うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む31

2010-02-28 05:50:51 | 日記

風太郎氏、意気軒昂であります<o:p></o:p>

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 われらは死なん。死は怖れず。しかも日本の滅ぶるは耐え難し。白日の下悵然として首を垂れ、夜半独り黙然として想うは、ただ祖国の運命なり。自らの死生如何にあらず。死ねばよしで済まざるなり。武士道とは死ぬことと見つけたり、後に結果としてみれば各個人の気構え態度はそれでよからん。されど、その渦中にありては、ただおのれ死生のことき小事は、みずからの心を安んずる信念の楔としては足らざるなり。<o:p></o:p>

 午前四時B29一機来。午後二時四機来。<o:p></o:p>

 二月二十二日() 雪<o:p></o:p>

 明くれば粉雪。路上背をまろくしてゆき交う人々、三角の防空頭巾、モンペ姿、迷彩せるビルをしばらく視頭に消して、暗澹の乱雲を幻想せば、景あたかも北国のごとし。<o:p></o:p>

 吹雪ついてB29一機正午来襲。<o:p></o:p>

 二月二十三日() 晴<o:p></o:p>

 雪凪ぎて美しき晴天。進級試験日程発表さる。<o:p></o:p>

 硫黄島に特別攻撃隊出撃、空母二隻撃沈せりと。<o:p></o:p>

 二月二十四日() 晴<o:p></o:p>

 本日を以って第一学年の課程終了。三月一日まで休暇。(ただし二十七日午前は、余は防衛当番)。三月二日より一日おきに進級試験。十二日に終わり、以後三月末日まで補講。佐々教授、右の日程を発表後、当番日に来らざる者、試験終わるやただちに帰省するがごとき者はみな落第せしむといい、みな大笑いす。(空爆下、身の危険を師弟共々回避しながらの授業の継続、医学校という特色もあってのことでしょうか瞠目に値します)<o:p></o:p>

 ドイツ西部戦線、米英軍攻撃開始、ドイツ小学生をも前線に動員、悲壮の極みなり。ドイツよ、その闘魂を永遠に失うことなかれ。たとえ今次大戦に一敗すとも、その精神あらんかぎり、やがて烈々の火災となりて再び三度、世界の強国として再起するや必せり。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む30

2010-02-24 06:39:46 | 日記

風太郎氏、民衆の声に不満あり<o:p></o:p>

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 (空襲の日常化、そして硫黄島への上陸や、姿見せぬ連合艦隊に業を煮やす庶民の焦燥ち、庶民の声は辛辣さを増していくようです)<o:p></o:p>

 「政府はいったい何をしているんだ?」<o:p></o:p>

 「海軍は、日本海軍はすべて海底にありという敵の宣伝も、これじゃ信じないわけにはゆかないじゃないか!<o:p></o:p>

 「硫黄島はもう駄目だな。いや、日本はもう駄目だな。だんちがいだ。手も足も出ないとはこのことだな。公平に見て、日本は絶対にかちめがないな」<o:p></o:p>

 「この戦争を始めたのはいったい誰なんだ? 一大誤算だったんだ。近衛さんはやっぱりえらかったな」<o:p></o:p>

 国民とはすなわち衆愚なりとの(しるし)、騒然と波打つ街頭に歴として出現す。<o:p></o:p>

 (国民の声に風太郎氏、少なからず怒りを感じているようです。神国不滅の精神からでしょうか、憂国の情熱ひしと披瀝します)<o:p></o:p>

 西にドイツ潰えんとして、東に敵艦海を覆い、敵機空を覆わんとす。しかも米の富強、なお余りありて、英、ソ、支に莫大の武器を注入す。一を以って十を撃つも及ばず、百を撃たんか、一を以って百を撃つものは科学と精神力なり。科学は如何、日々のB29の来襲ほとんど傍若無人にあらずや。ああ、日本をこの危機に陥らしめたるもの。みそぎや、神風や、かかる荒唐無稽なるものを以ってすべてに勝れりとなす固陋卑怯の政治家、職業的精神主義者、神がかり的狂信者どもなり。<o:p></o:p>

 性能劣れる兵器を以って卓抜する千倍の敵を撃たんとす。戦術も手をこまねき精神力も圧倒せられざるを得んや。この機動部隊を粉砕し、硫黄島の敵を駆逐し、比島奪回に成功し、しかも長躯広茫の太平洋を越えて米本土を制圧せんとす。あに夢といわずして何ぞや。ああ、必勝の信念堅持することの難きかな。(この慨嘆、当時の日本人の大多数が、心に秘めていたものなのでしょうか。) 


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む29

2010-02-21 06:26:46 | 日記

B29の残骸<o:p></o:p>

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 三時半ごろ警報解除。新宿駅付近の撃墜機の残骸を見んと、第一劇場前を新宿駅南口の方へ上がるに、見物の群集雲霞のごとく、ゆく者あり、帰る者あり、壮観なり。鉄道病院のかなたより、白煙空を覆いて渦まき流る。左方の民家の物干し台二つに割れて陥没す、かの補助タンクの落下跡なりと。<o:p></o:p>

 消防団所々に縄張りして群集をとどめ、残骸見ることを得ず、空しく帰る。群衆の中を黄色の自動車煙の方へ急ぐ。ちらと見たるに、これ防衛総司令官東久邇宮殿下なりき。(都心に敵機が墜落、その現場に群集が集まるとは、既に本土そのものが戦場と化しているわけでして、驚かざるを得ません)<o:p></o:p>

 大本営発表によれば、本日来襲のB29は百機内外なりと。<o:p></o:p>

 二月二十日() 晴<o:p></o:p>

 朝七時警報発令。すわ、またも艦載機群来襲なりと、はね起きる。東部軍管区情報に曰く、敵機動部隊本土に近接中なりと。<o:p></o:p>

 昨日の墜落機より飛び下りたる敵飛行士、所もあろうに三宅坂の航空総本部に落下せる由。むろんただちに捕虜となる。敵都を襲いてなお生きんとする敵の心理、つくづく合点ゆかず。(生きて虜囚の辱を受けずなる戦陣訓が、学生達にも浸透している恐ろしさといったところです)<o:p></o:p>

 二月二十一日() 晴午後曇<o:p></o:p>

 敵ついに硫黄島に上陸を開始せり。同島周辺の敵艦船約八百隻なりと。飛行機を以ってせば皇城を去ることわずか三時間、しかも吾らにとりてはこの島太平洋の孤島なりと断腸の言吐かざるべかざると、新聞論調沈痛をきわむ。<o:p></o:p>

 この島、例のごとく喪わんか、帝都は文字通り四時敵の戦爆連合の乱舞にさらさるのほかなし。「房総海岸に敵は上陸を開始せり」と発表せらるるも決して荒唐無稽のこととは思われざる事態現前せり。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む28

2010-02-20 06:36:35 | 日記

空襲下、空中戦目撃<o:p></o:p>

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 二月十八日() 晴<o:p></o:p>

 昨夜十一時、今日午前二時半敵反覆来襲。<o:p></o:p>

 本大戦のもたらす最大の史的影響。英国の王冠落つること。日独勝つも、米ソ勝つも、いずれにせよこのことは避くべからず。<o:p></o:p>

本大戦の真因。地球に人間の増え過ぎたること。人間或る程度まで増加すれば、みずから相食みてたがいにこれを殺戮す。神意あるとせば、この人間のみずからなしつつ、みずから如何ともする能わざる勢いというか。<o:p></o:p>

 二月十九日() 晴<o:p></o:p>

 午後一時より故木村院長供養式。このときB29大編隊南方より近接中なりとの報伝えらる。横鎮情報(横浜か横須賀の鎮守府のことか?)なり。しかもサイレン鳴らず。式終わりて帰途につく。今日は名古屋の番なるべしといいつつ笑いたるに、ついに警報発令。新宿駅のホームにて空襲警報となる。<o:p></o:p>

 棒を振りたてどなりつける警棒団員に青梅口より追い出され、柳原、神倉とともに学校に引返さんと走る。……B29一機ちょうど頭上にさしかからんとし、わが戦闘機これを激突せんとし、敵狼狽して補助タンクを空に投げ、タンクを投げたるが先か、戦闘機の体当たりせるはそのあとの印象なるか、ただ空に投げられたる銀色の物体がタンクなりや爆弾なりやもその時知らず。ああーっというがごとき群集の恐怖のうめきと動揺を背に、次にわれが見たるは白煙ひきつつ堕ち来るB29の巨体なりき。<o:p></o:p>

 翼銀色にきらめきつつ、まさしく頭上にみるみる拡大して堕ち来る。ガード入り口の悲鳴に、奥の者は波のごとく外へ出でんとす。入り口の者は奥へ逃げんとす。みな、叫びしか、うなりしか、記憶せず。ただ記憶するは、男、女、子供、老婆ら、無数の見ひらかれたる瞳孔、ひきつれる蒼白の頬、力一杯あけられたる口の(ほら)のみ。……。気づけば全身の冷汗びっしょり、ぬぐう間もなくみな学校に走る。……。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む27

2010-02-19 06:47:44 | 日記

敵機、飽くことなく繰り返す爆撃<o:p></o:p>

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 二月十七日() 晴、暖<o:p></o:p>

 午前七時より、敵艦載機群雲霞のごとく至りはじむ。敵の爆音ききつつ登校す。(若さでしょうか、豪胆と言うべきか。それとも連日連夜の日常化した空襲に、恐怖といった神経要素が麻痺したのかも知れません?)<o:p></o:p>

 この艦載機を飛ばしつつある敵機動部隊は、空母三十数隻を中心とする戦巡駆二百余隻の大艦隊なりとの噂なり。<o:p></o:p>

 機銃掃射は一メートル以上もの土嚢を貫通する由、たいていの防空壕はほとんど役にたたざるなり。<o:p></o:p>

 登校するにみな元気なり。されど、この敵全滅せしめられざるや、神機神機といいし神機は今にあらずや、敵を手元にひきつくるもいいかげんにすべしとて切歯慷慨耐ゆる能わざるありさまなり。日本の海軍は何している。日本の海軍?そんなものありはせんよ、海の底だい。何そんなことはデマだ、連合艦隊は厳として存在しているが、今全部隊昭南島にいるんだ、と口角の泡ふんぷん。<o:p></o:p>

 (国民はこの時点でミッドウェーの海戦で、主力空母は海底の藻屑となったことを、噂として耳に入れているのです。肯定したくない気持ながら)<o:p></o:p>

 友人たちの話によれば、昨年「余らは待たん、戦場にて逢うべし」といいすてて征きし卒業生、すでにはや戦死をとげたるもの二、三にとどまらずと。<o:p></o:p>

 午後、敵来襲次第に衰う。されどきのうにつづいて本日かくも依然として艦載機群襲来せるなれば、期待せる昨夜のわが海軍の夜襲は実現せられざりしなるべし。<o:p></o:p>

 四時警報解除。あたかも暴風の一過せしごとし。……。

 夜八時半警報発令。……B29一機伊豆より東北進、わが頭上通過して東に去る。……この両日それぞれ千機を超ゆる空爆を味わいしあとにては、B29の一機二機のごとき屁とも思われず。馴れとは面白きものなり。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む26

2010-02-18 07:22:20 | 日記

終戦まで半年、B29の跳梁凄まじく<o:p></o:p>

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二月十六日() 晴<o:p></o:p>

 朝七時警報発令。こは妙な時刻に御入来と思うに、たちまち敵艦載機群東方より関東地方に疾駆進入中なりとラジオ告ぐ。(この時期敵機襲来の詳細が刻々ラジオで発表警告されていることに、少なくとも防空網が完全に張られ、即刻警報発令の機能が働いていたことに驚かされます)。すわ敵機動部隊本土に接近せりと直感し、急遽身支度してこれを待つ。<o:p></o:p>

 これより実に午後六時まで、入れ代わり立ち代り殺到する敵機群、幾百機なるかを知らず。(どうやら今日の敵機襲来は異常なようで、さすがの防空網が混乱しているようです。それでも不気味な警報が次々と発せられてゆきます)<o:p></o:p>

 伊豆より二十機北進中なりとの声いまだ消えざるに、北東より四十機西進し来る。銚子より三十機入れば、房総より六十機入る。<o:p></o:p>

 日は白く、乱雲悠々たり。春近きを思わする中天に、大いなる月、淡き深き孤を描く。しかもその空弾幕に彩られて、東西南北より遠雷のごとき響絶えず。頭上翔けりゆく編隊、はじめてのことなればグラマンか、カーチスか。或は日本の彗星、雷電、月光、飛燕、または零戦なるか全然判別出来ず、ときにキューン……という響とともに、タタタタ……と機銃掃射のごとき音聞ゆ。おまけにマリアナのB29まで呼応進入し来る。されど各敵機主としてわが飛行場を狙いつつありと聞き、さてこそ硫黄島ないし父島母島に敵上陸なりと悲憤おく能わず。<o:p></o:p>

 (アメリカ軍が硫黄島上陸を開始した日は、昭和二十年二月十九日)<o:p></o:p>

 夕、ラジオ発表によれば、本日来襲の敵機千機以上に及ぶと。空母戦艦等三十隻より成る敵艦隊、今朝来硫黄島を砲撃中なりと。

 午後は運を天にまかせてひる寝す。而して夜は電燈をつけるなど、敵機よりも近隣に対して恐れあれば、五時よりまた寝る。ゆえに寝飽きて、深夜眼覚め、眠られざること長時、日本の運命を憂うるの念抑うる能わず。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む25

2010-02-17 06:55:31 | 日記

風太郎氏の身内に戦死者出る<o:p></o:p>

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 二月十三日() 曇<o:p></o:p>

 午後山辺中佐より「動員」と「国民総動員」について聞く。<o:p></o:p>

 二月十四日() 曇後晴<o:p></o:p>

 午前三時、十時B29一機ずつ来る。<o:p></o:p>

 河江伯母より来書。大阪の孝叔父、昨年二月八日ニューブリテンにて戦死せられしとのこと。太田の四郎兄フィリッピン沖にて昨年十一月十八日行方を絶てりとのことを伝う。<o:p></o:p>

 すでに吾は河江の勇兄をガダルカナルに失い、諸寄の勇夫叔父をフィリッピンに、泰夫叔父をビルマに失う。(身内の人たちみな軍医といいます。軍医が戦死とは、いかに戦局が悪化の一途を辿っているか一目瞭然といえます)<o:p></o:p>

 吾にとりてその性親しく、その職近し。その人を思い、戦争と運命なるものを偲びて、校庭の白き冬日の中に立ちつつ、悵然として個人と祖国について黙想せり。<o:p></o:p>

 爆弾の落つるを一町あまり離れてきけば、ちょうどガードの下に立ちて頭上を走る過ぐる電車の轟音をきくが如しと。その間三十秒。ああっと思う間にぐわあんと大地鳴動する由。<o:p></o:p>

 「屍体貯存法」を読む。<o:p></o:p>

 二月十五日() 曇午後晴<o:p></o:p>

 午前十一時より月例防空演習。午後一時半、八時B29来。<o:p></o:p>

 夕食時の話。いま米一升十五円、炭一俵七十円、酒一升百四十円、砂糖一貫四百円、卵一個二円とのこと。(作者はこれらの値段を見、若者らしく言ってのけます。このうち酒や卵は贅沢品であり、これを買って暴利をぼられても自業自得であると)<o:p></o:p>

されど米一日に二合三勺、野菜一日に十匁のみにては、この限りなき民衆、限りなき歳月の間「闇」海の夜霧のごとくたちのぼり、全生活を覆わんとするも是非なきなり。これを責むるは易く、これを救うは難し。その心に怒るは易く、その具体的生活を救うるは難し。<o:p></o:p>

(この言葉、まさに繰り返しになりますが、営々と続く国策・教育に洗脳された一学徒の、偽らざる胸奥に巣くう信念と見ます。作者はなおも続けます)<o:p></o:p>

この議会にて、国民の生活上闇の占むる割合を諸公知れるやと一議員質し、左様なことは研究せずと大臣答えたり。ああかくのごとき大臣国を滅ぼすなり。何たる冷淡、何たるとぼけ、国民の口にする大部は闇のものならずや。日々に闇を嘆く声聞かれざる日ありや。「最低生活の確保」これぞ日本の国難を救う根本の問題なり。<o:p></o:p>

(このやり取りの模様、現在の政情・国情に照らして大差ないような気がしてくるから不思議であります)。25<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む24

2010-02-16 06:41:42 | 日記

空襲激化 ()<o:p></o:p>

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その運命今日二月十日、吾を見舞うや。<o:p></o:p>

敵九十機帝都に入らず。関東北部を爆撃の後、順次東方海上に脱去す。時に午後四時。<o:p></o:p>

いわゆる「胸騒ぎ」「虫が知らす」等いかに無意味なるものか、以って知るべし。とはいえど、人もとよりこれを知る。知りてなお永遠に「胸騒ぎ」や「虫が知らせる」におびゆるものならん。<o:p></o:p>

二月十一日() 晴<o:p></o:p>

昨日の大空襲。群馬県太田がやられた由。太田は中島飛行機の本拠にして従業員五万人もいるとのことなれば、定めて死傷者も多からん。(中島飛行機の名は、小学生でも戦時中よく聞いた名前でした)若干の被害ありとの大本営発表。大本営が「若干」と発表するほどなれば相当のものならん。<o:p></o:p>

(当時「若干」は大本営の常套語でして、国民にすっかり見通されていたわけです)<o:p></o:p>

昨夜九時敵一機、伊豆より進入、北上して群馬県に入り、長野県に進み、南下しまた反転してふたたび関東西北に入る。而して東南に下り、帝都北部をかすめて十一時東方海上に去る。(疎開地で、この「東方海上に去る」のラジオ放送はよく耳にしたような気がしてなりません)<o:p></o:p>

本日午前二時、十一時、一機ずつ関東を偵察して退去す。<o:p></o:p>

高須さん夫妻千葉の茂原へ野菜の買出しにゆく。野菜このごろ一日十匁の配給なれば、奥さん困惑の態なり。一ヶ月の生活費いま五百円かかるとのことなり。<o:p></o:p>

二月十二日() 晴<o:p></o:p>

午前九時半、午後七時敵一機ずつ来る。<o:p></o:p>

郷里よりの送金、一月十八日に発送せるもの一ヶ月になんなんとして今日来る。郵便局の遅滞混乱知るに足る。24<o:p></o:p>

露伴「運命」を読む。見事なり。傑作なり。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む23

2010-02-15 06:10:42 | 日記

空襲激化 ()<o:p></o:p>

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二月十日() 晴<o:p></o:p>

午前九時半敵二機偵察来。空は晴れたり。そろそろ今日あたり大空襲ありて然るべきころなりとみな語る。(この頃になりますと、国民は敵の動きを的確に読んでいくのですね。絶望的な勘の働きでしょうか。)<o:p></o:p>

果然午後一時半まず敵二機先駆して来る。(不気味な前触れ、書き手の筆にも力が込められます。)<o:p></o:p>

これ去りて暫時、敵約九十機五編隊を以って逐次房総半島より北上進入。関東北部(栃木県)に入る。帝都周辺をとりまき、一斉に都心めがけて殺到するにあらずやと思う。<o:p></o:p>

先日の都心爆撃に於いて死者七百、負傷一万五千なりと。中天に吹っ飛びし者あり、木っ端微塵となりし者あり、石に打たれて惨死せし者あり、白けて石地蔵のごとく転がりて死せし者あり等種々噂しきりなり。<o:p></o:p>

語る者も聞く者も「生きて」あれば、ともに笑みつつ語り、また聞く。余もまた然り。<o:p></o:p>

ただこの七百或は一万五千の人、当日敵爆弾により死傷するとは、生まれてよりその日まで、夢にも考えたることあらざらん。……。<o:p></o:p>

余はかく思いて、非常なるはかなさ、胸を覆う夕暮の海のごときはかなさを感じたり。されどこの感実に暮潮のごとく淡く薄く、あくまで第三者の感情にして、腹の底よりの恐怖はつゆ覚えざりき。<o:p></o:p>

今日敵機九十機、轟々と帝都を旋回すること数時、初め躍々と笑みをすら浮かべて待ちしが、一人往来に出でて、薄雲しずかに動き、日翳りて、残雪の路上薄暮のごとき景呈したる刹那、ふと恐るべき身震いを感じき。<o:p></o:p>

吾が死する?永劫のあの世へ?<o:p></o:p>

この思い、人は生涯にだれしも抱き、或るとき信ぜず、或るとき慄然たり。しかも要するに必ず永劫のあの世へゆき、後人は冷然また欣然と彼ら自身の生を生きるのみ。23<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む22

2010-02-14 19:10:06 | 日記

                      食糧難深刻です<o:p></o:p>

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 最近食糧配給極度に悪化。街頭の雑炊食堂等に並ぶ群集激増す。<o:p></o:p>

 二月八日() 曇<o:p></o:p>

 (食糧難日増しに募るようです。隣組の渡辺なる男爵が亡くなっての挿話を語っています)<o:p></o:p>

 人集まれど、御馳走はおろか菜一片もなし。それどころか味噌一匙もなき始末にて婆や、近隣を駆けめぐれどいずこも同じ冬の夕暮れ、この数日アタシャお塩かけて食べてましたけれど。お客さまにはそうもならずと、うちの台所へ来て愚痴を越えての悲鳴なり。塩借りて帰りたる模様なり。男爵家もへちまもあったものでなし、蚊帳を纏いて客に会いし元亀天正の公卿笑うべからず。<o:p></o:p>

 二月九日 () 晴<o:p></o:p>

 一時半、警報発令。敵一機それより一時間有余にわたり、悠々と関東東部地区を偵察し去る。三時解除。<o:p></o:p>

 夜半独り想う。<o:p></o:p>

一、今次世界戦争の真因は何ぞや。西のヨーロッパの戦いと東の方アジアの戦いの関係如何。冷静なる巨視的史眼に照らすとき全地球を覆うこの民族的大闘争は何をか描く。<o:p></o:p>

二、わが祖国現時の大苦戦を招きしものは何ぞや。物資の不足、科学の水準、一々点検して蒼然たり。<o:p></o:p>

三、吾らは勝たざるべからず。この苦難を転じて光明への鍵となす方策なきや。<o:p></o:p>

四、勝利と敗北。この二つの運命に照らしみるとき日本のそれぞれの相貌。<o:p></o:p>

五、十年後の世界、百年後の世界。<o:p></o:p>

 (混迷する戦況と将来の日本のあり方に言及し、そして果て無き悩みに翻弄される若き学徒に、頭の下がる想いが致します。) 22<o:p></o:p>