うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の世界 三十四

2009-08-31 05:47:14 | 日記

月も水底に旅空がある<o:p></o:p>

今日は思いもかけぬ事柄もあって、すっかり陽も落ちてしまいました。川沿いの道にせせらぎの音が響き、これも一興と苦にはなりません。やがて月も煌々と照ります。川波に揺れる月が底深く神秘的に映え、流れる雲も映して、お月様も旅の空ですか。ご一緒にまいりましょう。<o:p></o:p>

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柳があつて柳屋という涼しい風<o:p></o:p>

峠の茶屋ですか、傍らに柳があって柳屋という屋号とは、旅ならではの符合。笑いを誘われます。さて一服といきますか、それとも一合頂きますか。山からの涼風が頬を撫でていきます。<o:p></o:p>

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みんなたつしやでかぼちやの花も<o:p></o:p>

今年は天候も順調で作物の出来も上々のようです。お百姓の嬉しそうな顔が目に浮びます。街道脇のよく手入れされた畑にも、胡瓜、茄子トマトにインゲンと、色鮮やかに実を付けています。おやおや、道路に這い出したかぼちゃの蔓にも黄色の花が咲いてます。<o:p></o:p>

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夕立晴れるより山蟹の出てきてあそぶ<o:p></o:p>

突然の夕立は当たり前のこと、驚くには値しません。しかし山間の一本道で雨宿りの場所は見当たりません。仕方なく雲の切れ目も見えますので、咄嗟に大木の陰に身を隠しました。案の定夕立は長くは続きませんで、雨足はさっと過ぎて行きました。足元の水溜りに何処からともなく、数匹の山蟹が這い出してきて、水溜りを行き来して山頭火の足にじゃれつきます。<o:p></o:p>

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そこから青田のよい湯かげん<o:p></o:p>

温泉好きの山頭火にとって、まさに旅の醍醐味を満喫といったところです。季節も良し、早苗もしっかり根付いて青々とした田圃が広がっています。湯加減も言うことありません。露天風呂の四面は青色の絨毯を敷き詰めたようです。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 三十三

2009-08-30 05:53:07 | 日記

何か足らないものがある落葉する<o:p></o:p>

新芽、青葉を経て黄葉そして落葉として、ひらひら空に舞いますか名も知れぬ木の葉。なにか言いたげな風情を見せて舞い落ちます。落葉一枚にも人生の興亡、頼りなさを知らされます。<o:p></o:p>

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百舌鳥のさけぶやその葉のちるや<o:p></o:p>

何が欲しいのか、不満なのか、一羽の百舌鳥がひと際甲高く泣き叫びます。誰も百舌鳥の心中を知る術はありません。しかししっかと掴んだ枝に残った木の葉が一枚、鳴き声に応えるようにひらひらと落ちて行きました。<o:p></o:p>

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ともかくも生かされてはゐる雑草の中<o:p></o:p>

庭の手入れも捗りません。何かと雑用に追われて小さな庭も雑草が生茂り、草庵の呼称に恥じません。春夏秋冬、草庵と行乞の暮らしは、生と死の繰り返しのようです。得度の体に不足は禁句、生きるに足りなければ、いかように。生きるに足りれば僥倖と仏に合掌です。生きているなんてそんな不遜な言葉は吐けません。ただただ生かされている体です。<o:p></o:p>

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旅から旅へ<o:p></o:p>

わかれてきた道がまつすぐ<o:p></o:p>

ちょっと考えてしまいます。道の状態にです。二又の道に立って選んだ道が何処までも真っ直ぐに続いている。または二又で連れと別れてきた道が、同様の道であったという二つの解釈です。前者をとれば明快なる情景描写、山頭火の脚も弾みがつきます。しかし後者となるとがらりと趣きが変ります。先ず連れが男か女か究明せねばなりません。後ろ髪をひかれる想いとなると脚の運びは遅々として進みません。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 三十二

2009-08-29 05:33:38 | 日記

つくつくぼうしあまりにちかくつくつくぼうし<o:p></o:p>

そんなにそばに来て鳴くことはないでしょう。もう夏も終わりですか、この世に別れに渾身の力を込めているのですね。まだこの世に未練ありですか、分かりましたよ。あたしの末期もきっと、あなたと同じに懸命に何かに縋るような未練を、見せるかもしれませんね。<o:p></o:p>

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柿の木のむかうから月が柿の木のうへ<o:p></o:p>

秋の月が煌々と天空に光を放ちます。庭先の柿の木がしばし月に遠く、葉がひとかたまりとなって暗闇に暗然と佇んでいました。月は昇り廻って柿の木の頭上で一段と光を増します。柿の葉が一枚一枚真昼のように識別できます。一段と艶と青味を増しています。<o:p></o:p>

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寝床へ日がさす柿の葉や萱の穂や<o:p></o:p>

膝を叩いて思わず絶句、あやかりたいものと気は急くものの、所詮は叶う筈のない光景です。朝日が早々に昇り瞬時に部屋一杯に陽光が射し込みます。まばらに木々の姿が影絵となって畳の上に、蒲団の上に波打つ海面のように広がりを見せて行きました。<o:p></o:p>

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郵便屋さん<o:p></o:p>

たより持つてきて熟柿たべて行く<o:p></o:p>

山頭火、満面に笑みを浮かべて郵便屋さんを接待しております。それもそのはず、友からの嬉しい便り。後でゆっくり読むとして、先ずは感謝の気持ちで甘味一杯の熟柿を「どうぞどうぞ」と。受ける郵便屋さんも笑顔です。ことによると、配達されたのは便りだけではなさそうです。受けて嬉しい現金為替か、それに加えて冬に向っての袷の差し入れでしょうか。今夜は久しぶりに一杯といきますか。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 三十一

2009-08-28 05:03:55 | 日記

ここを死に場所とし草のしげりにしげり<o:p></o:p>

これに類似した句を前に選んでおります。死を真っ向から見詰めているのは同じなのですが、前の句とは違った感想を持ちました。「…草のしげりにしげり」ここに凄味を感じました。山頭火にとって旅路の果てに限らず、日々存在する場所が死に場所と言っているのです。それほど苦行吟行行乞の旅は厳しく辛いものと理解したいです。<o:p></o:p>

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彼岸花さくふるさとはお墓のあるばかり<o:p></o:p>

山頭火は不幸にして幼児のころお母さんに自殺されています。そして長じてから父と弟が自殺しております。このことは不幸というより、奇禍に遭遇したと言った方が適切のような気がします。<o:p></o:p>

旅の途次、故里を遠く眺めます。その思いは常人とは異なったものがある筈です。恋しくそして近寄り難い場所でもあり、そしてそこには肉親は絶え、墓石のみの故里であるわけです。<o:p></o:p>

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秋風の、腹立ててゐるかまきりで<o:p></o:p>

夏も終わり秋風に皆がほっと息を吐きます。かまきりさん草の葉に体を乗せて何の仕草でしょう、さかんに両手をもがくように、上下左右に動かしています。秋が過ぎれば冬ですか、何かこの世にし残したことがあるのです。それは何ですかかまきりさん、人間だって同じこと、そんなに腹を立てなさんな…。<o:p></o:p>

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重荷を負うてめくらである<o:p></o:p>

まさに一刀彫の手並みと感嘆です。眼の不自由な、おそらくお婆さんと思いますが、その苦労、生きてきた年月の厳しさを嘆じて、やさしく見守っています。しかしその眼に憐れみはありません。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 三十

2009-08-27 05:02:15 | 日記

草にも風が出てきた豆腐も冷えただろう<o:p></o:p>

今日いちにち無事に暮れようとしています。夏も終わりの季節、夕暮れともなれば涼風が庭草にそよぎます。今宵の酒のつまみは豆腐ですか、釣瓶の豆腐もさぞかし冷えたことでしょう。<o:p></o:p>

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風がすずしく吹きぬけるので蜂もとんぼも<o:p></o:p>

蜂もとんぼも陽盛りの暑さには、きっと息も絶え絶えになるのではないのか、山頭火はやさしくそう考えるのです。そんなとき涼しい風が空気を揺らして吹きました。とんぼが軽やかに回転して風に乗って息を吹き返します。蜂ももちろん、しっかりと花にとりつきその姿を花びらに隠します。<o:p></o:p>

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ふるさとの水をのみ水をあび<o:p></o:p>

山頭火、故里の二字にこだわります。山であれ川であれ、家並みにしろ道筋にしろ。遊吟漂泊の身にあっては、訪ねるに辛い面もありますが、避けては通れない場所といえます。息が途切れるほどの切なさ愛しさがこみ上げてくるのです。山頭火の故里賛歌といえます。<o:p></o:p>

汲み上げて飲む水は、また一入といったところでしょう。<o:p></o:p>

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誰にあげよう糸瓜の水をとります<o:p></o:p>

優しさがじわあっと滲んできます。そして幾分気にもなります。誰にあげよう、贈ろうというのですか。さし当たってヘチマコロンでしょう、しゃがみこみ細工を施した成果に山頭火は微笑みます。<o:p></o:p>

糸瓜のつるを茎の根元あたりを鋏で切り、差し込んだ瓶には透明の液体が溜まっています。微かに鼻腔に独特の香りが匂います。<o:p></o:p>

自家製の化粧水です。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十九

2009-08-26 04:53:00 | 日記

炎天のはてもなく蟻の行列<o:p></o:p>

真夏のぎらぎらした太陽が容赦なく照り付けます。川筋か山間の道ですか、炎天の下の一本道は気が遠くなるほど続いています。黙々と歩くのは行乞の山頭火だけではありません。健気にも一列の蟻が行きます。その光景に、山頭火ならずとも奮い立ちます。一歩一歩脚を運びます。これが雲水に与えられた宿命と見ました。<o:p></o:p>

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日ざかり落ちる葉のいちまい<o:p></o:p>

最後の力を振り絞って木に枯葉が縋り付いてます。一陣の風にたまらず粉を吹くように枯葉は舞い落ちて行きますが。無風の日中照りつける太陽、木々の葉は辛うじて余命を保っているといった光景です。音もなく一枚の葉が、旅人の足元にひらりと落ちました。それに落魄の人生を感じるのは大袈裟でしょうか。<o:p></o:p>

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青空したしくしんかんとして<o:p></o:p>

旅人に青空は救いです。青空を見上げれば旅は極楽、気持も晴れやかといったところでしょう。気の遠くなるような青さが四辺を支配していて、物音一つ聞こえてきません。青空に帰依して森閑の世界に佇みます。<o:p></o:p>

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百合咲けばお地蔵さまにも百合の花<o:p></o:p>

百合の咲く季節ですか、山間には山百合が咲き競って、旅人の目を楽しませてくれます。旅人や村人の慈しみの目で見守るお地蔵様に、だれが手向けたのか、おそらく村の娘か年寄りか、一本二本可憐な姿がお似合いです。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十八

2009-08-25 05:40:48 | 日記

山から山がのぞいて梅雨晴れ<o:p></o:p>

遥か遠望する山並み、山はお互い兄弟のように支えあい、重なり合ってこちらを見てます。山々の表情が揃って首を傾げる仕草に似てほっとさせられます。鬱陶しい梅雨空が続きましたが、山裾に棚引く梅雨雲が次第に薄く消えていきました。<o:p></o:p>

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朝からはだかでとんぼがとまる<o:p></o:p>

一人住まいの気安さ、だれはばかることなくもろ肌脱ぎになります。井戸端でしょう、手桶の水に手拭を潜らせ絞ります。無造作に握って先ずは顔ですか腕ですか、そして胸肌と拭き、もう一度今度はよく濯いで絞りました。その端を持ってさっと空を切って棒状にして背中を拭き、丸めて両肩をこするように拭きました。その間周りを旋回していた一匹のとんぼが何気なく肩に止まりました。<o:p></o:p>

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蜘蛛は網張る私は私を肯定する<o:p></o:p>

綺麗に網を張り、中央に鎮座した一匹の蜘蛛が四辺を睥睨してます。何が何でも他者の侵入を見逃さずと気合いを漲らせているのです。巣は微かに揺れて光りました。山頭火も負けてはいません。自分の詩心を痛ましいほどの切磋で磨きます。そして自信をもって世に問います。私はあくまで私、私は私であることに誇りを得たい。例え山河の果てに朽ちようともです。蜘蛛と一騎打ちの気迫です。<o:p></o:p>

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いつでも死ねる草が咲いたり実つたり<o:p></o:p>

花の命は短くて、といった光景とは見ません。放浪の旅路は危険と背中合わせ。一面の野原に咲き乱れる花々に目を奪われる反面、即座に断じることもあるのです。それが命朽ちれば死のしとねとなると。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十七

2009-08-24 05:13:01 | 日記

ひよいと穴からとかげかよ<o:p></o:p>

トカゲは思いもかけないときに姿を現します。お互い吃驚して見合います。トカゲは身に危険のないことを瞬時に悟ったようです。決して慌てふためきません。穴から何食わぬ仕草でちょこちょこと草叢に姿を隠しました。<o:p></o:p>

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誰も来てくれない蕗の佃煮を煮る<o:p></o:p>

今日も昨日も、その先の日も草庵に人の往来がありません。人恋しさの想いがひしひしと迫る、淋しがり屋の一面を覗かせる山頭火です。蕗の皮むきで黒くなった指先に寂しさが籠ります。独り身の炊事の立ち姿にも、ものの憐れ感じます。蕗を丹念に煮ながらも、庭の足音を聞き漏らすまいと耳をそば立てているのです。<o:p></o:p>

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千人風呂<o:p></o:p>

ちんぼこもおそそもあふれる湯<o:p></o:p>

山頭火の風流譚。乃至は艶笑譚でしょうか。<o:p></o:p>

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うれしいこともかなしいことも草しげる<o:p></o:p>

人生行路には笑いも涙もついて廻ります。漂泊の身には、それが倍加して味の深い人生を彩ります。そんな人生を応援するかのように、草叢が行く手にこんもりと盛り上がっています。<o:p></o:p>

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ひとりひつそり竹の子竹になる<o:p></o:p>

誰にも見咎められることもなく、構われることもなく、竹の子はひとり大人になっていきました。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十六

2009-08-23 05:20:38 | 日記

蜂がてふちよが草がなんぼでも咲いて<o:p></o:p>

贅沢極まる世界です。こんな光景に遭遇したら、人は手放しで自然の力にひれ伏すでしょう。草原に草花が濃密に咲きこぼれ、ここは金も名誉も無用の世界です。山頭火の世界です。蝶が乱舞し、蜂が蜜を求めて羽音を奏でます。<o:p></o:p>

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けさは水音も、よいたよりでもありそうな<o:p></o:p>

山頭火の耳は時には超能力を発揮するのでしょう。今朝の筧から落ちる水音に期待が跳ねます。流れる水に木洩れ陽がきらりと光ります。<o:p></o:p>

きっと今日はいい事がありそうな、友の便りか、思わぬ喜捨を運ぶ為替の到来か。期待の膨らみを抑えて筧の水に両手を添えます。

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いつもつながれてほえるほかない犬です<o:p></o:p>

アメリカでは犬を繋ぐことは禁じられていると知りました。家の中で飼育するか屋敷を塀で囲い、放し飼いにするかです。山頭火、行乞の折々に散歩をせがんで鳴く犬に、憐れみの目を向けるのです。<o:p></o:p>

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生えて伸びて咲いてゐる幸福<o:p></o:p>

高望みはしませんよ、両親の愛に育まれ、三度の食事に事欠かず、健康に恵まれ、争いのない世に生きたら言うことは御座いません。路傍の花も決して無用な背伸びは致しません。健気に地に根を下ろし、控えめに花を咲かせてます。<o:p></o:p>

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閉めて一人の障子を虫が来てたたく<o:p></o:p>

山頭火の昆虫記でしょうか。今日はお籠りの一日ですか、じっと座す部屋を静寂が支配しています。障子に虫影が映ります。何かご用ですか、長い脚が可愛く動き、かさかさでしょうか、耳に心地よい音をたてています。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二十五

2009-08-22 04:46:29 | 日記

何もかも雑炊としてあたたかく<o:p></o:p>

身も凍る寒さでしょう、夕餉の残りを掻き集め、屑野菜も拾い集めました。凍える指先に息を吹きかけます。土鍋にどうやら八分目は具らしきものが入りました。僅かに御飯粒も覗いております。得度して報謝を受ける身にとっては贅沢な食卓となりました。芯から体が温まってきました。部屋の中も温もってきました。<o:p></o:p>

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病みほほけて信濃より帰庵<o:p></o:p>

草や木や生きて戻って茂つてゐる<o:p></o:p>

長い行乞の旅でした。辿り着いた信濃の地で体を壊してしまいます。酒毒が体を蝕んでいたのでしょうか。欲も得もなくと言いますが、痩せ細った山頭火は、必死に草庵に安住を求めました。自然は彼を裏切りません、やさしく緑の枝葉を一杯に広げて迎えてくれました。<o:p></o:p>

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病みて一人の朝がゆふべとなりゆく青葉<o:p></o:p>

草庵の一間で一人仰臥しています。病んだ体が徐々に恢復していきました。一日一日力がついてきて、窓辺の青葉もしっかりと声をかけてくれるように、青々と朝陽に光ります。<o:p></o:p>

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柿の若葉のかがやく空を死なずにゐる<o:p></o:p>

すっかりと病から恢復し、どうやら体力も十分に元に戻った山頭火です。天気も祝うかのように朝から好天気。抜けるような青空から射す陽が、柿の若葉をきらきらとそよがせています。そんな遠く近くの光景を眺めて主人公、思わず首筋を撫でます。「よくも死なずにいたものよ」。<o:p></o:p>

にんまりといったところでしょうか。<o:p></o:p>