うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その七十九

2009-12-31 05:22:45 | 日記

今年も来ました大晦日<o:p></o:p>

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 年内にすべきこと、今年は大いに手抜きをして滞りなく終わりました。後は定番行事としては年越しそばを食することだけとなったわけであります。<o:p></o:p>

従いまして今日一日いかに過ごすか、早々と目覚めての課題でして、まあパソコンかテレビの前に鎮座する以外に予定はありません。問題は夜になってからでして、これは毎年選択に苦慮する課題なのです。<o:p></o:p>

 こんなこといい年をした大の男?が、ぐたぐた問題にすることではないと、これも毎年思ったりすることなのであります。即ち、夜のテレビ番組で、何を観るかに神経を使うのです。一つは大晦日の国民的行事なんていわれる「紅白歌合戦」を観るか、それとも12チャンネルの「年忘れにっぽんの歌」を観るか、それが問題なのです。<o:p></o:p>

 紅白はここ数年演歌歌手の登場が少なく、もっぱら横文字の歌が、まあ若者向きの踊りを交えた歌が全盛でして、一寸馴染めないところがあるのです。それで最近はもっぱら年忘れの方を、なにしろこちらは演歌のオンパレードなのですから、どうしてもこっちということになります。でも紅白にも未練があるのですよ。しかし今年はそのほかに頭を悩ます強敵が出現して、選択肢が一つ増えてしまったのです。これは大変なことなのです。<o:p></o:p>

それは6チャンネルの格闘技です。これも毎年大晦日に登場するのですが、無視し続けていました。それが今年はちょっと雲行きが怪しくなってきたのです。それというのも、北京オリッピックの柔道で金メタルを獲得し、何かと話題を撒いた石井慧選手が格闘技に転向し、今夜初登場というビッグイベントがあるのです。<o:p></o:p>

あれも観たし、これも観たしで大変なのであります。石井選手が登場する時間が分かれば問題ないのですが、これがまた敵もさるものはっきりしないのです。大方メインイベントに組まれ最後に登場とは思うのですが、<o:p></o:p>

寅さんに困惑させられる御前様ではありませんが、朝っぱらから「コマッタ、こまった、困った、」なのであります。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その七十八

2009-12-30 06:04:32 | 日記

親父になにかと仕草が似てきました<o:p></o:p>

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自分の今の仕草が、はてな、この格好どっかで見たことあるぞと、遠くを見るような気分になることが最近しばしば起きます。それは自分でこれは親父のやっていたことだと気付いたり、端から指摘されたりします。それは殆どかみさんからで、あまり感心できる所作ではありません。<o:p></o:p>

最近やたらに欠伸が出ます。かなり度外れた音声を発します。「あふぁああー」と大きく傍若無人に二度繰り返します。「おじいちゃんそっくり」とかみさんは呆れるより怒ります。そういえば親父もこんな欠伸を念入りにしてて、お袋を呆れさせていたなと、懐かしく思ったりするのです。<o:p></o:p>

まあ、犬の遠吠えを多少アレンジした発声で、かみさんが怒るのも無理はありません。「下まで聞こえるじゃないの、何事かと思うわよ。」下に気づかうわけです。あたしとしては気分転換になるのですが…。<o:p></o:p>

後は夜寝ていていつの間にか右手にこぶしを握り、おでこに当てていて、何か考えている格好を自然と作っているのです。これも親父が晩年やっていた寝相です。今の自分は別に何も考えているわけではなく、気分が多少和らぐというか、リラックスするのです。親父もきっと楽な気分になっていたのかも知れません。「おじいちゃんそっくりよ、その格好。」かみさんこれは笑ってすまします。<o:p></o:p>

あとはこれも床に付いてからのことですが、仰向けに寝ていて自然と両膝を立てているのです。この姿勢楽なことは楽なのですが、気が付くと止めるようにしています。というのも親父は床から出ることが無くなってから、ずっとこの姿勢を崩さなかったのです。そのため息を引き取ったときもこの姿勢でしたので、いざ納棺というときに立て膝が邪魔して、棺桶の蓋を閉じることが出来ない事態になったのです。葬儀社の人が一言事情を説明してから、力をこめて両膝を伸ばしました。ポキポキと不気味な音がして素早く蓋が閉められました。<o:p></o:p>

いずれにしましても悪いところばかり似てきているわけでして、我ながら親父の死んだ齢に近づくにつれ、すべてにおいて似てきたと、それもそっくりだと呆れているこの頃なのです。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その七十七

2009-12-29 07:44:11 | 日記

暮れの二十八日<o:p></o:p>

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わが家では昔から二十八日に年内の雑事を、そういっていいか分かりませんが、すべて完了する慣わしになっています。もちろん昔といっても親父のころからですが、これは多分にお袋の実家の習慣を引き継いでいるように思われます。<o:p></o:p>

そんなわけでして昨日は朝から結構、一日バタバタしてしまいました。いい具合に二人の孫はそれぞれに学校、勤めと休みでお出かけ、娘も勤めで早い時間帯からかみさんと二人きりです。先ずはと炬燵の下の絨毯のカバー、そしてかけ布団のカバーを取替え、かみさん洗濯機を廻します。<o:p></o:p>

昨日は朝から天気はどんよりと雲が一面に切れ目がなく、予報はどうやら外れ、一向に日差しが見られもせん。それより今にも降りそうな気配さえ見せますので、かみさんカバー二枚を軒下に苦労して干しています。<o:p></o:p>

カレンダーを新年のに、居間と私の部屋のを取替えます。これは毎年苦労するのですが、巻いてあるのをほどいて伸ばすのが一仕事であります。逆に丸めてみたりして掛けるのですが、変にしなって落ち着きません。それで前日から二人して座布団の下にして座っています。<o:p></o:p>

一番いいのは敷布団の下にして寝押しするのが一番なのですが、そこまでは大袈裟と実行はしていません。<o:p></o:p>

二人で買物に出ます。結構スーパーは混み合っています。知人二組と出会いますが、これも暮れの一コマと言えます。皆さん買物を早々と済ましたいのでしょう。それぞれになんとなく幸せを噛みしめているような風情に見えたりします。メモしてきた紙片を見ながら品物を吟味しますが、それぞれメーカーは全国区と土地のメーカーのとに大別され、全国区の有名メーカーのが、幾分高めといったところです。<o:p></o:p>

数の子、伊達巻、栗きんとん、蒲鉾、黒豆、お多福豆、鰊の昆布巻きといったところがわが家のお節の定番であります。今年は孫たちの希望で洋風のお節とやらを、婿殿が買ってくることになっていますので量を控えます。それでも結構な金額になりました。後はパックになったお餅、そして八つ頭を買いますが、これはかみさんの腕の振るいどころで、入念に袋詰めの上から形や、大きさを選んでおります。<o:p></o:p>

そのあと、お飾り、鏡餅。お正月用の仏様のお花は、松と万両が彩りを添えています。それらを精一杯小振りなのを選んで買います。<o:p></o:p>

帰って手早く飾りものを玄関のドアに掛け、仏壇に鏡餅とお花を飾りました。これで新年を迎える準備完了といったところでしょうか。<o:p></o:p>

あとは大晦日に年越しそばを買うだけです。いえ、あたしには一つ仕事が残っていました。それは数の子の塩抜きでして、これは程よい塩味を残すのに苦労します。<o:p></o:p>

人間自分の好物となると骨身を惜しみませんね。といったところで二十八日は暮れていきました。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 ことわざ・成句を散策 18

2009-12-28 05:21:23 | 日記

ことわざ成句使い方辞典から<o:p></o:p>

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 生き馬の目を抜く 生きている馬の目を抜くほど、素早く人を出し抜くこと。抜け目がなくて油断がならない様を言います。別段それなら馬でなくてもいいと思いますが、まあそれは置いときます。使い方としては、「この業界の競争は生き馬の目を抜くほど厳しい」。<o:p></o:p>

 誤用として二点ほど挙げています。<o:p></o:p>

 受身にして「人に出し抜かれる」の意で使うのはややなじまないとしております。「すきを見せるとすぐに生き馬の目を抜かれる時代ですから」<o:p></o:p>

 驚きの形容に使うこと、「生き馬の目を抜かれるほどびっくりした」これはいけません。<o:p></o:p>

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 行き掛けの駄賃 あることのついでに別のことをして利益を成すことを指します。または悪事をおこなっていて、ついでに別の悪事に手を出すことを言います。<o:p></o:p>

 「駄賃」は駄馬で人や物を運ぶときの賃金でして、馬子が問屋などへ荷物を取りに行くついでに、ほかの荷物を運んで手間賃を得たことから言われています。<o:p></o:p>

 現在では有る事についでによからぬことを仕出かしたり、悪事のしついでに、もう一つ悪事をかさねることに使うことが多いようです。<o:p></o:p>

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 息が長い 活動期間が長い、長い間にわたって続いていること。<o:p></o:p>

「教育の仕事は息が長い」。文章で、読点と読点の間が長く続いていること。「あの小説家の文体は息が長い」とか「彼は息の長い文を書く」。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その七十六

2009-12-27 04:23:43 | 日記

高校授業料の無償化<o:p></o:p>

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 来年度の予算案が発表になりました。先ずは政治の針路がいかなる形を取ろうと、一応は評価して今後を見守るしかありません。矢は放たれたということでしょう。小生としてはマニフェストから後退したりして、あれっと不信感も湧いてもきましたが、何よりも高校授業料の無償化には良かったと思わずにはいられません。<o:p></o:p>

 後は子供手当てとか、父子家庭に母子家庭と変わりなく補助金が支出されることなどに、ホットさせられました。いろいろ参議院選挙を見込んでのばらまきとか言われていますが、与党としてはこれは避けられない宿命と達観する以外ありません。<o:p></o:p>

 それより歳入の大幅な落ち込みで、歳出とのアンバランスが今後に残された課題と思います。こんなことを新聞を読んだり、テレビを観たりしていて、頷いたり首を傾げたりしていましたが、ふと、昔のことに思いが馳せました。そうです、美濃部都政時代のことです。<o:p></o:p>

 美濃部さんは1967から1979年までの12年間3期にわたり都知事を務めました。そうなんです、美濃部都知事の時代に娘は高校教育を終えています。美濃部さんはその間、老人医療無料化、高齢住民の都営交通の無料化、老人医療費の無料化など福祉政策に力を注ぎました。しかしその反面東京都を当時前代未聞の財政難に転落させて、後々まで批判を浴びました。<o:p></o:p>

 当時娘は都立高校に入学できて、おまけに学校群とかの制度で通学は徒歩でした。それに制服はなく、入学に際して殆ど出費はありませんでした。それよりなにより、学校に納入する月謝をはじめ諸費用は銀行振り込みでしたが、月謝が雀の涙ほどではっきりした金額は忘れましたが、確か500円程度だったはずです。ですから振込みの金額は修学旅行費が主だったのです。美濃部、様様だったわけです。<o:p></o:p>

 それで今回の高校の授業料の無償化は、親たちにとって何よりの朗報だったと、人ごとながら喜ばしく思いました。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 ことわざ・成句を散策 17

2009-12-26 05:45:16 | 日記

ことわざ成句使い方辞典から<o:p></o:p>

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 家貧しくして良妻を思う 貧乏するとしっかりと家計を切り盛りしてくれる妻を得たいと思う。そう有りますが、どうもかみさんに下駄を預けるなんて、ちょっと気に入らぬ諺であります。   使用例として、「年金暮らしになると家貧しくして良妻を思うの一言が身にしみるよ」これも再考の余地ありそうです。<o:p></o:p>

 出典として中国の戦国時代の政治家、李克の言葉に、「家貧しくしては良妻を思い、国乱れては良相を思う」からとありますが、国乱れて……のほうに比重があるのかも知れません。<o:p></o:p>

 家を使う成句として。<o:p></o:p>

 家貧しくして孝子顕れ、世乱れて忠臣を識る。(宝鑑)・積悪の家には必ず余殃あり・積善の家には必ず余慶あり・雌鳥歌えば家滅ぶ。<o:p></o:p>

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 鋳型に嵌める 使い方としてどれもこれも同じように、特徴のないものを作りあげる。たとえば「鋳型に嵌めたような教育では、子供たちの個性は伸ばせない」とあります。<o:p></o:p>

 また丹羽文雄の小説「顔」から例をとっています。四十五も年上の良人につかえてたあいだに、私はすっかり常識的な鋳型にはめられてしまったのだ。<o:p></o:p>

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 怒り心頭に発する 激しく怒る、激怒すること。「無礼な振る舞いに怒り心頭に発する」「怒り心頭に発して憤然として席を立つ」いいですね。一生に一度ぐらいこんな状態に遭遇してみたいです。<o:p></o:p>

 「心頭」はこころ、「に」は「~において」、「発する」は、外へあらわれ出る意で、心中の怒りを制御出来ない事を言います。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 ことわざ・成句を散策 16

2009-12-25 02:05:28 | 日記

ことわざ成句使い方辞典から<o:p></o:p>

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 安心立命 強い信念、信仰によって心の平安を得て、何事にも心を動揺させないことを指します。「安心立命を願う」「解脱して安心立命を得る」と使います。<o:p></o:p>

 「安心」は仏教語で、信仰によって心を落ち着ける意。「立命」は儒教の語で、天命をまっとうする意とあります。<o:p></o:p>

 仏教では、「あんじんりゅうめい」「あんじんりゅうみょう」とも言います。<o:p></o:p>

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 はこの位にしてに入ります。<o:p></o:p>

 言い得て妙 巧みに言い表しているさまを言います。例えば「腹の皮が張れば目の皮が弛むとは言い得て妙だね」なんて使います。妙とはきわめてすぐれていることです。<o:p></o:p>

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 言うだけ野暮 誰でも知っていることをことさらに、口にするのは馬鹿げているといった意です。「言うだけ野暮だが、遊んでいては食えない」「言うだけ野暮かもしれないが、彼女には近づかない方がいい」<o:p></o:p>

 いまさらそんなことは言うまでもないがという気持を込めて、使います。<o:p></o:p>

 「野暮」は世情に疎く、融通が利かないこと。そして「野暮」は当て字といいます。<o:p></o:p>

 なお念入りに補説とあります。<o:p></o:p>

 「聞くだけ野暮」は、誰でも知っていることを、ことさら尋ねるのは馬鹿げている意。<o:p></o:p>

 「誰に惚れただなんて、聞くだけ野暮だよ」そんな会話をその昔、友人と交わしたような交わさなかったような。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 ことわざ・成句を散策 15

2009-12-24 06:10:40 | 日記

ことわざ成句使い方辞典から<o:p></o:p>

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慌てる乞食は貰いが少ない 仲間より施しをたくさん貰おうと慌てる乞食は、かえって施す人に欲心を見透かされ、かえって貰分を減らしてしまうこと。即ち慌てて利益を得ようとすると、逆効果になるという例えであります。<o:p></o:p>

この諺は巷間人々の何かといえば口にしたことと思われます。例えば特売などで、つい先を急いで早足になると、「そう急ぎなさんな、慌てる乞食は貰いが少ないっていうじゃないか。」<o:p></o:p>

ただし「急がば回れ」の意で「今はラッシュ時だからタクシーよりも地下鉄で行った方がよい。慌てる乞食は貰いが少ないよ。」と使うのは誤りとします。<o:p></o:p>

似た表現として「慌てる蟹は穴へ入れぬ」これはなかなか良いと思います。<o:p></o:p>

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鮑の片思い 磯の鮑の片思いとも言います。鮑の殻が二枚貝の片方だけのように見えることから、「片思い」を洒落ていう言葉です。「彼の恋は鮑の片思いに終わりそうだ」。<o:p></o:p>

鮑はミミガイ科の巻貝。殻が皿の形を成しているので、二枚貝が片方の殻を忘れてきたように見えます。<o:p></o:p>

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いずれが菖蒲か杜若 「あやめ」も「かきつばた」よく似ていて区別が付けにくいことから、いずれも優れていて選択に迷うことの例えであります。<o:p></o:p>

補説として、どれもこれも似たり寄ったりで、特にすぐれたものがないときは「団栗の背比べ」と言い、「応募作品は団栗の背比べであり、決していずれが菖蒲か杜若で、どれもこれも平凡だね」とは使いません。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その七十五

2009-12-23 05:18:06 | 日記

下の孫娘が新型インフルエンザに<o:p></o:p>

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 土曜日の午後大学のイベントから孫が帰ってきました。マスクをしていて様子が変ですので、どうしたと聞きますと風邪引いたみたい、新型かも。そういって玄関脇の食堂と隣り合わせの居間に立て籠もります。まさにその字句通りでして、中央のテーブルを端に押しやり、ソファーを下げて二階の自分の部屋から毛布、掛け蒲団を運びこみます。そして食堂との境のガラス戸を閉め早々と横になります。手際よく隔離部屋を作ってしまった格好です。自分の部屋は姉と一緒なので、感染を防ぐために考えたようです。<o:p></o:p>

 そして入って来てはダメよ、きっと新型よ。友達が何人も次々と罹っているからと熱を測っています。「七度ちょっと」そういって蒲団にもぐり、テレビをかけ、携帯をいじっています。「お腹空いてないの、」とかみさんが言いますと、「空いてない」とガラス越しにあたしらに手を振って見せます。昨日までのやんちゃ娘が、一挙に大人になったようです。考えたら来年は大学も三年生、それに成人式です。家族に感染させないために自分なりに隔離の処置を講じたわけで、その手際のよさにはいささか感心といったところであります。<o:p></o:p>

 とにかく母親が帰らなくては話にならないので、じっと様子を見守るしかなく、早々の帰宅が待たれました。娘は既に携帯で連絡をとっていて、帰るとマスクをして居間の入り口に消毒液を配置したりして、物々しい雰囲気となります。娘の言うには今日明日と医者は休日の当番医にかかるしかないが、直ぐには確定的な診断はなされず、結局月曜日に掛かりつけの医者にかかって指示を受けなくてはならないと言います。<o:p></o:p>

 熱は幸い七度一寸なので安静に寝かせておいて、月曜日に医者に行くように方針を立てています。あたしはそれがいいかも知れんな、とにかく部屋を暖かくして、食事をちゃんと摂り、安静にしているのが一番と、もっともらしく助言します。<o:p></o:p>

 翌朝月曜日に二人は医者へ早々と出掛けます。どうもこちらとしては落ち着かないので、かみさんと二人で庭の掃除に耽ります。コスモスの茎を抜き取り、落葉を掻き集めてせっせと袋に詰めます。思いもかけずに庭の掃除ができたわけです。<o:p></o:p>

 娘たちが帰ってきます。やはり新型ということで薬も頂いたことだし、とにかく一安心。後はただただ安静第一にしていれば快復は早いと思います。<o:p></o:p>

 上の孫は二日間保育所を休まねばなりません。家族に新型の患者が発生したときは、休まなくてはならない規則だそうです。これも致し方ないことと言えます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 ことわざ・成句を散策 14

2009-12-22 05:39:23 | 日記

ことわざ成句使い方辞典から<o:p></o:p>

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過ちては改むるに憚ること勿れ 過失を犯したら、ためらうことなく直ぐに改めよということで、いい訳を考えるより、二度と同じ過ちを繰り返さないことが肝心ということです。<o:p></o:p>

小生にとって実に耳の痛い諺でして、その昔は反省に次ぐ反省の連続でした。<o:p></o:p>

なお誤用としては、慰めに使うのは適切でないと説きます。「一度や二度の失敗でくよくよするな。過ちては改むるに憚ること勿れだ」といったとこです。<o:p></o:p>

イギリスの諺に「過つは人の常、許すは神の心」なかなかいい諺です。神様に事後を委ね、後は知らぬ半兵衛ではないでしょうが。<o:p></o:p>

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蟻の穴から堤も崩れる 僅かな油断や不注意から大事が起こることのたとえであります。小事をないがしろにするなという諌めの語です。<o:p></o:p>

失策を省みて使うのは誤りと諭します。「強行作戦が裏目に出た、蟻の穴から堤も崩れるだ」<o:p></o:p>

似た語として「小事は大事」「油断大敵」。このほうが簡潔で大仰な言い回しより分かりやすいです。<o:p></o:p>

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蟻の這い出る隙も無い 逃げ出すための隙間もないほど警戒が厳重なことを指します。「検問が厳しくて蟻の這い出る隙も無い」「敵にすっかり包囲されて蟻の這い出る隙も無い」などと使い、あの小さな蟻が逃れ出る穴すらない密封状態の意から、「水も漏らさない警備、防備をいいます。なお、立て込んでいる、緻密な状態の意で使うのは誤りと説きます。<o:p></o:p>