goo blog サービス終了のお知らせ 

うたのすけの日常

日々の単なる日記等

娘の結婚

2015-04-05 07:32:48 | 娘の結婚のあれこれ

うたのすけの日常 「娘の結婚」その三

2007-06-04 09:46:16 | 娘の結婚のあれこれ

      書くか書くまいかと考えていたのですが

 娘はあたしが最初から結婚を反対すると思っていたらしい。かなりのそれに対応する覚悟を据えていたと思います。それはあたしの反対ならどうするの問いに、反対されれば家を出ると、泪を浮かべての返事にも表われていました。しかしあたしの思惑もあっての承諾で、とにかく娘は卒業してから結婚ということになりました。その後彼の両親がわが家を訪ねてこられ、一人娘を嫁がして呉れるという事に、平身低頭されての挨拶がありました。
 娘たちは着々と結婚準備を整えている様子でした。最初に結納の儀は省略するということがあたしたちに告げられました。畏まったことは好みませんので、賛成でした。それから当分の間は、彼の両親とも同居しないと言います。若いうちはそれも良かろうとこれも賛成です。
 そろそろ嫁入り道具や結婚式場と、その費用にかみさんが心配しだす時期となってきました。ある日娘を呼んでかみさん主体での話の場が持たれました。娘は開口一番改まって所帯道具や衣類等は一切要らぬと言います。それではお母さんの気がすまないと言うのなら、出来たら洋服ダンスの一つも持たしてくれれば結構です。あとは今使っているもので間に合います。買って貰っても狭いアパートには入りませんとアッケラカンとした返事をして、母親を唖然とさせました。おまけに結婚式関係の費用は一切心配してくれるな、全て二人で賄うと追い討ちをかけてきました。かみさん真剣になりました。それじゃ親の出る幕がないじゃないかと半泣き状態です。相手の親が出すとでも言うのかい、そうはいかないよこっちとしては。嫁に出すほうなんだからね。娘は冷静でした。彼の両親からも援助して貰いません。一切自分たちでやります。結婚式場は先輩の勤め先のホテルが、その先輩の口利きで割安で引き受けてくれましたと、有名ホテルの名をあげます。
 あたしは娘に訊きました。それにしても安い金額ではないだろう、どうやって工面するのだと。娘は言うのです。
 「あたしたちの結婚はお父さんに頭から反対されると思っていたのよ。そしたら家を飛び出す覚悟でいたわ。でもどうしても結婚式だけは、たとえ二人だけでも挙げたたかったの。それで二人であたしが卒業したら結婚すると約束した時からアルバイトを、懸命に二人してやってお金を貯めてきたのよ。」
 「アルバイトってなにをやっのよ」かみさんが口を挟みました。
 「ありとあらゆるアルバイトよ。一番お金になったのは不動産屋のお仕事だったわ。駅前で幟を立ててビラをくばったり、お客を現地に案内したり楽しかったわ。契約が成立すると日当のほかにボーナスが出たしね。それにお父さん、叔母さんや叔父さんたちのお祝いも当てに出来るわよね。なにしろ両方の人数、両方の指で数えきれないんだもの。新婚旅行も行かせて貰うわよ。ハワイ」
 もうあたしたちには言う言葉はなかった。せいぜいお互いの兄弟に、それとなくお祝いを気張ってくれと謎をかけるしかなかったのです。
 それにしても頭から反対されると考えて、色々小さな胸で悩み、そしてそれでも結婚したいという気持が憐れでなりませんでした。

 どちらかと言えば奥手の温和しい子だったのに、こうまで人を好きになるということは、人間を強くするのかと、いささか複雑な気持になったことも事実でした。

終わります


娘の結婚

2015-04-04 05:02:48 | 娘の結婚のあれこれ

うたのすけの日常 娘の結婚 その二

2007-06-02 05:31:58 | 娘の結婚のあれこれ

     その娘も今は二十を頭に二人の子持ちです

 娘たち夫婦は仕事の関係もあってか両親と同居することなく、これも仕事で当地に所帯を落ち着けるまで、関東エリアでしたが数箇所にわたって住居を移している。
 その間あたしから見て、いろいろ浮世の辛酸を彼女らなりに味わったはずある。そしてこの地にきて15年の余、娘も二十と高校三年の子の親として、やっと僅かながら人生の基盤に腰を下ろしかけたといえるのではないのだろうか。しかし正直その生活ぶりを見るに、余裕には程遠いのではないかと案ずるもするが、しかしそれもよしとするべきと思う。健康で睦まじく、学生を除いて家族三人で働いている姿をみれば、幸福の二字に包まれている家族と思う。
 
 娘が嫁いで20年の余、世の移ろいはその速度を増していた。義母は既にこの世になく、下の孫の七才の祝いの宴には義父とあたしら夫婦だけの参席であった。そして義父はなんの波風たてることなく、下の息子二人との生活に入り、その後その息子は結婚し、自然と同居するかたちとなっていた。あたしも家内も娘に対して、極力こっちへは来なくともよいから、義父の許を訪ねるように言い、義弟夫婦にたいしてなにかと気配りを忘れるなと説き続けていた。
 その娘の義父もあたしより年上ではあったが、数年前に下の息子夫婦の看病の許に亡くなった。あとは自ずと分かって頂けると思う。全て自然の成り行きで、以前娘をこっちへ引っ張るなんて心積もりをした自分が疎ましくてならぬ。五年前娘夫婦が家を購入するさい、それを機会に同居の話が娘からあった。
 「遠く離れていては、いざ病気となってもすぐには駆けつけられない。看病するにしてもままならぬから、同居しない。」
 それにたいして家内は
「どっちか一人になって、足腰たたなくなってから世話になるより、元気なうちから同居したのが正解かもよ、お父さん」
 家内がそう考えるなら、あたしには異存はなにもない。
「そう言ってもらえるうちか花かもな」
 そんなことで同居が決まり、まだ元気だった猫を連れて、娘の連れ合いの運転する迎えの車に乗った。

 あたしは今安堵していることは、娘の家族と義弟夫婦の仲の良いことである。行き来があり、亡くなった両親の仏事に娘夫婦は孫を伴い誘いに欠かさず応じている。孫たちも年下の従兄弟が可愛いと帰ってからあたしらに話す。


娘の結婚

2015-04-03 13:17:07 | 娘の結婚のあれこれ

うたのすけの日常 娘の結婚 その一

2007-06-01 06:17:07 | 娘の結婚のあれこれ

         一人娘を嫁に出すということ

 娘が高校に進学したころからか、漠然とながら娘に養子をとり、商売を継がせるといったことを頭のどこかに描いていた。このことは商売を営むものにとって、生活の基盤を左右するものであるから当たり前のことと思う。
 

 娘が高校二年になった時点で、娘から大学に進学したいという話があった。高校を卒業して直ぐに社会生活に溶け込んでいく自信がないというのである。大学に入りもっと勉強を続けながら将来の方針を立てたいという。ついては希望する大学に行くのに偏差値に問題があり、苦手の数学を克服したいので、家庭教師を頼んでくれというのである。家庭教師ときいてあたしは瞬間、金持ちのお嬢様でもあるまいし何様のつもりでいるんだと、喉から出かかったが娘の余りに真剣な眼差しに、うむと言って腕を組まざるを得なかった。
 考えたら自分も理数系はとんとダメだったのである。ダメなんて生やさしいものではなかった。家内がそばであたしの出方を伺っている。「おかあさんどう思う」あたしは矛先をかみさんに向けてみた。ずるいのである。「勉強したいって言うんだからそれに越したことないじゃない、これからは商売するったって大学ぐらい出てなきゃ」話はそれで決まりである。
 「大学へ行ってもなんだな、勉強もいいが先ずは友達をうんと作ることだな、そしてうんと学び、うんと遊んで青春を楽しめ」なんて世間の父親と同じに、途端に物分りのいいとこ見せたりする始末であった。
 

 物分りが良すぎたのかどうか、入学して間もなくサッカーの同好会に入りマネージャーを務め、一年先輩の男と付き合うようになった。あたしはボーイフレンドぐらいに軽く考えていた筈である。家へも何回か連れて遊びに連れてきたりしていた。そんなある日、娘とこんな会話を交わしている。
 
 「○○さん、お父さんのこと言ってたわよ」
 「なんて?」
 「自分のお父さんと、お父さんを足して二で割ると丁度いい人になるって」
 「それってなにかい、お父さんが道楽もんで、自分の親父が堅物ってことかい。生言うんじょないよ、二つに割ったって丁度いい人間なんて出来やしないよ、お父さんの灰汁(あく)のが強くて」
 傍でかみさん笑って言ったものである。「世話ないね○子、お父さん自分で道楽もんだってこと認めているよ」

 そして月日のたつのは早いもので四年たったその日に、娘がかしこまってあたしたちに告げるのである、○○と結婚したいと。そして追い討ちをかけるように具体的に話を進めるのだ。彼は男兄弟二人で長男である、向こうの両親は是非あたしに嫁に来て欲しい、彼を養子に出すわけにはいかないと言っているというのである。

 ふん、あたしは白けてしまった。すっかりお膳立ては出来ていて、早い話が出来レースだ。二人で娘の卒業を待って結婚する算段でいたってわけである、相手の親も一緒になって。後はこっちの承諾を待つだけのシナリオが出来上がっているってわけだ。しかしあたしは目に泪を一杯にうかべ俯く娘に、間に入って随分と思い悩んでいたのかと思うと、これまた娘不憫さの気持が募ってくるのだ。あたしは物静かに娘に尋ねていた。お父さんが不承知ならどうすると。娘は消え入るような小さな声で、それでもはっきりと聞き取れる声で言った。「家を出ます」あたしはそんなこと尋ねる前に嫁に出す覚悟は固まっていたので、別段慌てふためくことはなかった。さかんにあたしに目交せしていたかみさんが一膝乗り出し、「そんなことさせないよ、お父さんは承知ですよ」と言う。全くいつも大事な話はこうして決まってしまう、わが家では。
 

 正直言って、そのときそんなに娘が嫁に行ってしまうことに関して、格別悲観はしていなかった。よく世間で言うではないか、男は結婚すると女房の実家のほうに引っ張られ勝ちになると。男のほうも結構女房の実家のほうが居心地が良かったりするのである。自然の成り行きを見ながらあたしは二人をこっちに引っ張るつもりでいた、相手のご両親にはすまないが。これはなにも養子縁組を望んでのことではない。由緒正しき家系でもなんでもないのだから。


うたのすけの日常 「娘の結婚」その三

2007-06-04 09:46:16 | 娘の結婚のあれこれ

      書くか書くまいかと考えていたのですが

 娘はあたしが最初から結婚を反対すると思っていたらしい。かなりのそれに対応する覚悟を据えていたと思います。それはあたしの反対ならどうするの問いに、反対されれば家を出ると、泪を浮かべての返事にも表われていました。しかしあたしの思惑もあっての承諾で、とにかく娘は卒業してから結婚ということになりました。その後彼の両親がわが家を訪ねてこられ、一人娘を嫁がして呉れるという事に、平身低頭されての挨拶がありました。
 娘たちは着々と結婚準備を整えている様子でした。最初に結納の儀は省略するということがあたしたちに告げられました。畏まったことは好みませんので、賛成でした。それから当分の間は、彼の両親とも同居しないと言います。若いうちはそれも良かろうとこれも賛成です。
 そろそろ嫁入り道具や結婚式場と、その費用にかみさんが心配しだす時期となってきました。ある日娘を呼んでかみさん主体での話の場が持たれました。娘は開口一番改まって所帯道具や衣類等は一切要らぬと言います。それではお母さんの気がすまないと言うのなら、出来たら洋服ダンスの一つも持たしてくれれば結構です。あとは今使っているもので間に合います。買って貰っても狭いアパートには入りませんとアッケラカンとした返事をして、母親を唖然とさせました。おまけに結婚式関係の費用は一切心配してくれるな、全て二人で賄うと追い討ちをかけてきました。かみさん真剣になりました。それじゃ親の出る幕がないじゃないかと半泣き状態です。相手の親が出すとでも言うのかい、そうはいかないよこっちとしては。嫁に出すほうなんだからね。娘は冷静でした。彼の両親からも援助して貰いません。一切自分たちでやります。結婚式場は先輩の勤め先のホテルが、その先輩の口利きで割安で引き受けてくれましたと、有名ホテルの名をあげます。
 あたしは娘に訊きました。それにしても安い金額ではないだろう、どうやって工面するのだと。娘は言うのです。
 「あたしたちの結婚はお父さんに頭から反対されると思っていたのよ。そしたら家を飛び出す覚悟でいたわ。でもどうしても結婚式だけは、たとえ二人だけでも挙げたたかったの。それで二人であたしが卒業したら結婚すると約束した時からアルバイトを、懸命に二人してやってお金を貯めてきたのよ。」
 「アルバイトってなにをやっのよ」かみさんが口を挟みました。
 「ありとあらゆるアルバイトよ。一番お金になったのは不動産屋のお仕事だったわ。駅前で幟を立ててビラをくばったり、お客を現地に案内したり楽しかったわ。契約が成立すると日当のほかにボーナスが出たしね。それにお父さん、叔母さんや叔父さんたちのお祝いも当てに出来るわよね。なにしろ両方の人数、両方の指で数えきれないんだもの。新婚旅行も行かせて貰うわよ。ハワイ」
 もうあたしたちには言う言葉はなかった。せいぜいお互いの兄弟に、それとなくお祝いを気張ってくれと謎をかけるしかなかったのです。
 それにしても頭から反対されると考えて、色々小さな胸で悩み、そしてそれでも結婚したいという気持が憐れでなりませんでした。

 どちらかと言えば奥手の温和しい子だったのに、こうまで人を好きになるということは、人間を強くするのかと、いささか複雑な気持になったことも事実でした。


うたのすけの日常 娘の結婚 その二

2007-06-02 05:31:58 | 娘の結婚のあれこれ

     その娘も今は二十を頭に二人の子持ちです

 
娘たち夫婦は仕事の関係もあってか両親と同居することなく、これも仕事で当地に所帯を落ち着けるまで、関東エリアでしたが数箇所にわたって住居を移している。
 その間あたしから見て、いろいろ浮世の辛酸を彼女らなりに味わったはずある。そしてこの地にきて15年の余、娘も二十と高校三年の子の親として、やっと僅かながら人生の基盤に腰を下ろしかけたといえるのではないのだろうか。しかし正直その生活ぶりを見るに、余裕には程遠いのではないかと案ずるもするが、しかしそれもよしとするべきと思う。健康で睦まじく、学生を除いて家族三人で働いている姿をみれば、幸福の二字に包まれている家族と思う。
 
 娘が嫁いで20年の余、世の移ろいはその速度を増していた。義母は既にこの世になく、下の孫の七才の祝いの宴には義父とあたしら夫婦だけの参席であった。そして義父はなんの波風たてることなく、下の息子二人との生活に入り、その後その息子は結婚し、自然と同居するかたちとなっていた。あたしも家内も娘に対して、極力こっちへは来なくともよいから、義父の許を訪ねるように言い、義弟夫婦にたいしてなにかと気配りを忘れるなと説き続けていた。
 その娘の義父もあたしより年上ではあったが、数年前に下の息子夫婦の看病の許に亡くなった。あとは自ずと分かって頂けると思う。全て自然の成り行きで、以前娘をこっちへ引っ張るなんて心積もりをした自分が疎ましくてならぬ。五年前娘夫婦が家を購入するさい、それを機会に同居の話が娘からあった。
 
「遠く離れていては、いざ病気となってもすぐには駆けつけられない。看病するにしてもままならぬから、同居しない。」
 それにたいして家内は
「どっちか一人になって、足腰たたなくなってから世話になるより、元気なうちから同居したのが正解かもよ、お父さん」
 家内がそう考えるなら、あたしには異存はなにもない。
「そう言ってもらえるうちか花かもな」
 そんなことで同居が決まり、まだ元気だった猫を連れて、娘の連れ合いの運転する迎えの車に乗った。

 あたしは今安堵していることは、娘の家族と義弟夫婦の仲の良いことである。行き来があり、亡くなった両親の仏事に娘夫婦は孫を伴い誘いに欠かさず応じている。孫たちも年下の従兄弟が可愛いと帰ってからあたしらに話す。


うたのすけの日常 娘の結婚 その一

2007-06-01 06:17:07 | 娘の結婚のあれこれ

         一人娘を嫁に出すということ

 娘が高校に進学したころからか、漠然とながら娘に養子をとり、商売を継がせるといったことを頭のどこかに描いていた。このことは商売を営むものにとって、生活の基盤を左右するものであるから当たり前のことと思う。
 娘が高校二年になった時点で、娘から大学に進学したいという話があった。高校を卒業して直ぐに社会生活に溶け込んでいく自信がないというのである。大学に入りもっと勉強を続けながら将来の方針を立てたいという。ついては希望する大学に行くのに偏差値に問題があり、苦手の数学を克服したいので、家庭教師を頼んでくれというのである。家庭教師ときいてあたしは瞬間、金持ちのお嬢様でもあるまいし何様のつもりでいるんだと、喉から出かかったが娘の余りに真剣な眼差しに、うむと言って腕を組まざるを得なかった。
 考えたら自分も理数系はとんとダメだったのである。ダメなんて生やさしいものではなかった。家内がそばであたしの出方を伺っている。「おかあさんどう思う」あたしは矛先をかみさんに向けてみた。ずるいのである。「勉強したいって言うんだからそれに越したことないじゃない、これからは商売するったって大学ぐらい出てなきゃ」話はそれで決まりである。
 「大学へ行ってもなんだな、勉強もいいが先ずは友達をうんと作ることだな、そしてうんと学び、うんと遊んで青春を楽しめ」なんて世間の父親と同じに、途端に物分りのいいとこ見せたりする始末であった。
 物分りが良すぎたのかどうか、入学して間もなくサッカーの同好会に入りマネージャーを務め、一年先輩の男と付き合うようになった。あたしはボーイフレンドぐらいに軽く考えていた筈である。家へも何回か連れて遊びに連れてきたりしていた。そんなある日、娘とこんな会話を交わしている。
 「○○さん、お父さんのこと言ってたわよ」
 「なんて?」
 「自分のお父さんと、お父さんを足して二で割ると丁度いい人になるって」
 「それってなにかい、お父さんが道楽もんで、自分の親父が堅物ってことかい。生言うんじょないよ、二つに割ったって丁度いい人間なんて出来やしないよ、お父さんの灰汁(あく)のが強くて」
 傍でかみさん笑って言ったものである。「世話ないね○子、お父さん自分で道楽もんだってこと認めているよ」

 そして月日のたつのは早いもので四年たったその日に、娘がかしこまってあたしたちに告げるのである、○○と結婚したいと。そして追い討ちをかけるように具体的に話を進めるのだ。彼は男兄弟二人で長男である、向こうの両親は是非あたしに嫁に来て欲しい、彼を養子に出すわけにはいかないと言っているというのである。ふん、あたしは白けてしまった。すっかりお膳立ては出来ていて、早い話が出来レースだ。二人で娘の卒業を待って結婚する算段でいたってわけである、相手の親も一緒になって。後はこっちの承諾を待つだけのシナリオが出来上がっているってわけだ。しかしあたしは目に泪を一杯にうかべ俯く娘に、間に入って随分と思い悩んでいたのかと思うと、これまた娘不憫さの気持が募ってくるのだ。あたしは物静かに娘に尋ねていた。お父さんが不承知ならどうすると。娘は消え入るような小さな声で、それでもはっきりと聞き取れる声で言った。「家を出ます」あたしはそんなこと尋ねる前に嫁に出す覚悟は固まっていたので、別段慌てふためくことはなかった。さかんにあたしに目交せしていたかみさんが一膝乗り出し、「そんなことさせないよ、お父さんは承知ですよ」と言う。全くいつも大事な話はこうして決まってしまう、わが家では。
 正直言って、そのときそんなに娘が嫁に行ってしまうことに関して、格別悲観はしていなかった。よく世間で言うではないか、男は結婚すると女房の実家のほうに引っ張られ勝ちになると。男のほうも結構女房の実家のほうが居心地が良かったりするのである。自然の成り行きを見ながらあたしは二人をこっちに引っ張るつもりでいた、相手のご両親にはすまないが。これはなにも養子縁組を望んでのことではない。由緒正しき家系でもなんでもないのだから。