よね (茶を淹れながら呆れ顔で)あんたも人が悪いね、承知してて英さんの話はしょってるんだから。英さん、さっきの綾ちゃんの事、訊きたくているんでしょう。<o:p></o:p>
英輔 まあ…<o:p></o:p>
謙三 へへへっ、あの娘[こ]はね、一週間ほど前か、上野からここの駅前へ移ってきて靴磨きしてる娘なんだよ。上野じゃ実入りも多かったらしいんだが、何かとチンピラや浮浪児が悪さしかけるんで、居たたまらなくて来たらしいんだ。満州からの引揚者でね、あっちで現地召集ってのかい、父親はそんで戦死。残された家族はええと……<o:p></o:p>
よね お母さんと弟、あの子と三人よ。<o:p></o:p>
謙三 それが気の毒じゃないか、満州の、満州っちゃ広いんだろう、そこをソ連軍や満人に追われて逃げ惑ううち、あの娘は皆とはぐれちまったんだよ。<o:p></o:p>
よね だけどねえっ……<o:p></o:p>
謙三 そうよ、逃げるさなか、もし家族が離れ離れになったら、上野駅の大天井の改札口で、夜の九時に待ち合わせようって決めてたそうだ。それであの子は引き揚げの情報が得やすい上野で、靴磨きを始めたそうなんだ。だから毎晩仕事を終えると改札口に立つそうだよ。でも言ったような訳でこっちへ来たんだよ。<o:p></o:p>
英輔 うーん。<o:p></o:p>
謙三 唸ってるね。健気なもんだよ。<o:p></o:p>
よね あの娘、上野に居た時は地下道で寝起きしてたそうよ。初めて来たとき何か事情が有りそうなんで……<o:p></o:p>
謙三 このお節介が色々と訊き出したってわけなんだ。貯めてた売り上げ、ごっそりチンピラに巻き上げられたこともあるそうだ。<o:p></o:p>
英輔 うーん。<o:p></o:p>
よね こっちへ来たって寝るとこがないって言うんだろう、気の毒になっちゃって、あたしたちが焼け出された時、一時間借りしてたとこがあるだろう、五丁目の焼け残りの……<o:p></o:p>
英輔 ああ、俺が復員してきた時転がり込んだ、あの時の小母ちゃんのとこ?<o:p></o:p>
よね 無理矢理頼んで置いて貰ったんだよ。家に置いてもいいんだけど……<o:p></o:p>
謙三 家にゃ、ご存知炬燵が出入りしてるからね、そうもいかなかったんだ。<o:p></o:p>
英輔 それはそうだ。<o:p></o:p>
謙三 ?……まあいいか。<o:p></o:p>
英輔 (構わず)そうか、そう言うことか。分かったよ。(意を決したように)よし、駅前に朝市手伝わせている、気心の知れた奴がいる。其奴にあの娘に手出しはならねえって、よく若いもんに徹底させろって釘をさす。これでどうだろう?<o:p></o:p>
謙三 どうだろうって……英さんが力になってくれりゃあこんな力強いことはない。なあ母さん。<o:p></o:p>
よね それはそうよ。<o:p></o:p>
英輔 俺も、これからは駅前にまめに足はこんで、あの娘に目え配ることにするよ。小母ちゃん、あの娘が親子再会を果たすまで、守ってやろうよみんなして。よし、そうと決まればこうしちゃ居られない、ちょっくら駅前、それとなく見廻ってくるよ。(慌てて飛びだして行く)<o:p></o:p>
謙三 (開けっ放しの戸を閉めながら)鉄砲玉だよ。<o:p></o:p>
よね 英さん、綾ちゃんに一目惚れだね、あの調子では。でも好いね若いっちゃ。<o:p></o:p>
謙三 「特攻崩れと焼け跡の乙女」ってとこだなさしあたっては。<o:p></o:p>
よね 特攻崩れはないよ、英さんに気の毒だよ。「元特攻隊員と焼け跡の処女」ってのはどう?<o:p></o:p>
謙三 うーん、処女ねえ……満州の広野から海を渡ってやっとの思いで辿り着いた日本。いろんな事があったと思うよ恐らく、口には出せない辛い事がな。<o:p></o:p>
よね (思わず手拭を目に当てる)そうだよねえ……そうだよねえ……<o:p></o:p>
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暗転<o:p></o:p>
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(2)<o:p></o:p>
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舞台溶明、数日後の朝謙三の店。英輔店前で駅からの道をしきりに気にしている。出入りする客が腰をかがめ挨拶をしていく。下手から綾子が大きなカバンを肩に小走りで来る。<o:p></o:p>
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英輔 ようっ。(片手を上げる)<o:p></o:p>
綾子 (はにかみ)お早う御座います。<o:p></o:p>
英輔 丁度いいや、店空いてるよ。俺も今来たところだ。一日一回はここの雑炊食べないと気がすまないんだ、特に朝はね。(先に立って店に入る)<o:p></o:p>
謙三 いらっしゃい。あれっ、(二人を見て目を丸くしよねを小突く)<o:p></o:p>
よね あらっ、二人揃ってなんかあったの?<o:p></o:p>
謙三 余計なこというな。(小声で)バカ。<o:p></o:p>
英輔 店の前で偶然会ったのよ。綾ちゃん、雑炊でいいだろう。<o:p></o:p>
よね 綾ちゃん?<o:p></o:p>
謙三 いちいちうるさいよお前は、バカ。<o:p></o:p>
よね なによ、朝っぱらからバカ呼ばわりしないでよ。(ふくれる)今朝は雑炊じゃないのお生憎様、すいとんよ英さん。<o:p></o:p>
英輔 すいとん?(綾子と向かい合って腰を下ろしながら)すいとんだって……<o:p></o:p>
よね 綾ちゃんは雑炊よりすいとんのが好きなのよね。<o:p></o:p>
英輔 俺もどっちかといえばすいとんのが好きなんだ。丁度いいや。<o:p></o:p>
よね そうだったかね、英さんすいとん見ると、親の仇に会ったみたいだなんて言ってなかったっけ?<o:p></o:p>
謙三 (よねを睨みつけながら)あいよ、すいとん二つだね。(と厨房に入る。よね綾子の隣に掛ける)<o:p></o:p>
綾子 (嬉しそうに)小母さん、英輔さんたら一日に二回も靴を磨きに来てくれるんです、あれから。<o:p></o:p>
謙三 (厨房から顔を出し)二回もう。<o:p></o:p>
よね あれからって?4<o:p></o:p>