goo blog サービス終了のお知らせ 

うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 台風のさ中台風とは

2013-10-26 06:36:18 | インポート

10月26日(土)            冗談じゃない

 こうなると腹がたってくる。企業の不祥事が相次ぎ、幹部の平身低頭の謝罪会見に天も業を煮やして鉄槌を振り下ろしたのか。何とかせいと声を荒げたい気持ちである。
 今日未明の2時ごろ地震発生、昨夜寝たのが早く既に目覚めていたので、慌ててテレビを押さえ、かみさんは茶箪笥を押さえている。かなり強くそれも長い「うん、これは強いぞ」「怖い」かみさんの声が返る。地震情報を見ていたのだが、直ぐにテロップが流れる。東北地方にに福島沖を震源とする大きな地震と報じる。
 間もなく水戸の震度は4と分かる。かなり広範囲にわたり、やはりあの地震の余震という。しつこい地震である。悪女の深情けとでもいうのか、もう御免だいい加減にしてくれいと悲鳴を上げたい心境なり。
 現在6時29分、地震発生。余震の余震か。当地は現在雨も上がり風も静かだが、これから昼ごろまで風雨が強くなる予定。


うたのすけの日常 今になって梅雨らしくなったが

2013-07-05 15:27:37 | インポート

7月5日(金)      九州西日本はそれどころではない

 天の配剤も全く理解に苦しむ。大雨はこれでもこれでもかと一か所というか同じ個所に降り注ぐ。幸いなんていうと語弊を招くが、当地は予報では何かと物騒なことを絶え間なく言ってはいるのだが、雷も大雨も避けて通ってくれている。そんなわけで朝方まだ暗いので、びくびくしながら庭に出たのだが夜中も降った気配もなく、いっとき草むしりに励むことができたのは幸いである。
 今年はあらかた1人の請負仕事となってしまったので、できたら早朝まだ夜も明けやらぬうちに起きだし、1時間ほど庭仕事に励もうとこころに決めている。まあ、そんな大仰な物言いでいささか恥入る。これも言うこととやることと、いつもちぐはぐになってしまうので自身に気合いを入れているわけである。
 あとは紫陽花の剪定が大仕事として残っている。来年も綺麗に咲かせようと思えば、やはりかみさんの指図を受けなくてはなるまい。 


うたのすけの日常 新聞記事のスクラップノート136

2012-12-05 06:34:25 | インポート
               パチンコでなかったのがせめてもの救いです

              

 親の不注意で子どもを車におきざりにして死なすなんて、このころからあったのですね。昭和49年8月2日横浜市でのことです。いささか経緯は複雑なのですが、午後2時ごろAさん(37)の3男(2)が駐車場に停めてあった乗用車の中で、汗だくでぐったりしているのを近所の人が見つけ、Aさんは近くの病院に運びましたがすでに死んでました。
 港北署の調べでは、その日Aさんは次男(4)が病気のため妻B子さん(36)と3人の子どもを車に乗せて近所の病院に行きます。その際B子さんと2人の子どもは車から降りましたが、2男は乗ったまま、B子さんはAさんが2男をいつも保育園に送って行くので、この日も送って行くものと思っていました。AさんはAさんでB子さんが子ども3人を車から降ろしたものと思い込み、そのまま自宅に戻り車を駐車場に入れたといいます。ここで夫婦は重大な勘違いをしてしまったのです。
 次男は病院から自宅へ行く途中に、後部座席で寝込んでしまい気づかれなかったのです。この日、午後2時の市内の気温は31度2分で、車の窓は全部閉っていたということです。 

うたのすけの日常 年賀状

2010-01-01 05:04:57 | インポート

 

 謹賀新年<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

昨年中はお世話になりました<o:p></o:p>

本年もよろしくお願いいたします<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

平成二十二年 元旦<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

煙草止め お酒も止めて 生きている (初夢) <o:p></o:p>

夢心地 酒の気なしの 初詣で <o:p></o:p>

夢でした 千五百万円の お年玉<o:p></o:p>

紅白に 出る幸せに 観る幸せ<o:p></o:p>

幸せに 昨日と変わらぬ 朝が来た<o:p></o:p>

百人が 百人の朝 迎えてる<o:p></o:p>

今の世は 幸と不幸は 紙一重<o:p></o:p>

孫は今 大洗にて 日の出待つ<o:p></o:p>


うたのすけの日常 諺丸齧り

2009-12-03 05:26:20 | インポート

思い出した昔のことから<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 終戦の年の九月、まだまだ残暑の厳しい頃に、福島の疎開地まで父が迎えに来てくれて東京に帰ってきました。復員の中学生版といえます。<o:p></o:p>

 当時東京には父と母と二つ上の兄が焼け残った長屋の二階、六畳一間の間借り生活をしておりました。あたしはそこから歩いて行ける中学に転校しましたが、しばらくは上野浅草銀座と物珍しく盛り場を放浪していて、勉学のほうはすっかりお留守でした。登校しても授業をサボり映画を観に行くか、図書館にこもっての読書三昧の中学生活で、どうしようもない子供だったと言えます。<o:p></o:p>

 中学一年生にとって焼け跡だらけの東京は、かなり刺激的であり、何かと興味をくすぐられるものでした。そうでした、今回はそういった話ではなく、間借り生活の一寸した話をしたいわけであります。当時まだ父方の親戚に姉二人に妹三人が疎開したままでして、帰京の目途は皆目立っていませんでした。<o:p></o:p>

 そんな日々の生活の中で毎夜、六畳の貸間に尋ねてくる客人がおりました。仮に名前を布施さんとしておきますが、齢は五十ぐらいだったでしょう。夕飯をすました時間を見計らったように、ほとんど毎晩訪ねて来ました。穏やかな人ながら火鉢の前に座り、話し始めるともう止まりません。<o:p></o:p>

 戦後のことで何のもてなしがあるわけではなく、ただただ出涸らしのお茶をお替りしながら世間話をつづけるのです。<o:p></o:p>

 当時は毎晩停電に見舞われていました。停電はたいてい深夜に及び、蝋燭を灯してのお話となります。毎夜母が買い溜めしていた太い蝋燭が燃え尽きる頃電気が点きます。それが合図のように布施さんは腰を上げます。この方の仕事は分かりませんが、父はブローカーだろうと言ってました。闇物資を口先だけでAからBへ売り渡す元手要らずの商いをやっているらしいのです。<o:p></o:p>

 それはともかく布施さんは話題が多く、そして何より物知りでして記憶力は抜群、話の端々に諺を挟むのが特徴でした。母がよくいろいろなことを憶えていらっしゃると感心すると、そのコツは聞いたり見たり読んだりしたことは、すぐさま人に聞かせるのだと、そうすると頭に残りいつでも引き出せるのだと言うのです。<o:p></o:p>

 母はとうとう買い溜めした蝋燭が途絶えたとぼやきますが、この方父たちが焼け出されたとき、いっときの間二階に置いてくれ、今の貸間も世話してくれたそうで、いわば恩人というわけでおろそかには出来ぬ人だったわけです。<o:p></o:p>

 知ったことは一度人に話す、そうすれば血となり肉となって自分の知識となるといった話には、なるほどと感心したものでした。そこでと言ってはなんですが、昨日のブログで諺を話題にしましたが、いま諺の本を何かと気に入って読んでいるのです。しかしなかなか頭に留めておくのは難しいものです。それでブログに載せていけば、確かな記憶になると思い、次回から諺を取り上げようかと考えている次第なのです。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 元旦

2009-01-01 06:31:51 | インポート

 

明けまして<o:p></o:p>

    おめでとう<o:p></o:p>

     御座います<o:p></o:p>

 

    本年もよろしくお願い致します<o:p></o:p>

 

    平成二十一年 元旦<o:p></o:p>

 

   なんやかや<o:p></o:p>

         おかげさまです<o:p></o:p>

         七十七<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

うたのすけ

 


うたのすけの日常 謹賀新年

2008-01-01 00:07:17 | インポート

 

賀正<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

  本年も宜しくお願い致します<o:p></o:p>

2008年 元旦<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   去った年 未練はないが なんとなく<o:p></o:p>

   煩悩消えぬ 相も変わらず<o:p></o:p>

     うたのすけ<o:p></o:p>