (嬉しそうに)小母さん、英輔さんたら一日に二回も靴を磨きに来てくれるんです、あれから。<o:p></o:p>

謙三  (厨房から顔を出し)二回もう。<o:p></o:p>

よね  あれからって?4<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む91

2010-05-02 04:31:18 | 日記

ヒトラー総統死せり ドイツ降伏<o:p></o:p>

 近来巨星しきりに堕つ。ヒトラーの死は予期の外にあらずといえども、吾らの心胸に実にいう能わざる感慨を起さずんばやまず、彼や実に英雄なりき!<o:p></o:p>

 当分の歴史が何と断ずるにせよ、彼はまさしく、シーザー、チャールス十二世、ナポレオン、アレキサンダー、ピーター大帝らに匹敵する人類史上の超人なりき。吾らは彼を思うとき、彼と同じ空の下に生くるを想うとき、今が悠遠の世界史上、特記さるべき英雄時代、暴風時代、恐怖時代、栄光時代、いわゆる歴史的時代なることに想倒せずんばやまず、一種異様の昂奮を覚えざるを得ざりき。<o:p></o:p>

 ヒトラーの歴史的意義、人物評価は百年の後に知らざるべし。<o:p></o:p>

 (戦後六十余年、ヒトラーの評価は固まっていると思うのですが、まだ百年には大分時間があります。しかしユダヤ人虐殺の暴挙一つとってもその評価は言わずもがなでありましょう。)<o:p></o:p>

 午後皮膚科授業中、蝋製の各皮膚疾患の模型を見る。<o:p></o:p>

 或いは腹部の皮斑、乳房の丘疹、頭部の結節、肩部の瘤種、胸部の膿疱、顔面の水疱等、患部はもちろん、その肉体の色、ふくらみ、小皺、毛穴、毛髪等あたかも生けるがごとく、実にぶきみなるほど見事なる蝋人形なり。<o:p></o:p>

 余ははじめほんものなるかと思い、触るに固く、いかにしてかくまで見事に腐敗を防ぎしならんと不思議にたえざるほどなりき。<o:p></o:p>

 三分、五分熟視するに、この蝋人形実物の人間以上に妖しき美、肉感を以って余の情感を襲わんとす。ああ、この手腕を以って天下の美女を製作せば如何。往来三町に見る百人の凡女凡婦の生けるより優れることいくばくぞ。この病的陶酔、この不可思議なる恍惚、余ははじめてポーやボードレールの感興を悟り得き。<o:p></o:p>

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独の降伏説は、ベルリン防衛総司令官ヒムラーより出でし模様。新総統デーニッツ、ヒムラーの家族を捕縛す。実に血で血を洗う敗戦の相なり。<o:p></o:p>

 ヒムラー何者ぞ、彼はわずか一週間前に「祖国を裏切り敵に屈服する卑怯者は断乎銃殺せられるべし」と全ドイツ民衆に布告したる人間にあらずや。何が何だかさっぱりわからず。<o:p></o:p>

 オランダの独軍、米英軍に屈し、イタリー戦線のドイツ全将兵もまた無条件降伏す。ベルリンはついに抵抗を中止し、ゲッペルスは自殺せりと。嗚呼ドイツ、何たる恐ろしき最期ぞや。<o:p></o:p>

 夕、鈴木首相より、日本はなお戦いぬかんとの放送あり。勿論なり。<o:p></o:p>

 しかれども風呂屋にゆけば民衆の顔みな憂う。いくら憂いても憂い足らざる顔なり。<o:p></o:p>

 サイパン落ちてみな悲しみき。しかもその結果の恐るべき、なお当時の悲しみに千倍するものなりき。ドイツの降伏の結果、おそらく今の憂いに万倍する苛烈さを以って、日本に雪崩れかからん。人これに対していくばくの覚悟ありや。米英軍は、全世界の艦船兵力をあげて大挙日本の攻撃を開始せん。ソ連、また北方より襲い来る公算、十中八九。しかも吾戦わん!