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うたのすけの日常

日々の単なる日記等

埋み火 十一

2014-10-16 06:03:40 | 埋み火

                                                      四幕の三

 

綾  心ここにあらずって様子ですよ。

沢  なんだって。(座り直す)

綾  ほほほっ、慌てなくてもよろしいのよ。

沢  慌てるって、慌てることなんかなにもありゃしない、ただ…

綾  (鷹揚に笑いながら)ただなんですの。

沢  ただ、なんだってこんなことになったのか解せなくて。あの後藤という男よっぽどひどい仕打ちに出たんだろう。それに耐え兼ねて…かわいそうな女だ。

綾  涙を流しておやんなさいな。それが肌を合わした女に対する情ってもんですよ。

沢  (声を荒げ)なにを言い出すんだ綾…

綾  いいのよ、なにもかも承知。あの女に夢中で、とうっからただの間じゃないってことは。

沢  (肩を落とし)お前…

綾  いいんです。でもこれだけは言わせて、あの女がただの女で、あなたに想いを懸け   ての仲だったら黙ってはいなかった。横っ面のひとつも張ってたかもしれない。

沢  (たじろぎ)それはどういうことだ。それよりいつから…

綾  いつからって、ほほほっ、素直ですね…みとめるんですね…初(はな)っからですよ。(沢、なにか言おうとする)黙ってお聞きなさい、怒ってはいやしません。あの女はいけない、男を奈落の底まで引きずり込むつくりですよあの軀は。あなたみたいなお坊ちゃん育ち、ひとったまりもないわ。

沢  そうか、あんたみんな知っていたのか、それで(おずおずと)たったの今も怒っちゃいないのかい、すまないって思いは…

綾  なによ今更、あたしは必死だったんですよ。どうしたらあなたが女に溺れていくの   止められるかって。下手に嫉妬(やきもち)焼いて騒ぎたてたら、あなたは女の中に溶け込まれ   ていってしまう、そして残るのはあなたの惨めな姿、それが怖かった。

沢  もういい、あたしが悪い。

綾  いいの悪いのじゃないの、あなたは進むも地獄もどるも地獄にいたんですよ。あた   しはあなたも大事、「つたや」の看板も大事、あなたの首根っこを押え、家へ戻すことはできたかも知れない。でもいっときだったでしょうねえあの上せようでは、ほほほっ、あの晩以来まるで蝉の抜殻、腑抜けだったんだから。

沢  (呆然として)あの晩て…それに腑抜けはひどい。

綾  そうですよ、腑抜け。日暮れになると、魂があるのかないのやら落ち着かず、あたしはずいぶんと使用人の目を気にしてたんですよ。

沢  参ったな、みんな見通しだったとは。あたしは綾の手の平で、一人踊ってた訳だ。

綾  そんなんじゃありません。あたしは必死だったのよ、あの女にまともにぶつかったら、逆にあなたは深みにはまるだけ、太刀打ちできる相手じゃありません。お女郎上がりのしたたか女ですもの。

沢  女郎上がり?

綾  そうです、あなたもあたしもあの女にかかったら、赤子の手を捻るようなもんです。骨の髄までしゃぶられこの先あなたは、まともな神経では生きていけなかったでしょう。

沢  (深く頷き)その通りかも、だが女郎上がりとはねえ…

綾  気づきませんでしたか、あたしは場所柄そうではないかと、思ってはいましたが、初めてあの店に行って、身近で見たときやっぱりとひと目でわかりましたよ。あたしは知っての通り花街(いろまち)に生まれ育った……女郎(おんな)たちの振る舞いや暮らしは目に焼き付いてます。いい匂いのするお部屋、そして花を活けたお部屋、それであたしはぴんときたんです。(憎らし気に)もっともあの女、大店(おおみせ)のお女郎なんかじゃありゃあしませんけどね。

沢  でも…結構花活けたり…

綾  (鼻で笑い)懸命に背伸びしてたのよ、廻し女郎がいいとこよ。手練手管が身上、ちょっとした身のこなしや腰付きに、凄い色気が漂っていたわ…それにあなたは蕩(とろ)けてしまったんですよ。わかる筈ありませんよね。

沢  いや、全くの素人とはおもっちゃいないが。

綾  上手だったんでしょう、床が…

沢  なにを言う、厳しいね。

綾  ほほほっ、気になさらないで。浮気は男の甲斐性、実家の父もあなたのお父さんもよく遊ばれたお人です。あなたの浮気の一つや二つで血迷いはしません。

沢  もういい。

綾  いえきいて頂戴、責めてるのではありません。ここであたしが悋気を起こして取り乱したら、大変なことになると考えたの…あなたは余計女にのめり込み、女も牙剥き出して溺(から)めにかかってくると。そしたらお仕舞いあなたもあたしも。そして「つたや」も。

沢  すまない、よく耐えてくれたねえ、すまなかった。

綾  (うなだれる沢に取り合わず)女の肌に惑わされ、盲同然のあなたでしたからね。それであたしは盲のあなたと一緒に騙されようと、二人が相手じゃ面食らうのではないかと期待したんです。蕩しこんだ男の女房に、懐にとびこまれては勝手が狂うじゃないかと、逆手をとって女の気持に賭けたんです。どうやら願いが通じたみたい、思いの外の、気の毒な終わりになったけど…

沢  どういうことだねそれは?

綾  あたしの狙いが…当たった。身を引く気になったのよ、あたしの必死の願いが、女の胸のなにかに遅れをとらしたんだわ。

沢  なぜ亭主を刺した…

綾  男が女の弱気に苛立って諍いになったんですよ、かわいそうなことをさせてしまった。あたしたちに女は心中立てしたんですよ。あなたを虜にした女ですけど、憎さは薄まってます。

沢  あんたをひどい立場に立たせる羽目にしてしまった。

綾  なに言うのいまさら…あなたは救われたのよ。世間にゃ知れません。なんであたしが情けない悔しい思いを殺してまで、あの女にあれこれしたと思うのよ。お取調べであなたの名前は一言半句出ません、あなたのことに関して一切しゃべりません。しゃべるくらいならご亭主を殺しはしない、あたしの崖っ淵からの願いに、必死で心を洗ってくれたのよ、安心なさい。

沢  (深く溜息をつくがほっとした表情)そうなんだろうか、しかし女は怖い。

綾  あたしのこと、それともあちら。あたしも女、怖いですよ。ねえ、いまだから言えるけど、(笑いを浮かべ)ずいぶんとあなた、夜のお仕事に神経つかってましたね。あたしとあちらとの兼合い、腹立たしいの通り越していじらしくなりましたよ。あたしが淡白だからいいようなもの、好きもんだったらどうなってたんでしょう、あちらに行って役立たず…

沢  おい、いい加減にしなさい年甲斐もなく。

綾  あれ、ご自分はどうなんです。いい齢して女の腹積もりも見抜けず、うつつを抜かして。

沢  手厳しいね、怒ってなんかいないってたったのいま言ってたじゃないか。

綾  そうよ、怒ってなんかいませんよ、これから先のこと心配して言ってるんです。

沢  (すっかり安心のさま)はははっ、懲りた懲りた悪い夢を見てたんだ。ところで話はもどるがあたしだってあれが金目当てだってことぐらいは…

綾  でも一度知った味が忘れず後引いて。

沢  そんなんじゃない、あれ、あたしの子が出来たって言いだしたんだ…

綾  (目の色を変える)ええっ!

沢  そうなんだ、みどりを養女と知らず実の娘と思ってたらしい、あたしに子種がないの知るわけないやね。

綾  それであなた…

沢  真に受けてやったよ。

綾  (思わず声を荒げる)まあ呆れた、そこで目が覚めずに。

沢  怒らないでくれ、言わして貰うよこの際だ。

綾  (落ち着いて)いいでしょう、言って。ききたい。

沢  ほんとにあたしの子を身ごもったかと一瞬思ったよ。その一所懸命騙しにかかってくる意気込みが逆に憐れに思え、始末しなとはっきり言うのが憚れた。まさか孕んでいない子を生んでくれとも言えないし、おかしな心地にさせる女だった。

綾  (顔をこわばらす)そうよ、おんな、おんな、だったのよ。もうご自分で爪を切り、ヤスリをかけてまで逢いに行った女はもう過ぎ去った女…なのよ…あたしはあなたの指を噛み切りたかった。

沢  うううっ…

綾  (すくっと立ち上がり)あの女に腕のいい弁護士をつけましょう。

沢  えっ?

綾  それにかづと言いましたね、女の子、あたしが引き取ります。

沢  (せきこんで)それで養女にでも…

綾  (冷やかに)お取調べが済み、裁きがついたら口入れ屋にあずけます。

 

舞台下手に、巡査に縄尻をとられたたえの姿が浮かぶ。頭を垂れ、寒風に裾を煽られ寒々とした風情。

舞台溶暗そして幕  


埋み火 十

2014-10-15 04:15:29 | 埋み火

                       四幕の二

 

沢の家の奥座敷。店もおわり居間で綾と沢くつろいでいる。といきなり、表が騒々しくなる。大声をあげながら人々の駆けて行く足音が続く。

 

綾  あなた、いやに外が騒々しいじゃありませんか、こんな夜更けに。

沢  日比谷公園の二の舞で、浅草寺で焼打ちでも始まったかな。

綾  まさか、恐ろしいこと言わないで、板さんが様子見にいったかも。   

沢  違いない。   

   

奥から夏、民とみつ出てくる。

 

夏  旦那様、人が大勢走っていきます、板前さんがなんの騒ぎかと見に行きました。

沢  板前の帰りを待とう。

みつ (縁側から辺りを見廻し)火の手は見えませんし、喧嘩でしょうか?

民  喧嘩、あたし東京へ来てから火事は呆れるほど見てるけど、喧嘩はまだ見たことないの、行ってみようかしら。(民、飛び出そうとする。)

沢  馬鹿、いや馬鹿じゃない、なんですか若い娘が。

綾  はしたないわお民。

民  すみません。

夏  (おろおろしながら)おかみさん、鳶頭(かしら)に声かけて若者(わかいし)寄越してもらいましょうか。

沢  落ち着きなさい、万事は板前が戻ってからだ。

 

舞台明り消え、紗幕降り舞台前面に明り。下手より板前早足で中央にさしかかると追うように呼び止める遠藤の声。

 

遠藤 いたさーん、「つたや」の板さんよー。

 

板前、足を止め振り返り身構える。提灯を持つ遠藤を先頭に大沢、神谷現れ板前に寄る。

 

神谷 (咳き込んで)大変なことが起きたようだな板前さん、「つたや」さんにはさぞかし頭の痛い事になりそうだね…

遠藤 当分噂雀が囀って、この界隈賑やかになりますぜ。なにしろあのおかみ、お宅の旦那に触れれば落ちん風情(ふぜえ)だったからねえ…

大沢 僕なんか情けない、鼻もひっかけられなかった。

板前 (いきり三人に詰めよる)よしやがれ丸たん棒め!黙って聞いてりゃなんだと、おいっ、お三人さんよ、なにけえ、うちの旦那があんな飲み屋くんだりの女とかかありあいがあるとでも言うのかい。

神谷 (あわてる)いや、そんなつもりでは……

遠藤 なにもそんなに噛み付かなくても……

板前 ふざけるな!(三人、板前の剣幕に後ずさりする)俺はな、「つたや」じゃ先代っからの板前だ。旦那の為にゃ体を張ろうと、おっう、匕首(あいくち)をいつだって呑んでるんだぜ。下手な噂が旦那に災いするようなら、てめらが火元と只じゃ置かねえから覚悟しやがれ!いいな!これは尋常(ただ)の脅しじゃねえんだぞ!

 

板前、精一杯三人を睨みつけて踵を返す。三人震え上がって立ち竦む。

 

神谷 あたしは「たえ」なんて店全然知りませんよ。

遠藤 この界隈にそんな店あったけねえ?

大沢 ああ怖かった。僕は早く家へ帰りたいですよ。

 

三人、勝手言ってるうちに、前面の明り消え、紗幕上がり舞台元の場面、明り入る。

 

板前、居間に面した庭先の裏木戸から飛び込んでくる。

 

板前 旦那あっ、おかみさん、えれえこってすぜ。

綾  板さん…

板前 へえ、(縁先に片膝をつき)驚いてはいけませんぜ旦那、えれえこってすぜ。

綾  どうしたのいったい?

板前 へえ、飲屋の、そのう…「たえ」のおかみが、亭主を刺し殺しちまったんです出刃でもって。(民、みつ大迎に騒ぐ)

沢  なんだって。

綾  (手で女たちを奥へさがらせ)ほんとかい板さん。

板前 この目で見てきたんです。店の前は黒山の人だかりで、あっしが駆け付けたときゃ   あ丁度女がしょっぴかれるとこで。

綾  本当なんだねえ…

板前 へえ。

綾  でどんな様子だったんだい。

板前 それがですよ。野次んま掻き分け一番めえで見てたんですがね、女は着てるもんは   勿論、はだけた胸のあたりが返り血て真っ赤、髪は崩れ顔色ったら青いの通り越しまっちろで、あんよは裸足のまんまで、へえ。細い手首にお縄打たれてお巡り二人に両側から抱えられ、目は閉じたまんま。おかみさんのめえですが、その姿の色っぽいったらありませんでしたよ、凄い色気で、へえ、これはどうも、すいません。

綾  そうかね、もういいよ御苦労様。いやちょっと。

板前 なんでしょう?

綾  女の子がいたろうに。

板前 おかみの娘ですね。

綾  そう。

板前 おかみに泣きながら縋っていた娘を、近所に住む鳶頭(かしら)のかみさんが連れてったとか、それは哀れな情景だったそうで。これは野次ん馬の話を耳にしただけで、はっきりし   た事は…それではこれで。(板前、裏木戸へ)

綾  (板前の背に)あんまり子供達を脅かすようなことは言わないようにね、板さん。

板前 (振り向き、腰を屈め)わかっておりやす。

綾  (板前の振り返りながら去るのを見て)あっそれから…

板前 なんでしょう?

綾  店の者たちに、騒ぎ立ててつまらぬことを口にしないように板さんから…

板前 (胸を大仰に張り)へーい!しっかりと釘を刺しておきやす、ごしんぺいなく。

綾  (板前去るのをみて沢に)あなた驚きましたね、(沢大きく息をつく)掌中の玉が一瞬に消えてしまった想いではないのですか…

沢  えっ…


埋み火 九

2014-10-14 01:43:42 | 埋み火

                               四幕の一

 

たえの店、初冬の風が暖簾を叩く。夜も更け店内寒々として暗く、椅子に腰をおろしたたえ、やつれ考え込んでいる。座敷の壁に子供の着物がかかっている。楷段(はしごだん)を降りてくる足音、後藤、奥から出てくる。

 

後藤 なんでい、今日は店開けねえでいんのかい、灯りもつけねえでどうしたんだ(後藤、灯りをつける)ばかに考えこんでんじゃねえか、おやあ、すげえ着物(きもん)だ、子供んだな。

たえ 正月の晴着だよ、奥様が少し早いけどって、届けて下すったんだ。お嬢さんに昔誂えたもんだっておっしゃってたけれど、この品物はそんなもんじゃない、新しく仕立てて下すったんだ…小物までぬかりなく…揃えて、あたいはどうしたらいいんだよ…

後藤 どうもこうもねえだろう、早えとこ金に替えちまおう。

たえ 馬鹿野郎、なに言ってんだい、あたいの胸中(むねっち)はそれどこじゃないんだ。

後藤 なんでい大きな声出しやがって。

たえ ちっとしゃべらないでいておくれ、気持がなんか落ち着かないんだ。

後藤 勝手にしろと言いてえとこだがそうはいかねえ、それよか肝心な話だ。腹ぼてのことよ、ケリは着いたんだろう、たんまり頂いたんだろう?知らぬ半兵衛はいけねえ、半分がとこは廻して貰うぜ、どうなんだ。

たえ ああ、旦那はこれっぽっちも疑わず出しておくれだよ。

後藤 そいつは豪気だ。

たえ たんと滋養つけなくちゃだめだなんてやさしいんだ、おまけに、あれはお産と同じだからって、あたいの躯に指一本触れずにお帰りだ、針の莚だよまったく。

後藤 まさかおめえ、仏心がついて…

たえ そうだよ…そのまさかだよ、旦那は仏さんだ。それに輪をかけた奥様、自分の亭主を餌食に、がんじがらめの色仕掛けで洗いざらい絞り取ろうって魂胆の女に、なんやかや、やさしくしてくれるんだ。もうたまんないよ。

後藤 そんでどうだってんだ。

たえ 嫉妬(やきもち)焼いて、罵詈雑言のひとつも投げてくれりゃあ、なに言ってやがんでえと尻捲って悪態つき、お宝たんまり頂く腹積もりにもになろうってもんだけど、そうはいかない雲行きだ、妙な気持ちになってきたよ。あたいはお宝そっくり返すんだ。

後藤 (慌ていきり立つ)なんだと、おめえなにかい、正気でそんな…ふざけんじゃねえぜ。俺は大事(でえじ)な女房人身御供に大仕事してるんだぜ、なに言い出すんだ。

たえ 大事な女房が聞いて呆れるよ、まあそんなことはどうでもいい、あたいは降りるよ。後藤 なにいっ、この悪(わる)が!                        

たえ そりゃああたいは悪だ、悪にもなろうじゃないか。あたいはね、下町は場末の裏長   屋で半端職人のうちに生まれたんだ。九尺二間のあばら家に、あたいを頭に五人の   子だくさん、ひもじさにぴいぴい泣いてたんだ。いまでも頭に焼き付いて離れない、   おっかさんが言うんだよ、今夜は鮒だって、あたいたちは土間の亀から水汲んで飲   むんだ、それが晩飯だよ。

後藤 いい加減にしねえか、おめえの御託聞いてる場合じゃねえんだ。

たえ そんな暮らしのあげくが口入れ屋に預けられ、十やそこらで女郎屋の下働きに売ら   れちまったんだ。先はわかっていたよ、腹をくくったのさ、裏長屋の掃だめより落   ちようがないって。赤いべべ着てまがりなりにもい空腹(ひも)じい思いをせずにすむんだ。後藤 おいおい、旦那の話しはいっていどうなんだ。

たえ 十八からの廓勤め、おまえわかるかい、生きては苦界、死にゃあ投込寺だ!

後藤 なんでいそりゃ。

たえ 身も心もぼろぼろになるまで身売り証文の十年間、男の慰みに生きるんだよ。苦界   どころか地獄だ、病にとっつかれ、おっちにでもすりゃあ淨閑寺て寺に投げ込まれ   て終わりだ。

後藤 ふん、よく口が廻るぜ、まあいいだろう俺の腹は決まってるんだ。

たえ あたいのたえって名は、男に耐え、苦労に耐えろってことなんだねえ……仕事もろくにせず、酒びたりの親の借金の穴埋めときちゃあ、世間まともにゃ生きていけないよ。喘えぎ喘えぎはいずり廻って客をとる毎日。飲まず食わずの貧乏がどっぷり浸かった掃だめから逃げ出すにはこれしか道はないんだ。どんなに惨い仕打ちに会おうと、耐えてすがっていくしかないのさ…

後藤 おいおいいい加減にしねえかい。

たえ 世の中万事金だと、鼠声あげて客をたらしにかかるのも成り行きだね。だがこれも、   なんとか一日もはやく、人並みの暮らしがしたかったんだ。おまえの身請話にこれ   で地獄から抜けられる、あったかい所にたどりつけたと。それがしょっぱなから目   算狂い、どうもこうもないやね。岡場所移したようなもんで男騙しの続き、身に染   み付いちゃったんだよね。いくら騙され脅かされたって、躯一つで逃げることは出   来たんだ。それがおまえとつるんで、男定めしちゃあ親の敵(かたき)と鼻声出し、よがり倒   してお鳥目を絞り取る生業(なりわい)、やだ、もう耐えられない降りるよ。

後藤 ふざけるな、黙って聞いてりゃあ愚にもつかねえ昔話をおっぱじめやがって、なにがおめえをそこまで弱気に追い込んだんだ。これを最後にぷっつりおめえのめえから姿消すって言ってるじゃねえか、俺は承知できねえ。

たえ 旦那のお人柄だよ。まるっきり歯ごたえ見せずに騙されちまうんだもの。それよか   奥様だ、お陽様だよ、あったかくあたいを包んじまったのさ。あの二人にはもう手   は出せない、負けだよ。とことん旦那を誑(たらし)込むなんて、到底出来ない心持ちになっ     たんだよ。

後藤 (せせら笑って)よせよせ、仏心なんか持つんじゃねえ。いいか、金は俺達の探しあぐねてた敵(かたき)だ、やっとこ巡り会えた敵を前に、尻に帆かけ逃げ出すたあ見当違えもいいとこだ。 

たえ なに言ってもだめだよ、あたいはかづを連れておまえの前から姿消すよ。もう決めたんだ。

後藤 よしやがれ!

たえ 大きな声出さなくたって聞こえてるよ、あたいは承知のとおり悪さを重ねてきた女   だ、この腹んなかはまやかしだけで、誠のまの字もつまっちゃいない。でもね、そ   んな陽の目も拝めない悲しい胸中(むねっち)にも、火鉢の灰の奥底に、消え入るばかりの埋み   火が…人並みの気持ちがあったんだよう。灰に埋もれたそのちっちゃな熾(おき)きに、暖   かい息を吹きかけてくれたんだよう…暖かい手でまっとうな気持ちをおびき出し   て下すったんだ奥様が。こんな気持ちを大事にしたいんだ、奥様に泣きは見せられ   ない、あたいはここを離れる。こんだこそおまえとは縁を切り、堅気になるんだ!

後藤 はっははははっ、堅気になるだと、はははっ、久し振りに笑わしてくれるじゃねえ   か、おめえには出来ねえ、だめだよ。てめえでもわかっている筈だ、どこ行ったっ   て男がほって置かねえよ。おめえが悪いんじゃねえ、その躱よ。その着物(きもん)の下のむ      っちりした白え膚が、男を危ねえ淵にたらし込むように出来てんだ、諦めな。

たえ いやだ!紅を落とし髪を切っても女を捨てるんだ……おまえ諦めておくれ。この先まっとうに暮らすか、他に金づるでも探しておくれ、お願いだ。

後藤 どうやら本気のようだな?

たえ ああ、本気だよ。

後藤 ようしわかった、てめえだけいい子になりゃいい。俺は引き下がんねえ一人で食ら   いつく。

たえ なんだって!

後藤 知れたことよ、沢の旦那と直に取引だ。

たえ おまえ… 

後藤 そうよ、人の女房と臆面なく乳繰り合い、孕ませたあげく始末しなと、はした金で   口を拭おうたって、そうはいかねえと強談判よ。

たえ (小声で脅えたように)冗談だろう…

後藤 まあきけ、この俺がこうこうしかじか女房寝取られましたと訴え出りゃどうなる、   おめえはいまでも俺のれっきとした女房なんだぜ、臭い飯をくわなきゃなるめえ。   旦那だってただじゃすまねえ、この界隈大騒ぎよ。おめえのいう大層な奥様だって、   料理屋のおかみでございますなんて、畏まっちゃあいられなくなるんだ。まさか安   い金で玄関払いも出来めい。

たえ (哀願する)止しておくれそんなあごきなまねは、ねえっ、口先だけだろう、強がりを言ってるだけなんだよね?

後藤 はったりじゃねえ、やるといったらやる。土台こんだの話はおめいにまかせっきり   の仕事じゃねえんだ。

たえ なんだって、そんじゃはなっから…

後藤 知れたこと。

たえ 畜生!

後藤 わめくな!人の女房と承知の上で、勝手気ままによがり声上げさせりゃあ、どんなに高くつくか、お二人さんに震え上がって知って頂くんだよ。

たえ 後生だ、それじゃあんまりだ、奥様のこと考えておくれ、なんの罪科もないお人な   んだ、ねえお願いだ…

後藤 だめだ、近頃やたらとはお目にかかれねえ鴨だ。やっとお膳立てが出来たってのにだれがむざむざ後へ引けるか。

たえ やるんだねどうしても。

後藤 なんでいその目は、おめえ、旦那に惚れたのか?

たえ なに言ってんだい、惚れたはれたじゃない。

後藤 うぬっ、惚れやがったな。

たえ 惚れたからってあたいにどうなるお方じゃない、悲しいねえ…

後藤 ほざいてくれるじゃねえか。

たえ 旦那のやさしさ、奥様の屈託ない子供のような気持にほだされたんだ。これ以上あ   こぎをしたら獣だよ。

後藤 獣だと、上等だ。鬼でも蛇にでもなってやろうじゃねえか。安心しな、お前とはこ   れきりにしてやっから。

たえ (拝むように)ねえ、お願いだ、思い直しておくれ。旦那から頂いたお宝もなにかも渡そうじゃないか、そんで我慢しておくれな、頼むよ。ねえっ…

後藤 うるせえ!たえ、それよかてめえの身の振り方でも考えておけ、出掛けるぜ。景気   づけに一杯やりながら、じっくり脅しの手順でも考えるとすらあな。

   

後藤、いったん二階へ、たえ勝手場から出刃を持ち出し隠しもつ。後藤、土間へ出てくる。足音も荒く羽織りを肩にかけ、たえに目もくれず入り口へ向かう。

 

たえ おまえ、いま一度きくよ、どうしてもやるってのかい?考え直しておくれよ、ねえっ!

 

後藤、振り返り冷やかに笑う。

 

たえ あたいが黙ってこのまんま、おまえの勝手気侭に目をつぶるとでも思ってるのかい。

後藤 なにいっ!

たえ (たえ、出刃を構える。)行かしゃしないよ。

後藤 (一瞬たじろぐ)おめえ、ふざけてんだろう!

たえ 人をみくびるんじゃないよ、死ねええ!

 

たえ体当りして刺し、えぐる、出刃を抜くが勢いあまって後ろにあおむけに倒れる。

 

後藤 あっ、ほんとに刺しやがった…

 

後藤、片膝をついてうずくまる。虚ろな目、鳩尾を押さえ、訴えるように片手をたえの方にのばす。

 

後藤 (苦しい息の下)甘えよ甘えよ…甘えんだよおめいはまだ、うううっ…地べたをはいずりまわる俺っちらの…うううっ…おめえの気持なんか…あのお二人さんに通じると思ってやがんのか!おめえの微かに残った、まっとうな気持を…おびき出してくれただとう…最後の最後まで笑わしてくれるじゃねえかい、たえ、よう…旦那だってえ、とどのつまりはおめえの…しれえ肌を弄んだだけよ…それがわからねえのか…それがわからねえ…

 

後藤、膝をがくっと落としうつぶせに倒れる。たえ、身を起こし、ぺたりと座り込む。手にした出刃に気づき慌ててほうり出す。

 

たえ あたいが刺したんじゃない…あたいに、微かに残る泪が…刺しちまったんだよう… 

そのとき、かづの泣き声。

 

たえ かづ、怖い夢を見たのかい…堪忍、とうとうお前を人殺しの子にしちまったよう…

                     

                          暗転


埋み火 八

2014-10-13 06:31:01 | 埋み火


                      三幕 二場

 

数日後、「たえ」の店、まだ外は明るい、たえ、浮かぬ顔で椅子にかけている。そこへ二階か降りてくる後藤。そんなたえを見て。

 

後藤 どうしたんだその浮かねい面は。

たえ ほっとおいておくれ。

後藤 そうかよ…(思いなおしたように)どうだ、ここらで一気に攻めたててみねえか、おめえの躱に旦那が後先の見境えなく、かっかとのぼせ上がってるいまがうってつけだ。ここで大芝居打つんだ、腹ぼてになりやしたと揺さぶりかけて、逃げを決めるようならまとまった金を、脅し半分頂いちゃおうじゃねえか。

たえ お黙り!悪党…

後藤 悪党が悪党よばりか、笑わすぜ。

たえ ふん、おまえにあれこれ指図は受けないよ、ちとしゃべり過ぎじゃないのかい。    (考え込むたえ)脅しに出ようなんて考えちゃいないよ、旦那は人を疑うことを知   らないお人だ、手荒なまねしなくたって、お宝せしめんのは赤子の手えひねるよか   軽い。だけどねえ、あこぎなまねしてんのがあたい辛くなってきたんだよ近ごろ…   奥様のお顔がちらついて気が滅入ってくるんだ。

後藤 おいおい、冗談じゃねえぜ、ふん、柄にもねえ。

たえ なにがふんだい、わかりもしないで、それより出掛けたらどうだいそろそろ店をあけるよ。

後藤 邪魔にすんない。

たえ 邪魔なんだよ、客にさわるし第一うっとしいんだよ。

後藤 そうかよ、だがよくきけよ、まとまった銭手にしねえうちは、おめえとは他人にゃ   ならねえんだよ、わかってるな。

たえ くどいよ!   

 

後藤、せせ笑いながら店を出る、たえ、店の支度にかかる、花をあしらい香を焚く、入れ違いに沢、綾と夏を伴い店に入って来る

 

たえ あら、あな…(綾を認め、慌てる)あの…沢さんの奥様で…

綾  一度お目にかかってますわよね、いつぞや仲店通りで。

たえ 申し訳ありません御挨拶も出来ず…

綾  いいんですよそんなこと。あたしのほうこそ、あなたがこの店のおかみさんかどう   か定かじゃなかったもんで、やはりそうだったのね。もしやとは思ったんですよ。たえ 恐れ入ります。

綾  今日はね、早い時間なんですけどそこまでついでがあったもんで、一緒に寄らして   貰ったのよ。

   

沢、綾の後ろで憮然としている。

 

たえ わざわざありがとうございます、こんなむさ苦しい店に。さあどうぞお掛けになって下さい。沢さん、お酒にしますか。

沢  うん、女房はいいよ、お茶でも淹れてやっておくれ。

たえ はい。

綾  いいのよ、あたしなら構わないで。

たえ いえそんな。奥様、今日はどちらかお出掛けですか。

綾  ちょっとお得意様に。

たえ さようでございますか。(酒と茶となにやら支度して、土間の飯台に並べる)

綾  あなた、召し上がったら。

沢  おう、(たえ、酌をする、綾それを見遣る)

綾  おや、いい薫り、香を嗜みなさるのね。それに奇麗にお花も活けてらっしゃる。な   かなかじゃありませんかお若いのに…

たえ お恥ずかしいいですわ、ただ見様見真似で…

綾 (店をさりげなく見迴しながら)そうそう、出がけに板前にみつくらしてお重に詰め   てきたのよ、お酒のつまみにどうかしらと思って。お夏、こっちへ…

夏  (綾に風呂敷包みを手渡しながら大仰に)あれっ、こちらへお持ちするんだったんですか?

綾  そうですよ、それがどうかしましたか。

 

夏、たえをきつい目で見る。

 

たえ なんですか、勿体ないですわうちあたりの店で。

綾  まあまあ、あなたにお持ちしたのよ、一つ味見して下さいな。

たえ すみません、遠慮なく頂きます。まあおいしそう、奇麗な盛り付けで、いまお重をあけてきます。

綾  いいのよ、そのまま使って頂戴。

たえ それじゃあんまり…

綾  いいんですよ。(沢に)あなた、なかなかいいお店じゃないの、(たえに)いつも   すみませんうちの人がお世話かけて、さぞかし我がまま言ってるんでしょうね。感   謝してますよ。

たえ 感謝だなんて…あたしの方こそ旦那様にご贔屓にして頂いて、それより奥様、結構なお着物たんと、なんとお礼申していいか、奥様にまでかわいがって貰って嬉しいですわ。喜んで着させて頂いてます、これそうなんですよ奥様。

綾  そのようね、よくお似合いよ。喜んで着て貰ってほっとしましたよ。(沢に)あな   た、あたしたちお店開けるまでには帰りますから、ゆっくりなすってらっしゃいな、沢  うん、まあ適当に。

綾  ほほほっ、適当だなんて。

沢  もうそのあたりで話は止めにしたらどうだい、遅くなるんじゃないのか。

綾  ほほほほっ、そうですね、ではお夏、失礼しましょう。そうそう、お子さんが見え   ないようだけど。

たえ  はい、ちょっとの間、裏の年寄りが構ってくれてるです。

綾  それはまたいい人がいてよかったわ、小さい子を抱えてのご商売、大変でしょう、   よくおやりなさる、偉いのねえ。

たえ 偉いなんて奥様。

綾  ほんとよ、ねえあなた。

沢  まあまあそれぐらいにして。

綾  はいはい、こんどこそ。

たえ あらほんとにお帰りですか、いろいろお気使いありがとうございます。またお近いうちご一緒にお出掛けください。

綾  そうね、そうしますよ、それでは御免下さい。(たえ、綾を腰をかがめ見送る)

夏  (表に出た綾を先に、店先を振り返りながら)この飲屋なんですねおかみさん、旦   那様が行きつけのお店って。ここならあたし知ってます。

綾  そうかい。

夏  そうかいじゃございません。よろしいんですか旦那様一人置いて、あたしなんか心   配です。旦那様あの女に喰われそう。

綾  ほほほっ、なに言うのお夏は。さあ急ぎましょう、時間までにもどれませんよ。

夏  はいっ。

   

二人を送り出した沢とたえ、場所を座敷にかえ、たえ、あらためて膳を整える。

 

たえ あなた、あたし気い張りっぱなし、疲れたわ。それに…なんだか惨め、泣きたいわ、こんなんていや。(たえいきなりたちあがり、戸口に走りしんばりをかい、戻るとなにか意を決した眦で座り直し、そして両手で顔を覆い哭き出す)

沢  どうしたんだ急に黙りこくって、おまけにしんばりまでしちゃって、おいたえ、お   前泣いてんのかい、一体どうしたってんだ。女房が顔見せたのが気にいらないのか、   あたしが好んで連れて来たんじゃないんだよ…

たえ そんなんじゃありません。あなた、思い切って言いますよ。

沢  改まってまた。

   

たえ、沢の耳元に口を寄せささやく。

 

沢  えっ、本当のことかい、(沢の顔に苦汁の影が一瞬走る)

たえ 嘘や冗談で、愛想が尽きましたか、後藤とは他人よ、言えない…

沢  間違いないのかい?(たえ頷く)

たえ あたしが迂闊でした、すみません…

沢  たえがあやまることじゃない。

たえ 怒ってますね。

沢  怒っちゃいない、戸惑っているだけだ。

たえ いえ、その目、その貌(かお)…

沢  そんな、後先考えなくてはならんじゃないかい。

たえ 逃げても構いませんよ、追いはしない。

沢  馬鹿言うんじゃない、なんであたしが逃げを打つなんて考えるんだ。たえはあたし   をそんな男と…

たえ えっ、そんじゃあたしを今までどおり、かわいがっておくれなんですねえ…

沢  当たり前だ。要はだね、薄情に聞こえるかもしれないが、わかってくれ。たえはまだ亭主持ちの躯だ、ご亭主とはっきり切れなきゃ、喜んで生みなさいと…

たえ わかっています。後藤がなかなか別れ話に…なんだかんだと無理難題を言って、頭を縦に振らないんですよ。あなたにはただただ申し訳なくて…でも生もうとは思っていませんよ。騒動はいやです、始末をしますよ。

沢  (そっと安堵の吐息をつく)そうか、すまない。それで、どこか安心なとこ…どう

してもみつかんなけりゃあ…

たえ いえ、あなたの手はわずらわしはしません。でもさみしい、あなたの子が産めたら   と…(顔を袂で覆う)でもあたしたちの間なんて、こんなもんなのね。奥様が妬け   るう…

 

たえ泣く。

 

沢  それを言ってくれるな。

たえ 理屈ではわかっているんですよ。

沢  それでいいじゃないか、もうこの話は止めにしよう、あとは躯に気をつけて、頼ん   だよ。

たえ はい。

沢  いい返事だ、これであたしも安心出来るというもんだ。さあ一本つけなおして貰お   うか、店も開けなくてはな、そろそろ客もくる時間じゃないのかい。

 

たえ、沢にしなだれかかる。

 

沢  ご亭主との間にけりがついたら、格好の家をと、心してるんだよたえ。

たえ (沢を凝視し)あたしを囲ってくださるんですか、うれしい!

 

                         暗転


埋み火 七

2014-10-12 06:12:05 | 埋み火

                    三 幕 一 場

 

秋も終わりを告げる頃[たえ]の店内、客はおらず遅い時刻、たえと後藤酒を飲んでいる。

 

後藤 やけに今夜は暇だな、まるっきりじゃねえか、下手するとお茶っ引きだな。

たえ 宵の口からおまえがとぐろ巻いてたんじゃ、客も脅えて寄りつきゃしないよ。

後藤 とんだ疫病神ってわけかい。

たえ ふん、どうでもいいよ。なんかこう今度の仕事気が滅入っていくんだよね、頂いた   着物のせえか、奥様の影がちらついて…

後藤 おいっ、なに言い出すんだ、冗談は言いっこなしだぜ。それとも沢の旦那が手ごわい相手とでも言うのか?

たえ ふん。(入り口に客の気配)

たえ 客だよ、消えな。

後藤 おっ…(階段へ足早に)

沢  (風呂敷包みを抱え)おやっ、ばかに静かと思ったら客が一人もいないね。もっと   も時間も遅いか…  

たえ (大迎に)沢さん、来て下さったのね嬉しいっ、他の客なんかいらない、しんばり   かっちゃおう。

沢  まあまあ。

たえ それよりどうしたんです大きな包み抱えなすって。

沢  いや、女房がお前さんに着て貰えって又よこしたんだよ、まあ気にいらなきゃ放っ   ておけばいい。

たえ なにおっしゃるの、気にいらないなんて罰が当たりますよ、奥様のお心使い涙がこ   ぼれます。

沢  大袈裟な。

後藤 (階段の上がり口から暖簾越しに顔を覗かせ)これはこれは沢の旦那、毎度ご贔屓にあずかりやして。

たえ あんた、奥様から又たくさんお着物いただいちゃって。

後藤 (揉み手をしながら)いやあこれはどうも、へへへへっ、あっしの稼ぎが薄いもんで、かかあに着物(きもん)一めえ買ってやれねえていたらく、助かりやす。

たえ 稼ぎが薄いって、あんたのはまるっきりじゃないのかい。

沢  まあまあおかみ、ご主人、女房の世話好きからすることです、気になさらず受け取ってやって下さい。

後藤 とんでもねえ、気になんかするもんですかい。こちとらにとっちゃあ大助かりの飯   の種、いや…

たえ あんた、いつまでくっちゃべってないで。

沢  (たえを制し)どうですご主人、ご一緒に一杯やりませんか。

後藤 いえいえあっしは結構で、ちょっくら野暮用でこれから出掛けるもんで。(沢の後   に迴り肩を揉み始める)おやあっ、大分凝ってますね、ちょっと揉ませて頂きやし   ょう。ほう、旦那左利きですかい?

沢  そうじゃないがまたなぜ。

後藤 なんですか、左がいやに凝ってますね…

たえ もっともらしいこと言って、あんたになにがわかるもんかね、聞いたふうなこと言って。

後藤 それじゃ旦那、ごゆっくりなすって、あっしはこれで…

たえ あんた、どうせ帰りは遅いんだろう、しんばりかっちゃうよ、近ごろ物騒なんだか   ら。

   

後藤、たえに目配せして表に飛び出す。

 

たえ さああなた、邪魔な奴が消えました、ふふふっ…

沢   なにがおかしい。

たえ なにがって、大分凝ってますねなんて、肩揉みだすんですもん。ふふっ、知らぬは   亭主ばかりなり、おかしくもなりますよ。

沢  ふむーん…でもそういう言い方は止めにしよう、それよりあたしはあの太い腕がいきなり首を絞めにかかんじゃないかと、一瞬ひやっとしたよ。

たえ まさか、後藤にはなにも見えてなんかいません、お気使い無用ですよ。

沢  そう願いたいね、お互いいまんところは。先行きおまえさん達の間がけりつくまで   はね…

たえ すいません。

 

そう言いながらたえ、酒と肴を支度し小座敷に運ぶ、二人飲み始める。    

 

たえ ねえ、奥様にこんなにして頂いていいのしから、気が咎めるんですよ、なんか息苦   しくなんの。

沢  気にするこたあない、世話好きなだけよ。尤も相手によっては有難迷惑ってことも   あるかもしれないが。

たえ そんな、罰があたりますよ。正直ほんとは嬉しいの、あたし人様に今まで良くして   貰ったことってないんですもの、お目にかかってお礼言いたいわ。

沢  その必要はないよ。

たえ ……(思い直したように)あたしこないだお見かけしたのよ、仲店で… 

沢  だれを?

たえ 奥様ですよ。昼間のことだけどお買い物の帰りかしら、いいお柄のお召しもので。あっ奥様だと、でも気後れがしてご挨拶もできずじまい、目をそらして行き過ぎたの…そんとき後ろ姿を見送りながら無性に妬けてきた…あんな気持ちって初めて、自分では嫉妬(やきもち)となんか縁のない女と思ってたけど、辛い…(涙をこらえるように天井を仰ぐ)

沢  (満更でもないといった含み笑いをし)ふふふっ、なに言うんだ、気持ちを穏やかにもつんだ。

たえ 無理よ   

 

二人、酒を汲み交わす、たえ、盃を倒し酒をこぼす。

 

たえ あらすいません。   

 

たえ、慌てずこぼれた酒を指でなぞり、その指を沢の口に入れる、沢、戸惑いながらも指を吸う、たえ盃に酒を注ぎ足し指を浸ししゃぶり、その指をまた沢の口へ、沢、陶然と吸う。二人しばしそれを繰り返す。たえ、沢ににじり寄りもたれ掛かる。

 

沢  なあおかみ。

たえ たえって呼んで。

沢  ふふふっ、たえ、前から考えてたんだが、月々小使いといっちゃなんだが、定まっ   たもん渡そうじゃないか、あたしに決めさせておくれ。

たえ いえ、そんな……今のまんまであたしは十分よ。

沢  いや、そうさせて貰うよ。だからってお前を…たえ、おまえをどうこう縛りつけようってわけじゃない。

たえ ううん、有無もいわせずがんじがらめに縛ってくださいな。あたしの手足を絡め、   想いを一層たぎらせてえ、厭(いと)いはしません。お好きになすって、嬉しい悲鳴を上げ   させて貰いますよあなた…

 

たえ、いきなり沢にしなだり掛かり押し倒す。舞台次第に闇。

 

たえ あなた、ふふふっ、左利きは床でのことよね、………   

 

舞台しばし闇。

           

 

 

溶明

 

二人、小座敷で身繕いしている。沢、縋るたえを支えて土間におり、二人椅子にかける。

 

たえ あなた、ありがと。よかったわ、すっかり堪能させて貰った…

沢  なんだい、そうもろに言われちゃ照れるよ、年甲斐もなくいささか恥ずかしいね。たえ なにおっしゃるの、齢のことは言わないって約束ですよ、関係ない。ねえ、あたし   の躱すっかりあなたに馴染んでしまったのね、あなた一色に染まってしまった、も   うほかの男さんは受け付けない…

沢  ふふふっ、飛切りの殺し文句をいってくれるじゃないか。(沢、いきなりたえの指をくわえる。)

たえ よして、(たえ、のぞけり、目を閉じ息も激しく苦悶の貌)

沢  (驚いて)どうした?

たえ だめあたし、また…

沢  えっ…

たえ あなたがいけないのよ、追い討ちをかけるんですもん…(たえ、よろよろ立ち上がる)

沢  (眉を寄せ)どこへ行く?

たえ 恥ずかしい、聞かないで、ひどい人。

   

おぼつかぬ足で奥にいくたえを,沢、にんまり見送る。

 

                    暗 転                  

 


埋み火 六

2014-10-11 05:11:51 | 埋み火

                       二幕

 

約一ヶ月後の晩、秋の気配の漂う沢の店の奥座敷、庭に面した回り廊下で囲まれ、奥に一間が覗かれる。正面上手に瀟洒な裏木戸、手前の座敷は居間か、小箪笥茶だんすを配しおぜんの上に茶盆がおかれている。沢が一日の仕事を終え、寝転び、煙草を吸いながら、女中の民に腰を揉ましている。

 

沢  おう、なかなかうまいもんだ、つぼを心得ているんだねお民は、たいしたもんだ。

民  故郷(くに)のおとっつぁんが、それはひどい肩凝りだったんです。それで毎日のように、   腰だの肩を揉まされていたんです。

沢  そうかい、お民は親孝行ないい子なんだ。

民  そんなんじゃありません…おとっつぁん、ここんとこ押すととてもいい気持ちだっ   て褒めて…

沢  あいたたたっ…

民  (慌てて)申し訳ありません、ついおとっつぁんを思い出して…

沢  冗談じゃありませんよ、骨が折れてしまう。あたしはそんな凝り性じゃないよ。そ   れにしても体に似合わず馬鹿力があるんだね。

     

民、めそめそ泣きじゃくる。

 

沢  あれ、どうしたの、泣いてんの、やだね。怒ったわけじゃありませんよ。

 

女中、みつ登場。

 

みつ お疲れさまでした。ただいまあがらせていただきました。旦那様お茶をお淹れしま   す。

沢  (起き上がり)ああちょうどいい、お茶はいいからちと肩を揉んでおくれ、お民を怒らしてしまったよ。

みつ はい、どうしたの民ちゃん、旦那様になにか粗相でも。

沢  いいからほっときなさい、どうも左が凝っていけない。

みつ はい。     

   

沢の妻、綾、登場。

 

綾  あれ、泣いたりしてお民、旦那様に悪さでもされたの?

沢  おっおおおおっ、なに言いだすの綾、あたしはなにもしやしませんよ、人聞きの悪い。お民、なんとか奥さんに言いなさい。

民  旦那様に馬鹿って叱られました。

沢  なななっなんだって!

綾  あなた、若い娘つかまえて馬鹿呼ばわりはいけませんよ。

沢  あたしはそんなこと言ってませんよ、ただその…

綾  親御さんからお預かりした、大事な娘たちなんですから、乱暴な言葉は以てのほか   ですよ。

沢  誰がそんな…なにを言うんだ、いや、もういい(膨れっ面)いや、おみつは続けて。うん、そこそこ、おみつはなかなか筋がいいね。力は入れなくてもいいよ、柔らかくね。

綾  おみつ、もういいでしょう。旦那様はきりがないんだから。お民もいつまでめそめそしてないで、さあ、二人とも下がって結構よ。ゆっくりなさい。

民みつ ありがとうございます。(みつ、民を促してさがる)

   

沢、綾お膳に向かい合う、綾お茶を淹れる。

 

綾  あなた、今夜はお出掛けにならないんですか?

沢  そんなわけじゃないが、こんな不景気な世の中だ、あまりふらふら飲みに出歩くの   も世間体がよくないと思って。

綾  まあしおらしい。いくら不景気だからって、たかがご近所の飲屋さんで一杯飲むぐ   らい、どうってことありませんよ。

沢  ロシヤに勝っても景気がよくなるどころか、世の中暮らしにくくなるだけだ。  綾  なのにこの界隈、毎晩のように飲めや唄えの騒ぎじゃありませんか。

沢  全くだ、あたしらにゃ到底理解出来ないからくりだ。尤もこちとら、そのお陰を蒙って世過ぎをさせて貰ってるわけだが…

綾  ほんと。それはそうとあなた、あなたの行くお店のおかみさん、お気の毒なんです   ねえ、旦那って人がずいぶんと無法な男とか。

沢  (慌てる)綾、なんだってそんなこと知ってるんだ。

綾  いやですよ、いつでしたか、寄り合いの帰りに寄ってらっしたときかしら…その晩話してらしたじゃありませんか。大層な立腹で。

沢  (口をあんぐりと開け)えっ…

綾  ぶつぶつやたらと気の毒がって、あたしもなんか身につまされちゃって。

沢  そんな話をしたのかい、ほかになにか…

綾  いえ、それだけですよ。ただ…

沢  ただなんだい?(身構える)

綾  いえ、世間にゃかわいそうな女がいるもんだって。話にゃ聞くが、実際身近にそん   な女がいるなんて、全くひどい男だって憤慨してらっしゃいましたよ。

沢  ふふうん、それだけ。

綾  (笑いを浮かべ)それだけって、ほかになにかあったんですか。

沢  (慌てる)いや、なにもありゃしませんよ。

綾  その人、小さなお子さんがいなさんのよね、たしか女の子が、いくつになるのその子。

沢  そんな事まで、今年紐ときとかいってたな。

綾  頼りない人、さんざん通ってらして、そのぐらいわからないんですか。

沢  (改まって)綾、あたしはただ酒を飲みにいってるだけなんですよ。そんなおかみの内輪話にまで首突っ込みませんよ。亭主の話聞かされたんだって、そのときが初めてだよ。

綾  (取り合わず)おかみさんて、いくつぐらいの人なんですか。

沢  知るもんですか、興味ありませんよ。だいいち女の齡なんちゃあたしには皆目見当つきませんね。

綾  そうね、その子が七つとして二十五六、それとも三十そこそこってとこかしら、ね   えあなた。

沢  いいじゃないかおかみの齡なんか、飲屋の話は止めましょう。

綾  女盛りですねえ、さぞかし商売柄色っぽいんでしょう、こぼれるくらいに…

沢  そうでもないよ、たかが飲屋のおかみじゃないか、高知れてますよ。

綾  そうかしら、そんなことないんじゃありません。小股の切れ上がった、今が盛りの豊満な年増ってとこかしら。あたし想像つくわ。

沢  ばかにこだわりますね、どこにでもいるごく普通の女ですよ。

綾  (笑いながら)その、ごく普通の女にずいぶんとご執心のようで。

沢  なに言うんだ、なにが執心なもんかね、気のおけない店なもんで暇っ潰しに行って   るだけですよ。気に入らなきゃあ行きゃしない、家(うち)で飲んだって同じなんだから。

綾  ほほほっ、冗談ですよ。気に入らなければ、半年もの間通ってらっしゃるの黙っちゃいません。どうぞお出掛けなさいな。

沢  そう言ったって、今更…

綾  おへそ曲げたの、子供みたいですね。ほんと冗談ですよ、機嫌直していってらっしゃい。

沢  別に機嫌悪くなんかしてませんよ。

綾  ならそうなさいな。

 

綾、奥の座敷へ、沢、小引き出しから爪きりを取り出し、爪を切り始める。綾、財布を手に戻る。

 

綾  おやおや爪なぞ、あら、ご丁寧にヤスリまでかけたりして。近ごろまめになったのね、いつも黙って手をつんだすお人が。

沢  いや、あんたも忙しいんだ、爪ぐらい自分で切らにゃあ。

綾  おやさしいのね、はいお財布。そうそう、下着を取り替えなくちゃあなた…

沢   いいよいいよ、帰ってから一っ風呂浴びるから。

綾  そうですか、じゃ、そうさせてもらいましょう。それよりあなた、どんなもんでしょう、あの人に派手になった着物、貰って頂こうと思ってるの。

沢  (落ち着かず)あの人って。

綾  あの人って、飲屋のおかみさんのことですよ。わかってるくせに。

沢  あの人ったってわかりゃあしませんよ、そんな…

綾  そうですか。袖を通さない着物も何枚かあるの、気にする人じゃ困るから、一度それとなく聞いてみて下さいな。商売柄羽織るもんは何枚あっても邪魔にはならないと思うんですよ。

沢  着物かい、あんたのもんなら上もんだし、喜ぶんじゃないかな。(困惑げに)でも   …

綾  でもなんですの?

沢  なんか複雑になっちゃうな。

綾  複雑になるって、なにがです?

沢  (しどろもどろに)いや、あの、なんて訊きゃあいいの。

綾  軽く言えばいいんですよ、女房のやつがよかったら着てみてくれって言ってるんだって、人のお古気にする人じゃなんですけど、探せばあげていいものがまだたんとあるのよ、ねえっ、一度訊いてみて。

沢  わかったよ。

綾  あら、気が進まないみたい。

沢  そんなこたない。

綾  よかった。じゃあちょっと見て下さいな。(綾、振り返り奥に向かって女中頭の夏   を呼ぶ)お夏、ちょっと来て。

夏  おかみさん、お呼びですか。

綾  すまないけど、箪笥の前にある風呂敷包み持ってきておくれ。

夏  かしこまりました。(夏、奥の座敷から風呂敷包みを抱えて戻る)これでございま   すか。

綾  これなんですけど、(沢の前に押しやり包みを開く)

夏  (覗き込み、大迎に)まあっ、おかみさん、あたしにはもったいのうございます。それについせんだっても、頂いたばかりですのに。

綾  だれもお夏になんて言ってませんよ。

夏  あら、そうでございましたね、ほほほほっ。

綾  あの人に似合うかどうか。

夏  おかみさん、あの人ってどこのお方ですか。

綾  おやお夏、もう下がっていいんだよ、お休みなさい。

 

夏、ふくれ顔、未練気に着物を見やりながら奥へ下がる。

 

綾  ねえ、見て下さいよ。

沢  好きにしたらいい、それよかそろそろ出掛けよう。

綾  気もそぞろなんですね。せいぜい羽根をのばして…

沢  誰が羽根なんか、ちょっとひっかけてくるだけだ。

綾  そうでしたね。あなた、帰りは冷えてくるかも、羽織りを…(綾、小箪笥から羽織りを取り出し沢の背に)いってらっしゃい。

沢  うん。(沢、鷹揚に頷き立ち上がる)

綾  (膳の上に置いた財布に気付き)あら大変忘れるとこ、あなたお財布、もう落とさないで下さいね、中はともかく、あなたの好みの財布探すの、容易じゃないんですから。やつと仲見世でみつけたんですよ…

沢  はははっ、そうそう失くしはしませんよ…ははははっ。

   

玄関に通じる廊下へ出る沢を見送る綾、居間に戻りひろげられた着物を一枚、縫い目に歯をかけいきなり引き裂き、沢の立ち去った廊下に投げ付ける。そこに姑しげが現れ、着物を拾い座敷に一歩足を入れる、襖に背をもたせ綾を睨む。

 

しげ 綾さん、なんのまねです。りん気…「つたや」の女主人のするこっちゃありません   よ。店の者たちに見られたらどうします…みっともない。(顔をあげぬ綾)亭主の   夜遊び程度で血迷うようでは、「つたや」の先が思いやられる。

綾  (無言)

しげ ねえ綾さん、この際だから言わして貰いますよ。跡取りも生めない女房に、亭主の   夜遊びを、どうこう言う器量はないんですよ。あたしはあの子が、よそで跡取り作   ってくれたらと願ってたくらいだ。夫婦養子をとる破目になるなんて考えてもみな   かった……

 

しげ、綾を見据え、裾を翻して座敷を出る、入れ代わり養女のみどりが飛び込んでくる。

 

みどり おかあさん、おばあちゃんと何かあったの、凄い見幕でお部屋に入ってたわ。

綾  そう…

みどり なにかあったのね、あたしのこと?

綾  そんなんじゃない、心配しなくていいのよ。(立ち上がり)お母さんあんたにしっかりした婿さんとって、「つたや」の暖簾を守ってみせます…

                       

                       暗転


埋み火 五

2014-10-10 03:05:08 | 埋み火

                                               一幕 一場の三

 

溶明 沢、入り口に立つ、長襦袢に伊達締めを絞めながらたえ慌てて沢を追い背中に縋る。

 

たえ すいません、お支度も手伝わずに…

沢  なあに、構うもんかね。

たえ ふふっ、あなたがいけないのよ、すうっと眠気に吸い込ますほど疲れさせるんですもん、こんなって初めて…

沢  それはこっちの言いたい台詞だよ、女の躱っちゃ色々あるんだねえ、まだ頭の芯が真っ白だ。後引くよこれは…

たえ それは言いっこなし、あたしも同じ。

沢  (…無言)

たえ ねえ、こんどいつ来て下さる?

沢  明日の晩と言いたいとこだが、そうもいかないだろう。 

たえ わかってます、無理は言いません。でもなるたけ早くお顔を見せてくださいな、お願い。あたしもう駄目なの…

沢  その腹積もりでいるよ。

たえ うれしい…

沢  だがお互い、うれしがってばかりもいられないよ、すっかりご亭主のこと頭から消えていた、危ない橋渡ってたんでは?

たえ そんな、だから一層夢中で、自分が怖いくらいに…でも後藤のことなら心配ご無用ですよ、鉄砲玉。朝方あたしの財布から有り金ひっさらい、後生大事な鼈甲(べっこう)の簪釵(かんざし)まで質草にと持って飛び出したまんま、しばらくは顔見せないでしょうよ。

沢  それはひどい仕打ちだね、どんな簪釵か知らないが、二三注文しとこうじゃないか。

たえ いえいいの、そんなつもりじゃ。

沢  まあ、まかしときなさい。(鷹揚に笑を浮かべ戸に手をかける)

たえ あっ、ちょっと待って。(勝手口に駆け込み、湯飲みになにやら注ぎ、戻って口に含み沢の胸に吹き掛ける)

沢  なにすんの。

たえ 安物の焼酎、あたしの匂い消させて貰ったの。

沢  ふうんなるほど、芸がこまかいね、だが心配ないよ、うちの女房おおらかな性質(たち)でね。

たえ いえだめ、ことの次第で女の感て凄いんですから。

沢  あはははっ。

たえ 笑いごとじゃないわ、あなたと離れたくない…

沢  まだそんな、取り越し苦労もいいとこだ、お前とはこの先どんなことがあっても離れやしない、あたしはそんな不実な男じゃないよ。

たえ ほんとよね、信じていいのね。

沢  くどいよ。

たえ すいません、でも、女なんて哀れねえ…

沢  どうして?

たえ あなたに抱かれ、腑抜けになるくらい幸せに酔ってるのに、すぐに気持ちが落ち着かなくなる。

沢  それはあたしもご同様だ、所詮男と女の絡みにゃあ避けちゃあ通れない修羅場よ。   せいぜい相手に泣きを見せないよう心しようじゃないか、なっ。

 

たえ、頷く。沢、懐から紙入れを取り出し懐紙に挟みやんわり手渡す。たえの慌てて返そうとする仕草に、沢首を振り押し止どめ、たえを見やりながら戸に手をかける。

 

沢 しんばりをしっかとするんだよ。

たえ あなた…

 

沢、無言で去る、たえ頭を下げ見送る。飯台に戻りけだるく椅子に腰を落とし、辺り憚らぬ大あくびをし、背筋を延ばしりょう肩をこぶしで交互に叩く。階段を降りてくる足音、たえ、慌てて財布を懐に入れる。背後に後藤立つ。

 

後藤 (無言…)

たえ (振り返りもせずに)なんだい、寝てたんじゃないのかい。 

後藤 なんでえその言い草、焦ったぜたえ。いきなり今夜おっぱじめるたあ、だがよ、とんとん拍子にいったんじゃねえのか、えらく気が入ってたぜ。

たえ ふん、気楽にほざくんじゃないよ、こっちは性根を据えてんだこんだの鴨にゃ。雑魚ばかり相手に鼻声まぶしたって高知れてっからね。たっぷりとおいしい目を見させて貰うよ。

後藤 ついでにこっちも、運が向いてきたかな。

たえ おふざけじゃないよ!こんだあ、おこぼれ一つも御免だね、かづと二人、この泥沼からはい出る最後の仕事にしようと思ってんだい。そうそういつまでお前の言いなりにゃならないよ。旦那に鼻声まぶし、囲い者にしてと持ち掛けるか、さもなきゃたんまり絞って愛想つかさし逃げを決めるか、二つに一つと思案を固めているんだい!

後藤 女郎上がりが聞いた風吐(ぬ)かすない。

たえ 脅しかい、泣きはいれないよ。

後藤 ふん、俺はな、元をとるまでおめえを離さねえんだよ、おめえに人生ぼろぼろにされた哀れな男なんだよ。

たえ 哀れな男が聞いて呆れるよ、それは確かにおまえはあたいの馴染みだった、こちとらの上手(じょうず)を眞に受けて大層な貢ぎよう、嘘とは言わないよ。けどそんなこたあ日ごと夜ごと、巡り廻って尽きない話なんだよ吉原(あすこ)じゃね。(ため息をつき)あたしもドジだったねえ、おまえの度外れた貢ぎようから身請話を玉の輿と早合点しちまって…男をみる目が狂ったねえ…

後藤 やけに舌が廻るじゃねえか、男をみる目が狂っただと、ほざくな!こちとらこそ、これからってとこ端折(はしょ)っちまった、阿呆絵に書いたようなざまあ見たんだ。

たえ ちぇっ、なにを未練たらしい…ふん、話に乗ってみりゃあなんだい、使い込みがばれ、親が尻拭ってどうにか後ろに手え廻るのだけは逃れたものの、勘当はされるは女房には逃げられっちまうていたらくじゃないかい。それからってもの手変え品変え、あたいを痛ぶっちゃ食い物にしてきたんだろう…元がどうのこうの、それが借りと言うんならとっくにちゃらじゃないかい!

後藤 (声を殺して)たえよ…貸しには利息ってもんがあるんだ、食い物だなんてとんでもねえ。ちったあ頭ひやせ、このご時世だ、女郎上がりの女とそんな女にうつつを抜かし、しっぺ返しを食らった男のはい出る隙間なんてありゃあしねえんだ。だからよう、お蚕ぐるみでのほほん暮らす結構なご身分のお人から、気持ちようくおこぼれを絞り取ろうと、納得づくで始めた仕事じゃねえか。なっ、そうそういがみあうのもてえげえにしようぜ。

たえ 勝手だねえ。

後藤 …ところでどうでい、旦那の当たりは?

たえ 沢さんかい?ふふ(不敵に笑う)もうあたいから離れられないよ、地獄を見るまでは…

後藤 違えねえ、俺が見本よ、哀れな旦那だ。女郎蛛の搦める糸に身動き失ねえ、甘え夢にうつつを抜かし、この世の地獄を覗くか…俺の分け前忘れんなよ。

たえ また蒸し返しかい、強欲な男だねえ。

後藤 ほっときやがれ。

たえ 念を押すけどね、あたいは一度だっておまえをたぶらかした覚えはないよ。いい男ぶって、一人相撲でおまえは世間から袖にされたんだ。あたいのせいであるもんかい…女郎は千に一つも誠は言わないよ、それを承知で騙し騙され、あっけらかんと遊ぶのが男ってもんだ!いい加減にするんだね。

後藤 おうおうっ、御託を並べるじゃあねえか女郎が。

たえ その女郎に鼻毛を抜かれ、よがり狂ったその果てに、財産(しんしょ)潰したなんて大仰に喚いてんのはどこのどなた様だい!

後藤 このっ、言わせておけば言いてい放題…まあ今日んとこは腹に収めよう、でえじな仕事のめいだ。それよかたえ、この仕事がうまくいったらおめえとのわかれ話、考えねえでもねえぜ。

たえ (飲み干そうとした杯を止め)ほんとかい。

後藤 俺も男の端くれよ、とことん嫌われた女に何時までまとわりついちゃいねえよ…旦那とのことは抜かりなくやるんだぜ。

たえ それはまかしといて、(ふと思案気に)かづはおしっこにも起きないで、ちゃんと布団剥がずに寝てるんだろうね?

後藤 餓鬼のことなんか知るけえ、下の成り行きが気んなって。

たえ たいした親だよ。

後藤 がんぜねえ齡だな、寝込んでたよ。

たえ そうかい、そりゃよかった。

後藤 それより…どうだい(たえの尻に手を廻そうとする)

たえ (払いのけ)なにするんだい、今夜は廻しはとらないよ。 

 

                                                      暗転  


埋み火 四

2014-10-09 03:11:26 | 埋み火

                 一幕 一場の三

 

溶明 沢、入り口に立つ、長襦袢に伊達締めを絞めながらたえ慌てて沢を追い背中に縋る。

 

たえ すいません、お支度も手伝わずに…

沢  なあに、構うもんかね。

たえ ふふっ、あなたがいけないのよ、すうっと眠気に吸い込ますほど疲れさせるんですもん、こんなって初めて…

沢  それはこっちの言いたい台詞だよ、女の躱っちゃ色々あるんだねえ、まだ頭の芯が真っ白だ。後引くよこれは…

たえ それは言いっこなし、あたしも同じ。

沢  (…無言)

たえ ねえ、こんどいつ来て下さる?

沢  明日の晩と言いたいとこだが、そうもいかないだろう。 

たえ わかってます、無理は言いません。でもなるたけ早くお顔を見せてくださいな、お願い。あたしもう駄目なの…

沢  その腹積もりでいるよ。

たえ うれしい…

沢  だがお互い、うれしがってばかりもいられないよ、すっかりご亭主のこと頭から消えていた、危ない橋渡ってたんでは?

たえ そんな、だから一層夢中で、自分が怖いくらいに…でも後藤のことなら心配ご無用ですよ、鉄砲玉。朝方あたしの財布から有り金ひっさらい、後生大事な鼈甲(べっこう)の簪釵(かんざし)まで質草にと持って飛び出したまんま、しばらくは顔見せないでしょうよ。

沢  それはひどい仕打ちだね、どんな簪釵か知らないが、二三注文しとこうじゃないか。

たえ いえいいの、そんなつもりじゃ。

沢  まあ、まかしときなさい。(鷹揚に笑を浮かべ戸に手をかける)

たえ あっ、ちょっと待って。(勝手口に駆け込み、湯飲みになにやら注ぎ、戻って口に含み沢の胸に吹き掛ける)

沢  なにすんの。

たえ 安物の焼酎、あたしの匂い消させて貰ったの。

沢  ふうんなるほど、芸がこまかいね、だが心配ないよ、うちの女房おおらかな性質(たち)でね。

たえ いえだめ、ことの次第で女の感て凄いんですから。

沢  あはははっ。

たえ 笑いごとじゃないわ、あなたと離れたくない…

沢  まだそんな、取り越し苦労もいいとこだ、お前とはこの先どんなことがあっても離れやしない、あたしはそんな不実な男じゃないよ。

たえ ほんとよね、信じていいのね。

沢  くどいよ。

たえ すいません、でも、女なんて哀れねえ…

沢  どうして?

たえ あなたに抱かれ、腑抜けになるくらい幸せに酔ってるのに、すぐに気持ちが落ち着かなくなる。

沢  それはあたしもご同様だ、所詮男と女の絡みにゃあ避けちゃあ通れない修羅場よ。   せいぜい相手に泣きを見せないよう心しようじゃないか、なっ。

 

たえ、頷く。沢、懐から紙入れを取り出し懐紙に挟みやんわり手渡す。たえの慌てて返そうとする仕草に、沢首を振り押し止どめ、たえを見やりながら戸に手をかける。

 

沢 しんばりをしっかとするんだよ。

たえ あなた…

 

沢、無言で去る、たえ頭を下げ見送る。飯台に戻りけだるく椅子に腰を落とし、辺り憚らぬ大あくびをし、背筋を延ばしりょう肩をこぶしで交互に叩く。階段を降りてくる足音、たえ、慌てて財布を懐に入れる。背後に後藤立つ。

 

後藤 (無言…)

たえ (振り返りもせずに)なんだい、寝てたんじゃないのかい。 

後藤 なんでえその言い草、焦ったぜたえ。いきなり今夜おっぱじめるたあ、だがよ、とんとん拍子にいったんじゃねえのか、えらく気が入ってたぜ。

たえ ふん、気楽にほざくんじゃないよ、こっちは性根を据えてんだこんだの鴨にゃ。雑魚ばかり相手に鼻声まぶしたって高知れてっからね。たっぷりとおいしい目を見させて貰うよ。

後藤 ついでにこっちも、運が向いてきたかな。

たえ おふざけじゃないよ!こんだあ、おこぼれ一つも御免だね、かづと二人、この泥沼からはい出る最後の仕事にしようと思ってんだい。そうそういつまでお前の言いなりにゃならないよ。旦那に鼻声まぶし、囲い者にしてと持ち掛けるか、さもなきゃたんまり絞って愛想つかさし逃げを決めるか、二つに一つと思案を固めているんだい!

後藤 女郎上がりが聞いた風吐(ぬ)かすない。

たえ 脅しかい、泣きはいれないよ。

後藤 ふん、俺はな、元をとるまでおめえを離さねえんだよ、おめえに人生ぼろぼろにされた哀れな男なんだよ。

たえ 哀れな男が聞いて呆れるよ、それは確かにおまえはあたいの馴染みだった、こちとらの上手(じょうず)を眞に受けて大層な貢ぎよう、嘘とは言わないよ。けどそんなこたあ日ごと夜ごと、巡り廻って尽きない話なんだよ吉原(あすこ)じゃね。(ため息をつき)あたしもドジだったねえ、おまえの度外れた貢ぎようから身請話を玉の輿と早合点しちまって…男をみる目が狂ったねえ…

後藤 やけに舌が廻るじゃねえか、男をみる目が狂っただと、ほざくな!こちとらこそ、これからってとこ端折(はしょ)っちまった、阿呆絵に書いたようなざまあ見たんだ。

たえ ちぇっ、なにを未練たらしい…ふん、話に乗ってみりゃあなんだい、使い込みがばれ、親が尻拭ってどうにか後ろに手え廻るのだけは逃れたものの、勘当はされるは女房には逃げられっちまうていたらくじゃないかい。それからってもの手変え品変え、あたいを痛ぶっちゃ食い物にしてきたんだろう…元がどうのこうの、それが借りと言うんならとっくにちゃらじゃないかい!

後藤 (声を殺して)たえよ…貸しには利息ってもんがあるんだ、食い物だなんてとんでもねえ。ちったあ頭ひやせ、このご時世だ、女郎上がりの女とそんな女にうつつを抜かし、しっぺ返しを食らった男のはい出る隙間なんてありゃあしねえんだ。だからよう、お蚕ぐるみでのほほん暮らす結構なご身分のお人から、気持ちようくおこぼれを絞り取ろうと、納得づくで始めた仕事じゃねえか。なっ、そうそういがみあうのもてえげえにしようぜ。

たえ 勝手だねえ。

後藤 …ところでどうでい、旦那の当たりは?

たえ 沢さんかい?ふふ(不敵に笑う)もうあたいから離れられないよ、地獄を見るまでは…

後藤 違えねえ、俺が見本よ、哀れな旦那だ。女郎蛛の搦める糸に身動き失ねえ、甘え夢にうつつを抜かし、この世の地獄を覗くか…俺の分け前忘れんなよ。

たえ また蒸し返しかい、強欲な男だねえ。

後藤 ほっときやがれ。

たえ 念を押すけどね、あたいは一度だっておまえをたぶらかした覚えはないよ。いい男ぶって、一人相撲でおまえは世間から袖にされたんだ。あたいのせいであるもんかい…女郎は千に一つも誠は言わないよ、それを承知で騙し騙され、あっけらかんと遊ぶのが男ってもんだ!いい加減にするんだね。

後藤 おうおうっ、御託を並べるじゃあねえか女郎が。

たえ その女郎に鼻毛を抜かれ、よがり狂ったその果てに、財産(しんしょ)潰したなんて大仰に喚いてんのはどこのどなた様だい!

後藤 このっ、言わせておけば言いてい放題…まあ今日んとこは腹に収めよう、でえじな仕事のめいだ。それよかたえ、この仕事がうまくいったらおめえとのわかれ話、考えねえでもねえぜ。

たえ (飲み干そうとした杯を止め)ほんとかい。

後藤 俺も男の端くれよ、とことん嫌われた女に何時までまとわりついちゃいねえよ…旦那とのことは抜かりなくやるんだぜ。

たえ それはまかしといて、(ふと思案気に)かづはおしっこにも起きないで、ちゃんと布団剥がずに寝てるんだろうね?

後藤 餓鬼のことなんか知るけえ、下の成り行きが気んなって。

たえ たいした親だよ。

後藤 がんぜねえ齡だな、寝込んでたよ。

たえ そうかい、そりゃよかった。

後藤 それより…どうだい(たえの尻に手を廻そうとする)

たえ (払いのけ)なにするんだい、今夜は廻しはとらないよ。 

 

                       暗転  


埋み火 三

2014-10-08 00:32:10 | 埋み火

                一幕  一場のニ

 

 

たえ あっ沢さん、もう今夜はお見えにならないのかと、嬉しい…

沢  いやあ、野暮用があって他で一杯やってきたんだ、遅いんでもう終(しま)いじゃないかと心配しいしいきたんだが、やはり遅かったようだね。

たえ なにおっしゃるんです、ちょうど区切りがついたもんで暖簾を下げただけなの、さあっ、(たえ、沢の手をとる)沢さんならいくら遅くたってかまわない‥今夜は他の客はお断り。ゆっくりしてって下さいな、すぐに一本おつけしますから。

 

たえ、さりげなく入り口にしんばりをし、灯りをひとつおとす。

 

沢  世辞でもそう言われると、足を延ばした甲斐があるってもんだねおかみ。

たえ 世辞だなんて、やたらと嬉しいの、ほんとですよ(沢の両手をとり引き寄せ、胸に持っていく)ねえっ、こんこんて音たててるでしょう、嬉しい嬉しいって悲鳴をあげてるんですよ。

沢  (たえの腰を片手で抱き胸を反らし)あたしには迷惑迷惑って聞こえるぜ。

たえ まあ憎らしい、(腰に廻した沢の手をつねる)

沢  (大仰に)痛いっ!

たえ いつからそんなにお口がお悪くなったんです…今夜はどこやらのお奇麗なお人としっぽりと…

沢  そんな、仲間の寄り合いで、ただ、酒を口に運んでいただけよ、早く切り上げおかみの酌で一杯やろうと飛んできたんだ。

たえ いいの、嘘でもこうして…

沢  まだそんなこと言ってる、嘘なもんかね。仲間は皆連れ立って吉原(なか)へ繰り込んだんだ、誘いを蹴るのにずいぶんと冷汗かいたんだよ。

たえ わかってます、有り難く思います。ただ今夜は無性に沢さんに絡みたいの、嗤ってやって…

沢  どうしたんだいおかみ、(たえの肩に手をかけ)今夜のおまえさんどうかしてるよ、酔ってるんだね。

たえ 酔ってなんかいません、でも飲んでも飲まなくてもいい加減おかしくなります。二人っきりでこうしていると。

沢  それはあたしも同じだ。

たえ 同じなもんですか、ねぇ、さっきまで神谷さんたち見えてたんですよ。

沢   ああ、お役人の?

たえ  さんざんあたしと沢さんのこと勘ぐって冷かすのよ。二人は出来てんじゃないかとかどうとか。

沢  それで?

たえ それでって、それきりですよ。これが沢さんと割りない仲になってんでしたら、どんなに嬉しいか、それが、悔しいやら情けないやら、あたし…

沢  なんだいそんなことかい。

たえ そんなことって、憎い人…

沢  憎いなんてそれはない、あたしはね、おかみに惚れたあげくの逢いたさ見たさに通ってきてるんだよ。

たえ ええっ、まあっ、本気で受けていいんですか。

沢  あたりまえだ。

たえ 本気なんですね、ねえっ、あたし躱がかあって熱くなっちまいましたよ、ほら…(沢の手をとり胸へ誘う)

沢  おっと、胸元がきつくってまだるっこいね。

たえ あら、すいません。でも沢さんなら、(たえ、背を沢の胸にもたれさす)どっからお手がすんなり入るか先刻ご承知よね、二人きりの今夜存分になすって…

   

沢、たえの背後から身八つ口に手を忍ばせようとする。

 

沢  いや、楽しみは後に残そう、だがそれよりおかみ、この齡で改まって女に惚れたなんて口にすんのは、いささか気恥ずかしいね。

たえ (躱をくねらし)そんなあっ、あたしだって同じ。惚れてます…

沢  なんだい、ばかに話がとんとんと、まさか夢じゃあ…

たえ 止して下さいな夢だなんて、あたしはいつこんな嬉しい言葉がきけるかと、それを毎日…思い切って想いを打ち明け、もし素(す)気(げ)ないあしらいうけたらと…それが怖かった。女の口から男さんを口説くなんて、なんて慎重(はした)ないんだと蔑すまれはしないかと、勇気がいったんですよ。それがこうして、あたしのほうこそ夢どころか天にも昇る気持ちです。

沢  大袈裟な、それに天に昇るにゃまだ早い。

たえ いや、そんな冗談を、恥ずかしい。

沢  ははははっ、照れてんだよ、年甲斐もなく…

たえ なにおっしゃるの、色恋にそんなの邪魔なだけ。

沢  違いない、おまえさんの言うとおりかも。

たえ そうですよ、あたしだって若くない、惚れたはれましたに齡なんて無縁のこと、棚の上に乗せちまいましょう。

沢  しかし悔やまれるよ、すんなりこんな成り行きになるんだったら、なぜもっとまえに…

たえ それはあたしだって、冗談はよしなって、笑いとばされたときの情けない、自分の惨めな有様が哀れにおもえて…

沢  もういい、なにも言いなさんな。   

たえ ありがとうあなた…あなたって言わせてくださいな、あたしには心底あなたって言えるお人がいなかったんですよう…

沢  おっと待ちなさい、おまえさんにはれっきとしたご亭主がいるじゃないかい、あたしはね、それを承知で通ってきてるんだよ。そして今口説きもし、口説かれもしてるんだよ。そうそう無理しなくたっていい、あたしはたったの今阿呆になろうとしてるんだ、お前さんと深間に落ちることが、どんなにえらい騒動の火種になってもと、腹をくくったんだ…

たえ 止めて頂戴亭主の話は……それよりそんなお気使いは無用です。あなたのお宅に、これっぽっちも波風を起こそうなんて思っちゃいません。心底惚れただけ、亭主にいじめられ通しの女が一人いて、ただ縋っているだけです…

沢  (神妙に頷きながら)ご亭主かい…苦労してるんだね。

たえ 沢さんとは生まれも育ちもべつ。

沢  べつって?

たえ いえっ止しましょう、昔は振り返らないの、ねえ、そうしましょうよ。こうして二人きりでいて、じんわり躱が汗ばむほど疼いているのに、話せば冷汗に変わる、耐えられない…

沢  そう言ったって惚れた女のことは、洗いざらい知りたいもんだ男は。そしてなにかと力になろうってのがあたり前じゃないのかい。

たえ わあっ、凄いこと言ってくれますね、それであたしは十分、ねえ飲みましょう、せっかくの今夜のお酒、まずくなるわ。

沢  それもそうだ、まあ、とわずがたりの成り行きといくか、じっくり飲もう。

たえ ほんと、離さないから今夜は。

沢  ははっ、あんまり嬉しがらしちゃいけない、あたしはこれで初心(うぶ)なんだよ、案外商売っ気がらみだったりしたら、血迷ってなにしでかすやら、危ないぜ。

たえ なにおっしゃるの、あたしがそんな女でしたらどうぞ迷わずに、突くなり刺すなり思う存分気を晴らして下さいな。

沢  冗談だよ、そう目を剥くな。例えそうでもできやしない勿体なくて…

たえ またそんな。

沢  はははっ、まあまあ。

たえ からかわないで、悪い人…でもねえ、あたしの方こそほんとは悪い女かもしれなくてよ。

沢  えっ、またいきなりなんてえことを。

たえ そうですよ、いくらひどい亭主だって亭主持ちにはかわりない、それが一途にあなたに想いをぶつけるなんて…亭主持ちだってことは世間には内緒、あなただけには洗いざらいこうして…

沢  待ちなさい、それは言いっこなしだ、あたしはどうなんだそいじゃ。いまそれを言ってなんになる。手練手管とは裏腹の、さっきまでのいい様はどうしたんだ、男冥利につきる口説きと、ほどほど感じいってるんだよ。

たえ あなた…

沢  なあ、良い悪いならお互い五十歩百歩、男と女の仲は善悪の尺度じゃ計れやしない、そんなこたあ忘れて寄り掛かってきたらどうだ。

たえ やさしいこといってくれるのね、わかりました性根を据えます…こんだ無体な仕打ちにあっても引き下がらない、名ばっかりの夫婦なんて御免よ、あたしたちずっと前から他人なんです。

沢  まあそれはどうでもいい、一つ屋根の下の男と女、他人のあたしがどうこう気い廻すこっちゃない。

たえ まあ他人だなんて、ちくりと本音を言うんですね。嬉しがらせたり、あたしが悲しむこと平気でおっしゃる、そうよね、土台あたしの想いなんて贅沢なんだわ。

沢  なにを言いだす、話が振り出しにもどっちゃうじゃないか。   

たえ あなたがいけないんです、そんな厭味をいうから。

沢  厭味じゃないよ、本当の話だ。お前さんの、むっちりとした色気の溢れる躱を前にして、だれが指をくわえてほっとくものかね。一つ屋根の下、亭主と名がつきゃあできる芸当じゃない。おかしな心地だ、ご亭主に妬けてくるよ。

たえ 信じてくれないのね、後藤とずっと他人なのが…(たえ哭きだす)

沢  (驚愕し、たえの肩を抱く)わかった、泣くな…はつきり言わせて貰おう、ご亭主がいようがいまいが、あたしはあんたにぞっこん惚れたんだ。

たえ あんただなんて、お前って言って頂戴、ね、それにいま言ったこと…嘘は言いっこなしですよ。すげない言葉でも、たったの今ならあたしの高望みと諦めて、引きさがりもできましょう。でももうあたしは命懸け、この先冷たい態度(しうち)に様変わりされたら恨みますよ。

沢  なに言ってるんだ、いい齡こいて若い女の色香に迷い、のぼせ上がったあげくの果てに、三下り半なんて様にあっちゃあ、あたしのほうこそ恨みだ。お前の胸中(むねっち)を見極めての口説き三味、もう後へは引かない、あたしを三枚目にしたら承知しないよ。

たえ あなた…(たえ、沢にすがりつく)もう二人にあれこれ口説はいらない、抱いてえ、だめ、なにも言わないで、(たえ、沢の口を袂でふさぎ座敷に誘い倒れ込む)

              

                      暗転


埋み火 二

2014-10-07 03:28:31 | 埋み火

                         一幕 一場の一 

  賑やかな笑い声と嬌声のうち幕が上がり「たえ」の店内。舞台中央の土間に粗末ながら小奇麗な飯台が置かれ、廻りに椅子。その脇の粋な小座敷に座卓が置かれ、その背後の屏風の陰に布団の端がみえる。上手の奥は調理場か、のれんがさがり、屋根裏でもあるのか楷段が覗かれる。

三人を相手にたえ忙しく、夜も更け遠藤なかば眠りこけている。おかみのたえ、小まめに席を替えては酌をして廻っている。

 

神谷 おかみ、いちどおかみの胸ぐっと触ってみたいね。

たえ なにおっしゃるのそんな、奇麗な奥様に叱られますよ。

神谷 いやあ、ちょっと言ってみただけですよ。

大沢 そうですか、ざれ言にしては真に迫ってましたよ。

たえ ほんと、ぶるってきましたよ。

大沢 僕も願わくは、その震える懐に…(溜息交じりに)そそられるなあ。

たえ やめてそんな。

神谷 いや言わして貰いますよ、おかみの滑らかな白い膚、大沢くんじゃないがそそられる、まったくくらくらする。なんていうか、見るだけじゃ収まりませんよ気持ちが。

   

眠っていた遠藤、いきなりたえの尻をつかむように触る。

 

たえ あっ、棟梁なにすんの。

遠藤 こりゃ凄い、吸い付くようだ。

たえ よしてよ、あたしそこが一番弱いんだから。

神谷 その一番弱いところあたしも…

たえ 旦那までそんな、断っておきますがあたしも生娘じゃありません。男日照りの昨今火(ひい)ついたらどうします、この躱、ほてったら収まりません。いいんですの、高くつきますよ。

神谷 あはははっ、言うことが憎いねおかみ。

遠藤 ほんとほんと、神谷さんは降りたほうがよろしいようで、ご身分にかかわりやすぜ。

たえ あれ棟梁、どういうこと、聞き捨てならない。

遠藤 まあまあ気にしねえ、それにしても一度でいいからおかみのねっとりした脂の染み出るようなお膚を拝みてえな。

    

神谷、大沢、遠藤に和してたえを囃したてる。

 

たえ (満更でもなさそうに身をくねらし)いやですよ皆さんして…あたしの躱ってね、そんな脂性じゃないんですよ。でもね、お風呂からあがるでしょう、躱をちっと振るだけで水気弾いてしまうの。手拭で拭く手間もいらないの、おほほほっ…

大沢 わっ、僕、想像しちゃう、狂いそうだ。

遠藤 たまんねえな言うことが、油地獄の誘い水だぜ。

たえ おほほっ、さあさあお互い言いたいこと言い合いました。夜もだいぶ更けて参りましたし、そろそろ看板にさせて頂こうかしら。

神谷 まあ、そうせかせなさんな、もうちょっと飲んでいたいね今夜は。

たえ そうですか。

神谷 そうですよ、せっかくこう気分が盛り上がっているというのに。

遠藤 まったくだ、神谷さん気が入っていますね今夜は。

神谷 棟梁、そんな言い方止めにしてくださいよ。

大沢 僕は今夜はもう帰りたくないです。

遠藤 あははっ、大沢さん若いだけあって正直でいいや、あっしもうこういきりたっちゃあもう、収まりつかねえ。

たえ なに言ってるの棟梁、そんでしたら早く帰っておかみさん抱いてあげたら、おかみさんとろけちゃう。

神谷 それがいい、それがいいですよ棟梁。

大沢 そのほうがいいですよ。

たえ おほほっ、そうなすったら、おかみさんも嬉しがる、今夜は凄い…

遠藤 なんでい、みんなしてあっしをのけ者に、帰りませんよ。帰ったからってかかあと致す気いなぞさらさらありませんて。

神谷 これは相当なもんです、おかみ一本に凝り固まってます。

遠藤 みんなそうじゃありませんかい。

たえ 有り難うございます。女冥利に尽きますわ皆さんにご執心頂いて、でもひとつしかないこの躱どうしましょう。悲しいわ、申し訳ない、(大迎に手を合わせる)できることならこの躱、三つに切ってお裾分けしたい。

遠藤 うわっ、たまんねえこと言ってくれるじゃねえの、さしあたってこのあっしは三つに切られたおかみの躱、どの辺頂けんのかね。へへへへっ…

神谷 (遠藤に)まあまあ冗談はその位にして、ところでおかみ、沢さん今夜はおいでじゃなかったね?

たえ あら、そう言われれば…お仕事お忙しいのではないかしら。

神谷 おかみ、あっさりと言ってのけて、くせもんだよ。

たえ なにがです…

神谷 なにがですって、とぼけて、沢さんに満更でないんだろう。

大沢 そうそう。

遠藤 どうなんだい、もうとっくに…なになんだろう?

たえ (艶然と笑みを浮かべ)どうかしら、ねえ。

神谷 (変にからむ)はぐらかしちゃダメだよおかみ、沢さん商売のほうなかなかお盛んのようだし、手ぐすねひいて待ってるんじゃないのかい。          

たえ 止めてくださいなそんないい様(よう)、沢さんも皆さんと同じ大事な大事なお客様のお一人ですよ。

神谷 そうかね、けっこう足まめに通ってくるんじゃないのかい。

たえ (立ち上がりながら)なによ、皆さんして、はいはいあたしは沢の旦那に首ったけです。これでよろしいのかしら、もうみんな出来あがっちゃって、さあこんどこそ閉めさせてくださいな。

 

なお未練気に腰あげぬ三人を宥めすかして送り出すたえ。

 

たえ どうも有り難うございます。また近いうちにきて、ねっ…待ってますよ。ほらほら足元に気(きい)つけて下さいな。

 

三人を送り出し暖簾をさげたたえ、深く溜息をつき杯を手に椅子に腰を下ろし、銚子の酒を注ぎ一気に飲み干し、虚ろな目を下手入り口に向ける。その目に沢が映る。沢、にこやかに入ってくる。たえ、跳び上がって駆け寄る。